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あなたが私たちのもとにやってきて、もうすぐで3ヶ月。お父さんとお母さんのもとで、しあわせですか?お父さんとお母さんは、あなたがやってきてくれて、とてもとてもしあわせです。なかなかあなたが出て来れず、最後は帝王切開になっちゃったけど、無事に生まれてきてくれたね。人一倍心配性なお父さんは、気が気でなかったみたいだよ。あなたと初めて対面したとき、しっかり目を開いて、私を見てくれたね。お母さんってわかってくれたのかな?お父さんがつけてくれた名前、気に入ってくれてる?お父さんがこの名前がいいって言いだした時、ちょっととまどったけど、今ではすっかりお気に入りの名前で、あなたをそう呼べることがとてもうれしいよ。そして、みんながあなたをそう呼んでくれるのが、とってもうれしいです。あなたがお腹の中にいたのが、今でも信じられません。お腹の中は気持ちよかったのかな?どうやって入ってたんだろうって、生まれてしばらくは、いっつもあなたを見ながら考えてました。そして、あなたがお腹の中にやってきて、無事に生まれて、ここにいて、触れられることも、たまに不思議でなりません。1年前は陰も形もなかったのだから。すごいね、たったの9ヶ月で、ひとつの命として生まれてきて。すごいね、たったの3ヶ月でここまで大きくなって。生まれてきたときは、本当に本当に小さかった手。今もまだ小さいけど、あのときの手の小ささ、たったの3ヶ月前なのに、もう思い出せないよ。退院するときに初めて履いた靴下。うわー、ゆるゆるだ~って思ったのに、今はもう履けなくなっちゃった。あの服もあの下着もブカブカだったのにね、今じゃもう着れないね。あなたが生まれた12月から、時が止まってしまったように、もうすぐ春だというのに、いまだに12月のまんまな気がします。でも、大きくなったあなたを見てると、確実に時は経ったのだなと。そして、この3ヶ月は今までの人生の中で一番大変だったけど、一番内容が濃く、いっぱいうれしくて泣いて、いっぱい笑って、いっぱい心配して、一番しあわせな時間でもありました。チビちゃん、お父さんとお母さんのもとで、しあわせですか?お父さんとお母さんは、とてもとてもしあわせです。たくさんのしあわせをありがとう。そして、お父さんとお母さんの所に来てくれてありがとう。
2010.03.02
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もうすぐ出産を迎えます。子作りを始めてから5年、最初の流産から4年、2度目からは3年半、本格的に治療を始めて2年半。長かったかな~、やっぱり。人工授精の前日に見た超音波画像の20mm弱の卵胞の中に、見えないけれども卵があって、それが受精して、もうすぐ人間として生まれてこようとしているのが、とてもとても不思議です。そして、ここまで育ってくれて、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。3年ぶりに陽性反応を見たときは、結構冷静で、「あっ、私、まだ妊娠できるんだ」と、淡々と思いました。その直後に、また流産したらどうしよう、と不安になりましたが。3ヶ月のときに出血があり、どうしようもない不安におそわれたりもしましたが、それ以降は、ありがたいことに大きな問題もありませんでした。それでもやはり、流産・不妊から受けたトラウマというのは簡単には消えないもので、安定期に入っても、ちょっとしたことで、不安になったりしました。妊娠を報告をしたとき、私の今までのことを全部じゃなくとも知っている友達は、自分のことのようにうれしいと、半泣きで喜んでくれました。そして、安定期に入っても不安な私の気持ちを知っている友達は、「あなたは今まで辛い思いをしてきた分、絶対にいいことがあるよ。きっと大丈夫だよ。」と、優しい言葉をかけてくれました。どれだけうれしかったか、どれだけ心強かったことか。そんな友達みんなに感謝でいっぱいです。ありがとう、ホントにありがとう。3年前に乗り越えられそうにないと思った、自分の前に立ちはだかる高い壁、こういう結果になったからだけではなく、ならなかったとしても、前ほど高くは感じなくなっていました。ツライ経験でもありましたが、たくさんのことに気付きました。いろんな気持ちがあることに気付きました。そして妊娠すること、それを継続すること、生まれてくることがどんなに奇跡的なこと、それに気付けたことは、本当によかったと思うし、だからこそ、経験してよかったと思います。そして、30後半にして、親になるということ。体力面から言って、正直もっと若いときに、とは思います。でも4年前に私達が親になれなかったのには、きっと理由があるんだと思います。人生全てタイミング、今がそのときなんだろうな、と思います。自分自身に起こることには必ず意味がある。なりたかった強くてやさしい人間に、少しは近づけたのかな~。今まで読んでくださって、ありがとう。これにて、「スイスで不妊治療」を終わりたいと思います。最後に、ツライときに支えてくれた友達のみんな、心からありがとう。
2009.11.30
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2007年以降の私は、相変わらず、人の言動に振り回されることもあるものの、前向きに頑張ろうとしていた。2007年の前半は、ドイツ語の試験勉強に打ち込んだ。当時、大きなコンプレックスがふたつあって、ひとつは親になれないこと、そして、もうひとつはいつまで経ってもドイツ語が下手くそなことだった。親になることは、正直努力ではどうしようもない。一方ドイツ語は、努力次第である。自分の時間だけはたっぷりある、このコンプレックスを取り除きたかったし、今がチャンスだと思った。そして、ドイツ語が下手くそなまま親にはなりたくなかった。何かに打ち込んでいると、悩み事が薄らいでいく。あのときに試験を受けることにしたのは、今になっても本当によかったと思う。そして、その頃不妊検査・治療が本格的に始まったのも、やっとこスタートラインに立てたと、精神的にもよかった。試験が終わり、2007年の後半、私は新しいことをふたつ始めた。新しいことを始めると、新しい出会いもある。今までの私の周りは、子持ち主婦、いずれ子供がほしい主婦、そんな人が多かった。新しい出会いによって、全然違う方を向いてみると、主婦としてだけじゃなく、何か自分のしたいことに取り組んでいる人が結構いた。その中には子供がいない人も多く、とても生き生きしているように見えた。そんなステキな女性達は、子供がいる家庭をずっと思い描いてきた私に、子供がいない将来もあるんじゃないか、と思わせてくれるきっかけにもなった。それからの私は、治療もリミットを決めて、自分達が納得行くまでしようと思ったし、そうしつつも、子供がいない将来(Plan B)も視野に入れつつ、何が自分にできるのか、探し始めていた。そして、やるだけやって子供ができないときは、自分達はそういう運命だったってこと、そう受け止めよう、ダンナとこれからふたりで人生楽しもう、って思えるようになった。
2009.11.27
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これまで、治療のことを中心に書いてきましたが、気持ちのことを書きたいと思います。今回アップする分は、最近書いたものではありません。流産を立て続けにし、検査も治療もしてもらえず、一番思い悩んでいた2006年に綴りました。当時ブログにアップする勇気もなく、ただ気持ちをぶつけるつもりで、ワードに書いたものです。**************************************世の中、思い通りには行かない。私は2度流産している。2度目はかなり初期であったから、ちょっと重い長い生理で終わったが、陽性反応を見た後だったし、悲しくてたまらなかった。なんでまたって・・・。私の友達も2度している。なんで2度も。2度も3度も問題なく、妊娠して出産している人いっぱいいるのに。なんで同じ人がまた、神様っているのかな~。1度目の流産からの立ち直りは結構早かった。1年妊娠しなかったから、あのときは自分に妊娠する力があるってわかり希望を持てたし、流産直後は妊娠しやすいっていう説がかなり期待させ、前向きに進むことができた。うちの先生は2回生理を見送ったら、子作りしていいって言った。期待してた。期待しすぎないようにしたけども、期待してた。でも生理が来た。簡単にはいかないよねーと思い、最初は気丈にしてたけど、日が経つにつれ、落ち込んだ。そして、2度目の流産。その後の検診で、子宮筋腫の疑いもかけられ、さらに落ち込んだ。3ヶ月後の再検診で子宮筋腫の疑いも晴れ、またガンバローって思えたけど、一向にうちには天使が舞い降りない。最初の流産から、もうすぐ1年。十何件の妊娠報告を聞いただろうか。前からほしいと思っていた友達からの報告はうれしかった。でも、同時にせつなく焦る。100%喜んであげれない自分もイヤだ。自分はいつこんなハッピーな報告ができるんだろう。親になる資格がないのかな。2年避妊しても子供ができない場合を、不妊と言うそうだが、うちもぼちぼちそうだ。こっちの医者はのんびりしてる。うちの先生はほんと楽観的だと思ってしまう。自然妊娠できたんだから、しばらくまた様子を見ましょう。来年になったら、検査しましょう。検査代高いからって。こっちは年齢もあって、少々焦っているんだけどなー。先生から言わすと、30代前半はまだ若いんだってさ。もっともっと不妊のことで苦しんでいる人もいる。2年なんて、まだ甘いのかもしれない。自然妊娠できる可能性があるだけ、ましなのかもしれない。でも、やっぱりせつない。勉強とかって努力した分、成果がある。でも妊娠に関しては努力、強いて言えば健康な体になるとかいうくらいで、いくら頑張っても、成果があるものでもない。もしかして来月成果があるかもしれないし、半年後かも、1年後かも、3年後かも、10年後かも・・・もしかして成果が出ないかもしれない。ある意味、出口がどこにあるのかわからないトンネル。私は今そのトンネルの中にいる。考えすぎるとよくないって言う。考えなくなったときに、妊娠したとかよく聞く。でも、それって難しいよ。前向きなときは、今を楽しもう♪とか思えるけど、決して忘れているわけじゃないし。結構考えなくて済んでるときに、誰かの妊娠報告聞いたら、やっぱりまた考えちゃうし。周囲に振り回されない強い心がほしい。流産してから、人の言葉に敏感になった。言葉は励みにもなるけど、時にナイフになるって、しみじみ思った。一度目の流産をしたときに、ある人からメールをもらった。「うちの子らはせっかちであまり時間をくれなかったから、 余裕をくれる子供って、とてもうらやましい。」彼女は結婚してすぐ立て続けに2人を妊娠・出産した。「うらやましいって、なにさ?」とズキっときたけれど、子供ができるまでに今しかできないことをすべきとすでに子供がいる彼女が言いたかったのは、前後の文章から取れたし、自分の中でもそう消化しようと思った。でも、ずっとずっと、その「うらやましい」の一言だけが、頭の中でこだました。そして、胸を刺して、えぐった。ほしかったものを失った私がうらやましい?私のほしいものを、2つも手に入れているあなたの方が、よっぽどうらやましいわ。これは私が言われたわけではないけれど、友達が言われたこと。ある初対面の子持ちの女性。もちろん彼女が悲しい経験をしたことは知らない。「夫婦ふたりだけでうらやましいな~。」この話を後で聞いて、苦笑いをした。あなたは自分で望んで、子供を産んだのではないですか?彼女は特に意味もなく発した言葉であるのは、よくわかっている。でも、赤ちゃん待ちの立場からすると、あまりうれしくない言葉である。ついこないだ結婚したわけじゃないんだから、望んで今夫婦ふたりなのか、その辺少し考慮してほしいと思った。子育ては大変だと思う。たまにその大変さから解放されたい時もあるだろう。でもやっぱり、子供がいないことをうらやましいとは思っても、それを口に出して言ってほしくはない。だいぶ前、とある人の誕生日パーティに行った。主役は2人の子持ち、だから呼ばれた友達も子持ちが多かった。始まる時間に合わせて到着したのだけど、その時点で10組くらいのカップルがいたか。子持ちでなかったのは、私達ともう一組の未婚のカップルだけだった。主役はダンナと仲がいいので、ダンナは私が流産したことを話していた。それは別によかったのだが、彼女は自分の母親にまで話していた。その母親もパーティに来ていて、まず私に会うなり言った。「今日は子供がいっぱいで、流産しているあなたは悲しいでしょ?」と。この母親とは何度もパーティとかで会っている。いつも私のことを気遣ってくれる人で、結構好きだった。でも、この言葉はいただけなかった。悲しいかどうかは私が決めること。最初は子供の多さに圧倒されたし、どうしてみんなは子供がいるんだ?それも2人、なんてうらやましく思ったけど、別に悲しくはなかった。でも、その一言で悲しくなった。あとでも、「妊娠したい人はコーヒーは飲まない方がいいのよ。」なんてアドバイスをくれた。余計なお世話だ。心配してくれて言っているのはよくわかったけど、土足で踏み入られたような気になった。家に帰ってきて、わーわー泣いた。あの頃の私、結構前向きだったのに、また落ち込んだ。それ以来、私はコーヒーを断っている。正直言って、意地だ。わかっている、どの言葉も励まそうとした言葉だったり、悪気はなかったり、特に2番目のは、フツーの会話の中から出てきたものだって。でも言葉を受ける方には、そう取れないこともある。些細な言葉が人を傷つけることもあるんだって、身をもって体験した。だから余計自分も気をつけなきゃ、とも学んだ。でも自分が前より繊細になっているのは事実。人の言葉に振り回されない強い心がほしい。全般元気に生きてるけど、ときたま落ち込む。サイクルのように波が襲ってくる。赤ちゃんを見たり、妊婦さんを見るのは全然平気だ。さすがに2度目の直後は、街で涙が出そうにはなったけども。でも、タバコを吸っている妊婦やベビーカーを押しながらタバコを吸っている人を見ると嫌悪感を抱く。(残念ながら、こちらでは多い)ダンナの友人が双子を妊娠した。彼女はヘビースモーカー。妊婦になっていても吸っていた。タバコ止めないの?って聞いたら、「先生が妊娠する1年前にタバコは止めないと意味がないって言っていたし」と言う。苦笑いするしかなかった。私にはそれは単なる言い訳。体からニコチンが抜けるのが1年かかるとしても、妊娠している今、さらに追加しなくたっていいじゃない。赤ちゃん、苦しんでるよ。結局、双子の一人は低体重で、生まれた直後に命の危険があったらしい。それを聞いた私、タバコのせいだ・・・と、冷たいけど思った。ほんとーにお腹の赤ちゃんが大事だと思うなら、妊娠中だけでもタバコは止めれると私は思う。妊娠するのって、ほんとーにすごいことなんだよ、もっと大切にしようよって私は声を大にして言いたかった。でもこれって、妊娠する難しさ、そしてそれを継続していくことの難しさを身を持って体験したものにしかわからないのかな。私も昔は妊娠って簡単にできるもんだと思っていたし、妊娠できれば出産にたどり着くもんだと思っていた。でも今はそうじゃないって、よくわかる。イヤと言うほど、わかった。流産はかなりの率で起こる。でもね、やっぱり自分や大切な友達の身に2度も起きると、なんで、うちらばっかりが?って思っちゃうんだよね。「神様は超えられない壁は与えない」ある人が流産後にくれた言葉。なるほどなーって思った。でも、ちょっとこの壁高すぎませんか、神様。超えるの大変なんですけども。今はちょっと壁の下でもがいている。わかっている、いつかそれなりに自分に納得行く答えが見つかるって。壁を乗り越えられるって。いいことも悪いことも、自分自身に起こることには必ず意味がある、そう信じ続けたい。私、強くてやさしい人になりたいよ。
2009.11.17
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人工授精をすることは、急に決まりました。hMG療法を始めて2周期はタイミング法、3周期目から人工授精と、先生から最初説明を受けていたんですが、私は3周期続けてタイミング法でした。その辺、先生に突っ込みたかったんですが、その暇がなかった・・・というのは、生理が始まると、クリニックに電話をして、看護婦さんにいつ生理が始まったかを伝えます。どの量から注射を始めるかを、先生に聞いてもらった上で、注射セットを用意してもらい、それをあとで取りに行きます。そのときに卵胞チェックのために、周期11~12日目に予約を入れてもらいます。なので、生理が始まってから、注射を打ち始めるまで、先生の診察はありません。先生に会うのは、周期11か12日目のチェックのとき、そして、このチェックはすんなり終わるので、診察時間を短めにとられていることが多いのです。先生もすぐに腰をあげてしまうので、相談するタイミングを失ったまま、さよなら~のパターン。4周期目が始まったときも、またきっとタイミング法なんだろうな~なんて思っていました。その周期の卵胞チェックの予約と同時に、年一の定期健診も一緒にお願いしていたので、長めの診察時間を取ってもらっていたので、そこで先生に人工授精のことを聞くつもりでした。その診察のときに、こちらから聞く前に、「もう4周期目だね、今周期は人工授精をしましょう。」と、先生。その日は周期12日目、月曜日でした。「今週の木曜日はラボが休みなんだよな~。その日にひっかからないといいけど。」と先生。「今までの周期でも卵の育ちゆっくりめだったから、排卵は来週じゃないですか~。 ラボの休みにはひっかからないですよ。」と私。こんな会話の後に、卵胞チェックをしてみると、順調に育っている卵胞がありました。今までの3周期だったら、この時期はまだまだ小さかったんですが、素人の私にもわかるくらい、周期通りの大きさの卵胞でした。先生は計算しつつ、「金曜日辺りにできそうかな。木曜日にもう一度チェックに来てください。」と、あれよあれよという間に、その週のうちに人工授精をする感じになっていました。まさか今周期人工授精になるとは期待してなかったし、その上、今週中にできるかもとなって、ただただ驚いているだけでした。そして、その日から水曜日まで、排卵誘発剤Merional 75を1アンペルで自己注射をし、木曜日に再チェックに行き、金曜日に人工授精をすることが決まり、当日の流れ、必要な書類等の説明を受けました。そして帰る前に、クリニックで排卵を起こす注射Ovitrelle 250を打ちました。(今思えば、あれが最後の注射になったのだな~。)当日は、まずダンナが朝7時にラボに行きました。そこで私達が夫婦であることを証明するために、Familienbüchlein(家族手帳)を見せ、後で精子を取りに来る私の身分証明書のコピーを提出しました。そこで精子を取り、その後、精子は検査され、濃縮されます。1時間半後、私がラボに行き、身分証明書を見せた上で、精子を受け取ります。ラボの人に精子が冷えないように、容器をブラの中に入れるように指示を受けました。人工授精は時間が勝負、ラッキーなことに、このラボとクリニックは徒歩5分の距離、そしてクリニックに着くと、すぐにひとつの部屋に通され、内診台に寝かされました。間もなく、先生が入ってきて、カテーテルの準備。そして、カテーテルを子宮内に挿入し、あっという間に人工授精は終わりました。チクっとする感じはちょっとありましたが、痛みはありませんでした。その後、内診台をさらに足の方を高くした状態で10分、それから下着をつけて、普通のベッドで20分横になって、帰宅となりました。特に指示はありませんでしたが、その日は念のため、家でまったり過ごしました。少しおりものに血が混じったりした程度で、ほかには何もありませんでした。
2009.11.13
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スイスでのhMG療法は、自己注射になります。日本でも増えてきたようですね。自己注射と聞いたときは、かなりビビりましたが、不妊治療の大変さの中に、毎日注射のために通院というのも聞いたことがあったので、かなり負担がなくなるというメリットがあります。自己注射の仕方は、クリニックの看護婦さんから習いました。周期5日目から打つのですが、当日クリニックに行き、看護婦さんに習いながら打ってもいいし、周期がスタートする前に、看護婦さんから打ち方のみを習ってもいい、と先生に言われました。実践なしで習うだけでは、忘れてしまいそうなので、私は当日クリニックに行き、習いながら打つ方を選びました。そして、ダンナにも打ち方を覚えてもらうために、同伴してもらいました。本人が打ってもいいし、パートナーに打ってもらってもいいので。初日、看護婦さんに一通り説明を受けた後、「今日は私が打つ、それともあなた自身が打ちますか?」と、聞かれ、しょっぱなから、私は自分で打つことを選びました。どうせ自分で打たなくてもいけなくなるので。確かスタートした日が、水曜日だったと思います。看護婦さんは「不安があったら、ここに来て打ってもいいのよ。」と言ってくれ、私はやっぱり不安だったので、木曜日、金曜日とクリニックに通いました。看護婦さんにはちゃんとできてるか監視役に徹してもらい、自分で打っていましたが。金曜日には「週末はここには誰もいないし、家で頑張ってくださいね。」と言われ、土曜日は初めて家で打ちました。ダンナを監視役にして。やはり専門の人がいないと不安でしたが、なんとかなり、それ以降はダンナを監視役にして、家で注射をする日々になりました。私はたったの3日間でしたが、毎日クリニックに通いました。この注射は毎日同じ時間(±1時間)に打つように指示を受けたので、毎日同じ時間にクリニックに行くのは、たったの3日でもかなりの負担でした。私は働いてないからまだいいですが、働いている人はもっと大変でしょう。その後は夜に打てるように、毎日2時間ずつ時間をずらして行きました。注射の時間が日中だと、出かけていたら、外で打つことになってしまいますから。ちなみに日本ではすでに用意されたペン型が主流かと思いますが、私がしたのは、全て自分で用意をしなければいけないタイプです。どういうものかと言うと、写真がないので、説明しづらいですが、水溶液の入ったアンペルを割り開け、中の水溶液を太い針をつけた注射器で採り、針をタブレットが入ったガラス瓶のゴム製のふたに刺し、液を中に入れ、タブレットを溶かし、注射液を作ります。その注射液を注射器に吸い取り、針をガラス瓶から抜き、針にキャップをします。今使っていた太い針から体に刺す用の細い針に換え、注射器の中の空気を出す・・・、これで注射液の準備の完了です。その後は、打つ場所をアルコール綿で消毒して、ぶすりと刺し、アルコール綿で打った場所をもみ、プラスターをして終わり。こんな流れなのですが、注射を打つのは、最初はやはり怖かったです。何度手が止まったでしょうか、度胸が必要です。でも打つことは何度かやってると慣れてくるものなのですが、どっちかというと私は、注射液を用意する過程の方が大変に感じました。あと、注射は痛いか?というと、意外にそうでもありませんでした。当たり所が悪いと痛かったりしますが、イテテ程度で済む痛みでした。私は少ない量だったので痛みも少なかったのかもしれません。半アンペルから1アンペルに増量したときは、多少痛みが増した気もしました。それから、卵胞が育つと、排卵を起こす注射Ovitrelle 250を打ちますが、この注射は用意されたいわゆるペン型の注射で、キャップを外すだけ、針もごく細なのか、痛みを感じたことはこの注射ではほとんどありませんでした。ちなみに、注射を打つ場所は、お腹か太ももと言われたので、私は自分が打ちやすいと思った太ももに打っていました。右利きなので、左腿に打つことが多かったですが、毎日打っていると場所がなくなるので、右腿にもときどき打っていました。注射の期間は、周期5日目から卵胞が育つまでです。タブレットのホルモン療法は、5日間の飲用となっていますが、注射の場合は何日間ということではなく、卵胞が育つまでなので、個人差があります。順調に行く場合は、排卵が14日目としたら、約8日間打つことになります。だいたい周期11か12日目に卵胞チェックがあり、そこでいい大きさになっていたら、排卵を起こす注射を打つことになります。私は周期が長めなことが多い人、つまり卵胞が育つのがゆっくりめであり、それは注射を始めてからもそうで、注射の期間も長引いたし(2週間くらい打っていた)、チェックも卵胞が育つまで、何度も行くことになりました。祝日でも見てくれた先生に感謝です。卵胞が育ったら、排卵を起こす注射をし、先生から指示された日にタイミングをとります。そして、排卵後は生理が来るまで、黄体ホルモンの補充を、私の場合は膣座薬でしました。(陽性反応が出た場合は、妊娠12週まで補充し続けます。)排卵がきちんとされているかのチェックはありませんでした。日本ではしているみたいなのにな~。生理が来ると、また新しい周期の始まりです。クリニックに電話をし、いつから生理が始まったかを告げ、注射セットの用意をしてもらい、それを取りに行き、そのときに卵胞チェックの予約を入れます。これで注射が始まりますが、先生の診察は卵胞チェックまでありません。と、そんな流れの4周期でした。4周期、注射を打ったわけですが、あまりストレスには感じませんでした。どっちかというと、今の状況を楽しんでやろうとさえ、思っていたところもあります。しかし、これを1年間続けていたら、正直いろいろ思うこともあったでしょう。うちの場合、私自身が注射を打ちましたが、ほとんど毎回ダンナには監視役として、隣に座ってもらいました。もし私ひとりで全てをやっていたら、ストレスになっていたかもしれません。うちの場合は、私の周期が長いこと、精子がちょっと元気がないこと、どちらにも小さな原因がありました。しかし、例え男性側だけに原因があっても、治療を受けるのは女性です。できる限り、夫は妻をサポートするべきだと思うのです。一緒にやっていると思うだけで、気持ち的にも変わってくるものではないでしょうか。
2009.11.06
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私達の経験談をお話したいと思います。不妊の原因はそれぞれ違うと思いますし、参考程度に読んでいただけたらと思います。2004.11 子作り開始 2005. 9 妊娠発覚2005.10 7週にて完全流産 そのときの日記2006. 3 2度目の妊娠発覚、しかしすぐに流産 その後に、たまたま定期健診の予約を入れていたので、先生に相談。 2度続けての流産に不安を持ち、ホルモン検査を希望するが、 「あなた達は2度自然妊娠しているから、また自然にできるだろう。」 と、 今はまだ必要ないと言われた上、超音波検査で子宮筋腫の疑いが出る。 子作りは続けてもいいと言われるが、かなり落ち込む。2006. 6 再検診 子宮筋腫の疑い晴れ、一安心。 もう一度、ホルモン検査等催促するが、 「もう半年経ってもできなかったら、来年検査しましょう。」と言われる。最初の流産のときは、悲しかったけど、自分は妊娠することができるんだと立ち直りは早かった。2度目の流産後は、なんで自分ばかり、自分に原因があるのでは、とかなり落ち込んだ。先生は楽観的すぎだと、少し不信感を抱くが、違う医者を見つけるのも大変だし(スイスの実情)、見つけられたとしても、同じことを言われ、どうせ待たされるだけと思い、やめた。検査はしてもらえない、治療のスタートラインにも立てず、2006年の私はかなり気持ち的に不安定だった。今思えば、一番つらかった・・・。2007. 2 年一回の定期健診、そして今後の治療の相談 やっとこ、次の周期に検査をしてもらえることになる。 そして、今後の治療の流れの説明を受ける。 スタートラインに立てたことが、とてもうれしかった。 ダンナ、さっそく精子検査。2007. 4 周期5日目頃、絶食にてホルモン検査(血液)→問題なし 2回した精子検査の結果がいまいちのため、泌尿器科に紹介状。2007. 5 泌尿器科での検診→問題なし2007. 4~9 ホルモン療法+タイミング法 排卵誘発剤 Serophen(日本でメジャーなクロミッドと同じ成分)を 周期3~7日目の5日間服用し、超音波で卵胞の育ちをチェックをし、 タイミングの指示を受ける。 この間、2回フーナーテスト→1回目いまいち、2回目悪くはないこの排卵誘発剤は、排卵頃のおりものの減少、子宮内膜の厚みの減少等の副作用があるため、6周期までの服用となります。2007.10 生理が来て、先生に電話をするが、休暇中。 こちらも勝手に休むことに。 こちらの医者はきちんと休暇をとるため、生理が来たから、さあ次と思っても、 先生が休みだったりして、よく足止めをくらう。 治療から離れるのも時に大事だが、さくさく進まないというストレスにもなった。2008. 1 年一回の定期健診、そして今後の治療の相談 次回、子宮卵管造影検査をすることに。 自然妊娠を2回しているため、卵管の詰まりが原因ではなさそうだが、 それ以降に詰まる可能性もあるため。2008. 7 周期8日目頃、子宮卵管造影検査→問題なし 1月の診察から間が空いたのは、先生の休暇、日本への里帰り、先生の不在(学会) と続いたため。進まないストレス・・・。この検査は先生のクリニックでは受けられないので、先生が担当する私立病院で実施、予約はクリニックがやってくれた。卵管造影検査は人によるが、かなり痛いこともあるようで、緊張して臨む。痛みというかお腹に圧迫感を感じ、結構不快で、早く終わってほしかった。日本では抗生物質を検査後に飲むようだが、こちらではなし。事前に渡された痛み止めは検査前に服用。この検査後に、今後の治療について話し合う。次のステップは、注射で卵胞を育てるhMG療法。自分でする自己注射が基本。hMG療法+タイミング法を2周期、3周期目からhMG療法+人工授精との説明を受ける。このときの私の大きな疑問点は、この注射でたくさんの卵ができるのではないかということ。体外受精なら採卵するからたくさんできてもよいが、タイミング法や人工授精なのに、たくさんできてしまった場合はどうなるのか。答えは、一番少ない量から始めるから、そこまでたくさんはできないが、2~3つできる可能性はある。なので、慎重なチェックが必要。たくさんできてしまった場合は、その周期はタイミング法も人工授精も中止。この治療をすると決めたなら、次周期8月からできるが、先生は休暇のため、卵胞チェックは先生と同じ治療方法をとっている別の先生の所だと言われる。まずはこの治療をするか、ふたりで話し合うように言われ、病院をあとにする。自己注射ということで不安であったし、この注射が自分にどれだけ効くかもわからないし、せめて最初の周期は先生がいるときにしたいと思い、この治療をする決心をするが、先生が戻ってから始めることに決めた。2008.11 hMG療法+タイミング法 周期5日目から排卵誘発剤 Merional 75 I.Uを打つ。半アンペルからスタート。 卵胞チェックで育ちがゆっくりめなので、途中から1アンペルに増量。 卵胞がそれなりの大きさになったら、排卵を起こす Ovitrelle 250を打ち、 指示された日にタイミングをとる。 排卵後は、黄体ホルモン膣座薬 Utrogestanを服用、生理が来たら服用中止。 妊娠した場合は、妊娠12週まで続ける。2008.12 hMG療法+タイミング法(2周期目) この周期も卵胞の育ちがゆっくりだったので、 半アンペルから途中で1アンペルに増量。 2009.1 hMG療法+タイミング法(3周期目) 2周期目と全く一緒。2009.2~3 hMG療法(4周期目)+人工授精2009.3 陽性反応
2009.10.30
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スイスにおける不妊治療、日本と比べて、技術的には変わらないと思います。ただ一言言わせてもらうならば、遅い!子供がまだできないことを医者に相談しても、「もう1年様子を見ましょう。1年経ってもできなかったら、またおいで。」と、なかなかスタートラインにさえ、立たせてもらえない場合も多いのではないでしょうか。子供がほしいと思ったら、1年って結構長いものだし、医者に相談するまでに、それなりの月日が経っていたりするものです。また日本とは違って、30代前半がまだまだ若い扱いされてしまったりするのです。日本でも不妊を専門としていない婦人科にかかれば、もうちょっと様子見ましょう、とか、のんびりとタイミング療法をして、結局時間の無駄だったと感じることもあるかもしれません。しかし日本はいいなーと思う点に、不妊を専門とした病院やクリニックがたくさんあり、紹介状なしでも行くことができたり、検査・治療がスピーディに行くことでしょうか。スイスでは、まず一般の婦人科に行くことになります。専門のとこはどうなんでしょう、よくわかりませんが、紹介状がないと行けそうにありません。それに不妊を専門とした病院やクリニックが、あちこちにあるわけではありません。一度、スタートラインに立つと、検査や治療の流れは、ほぼ日本と一緒だと思いますが、よく聞くのは、スイスでは子宮卵管造影検査をなかなかしてもらえない、という話です。これは卵管が詰まっていないか調べる検査ですが、もし卵管が詰まっていれば、精子が通れないわけで、卵子と精子が出会うことができず、タイミング法も人工授精も意味がなく、次のステップは体外受精になります。この検査もせずに、長々とタイミング法や人工授精をして、その後にこの検査をしたところ、卵管が詰まっていたなんてわかったときには、それこそ、今までの時間を返せー!ってな話です。だからこそ日本では、卵管造影検査は最初の方にするものらしいんですよね。しかし、スイスではそうではなさそうです。早めにやってもらえた人も実際いるので、なんとも言えませんが。スイスに限らず、海外在住者で、わざわざ日本で治療する人もいます。あまりに進まない治療や金額等が理由です。私も実際に考えました。日本で体外受精してもらおうかって。しかし1ヶ月の里帰り、チャンスは一度しかありませんし、その一度のチャンスにスケジュールが合うか、わかりません。里帰りのついでじゃなく、治療をメインに少し長めに帰るのなら、ありだと思いました。それから、あまり治療が進まない理由のひとつに、医師の休暇もあります。大きな病院に行っていれば、医師が何人かいるので、そういう問題はないのかもしれませんが、医師が一人のクリニックの場合、こちらの医師はしっかり休暇をとりますから、年に何度か1~3週間単位で、クリニック自体が閉まります。休暇だけじゃなく、学会という理由でも閉まります。(もちろん、自分の医師が休暇の間も治療をしたい場合は、代理の医師の紹介はあります。)そして、不妊治療や検査は、生理周期によります。生理がいつ始まるかによって、予約する日が変わってきます。生理の開始がちょっとずれるだけで、検査や治療の日が変わってくるわけで、医師の休暇に入ってしまっている、ということもあり得るのです。そういう場合は、代理の医師に行くか、次の周期までお休みということになります。<スイスでの検査・治療の流れ>*あくまで私が経験して知っている、経験してない所は調べた範囲であって、 かかる医者や保険の種類、そして不妊原因で、違ってくるでしょう。1. 自然タイミング法 1年くらい自力で頑張る。 この間、超音波で卵胞の育ち具合のチェックはしてもらえませんでした。2. 脳下垂体ホルモン検査(女性)、精子検査(男性)3. ホルモン療法+タイミング法 排卵誘発剤を飲み、卵胞を育てます。 超音波での卵胞チェックがあり、医者からタイミングを指示されます。4. 子宮頚官粘液検査、フーナーテスト5. 子宮卵管造影検査 この結果がよくない場合、腹腔鏡検査に進む。6. hMG療法+タイミング法 3.と同じですが、注射(自己注射)で卵胞を育てます。 飲み薬より強いので、3.より慎重な超音波チェックがあります。 卵胞が育ったら、排卵を起こす注射をし、医者の指示の日にタイミングをとります。7. hMG療法+人工授精(Insemination,IUI) 6.と同じように注射で卵胞を育て、排卵を起こす注射をし、人工授精をします。8. 体外受精(IVF)9. 顕微鏡受精(ICSI)hMG療法は1年まで、人工授精は3回まで、保険でカバーされます。体外受精と顕微鏡受精は、スイスでは自己負担です。ちなみに体外受精は1回4000~9000フラン(約36~81万円)、顕微鏡受精は1回8000~10000(約72~90万円)フランらしいです。
2009.10.28
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不妊に悩むカップルは、10組中1組と言われています。結構多いですよね。私達もそうでしたし、周りでもちらほら聞きますし、友達の友達が~という感じでも、耳に入ってきます。自分は治療しているのだと、周りに公表する人もいるでしょうが、だいたいはなかなか言えないものではないでしょうか。私も一部の人にしか話していませんでしたし、細かく治療状況を話せたのは、数人の友達だけでした。ブログで不妊のことを書いているものはいっぱいあります。私もいろいろなブログを読んで、勉強にもなったし、励みにもなりました。これまで私もツライ思いを、ここに書こうと思ったことは何度かあるのですが、スイスに暮らす一人の日本人として綴っている、このブログに書く勇気は正直なかったし、書くのであれば、不妊をテーマにして、「ももも。」という名から離れて、誰も知らない新たなブログを立ち上げる方がいいのかな、とも考えたこともありました。スイスに住む日本人の方で妊娠・出産の情報をブログ等にしている方は、まあまあいます。一方、不妊治療のことを書いている方は、私が知っている範囲ではいません。でも、不妊なのではと思い始めている方、これから治療をしようと思っている方、実際に治療されている方は、結構いると思うんです。今はありがたいことに、人工授精の末、妊娠することができました。年数だけがかかり、治療的には大きなことはしていないのですが、私の経験したことが、誰かの役に立てばと思い、「スイスで不妊治療」というカテゴリーを新しく作りました。これから、私達が今までしてきた治療内容、そして気持ち等、書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。
2009.10.25
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夏から秋にかけて、ダンナと私にとっての記念日が続きます。7年前の7月に出会い、その後付き合うことになり、そして6年前の7月にスイスに移住し、その年の10月に結婚しました。この記念日を迎える度に、「あれから○年経ったね~」としみじみ思うのです。あのとき、ああしてなかったら、さらにその前にこうしてなかったら、出会うことはなかったかも、と思うと、さらに感慨深いものがあります。記念日が続く夏から秋まで、今年は今まで以上の気持ちで迎えました。出会えた縁、ふたりが結婚して家族になったこと、そして、お腹の中にふたりの子が育っていて、もうすぐ新しい家族が増えるということ。正直、不思議な気持ちでいっぱいです。そして、この人と一緒になってよかったな~と、心から思います。ありがとう。いつもありがとう。そして、お腹のチビちゃん、あなたがお腹の中にいるとわかったとき、怖かった、また失うんじゃないかって。不安な私に、あなたは「信じること」を教えてくれたね。そして、あなたはすでにたくさんのしあわせを、私達に運んでくれました。ありがとう。たくさんありがとう。もうすぐ会えるね。楽しみだね。
2009.10.18
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前にね、ダンナが私の横で、「ツメ、ツメ」って、言ってるんですわ~。爪でも切ってほしいのかな~、とか思って、「何が言いたいわけ?」と聞いたら、実は私に呼びかけていました。ねぇねぇ、それを言うなら、ツ・マですから~(笑)その日から、私はツメになりました(爆)いつも私がダンナにメールを書くときは、 Hallo Danna で始まり、最後は Deine Frau(あんたの妻)で〆ているんです。ある日、わかるだろと思って、Deine Tsuma って最後に書いたんですよね。で、その後に、「ツメ、ツメ」と呼ばれたわけです。さて、2007年の夏に始まった「おうちで日本語教室」。あれからどうなったかというと、去年の前半は何かと忙しく、数ヶ月ほどお休みもしたりしたけれど、用事があるとき以外は、週一ペースで、今もちゃんと続いてます!エライよね、私、ね、ね??(笑)いや、もちろん生徒であるダンナと義妹もエライよね。続いているからと言って、上達したとは言い切れず、もぉ!これ前やったでしょ!と、しょっちゅう言われている生徒達(特にダンナ)、そして、授業の一番最初に復習を兼ねてやるプリントの出来が悪いと、もぉ!こっちもどんだけ日本語教室の準備に時間かけてると思ってんのよ!と、ついつい思ってしまう先生。でもでもやっぱり、初心に戻ると、日本語を習おうという気持ちがうれしくもあり、これが私的に続けていられる理由なんだと思うのです。ま、決して上達したとは言い切れない、うちのダンナのニホンゴ、覚えの悪さに、「10回は教えたよ、ツメ、ショックぅ~」とツメから言われていますが(笑)、たまになんでこれは覚えられないのに、こっちは覚えているの?って思うことが多々あり。例えば、先日「ふでばこ」という単語が出てきたときに、覚えやすいようにと思って、この単語は「ふで」と「はこ」からできていると説明したところ、義妹は「あ~、『ごみばこ』みたいな感じね」と、とても素晴らしい反応を示し、ダンナは急にフデブショウと、言うではないですか!筆不精、こんな難しい単語を。5年くらい前の話なんですが、ダンナの留学時代の日本人友達が、「ご無沙汰してごめんね、私は筆不精だから、・・・・・・・・」てな感じで、久しぶりにメールを書いてきて、本文自体は英語で、「筆不精」の部分は Fudebusho と書かれていて、どんな意味かは奥さんに聞いて、とあったのです。それで私は説明したわけだけども、あれから何回かはダンナの口からこの単語は聞いたけど、長いこと聞くことはなかったので、私の中でも筆不精のことはすっかり忘れてて、先日、突然ぽつりと言われて、私も急に思い出したのでした。しかし、なんでこれは覚えられるのに、もっと簡単で日常に必要な単語は覚えないわけ?と、思っちゃうのです。あと、某友人がこれも5年くらい前に、「もっこり」という単語を教えたんです。話の流れとしては、韓国語でもっこりはネックレス(だったかな?)で、全然違うんだーっていう感じで、もっこりの日本語の意味も説明してくれて、それから、ずーーーーっと、ダンナの頭の中から消えることはなく。これもいつかの日本語教室のときに、義妹が「スターバックスに行きましたか?」という感じの質問をしたんです。そして、ダンナは日本で行ったスターバックスの場所をあげて答えだし、最後に私の方を向いて、こっそりもっこりと、おっしゃいまして(爆)、はぁ~?? スターバックスともっこり何が関係あるんじゃ、と思った瞬間、もっこりを教えてもらった場所がスターバックスだったと、私も思い出し(笑)あとね、去年日本に帰っていたときに、ゼリーのCMで「とろ~りする?」って、ある癒し系タレントがいうのがあったんですわ。それを覚えちゃってねぇ~、いまだに思い出したときに言うの。声が上ずってて、背後から急に言われたりすると、ホントひぇぇーって思う(爆)あとは友達に仕込まれた「ブラじゃないよ」とかね、未だに言うよ(笑)そんなん覚える前に、もっと基本的なことを覚えようや、とツメは思うわけで。まー、そんなわけで、日本の友達のみなさん、ダンナの日本語の上達は期待せず、でもいろいろ鍛えたり、おもろいこと仕込んでやってくださいませ♪See you soon
2009.03.27
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1月末の話なんですが、Art on Ice というアイススケートショーに行ってきました。これは、ステージでは歌手が歌い、ダンサーが踊り、スケートリンクでは、それに合わせてスケーターが演技、というコラボなショーです。スイス人にとっては、ステファン・ランビエールやサラ・マイヤーが目当てでしょうが、私の目当てはもちろん、荒川静香さん!彼女が出てきたときは、うわーーーーっと、体に熱いものが走りました。さすがは金メダリスト、全ての動きがしなやかで美しすぎて、芸術そのものでした。演技で人を感動さすことができるなんて、どんなにステキなことでしょうか。もちろん才能もあるでしょうが、そこに至るまでの努力は並大抵のものではなかったでしょう。そんなことも考えてたら、余計に感動。そして海外で日本人の活躍を見るのは、とても特別で、日本人としてとても誇りに思うし、それだからこそ、なんだか胸が熱くなります。彼女の演技をうっとりと見ながら、胸がいっぱいで、涙がこぼれそうになりました。ずっとずーっと見ていたかった。荒川静香さんショーの写真は、ほとんど私が撮っていたのですが、静香さんの演技の間は見るのに集中したいので、ダンナにカメラを渡して撮らせてました。会場はフラッシュ禁止なので、私は敢えてズーム撮影はしなかったけれども、ダンナはズーム撮影成功してますな。知らんうちにビデオモードでも撮ってくれてて、家でも感動再び。ステファン・ランビエール本人がどこにいるか、よーわからん写真ですが、ステージの上のモニターにステファンのビデオ。フィナーレ右手の3人、手前からサラ・マイヤー、ステファン、静香さん。(小さすぎるぅ~)でも恋する目で、静香さんを追う私。先日、このショーのテレビ放送がありました。生で見たときは、リンク上のスケーターばかりに目が行って、ステージ上の歌手やダンサーまで見る余裕がなかった分、テレビ用はうまく編集されてて、そして表情もよく見れて(後ろの席だったから、そこまではね)、それはそれですごくよかったんだけれども、やっぱり生で見た感動には敵わなかったな~。頑張っている人に出会う、美しいものを目にする。これって、すごいパワーをくれる。頑張っている人を見ると、私も頑張ろうって思うし、美しいものを見ると、心が浄化される。1月はなんだか凹むこともあり、テンション低めだった私。同じ頃に凹んでた友達、別の日に同じショーを見て、言っていたこと。考えたくないことに集中するより、もっと美しいことに関わって生きてる方が、ずっと意味があると思う。心から同感。エナジー補給して、また頑張れそうだ。
2009.02.08
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今年を表す漢字をひとつ選びなさいと言われれば、 寒これに限るでしょう!って、ヾ( ̄o ̄;)オイオイ今年の漢字を決めるには、今年はまだ始まったばかりで早すぎだっちゅーの!でも、そんなふうに言いたくなるくらいの日中もマイナスの極寒の日々が、クリスマスの頃から続いており、バナナで釘が打てそうな勢いです。これがホントのスイスの寒さなんでしょうけどね、ここ数年気持ち悪いくらいの暖冬でしたから。とにかく寒いですっ。さて、すっかりサボり~なブロガーに成り下がっておりますが、ここはきちんと新年のご挨拶はせねばと、年末年始で肥えた重い体をあげております。遅ればせながら、あけましておめでとうございます!ぐぅっつ・のいーず!みなさんはどんな年末年始を過ごされたのでしょうか?うちは食ってばっか!でした(笑)クリスマスはいつものメンツの6人が集まり、いつものフォンデュ・シノワーズを食べ、ゲームして、プレゼント交換した以外は、いつもの家族の集まりとなんら変わりません。ちなみに義母は12月半ばに腰を痛め、義妹の彼も数ヶ月前から腰を痛めており、そして私はクリスマス前から地味な風邪をひき、他のメンツもなんかお疲れ気味でソファでごろ寝、老人の集まりのようでしたわ(苦笑)例年、クリスマスまではテンション高く、クリスマス後に急にテンションが低くなる私、今回は情緒不安定にならんように、いろいろ予定を入れてみたり。予定と言っても、友達呼んで食ったり、呼んでもらって食ったり、なんだけど。友達を呼んだときは、飲茶と寿司をそれぞれして、呼んでもらったときは、しゃぶしゃぶ♪正直スイス系料理で、胃が疲れてたけども、こういうのはどんどん食べれちゃうのよね~。特にごっそーになったしゃぶしゃぶは最高でございました!大晦日は、晩にまたクリスマスと同じメンツでのお食事会があったので、昼に年越しそばを。その晩のメニューがラクレット(スイス料理)ということで、ダンナにイヤだー、イヤだー、と数日前から文句言ってましたの(苦笑)日本の物食わせて、年越させてくれーってね。日本にいたときはどうでもよかったのに、海外にいると無性に恋しくなるものでして。数日前にもラクレット食べたとこだったし、とにかくこの料理はチーズと芋で、重い!胃もたれのとこにそんな重い料理を食べたくなかったのも、大きな理由だけども、やっぱり年末の情緒不安定もちょっとあったんでしょうな~、ラクレット年越しを考えた義母に拘束されているーという気分にもなりましたわ(苦笑)それに、夜には我が家の大晦日の定番、義父のカナッペがあるから、それがあるのに、重いチーズ料理食わせんな~とも思ってね。ちなみに義父のカナッペは大好き。案の定、ラクレットの後、お腹下しましたがね(苦笑)、でも、そのおか毛で義父のカナッペも食べることができました。いつもはカードかボードゲームをする我が家ですが、この日はクリスマスにゲットしたWii Musicで盛り上がり、あっという間に新年を迎える時間になりました。Wii Musicおもろ~。そのせいで、Dinner for One(大晦日にいっつも放映されるイギリスの寸劇)を見そびれた(爆)もう何回も見てるし、いろんなチャンネルでもやってるし、またかよーって感じなんだけども、なんかこれを見ると、大晦日だなーって気分になる、紅白的存在とでも言おうか(笑)ここで迎える新年、心新たに!という気分には正直なれんのですが、新しい2009年もたくさん笑って、楽しい年になればいいなーと思います。去年はネズミのようにちょこまか忙しくしていたので、それはそれでよかったけど、今年はウシのようにどっしりと構え、余裕を持って、物事の流れを見て、じっくり考え、行動して行きたいなーと思います。丑年だしね、ムー。特に新しいことを始めようとか、そういうのは今のとこないのだけれども、新しいことを始めるのにはエネルギーもいりますが、それを続けること、軌道に乗せることも結構大変なことだと、2008年には感じたので、続けることに意義がある、ということで、自分のペースで地味でもやっていきたいと思います。そこからまた気付くことや、新しくやりたいことも出てくると思うし。あとはやっぱりドイツ語だな~。毎年言ってるけど、永遠のテーマだし、これにゴールはない気がする。調子いいときと悪いときがあるし、英語をちょっとしゃべっただけで、調子悪くなるドイツ語、それってまだまだってことだ。インプットしたものをアウトプットしようとするときに、能力となる。これ、たまたま見かけた文なのだけども、これはまさに外国語の勉強と一緒。インプットは、読む、見る、聞くアウトプットは、話す、書く、実践する昔に比べたら単語量も増えた、でもそれを口で言いなさいって言われると、言えない物も多く、つまりはインプットはOKだけども、アウトプットはできんってこと。私に欠けているのは、ドイツ語でのコミュニケーション能力。つまりはアウトプット。どんどんしゃべれってことですな。もちろんインプットできてないものも、まだまだたくさんあるので、そこもやらんと。この見つけた文章を、私は外国語の勉強と一緒だと思ったけれども、これを書いていた人は、外国語の勉強について特に言っていたわけではなく、情報を得たら(インプット)、自分の言葉で感想を言ったり書いたりすること(アウトプット)と言っていた。確かに情報は得ても、それについて考えたり、人に話したりしない限り、結構その情報って忘れてしまいやすい。こうやってブログに書くこともアウトプットだし、いろいろ考えるわけで、いい訓練にもなるのだろうな~。ま、ブログはマイペースにやっていきます。やっぱりあとは、健康ですかね。去年はダンナが入院したのがやはり一番大きい。私は大病はしてないけど、去年は年末のも含め4回も風邪をひき、寝込むのは一度だけだったとはいえ、4回は多いな~と、やっぱりいろいろ見直すべきだなーと感じております。元気があれば、なんでもできる!やっぱり体が資本ですから。ドイツ語の勉強も(笑)みなさんの2009年も笑顔いっぱい、健康で、実りの多い年になりますように!今年もどうぞよろしくお願いします!もぉ~
2009.01.09
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師でもなんでもない私も、なぜだか走る師走、そしてもうクリスマス。今年1年も早かった~、としか言い様がありません。年のせいかしら?(笑)年と言えば、1ヶ月ほど前にひとつ年を取ったのだけども、自分の年齢にもうびっくり!今年も25歳よっ、とは言いがたい年齢になっちまいました。ずっと前からそうだっちゅーの(笑)でも、空き缶飛んでくるの覚悟で、一応言ってみる(爆)永遠の25歳どぇーす♪( -_-)/------------●()゜O°)ガコッさて、ブログさぼっている間も、楽しいこと、おいしいこと、たくさんあったんですが、今回は時期的に今書かないと書き遅れになる、クリスマスマーケットのことを。12月の最初の辺りに、1泊でドイツのニュルンベルグに行ってきました。もちろん目当ては、クリスマスマーケット!スイスにもクリスマスマーケットあるけれども、興奮したのは最初の年だけ。毎年見てると、小さいな~とか、いっつも一緒やな~、とか思うわ毛です。でも雰囲気は大好き。そんな私にとって、本場のドイツのクリスマスマーケットは、ちょっとした憧れ。そして、今年はそのチャンス到来。せっかく行くのなら有名なとこ、ミュンヘン、シュトゥットガルトも候補にあったけど、まだ一度も訪れたことのないニュルンベルグに行くことにしました。乗り換え2回(カツカツの)、片道5時間、永遠の25歳にはちょっと疲れる旅程だったけど、また行きたいし、マーケットのない時でも行きたいって思うくらいの素敵な街でした。恒例の?食べたもの。ドイツといえば、ソーセージ、そして、ここニュルンベルグのソーセージは、私、大、大、大好き。スイスでも買えるので、ラッキーでございます。名物ニュルンベルガーが、街の至るところで焼かれていました。ホテルの朝食にもあって、ビュッフェ形式だったので、そればっかり食ってました。写真の一番上のは、ニュルンベルガーではありません。半メートルホットドッグとかいう言う名前で売っていました。長い!味はあまり期待してなかったら、こっちもおいしかった。真ん中のケーキみたいのは、レープクーヘン。どっちも食べかけ(笑)私は苦手だと思っていたのだけども、レープクーヘンにはいろいろ種類があるようで、これは焼きたてだったし、おいしかった。おばちゃんも親切だったし。んで、クリスマスマーケットといえば、グリューワイン。なのだけども、アルコール苦手なもんで、ノンアルコールのグリューワインにしたら、マグカップがアルコール入りのと違って、子供向きのだった。マグを返しに行くと、デポジットを返してくれるシステムで、記念に持って帰ることも可能。子供向きのだったけども、思い出ということで、おうちに持って帰りました。スイスでグリューワイン買っても、使い捨てのコップで、マグじゃないのです。さてさて、今宵はクリスマスイブ。日本は別の意味で盛り上がっているのでしょうな~。チキンやいちごのケーキが、ちょっと恋しいな。すみれちゃんとあおいちゃんのとこには、サンタさん来たかな?今年は10月末に初積雪があってから、何度も雪が積もりました。先週もドカっと積もり、今年はホワイトクリスマス~♪なんて思ってたけど、ほとんど解けちゃいました。我が家は25日が家族ぱーちーで、クリスマス本番です。メニューはフォンデュ・シノワーズ、デザートはクッキーで、毎年一緒。毎年一緒なのが、心地よく感じる最近でございます。先日飾りつけたツリーも毎年一緒なので、3年前の使いまわし写真ですが(笑)みなさまも楽しいクリスマス、そして年末年始をお過ごしくださいませ。
2008.12.24
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10月におパリに行ってきました~。どっかに行こうってことで、ちょうど結婚記念日もあるしと、この日を選び、行き先はいろいろ候補のあった中、パリになりました。しっかし、年中シーズンだけど、秋はさらにらしく、どえらい人。でも4日間、秋晴れのぽかぽか陽気に恵まれ、いいおパリ旅行になりました。私にとっては初おパリ、ダンナにとっては数回目、約20年ぶり。6年前にヨーロッパを放浪したときに、私はラテン系の国は組み込みませんでした。興味がなかったんですね~。イタリア、フランスにも入国はしましたが、スイスとの国境近辺のみ。フランスはそのときにアルザス地方に一泊はしたし、スイスに住むようになってからも、アルザス地方は大好きなので、日帰りで行ったことがあります。アルザス地方の町の雰囲気とかは大好きだけども、なんか落ち着かないのです。多分きっとフランス語のせい。で、ドイツかスイスに入るとなんだかホッとする、という感じなのです。今はドイツ語がわかるようになってきたからという理由も当然あるけれども、ドイツ語がわからなかった6年前でさえ、フランスからドイツに入るとホッとしたのです。6年前の放浪の旅では、ベルギーにも行きました。ベルギーはオランダ語圏とフランス語圏があります。オランダ語圏のブルージュの宿から、フランス語圏のブリュッセルに日帰りで行きました。そこではフランス語っていうだけで、地図が読めなくなり(オランダ語、ドイツ語では読めた)、迷子になりかけ、もともとフランス語にも、フランス語をしゃべる国にも興味はなかったし、すっかりフランス語アレルギーになってしまいました。スイス・ドイツ語圏は言葉のハードルが高く、言葉には苦労させられているけれども、それでもスイス・フランス語圏移住ではなくて、よかったーと心から思っている私。ビバ、ゲルマン!(笑)そんなゲルマンな私、パリにも全然興味がなかったし、行きたいとちっとも思わなかった。でもなんだかパリ行ってみてもいいなーと、最近思うように。理由はいろいろあって、TGVに乗ってみたかったし、キッチン用品系もいろいろ見たかったし、そして何より日本人が多いであろう大都会、日本食や日本の物も充実していると思ったから。そんなヘンな理由(笑)そんなゲルマンでフランス語アレルギーの私がおパリに初めて行っての感想は、なんで今まで避けていたのだろう?と思うくらいよかったし、また行きたいし、なんと自分でもびっくりするのは、フランス語しゃべれなくても、ちょっとでも書いてあることがわかるようになりたいって思うようになった!自分でも、この変化にびっくり。そうそう、フランス語がさっぱりの私としゃべれないけど学校で習っているダンナ、行く前にパリのどこに行くか計画中はちょっと大変でした。ドイツ語のガイドブックと友達が貸してくれた「地球の歩き方」、そして彼女からのオススメ情報をもとに、計画を立てたのですが、ダンナがフランス語の名前を言っても、私には通じません。そして、私がここに行きたいとダンナに言っても、カタカナ読みでは通じません。フランス語っぽく、鼻からフッて感じにしたって、所詮知識がないから、タコ足はっぽぉ~ん、イカ足じゅっぽぉ~ん、と言っているかのよう(爆)そして、「凱旋門」に至っては、フランス語をカタカナにしたものではないため、フランス語で「Arc de Triomphe」って言われたって、何のこっちゃで、フランス語アレルギーのため、頭にも全然入らないし、10回近くは「どこよ、それ?」と聞き、しまいにはダンナには「その名前覚えらんないから、『ゲート』って言って!」と言う始末。ダンナが日本人だったら~と、正直思いました(爆)ま、ダンナは私のマネして、例えば「るうぶる」って感じで、母音がしっかりの日本語らしい発音をしてくれたりしたけど(笑)さーて、パリ観光ですが、いわゆる有名どころにはほとんど行き、御上りさんは、4日間驚異的に行動しまくりました。その代わり、疲れ切って、夜は死んでいた老夫婦(笑)私に至ってはパリから帰ってきても疲れがなかなか取れず、日本から帰ってきたときの時差ボケかいってな勢いで、早寝。老いをずっしり感じた2008年秋だった・・・ _| ̄|○まー、風邪のひき始めだったのだけども、それでもね~ _/\○_パリに着いての第一印象は、東駅と北駅界隈からスタートしたのもあるからか、ピザ屋とかケパブ屋、インターナショナルな食べ物屋が多く、雑多な感じ、あと建物も似ていると感じて、フランス語なロンドンでした。(フランス人の夫を持ち、仏語教師のイギリス人の友達にそう言ったら、同意してくれた。)ロンドンは私にとって初めての海外旅行の地、そして4~5回は行っている所なので、似ていると思っただけでなんだかワクワクして、もちろんいろいろ新鮮で、そのワクワクは4日間中続き、今もちょっと残っているかも。ではでは、あとは写真でおパリ記。パリと言えば、エッフェル塔。これを見て、おおー、自分はパリにいるのだーと改めて実感。上にも昇りました。シャイヤー宮から見た夜のエッフェル塔。こちらもパリと言えばの、凱旋門。ノートルダム大聖堂。マドレーヌ教会。コンコルド広場。モンマントルとサクレ・クール聖堂。「アメリ」を観てから行く方がいいと友達に言われ、遅ればせながら観賞。友達の言う通り、観てからでよかったし、多分この地域に一番パリらしさを感じたかも。下町って感じでとってもかわいく、ちょっとした路地もステキだったな~。バスティーユ広場とバスティーユの市場。パリに来たら、マルシェは覗かねば!とここへ。新鮮な物は買えなかったけど、見てるだけで楽しかった~。おパリの牛(笑)パリで食べた物の一部。パリでは別に星の付いたレストランには行くつもりはさらさらなく、でもそれなりにおいしいものにありつけると期待していました。パリではクロックムッシューかマダムを絶対食べようと思い、目玉焼きの乗っているクロックマダム(写真左上)を食べましたが、いまいち。家で作る方がなんちゃってだけど、おいしい。ま、お~シャンゼリゼ~通りのカフェで食べたことが記念ということで。ラーメンもパリの目的で、実は2回食べたけど、こちらもうーーーーん。右上のケーキと右下のマカロンは、日本人女性パティシエのもの。ケーキは他の種類も食べましたが、どれも絶品。そして、普段マカロンを自分で買って食べるほどではない私だけど、このマカロンは近所にあったら、ちょくちょく買ってしまいそうなくらい私好み。ここは気に入って2回も行って、義両親へのおみやげのマカロンもここの。ちなみにフランス人パティシエのケーキや有名どころのマカロンは食べてません(笑)食事に関しては、ちょっとがっかりの部分も多かったのだけど、一番おいしかったのは、道端のクレープ(写真中央)だったりした。ここも気に入って2回行ってる(笑)スイスでは地元のおじさんのクレープがおいしいとは思ってるけど、パリのには敵わないし、パリのクレープが恋しくてたまらない。4日間かなり行動したけれど、それでもまだまだ行けなかった見所はあって、きっと何度来ても飽きない所なんだろうなー、パリって。買い物も今回ちょっと不完全燃焼気味だし、また行きたい。とりあえず近場でもいいから、今はおフランスに買い物に行きたーい!と、すっかり気に入ってしまった私でした。なんで今まで行きたいと思わなかったのか、ホント不思議。そうそう、パリ最終日、あの方に遭遇してしまいました。こちらにお住まいとは知らずに、偶然お見かけして、大興奮。そのお方とは、ぷっちょのCMに出演されたカレ!携帯で話してはいなかったけれどもね(笑)
2008.11.07
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雪やこんこん あられやこんこん 10/30(木)午前撮影。と、私がブログをさぼっている間に、おスイスは冬になりやしたー。きのう水曜日の昼前に雨が雪になり、夜から積もりだしたようです。(きのうは北隣のカントンと南隣のカントンでは降ってないと聞いたけど、ここだけ?)確かここに住みだした最初の年も10月末に雪になった記憶があるけれど、あの年の夏は記録的猛暑で、その変わりようにもぶったまげ、でも今年の夏はさっぱりで、例年比較的天気のいいはずの9月からもう寒かったので、冬物着てたし、あれれー、雪降ってるって感じでした。でも、もう10月も終わりだってーのに、気分はまだまだ9月くらいで、月日の流れについていけてないので、この雪で一気にクリスマスも近いと実感した次第です。さて、猿10月10日、ダンナと私、結婚5周年を迎えました。大阪の両親も10周年おめでとー!その日から3泊4日で、祝結婚5周年ということで、おパリに行ってきました~♪で、おパリ後、風邪をひいちゃいました~♪(アラフォー思ひ出のメロデー・渡良瀬橋風)私にとっては初おパリ、またそのことはブログにUPするとして。気力があれば(笑)もう5年かーという思いもあれば、もう10年も一緒にいるような。うちら老夫婦みたいだからね(笑)この夏に私とダンナが妹みたいに思っている友達が入籍することになり、光栄なことに私は彼女の証人をさせてもらいました。こちらでは婚姻届にサインをする際に、20分ほどのセレモニーが行われます。役所婚と日本語では呼んでいますが、その役所婚の中で、「あなたは○○を夫(妻)としたいか」「はい」というやり取りがあり、希望であれば、そこで指輪交換もできます。私が5年前に役所婚をしたときは、ドイツ語がわからなかったので、英語の通訳をお願いし、スイスドイツ語と英語の2ヶ国語進行でした。緊張していたわけではないけれども、あれよあれよというまま、ドイツ語で「ヤー」、英語で「イエス」と2回返事をし、(私がドイツ語で「ヤー」と返事をしたら、ドッと笑いが起きた・笑)その後、指輪交換して、サインをして、よく実感のわかないまま夫婦になっていました。夫婦になったのだと実感しだしたのは、役所婚の後からだった。この夏に入籍した友達のキキちゃんは、この1年にびっちりドイツ語を勉強し、5年もいる私のドイツ語と同じくらいになり、役所婚も通訳なしのドイツ語一本でした。小さな町役場での役所婚だったのもあり、進行担当してくれた女性も手続きのときから親身になってくれた職員でもあったそうで、儀式の堅苦しさはほとんどなく、たまに談笑もあったり、いい感じの空気が流れていました。進行担当の女性が、「さあ、今からおふたりに結婚の意志を問います。 『はい』と返事をした時点から、あなた達ふたりは夫婦です。」と言った途端、キキちゃんがうるうるしだして、私もそれを見てグッときて、「はい」と返事をしたときには、あー、ここに新しい夫婦が生まれたのだと、感動で鳥肌が立ちました。本当にいい役所婚でした。正直、自分のときより感動した。彼女達の役所婚、家族になる瞬間にに立ち合わせてもらって、そのすばらしさを改めて気付かせてもらったし、当たり前のようで忘れちゃっている、ダンナの存在のありがたさとか、いろいろ、大切なことにも改めて気付かせてもらった。ありがとう、新郎新婦。おめでとう、新郎新婦。結婚5年ということで、パリから帰ってきた数日後、Cパーミットが届きました。届くのに3ヶ月以上はかかると見込んでいたので、手続きをしてから1ヶ月半で届いて、びっくり!(その間、あれとそれの書類を用意しろとは言われたけど。)Cパーミットは定住許可(更新は5年後)、今までのBパーミットは滞在許可(毎年更新)、Bの間はダンナと結婚しているからスイスに滞在してもいいということで、Cならダンナと別居や離婚しても(するつもりないけど・笑)、スイスにいてもいいし、仕事探しも(ドイツ語とか能力はさておき)楽になります。以前、ちょっとしたバイトに応募したら、Cだったらと断られたことあり。ビザのバージョンアップもあり、スイス暮らしもひとつの節目、やっとここまで来たかという思いと、もっともっとしっかりせなーとも思う。そして、結婚生活も5年、これもひとつの節目。たまに口論はあるけれど、今まで大きなケンカも危機もなく、穏やかな結婚生活を送っていて、ますます老夫婦化してるけど、相変わらず仲良しのアホアホ夫婦です。2003年10月10日、私達は夫婦になり、一緒に走り出しました。セピア加工したら、レトロな写真風になっちまったが、まだまだ5年、この写真みたく、奥さんかなりラクさせてもらってるけど(笑)、これからも頑張って一緒に走っていきましょう、アレクソちゃん。
2008.10.30
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ご無沙汰しております。前回の更新から4ヶ月以上、経っちまいました(汗)ももも。さん、生きてますっ!3月の終わりから5月の頭まで日本に里帰りしてたんですが、春の日本は5年ぶり、素晴らし過ぎました。日本の桃色の春、サイコーあちこちでいろいろな桜や春の花々を楽しみました。住んでいたとき以上に見ました、贅沢なことです。4月の日本が初めてのダンナにも、満開の桜を見せることができました。そして、日本の春だけでなく、家族や友達との時間にも癒され、もちろん食べ物もね(笑)、エネルギー補充完了で、スイスに戻ってきました。楽しい時間を共有してくれた友達のみなさん、ありがとー!!スイスに戻ってすぐに、私なりのプロジェクトがあったので忙しくなり、日本で買ってきた「R35」なんかを聞きつつ、センチに思い出に浸りつつも、なんか日本にいたのが夢だったかのように、スイス生活に戻ってしまいました。ドタバタの5月が終わっても、6月もなんだかんだ忙しかったな~。7月に入って、忙しいのもひと段落、の割にはブログさぼり続けました。ここまで休むと書き方を忘れるというか、めんどくさくなってしまったのが本音、重い腰をヨイショと上げ、やっとこブログ書いてる次第です(笑)ブログさぼってる間にいろいろなことがありました。もう全然心配はいらんのですが、衝撃的なことと言えば、6月の頭のダンナの入院騒ぎ。うちのダンナ、3年前にも入院してます。(そのときの日記。)前回は胆石、このときに胆嚢を取ってしまっているので、もう胆石にはならないのですが、今回は「尿管結石」でした。また石かいっ!と、正直思った。石と判明するまでは気が気でなかったけども・・・。前回と似た感じで、急に腹部に激痛を感じ、救急へ。救急病棟にいる間、3年前にタイムスリップしているのでは、と思ったくらい。腎臓から膀胱の間の尿管に石が入ると、かなり痛いそう。陣痛より痛いと言われており、本人が一番かわいそうだけど、見てるこちらも辛かった・・・。入院3日めで、石が尿とともに排出され、痛みからも解放、その夕方に無事に退院。あとは傷ついた腎臓や尿管のために抗生物質を飲み、数日自宅療養、入院と自宅療養合わせて1週間で、会社に復帰できました。今回症状が出たのは日曜日、うちらはそのとき隣町の友人宅にいました。友人宅には車で行ったのだけど、激痛のダンナが運転して病院に行けるわけがありません。私は相変わらずのペーパードライバー、もう1年も乗っていなかったので、こわい。友人がうちの車で病院まで運転、冷静に対処してくれて、本当に助かりました。私が例えペーパードライバーでなかったとしても、冷静に運転できたかわからないし。3年前の入院騒ぎで脱ペーパーを宣言した私、練習は始めたものの、完全ひとりで運転したことはまだなし。訳あって運転できない期間があり、そのまま運転しなくなって、早1年経過。今回の入院騒ぎで、やっぱり運転できるようにならなくては、と再び思い、1年ぶりに運転してみたけど、こわかった。やっぱり続けないとダメですなー。ガソリン代が高騰している昨今、意味もなくドライブできないけど、必要なときに運転できるように練習をせねば!ドイツ語もまだまだだなーと、改めて痛感。救急病棟で女医が私の方を見て、経過を説明して、と言ってきたので、私は説明し始めた。すると、ちょっと待って、という感じで止められて、私がもう一度説明し始めると、また止められ、ヘボドイツ語で聞いてらんねーとでも思ったのか、結局ダンナに聞いていた。ちょっと凹んだ。女医はスイスドイツ語で話してきたわけで、3年前の私だったら、ちんぷんかんぷんだったと思う。相手にしてもらえなかったけど、ちんぷんかんぷんじゃなくなっていたのは、正直うれしかったし、3年前はやりとりがほとんどわからず、ただそこにいるだけだったけども、今回はかなり違った。3年前にタイムスリップしたような状況、何か自分を試されているような気もした。激痛を経験したダンナはかわいそうだけど、改めて気付きの機会をもらった気もする。健康でいることのありがたさ、食事のこと、そして私のスイスでの自立度。入院騒ぎの1ヶ月後の7月、私はスイスに移住して5年を迎えました。改めてまだまだだーと思った今回のことで余計、こんなんで5年かーとも思う。でも年々何かしら成長はしていると思うので、それはそれでいいじゃないかとも思う。ダンナが入院中、夜眠れなくって、昔のメールを読んでいた。3年前の入院のときに、自分は何を思っていたのかと思って。そこで見つけた、すごく励ましてくれた心の友Sちゃんに宛てた私のメールの一節。 私、たんぽぽになりたいよ。小学生の頃からそう思っていた。 たんぽぽが大好きでね、好きな花はって聞かれたら、そう答えていたよ。 花は可憐なのに、根っこは強いし、抜かれてもまた生えてきて。 今は自分の居場所を見つけた。 旅をして、きれいな景色に感動しながらも、居場所がほしかった。 今はダンナの傍らに自分の居場所を見つけて、根っこをはり始めた。 もっともっと強い根をはりたい。 そして花を咲かせたい。3年前の私、あれから私はそれなりにぼちぼちだけど頑張って、3年前の根っこより確実に太い根っこになってるよ。まだまだ強くはないけどね。花もまだまだだけどね。ゆっくり焦らず「スイスでいっちょ前の道。」これからも進んで行きたいと思います。
2008.08.05
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週1回だけど、1年以上通い続けたスイスドイツ語のクラスが、先日終わりました。分厚い教科書、結局最後まで行きませんでしたがね、とりあえず終了。ベッラベラになどなっておりませんが、つーか無理、でもでも理解度はかなり上がりました。私がこのクラスを受講した理由が、「しゃべらなくても、理解すること」だったので、よしとしよう。理解するなんて不可能だと思ってた宇宙語、孤独を感じさせた言葉、それが少しでもわかるようになってきたのだから、これほどうれしいことはありません。ホントこの1年でここでの暮らしがだいぶ楽になったし、軌道に乗ってきた気がします。今はまだ、自分の標準ドイツ語に満足が行ってないので、普段の会話をスイスドイツ語に替えるつもりはまだありません。どっちつかずにしたくないし。でも5年後、スイス暮らし10年経つ頃には、スイスドイツ語に完全移行している気がするのも、このクラスのおかげだな。スイスドイツ語をわかるようになりたかったら、私はコースに行くことをオススメします。耳がいい人は実地で覚えられる言語だけど、日本人は活字で習った方が入りやすいと思うし。それから教科書は標準ドイツ語で説明がされているので、標準ドイツ語の基礎知識要。学校も基礎知識要と受講条件など提示してるけど、中級レベルくらいに達してからの方が、ラクでいいと思います。さてさて、このクラスが終わるまでお預けにしていた日本に、もうすぐ帰ります。実感がないよー。計画もちゃんと立ててないしー。里帰り中は管理ができないので、最近多いエロコメ対策として、コメント欄を閉じることにします。スイス時間の日曜日の夜に閉じるつもりなので、それまではコメント大歓迎♪またスイスに戻ってきたら、コメント欄復活させますので、どうぞよろしく。最後に、私が留守の間に宿題! せくすぃースイス人姉ちゃんと一緒に、体の部分の単語を勉強してね♪5月にテストをしますから(爆)それでは、みなさまごきげんよう!
2008.03.21
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あれやこれやと忙しく過ごしていたら、なんかあっちゅーまに3月も後半に突入して、3月頭のこととかが、うーーーんと前に感じる最近でございます。そんな3月は、ステキ日本女子計画促進月間。まず第一弾、私の尊敬する友達・Y子大将がやっている寿司教室に、またまたステキ日本女子を目指す仲間と一緒に行ってきましたー!前回教えてもらった裏巻は、もうね、かなり上手よーーんってなわ毛で、今回教えていただくのは、「細巻」です。細巻、結構地味な存在ですが、難しいのです。太巻を半分にした感じやろ、なんて思って、以前気軽に挑戦したことがありましたが、パンクしまくりで、うまくできんのです。プロの方にとっても、細巻というヤツは難しいらしいのです。地味な細巻だけど、やっぱり上手になりたいっ!そんな思いで、大将の「細巻教室」を受講いたしました。大将の講義はホントに丁寧で、目からウロコが落ちるポイントが多く、その通りにやると、ちゃーんと具が真ん中に来てて、パンクのしない細巻ができあがりました。ももも。さん作の細巻♪ステキ日本女子度かなりUPそして第二弾は、パン教室に行ってまいりましたー!出張教室ってことで、mitchちゃんが会場提供をしてくれ(ダン毛♪)、そこにステキ日本女子を目指す5人の主婦が集まりました。先生は、チューリッヒを中心に大活躍のあのパティシエ・高橋さん。もう先生のパンやケーキはかなりお世話になっていて、初めて先生のパンを食べたときは、私ね、ホント泣きそうになっちゃったくらい。だって、こんなふわふわなパン食べるの久しぶりだったんだもの。ここスイスで久しぶりに食べたから感動しただけじゃなくて、日本で売っていても、かなりレベルの高いパンだと思います。先生がどんなにすごい人かは、HPのプロフィールを見てもらえばわかると思うけど、そんな先生に教えてもらえるなんてーー!!って感じです。さて、先生の講義はホントためになることばっかで、「へぇーーーーっ」や「フムフム」の連続。目からウロコが落ちすぎて、マッターホルン並の山になったよ(笑)でもって、笑いもありーので楽しかった。(左)包餡している先生 (右)ソーセージロールの成形をする先生どっちもね、当たり前だけど先生はパパパーと作って、楽そうに見えるんだけど、自分でいざやるとなると、すっごい難しかったー。そんな目からウロコが落ちまくった、ももも。さんのパンの焼き上がり。成形はまだまだ要練習って感じですが、ふわっふわのパンができたよー!!ここスイスで、日本風のパンを何度も作ってきたけど、ふわっふわにできないのは、粉とか材料のせいだと思ってた。でも別に特別な材料を日本から仕入れなくっても、できちゃうのです。イーストは生き物、対話をすれば、ねっ!そんな感じで、またまたステキ日本女子度ぐいーーーんとUP私もうすぐ里帰りなんですが、これを食べなきゃっていうのが、以前に比べてだいぶ減りました。刺身ラブでもないし、珍味が好きなわけでもないし、B級グルメっていうのもあるけど、他力・自力で食べたいものにありつけているおか毛だと思います。スイスに暮らし始めた当初はできないと思っていたものも、作るようになったしね。ビバ・なければ作る!!これからもステキ日本女子を目指すぞーーーっ!最後におま毛で、今回のパン教室での作品。 (上)おっぱいメロンパン♪ (作者:ももも。さん)(下)メロンパンに挿入しているチン、いやソーセージパン♪ (作者:mitchさん)
2008.03.18
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何もなっしだったバレンタインデーから1週間経った先日、スーパー・ミグロの花屋で、私の好きなチューリップを買ってまいりました。セール品だったしね、自宅用に。で、家に着くとすでにダンナは帰宅していて、買ってきたチューリップをダンナに、ハッピー・バレンタインズデーと、ちゅー付で渡してあげました。ジョーク60%、嫌味40% ( ̄∀ ̄*)いきなりですが、うちのダンナ、かなり 「ウケねらいな男」 なんです。先日、義母ハイジのお誕生日でした。いつも世話になっているので、嫁はここぞとばかりにご飯を作りました。メインディッシュは魚。ハイジとペーターはかなり喜んでくれました。一度、ダンナとのふたりご飯で、このメニューしてみたことがあったんです。それがなかなかおいしかったので、義母の誕生日に作ることにしたのです。ちょっと変更した点もあったので、ダンナに前回のと比べてどうだったか聞きました。すると、上あごを痛そうにしながら、「うーーーんっ、魚のウロコの処理が足りないね。」 だと。あー、大きな魚の丸焼きだったしね。って、( ̄△ ̄;)エッ・・? 魚のウロコは、わざわざつけてみたんですがねー、お気に召しませんでしたか?ねぇ、わかりました、このボケ?(笑)こんなボケをよくしてくれるんですわ、うちのダンナ。でもね、下らんのか高度すぎるのか、どう返していいのかわからないことが多々 (; ̄_ ̄)=3こんなボケ、あなたならどう返す?(*゚ノO゚) 教えてー、おじいーさん。ちなみに、このウケねらい男、かれこれ3年前に言ったオヤジギャグが相当お気に入りで、いまだにしつこいくらいに言ってきます。飽きたっちゅーの! ( ̄ω ̄;)しかし、2007年12月の「あれくそ事件」、あれはボケではなく、本気と書いてマジでしたっ。本人はボケだとゆーとりますが ( ̄m ̄*)
2008.02.25
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放置してます、このブログ。なんか管理画面を開くのは、エロコメントを削除するためだ毛になってしまってるし ( ̄_ ̄ i)んで、自己飲酒記録をつけようと思っても、酒が苦手なので記録にならんし。なーんて、私なりのプロジェクトがあって、それに情熱を注いでおり、ミセスひまじんのくせに、ここんとこどえらりゃー忙しくて、ブログどころではなかったの。プロジェクトの間と間に暇ができるわーと思ったら、39.5度の高熱出してみたり。あー乳ーあーちー。そんなこんなで気付けば、2月後半突入で、バレンタインデーも過ぎちゃった。スイスは日本ほど盛り上がってませんけどね、こちらでは男性が女性に花とかあげたりするみたい。我が家はもっちろんスイス流を採用のはずですが、うちの男性からは何もなしっ。「今日は花の値段が高騰しているからさ~。」だと。ええ、私の教育の賜物でございます(爆)そんなロマンチックとは大いにかけ離れた我が家ですが、バレンタインデーの夕食は、寿司職人の友達のお寿司と、なんちゃって麺職人のうどんで、他力本願と自力のコラボ♪ちとゴージャスな「寿司定食」にしてみまひた。さて、放置している間に、このブログを始めて3年が経ちました。毎日書いていたわけでもないし、更新率かなり低いので、頑張って書いてきたなーとかいう、感慨深いものは正直ございませんが、スイスに来て2年経たないときに始めたので、あれっ、もうそんなに経っちゃったか、という思いがあります。過去に経験し感じたことを書きとめておきたい。その時はしっかり覚えていても、うっすらと忘れていくものだから。自分の大切な記録として。現在、そして未来の自分のために。これ一番最初に書いた日記の抜粋で、私がブログを始めたかった理由。実際、過去の記録を読み返してみると、すでに忘れかけていたりして、へぇー、こんなこと思ってたんだーって思うことも結構ある。だから書いてきてよかったなーと思います。あと最近よく思うのだけども、ブログって始めた頃は頻繁に更新するけれども、それなりに年月が経つと、更新率が下がる人が多いなと、私も含めて。ブログ仲間の多くは同じ頃に始めた人が多く、その中の多くの人は更新やめちゃったり、閉鎖しちゃったり、さみしいなーと思うこともある。でもブログを更新しない理由に、リアル生活の充実があるとも思うから、それはとてもうれしいことでもあるし。ブログの賞味期限ってあるのかなーと思いつつも、今のとこ、ぼちぼちでも続けていきたいなーと思っています。今はうまくまとめられないけれど、誰かに聞いてほしい思いとか、いつか綴ってみたいし、まじめなこと、アホなこと、私らしくこれからもここを綴っていきたいです。つーわ毛で、よろしく哀愁♪
2008.02.18
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この冬は結構寒いかも、なんて思っていたら、最近は春みたいな感じ。でもまだまだ1月、これからまた寒くなるのかもしれません。義父ペーター、クリスマスにみんなからラップトップをプレゼントされ、60半ばにして遅咲きのインターネットデビュー♪ふっとい指一本でタイプする姿は、結構かわいいです(笑)義両親のとこでもネットができるようになり、義母がダンナに聞きました。「ももも。のホームページも見れるかしら?」 (゚∇゚ ;) ← ももも。さん「日本語だから読めないよ。」と、あっさり答えるダンナ。いやー、私の口からブログの話はしたことはなかったんだけど、ダンナが話してたんだなー。別に彼らの悪口書いてないけど、なんか焦った私なのでした(笑)うちのダンナはもちろんこのブログの存在を知ってますが、読めません。なので、こんなことを書いているとは言ってるけど、詳細までは知りません。翻訳ツールなんてあるけど、あれ、おバカですよね~。ただ単語単語の直訳を並べているだけで、全然違う内容になっているし、わ毛わからんし。私が正しい日本語を書いていないから、という理由もありますが。結構前にこのブログを翻訳ツールにかけてみたんですが、まー、そのすばらしい英訳っぷりに大笑いで、出かける時間も忘れて見ちゃいましたわ。なんぢゃそりゃ?!の連続。で、ご丁寧に私のハンドルネーム「ももも。」まで翻訳されてまして、その名もThe thigh also. thighって、「腿」のこと。つまりは 「腿も。」 (゚Д゚ノ)ノあのー、桃じゃなくって、なんで腿の方なんでしょうか? 翻訳ツールさんよ。ももももももももももも。と呼ぶかーこちんのコメントの翻訳などは、The thigh the thigh the thigh the thigh the thigh also. と、ご丁寧にそのまま翻訳 (* ̄m ̄)プッ そして、ブログタイトル「ももも。のおスイス暮らし」はThe thigh also. Swiss living ( ̄▽ ̄;)そして極めつけは、日記のタイトル「ももも。の自己記録」なんでかわかりませんが、The thigh also. Self-..drinking.. recordと、翻訳されてました。えっとー、「腿も。の自己“飲酒”記録」ってことでしょうかね。ぷぷぷぷっ!!(* ̄m ̄)ノ彡_☆ばんばん!お酒は苦手なワタクシですが、日記のタイトルにそぐう様に、頑張って酒を飲み、それを記録して行きたいと思います(爆)これからも「腿も。の自己飲酒記録」をどうぞ夜露死苦 The thigh also. Swiss living ← ももも。のおスイス暮らし・英語?版
2008.01.21
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去るゴリラ、1/6は公現祭、東方の三博士がキリストの誕生を祝って来訪した日だとかで、よーわかりませんが、この日でクリスマスは終わり、デコレーションとかを仕舞います。そしてさらによーわかりませんが、この辺りではこの日に「王様パン」を食べるんです。ドイツ語でDreikönigskuchen、直訳すると3人の王様のケーキ。このパン画像がないので、お伝えしづらいですが、3色パンちっくに、6個くらいのの丸いパン同士がくっついた感じ。クリームとかは入ってないよ。あー、3色パン食いてぇー ( ̄¬ ̄*)そのどれかのパンに王様の小さなフィギュアが入っていて、それを当てた人は一日王様になれるという、よーわからんゲーム付。店で買うと、もれなく紙製の王冠付き♪ドイツ語圏ではパンなんだけど、フランス語圏辺りになるとタルトっぽいのみたい。ルールは多分一緒だと思われますが、パンとタルト、ここにオサレーなフランス語圏と非オサレーなドイツ語圏の差を見た気がするわ(笑)この日の由来とか、なんで王様探し当てをするのか、いまいちよーわかってませんが、ほぼ毎年、義母がこの王様パンをうちら用に用意をしてくれて、イベント関係に疎い我が家も、王様探しゲームをしたりしてます。さーて、前置きが長くなりましたが、私今まで王様見つけたことがないんです。いっつもダンナ。今年ももちろんダンナ。ふたりっきりだから、私かダンナの半分の確率なんだが、なぜかいっつもダンナ。ビギナーに当てさせてくれたっていいぢゃんかっ “o(><)o” いい加減、今年はくやしくなってさ、「ふんっ、現実はいつも私が王様だからっっっ!」と、王様、いやお子ちゃま発言。ええ、これ事実、わたくし恐妻です (´0ノ`*)オーホッホッホ!!翌日会社でも王様ゲームしたらしく、またもやダンナ当てたらしいです。義母も「あの子は子供のときから、いつもそうなのよ~」って言ってたし、どうやら、うちのダンナ、王様ゲームのプロ?!なんかね、うちのダンナ、こういうとこの勘が結構よかったりするんです。ダンナの友達が妊娠したときも、報告がある前にそんな気がしてたとか。彼女の様子を見て気づいたってわ毛じゃないのよ、しばらく会ってなかったし。それも双子だっていうのも、見事に当てたし。偶然な気もしないけど、この手のエピソードはちょびちょびあるのです。なんか見えるの?って聞いたら、何もって言ってたけども、第六感っていうヤツでしょうか。そんな勘のするどいダンナに、この力を宝くじに使えないの?って聞いたら、「無理。」と、あっさりおっしゃいました。ちーん。もし使えてたら、今頃うひひ ( ̄皿 ̄) だったのにー。ダンナのこの勘は、純粋な心から来ていると思われるのです。冗談抜きにうちのダンナ、ピュアというか心が澄み切った人なので。だから、宝くじとか欲望のためには働かない勘なのかもしれません。そんな勘のするどいダンナに「王様当てたりするいい勘は持っているのに、悪い奥さん持っちゃって、 奥さん選びは間違ったんじゃない?」と、冗談で聞いたら、「うん。」と、あっさり言いやがった!コンニャロー 凸(-_-メ)私が王様で、アンタは一生家来ぢゃーっ!(爆)
2008.01.10
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あけましておめでとうございます!ぐぅっつ・のいーず!(スイスドイツ語バージョン) いきなりー、すき焼きっ。これね、年明けて食べたわ毛じゃなく、年末に友達んちでごっそーになったの♪スイスで初めてーのすき焼きで感動ものでございました (゚ーA゚) さー、いきなり食べ物画像で始まる2008年最初のブログ。今年は○ーこさんやFぅさんを目指して、ももも。さんも食べ物ブロガーになろう! とは、ちっとも思っていません(爆)が、なければ作る!の精神で、おいしいものにありつく所存でございます。ときに他力本願で(笑)さて、ブログがあるから、年末年始を意識するけど、クリスマスが終わるとホントしけしけ、3日からは通常運転、新年を迎えたという気分もいまいちで、新たにこうするぞー!という意欲がいまいちわきません。この時期は毎年情緒が不安定気味、どうしてこんなにスイスの年末年始はおもろくないんだと私の機嫌もすこぶる悪く、ダンナ(被害者)かわいそう。そんな被害者に、年末年始は日本に帰るべきだと言われちまいましたよ(苦笑)スイスに移住して初めての年越しは日本だったんですね。クリスマスはスイスで過ごし、その後に日本に飛ぶ、なんともいいとこどりをしたわ毛。その年のダンナ宛のクリスマスカードに、「来年はスイスで年越しをしたいな♪」なんて書いた純真無垢な私(爆)あの頃の自分に言いたい!日本の年末年始の方が100倍、篠沢教授に全部かけてもいいくらい、よいから~!!まーね、年末年始帰ってもいいよとは言ってもらっていたんですがね、冬に日本に帰るのはどうも腰があがらんのです。どうせ帰るのなら長くと思っているから、この時期ちょっと難しいのもあるけど、やっぱり一番の理由は、家の中が寒いから {{{{(+_+)}}}}完全暖房で甘やかされた今、日本家屋のあの寒さ、室内で白い息、そしてあの風呂場、それを思うと腰があがらん、すっごいあがらん。家の中のあの寒さが、日本の年末年始の恋しさをも打ち負かす。ま、単なるヘッピリですな(笑)マズメに今年の抱負でも。やっぱり「ドイツ語の上達」になっちまいますね。永遠のテーマです。リスニングとスピーキングをもっとのばしたいです。そして、もうひとつの永遠のテーマでもある「ここスイスで自分に何ができるのか」探し。去年最後のブログにも書いたように、去年は一歩を踏み出すことができたので、今年はさらに発展させて行けたらなーと思っちょります。そこからいろいろ感じて、学び、成長していきたいです。いい1年になるといいな~。ここに来てくださるみなさまの2008年も笑顔いっぱいの輝いた年になりますように☆彡 *.:*:.。.: (人 *)今年もどうぞよろしく。♪♪ おま毛 ♪♪サンタが家に入ろうとしているデコレーションはあちこちで見られますが、こちらは人並みの大きさ。このサンタを見つけたのはクリスマスもとっくに過ぎた年の暮れ。家への侵入に失敗し、そこから動けなくなってしまったサンタさんは餓死寸前か?!お腹と背中がくっつきそうです(笑)
2008.01.05
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一大行事のクリスマスも終わりました。日本だったら、クリスマスが終わった今がまさにラストスパートなのでしょうが、なんかここにいると、クリスマスが終わると気が抜け、テンション下がるわ~。ここ最近のおスイスは日中も氷点下の日々が続いております。寒い割には残念ながら、ホワイトクリスマスにはならず、霧が凍って、それで薄っすら白くはなった程度。で、クリスマスが終わった26日に雪が舞い、うっすら積もりました。こんな天気で、バルコニーに出しておいたイモがカチッカチに凍ってしまいました。もー、なかったことにしよう(苦笑)さて、更新も怠りがちになってきたこのブログだけども、ブログを始めた理由のひとつの「自己記録」のため、私のこの1年をマズメに振り返ってみたいと思います。今年の前半は何と言っても、ドイツ語に始まり、ドイツ語に終わった感じ。6月の末に、ドイツ語を始めた当初から目標にしていた試験に臨みました。前のレベルの試験からすでに2年、いつまで経ってもドイツ語がヘボイまんまの自分、目標を掲げたっきり、ほったらかしにしている自分がイヤだったし、そしてドイツ語のせいにして、新たな一歩に踏み出せない自分もイヤだった。試験勉強はしんどかったー。でも、やっぱり頑張れたのは、明るい未来のため、そして無事に合格した。試験が終わってから、スイス生活がラクになったのに気づくことが多いし、ドイツ語がわかるようになって、周りの人との距離も近づいた気がする。まだまだスイスドイツ語という壁もあるけれど、やっぱり標準ドイツ語がわかると、スイスドイツ語の壁も多少低く感じるし、しんどかったけれども、得るものはたくさんあった。今年の後半は、ブログには書いてないけど、新しいことをふたつ始めた。ひとつはお稽古事。今回始めたお稽古事は、ずっと前からやりたいと思っていたけれども、でもスイスでは難しいかなーと思っていたことで、運良く日本人の先生を見つけた。お稽古事はまだ早いって思っていた。まずはドイツ語だろうって思っていたから。だから始められたときは、自分の好きなことができることがすごくうれしかったなー。今まで、「通う=ドイツ語学校」だったから。ふたつめは、まだここに具体的に書く段階ではないけど、あることを始めた。こんなことができたらなーとなんとなく思うことはあっても、現実は厳しいぜっと、妄想止まりだったこと。ある友達が「やってみないか」と誘ってくれたのがきっかけで、まさにタナボタ状態なんだけども。そのときは正直躊躇した、私にできるのかって。でも、やってみなきゃわからんし、ダメならやめればいいし、友達のヘルプもあって、まずはやってみることにした。終わってみての達成感は、予想以上に大きかった。ここスイスで何ができるんだろうって探してきたものが、もしかして見つかったかもって、思えるものだった。今までの私はドイツ語をなんとかしなければ、と思ってきた。そうしないと、スイス生活で何もできないと。でもやっぱり頭の中にはいつも「自分にここで何ができるのか」というのがあった。簡単に見つかるものではない気がしていたそんなとき、いつも刺激をくれる大切な友達が言った。「今は自分に何ができるのか探しているとき。 だから興味あることは、いろいろやってみようと思って。 そこから何か自分にできることが見つかるかもしれないし。」ちょうどアレは、ドイツ語の試験が終わった頃だったと思う。次に何をしようかと考え始めていた私の心に、友達の一言はとても響いた。とりあえず、やりたいと思ったことはやってみよう!と。それから、私はドイツ語以外のことで、自分のここでの世界を広げ始めた。一歩を踏み出すことが、どれだけエネルギーがいることか。それにその一歩を踏み出すには、それなりの準備も必要だ。おスイス暮らしも4年が経った。臆病者の私には一歩踏み出すまでに、長いけど4年必要だったのかもしれない。お稽古事にしても、新しいこともまだ始めたばかり。これからどうなっていくのかはわからないけれど、これらのことを始めたことは、私にとって大きな大きな一歩。そんな感じで、まさに2007年は準備期間を経て、一歩踏み出した年だったと言える。あとは、おうちも改造してスッキリしたし、10キロ痩せて(注・デブがコデブになっただ毛)ちょっとスッキリしたし、日本には帰らなかったけども、サントリーニ島は最高だったし、低迷していた2006年に比べたら、なかなかよかったんじゃない?!2007年は大殺界に入ったらしいけど、そんなことなかったぞ、ボ毛ぇー!と、今年最後のブログを〆たいと思いまふ。来年もよろしくね♪凍てつくおスイスより愛をこめて、うふ
2007.12.29
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去年の11月末から、スイス生活ちょっとバラ色を目指し、スイスドイツ語を習い始めました。ホントはまだまだ標準ドイツ語もやるべきだったし、でもスイスドイツ語も理解したい、そうじゃないとスイス生活ちと厳しい・・・。ちょうど去年の11月に里帰りから帰ってきて、冬に何かすることをと、ドイツ語試験コースも探してみるものの、タイミングが合わず、タイミングよくあったスイスドイツ語クラスに、早いかなーと思いつつ申し込んだわ毛でした。4月末までだった1セメスター、2セメスター目も延長して、これは10月末まで、そして、また3セメスター目も延長することにして、現在に至ります。長ーい夏休みがあったので、丸々というわけではないけれど、1年が経ちました。1年後も続けているとは思わなかったし、もうちょっとマシになっている予定でしたが ( ̄▽ ̄;)最初は10人でスタートした、このクラス。徐々に人は減って行き、9月から新しい人が2人入ってきて、今は5人でやっており、最初から続けているのは、私含め3人です。本来、クラスが成り立つには最低6人必要なんですが、もしくは6人を切ってしまうと、ちょっと授業料が高くなったりするんですが、スイスドイツ語クラスの3セメスター目突入は、この学校では初めてってことで、学校側が喜んで、5人でも通常料金を提供してくれました。1年続けているとは言え、ダラダラ続けていた感があります。ちょうど2セメスターが始まった頃、私はドイツ語の試験で忙しくなり、クラスには出席するだけ、宿題もそのうちしなくなりましたが、先生は私の状況をよく理解してくれていて、大目に見てくれていたし、試験対策のことで相談に乗ってもらったりしていました。試験も終わり、これでこのクラスに集中しようと思った頃、長い夏休みに突入し、なんとなくやる気がどっかに行ってしまった感じでした。9月からまたクラスが再開されても、相変わらずダラダラ続けていました。10月末の2セメスターの終わりを待たず、先生が学校を辞めることになり、1ヶ月だけ来た代理の先生が、結構厳しかったー。宿題をやっていかないとついていけません。これ当たり前だけど、前の先生はいい先生だったけど、甘い面もあり、宿題をやってこない人がクラスの半分以上だったり。アマアマの中でダラダラ続けていた私達には、先生の交代は結構ショッキングでもあり、でもいい意味でクラスの雰囲気も変わりました。この頃、3セメスター目もやるかどうかの話があり、随分悩みました。決して安くない授業料、ダラダラやっているのならもったいないし、でもこの代理の先生のおかげで、少しだけやる気が戻っていたのも確かでした。そして、語学の勉強をはじめ、いい刺激をくれるイギリス人の友達も続けるというので、私も続けることにしました。10月末から始まった3セメスター目は、新しい先生を迎えました。この先生がやる気満々で、しっかり毎回準備をして、クラスにメリハリがあります。最初の先生にはそこが欠けていた気がします。今の続けている5人、途中から入ってきた2人はやっぱりそれなりにできる人達です。最初から続けている3人のうち、一人はまだ18歳、それでスイス在暦も長いから、間違えだらけでも、最初からスイスドイツ語をしゃべっています。もう一人はイギリス人の友達。彼女の語学への情熱はホントにすごく、めちゃくちゃでもしゃべろうとします。そして、私 σ(・_・)えー、このクラスでの一番の落ちこぼれです ( ̄▽ ̄;)先生が「標準ドイツ語にしようか?」と聞くと、ハイっと手をあげるのは私だけ (゚Д゚;≡゚Д゚;)そして先生が何か言った後、「わかった? ももも。」と、たいてい私にだけ聞いてきます。( ・_・)ん?って顔をしているんでしょうね(笑)発言するにも、みんなスイスドイツ語でしゃべります。今までのクラスはまだまだ標準ドイツ語で発言する人が結構いたりした。私も。3セメスター目に入り、私もいつまでも標準ドイツ語で通していられない雰囲気で、わかる範囲だけでも、スイスドイツ語に切り替えるようにし始めました。頭こんがらがってくると、標準ドイツ語オンリーになっちゃうけども。そういう状況になり、ふと標準ドイツ語を習っていたときのことを思い出しました。最初に3ヶ月だけ行ったクラス、その先生は複数の言語をしゃべれる人で、私は先生と英語でやり取りしていました。クラスで質問するときも。あのときは標準ドイツ語で質問することができなかったんです。できなかったというか、先生が英語で答えてくれるので、甘えていたんだと思います。それから別の学校に移りました。そこのクラスでは一人を除いて、みんながドイツ語で質問していました。先生は英語をしゃべるけれど、クラス内では絶対にドイツ語でしか返しません。あれが私の切り替えのときでした。クラス内での発言はドイツ語オンリーにしようと頑張りました。そして、今その切り替えの時期がスイスドイツ語にもやってきている気がします。新しい先生になって、クラスの雰囲気も変わり、私のやる気も出てきました。ただでさえ落ちこぼれなのに、やらないと付いていけないし。それに伴い、わかることも増えてきた気がする。テレビ、電車やバスで聞こえてくる会話、今まで雑音でしかなかったものが、意味のある言葉として耳に入ってくる。もちろん全部はわからないけれど、ニュアンスが前よりもわかるようになった気がする。今まで泣かされてきたスイスドイツ語、耳にするのもイヤなときもあった。今じゃ、お気に入りのテレビ番組もできたし、スイスの音楽にも興味が出てきた。それを思うと、かなり進歩したよ、自分!とうれしく思うのであります。クラス以外では、まだ標準ドイツ語にしています。というのは、まだまだ自分の標準ドイツ語に満足いっていないから。それにどっちつかずでミックスにはしたくないから。満足いくようになるのはまだまだうーーんと先だけど、いずれはスイスドイツ語に切り替えて、カッカッ喉を酷使するつもり(笑)途中、やる気失せてたけど、のんびりやってるけど、スイスドイツ語を習い始めて1年。それなりの効果はあったようです。バラ色とは行かないけど、私のスイス生活、ほんのり色ついてきたかな~これからもバラ色目指して、ふひはしょりーーっっ!!(爆)
2007.12.10
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12月に入った最初の日曜日、アドヴェンツクランツに最初の灯りを灯しました。4本目に火が灯るとクリスマスがやってきます。なんですがー、誕生日ネタが続きます(笑)12月に入ると、すっかり誕生日も遠ーーーい昔のことのように感じるのですが、誕生日プレゼントは年中受け付けております ( ̄∀ ̄*)イヒッさて日曜日、あのお方と合同誕生日ぱーちーをいたしましたー。あのお方とは、毎度おなじみご近所仲間のmitch ちゃん。しょっちゅう書いているので、ご存知の方も多いと思いますが、彼女とは 生年月日が全く一緒 なのでーす。すごいよね、それもスイスでさ、ご近所さんだし。今年もmitchちゃんが場所提供、そして料理も引き受けてくれました。彼女の料理はいっつも言うが、うまいっ!お世辞抜きに うまいっ!料理上手の友達が多いですが、その中のトップと言ってもいいくらい。* 私は正直者でお世辞が苦手です(笑)スターターにかわいいピンクのスープが登場。(写真撮んの忘れたー。)一瞬、ラズベリーとかいちごスープかと思う色です。ピンクのスープの正体はビートルートで、カリフラワーとビートの冷たいスープ。ホントかわいいピンクで、mitchちゃんの4歳の娘の花ちゃんが着ていた上着とおんなじ色で、「花ちゃん、服に飛ばしてもわかんないよ。」みたいな(笑)そして、メインはこれっ 噂のスフレカレー です。エビをカレーソースとあえ、ホワイトソースでスープを作り、それらの上にチーズスフレを乗せ、焼いたもの。(合ってる?)パプリカライスを添えて、盛り付けた状態。もぉー、絶品でございましたよっ、奥さんっ ( ̄¬ ̄*)mitchちゃんのおいしい料理何度もおごっそーになってるけど、これが一番おいしかったかも。レストランでないところで、こんなお料理がいただけるなんて、ただただすごいっ!エビラーの私のために、多めのエビ(ぷりっぷり)を入れてくれたのもうれしかったわ~♪そしてエビが嫌いだったのに、食べれるようになっちゃった父ちゃんにも愛を感じた (* ̄∇ ̄*)食後は、最近ひらがなに興味を持ち出した花ちゃんが、「ひらがなマシーン」で、うちのダンナとひらがなのお勉強。このマシーン、押すとその文字の音声が出るんです。「あ」を押したら、「あ」って。ひらがなはほぼ完璧なダンナなので、ラクショーなはずと思い、ウォーミングアップに自分の名前を押すように言ってみました。うちのダンナの名前はアレクス(仮名)なんですが、あ、れ、く、まではまあまあ順調に押したんですが、最後の「す」で悩んでる。えっ、「す」だよ、わかんないの?と思っていると、ダンナ、「そ」 を押しまして、マシーンのクールな音声: あ・れ・く・そ (゚∇゚ ;)エッ!? ぷぷぷぷっ!!(* ̄m ̄)ノ彡_☆ばんばん!というわ毛で、うちのダンナは「あれくそ」になりました、よろしくねっ(爆)さて、今回はわたくしがデザートを引き受け、バースデーケーキを。料理上手でもあり、スポンジの女王とも呼ばれる彼女にデコレーションケーキでいいのか?!とも思ったけど、やっぱり誕生日だものと、デコレーションケーキにしました。キャンドルを立てると結構サマになりますね(笑)キャンドルが7本なのは、特に意味はございません。25歳になった私達、正直に25本のキャンドルを立てようかと思ったのだけれど、私が買ってきたキャンドル24本入りだったの。1本足りねぇーーーーーー!・・・・・・・・って、(x_x) ☆\( ̄ ̄*) もうずっ本足りないやん毛!(爆)誕生日おめでとーって乾杯したり、こうやって火を吹き消して、プレゼント交換する以外は、すっかり誕生日ぱーちーだってことを忘れておりましたが、おいしくて楽しいー集まりでした。mitchちゃん、誕生日おめでとう。そして、おいしい楽しいぱーちーありがとね。お互いステキな楽しい1年にしようねっ!そして父ちゃんの出張直前なのに、すんません。こんな私ですが、これからも あれくそ(爆)共々よろしくねっ♪
2007.12.04
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いきなり、寿 司。最近のももも。さんのブログ、寿司の話題が多いですが(笑)、上の寿司は、「自称・天才」の我がダンナが私の誕生日前夜に作ってくれたもの。はい、先日誕生日を迎え、ももも。さん、25歳になりましたーー。 ぱふぱふどんどん。えー、 また ですが、なにか?(爆) by チーム・永遠の25歳♪ ( ̄Д ̄)y─┛.。o○前回、Y子大将に習ってからは、ダンナ初めての巻き巻きですが、いやー、相変わらず、器用なやっちゃ。下準備や後片付けなど諸々の雑用は奥さんがやってあげ、天才はいいとこどり(笑)とはいえ、やっぱり自分のために作ってくれるというのがうれしかったし、寿司もとってもおいしく、しあわせ~な25歳(+ずー)の前夜でございました。さて、誕生日当日はチョー早起きをし、マッターホルンのお膝元ツェルマットへ。義両親から誕生日プレゼントとは別に、1日乗り放題のチケット回数券をもらい、それもファーストクラス、快適な道のりでございました。そして、そこからさらに電車に乗り、標高3000メートルちょいのゴルナグラードに行きました。ここに行きたいというのは、前から決めてたんだけど、天気予報次第ということで、前夜天気予報を見ても、ビッミョーな感じ。スイスのほぼ全土が確実に天気が悪く、南のイタリア語圏はまーよい感じで、その近くにも当たるツェルマットもかろうじてよいかもしれないという感じでした。でも誕生日だし、マッターホルン見れたらラッキーくらいな気持ちで、前夜ゴーサインを出し、あわてておにぎりとか用意したのでした。ツェルマットは2年ぶり、そしてゴルナグラードは5年ぶり。5年前というと、ダンナに会うきっかけになったヨーロッパ放浪の旅のとき、スイス滞在中お世話になったNZ時代の友人に連れてきてもらったのでした。 そのときの話とマッターホルンの写真。 ダンナとのなれそめ話。さて、ツェルマットを発車してしばらくすると、マッターホルンの全形が!家からここまでなんか冴えない天気だったし、見れたらラッキーくらいに思っていたので、かなり感動しました。電車が上がれば上がるほど、青い空が広がり、太陽の光がまっ白な雪に反射してキラキラ、夏は夏でキレイだったけど、雪があるとさらに輝いて見えました。オフシーズンだったんで、誕生日ランチをしようと思っていたゴルナグラードのレストランは休み、ツェルマットの店やレストランも、これは日曜日だったのもあるけど、閉まっているところが多く、食べるところが少なかったのがデメリットだったけど、夏だと満席の電車もガラ空き、そしてゴルナグラードもスキーヤーがほとんどで、スキーヤーが降りて行っていなくなると、ぽつぽつとしか人がいない状態でした。この雄大な景色を独り占めって感じで、それがまたよかったー!標高3089mのゴルナグラード駅より(左上)谷の間に霧が張っている、その下がツェルマット(右下)まん中に見える塊のような山の右の尖がりがスイスで一番標高の高い地点である、Dufourspitze(4634m・モンテローザの一部)こんなスバラシイとこにふたりっきりの貸しきり状態!マッターホルンとゴルナグラード鉄道 Photo by ダンナちなみに気温はマイナス3度(ぬくい方)、風がときたま強く吹くと寒かったけど、あとは太陽がまぶしくて、そんなに寒くは感じませんでした。途中、友達がお祝いのSMS(携帯のショートメッセージ)を送ってきて、その友達が5年前に私をゴルナグラードに連れて行ってくれた人なので、ゴルナグラードに行っていたことを伝えると、地元は雨だーと。来ることにしてよかった!青空と眩しいほどの太陽と銀世界、そしてマッターホルン、とても感動的な誕生日でした。その後は乗換え地ベルンのスイスレストランに。実はここ5年前に例の友達と来たとこだったりして(笑)そんなんでふたりが出会った5年前のことも、ふたりで思い出しちゃったり。レストランが狭く、フォンデュやっている人も多く、店内は暑くって、なんか息が詰まりそうで、ゆっくり楽しめなかったんだけどもね。その後、食べ過ぎでお腹こわしたしさ(苦笑)まー、そんなのも思い出なステキ~な誕生日の一日でした♪さて、ダンナからは3ヶ月前からおねだりしていたパスタマシンをもらいました。正確にはもう10月には買ってもらっちゃっていて、使っているんだけど(笑)念願のパスタマシンをゲットしたももも。さん、再び25歳になったこの1年は、なんちゃって麺職人。を目指したいと思います。今までうどんは手動で頑張っていたので、かなりラクになるぜぇー。今、我が家に遊びに来ると、もれなく強引にラーメンの毒味ができます(爆)
2007.11.27
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すっかり真冬に突入しちゃったサッムイおスイスでございます。今年の冬の訪れは早く、10月20日頃に短時間だけども初雪が舞い、11月に入ってからも雪が何日か降り、先週とうとう積もりました。この辺ではアスファルトには積もるほどではなかったけれど、屋根や土、草の上は真っ白でございました。それ以来、気温も最高ゼロの日もあり、朝晩はマイナスでございまして、先週積もった雪、まだ凍り付いて残っています。今週は若干気温が上がるようだけど、それでも10度以下。いやー、去年が生ぬるかった分、今年は極寒なんでしょうか。さて、我が家またダンナが2週間ホリデー取ってまして、今回はバカンスには行って・・・・おりましぇん。金がねぇー。5週間有給が取れるんですが(←ここがスイス移住のポイントでもあり・笑)、今年は日本に行かなかったため、有給を消化するためって感じでありました。何をしてたかというと、ほぼ家の改造計画でリビングのペンキ塗りやらなんやらでバタバタ過ごし、そんな中、最近よくつるんでいる友達夫婦と南スイスのイタリア語圏に行ったりもしました。ある朝早く、冷たい雨降る推定気温3度くらいの寒いチューリッヒを出、途中まっ白な雪景色の山間を抜け、電車で3時間、ルガノという街に降り立つと、そこには、青い空、そして 気温20度という夢のような世界がありました。冬物を着込んでいた私達、即効セーターとか脱ぎました。しっかり日差しを浴び、晩にチューリッヒに戻ってくると、朝と同じく冷たい雨が降っていて、なんかあの青い空と温かい気温、ホントに夢を見ているようでありました。気温差もあるけれど、風景もイタリアっぽくって、スイスにいる気分じゃなかったしなぁ。そんなわ毛で、ルガノ周辺の秋の様子などを。さてさて、この休暇中、我が家大変なことがありましてー、 はいっ、見ての通り、車、事故りましてん ( ̄ω ̄;)ペーパードライバーを脱しきれていない、ももも。さんが事故ったわ毛ではありません。ダンナが事故ったわ毛でもないし、ぶつけられたわ毛でもないんです。どうしたかと言うと、車が勝手に動いたというかなんというか(なんぢゃそりゃ・爆)うちの家、高台にあるので、家自体、斜面に建っておりまして、駐車スペースも斜面で、下り坂のとこに前向きに停めています。この坂の一番上は1階、そして坂の一番下は地下の階と同じレベルになります。あれはペンキ塗りをしていた二日目のことでございました。前日に塗った分がこの気候でまだ乾いてなかったため、午前はダンナは車で近くのDIYショップにペンキ関係のものを買いに、私は街中に買い物に行きたかったので、車だと不便なのでバスで、それぞれ分かれて出かけました。昼頃に帰ってくると、車がいつも停めている所にはなく、下り坂の一番下に停められていました。たまに重い物を買ったときなど、地下に運び入れるのに、ここに停めることがあるので、私は何とも思いもせず、それからちょっと先に帰っていたダンナとランチを食べ、ペンキ塗りを始めました。2時頃、出かけていた義両親が帰ってきて、興奮した様子で車がぶつかっていると言いにきました。なんのこっちゃと見に行くと、庭のフェンスのポールみたいのに、車が突っ込んでおり、ライトや前の部分が破損してました。あちゃー ( ▽|||)私が買い物から帰ってきたときは、すでに車は下にあり、ダンナが車で帰ってきたのは、私が帰ってきたのより10分早かっただけ、その間に突っ込んでいることになります。気付かなんだ~ ( ▽|||)それからダンナはペンキ塗りどころじゃなく、車のディーラーや保険会社に電話したりで、てんやわんやで、私は何もこれに関してはできんので、黙々と義父とペンキを塗っておりました。1年半前に車を買い換えたときに、保険会社にそのことを伝えてあるにも関わらず、あなたの新しい車は登録されてません、とかアホなことぬかされたり、まー、これは向こうのミスってことで、収まったけども。どうしてこうなったのかはわかりません。ダンナはちゃんとハンドブレーキをひいたと言うし、私が運転した場合も、その辺は厳しくチェックされるし、ダンナの性格上、忘れたというのもあんまり考えられないし。凍っていて滑ったわけでもないし、車の点検もちゃんと受けているし。とりあえず、下り斜面に停めてあった車が勝手に動いて、下り坂のふもとのポールに突っ込んだ、ということになります。ダンナはショックと事後処理にあたふたしておりましたが、 ・ とにかく誰も車には乗っておらず、誰もケガはしなかったこと。 ・ 誰かにぶつけてケガを負わせたわけでもないこと。 ・ 他の車にもぶつけてないこと。ここは奥さん冷静になって、ハゲ増しました。私が逆の立場だったら、ショックショックだったと思うけど、ふたりでそんなんなっていても、埒があかんので。事故現場見て、「あ~、また出費がぁぁぁあぁぁぁ」と思ったのが正直なとこ(苦笑)今回は保険会社がいくらかカバーはしてくれるものの、こちらの責任もあるので、大きな出費は必須。出費は痛いし、これでバカンス行けちゃうよとか思うと、くぅぅぅーだけども、不幸中の幸い。と思いました、ホントに。トホホだけど、ポジティブシンキングしてないと、やっとれん。寒いしさ。(←関係なし・笑)
2007.11.19
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スポーツの秋ですので、ボウリングとテニスと野球とゴルフ、そしてボクシングまで、一気にしちゃいました。まぁ~、ももも。さんち、なんて健康的なんでしょう♪なーんて、義妹カップルがですね、某スーパーのポイントと交換で、Wii のスポーツエディションを先日ゲットしまして、それでみんなで遊んだだけなんですけどね(笑)いやー、これかなりハマりそう。普通のゲームのほかにいろんな機能もあって、スポーツ感覚テストみたいのもあるんですが、わたくしの結果、69歳ですって(爆)ちーーーーーーん _| ̄|○ilililさて、9月から友達のY子さんが自宅で「寿司教室」を始められ、このブログでも宣伝をさせてもらいまして、効果はぼちぼちってところでしょうか。引き続き、寿司教室は好評開催中でございますので、興味のある方はご連絡ください。そんな宣伝のお礼ってことで、太っ腹のY子大将、うちら夫婦を寿司教室に招待してくれました。もう大将、50ラッペンでよかったのにー(爆)うちのダンナも太巻は一応巻けるけど、日本人だからというか、暗黙の了解というか、うちで寿司を巻く時は、ダンナはアシスタントって感じで、巻くのは私の仕事でした。今回裏巻を習ったんだけども、これは前回私が習ったとのと同じやつ。なので私は知ってるもんねぇー、と余裕をぶっこいていたんですわ。大将の丁寧な指導なもと、忠実に巻いていくダンナ、結果は、むっちゃキレイな裏巻ができあがりまして、それも余裕ぶっこいていた私のより、キレイときたもんだっ (゚Д゚ノ)ノうちのダンナ、結構器用なのです。日曜大工とかそういうのの器用さはないんだけど、細かいことが得意というか、例えば、友達の子供達と一緒に塗り絵をしてみると、線からはみ出ないように丁寧に塗るし、塗り方もすごくキレイ。手先が器用というか、細かい仕事を忠実にこなすタイプで、ヤツは絶対A型だと思ったほど。実際はO型だったけどね(笑)余談:ドイツ語ではアルファベットのオーではなく数字のゼロ、なのでヌルと読みます。最初だから、余計に指導に忠実に慎重に巻いただけかなーなんて思ったら、ふたつめはさらにキレイだった (゚Д゚ノ)ノ大将も「今までの生徒(全員日本人女子)の中で、一番上手かも。」だって!日本人妻、惨敗 _| ̄|○妻として鼻が高くもあり、でも日本人としてはなんかくやしい(笑)その後、握りも少し教わりましたが、結構ソツなくこなす我がダンナ。アンタ、前世日本人だったんちゃうのん?!もしかして、ガイジンの着ぐるみ着た日本人?!大将と私で、すごいーっと言いまくったせいか、図にのったんか知らんけど、帰り道、「ボクって天才♪」と、ヌカしておりました。食べてるときも、自分と私がそれぞれ作った具は一緒の裏巻を食べ比べ、「自分の方がおいしい」とか、真剣にヌカすしさー。ま、今までダンナの友達関係の持ち寄りパーティや食事の招待では、せっせと日本人妻頑張って、寿司巻いてきましたけど、今度からは「自称・天才」に巻いてもらうことにしたいと思います(爆)「自称・天才」の作品。顔は見せれませぬが、とても満足そうな顔をしております。いやー、寿司はもちろんウマウマで、ダンナともども大満足の寿司教室、楽しい機会をくれた大将、今回も本当にありがとうございました!大将の寿司教室が繁盛して、アシスタントが必要なときは、ぜひ我がダンナを雇ってやってください。50ラッペンで(爆)
2007.11.05
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いやー、もう10月も終わり。気付けば、3週間もブログをさぼってました。元気にやっております。この3週間の間に、スイスは最高気温5度とかの寒い日々が続き、コート、手袋等が必須の気候になったし、初雪も降りました~。先週末に夏時間から冬時間に変わり、日本との時差は8時間、日が暮れるのも早くなり、いっそう冬だな~と感じます。日記を書いてない間、なにかとバタバタ過ごしておりました。イギリス人の友達と「読書クラブ」なんて始めちゃいまして、一緒にドイツ語の本を読んでます。正直ひとりじゃ絶対にできないこと、ふたりだとなんとかなるものです。あとは友達んちでたこ焼きごっそーになったり、これがまたスイスで食べる初めてのたこ焼きで大感動!別の友達と一緒に「ぶちゃうま肉まん」(ぶちゃいくだが、うまい肉まん)を作ったり、また別の友達んちで日本人パティシエの方が作った絶品ケーキを食べさせてもらって、うぉーと吠えてみたり、まー、そんなことでしあわせを感じている日々でございます。10/10には4回目の結婚記念日も迎え、(大阪の両親、9回目おめでとう!)まー相変わらずラブラブというより、アホアホっぷりは健在って感じです。この日は朝から電気工事が入っていたり、晩はスイスドイツ語のクラスがあったりで、結婚記念日らしいことはなーんもしておりません。ダンナが花を買ってきたから、よしとしよう!ってエラそうに、嫁からは何もなし(爆)まーね、穏やかな日々を過ごさせてもらっていること、この人と結婚できてよかったな、と改めて感謝の一日でございました。さて、バタバタしていた一番の理由は、「我が家改造計画。」正直、我が家というか、私達が今住んでいるフロアーの間取りがとにかく ヘンっ でしたの。この家の経緯を説明すると・・・今住んでいる所は義両親の家で、外見は一軒家だけども、もともとは2世帯用に作られた家。彼らが結婚と同時にこの家を買い1階に住み、2階は別の家族に貸しておりました。ダンナと義妹が生まれ、しばらくして上の家族が出て行き、それ以来ダンナファミリーが一軒家として使うようになりました。それから何年か後、1階の壁をぶち破り、ひとつの大きなリビングを作り、そして物置だった3階部分を改装して、シャワーも設置し、寝室、書斎を作り、義両親は今までの2階から、3階で寝るようになりました。そして、2階部分は兄妹だけで使うようになったのだけど、10年前、義妹が彼と暮らすために出て行ったのを機会に、この2階部分をダンナが自由に使うようになったわけです。それが「ヘン」になった始まり(笑)私はそこに転がり込み、結婚してからもここに住んでおりますが、せまいし、いつかは引っ越すと思い、このヘンな間取りにも目をつむっておりました。うちのダンナは、映画およびDVDオタク。この自分だけになったフロアーの一画をホームシアター化してました。部屋数はないんで、結局リビングがそういう状態に。今は壊れてないけど、去年までは壁のほとんどを占拠しそうなバカデカイテレビ、そのバカデカテレビの両隣には、デカスピーカー、両壁にもスピーカーを立てかけてる状態。そしてある壁一面にDVDのコレクション。そんな状態のところに、ソファが置いてあり、PCも置いてあったのです。DVD以外の収集の趣味もあり(トホホ)、正直ごちゃごちゃした男のリビングで、せまくて人もたくさん呼べないし、好きではありませんでした。そしてもっとヘンだったのが、入り口から入ってきて、右手にリビングの扉があったのだけど、それをPCを置く机で閉じ込めていたのです。どうやってリビングに入るのかというと、寝室とリビングの間に通り口があるので、まず寝室に入ってから、リビングに行くという形で、人を呼ぶと必ず寝室を通らせるという、とてもヘンな間取りだったんです。バルコニーが面しているのも寝室のあった部屋。私はリビングとバルコニーが一緒であってほしかった。そんな感じで、私はずーっと寝室とリビングを入れ替えたいって思っていたのだけど、壁にいっぱい穴をあけてホームシアター化したリビングを撤去するのはすごい作業、引っ越すまでは、とあきらめておりました。しかし、今回実行することになったのでした \(▽ ̄\( ̄▽ ̄)/ ̄▽)/ヤッタァー!!事の発端は、8月の頭くらいだったか、キッチンの壁にヒビが入りましてー、大家の義父に見せ、彼がペンキ屋さんを呼びました。そのキッチンの壁はバスルームと面していて、バスルームのタイルの隙間から入った水がそうさせたんじゃないかということで、バスルームとキッチンの壁の修繕をすることに。義父の希望で、ついでに物置化しているゲストルーム兼書斎の壁紙も換えることになりました。期間は1週間かかるだろうとのことで、うちらが休暇でいないときがいいってことで、なんとなく行きたいね~って言っていたサントリーニ島行きを急遽決めたりしました。ホリデーに行くまでに、バスルーム、キッチン、ゲストルームを空にしなくてはなりません。バスルーム、キッチンはしょっちゅう使うとこだから、後回しにし、ダンナの物であふれるゲストルームというより物置から片付け始めました。出てくる、出てくる、ゴミの山。そりゃー、ここに生まれたときから住んでいるんだからね~。今までも何度か片付けようとしたけれど、正直期限がないから進まなかった。今回は期限付き、悩むくらいなら捨てろ!な勢いで、ゴミ袋、洋服のリサイクル袋が、あっという間にパンパンになっていきました。そして、最後にはダンナが子供の頃から使っていたベッドや勉強机もバイバイ。かなりスッキリ。そして、まだ取っておく物、キッチンやバスルームの物を寝室やリビングにぶち込んで、ホリデーに出かけたのでした。ホリデー前は、部屋の片付けのことで、ホリデーのことは考えれんかったわ(苦笑)癒されホリデーから帰ってくると、壁の修理やペンキ塗りは無事終わっていたけれど、寝室やリビングのカオスには、なんか現実を見たようでがっかりしたな~。キッチンは壁を壊したから、埃だらけで、ついでに立て付けの棚が古いから、その隙間から入った埃のせいで、食器とか全部出して洗いなおしたり、ホリデー明け一日目はキッチンとバスルームを元に戻すことからでした。さて、ダンナのホリデーがもう1週間あったので、新しい書斎に入れる家具探し。ほとんどIKEAで買ったんだけども、私にとってIKEAって小物とか買うとこで、今回はでっかい買い物しちゃって、なんかうっきうきでございました。この家で結婚生活始めるにあたって買った新しい家具って、食卓くらいだったから。あ、それもIKEAね、いっちゃん安いの。だから、なんか余計にうれしかったな~。義父のヘルプで新しい家具を組み立て、書斎を完成させ、その書斎にリビングや寝室の物を一旦入れ、寝室とリビングの入れ替え大作戦。かなり大変な作業でございました。特に洋服ダンス。崩しても重いしよぉー。階段の上り下りがない、ちょっとした引越し状態でしたわ。まだまだするべき所は残っているけれど、我が家はひとまず 生まれ変わりました♪♪リビングのホームシアター化は、ダンナには今回あきらめてもらいました。申し訳ないけどねー、私にはDVDやスピーカーに囲まれている状態、くつろげないもの。広いならいいけどさー。いつか部屋数の多い所にでも引っ越したときに、ホビールームでも作ってくれってことで。(そんな日が来るのか?!)そんなわ毛で、壁一面のDVDは書斎に、スピーカーは押入れの中。いつか日の目を見るといいけどね、ダンナ。部屋の大きさは変えようがないんで、相変わらずせまい我がフロアーだけども、物がなくなった分、かなりすっきりして、明るくもなったし、今まで4人入るときっつきつだった我が家もだいぶ余裕が出てきました。これで人も呼びやすい!なにがうれしいって、くつろげること、自分んちだなーって感じられること。これって、とても大事よね。なんか、プチ「劇的ビフォーアフター」な気分。(もうやってないんよね、この番組?)ホント住環境は大事だな~と感じた、今回の「我が家改造計画。」これを機に物を溜め込まない家にしたいなーと、かなり思ったのでした。外は寒いけど、ちと生まれ変わった我が家にうきうきうっきーの私です♪
2007.10.31
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先週までの2週間、ダンナが休みを取り、充実の日々でございました。ホリデーの終盤である先週末は、友達夫妻に誘われて、友達親族の所有する山のおうちに2泊してきました。去年の9月もここで4人で過ごしたんだけども、去年よりは天気もよく、山のおうちからサンティスも見ることができたし、霧の中だったけどもハイキングもし、みんなでご飯作って食べたり、ゲームに熱中したり、アホなことしたり、とても楽しい週末でございました。でら☆ばかっぷる、ありがとね~♪ホリデー1週目に、ギリシャのサントリーニ島に行ってまいりました。逆光で色がわかりづらいですが、カレンダーや絵葉書で見ることの多い、サントリーニ島のフィロステファニ(Firostefani)の教会です。今回、サントリーニ島に決めるときに、なぜかここっていうのがありまして、アテネでもなく、エーゲ海の他の島でもなく、ここ。だいぶ昔に旅と写真好きのNに見せてもらった「青と白の世界」がすごく印象に残っていて、そのときは島の名前までは覚えていなかったけど、その後もいろいろな媒体で見る機会があり、「あー、サントリーニ島というのか、いつか行ってみたいなー」と思っていたのでした。期待通り、とても魅力のある島でした。初めて目にするタイプの景色で、なんかとても不思議な気持ちでもあり、それに包まれている自分がとてもしあわせでもありました。サントリーニ島は別名ティラ島(Thira)、三日月のような形をしています。島の西側は火山活動による切り立った断崖、そこに白い家々が雪のように輝いて見えます。東側は西側とは表情が全く異なり、平らで空港もあり、ビーチもあります。黒砂がメイン。島の中心部より南東にそびえる島で一番高い山・Profiti Ilia(標高約600m)からの眺望。左にカーブしているのがわかります。カーブした先端に見える白い集落が夕日で有名なイア(Oia)です。サントリーニ島で一番大きい町はフィラ(Fira)。西側の断崖の上に町が広がり、下の港とはケーブルカーで行き来ができます。もちろん階段もあって、その数 580段 とか!クソ暑かったので、うちらは挑戦しませんでしたが。あとロバでこの階段を上ることもできます。港近くには多くのクルーズシップが停まるので、町はクルーズの人でいっぱいです。フィラからちょっと上ったとこからのサンセット。別の日のフィラからのサンセット。白い家々がピンクに染まるのもキレイ。うちらが拠点にしたのはフィラから北に歩いて30分くらいのフィラ同様、断崖の上に町が広がるイメロヴィグリ(Imerovigli)。フィラやイアほど店やレストラン、タベルナはない分、穏やかでかわいらしい町、次来る機会があったら、またこの町にステイするかな。泊まったヴィラからの景色。朝食はバルコニーに運んでくれるので、毎朝こんな景色を眺めながら、そして、一日中バルコニーや共同のテラスでごろ寝で過ごしたり、あー、なんて贅沢なんでしょう (* ̄∇ ̄*)イメロヴィグリのサンセット。イメロヴィグリ及び周辺からの夜景。島には猫がいっぱい。犬も。左のふたつはうちらのバルコニーに遊びに来た猫。イメロヴィグリから島の北端のイアへハイキング。大きい写真の左上の白い集落がイア。断崖の上を行くので、絶景続き。所要3時間と聞いたけど、2時間ほどで着きました。アップダウンもまあまああるし、がれ場も多いし、スニーカーは必須。うちらが行った日はまだ比較的マイルドでとても乾燥した日だったので、よかったけど、蒸し暑い日は日陰もほとんどないし、かなり大変な道のりかと思います。でも価値あり。写真ポイントがありすぎるかわいらしいイア。イア・その2。有名なイアのサンセット。これを見るためにたくさんの人がやってきて、早々から絶景スポットを確保。帰りのフィラ行きのバスはギュウギュウ詰めでした。三日月状の島に包まれたようにある島、ネア・カメニ火山島(Nea Kameni)。隣の島では船から飛び込み、温泉の湧き出る所に行くことができます。真ん中の写真は、海からイアを見上げる図。火山島ツアーの続きで、今度は船でイアへ、580段のフィラほどではないけど、250段のイアの階段を頑張って上りました。_| ̄|○ ぜーぜーもんです(苦笑)ロバという手段もあって、階段にはドバーっとロバのう○こがたくさんあったり、必死に上っている時にロバが目の前をぶつかってくるんじゃないかと思うほど、体すれすれのとこを通過して行ったり、まー、これもいい経験(笑)再び、イアからのサンセット。この日は別のところから、今回は海の上に雲があり、最後はちょっといまいち。反対からはまん丸の月が昇り始めました。さて、景色の写真ばかりでしたが、忘れちゃいけないのが料理。ギリシャ料理は好きなんで、かなりこちらも期待してました。あー、おいしかったぁ~ (゚ーA゚) グリークサラダ(右上)がふたりとも気に入って、ほぼ毎日食べてたな~。トマトが甘くておいしいのっ。あとはギュロスやスブラキ(串焼き)、ラムをオーブンで煮込んだものとか。左上はクレタン・ダコスとか言って、多分クレタ島からの食べ物だと思うけど、これがまたシンプルでおいしかった!硬いパンの上にグリークサラダが乗っているって感じでもあるんだけど。魚介類も期待してたけど、料金高めであまり食べなかったな~。肉料理もおいしかったから、それはそれで満足してるんだけども。一度だけ魚介のスブラキ(右下)を食べました。その日は火山島ツアーである島により、2時間弱自由時間があり、階段を上って断崖の上の町を散策するか、遅いランチをとるかどっちかしかできず、最初は散策するつもりだったのに、船着場のすぐ横のタベルナの前で、左下のようにデモンストレーションしてるもんだから、それも煙付、そのニオイに負けて、このタベルナに入っちゃいました(笑)ギリシャ料理にますますハマりそうな我が家でございます。私、かなりの肩こりさんなんだけども、サントリーニ島では肩ゆるゆるだったし、毎日快眠快便でした。それがスイスに戻ってきた翌日から、肩は張るし、夜更かしになるし、ベンツーもなんだかね~、に戻ってしまいましたよ(笑)リラックスするって大事だね。あ~、いいバカンスでした♪サントリーニ島、かなりオススメですっ。
2007.10.09
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うぃんでぃず・ぶろうぃんぐ・ふろむ・でぃ・えーじゃ~ん 女は海ぃ~♪好きな男の腕の中でも違う男の夢を見るぅううう~ああああ~うううう~♪といきなり昭和の名曲、ジュディ・オングの「魅せられて」で始まる今回の日記。一緒に歌ってくれた昭和な人、好きです、あなたのこと(笑)はいっ、我が家、遅い夏のアホンス、いやバカンスにギリシャはエーゲ海に浮かぶサントリーニ島に行ってきました。だから、ジュディ・オングね(笑)青と白の世界、もうサイコー!!すっかり癒されて来ちゃいました。また次回にでも、写真中心で日記をUPしたいなーと思っちょります。さて、先月の話になっちゃいますが、9月は寿司三昧でございまして、3回も寿司を作りました。1回目はイギリス人の友達に、太巻を教えました。すごく喜んでくれて、友達として、そして日本人として、かなりうれしかったです。2回目は義妹カップルと寿司大会を開催。義妹の彼は寿司が大好きな人で、前から寿司を作りたいと言っていて、一度本を見ながら一人で挑戦したことがあるほど。ちなみに料理上手。8月に4人で日本食レストランでおいしい寿司を食べる機会があり、彼の寿司作りたい欲がまた上昇、今回一緒にやってみることになりました。まず材料を買いに一緒に魚屋さんに行きましたが、彼、いろんなものを大人買い。ロブスターとかトビっ子とか、躊躇するお値段のものまでも、どんどんかごへ。ある意味、ステキ☆一方、私は店内試食用の魚介類のマリネを、これでもかと試食。タコとか貝とか久しぶりだったんだものー。ある意味、ステキ☆・・・じゃねーよ(爆)私は海外で作る寿司と言ったら、スモークサーモン&アボカド、ツナマヨ&きゅうりの太巻ばっかりなんだけども、彼はいろいろしたかったみたいで、いろんな具材を用意し、裏巻にも果敢に挑戦してました。できあがり図。なかなかいい感じではないですか~。太巻・細巻は一回私が見本を見せただけで、あとはスイス人(彼・義妹・ちょっとダンナ)が巻いております。にぎりは私が適当に(笑)握りました。かなりの量だったので、義両親も招き、6人で食べました。生魚なんて絶対に食べないと思っていた義母がちょっと挑戦してたのは、なんかうれしかったし、日本の食べ物に興味を持ってもらえるのは、日本人としてとてもうれしいものです。さて3回目は、待ちに待っていた「寿司教室」です。今までは適当に寿司が巻ける日本人ってことで、教える立場だったりしたけれど、今回は教室です、私が習います、えー、ステキ日本女子を目指して。講師はY子大将。大将は東京寿司アカデミー・プロ養成講座にて、寿司職人から本格的に学んでおります。で、本日の生徒はマダムPと私。私達、この日をホントーに楽しみにしてたんです。裏巻をしたことがない私達、今回は「失敗しない初心者向きの裏巻」を教わりました。巻き方を習うだけかと思っていたら、お米のこと、包丁の研ぎ方、具材の切り方から、寿司教室というだけあって、本格的になおかつ丁寧に教えてもらいました。丁寧な指導のもとできた、私の第一号♪「裏巻ちゃん」♪なかなかイケてるんじゃないのぉ~。生徒2人、なんか巻けるようになった自分達がうれしくって、なんかもう「ステキ~♪」を連発しておりました。お味も、大将がいい具材を用意してくれたので、おいしかったー♪持ち帰って、ダンナにも食べてもらったけど、こないだした義妹達との寿司よりおいしいーって、言っておりました。なかなか違いのわかる男よの~。裏巻は海苔の上にご飯を敷いた後、ひっくり返し、ご飯を下にした海苔の上に具材をのせて巻くんです。でも、このひっくり返すっていう行為が、まだ身についていないので忘れがちに。一緒にしゃべりながら巻き巻きしていたマダムP、突然叫びます。「いやーん、ひっくり返すの忘れたー!」マダムの手元を見ると、太巻のようにご飯の上に具材がのっております。実はこれ2回目(笑)「また~!」とそれを見て大笑いした私、ふと自分の手元を見ると同じ状態でした(爆)人のこと笑ってる場合じゃねぇーよって。まー、そんな大笑いの場面もありながらも、なんか自分達がステキにバージョンアップしちゃった気分の、大大大満足の寿司教室でありました。目指せっ、ステキ日本女子!★☆プチ宣伝☆★Y子大将が自宅(Winterthur)で、9月より寿司教室を始められました!「綺麗で美味しい裏巻き寿司」のクラス。もし寿司を習ってみたいわっていう方がいらっしゃいましたら、トップページの「メッセージを送る」からご連絡ください。私が大将に取り次ぎます。(大将、広告料は50ラッペンもしくはルピーでお願いします・爆)
2007.10.03
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一年前の今頃、私のスイスでの一番の友達がスイスからアメリカに引っ越した。心にぽっかり穴が開いたようだった。いまだに電車で彼女の住んでいた町の駅を通り過ぎると、センチになることもある。あれから一年、彼女と再会する機会に恵まれた。よくふたりでブラブラしたチューリッヒでの待ち合わせ。一年ぶりの再会を喜んだ後は、この一年も頻繁に会っていたような感覚に陥り、彼女が今もここに住んでいて、いつものように待ち合わせしただけのような、なにもかもが当たり前のような居心地のよさを感じた。確かに一年は過ぎた。彼女はあれからアメリカで自分の世界を作り、私もここスイスでそれなりに頑張ってきた。ふたりでスイスでの苦悩を語っていたあの頃がなつかしくも感じる。そして再認識する。あのツラカッタ頃、彼女がそばにいてくれて、私の思いをうんうん聞いてくれ、だから頑張ってこれたんだって。そして、明らかにあの頃より堂々とした私達ふたりがいる。今回は旦那さんのヨーロッパ出張で、スイスへの里帰りがかなり短期間だが実現した。あとで合流した旦那さんが言った。「かなりハードスケジュールの中、君と会うのが彼女にとって一番大事なことだった。」と。それを聞いて、とてもとてもうれしかった。たくさん話して、たくさん笑った。楽しい時間はあっという間に過ぎ、彼らに見送られて電車に乗った。ウルウル来るけど、なんか来週もまたここで会えそうな不思議な感じもした。それはまーないのだけど、きっとまた近いうちに会えるだろうという確信もなぜかあった。あれから正直、スイスに長年滞在しない予定の人との出会いはこわかった。またいい関係を築けた誰かと、さよならしなくちゃいけなくなるかもなんて・・・と。でも今はそう思わない。心が通い合える人とは、どこにいたって通い合えるし、会いたいと思ったら、会いに行けばいいだけ、そう思うから。近くにいても、心の通わないこともある。遠くにいて、ちっとも会えなくても、心が通い合える人もいる。そういう存在がいてくれることに感謝したい、そして、また会える日まで、ここスイスで頑張ろうと思えた、いい再会だった。Wir sehen uns bald wieder, gäll ?
2007.09.20
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「ニホンゴ」 このカテゴリーで日記を書くのは、2年以上ぶりぶり。ブログを始めた当初、私の中ではお気にのカテゴリーで、「ダンナのニホンゴ」のシリーズ化を目指しておりました。が、あれ以来、ひっくり返るくらいのおもろいこと言ってくれないんですわ~(笑)日本語が上手になったから、というわ毛でもないんですけどね (ー∇ー;)なかなかおいしい 「ダンナのニホンゴ」シリーズ、よかったら見てちょ♪さて、2005年2月から週一で日本語を習いだした、うちのダンナ、その後どうなったのかと申しますと、2006年の7月までのおよそ1年半通い続けました。その頃にはかなり難しくなっていたようで、本人もついていくのが大変だと言っていました。クラスも上にあがるにつれ、人数が減っていき、次のレベルのクラスが開催されないので、終わったという感じでした。別の選択肢として、先生の家でセミプライベート・レッスンというのもありましたが、先生の家が遠かったこと、今は疲れたし休みたいってことで、とりあえず日本語を外で習うことはお休みに。しばらく休んでから、私から習うなど言ってましたが、実行されることなく、1年は軽く過ぎていきましたー。ひゅぅるりぃー。身内が教えるのって、難しいですよね。「なんでこんなんもわからんの!」とか「前に教えたやん毛!」って、ムショーにイライラするし、それで相手もイライラして、ケンカになりやすい。あと、今日は疲れてるから、また明日~とか、なーなーになりやすい。ま、そんな感じでなかなか「おうちで日本語教室」が開催されなかったわ毛ですが、8月頭より開催されております。まだまだ1ヶ月とちょいですが、かなり マジメに。なかなか開催できなかったのに開催できた理由は、ダンナのほかにもうひとり生徒がいるから。そのもう一人の生徒というのは、ダンナの妹 なんです。ぢつは義妹もダンナが行っていた学校に、去年の5月から行きだして、もうかれこれ1年以上日本語を習っているんです。現在進行形。もうじき、ダンナが習ったところまで追いつくでしょう。「なんか新しい言葉をやってみたくて」っていうのが本人が言う理由なんだけど、日本や日本食に特に興味があったわけでもないし、私と出会っていなければ、マイナーな日本語なんて選択していなかったと思われ。彼女が習い始めたと聞いたときは驚いたけれど、やっぱりうれしかった (ノД`)そして習い始めてしばらくして、彼女が私に言いました。「日本語はホント難しい。 ヨーロッパの言語とは全然違うし、何言ってるのか、さっぱりわからない。 今更ながら、ももも。がスイスに来た当初の気持ちがわかるよ。」これ聞いて、とてもとてもうれしかった (ノД`)彼女は英語がしゃべれるけど、私がドイツ語を習いだしてからすぐにドイツ語に切り替えちゃって、結構厳しいなー、なんて思ったこともあったけども、彼女も難しい日本語を習いだし、別の側から私に近づこうとしてくれている。ダンナにはやっぱりある程度は日本語理解してほしいと思っているけど、ダンナ以外のスイスの家族が、私の母国語に挑戦してくれるのは、ホントにありがたいこと。これから日本語が上手にならなかったとしても、私の気持ちがわかると言ってもらえただけでも、ホント十分である。さて、なーなーで終わりそうだった「おうちで日本語教室」も、義妹が加わることで、日時を決めて、ぴしっと締まりのあるものになりました。1年以上通った(ている)とはいえ、ふたりともまだまだ初心者。やっていることは簡単なことです。まずは、ひらがな・カタカナテストを毎回し、その後はありがちな質問をし(今何時ですか?とか、週末何したか?とか)、本題に入ります。とりあえず文法ばっかりにせず、口から言うことをメインにやっています。ふたりとも基礎の基礎はあるので、教える私も比較的ラクだと思われます。日本語をちゃんと教えた経験がないから、これでいいのかって思うこともあるけど、日本語について考える機会でもあり、そしてドイツ語で説明するので、自分の勉強にもなっているかな。うちのダンナは私と一緒にいるから、単語とかフレーズは義妹よりちょっと多く知っていて、一方、義妹は今も学校で習っているせいか、文法的なものは強い感じがします。レベル的には一緒だから、いい勉強相手だし、刺激になっているんじゃないかな~。ふたりが日本語を少しでも頑張ってみようと思ってくれている限り、ちょっと準備とか大変だけど、私も頑張りたいなーと思うのであります。のんびりゆっくりだけど、楽しくやれるのが一番大事っ!ガンバレ! ダンナ&義妹!おいしいボケもたまにはしてねん(爆)
2007.09.10
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あっっちゅうまに9月になりました。ここのところ、平日は雨、週末になると天気がいいという日が続いております。今年の夏は夏らしい日だったのが数えるほどで、終わってしまいそう。この夏はふたつの結婚式にお呼ばれしました。どちらも天気がいまいちな日々が続いた後、当日はとても天気がよくなりました。二組とも日頃の行いがいいんでしょうね。一組目は、ご近所仲間のkotomichiちゃん夫婦役所婚は去年の6月にされており、もうとっくに正真正銘の夫婦なんですが、教会式やパーティなどは、1年待った今年の6月に行われました。結婚式は6月下旬にあり、まさにドイツ語試験の直前、招待状をいただいたときは正直どうしようか考えましたが、やっぱりお祝いしたかったので、出席させてもらいました。出席して、すごくよかった!まず教会式。ところどころ、ご近所仲間のエリソンさんの通訳が入り、牧師さんの言葉も日本語になると、すーっと心に入っていきました。ドイツ語だとなんとなくはわかっても、心に染みるとこまではまだなかなか。エリソンさんの通訳がよかったのも、とてもあります。kotomichiちゃんもうるっときていました。教会式のあとは、教会の外でアペロ。* アペロは日本でいうとこの二次会のような感じ。 スイスでは挙式、アペロ、そしてパーティの順番が主流です。数日前までの天気の悪さがウソのように、青空が広がっておりました。その青空に向かって、みんなで風船を飛ばしました。kotomichiちゃんのブログに、その様子の写真がありますが、ポストカードというか映画のようないいショットです。アペロの後は、新郎新婦の乗ったクラシックカーを先頭に、クラクションを鳴らしながら、パーティ会場であるドイツのインゼル・マイナウ(花で有名な島)に移動。スイスで今まで何度か結婚式に呼ばれてるけど、パスポート持参なのは初めてのことです(笑)パーティは家族・親戚の方々が考えた企画やゲームでなごやかに過ぎていきました。私がこの結婚式に参加して、一番感動したのは、家族・親戚の方がとても温かかったこと。私とご近所仲間のY子さんを前に、スイスドイツ語から標準ドイツ語にすんなり換えてくれ、たくさん話しかけてくれました。これができるスイス人って、結構少ないのよっ。そして、この結婚式を仕切ってくれたkotomichiちゃんの義理の弟さん、パーティが始まる前に、Y子さんと私に言いました。「今日は来てくれて本当にありがとう。 ふたりが今日ここに来てくれたことがとてもうれしいし、 kotomichiや僕達にすごく意味があることだ。」これを新郎新婦でなく、義理の弟さんの口から出てきたことにとても感動しました。kotomichiちゃんは、旦那さんの家族からとても大事にされているんだなーって。ほっこりと心が温かくなったステキな一日でした♪kotomichiちゃん、マイケル、末永くおしあわせに~**************************************そして二組目は何度か日記に登場している、長い遠距離の末にゴールインのH&Hコンビ8月の下旬にあった結婚式、こちらも数日前まで雨の寒い日々が続いておりましたが、当日は久しぶりに夏が戻った、まさに結婚式日和の天気でした。まずは教会式から。スイスで今まで見てきた教会式では、新郎新婦が一緒に入場してくるパターンと、新婦が父親と一緒にバージンロードを歩き、新郎がそれを待っているパターンがありましたが、今回は父親とバージンロードを歩いて新婦がやってきました。すでに教会の中で待っているH男、教会の入り口にドレス姿のHさんを見て、目が赤くなっていたのを、私は見てしまいました。これにとても感動しちゃいました (゚ーÅ) ホロリHさんがスイス移住の決断をするまで、うーーーーんと うーーーーーーーーんとH男が辛抱強く待っていたのを、私も3年以上垣間見ていたから、特にね。教会式の後は、近くのレストランでアペロ。ここのレストランの名前、私のスイスドイツ語の教科書に出てくる一家が経営しているレストランと同じ名前。勝手に訳すと「子馬ちゃん」(笑)教科書に使われるくらいスイスでありがちなレストランの名前だったけど、なんとレストラン・子馬ちゃんでは、SUSHIが出ました~ \(>▽<)/今回特別なのかと思ったら、普段からやっているそうで、こんな田舎町で寿司を提供しているとは、とびっくりいたしました。お味もなかなかグーでございまして、ウェイター達が次々といかがですか~?とテーブルに運んできてくれ、一緒に座っていたスイス人カップルとうちら、他の食べ物もあったのだけど、それにはほとんど目もくれず、寿司がほしいですーとリクエストしまくり、寿司ばっか食っておりました。もちろんお約束の新郎新婦の食べさせ合いっ子もありました、寿司でね。このアペロの会場には、新婦のヘアメイクを担当したShihoさんもいらっしゃっていて、結婚式のヘアメイクをお願いしたチューリッヒ近郊の日本人は多いと思いますが、私もその一人でして、4年ぶりに再会しました。私達夫婦のことも覚えてくださっていて、とてもうれしかった~。相変わらず、フレンドリーでステキな方で、スイス生活始まったばかりのあのとき、Shihoさんと話すことでなんか心が軽くなったし、私も何年後かには彼女のようにしっかりしてたいなーと思ったのを思い出しました。で、4年ぶりに会ったShihoさんに言われたんだけど、うちら夫婦の顔が似てきたって!実はこう言われるの3人めなんだけど、うちらの顔を知ってる方、どう思います?(笑)ま、連れ添っていると似た感じになっていくんでしょうかね~。まだ結婚して4年弱の甘ちゃん夫婦のうちらですが。ほか、ゲームがあったり、スイスらしくアルプホルンの演奏もあったりの楽しいアペロ、新郎新婦はもちろん、日本から来たゲスト達がアルプホルンを吹くのに挑戦されてました。私も別の機会に吹いたことがあるけど、結構難しいのだ。吹けてもマヌケな音が出ることが多いし。新婚☆ラブラブカップルとアルプホルン演奏隊その後はパーティ会場に移動。会場は空港のそばにあり、離着陸の様子が見えたり、レストラン内も飛行機ヲタクにはたまらない作りになっていました。ヲタクの一人であるH男のチョイスに違いありません(笑)ちなみにうちのダンナもヲタクの一人、H男とよく飛行機の話で盛り上がってますから。女にはついていけねぇー。パーティはお琴の演奏、ゲーム、スライドショーなどで楽しくなごやかに過ぎていきました。ほとんど新郎の友達が企画したもので、彼の人柄も感じられたし、そして、どの企画にも日本語の通訳が入り、ゲスト全員が楽しめるものでした。私も幹事に頼まれて、事前にゲームの翻訳のお手伝いをさせてもらいました。パーティの最後には新郎の父より挨拶がありました。これは新婦のHさん、そしてHさんのご両親に向けたもので、HさんがH男と結婚しスイスに移住する決断をしたこと、そして、Hさんを遠くの国に嫁がすことを許してくれたご両親への感謝の言葉でした。Hさんにもわかりやすいように、お父さんはゆっくりの標準ドイツ語で話され、ご両親にもわかるように、その後通訳が入りました。自分にも重なる部分があること、そして何より新郎の家族がHさんを心から迎え入れてくれていることに、感動し、心がとても温まりました。とてもとてもステキな結婚式でした。Hさんのスイス生活は始まったばかり。いろんなことがあると思うけど、H男ほどいいヤツはいないと思うし、これから何があっても、H男はあなたのことを全力で守り抜くと思うよ。そして、H男の家族も友達もみんなホントいい人ばっかり。みんながあなたのことを支えてくれるでしょう。私達も力になるからね。H&Hコンビ、またの名を 「でら☆ばかっぷる」Be でらでら Happy* でら=Hさんの出身地の方言で、「とても」の意。
2007.09.03
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日本のみなさま、猛暑お見舞い申し上げます。こちらでも日本の猛烈な暑さはニュースになっております。それに比べ、こちらスイス、サエマセン、ホントーにサエマセンっ。最近は雨が多く、雨が降ると日中の気温は15度くらい。8月だというのに、長袖に春秋物のコートを着ております。さて、こんなに涼しいのに、我が家の先日の夕飯は、「冷やし中華」でありました。見栄えはよくありませんが、家庭菜園のきゅうりちゃんをのせて。こっちに来てから、冷やし中華のタレは手作り、そして、麺は細めのスパゲッティで代用しておりました。(過去日記参照。)結構いけます。しかーし、今回の冷やし中華は違うんですっ! 何がって、麺がっ!!なければ代用、なければ作る!の海外生活、今までの冷やし中華の麺は代用でしたが、今回は作っちゃいました~ ( ̄∇+ ̄)vキラーン最近、仲良しのマダム達と料理やお菓子を教え合ったり、新しいものに挑戦してみたり、今回の中華麺作りもその一環でございます。麺といえば、ワタクシ、なんちゃってうどん職人を目指していたりするんですが、一から作るのって、なかなか大変で、しょっちゅう作る気にはならんのです。しかし、今回は強力な助っ人登場!それは、ザ・パスタマシーーーーンっ。ワタクシはパスタマシンは持っておりませんが、最近パスタマシンをゲットしたマダムPと、パスタマシン体験会も兼ねて、中華麺に初挑戦を一緒にしたわ毛です。参考にしたのは、パスタのほか、うどん、中華麺、韓国麺などの作り方が載っています。中華麺の作り方は、うどんとほぼ一緒。違うのは重曹を加えること。塩水を作り、そこに重曹も溶かし、小麦粉に回し入れ、混ぜていきます。生地が硬くて扱いづらいけど、寝かして、足で踏むと少し扱いやすくなります。そうなったら、パスタマシンへ。うどんもそうだけど、硬い生地を伸ばすのが、結構大変。でもマシンがあると、ここがホントに楽勝になり、かなり感動でした。切るのも、うどんは自分で簡単に切れるけど、中華麺くらい細くなると、かなり大変。それをマシンはあ~れ~~という感じにやってしまって、まさに麺ができあがりました。ワタクシ達、めちゃくちゃ感動さて、中華麺ができあがったのだけど、2~4日熟成させるらしい。でも食べてみたかったから、その場ですぐに食べちゃいました。お味は細いうどんって感じ、まだまだラーメンには程遠い感じだったかな。4玉お持ち帰りして、熟成。2日後、まずはラーメンに。スープは、ウェイパーとかつおだしで、味噌仕立てに適当に作りました。キンチョーの一瞬、ず、ずるっ、う、うまいっ!!これはまさにラーメンです!!スイス在の日本人主婦の間でチョー有名な「いつも食べることばかり」のOmikanさんが発案した 「パスタ一発ラーメンの術」というのがあります。これはパスタを湯がくお湯に、塩のほかに重曹も入れるっていう、画期的な発明。うちも何度かやってみましたが、これ結構ラーメンです。パスタ見えてないけど、前に作ったパスタラーメン。煮豚も手作り。でもね、このパスタ代用もおいしいんだけども、ハッキシ言って、手作り中華麺には適いませんっ!残りの2玉をさらに熟成させること4日、次は冷やし中華に。ず、ずるっ、ああ~ん、めちゃくちゃ冷やし中華じゃないですかーっ!!パスタの代用でもおいしかったけど、やっぱり適いませんっ!うまい、うますぎる (T^T) パスタマシン、かなりやってくれます!誕生日プレゼントに買ってくれーと、ダンナに言っておりますが、すぐ飽きて使わなくなると思ったのか、ホントに使うのぉー?と、最初は半信半疑だったダンナ。いかにパスタマシンがすばらしいのか、中華麺のような細さは手ではできんね、パスタマシンがあれば、うどんだってしょっちゅう作ったる!と力説をしたし、実際に食べてみて、そのすばらしさをダンナもわかり、買ってくれることになりました。ただし私の誕生日まで、まだ3ヶ月あるんで、待てるかな~って感じなんだけど。私よりダンナが、かも(笑)ビバ☆パスタマシン。すばらしすぎるっ酢!これからもモットーは、なければ作る! ( ̄0 ̄)/ オォー!!
2007.08.22
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こないだの月曜日は30度ありまして、その翌日から天気が崩れ、気温も下がって肌寒くなり、特に木曜日は日中 13度 ほどでした {{{(+_+)}}}今は天気回復傾向だけど、相変わらず、ジェットコースターなスイスの天気です。今回の雨は、特に西スイスに被害をもたらしました。詳しいニュースは、こちら。さて、今年はまだ家庭菜園のこと書いてませんが、今年もやってます。今年の前半は試験勉強に忙しく、家庭菜園どうしようかって思ったけど、やっぱこれは私の癒しの素だから、やっててよかった♪去年以前の様子は、マイ・キッチンガーデン2005 マイ・キッチンガーデン2006・その1 その2今年やっているのは、毎回ほとんど一緒だけども、ズッキーニ、きゅうり、かぼちゃ、トマト、インゲン、枝豆、バジル、シソ、ほうれん草、大根、水菜、オクラ・・・などなどです。今年の天気は暑かったり寒かったりで、野菜ちゃん達の成長はいいとは言えません。7月前半のかなり寒かったときに、地植えしていたオクラちゃんがお陀仏に (-ノ-)/Ωチーンオクラは温かい国出身ですからねー、プランターにして、夜とかに避難できるようにすべきでした。またこりずに地植えしてるけども、どうでしょう。バジルも暑かった4月にあっという間に成長し、その後はいまいちで、今は、再び6月末に蒔いた分の成長を待っているところです。ペストが食べたいのよっ。今はズッキーニ、きゅうり、インゲンの収穫の時期です。最近はきゅうりがボコボコできて、その処理にピクルスを作りまくってます。 これは2週間前に作った分、そして先日は新たに4瓶作りました。ある日の収穫、ズッキーニときゅうりちゃん達。ズッキーニは、最近の寒さで成長止まってますが、こないだまでボコボコでした。上の写真のズッキーニ、フツーのズッキーニに見えるでしょうが、一番大きいので、43センチ (゚Д゚ノ)ノありましてん(笑)何かと比較してみようと、ペットボトルを置いてみました。ペットボトルが小さく見えるのは、500mlのボトルだからではありません。1.5リットルのペットボトルです、これ(笑)いやー、でかかった ( ̄▽ ̄)ノ_彡☆フツーサイズのズッキーニが4本分一緒になった感じ。こんなデカデカズッキーニ、近所の菜園で見たことあったんですけどね、それは、そういう種類なんだと思っていました。どうやら、そうじゃないらしい・・・。どうやって、デカデカズッキーニができたかというと、単なるズボラ(爆)ある日、ぼちぼち採らなきゃいけなさそうなズッキーニが数本あったんですわ。でも、そのときはズッキーニまだ冷蔵庫にあったし、数日中には収穫しようとそのままに。そして、その後雨降ったりで、畑の水遣りをしなくてよかったので、畑にも行かず、ほったらかしにしてました。ほったらかしにすること1週間、デカデカズッキーニができあがっておりましたとさ。まー、なんて簡単なんでしょう(爆)家庭菜園とは関係ないけど、今日のランチはダンナが作ってくれました。ダンナ作、シカゴスタイルのピザシカゴピザは生地が分厚くて、切ったとこはショートケーキみたいなんです。シカゴに生息していたことのあるダンナは、いつも恋しがっていて、今回の挑戦となりました。生地は私が作ってやったけども(笑)まだまだ研究の余地ありだけども、なかなかおいしかったです♪うちはたまーにダンナがご飯を作ってくれたりします。ダンナが作るものは、スイス料理(簡単なやつ)が多いんだけども、私がそういうのをあまり作らないから、たまにすごく食べたくなって、作ってくれるのです。ダンナに料理を作らす方法、1. 「私、それ知らないしー」と言って、ダンナに作るようにうながせる。2. おだてる!(←効果テキメン)まー、なんて簡単なんでしょう(爆)
2007.08.11
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しばらくいい天気が続いていましたが、本日よりお天気下り坂。気温も下り坂でございます。さて、8/1はスイスの建国記念日で祝日でした。我が家はいつも義両親主催でぱーちーをして、夜は花火を上げるって感じです。去年は乾燥で州から花火とグリル禁止令が出た上、当日は天気が悪く、しけしけの建国記念日だったけど、今年は天気がすごくよく、なんの禁止令も出ず、うちらの友達カップルも来てくれて、なかなか楽しいものになりました。まずは、テーブルセッティングやデコレーション(by ハイジ&ペーター)をご覧くださいませ。見ての通り、スイスクロス で埋め尽くされております(笑)スイス人の愛国心ってすごいわ~。私も対抗して自分の階のベランダに、日本の旗(百均で購入・笑)を飾ってみた メニューはBBQがメインで、肉はそれぞれが持ち寄りってことで、あとは義両親がほとんど用意してくれました。私はデザートを一品引き受け、軽めのものというリクエストだったので、重いバターケーキとかは避け、パンナコッタを作りました。最初に聞いていたのは、チーズケーキと私が作るものとの2品だったはずだけど、当日はテーブルに、どっさり7品のデザートがありました。聞いてないよぉ~!状態。そこにちょっと遅れてやってきた伯父さん夫婦からのデブリブリそうなアメリカンなクッキーやケーキの盛り合わせがプラスされ・・・( ̄_ ̄ i)そして、アペタイザーに義父作のオープンサンド、しかも大量。と、ガーリックブレッド、こちらも大量。全員で10人だったんだけど、30人呼んだんですかい?の勢いです。毎度のことだけど。だから、このファミリーはみんな太っているんだと、ホントに納得できる瞬間です(笑)友達もこの量の多さにびっくりしてたがな。(左上)サラダビュッフェ (右上)ペーター作のオープンサンド(左下)デザートビュッフェ (右下)スイスクロスなミルフィーユこれ、その大量の一部、ほーーーーーんの一部(笑)中途半端な時間からの開始だったため、デザートから始め、アペタイザーを食べた時点でお腹いっぱいで、メインがあまり楽しめなかったのは、約2名の日本人 ( ̄▽ ̄;)スイス人の胃袋の大きさにはついていけねぇ・・・。さて、日中から始まったこのぱーちー、明るいうちからソワソワしている者が約1名。「花火狂」の義妹の彼でございます。毎年この彼と義父は一緒に花火を買いに行き、上げるのが恒例になっております。ちなみに、この記念日と大晦日だけは無許可で個人が上げてもいい日で、この頃になるとスーパーや街中で花火がどんどん売り出されます。と言っても、日本の家庭でやるようなレベルの花火ではございません。かなり大きいです。素人がやってもいいのかって思うくらいの。今年は去年の上げれなかったフラストレーションからか、彼はすんごい量をお買い上げになり、聞いたところによると、花火に900フラン (約9万円)つぎ込まれたそうです (\_\)ど、どか~ん ($0$)ノどれだ毛、彼が花火狂かわかってもらえるかと。私だったら、日本行きの飛行機代に回すねっ!彼が自分の夫だったら、半殺しだねっ!とか言いつつ、「ぶらぼー、ぶらぼー」の連続で、900フラン、すっごい楽しませてもらいましたー。頭上のかなり高いとこに上がるので、ホントに大きいやつの写真は撮れず。なんとか納められるサイズの小さめの花火ばかりですが。我が家だけでなく、たくさんの人が花火を上げるし、市町村でも上げるので、もうあちらこちらから上がり、それを追うのもまた楽しいスイス建国記念日なのです。花火を楽しむ赤い集団(爆)**************************************先日、インド人を夫に持つマダムを講師に、サモサの作り方を教えてもらいましたー。生徒は、夫はスイス人だけどインドと関連のあるマダムとワタクシの2名でございます。私、インドには行ったことも正直興味を持ったこともございません。日本でインド料理を一度食べたことがあるのと、こないだの我が街のお祭りでサモサとカレーを食べたことがあるくらいで、ホント何のつながりもありませんでした。しかし、このステキなインド人妻に会ってから、インドをちょっと身近に感じるようになり、マダムの作るカレーも何度かいただきまして、これがまーあっさりしてておいしくって、インド料理って辛くって油ギトギトしてるだけじゃないんだって、気付きました。そして、一番の気付きはインドと比べたら、スイスなんか「屁」だなーってこと。海外暮らしはいろいろあるけど、インドと比べるとホントそう思っちゃうよ(笑)マダムはいろいろインドで苦労され、フツーはむかつくぅ!で終わりそうなとこ、彼女にはきちんと学びがあり、器がますます大きくなり、人間ができてるわ~って思うのです。そんな彼女と接していると、前向きでハッピーになれちゃうし、彼女と出会って半年ちょっとだけど、いい意味でかなり影響されています。今回のサモサも彼女と知り合っていなかったら、作ることもなかったでしょう。こういうことも、すごいしあわせなことなんだな~って思いますもの。さてさて、手作りサモサ、まずは中に入れるジャガイモから調理しました。それから皮作り。水が少なめで、うどんのように硬く、なかなかひとつにするまで大変でございました。皮を作ると包む。最初はおそるおそるやっていたけど、慣れてくるとなかなか楽しい。あとは低温でゆっくり揚げるって感じ。(左上)フィリングのジャガイモ (右上)包んでいるとこ(下)できあがり♪ケチャップつけて、いったっだっきまーす♪皮がサクサクしてておいしい~♪私はサモサ・ビギナーなんでよくわかんないけど、祭りで食べたのより断然おいしかったし、インドで実際食べたことのあるマダムも、油っぽくなーい!と感嘆の声をあげておりました。うちのダンナにも持って帰りましたが、案の定気に入り、作ってのリクエスト入りましたー。餃子を一から作る並みに手間のかかる料理だけど、その価値はあり。また近いうちに、おうちで復習しようと思いまーす、先生っ ( ̄0 ̄)/まだ名のない料理の会ではございますが、次の予定はぞくぞく立っていまして、次回はアレでしょー、その後はソレでしょー、すっごい楽しみなのです。ステキなマダムになれそうな悪寒、いや、ヨ・カ・ン♪(爆)
2007.08.07
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これまで寒かったり、急にクソ暑くなったり、ジェットコースターのような天気でしたが、ときたま雨の日もあるけど、たいていマイルドで過ごしやすい日々が続いている最近のスイスです。スイスに住んでいて、しあわせだな~ (* ̄∇ ̄*) と思うことに、身近に気持ちがほっこりする景色があって、その中を気軽に歩けることです。もともと時間と体力さえあれば、よく歩く方でしたが(電車代浮かすためとかね・爆)、スイスに来て、さらに歩いちょります。スイスはホント歩くのに適した国です。そこらじゅうにWanderwegと言って、ウォーキング・ハイキングコースがあるから。天気がいい日は長距離散歩に出かけるのが、私のライフワークでもあります。前日にWanderkarte(ハイキング用の地図)を見て、電車やバスでどこそこまで行って、このルートを歩くと、たいだい決めて出かけます。さて、先週行ってきたコースは「ライン川沿い」。スイス・ドイツ・オーストリアに面した大きな湖、ボーデン湖(Bodensee)、それが一瞬川となり、またUnterseeという湖になります。それがまた川になった所に、シュタイン・アム・ライン(Stein am Rhein)というかわいらしい街があります。その約20キロ先に、ヨーロッパ最大の「ラインの滝」があります。今回のコースは、まず私の定期で行ける範囲ぎりぎりのある村まで電車とバスで行き、そこから丘を超え2時間、シュタイン・アム・ラインに行き、ライン川沿いにラインの滝の手前のシャフハウゼン(Schaffhausen)まで。そして、この辺はドイツとスイスが入り組んだところなので、もちろんドイツにも侵入!今までにもライン川沿いはたいさん歩いてきたし、ドイツ側も歩いてきました。2年前、これは渡し舟でドイツに渡った話。ここはラインの滝の下流です。1年前、この写真の街は、2年前の場所よりさらに下流です。そのうんと先にドイツとフランスに面したバーゼルがあり、今まで西に向かって流れていたライン川はバーゼル以降、北に舵を変え、ドイツとフランスの間を流れ、いずれオランダを流れ、北海に至ります。ドイツのライン川もオランダのライン川も見たことがあるので、なんか不思議な感じ。そして、ライン川にはいろいろな表情がありますが、私はこの辺りのまだ水がきれいで素朴な感じのライン川が好きです。バーゼルの辺りは水が濁ってるし。ちなみにライン川はスイスの南東部のアルプスで生まれます。源流はふたつあり、「前ライン(Vorderrhein)」と「後ろライン(Hinterrhein)」と呼ばれ、クール(Chur)という、ベルニナ特急と氷河特急の始発の街の手前で、ひとつになります。さて、先週行ったコースを写真中心で。シュタイン・アム・ラインここは何度も来てるけど、かわいらしくって大好きな街。シュタイン・アム・ライン近郊の丘の上よりライン川を眼下に、ブドウ畑、とうもろこし畑、麦畑、ひまわり畑が続くのんびりとした景色。シュタイン・アム・ラインとディーセンホーフェン(Diessenhofen)の間素朴な景色が続きます。ハイキングコースを歩いていると、突然ドイツ(笑)こんな所にはパスポートコントロールなどございませんが、一応看板と柵が。日中の徒歩ハイカー・チャリダーの国境越えはOK、ただしビザが必要な人は通れません、みたいなことが書いてありまする。右下の船の写っている写真、手前はドイツ、向こうはスイス。どっちも川岸は遊泳場になっていて、水着の人がわんさか。川の真ん中に浮いている人は、ドイツ出身、それともスイス出身?(笑)ディーセンホーフェンここも私のお気に入りの町。スイス側の町です。ここの橋は車も通れるので、ちゃんとパスポートコントロールがあります。ディーセンホーフェンとシャフハウゼンの間シャフハウゼン左上はムノート城(Festung Munot)。とてもステキな街だけど、旧市街が工事中であんま写真撮ってません。ここは5年前、ダンナと初めて会って、ラインの滝を見た後、行ったところでもあります。んで、一個上の写真の右下のParadies(訳すとパラダイス)ってとこで飯食いました(笑)はいっ、今回のコース、計7時間。我ながらよー歩くわ (-。-)ボソっ(爆)翌日に筋肉痛になったけど、翌々日の方が痛かったのがビミョーっすね ( ̄ω ̄;)さーて、今度はどこに行こっかな~♪
2007.07.30
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10度前半で寒かったスイスも先週末から気温がぐーんと上がり、すっかり夏。先週の月曜日は34度くらいまであがりました。あちぃ~。その差、20度以上! (゚Д゚) 最近はまた雨が降り、だいぶ涼しくなってきましたが、ホント今後どうなるんでしょう?**************************************先日、何度か日記に登場しているメル友のHさんがスイスにやってきました。H男との長年の遠距離恋愛を終え、来月めでたく結婚されるんです!だから今回の来瑞は、移住。Hさんの到着当日、親兄弟、友達、計10人強が空港に集まりました。でも、これはH男が仕組んだサプライズ。HさんはH男だけが空港に迎えに来ると思っていたのだ。私もHさんのメールで「スイスで待ってるよ!」とは書いても、それが「空港」とは絶対に書けないわけで(笑)サプライズは大成功!!Hさん、泣いちゃったよ。ふたりのつきあいはかれこれ6年くらいかな。私はHさんと知り合って、4年ほど。傍から見てても長かったー。Hさんの決心がつくまで、H男はホント辛抱強く待っていたの。H男が彼女が到着までのカウントダウンの日々や、当日の空港でドキドキソワソワしているとことか、実際到着してからのHさんを愛しく見つめる表情とか、今までの歴史を垣間見てきたからか、なんか感動が大きくってねぇ。うちのダンナは、4年前の自分に重ね合わせて見ていたし。ま、うちらの遠距離恋愛は、このふたりに比べたら「屁」のように短いけどね(笑)なんかとてもジーンときたのでした。ふたりの新生活に幸あれ**************************************ぼんじゅ~る。じゅまぺる・ももも。(爆)さて、まだ暑かった先週の火曜日、早起きしてスイスのフランス語圏のジュネーヴに行ってきました。これは試験が終わったら好きなことするぞー!と思っていた一貫で、今年の初め、ステキなご対面を果たした yukie51ちゃんに会いに♪ジュネーヴは一度来たことがあるのだけど、冬で着いたときはもう暗くって、クリスマスイルミネーションを見ただけで、ちゃんと観るのは今回が初めて。電車が少々遅れたけれど、到着ホームで待っていてくれたyukieちゃんと無事再会。半年振りなんだけど、そんな気もしないな~。というか自然で、これが会うの2度目という感も、全然なかった。まずジュネーヴ大学の公園を見て、サンピエール大聖堂にあがり、いろいろ連れて行ってもらいました。サンピエール大聖堂からの景色雲がなかったら、噴水の向こうにモンブランが見えるらしく、残念。(左上)サンピエール大聖堂周辺 (右上)大聖堂の礼拝堂内(下)大聖堂とジェット噴水ジュネーヴと言ったら、レマン湖とジェット噴水いやー、ジュネーヴ、言葉が違うせいか、同じスイスでも外国に来た感じだし、建物もドイツ語圏と感じが違って、なんかとっても新鮮だし、洗練された感じ。ヨーロッパみた~い!!と何度も口に出し、「いやいや、ももも。さんもヨーロッパに住んでるって。」と、yukieちゃんに何度も言われた(笑)なんなんでしょーね、私の住んでいるとこってあんまヨーロッパらしくないというか、ただ見慣れてしまっただけなのかもしれないけど、ジュネーヴにとてもヨーロッパを感じたわ。一通り、観光を済ますとお昼の時間。韓国レストランに向かいました。そこでは、ジュネーヴ在のたまこさん+ちびたまくん、そしてMちゃんと合流。たまこさんの愛息・ちびたまくん(1歳7ヶ月)はバギーの中でお昼寝中。みんな揃って、ランチメニューの石焼ビビンバを注文。いやー、メニューがフランス語オンリーでさっぱりわからん(汗)みなさん、フランス語で注文されてて、かっこえぇし、ジュネーヴになじんでる感じで、みんなそれぞれ頑張ってるんだなーって思えた。それにしても、ここのビビンバ、めちゃうまっ!!惣菜のきのこや茎わかめもうまくって、値段もスイスにしてはとてもリーズナブル。フランス語はヤダけど、このビビンバのためにジュネーヴに住んでもいいかもって思った(爆)ちびたまくんがお昼寝から目覚めたので、レストランを後にし、湖畔でまったりしました。ブログでは見ていた、ちびたまくん。実物は写真よりうんとかわいかった♪そんなちびたまくん、まずMちゃんに自分のおもちゃをあげ、そのあと芝生からお花を一本摘んできてyukieちゃんに、そしてまた芝生に行き、お花を一本摘んできて私にくれました。1歳7ヶ月にして、このジェントルマンぶり。将来が楽しみだ(笑)たまこさん、ちびたまくん、そしてMちゃんとお別れし、yukieちゃんの住む街に向かい、おうちにおじゃましました。おうちは旧市街の真ん中にあり、味のあるとってもかわいいアパートでした。夕方、旦那さんである「まるぼぁ氏」が帰ってくるまで、結婚式の写真見せてもらったり、おしゃべりしながら、ほっこり過ごしました。まるぼぁ氏の帰宅時間が近づくにつれ、キンチョー度上昇というのは、わたくしこの日のためにフランス語を猛勉強しましたから。・・・って、それは大ウソ(爆)この前々日、久しぶりに英語を使う機会があったのだけど、ボロボロだったんです、わたくし。だから、英語だーとキンチョー入っていたわ毛です。ま、何語であろうと、やっぱり初対面というのはキンチョーするものですが、そんなキンチョーは、まるぼぁ氏と会うと同時に吹っ飛びました。なんか安心させてくれるオーラの漂っているお方だし、間が気にならない。そして、ふたりの間にもいい空気が流れていて、ほっこりいたしました。ええ感じ~♪夕食にはyukieシェフのおいしい和食をいただき、食後は3人で、まるぼぁ氏オススメのジェラードにかぶりつきながら、街散策に出かけました。ステキな街並みとレマン湖ここはyukieちゃんのお気に入りの場所、私も一目で気に入った。この街のシンボルのお城とレマン湖散策の後、ふたりに見送られ、ほっこりした気持ちで私は電車に乗り込みました。電車が発車してからも、ずっとなんだか一人で微笑んでおりました。ナンカシアワセ~ (* ̄∇ ̄*)往復6時間半の旅、おっしゃ!と腰を上げないとなかなか行かない距離だ。朝は早かったし、家に着いたのは日付が変わる直前、正直疲れたけれど、yukieちゃんをはじめ、まるぼぁ氏、たまこさんにちびたまくん、そしてMちゃんに会えたこの旅、言葉は違えど、同じ国で頑張っているみんなの姿は、私にパワーをくれ、実行してよかったと心から思ったのでした。yukieちゃん、みなさん、ステキな出会いに メルシィー、僕ぅ~♪今度はドイツ語圏に来てしるぶぷれ(笑)
2007.07.22
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試験も無事に済み、解放されて、この夏を楽しむぞーと思っていたら、スイスは冬だった・・・ 彡(-_-;)彡ヒューヒューいやー、ちと冬は大げさだけど、ホントここんとこ寒いのなんの。雨降ると日中の気温が11~13度とかだし、あり得ねぇ~。山間部では雪が降ったとニュースでやっていたし、あっり得ねぇ~。まっ、これがスイスといっちゃ、スイスなわ毛で、まだまだ夏は終わっちゃいない。本日からお天気は回復傾向、そして、週末の最高気温 32度 とか言ってるし (゚∇゚ ;)エッ!?あの、夏が戻ってくるのはいいんですが、差がありすぎませぬか、スイスさん。寒い天気が続いておりますが、暦の上では夏、あちこちでお祭りが開催されております。先々週末は我が街のお祭りでございました。(去年の様子)そして、先週末はツーリフェシュト(チューリッヒのお祭り)がありました。我が街のは毎年開催、チューリッヒの方は3年に一度のかなり規模の大きなお祭りです。雨続きの中、どちらのお祭りも天気はよかったです。フラウミュンスターと観覧車ちなみにこの観覧車、1週間前は我が街の祭りに設置されてました。ツーリフェシュトは、私にとって2度目になります。前回はちょうどスイスに来てもうすぐ1年っていうところ。あれから3年経ったのだな~と、しみじみ祭りの様子や花火を見ながら思いました。私がスイスに引っ越してきたのが、ちょうど4年前の7月11日、おスイス暮らしも5年めに突入でございます。ひゃ~、5年めかぁ~。記録的猛暑だったあの夏、不安と期待を胸に、冷夏の日本からスイスに降り立った。言葉もわからんし、友達もほとんどいなくって、しばらくはホント心細かったな~。結婚式とかいい思い出もいっぱいあるけど、辛くさみしい記憶もある。そんな思いをしていたのがついこないだな気もするし、遠い昔のような気もする。あれから確実に月日は巡り、ここで自分の楽しみも見つけ、ドイツ語も休み休みだったけど、頑張るときには頑張って、目標だった試験にも受かった。スイスドイツ語も前よりはわかるようになったかな~。それらが自信にもなり、「スイスでいっちょ前の道。」を進んでいる感はある。一歩一歩ゆっくりだけどね。4年前、ひょろひょろで短かった根っこも、今はちょっと太くなったはず。来年の今頃、スイスに来て5年経つとき、またどんなこと思っているのかな。少しは成長してるといいな。**************************************フリーページの「スイスのマネキンシリーズ」 と 「スイス☆フォトコレクション」を更新しましたー。よろしかったら、どーぞ。
2007.07.12
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どうやら、ももも。さん、こないだの試験に受かったみたいです!鐘→||||| ¶ヾ( ̄  ̄) キンコンカンコンキンコンカンコンキンコンカーン!ヤッ━━ヽ(≧∀≦)ノ━━ター!!!! 正式に合格証をもらったわ毛じゃないんだけど、先日、先生から試験コースのクラスメイトで試験を受けた全員に宛て、「みんな合格しました」というメールが届いたのです。結果が成績証明となって送られてくるのは、通常8週間以上かかるんです。なんでこんなに早く結果が出たのかというと、私は試験開催する学校に行っていたのと、担任は面接官であり、試験採点担当だったからです。ラッキー ( v ̄▽ ̄)おかげで慣れている校舎で、慣れ親しんだクラスメイトとだけで、結構リラックスして試験を受けることができました。さて、そのメールに詳しい結果が知りたかったら連絡して、とあったので、先生に折り返しメールをして、詳細がわかりました。結果は、模擬試験よりも断然よかった!あと3点で自分にとっての理想の成績レベルだったけど、それでも満足っす。試験コース最終日には、合格もどうって感じで、先生も心配そうだった私のドイツ語。でも理想のレベルまでこんなに近づくとは思ってなかったから、かなり満足。そして、今回の先生の返事メールには、結果を見ての通り、次のレベルに進むのも不可能じゃなくなった。最後の週でかなり大きな進歩をとげたね。心からおめでとう。って書いてあった。ただただうれしかった。頑張ってよかった。私が今回試験を受けるにあたって、協力してくれた人達がいる。イライラしている妻をやさしく見守り、洗濯物をたたんだり、かなり家事に協力してくれた我がダンナ。しゃべりの間違いを指摘してくれたり、採点もしてくれた。質問するとテレビを見ている最中でも、すぐに耳を傾けてくれた。スイスドイツ語の先生。私はスイスドイツ語の方の生徒だけど、彼女は標準ドイツ語の先生でもあり、教材を貸してくれたり、試験前は口答試験の特訓に数回つきあってくれた。イギリス人の友達。彼女自身、この試験は受けたことはないけれど、フランス語教師としての経験が豊富で、イディオムを覚えるのにつきあってくれたり、口答試験でのテクニックを教えてくれた。この試験に合格している友人達は、教材を貸してくれたり、どんな試験対策をしたのか、アドバイスをくれた。そして、励ましてくれた友人達。頑張ったのは私だけど、頑張れたのはみんなのおかげだな~と思う。ほんとうにありがとう。試験は終わったけど、まだまだまだまだまだまだわからないことがいっぱいある。もっともっとわかるようになりたい。だから、また頑張るのだ。
2007.07.05
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どーも、最近ベンピ気味のももも。です。ごぶさたしております。やっとこ!! ドイツ語の試験が終わりましたーーーっε= \_○ノ ヒャッホーウ!!! お疲れ、私! 1ヶ月以上もブログを休み、ネットから離れて、さぞかし試験勉強に専念していたように見えるかもっですが、ほぼ毎日の芸能ニュースチェックは欠かず、少々見かけ倒しのガリベニストをしてました(爆)でも、グータラな私にしては結構頑張りました。こんなに勉強したのは大学受験以来かもしれません。この4ヶ月、常にドイツ語試験のことが頭にあって、特に終盤はそれがストレスでもあり、さっさと終わってくれー、と思っていました。反面、まだまだ準備が足らんから試験日がまだまだ先だといいのに、なんていう葛藤も感じていました。ときにランナーズハイのようになってガムシャラに勉強したり、ただただしんどかったり、ときに勉強の成果を感じて喜んだり、一方スランプを感じたり、その繰り返し。特に試験2週間前は学校も終わり、自分で全てをしなくちゃいけなくって、そんな中模擬試験をしても、なんかいまいちな結果で、この4ヶ月なんだったんだろーって思うこともあった。でもなんとか頑張れたのは、おスイス暮らしの明るい未来のため!試験に合格しているかは、正直ビミョー ( ̄∇ ̄;) 手紙、読解、リスニング、口頭の4部門があったのだけど、例えば3部門がよくできたとしても、1部門でも規定の点数に達していないと、合格できないのだ。私はリスニングが苦手で、他の3つは模擬試験より結構手応えは感じたんだけど、リスニングは自信がからっきしなしで、かなり足をひっぱっている感。300フラン(3万円)も試験料したから、正直合格したいっすよ。合格はビミョーでも、試験を受けることにしてお尻ペンペンしたのはよかったと思う。本番の試験を受けてみて、リスニング以外は多少なりとも手応えを感じたのだから。そしてふと思った。4ヶ月前の私だったら、この文章こんなに理解できてないよな。こんな文章、辞書なしでスラスラ書けてないよな。こんなにしゃべれてなかったよな、って。この4ヶ月の頑張りは無駄ではなかったし、私のドイツ語もちょっとは上達したんだなーと認識できて、うれしかった。試験前に心の友Sちゃんがくれたメール。心に響いたのでちこっと紹介。Sちゃん、勝手に引用してごめんよ ( ̄― ̄)ゞ 語学で一山越えたら、ももも。ちゃんの見える景色が変わるよね。 ニュージーランドでの山のトレッキングみたいに。 ちょっとがんばって上に歩いてくと、それまで見えなかった湖の全体の形や、 遠くの山の尾根とか少しずつ見えてくる。 スイスでの景色がもっとよく見れて、一皮むけるよう、日本から祈ってるよ。語学の習得を山歩きに例えているのだけど、ほんとSちゃんの言うとおりだな~って思う。確かに似てるね。一山は超えたかわかんないけど、見晴らしは確かによくなって、見えるもの(わかるもの)が増えたと思うよ。ニュージーランド、ネルソン・レイクス国立公園 「レイク・アンジェラス」~きつかったけど、その分感動の多かったトレッキング~まだまだ私の山歩き(語学習得の道)は続くのです。そしてまた、次に見えてくる景色を楽しみに歩いていこうっと。その前に、きったねぇ部屋の掃除をせな ( ̄∇ ̄;)
2007.07.01
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5月になってから、1件も日記書いてませんねぇ ( ̄∇ ̄;) 試験勉強に畑仕事、そしていろいろ忙しくしとります。日記記入率も21%をきり、体脂肪率もこんなふうに減ったらいいな~とか思ったりして(爆)先週末は母の日とダンナの誕生日が続けざまにあり、ワタクシ、ケーキ工場長と化しておりました。こっちってね、誕生日の人が職場とかにケーキとか持っていって、「今日ボクの誕生日なので、どうぞ♪」ってするんです。いまだにこの習慣に慣れない日本人嫁です。つーか、いっそのこと廃止してほしい ( ̄。 ̄ )ボソダンナの会社用には30人分の3種類のケーキを焼き、義妹カップルが主催した「母の日ブランチ」、私はパンとデザートを担当し、この週末だけで卵20個、小麦粉1.5キロ近く消費いたしました。さすがに疲れたわ _| ̄|○ついでにそんな週末に限って宿題がいっぱぁ~い _/\○_ちなみにダンナの誕生日当日にケーキはなし。ケーキ続きだし、また別の機会に~ということになり、結構ホッ(笑)どうせ、義母も焼くしさ。そうそう、日付が変わってダンナの誕生日になったときに「いくつですか?」と日本語で聞きました。*「いくつになりましたか?」が正しいけど、そこまでわかってないと思うので。そしたら、「ニジューゴサイ デス。」だと。チミも永遠の25歳だったのね(爆)**************************************今、6月末の試験に向け、プチガリ勉しています。今回受けようと思っているドイツ語の試験、ドイツ語を始めた頃から、ここまでは受けようと思っていたもので、私の当初の目標でもあります。もちろん、その上はまだまだありますが。去年受けようかとちょっと思ったのだけど、まだ自信がなかった。だからと言って、ちょっとでもましになるようにコツコツ勉強したわけでもなく、たまーに思い出したときにする程度で、とても頑張っていたとは言えない。ズルズル受けるのを延ばすのも私の自由だし、別に受けなきゃいけないものでもない。試験を受けることにして、自分のお尻を叩いているのである。それから、私の周りの友達はこの試験に受かっている人が多く、みんな一山超えたって感じのしゃべりをするのだ。だから、スイス日常生活に余裕を感じられる。私もそうなりたいな~って、彼女らを見てた。そうなりたいって思うからには、やっぱり自分が頑張らなきゃいけん。語学は簡単じゃないし、自動的に身に付くものではない。でも頑張った分だけ、得るものがある。最初に比べたら、私のスイス暮らしもだいぶラクになった。まだまだダンナの助けは必要だけど、一人でできることもうんと増えた。これもドイツ語をやってきて得た大きな成果のひとつ。正直、今はまだまだ試験に合格する自信が小さい。でも受からなくとも、今やっていることはこれからの糧になるし、これからのスイス暮らしのためだと思うからこそ、頑張れる。これからまだまだ続く、私のおスイス暮らし、今はそのための「踏ん張りどき。」なんだなーって思う。そんなわき毛で、日記の更新やみなさまのとこへの訪問、メールの返事等怠っておりますが、温かい目で見守っていただけたらな~なんて思います (* ̄∇ ̄*)
2007.05.19
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「たんぽぽ編」からの続きです。菜の花の黄色い絨毯、例年だったら5月に入ってから中旬くらいまで。今年はこちらも早く、すでに4月半ばすぎからお目見えです。たんぽぽの写真を撮りに行ったつもりが、菜の花ばかりになってしまいました(笑)では「ゲルプコレクション2007春・菜の花編」、どーぞ♪いかがだったでしょうか、「ゲルコレ2007」。こういう黄色い絨毯を見ていると、カレンダーとかで見ていたような景色が自分の目の前に広がり、とてもぜいたくでしあわせな気分になります。これら特に観光名所ってわけでもなく、この時期郊外の至る所で見られる風景なのです。いろいろあるおスイス暮らしも、こんなのがあるからやっていけるんですな~。さーて、ドイツ語頑張りますか!(笑)
2007.04.24
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4月とは思えんほどいい天気が続いていて、すでに夏入っているスイスです。4月っていうと天気がころころ変わるのが普通なんだけど、今年は安定しまくり。今月に入ってから、雨一度降ったくらいじゃなかろうか?!こんな乾燥した4月は記録にないとか・・・。気温もほとんど毎日夏日でございます。そんなわ毛で、花の開花や木々の芽吹きが例年より半月以上は早く、畑仕事もぼちぼち始まっております。こちらの成長もいつもより早い、早い。いつもだったら今頃バルコニーの掃除をして、テーブルセットを出すけど、それももうとっくにして、「ティファニーで朝食を」に対抗して、「バルコニーで夕食を」しております(爆)冬物もいつもだったら様子みいみい片付けるけど、今年はさっさとしまってしまいました。今から暑くて、本来の夏にどんな夏を迎えるのか少々不安でもあります。2003年のような記録的あちちな夏になるのか、今頑張りすぎて不発な夏になるのか、さあどっち?(笑)さてさて、例年より早くやってきた大好きな黄色の絨毯の季節、私的に絶対に外せんので、散歩やドライブに頻繁に出かけております。しかしなんで、こんないい時期に私、試験勉強せないかんのでしょうか? ジレンマです(笑)いつもの天気の悪い4月だったら、家にこもって勉強できるのにー!(↑ ほんまか? 笑)さて、まずお送りするは、「ゲルプコレクション2007春・たんぽぽ編」でございます。2年前にもこのタイトル使いましたが、ゲルプはドイツ語で黄色っていう意味です。略して、「ゲルコレ」(笑)例年だったら今頃4月下旬から見られる「たんぽぽの黄色い絨毯」、すでに2週間前から始まり、里ではもうかなり終盤です。今年はファーマーのスタートも早く、たんぽぽも刈り取られ、すでに麦が植えられていたりで、ちょっと焦り気味に散歩&ドライブに行ってきました。「ゲルプコレクション2007春・菜の花編」につづく (((((((((((っ・ω・)っ ブーン
2007.04.24
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先週末はイースターの4連休で、連休中ずっと天気がよかったスイスです。うちらは森にベアラオホを採りがてら散歩に行ったり、野菜の種植えや畑仕事、あとは庭でバトミントンとフリスビーなんかしてました。毎年恒例のイースターのお食事会は今年はなし!おばあちゃんがいなくなったからかなー、義両親のやる気がなかったため。とはいえ、4日中2回はみんなでご飯を食べ、ゲームとかしたんで、私にとっては一緒。あと、デカデカウサギチョコももらったし。もらうのはうれしいが、これ食べるのが大変(汗)スイスでのイースターは今年で4回目になるのだけど、今までの3回のイースターは天気が悪い、どんよりしていて寒いとかで、どうもイースターは天気が悪いっちゅー印象があって、今年の天気のよさに、やればできるじゃん、スイスーとか思ったりして(笑)お出かけとかはしなかったけど、まったりのいい連休でございました。イースターの前からこのいい天気は今もずっと続いていて、とっくに20度を超え、25度は軽くあります。この温かさのおかげで、今は花が咲きまくり、木々も緑になり始めました。たんぽぽも咲き、大好きな黄色の絨毯も始まりました。いつもより2週間早い感じです。スイスの天気はコロコロ変わるんで、また急に寒くなったりもありえるはず・・・ ( ̄∇ ̄;) だからこそ、いい天気や今しか見られない春の風景を楽しみたいなーと思います。さて、今回はマネキンシリーズなんですが、春をテーマに春の散歩写真とのコラボで、シンプルにお送りしたいかと思います。春が来た~、春が来た~、どこにー来た~♪山に来た~♪里に来た~♪アソコにも来た~♪
2007.04.13
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4月ですっ! すっかり春ぅ~なスイスです。まだまだ朝晩は寒いし、前日との気温差も激しいけど、まー、これは毎度のことか。さて、ブログさぼってますが、生きてますっ、生きてますっ!(笑)ワタクシ6月末の試験を目指して、ただいま学校に行っているわ毛ですが、昨日先生からちょっと驚きのニュースを聞きました。ドイツ語学習者以外の人には、どーでもいい話なんですが、2007年の秋から「ゲーテの試験」が変わるようです。ZDはそのままですが、ZMPが変わります。B1レベルのZDの後に、「Goethe-Zertifikat B2」という試験が新しく設けられ、その次は、「Goethe-Zertifikat C1 (ZMP)」 、そして今まで通りZOPと続きます。Goethe-Zertifikat B2 は、現ZMPよりレベルを下げ、Goethe-Zertifikat C1 は、現ZMPよりレベルが上がったものになります。現ZMPは8月まで受けれるそうで、新しい試験は9月からだそうです。詳しくはゲーテ・インステテュートで、ご確認くださいませ。現在、ワタクシ、現ZMPの試験対策をしてまして、例えば、今の実力じゃ今度の6月の試験に間に合わないから、(コレちょっと思っていた・汗)次の試験開催の9月にしようと思ったとしても、あてはまらないんですね~。試験のレベルも変わるし、試験内容も変わるし、今使っている試験対策の教材じゃ、意味がないってことです。9月に試験を受けたけりゃ、新しく対策をせねばならんのです。旧システムと新システムの狭間カンペイに立たされている、ワタクシ達です。現ZMPを受けれる最後のチャンスの6月末に向かって、頑張るしかないようですわ、アヘ。* チューリッヒでの試験は6月末で、他の地域・国ではまた違うと思います。 8月までは現在のシステムということで。さらに Gas geben でございます ┗( ̄▽ ̄;)┓=3=3=3=3ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛ ズベッ(ノ_ _)ノ**************************************さて、先週末我が家では「クサクサ・ベアラオホ祭り♪」 を開催しておりました。クサクサは漢字にすると、臭臭です(笑)ベアラオホ(Bärlauch)とは、春になると出てくる野草で、ニンニクのような香りがします。ニラにも似てて、でもニラよりもウンマイと思います。そして、滋養強壮とか血液をサラサラにするとか、いい効能がたくさん。日本語では「行者にんにく」と言うそうで、調べてみたら、すごい貴重でお高いのですね~。 1キロ、5000円とか (゚Д゚ノ)ノそんな貴重なベアラオホ、ここでは生え放題です。つまりタダ、ウホウホ♪v( ̄(││) ̄)v♪うちのダンナは、ベアラオホに半信半疑でございました。まず義母が好きじゃないんで、食卓にあがったことがなかったというのも理由でしょう。スーパーでも売っているんで、そこで買えば問題ないのだけど、自分で採って来る場合、このベアラオホに似たスズランがあって、それを間違って採って来ると、こちら毒入りでございまして、死亡事故があるらしい。ダンナはそれを恐れていたのですわ。私から言わせてもらうと、このベアラオホ、すごくニンニクのカホリがするから、間違えるわ毛ないやん!って思うんですがね~。実際、ウワサの毒入りのスズランらしいのを見つけ、葉をむしってみたけど、ベアラオホが柔らかいのに対し、こっちは硬いし、ニオイも全然違って、苦い感じでした。去年ベアラオホを採って来て、義父に図鑑で調べてもらったし、それを食べて死ななかったし、今年こそは、袋にいっぱいベアラオホを~♪と思っていたんです。このベアラオホ、生えているとこには結構生えているんです。ちょっと湿った所がお好きなようですが、街中の公園とかにも生えていたりします。あと、よそんちの庭とか。でも犬のおぴっことか排気ガスも気になるし、できるなら人通りが少ないとこで採りたいもの。去年、私は裏の森でとっておきの群生地を見つけました。そこはマーキングされたハイキングコースの横だけど、すごく急斜面で、そんなに人、特に犬は通らないんじゃないかって思っていた所です。スーパーの袋を持って、そこに れっつらごー♪私のベアラオホ畑、今年もいっぱい生えておりました~♪スーパーの袋いっぱいに収穫 (〃∀〃)♪ この帰り、あまり通らないルートを行ってみると、そこには・・・一面のベアラオホ畑がありましたー。先の所でもうたくさん採っていたから、ここでは採らなかったけど、これを日本に売りさばいたら、私って、チョー金持ち~♪とか思ったりして(笑)この日の収穫は約500g強。日本だったら2500円!(爆)まず採ってきたその日は新鮮なうちにと、ペストにしてみました。食べる前に「今までありがとう♪」と泣きマネをするダンナ。毒入りスズランを食べさせられると思った模様(爆)翌朝死んでなかったので、ベアラオホだったようですが(爆)ニンニクも入れたので、かなり強烈。翌日まで口の中に違和感がありました。でも週末やし、気にしない、気にしな~い♪そして、これを食べた晩は、体がぽかぽか温かかったです。(左上)ベアラオホ入り全粒粉パン (右上)金曜日のペスト(左下)土曜日のラビオリ (右下)日曜日のキッシュという具合に、クサクサ・ベアラオホ祭り♪ を開催しましたー。ダンナもこれでベアラオホ好きになりました ( v ̄▽ ̄)ベアラオホが採れるのは3~5月くらい。冷凍やしょうゆ漬けにもできるようなので、今度はもっと採ってこようと思います。こうしたら年中食べられるし、あとベアラオホ餃子もしたいしねー。タダでおいしい野草、体にも家計にもいい感じ~♪
2007.04.03
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3月に入ってから、なんかドイツ語試験コースを始めちゃいまして、週2回とはいえ、なに毛にテンパっているワタクシでございます ( ̄_ ̄ i)当分、スイスドイツ語とのダブルスクールでございます。この冬は異常なくらいな暖冬で、2月からクロッカスの類が花をつけ、そして先週は春まっ盛りな天気で、早くも桜の類やたんぽぽがちょっと咲き出しました。春の訪れが早かったので、そろそろ家庭菜園も始めないと、と日曜日は畑の土起こしをしました。翌日に筋肉痛にはなったけど、午前より夜にピークが来たのに、ちょいビミョーな気持ちな みそぢチャン(笑)この土起こしがなければ、家庭菜園ってステキ~♪ なんだけどな~。さて、すっかり春だったのに、今日は雪景色~ (゚Д゚)(3/20朝、撮影)だいぶ前から、寒くなって雪になると天気予報が言ってたけど、普段当たらないんで、まさかね~なんて思っていたら、こういうときは当てやがる(笑)さてさてほほー、タイトルにございますように、久しぶりぶりに『スイスのマネキンシリーズ』 をしようかと思います。十一弾まで突っ走って来た割には、かれこれ1年半ぶりです ヾ(・ε・。)ォィォィ(過去のシリーズはこちらから♪)さぼっていたわ毛ではないのよ、いつもマネキン・アンテナは張っていたのよ、んで、写真も一応は撮ってはいたのよっ(笑)過去のものが強烈でもあり、それを超えるものにはなかなか出会えなかったというか、スイス支部長的にかなり厳しいラインを引いていたのもあるんです。あと支部長が、ダサダサ~なスイスの感覚に慣れてきたのもあるのかもしれません。(↑ これ、かなりヤバイ・汗)今回の作品、正直今までのに比べると、インパクトはありませぬが、季節が変わらぬうちに・・・という焦りもあり、今回登場(笑)運転の練習を兼ね、ちんたら郊外の町を走っていたら、なにか気になる人を発見。Uターンまでして、戻ってきました。助手席の秘書には、これも運転の練習だ!と言いつつ(笑)その気になる人とは、薬局の店頭で働く キャンペンガール♪♪彼女が販売促進を担当しているのは、保温性ばっちりの下着です。自ら着てみて、その素晴らしさをアピール。ちなみに50%OFF、半額ですっ!下着姿とはいえ、脚がキレイに見えるようにヒールは欠かしません。ちなみに彼女に会ったのは、2月のこと。クリスマスなどとっくのとんまに過ぎているのに、サンタの帽子。このセンスがなんともスイスで、ス・テ・キ♪暖冬とはいえ、この日気温は10度以下でしたから、このサンタ帽、風邪をひかないようにとの、店長のやさしい計らいかもしれません (ノД`)保温ばっちり下着にサンタの帽子、防寒はよさげに見えても、やっぱり乳首は立っているので、寒いんでしょうな~ (ノД`)そして、おっぱいミサイルのように、飛んで行きそうなお乳をしてます彼女。ノーブラとはいえ、さすがはプロ、毎日のエクササイズを欠かさないのだと思います。こんな姿を見ていると、これをレオタード代わりに、ダンススタジオに行っちゃってもOKな気がしませんか?(爆)保温性だけじゃなく、汗の吸収や乾きもばっちり~、Shall we da~nce? みたいな。ちなみに、ここは住宅地でもありましたが、薬局のお向かいはトラクターがあり、そこがなんともスイスらしいですね ( ̄m ̄*)彼女の後ろ姿にも、うっとりです。いいお尻してますな~。そして、このクビレ!バツグンなプロポーションですが、なぜか背中から哀愁を感じますね。なにか悩み事があるのかな~。彼氏のことかな、それとも結婚してて旦那のことかな、将来のことかな、次の仕事の口のことかな。今までにも「職を得るのに必死な夫婦」や「マネキン達に課せられる厳しい身体測定」なんかをレポートしてきましたが、マネキン業界は厳しいですから。彼女の行く末が心配でもあります。またいつかどこかで、笑顔いっぱいで働いている彼女に会えたらな、そして、そのときには今習っているスイスドイツ語で声援を送りたいな、と思った支部長でありました(爆)今までみたいにインパクトはなくとも、シリーズはぼちぼち続けて行こうかと思っています。これからも「スイスのマネキンシリーズ」を夜露死苦~
2007.03.20
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