私が気になるのは、公開反対運動のことですから。
理解の範疇を超えていますね。
なんとバk(自主規制)の多いこと。
キリスト教に反する部分があるからだそうですが、私に言わせれば「なんぼのもんじゃい」
私は反基督者の上、無神論者だからというのが一番の理由。
神だとか仏だとか奇跡だとか、全部嘘に決まってんだろ。
そのうえ、現代宗教というのはさまざまな解釈の末成り立っているようなもの。
言うなれば嘘の上塗り(おい)
背びれ尾びれのついた宗教のどこを信じろと言うのだろうか。
そんなものが真偽のほどを主張するのはそもそもおかしいだろ、おい!
……という本音がございまするが、信仰の自由を侵害するつもりはありせん。
ので、もう少しひかえめにいたしますか。
キリスト教が真実を述べていると仮定しても(最初から信仰心ゼロ)
神様とやらの行為は一貫性や完全性にかけるうえ、どこか間が抜けてるんですよね。
しかし、神の壮大なる御意志は私のごとき人間が分かるはずもないのでこれ以上は申しません。
ふ、全知全能が笑わせる……(ひかえめな発言です)
ダヴィンチコード否定本が出ているそうなので、いつかは読みたいものです。
論理的かつ、納得できるキリスト教の解釈を期待!
そもそも貴様ら(敬称ですw)が言っていることが真実なら否定を論破していただかなくては納得がいかない。
とりあえず、私の一番知りたいことを一つ。
赦しを受けてもなお残る償いの義務について説明していただきたい。
合理的に。
まぁ最後に言っておきますが、私キリスト教って大好きなんですよ。
信者ではないし神なんて根っから信じてませんけど。
超がつくほど、大好きです。
愛の宗教名乗るだけのことはしていますから、その点を評価しているわけです。
全ては“愛のムチ”なのですよ。
宗教戦争とか魔女狩りとか他宗教弾圧とか、まぁいろいろ。
おかげで今にいたるネタが山ほどあるわけです。
ありがとうキリスト教! 君の(結果として引き起こしてしまった)ことは忘れないぜ!
感謝多謝。
所詮、神様とやらも人の子。
キリスト教を生み出したのも、それを使うのも人。
バk(自主規制)とハサミは使いようですな。