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モンゴルにいる日本人の方のブログを読んでいたら、面白い記事が目に止まりました。「ちょっと非常識では!」と思う友人の特徴ランキングというのがgooのランキングに出ていたのです。1位、1時間以上の遅刻に連絡なし2位、モノを貸したら返ってこない3位、出かける約束をしてもドタキャンが多い 4位、24時過ぎに緊急度の低い電話をかけてくる 5位、他の人に自分の悪口を言っている 6位、電話がいつもワンコール切り 7位、自分の恋人と二人で出掛けている 8位、小額のお金は貸しても返してくれないというものです。当初私は全く疑いもせず、モンゴル人の特徴のランキングだと思って読んでしまいました。なぜなら、余りにも当てはまるからです。この中では5位と7位以外はほぼ完璧にモンゴル人の特徴として挙げられます。もちろん、全員がそうだというのではありませんが、多分モンゴルに住む日本人のほとんどは、これらの特徴を「モンゴル人の特徴」と思っているでしょう。このランキングの題名と決定的に違うのは、「非常識」というネガティブなテーマではないということです。「日本人から見たモンゴル人の特徴は?」という設問の答えとして出てきそうだということです。例えば、日本人は多くの外国人よりも集団的協調性があるとか、あまり自己主張をしないとか、そういう一般的な「特徴」であるということです。ちなみに、日本へ留学していた人や、日本語を勉強している人の場合は、ここに挙げる特徴はあまり備わっていない場合が多いです。ですから、このブログを読んでいるモンゴル人の方は「私は違います」と思われることでしょう。確かに、その通りです。1位、1時間以上の遅刻に連絡なしそうですね、これはこのブログでも時々触れますが、遅れることはもうほとんど当たり前だと思った方がいいです。遅れる時も、事前に「遅れます」という連絡はほとんどなく、こちらから連絡して初めて「ああ、1時間後に行きます」という返事ということも珍しくないのです。2位、モノを貸したら返ってこないこれも良く聞きます。返ってくることももちろんありますが・・・モノを貸したら、壊されて返って来た。滅茶苦茶にされて返って来た、という話もよく聞きます。3位、出かける約束をしてもドタキャンが多い 1位とも関連しますが、ドタキャンは確かに多いです。仕事上でも非常に多いです。基本的には、段取りとか予定を立てて行動するということが少ないので、急に入って来た話が優先してしまうことも多いです。それによって、ドタキャンの連鎖が起こるのでしょう。4位、24時過ぎに緊急度の低い電話をかけてくる 私の場合は、これはあまりありませんが、モンゴル人を見ていると、深夜でもいつでもどうでも良さそうな電話を受けているようなので、こういうことは十分にあります。5位、他の人に自分の悪口を言っている 悪口を言いあっているというのはあまり聞きません。もちろん、一部にありますが、それは日本人でもあることですから、取り立てて特徴というほどではないでしょう。6位、電話がいつもワンコール切り これはしょっちゅうです。ワン切りでコールバック狙いです。95%以上の人が、料金前払い制なのでユニット切れが頻繁に起こります。私は料金後払いですから、狙われやすいのでしょう。自分が電話持ってるのに「ちょっと電話貸して」というのも多いです。ユニット切れかユニット節約です。料金後払いの人はなかなか断れないというわけです。7位、自分の恋人と二人で出掛けている これは聞いたことないです。男女ともに嫉妬深いと聞きますから、これはあまりなさそうです。8位、小額のお金は貸しても返してくれないこれはモンゴル人の間では一般的です。「金を貸す馬鹿」に「金を返す馬鹿」という言葉があるくらいですから。モンゴル人の場合「お金貸して」というのは「お金ちょうだい」というのと同義語だと思った方がいいです。日本でも「醤油貸して」と言って借りても、使った分を返す人はいませんよね?多分、あれに近い意味だと思います、モンゴル人にとっては。それにしても、こんなランキングとモンゴル人の特徴がピタッとはまるというのは・・・ちょっと困ったものですね。
2010.08.04
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久しぶりに新橋駅前で待ち合わせをしたら、びっくりする広告が目に入ってきました。これは目立ちますよね?どこにあるかといえば、これは新橋の駅前にある「ニュー新橋ビル」の広告です。名前は「ニュー」ですが、建設されてから50年以上も経っているビルです。駅前の一等地ですが、かなり古いビルのため、安めの居酒屋さんなどが入っている庶民的なビルで、近々建て替え予定があります。そこにこのインパクトある看板です。一体何なのでしょうか?早速調べて電話してみると「このビルではヘッドスパをやっています」とのこと。要するに、髪を洗ってちょっとマッサージしてくれるってことみたいです。そういうお店なのに、店の営業は18時で終了とのこと。この立地で夕方6時閉店はないと思うけど、どうなんでしょうね?で、ついでにいろいろ聞いちゃいました。「モンゴ流って、モンゴルと関係あるんですか?」と聞くと、モンゴルで生産されたものではないと言います。なんでモンゴルっぽい名前なのか、もうちょっと突っ込んで聞きましたが、、、作り方とかも含め、モンゴルとは関係ないそうです。まあダジャレ?ってとこなんでしょうか?で、ネットで調べてみると、どうやらシャンプーを通販で売っている会社のようです。1本4400円とかなり高いです。「薄毛に悩む男性が選ぶ、スカルプシャンプー」とあります。男性向けシャンプーなのでしょうか?調べてみると、大阪にあるアルファウエイという会社で「見た目年齢」の研究をしているそうです。そんな研究があるかどうかはわかりませんが、そういうことをテーマにしているのでしょう。そしてなぜモンゴ流かの説明もありました。その説明文がなんとも大げさで面白いです。まず「モンゴ流シリーズの開発は、モンゴリアンとインディアンという2つのモンゴロイド、そしてそのDNAに刻まれている豊かな髪の秘密に由来します。我々は1万年を超える歴史をもつモンゴロイドにおける3つの真実に着目しました。」とあります。要するにモンゴはモンゴロイドから来たんですね。最初の理由は「日本人も同じモンゴロイドである」です。これはすごい。当たり前のことを何か発見したように書いているのがすごいです。なので「モンゴリアンとインディアンは日本人と同じモンゴロイドであり、目・肌・髪色・彫りの深さが同じである。」と解説しています。彫の深さがインディアンと同じだとは思いませんが、そう言い切ってます。次の理由は「モンゴリアンとインディアンの髪は豊かである。モンゴリアンやインディアンの髪は黒く、ハリ・コシ・ツヤのある健康的で活き活きとした髪の持ち主が多い。」です。髪が黒いという点にはその通りですね。でも、まだこれだけでは「モンゴ流」の特徴とは言えません。そして最大の特徴が「洗髪体系が日本人と異なる。」ということです。洗髪体系という言葉は初めて聞きましたが、どうやら頭の洗い方に特徴があると言いたいようです。そして「モンゴリアンは古来より洗髪時にイラクサを使用し、インディアンはユッカを使用していました。」とあります。イラクサで髪を洗うなんて聞いたことないですが、この会社はそれを発見したのでしょう。イラクサは確かに体には良いようで、薬用やハーブとして使ったりするようです。ユッカは北米原産で、先住民(ここで言うインディアン)は食用、薬用に使ってきたとあります。ただどちらもシャンプー代わりに使っていたかは不明です。そしてこの会社は「さらに調査を進めていくと、両者ともにシーバックソーン(サジー)を用いていることがわかりました。」とあります!おおー、ここで登場したか、シーバックトーン!!(ソーンでもトーンでも同じ。thの発音だから)確かにこれはモンゴルでは有名で、健康に良いと伝えられてきた植物です。「この3つの伝承成分(=モンゴロイド3大伝承成分)に着目し開発されたのがモンゴ流シリーズです。」とモンゴ流シャンプーの特徴を定義しています。つまり、イラクサ、ユッカそしてシーバックトーンの3つの成分を使ったシャンプーということなんですね。最初は「怪しい通販で売る高いシャンプー」としか思いませんでしたが、結構メジャーな場所で売られてます。全国規模では、ハンズ、ロフト、ヨドバシカメラなどで売られてます。なるほど、それだけ買っている人がいるんですね。全く知りませんでした。新橋で見た広告はインパクトありますし、こんなネーミングのシャンプーを売るのもすごいです。モンゴルがマイナスではなく、プラスイメージなのは良かったです。
2023.04.04
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土曜日は、あまり撮影を進めることなく終えました。その分、空いてる時間に他の家族のゲルに遊びに行きました。ゲルを訪れる時に力を発するのがチェキです。ポラロイドのように大きくなく、手軽に持ち運びできる富士フィルムのチェキです。2002年にモンゴルに最初に訪れた時から持ってきていますが、その効果は大きいです。モンゴルの遊牧民は皆写真好きです。これは遊牧民のBさんのゲル内です。どこの遊牧民もゲル内正面にこうして写真を飾っています。ですが、遊牧民のほとんどはカメラは持っていませんし、プリントももちろんできません。そして部屋の中など写真を撮られてばかりいても、自分たちの写真にはならないので、場合によっては嫌がる人もいます。ですので、このチェキがいいのです。チェキの後ですと、普通のカメラを向けても嫌がりません。まずは子供を撮ります。何枚も撮ってあげると、大喜びです。この子は、隣のゲルの子ですが、私たちのいるゲルにいつも遊びに来ました。するとそのお母さんがやってきて「家にもっと小さい子がいるから、写真撮りに来て」と言います。で、行くと確かにまだ小さい子がいました。女の子かと思ったら、男の子だそうです。モンゴルでは、3歳までは髪の毛を切らないんだそうです。だから、男の子も女の子も区別がつきません。この子らのお母さんです。いつもニコニコしていました。私たちが撮影会をしていると、他の家族もやってきました。ここは冬営地で、この小屋の周りに3つのゲルがあり、3家族が暮らしているのです。その3家族が全員集まりました。Bさんのゲルはテレビの撮影に使っているので、上の写真のお母さんのゲルに集まって来たのです。右から2番目がBさんで、一番左がBさんの奥さんです。Bさんの奥さんは、前日酔っぱらってしまってたのを覚えていたので、私たちの前では随分恥ずかしそうでした。ですが、とても優しくて良い人でした。実は、前日酔っぱらって暴れたのには理由があったようです。今年の冬は大寒波(ゾド)が到来したということで、モンゴル全土で家畜が大量に死んでいるのです。さすがのモンゴル生まれの羊や山羊も寒さに耐えられないのでしょう。新聞では、全国で150万頭も死んだとありました。Bさん宅でその影響がありました。1月にBさん宅の家畜が200頭も死んだのだそうです。そして、その時にBさんはたまたま他の街に行ってたんだそうです。行った理由はよくわかりませんが、その理由(遊んでた?)とタイミングが悪くて「あんな大事な時に、遊びに行って許せない」というようなことらしかったです。そして私たちが行っている最中にも連日家畜が死にました。朝起きると数頭死んでいるのです。それらはもちろん絶対に食べません。離れた谷のようなところまで捨てに行きます。ここ数日分でも、かなりの数の家畜が死んでしまいました。こうした捨てられた家畜を狙っている鳥たちもいます。この鳥が肉食なのか知りませんが、死体にかなり群がっていました。街でも見ますから、カラスのような雑食なのでしょう。これらの大寒波の影響が、実は今回の番組の中身にも影響しているのです。当初は「外国人にツァガンサル(モンゴルの旧正月)の準備を手伝ってもらおう」という企画だったのですが、大きな財産を失っている人たちに「お祝いムード」はないのだそうです。なので、私たちの撮影もツァガンサル準備ではなく、遊牧民の生活体験に切り替わったようなのです。テレビ局の社長さんも「今年の旧正月はテレビもお祭りムードは控える傾向にあるでしょう」とのことでした。それでも、奥さんは翌朝には元気で働いてました。奥さんはとにかくよく働きます。ちょっと時間があると、拭き掃除や履き掃除、お茶を入れたり、家畜の世話を焼いたりです。家の中もいつも整理されています。不要なものは一切置かず、すっきりしていました。まさに「断捨離」です。続く日曜日にも撮影は続きます。「続く」
2010.02.06
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小麦料理で同じように日本人から「中国の影響?」と思われてしますのが、ツィバン(焼うどん)やゴリルティシュル(肉うどん)です。なんせ麺類はどうあがいても日本人には中国が本場でしょう。ですが、これも中国経由ではなく、西からモンゴルに直接入ってきたのです。これはゴリルティシュルです。これまた西方の遊牧民は、スープに小麦加工品を入れるというのは昔からある手法です。ゴリルティシュルという名前は、ゴリル(小麦粉)、ティ(入った)、シュル(スープ)に分けられます。つまり小麦粉入りスープというのがその直訳です。つまり「うどん」という加工品ではなく「小麦粉(を練ったもの)」を入れたスープというわけです。やや細かいですが、中国やその影響を受けた日本は「うどん」を食べるのに「スープ」に入れます。が、モンゴルは「肉スープ」を食べるのに「小麦粉」を入れているのです。その証拠にモンゴルではうどんを食べるのにスープで食べます。カザフスタンも他の遊牧民の国もスプーンで食べるのです。要は日本の感覚では、うどんはスープの具なのです。 同様にツィバンもそうです。名前は「モンゴル焼うどん」とされていますが、実際には蒸しうどんですから、中華の焼きそば系とは作り方も違います。そもそも中国から伝わっていたとしたら、中華系の調味料がもっとモンゴルにあったでしょうし、名前も「なんとか麺」みたいな名前になっていたでしょうし、食べるのも箸でしょうね。 これはカザフ料理。モンゴルのツィバンと同じような感じです。というわけで、モンゴルの有名料理ボーズ、ホーショール、ツィバン、ゴリルティシュルなど、小麦粉を使った伝統料理は中国伝来ではなく、西のペルシャを起点とし、遊牧民によって伝えられてきたことがわかると思います。ですが、「スーテーツァイ」(モンゴル式ミルクティー)だけは、さすがに中国伝来と思っていました。なんせお茶と言えば中国ですから。ですが、今回この茶馬古道を見て「なーるほど!」とわかったわけです。まず「なるほど」と思ったのは、お茶の原産地は現在の中国雲南省ですが、ここはもともとの漢人ではない地域なのだそうです。要するに今の中国は何でもかんでも5000年前から中華民族だと妄言していますが、もちろん嘘です。共産党に言わせれば、チベット人もウィグル人ももちろんモンゴル人(なんとチンギスハーンも!)全て5000年前から中華民族というのですから、どこまで嘘を言えば気が済むんだ?というレベルです。(続く)
2020.05.29
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今日11日月曜日からバヤンウルギー県へ出発です。モンゴルに住んでいた時を含めると、西はドルノドやヘンティ、南はドルノゴビ、ウムヌゴビ、マンダルゴビ、北はセレンゲ、ボルガン、フブスグルなどは行ったことはありましたが、西の方は行ったことありませんでした。というわけで、2年半ぶりのモンゴルは西の端っこ、バヤンウルギーに行くことにしました。一緒に行くのは友人のUさんとその友人のNさん。そして現地でのドライバーをしてくれたウルギー(県庁所在地)在住のJさんです。ウルギーとウランバートル間は週2便、月曜日と木曜日に飛行機が飛んでいます。なので今回は、ウランバートルから月曜日出発木曜日戻りとしました。先日日本から到着したのが新空港の初体験でしたが、今回は国内線です。ですが、電光掲示板は国際国内兼用となっていました。もちろん、チェックインの場所は明確に分かれていますが。これを見て、おやっと思いました。オユ・トルゴイ(OT)への便は夜のこの時間帯で1時間に1本もあります。同じ県のダランザガルドと合わせると、かなりの頻度になります。当然ですが、これは世界有数の銅・金山があるOTとの連絡便でしょう。更にその上を見ると、ソウル便が2時間程度の間に3便もあります!それに対して日本便はゼロ!というか、恐らく早朝に1本だけだということです。韓国便が毎日数便も出ているのに、日本便はこのトップシーズンでもMIATは毎日運航していません。日本が巨額の資金を出して作った新空港ですが、大いに利用するのは鉱山関係者と韓国人であり、日本人はほとんど来ません。しかも今はCovidで中国・北京便がお休みですから、いずれここに多くの中国便が加わることでしょう。いつも思いますが、日本はモンゴルのインフラを整備しますが、それをビジネスで利用するのは中国、韓国そして欧米であって、日本人はほとんどモンゴルに関心を持ちません。とても残念です。空港内で休んでいたら、ショーケースになんとカルピスが!もともとカルピスができたきっかけは、カルピスの創業者がモンゴル(内モンゴルだったかな?)での馬乳酒やヨーグルトなどがヒントになったと言われていますから、味の相性としてはモンゴル人には合うと思います。飛行機は細めの機体でした。中では横3列に座ります。3-40人乗り程度でしょうか?この時期は満席です。横3列ですが、二人がけと一人がけの間に通路があるのですが、一人がけの方の頭上には荷物棚がありません。機内もかなりスリムなのです。離陸して西へ向かいます。機上から見える景色は、モンゴル東部(大草原)、南部(雄大なゴビ)とも違う景色が続きます。モンゴルではあまり多くはない湖がかなり見られました。山はかなり急峻でほとんど木々はありません。これも厳しそうな山で、大草原は一切見られませんでした。1200kmの距離を快適に飛びました。モンゴルにある他の地方空港と同じような規模の空港です。ドライバーのJさんが迎えに来てくれていました。車はランドクルーザー・プラドです。私もウランバートルでプラドに乗っていましたが、モンゴルで田舎をドライブするにはランクル以外には考えられません。生死にかかわる問題ですから。ガソリンスタンドに入りました。意外にも、ウランバートルよりも少し安いくらいでした。モンゴルではなんでもウランバートルの価格に輸送価格を乗せて売るので、ほとんどの商品の価格は田舎の方が高いのです。多分、この地域はロシアからガソリンが直接輸送されてくるから高くないのではないかと聞きました。高くないとはいえ、もちろん私が使っていたころよりは2倍以上の値段ですけど。モスクが見えます。バヤンウルギーはカザフ人が9割以上と言われており、宗教はイスラム教です。なので、あちこちにモスクが見られます。走り出したら大草原、というのがモンゴルの定番ですが、ウルギー郊外はプッシュだらけでした。こういう景色はちょっとモンゴルの他ではないですね。もちろん、ウルギーを出ればほんの数分で舗装道路なしの道なき道であるのは言うまでもありません。今回の旅程は、私の行きたい場所の希望だけを伝えて、後はコースはお任せです。どういう旅になるのか楽しみです。(続く)
2022.07.11
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今日はこれから県庁所在地のウルギーに向かいます。この辺の景色は、川や山が多く、とても綺麗です。こちらへ来た時から、ちょっと気になっていたことがありました。確か、ウルギーを出発する前にスーパーで買ったお菓子の袋を見た時でした。この辺で売られているものの多くはロシア語、カザフ語、ウズベキ語など4-5種類の言語で説明などが書かれていることが多いです。モンゴル語は人口が少ないためか、書かれていないものもあります。もちろん、そのほとんどがキリル文字なので、私にも意味は分からなくとも音では読めます。その時に不思議な文字に出会いました。ウズベキ語だったと思いますが、文字の途中にfが出てきたのです。通常キリル文字でfを表すときは、фを使います。ところが、ウズベキ語のパッケージにはfが書かれていたのです。Uさんはロシア語、英語、日本語に堪能ですから、聞きました。「このfって何?キリルに、こんな文字あるの?」と。Uさんは「よくそんな文字見つけましたねー?」「インターネットアドレスかなんかですかねぇ?」と言ったものの「確かに、キリル文字の中にありますね?何だろう?」とわかりません。少なくともロシア語ではfは使わないということでした。そんなもやもやした気分で、帰路、とあるカフェに入りました。すると、、、またしても出てきたのです。しかも大文字のFが。「バフィーム?」って読むのでしょうか?どうやら、ウズベキ語だけでなく、カザフ語でも使われている文字のようです。ここバヤンウルギーはカザフ語が公用語ですから。Uさんに再び聞きました。「ほら、あのF、何?」と。ここは聞くしかありません。お店の人に聞いたら、その答えはなんと!Гでした!!これは鍵かっこの「ではありません!アルファベットで言えばG, g。日本語で発音するときはゲーです。それにしてもGがFですか!いくら何でも似てないですよね。なので、この店の名前はバギームなんだそうです。意味は忘れちゃいましたけど。ではカザフではГは使わないのかと言えば、そうではなく使うんだそうです。じゃあ、どう違うのか?Гは軽めのゲーで、Fはもっと強いゲーだそうです。モンゴル人でも知らない、モンゴル国内でのキリル文字の使われ方があったとは不思議です。そのカフェの近くのスーパーを覗いてみました。水はまだあるし、単に興味本位で入りました。すると、再びキリル文字が私の目に飛び込んできました。いわし缶詰です。これは何の缶詰でしょうか?答えは、いわしです。ивасиと書かれているのはロシア語です。иはイ、ваはワに近いヴァ、сиはシですね。つまり、イワシです。これは日本語がロシアに伝わった言葉だそうです。逆にイクラИкраは、ロシア語から日本語になった言葉です。意外と言葉の交流があるんですね。実はウルギーに来る前に、私はまたしてもいけないことを口にしてしまっていました。例のパンク事件みたいな話です。初日も2日目も予約していたのに「予約していない」と言われたことから、私はUさんに「さすがに今日のホテルは大丈夫だよね?」と聞くと「はい、さっき電話して確認しました。予約は大丈夫です。」と。ところが私がまた余計なことを言ったのです。「とにかく丸2日シャワーもなかったから、早く浴びたいね。どうする、お湯が出なくて水シャワーしかなかったら?」とUさんに言うと「だめですよ、そんなこと言っちゃ」とたしなめられたのです。そしていよいよホテルへチェックインです。この辺りでは一番の10階建てのご立派ホテルです。確かにこの辺にしては値段も高いです。が、なんと満室だというのです。「へー、景気いいんじゃないの?」と思いました。とにかくチェックインです。驚いたのは「靴はそこで脱いでください」と言われたことです。「は?旅館じゃないよね?イスラム式??」と聞きましたが、どうやらこのホテルのこの7階だけのようです。この木の板の部分は靴は可ですが、カーペットの部分(ここを通って部屋へ行く)は靴厳禁だそうです。でも従うしかないので、靴を脱いで部屋に入りました。そして即シャワー!ところが10分経っても水しか出ません。いくらなんでも冷たすぎます。フロントへ電話すると、すぐに人を送るとのこと。で、係の人がやってきてちょこちょこっと操作し「もう大丈夫です」と。再び水を出し続けますが、お湯になりません。電話じゃ無理だと、直接フロントに行きました。が、フロントは「問題ない」と言います。最初は低姿勢にお願いベースでしたが、問題ないと言われれば「冗談じゃない!」となります。私が怒ると、近くにいた他のスタッフがやってきます。私が事情を説明すると「問題ありません。お湯は出ます。」だって。は?現場を見ないでなんでそんな自信満々に「お湯は出ます!」って言いきれるの?これはカザフ人の特徴??さすがに頭に着て「私の部屋を見てみろ!」というと、スタッフ3人が見に行きました。で、帰ってきたら「申し訳ありません。故障です。」とのこと。結局、7階から6階の部屋へ引っ越しです。お湯は出ます。このホテルは、湯沸かし器(?)が個別についていました。65という数字は65度のお湯が出るということです。まあ、これでいいやと思いましたが、私がUさんに「お湯が出るからもういいけど、部屋は小っちゃくなるんだね」というと、今度はUさんが「は?それはだめでしょう。」と言います。Uさんはちょっといい部屋を予約していたのです。で、結局また7階へ移動。だったら、最初からこの部屋に移動させればよかったのに、わざと小さい部屋にしたってことですね。カザフ人、油断なりませんね。でも最大の原因は、私が「シャワー、お湯が出ないかも」と将来の悪いことを口にしたからです。これはモンゴルでは絶対言ってはいけない旅のルールなのです。このホテルの話で、もう一つ面白いことが。このホテルは地元の金持ち(政治家?)3人でウルギーで一番のホテルを作ったんだそうです。ところが、その3人が喧嘩をして共同経営を止めたのです。どうなったか?なんと3分の1ずつに分割したんだそうです。しかも同じビルでそれぞれがホテルを別々に経営しているのです。ホテル名も別なのです!このホテルの1階エントランスに受付はありますが、そこは私たちが宿泊したホテルではないホテルの名前があるのです。私たちはその受付前を通って、エレベーターで7階へ行き受付しました。夜は10階の眺めのいいレストランに行きましたが、どうやらそのレストランは私たちが宿泊したホテルとは別の経営者のレストランのようなのです。なんとまあ、複雑怪奇なことやるのか!これがモンゴル人の特徴なのかカザフ人の特徴なのかはわかりませんけど。(この県の90%以上はカザフ人なので)とにかく今日はシャワーも浴びて、暖かいベッドで眠ることができました。(続く)
2022.07.18
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ここのところ、ウランバートルは寒いようです。確かにこの時期は通常であれば両足マイナスとはなっていますが、今年はあまり経験したことがないような寒さとのことです。ウランバートルの気温は、7月上旬に30度超えとなり、この時点では日本とあまり変わりません。それがナーダムを過ぎると徐々に下がり、8月中旬の日本ではまだ猛暑が続くころには夜間のゲルではストーブが欲しくなるほどです。9月に入ると一気に寒くなり、9月中旬からはアパートには暖房が入ります。10月になれば気温は低下し、最低気温がマイナスになることも。雪もちらほら降り始めますが、最高気温はまだプラスなので、マイナスは片足状態です。それが11月になると両足マイナス、つまり最高気温もマイナスになってきます。それでも平年を見れば、最高気温マイナス5度、最低気温マイナス19度と、マイナス20度よりも寒くなることはめったにありません。ところが今年は既にマイナス30度を下回っているというのです。日によっては、最高気温がマイナス20度以下もあるようです。これは例年なら1月あたりの極寒の時期の気温です。あまりに急激な寒さがやってきたため、臨時休校する小学校も結構あったようです。こうした極端に暑いとか寒いといった現象が世界的に多く見られるようですが、これも温暖化の影響なのでしょうか?元々今年は夏の時点で、今年の冬はかなり寒くなる、ゾド(雪害による家畜の死亡)が心配されていましたが、どうやら本当にそうなりそうな雰囲気です。最近の成田からのMIATは週3便ということもありますが、チケットが取りにくいほど搭乗客が多いようです。恐らくモンゴル人の乗客の方が多いとは思いますが、これからモンゴルへ出かける日本人の方は十分に寒さ対策を意識して行ってください。とはいえ、多くの日本人は空港から目的地、目的地から別の目的地へは車で移動ですから、極寒の中を歩くことは稀です。ですが、一番の問題は渋滞なのです。最近のウランバートルは、あまりにも渋滞がひどいので都心部に車で出かけた場合、駐車スペースを見つけるとそこに置いたまま、異動は主に「徒歩」というケースが多いのです。タクシーに乗っても渋滞ですので、スフバートル広場を中心に西と東のドゥルンザム(大きな交差点)の範囲内なら、歩いて移動したほうが早い場合が多いのです。ですが、さすがにマイナス30度となると、それは危険です。5分もすると、クラクラしてくる場合があります。ですので、市内を移動するのであれば、十二分に時間を取って車で移動してください。この寒さは来年のツァガンサル(多分2月?)までは続くでしょう。
2022.11.28
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タバンボグドを後にして、今度は南に向かいます。その前に昨日泊ったゲルに戻ってきてランチです。これはチャンスンハッハという、塩ゆでの羊の肉です。塩ゆでだけなのですが、新鮮な肉だからでしょう、肉の臭みは全くなく美味しくいただきました。いつも思いますが、日本で食べる羊はかなり美味しいお店でも若干のくせがあります。でも、モンゴルの田舎で食べるのは全くそういうのがありません。但し、ウランバートルで食べる場合はお店によりますけど。やっぱり羊肉は鮮度が重要なのでしょう。食後に出発ですが、もちろん行先自体、私は分かりません。私がお願いしていたのは、8つほどの行きたい場所でしたが、その中でも優先順位が高いのは「タバンボグド」と「世界遺産」の2つだとお願いしました。というわけで、次に向かうは世界遺産になるだろうと期待しているわけです。今日2泊目をする場所は、前日泊った標高3000mの極寒の地から200kmほど中国寄りへ行くとのことです。ここでいう中国とは、新疆ウィグル地区です。いろいろな問題抱えている場所ですが、歴史的にも興味深い土地なので少し楽しみです。「中国の山が見えるんですかね?」と聞いたら「まさか、見えませんよ。山の向こう側が中国なんですから。」と。一旦は、国境警備隊管理地域から出ましたが、再び国境付近に入っていき、警備隊のチェックを受けました。途中、白い川がありました。これはミルキー・リバーと呼ばれていて、結構インスタにアップされているんだとか。ぱっと見はただの濁流のようですが、よく見ると石灰岩が川底に溜まっています。石灰岩の山が近くにあるのでしょう。昨日は真夜中に宿泊するゲル探しをしましたから、今日はさすがに夕方までに辿り着きたいです。途中、こんな光景も。これはロシアンジープと呼ばれる、旧式のロシア製4WDミニバンです。モンゴルでは昔はかなりポピュラーでしたが、最近は首都近郊ではほとんど見かけなくなりました。ですが、こうした地方の田舎ではまだまだ健在です。一番のメリットは「修理しやすい」ことだそうです。作りがシンプルで、部品も入手しやすいのでしょう。1台が川にハマって、もう1台が助けています。同じ旅行グループのようです。こうした場合、モンゴル人はお互いを助け合うのが一般的ですが、今回我々は先を急いでいたので、残念ですが失礼して先に行きました。無事、脱出できるといいのですが。何もないところを走っていると、突然止まりました。「トイレ休憩かな?」と思っていると「世界遺産だそうです」とUさんが言います。はあ?これが世界遺産??ただ石が並べてあるだけじゃないの??そんなはずないに決まっています。古代の壁画がバヤングルギーのどこかの洞窟にあり、それがとても貴重なので世界遺産になったのですが、もちろん、似ても似つかぬ場所です。ドライバーのJさんはどうやら、そもそも世界遺産を知らないようなのです。じゃあ、ネットで検索しよう!となりましたが、そもそもこんなところにネットなんて来ません。うーん、これがモンゴルです。事前に私の行きたいところの希望を伝えていましたが、その後かなり時間あったにもかかわらず、ほとんどスケジュールの確認はありませんでした。Uさんの理解もいまいちながら、ドライバーのJさんにとっては「なんか昔誰かが見に来た碑があるから、それだな」と思ったのでしょう。でも、モンゴル人はこういう場合「はい、わかりました」というだけで「ここですか?」との確認はしません。そもそもネットが通じないので、ほとんどが電話連絡のみのようなのです。こんな時、日本でなら怒りますが、モンゴルでは「あるある」過ぎて怒る気にもなりません。こういうのがモンゴルでの旅行だと覚悟しなければいけないことは、重々承知していますので。というわけで、明日ネットがつながるところへ行ってから、再調査しようということになり、今夜のゲルを目指しました。川があって、山が近くにあり、風光明媚なところにあるゲルに到着しました。「うん、これはなかなかいいな」と思いました。ゲルの向こうの山の麓はなぜか大量の石が積まれています。もちろん、自然現象なのでしょうけど。まだ明るいので、これからゲルに入ってこの辺を散歩しようかと思っていたら、、、また、何かおかしな雰囲気です。「どうも予約入っていないらしいです。」とのこと。「え?昨日もそう言ってたけど、今日も??」いくらモンゴルでもそれはないだろう!でも、残念ながらそれがモンゴルなのです。しかも例によって、予約してくれたはずのTさん(ウランバートルにいるカザフ人)とは連絡がとれません。さすがに、ドライバーのJさんもこの辺には親戚はいないようです。仕方なく、私はその辺の川辺を散歩するのみ。「昨日よりもましだけど、やっぱりまた寒いだろうな、夜は。」と心配になりました。当然、この辺りの風光明媚なところにあるゲルは全部満室だそうです。が、しばらくして、Tさんが地元の老人と思われる方を車に乗せてきました。Uさん曰く「この人が空いているゲルを知っているらしいんです」と。私は当たり前のように「電話で確認したの?」と聞くと「そんなことしませんよ。とにかく行くだけです。」とのこと。そしてやってきました。なかなかいいじゃないですか!しかもゲルは2軒借りられるとのこと。それは素晴らしい。「このハイシーズンのピークなのに、なんでここは2つも空いているんでしょうか?」と聞くと「どうもあのさっきの川の近くのゲルが有名らしく、みんなあそこを予約するんだそうです」とのこと。全然問題ありません。なかも綺麗です。これらはカザフっぽい装飾ですね。カザフのゲルは内部をこうした手織物で装飾すると聞いたことがあります。ゲルの中にいたお母さんも頭におしゃれなスカーフ?を巻いてます。これはイスラム教ってことなのか、こちらの方々の習慣なのかはわかりません。ゲルの中にはお米もありました。聞けば、これは中国のコメではなく、隣国カザフスタン産のコメだそうです。それにしても、これがモンゴル旅行!という感じです。どういうことか?・ちゃんと事前に宿を予約した。但し、遠い遠い行ったこともない田舎。・行ってみたら、予約はされてなかった。・1日目はドライバーの遠い親戚の助け、2日目は知らない地元のおじいさんの助けでなんとかなった。予約していても実際どうなるかわからないのがモンゴルであるとともに、それでも結局何とかなるというのもモンゴルだということです。今夜はよく眠れそうです。(続く)
2022.07.15
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今回の訪問では、教育関係の方々とも会っています。最初に日本的教育をベースにモンゴル有数の中等学校となった新モンゴル学園に行きました。場所はウランバートル市東部の街の中にありました。ここは2000年に日本の山形大学や東北大学に留学していたガルバドラッハさんが設立された学校で、今やそのグループの学校は9つにも及ぶそうです。その理事長さんであるガルバドラッハさんの学校設立の思いなどを伺いました。日本の教育の良い点を取り入れながらも、モンゴルらしさも生かした思いに、真面目で教育熱心な方なんだと思いました。そこで、日馬富士学校(新モンゴル学園のグループ校です)についても聞くと「今から連絡するから、会いに行けばいい。」と紹介してくれることになり、実際に行きました。場所は、新モンゴル学園が東部で街中にあるのに対して、新モンゴル日馬富士学園は西部にあり、広いキャンパスを持った立派な学校でした。元横綱日馬富士が学校を作ったというのは聞いていましたが、やはり実際に見ると大きくて立派でした。写真では全部を写すことはできませんでしたが、全部で3棟から成り立っています。2018年創立です。ロケーションは、市街地から新空港(及び旧空港)へ向かう途中にある場所で、渋滞がなければ中心部から車で30分もかからないところです。(但し、渋滞はいつもありますけど)10年前のこの辺は、まだ時折遊牧されてる牛や羊がいたほどの、のどかな場所でしたが、今では都市の発展と共にたくさんのマンション、ショッピングセンターなどが立ち並ぶ地域となりました。急なアポイントにもかかわらず、日馬富士不在ということで奥様でManagement Managerのバトトールさんと対外折衝担当の方が校内を案内してくれました。私はあまりモンゴルの中等学校(モンゴルは小中高一貫教育が基本です)を見た件数が多いとは言えませんが、今まで見たどの学校よりも広く快適そうな校舎でした。理事長室の前を通った時、「日馬富士さんは週にどのくらい来られるのですか?」と聞いたら「基本的に毎日です」と岩手大学出身のバトトールさんはきれいな日本語で答えました。「昨日も来ていましたし、本当に毎日来てます。子供たちのことを考えるのが好きなんですね。本当に今日はたまたまいないんです。」と。モンゴルではもう夏安みに入っていますから、理事長が不在だとしても不思議ではないのですが、日馬富士は基本的に100%教育に没頭しているそうです。私が「投資とか、ツイッターとかで忙しいあの横綱とは違うんですね?」というと、「横綱は教育だけです」と言ってました。ちなみに、バトトールさんは私たちとの会話では、日馬富士のことを横綱と呼んでました。大きな体育館を見せてもらいました。この写真ではわかりにくいですが、大きな平らな屋内スペースが少ないこともあり、企業がイベントなどで貸してほしいということもあるそうです。更に図書館にも行きました。なかなか立派な図書館でした。夏休みではありますが、スタッフの方々が本の整理などをやってました。本棚を見ると、モンゴル語の本とは別にかなり多くの日本語の本がありました。そのほとんどは、日本人からの寄贈だそうです。分野的には、いかにも子供向けの本から、普通の小説などもあり、中には「新潟県高校入試」という受験対策用の本もありました。これらは、恐らくいろんな日本人の方々が不要になった本を寄付したんだろうなという感じでした。「でも、本の数はまだまだ不十分なんですよ」と言ってた通り、大きなな図書館の本棚にはまだスペースが空いていました。うーむ、私は今まで何箱も処分のために超安値で古本屋さんで処分してきましたが、こういうところで読んでもらえるなら、その方がいいなあと思いました。本は重くかさばるので、輸送費の問題になるかもしれませんが、考えてみたいと思います。同時に、この学校の生徒らに私が書いた本を読んでもらいたいと思い、5冊寄贈することを申し出ました。日本の感覚では2018年設立と言えばまだ新設校で、評判はこれから徐々に高まるかもしれないという感じですが、現地のモンゴル人に聞くと「いや、もう人気校です。私の親戚の子もここに入れました」と言ってました。わずか6‐7年で今では1500人を超える生徒数だそうです。高校から入学した生徒らは既に卒業生も出ており、日本へ留学した人も多いそうです。先に訪問した新モンゴル学園と合わせて、生徒数は300人以上にもなる大きな姉妹校ということです。学校の案内や会議室でのミーティングを終え、帰るために入口ロビーに出てきたまさにその時でした。上下ジャージ姿の日馬富士が目の前を通りました。私たちが驚いていると、バトトールさんが簡単に紹介してくれ、横綱自らこちらへやってきて、挨拶と握手をしてくれました。急遽、名刺を差し上げてあいさつしました。間にいる方が、バトトールさんです。さらに、「じゃあ、写真撮るか?」と自ら申し出てくれて、一緒に写真に納まりました。3人で撮りました。驚いたことに、横綱は挨拶もそこそこにロビーにあるグランドピアノに歩いていき、そこでピアノ演奏を始めたのです。今は夏休みですし、私たちが今来た時もこのロビーには誰もいませんでした。つまり誰に聞かせるわけでもなく、自分一人でピアノ演奏を楽しんでいるようでした。学園内には、横綱のプロレベルの絵(東京で個展をやったこともあるほどの腕前)や書も飾ってありましたが、音楽もたしなむのを見て、やはり想像通りの芸術肌の人なんだなと思いました。夏休みのだれもいないロビーで上下ジャージ姿でピアノを弾く日馬富士を見て、本当に教育をこの学校を愛しているんだということがひしひしと伝わってきました。非常にすがすがしい気分になった日馬富士学園訪問でした。
2023.06.28
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何軒ものゲルを回っても、宿泊用ゲルはもう満杯のようです。一体どうなるのか?と思ったら、そのゲルが立ち並ぶところから少し離れて動き出しました。もちろん、実際には私には何が起こっているのかはさっぱりわかりません。で、深夜にとあるゲルに到着。ここで泊まれるのかと思って中に入ると。なんだか生活感溢れるゲルです。子供も寝そべっています。私たちが中に入ると、真夜中にもかかわらずお茶の支度をしてくれました。お茶モンゴルではこうしたお茶(スーテーツァイやチーズなど)は、客(宿泊客ではなく、普通の客人)がゲルに入ると何も言わなくとも出されます。客人を大切にする、遊牧民の文化ですね。聞けば、ここはドライバーJさんの親戚にあたる人のゲルだそうです。宿泊用のゲルはありませんが、隣に空いているゲルがあるとのことで、そこでよければ泊ってもいいということになったのです。「おー、それはありがたい!こんなところで野宿することになったら、私は凍死するだろうから。」と喜びました。その時は、、、で、深夜に隣へ行ったのですが。恐らくそちらは普段は使っていないゲルなんでしょう。最初は喜んだものの、段々ヤバさを感じてきました。まず電気がありません。もちろん、このようなゲルに電気が配電されていることはありませんが、隣の母屋(人が住んでいる方)は自家発電により明るくテレビもあります。ストーブだって温かく、心地よく眠れそうですが、こちらはほぼ火が消えかけた状態です。ゲルのベッドは木で組んであり、その上に布団かマットレスがあり、その上に掛布団があるのが「普通」です。でも、ここはただの空き家なんです。だから、木の上に薄い布がかけてあるだけで敷布団はありませんし掛布団もありませんし、枕ももちろんありません。しかも真っ暗。私とUさん、Nさんの3人がこちらで寝ることになったのですが、寝具はないのです。幸いというか、Uさんのおかげというか、こちらへ来る当日の朝、Uさんから「どんなところかわからないので、とりあえず薄手の寝袋でも買っておきましょうか?」と連絡があり、私は「夏に寝袋を使うなんてあり得ないだろう。屋外キャンプじゃあるまいし。」と思っていましたが、せっかく言ってくれたUさんに「はい、お願いします」と買ってもらっていたのです。まさかそれが本当に役に立つとは!ですが、私のは本当に薄手の寝袋で、UさんとNさんのはもっと厚いです。確かにモンゴルでは秋にゲルやキャンプに泊まるには必須ですけど。しかもデールスタイルのダウンコートまで持ってきており、それを着て寝ます。私はというと、寝間着代わりの薄手のジャージの上下。寒いのでその上からフード付きのトレーナーを着て、靴下は履いたまま寝ました。当然ですが、そんな恰好で「東京の冬での屋外キャンプと同じ状態」、いや、東京ではなく新潟と言ってもいいくらいの寒さです、雪はありませんが。そんな環境で眠れるのか?私は結局朝まで一睡もできませんでした。寒いのなんのって、特に足の方が寒くて寒くて。もう少し何かを着ようかと思ったのですが、なんせ真っ暗です。枕代わりにしていた、もう一つのフード付きトレーナーを夜中に着ましたが、大した効果はありません。とにかく足の先、足首、膝くらいまで寒いのなんの。凍傷になるのって、こうやってなるのかな?と思ったほどでした。薄手の寝袋の中で膝を曲げて丸まって寝ようとしましたが、結局眠れなかったのです。UさんとNさんは、寒かったけど、私よりずっと重装備だったので、ちゃんと寝たようでした。こういう最果てっぽい場所では、観光気分の日本人は全く情けない存在です。朝起きて周囲を確認しました。素晴らしい風景です。雪もあります。昨日、真夜中に到着したので全く周囲はわかりませんが。左手に見えるゲルは母屋です。右の木造の物置の裏にあるゲルで寝ました。眠れなかったけど。そしてゲルの近くにはイーグルが。このイーグルは観光用で、後で再会します。そもそもここは一体どこなのでしょうか?聞いても地名らしきものはなく、「タバンボグドのふもとの村」と説明されるだけです。というわけで今日の目的地はタバンボクドの山の近くまで行くことなのです。この地図のGerとあるのが、寒くて眠れなかったほどのゲルがある場所。左にある国境付近のMt. Khuiten Peakというのがモンゴルで一番高い山、フイテン山です。フイテンというのは「寒い」という意味です。名前の通りですね。地図中央左にあるウルギーというのが空港のある県庁所在地です。ウルギーからこのゲルまで地図上で直線距離は60km程度ですが、くねくね道での走行距離は200kmということです。タバンボグドというのはモンゴル西部にあるアルタイ山脈にそびえる大きな5つの山を意味し、今回の旅行で私が指定した目的地の一つです。モンゴルの神聖な山として誰もが知っています。日本の富士山のような存在です。ちなみに、タバンボグドという財閥グループがあって、トヨタやユニ・チャームなどの日本製品を販売しています。フイテン山は4,374m、今回泊ったゲルの標高は3,000mちょっとだそうです。そりゃあ、寒いに決まっているわ!!そんなことも知らされずに気楽な格好で来て眠れないのも全く馬鹿な話です。来る直前まで「Tシャツ、半ズボンでいいかな?」なんて思っていた己の馬鹿さ加減に呆れました。(続く)
2022.07.13
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いろいろありましたが、昨日はシャワーも浴びてよく眠れました。昨晩は10階のレストランからの眺めを楽しみながらワインも飲めたし。ですが、不思議なことにワイン以外は何も出してくれませんでした。遅い時間でキッチンを閉じたのは分かりますが、いわゆる乾きものとかピーナッツとか。なんでもいいから下さいとお願いしましたが、かたくなに「ワインだけです。他はありません!」だって。でも「レストラン・バー」と名乗っているんですけどね。さて今日の午後にウランバートルに戻りますが、その前に例の世界遺産が気になっていました。で、調べてみると。。。なんと、初日に行ったタバンボグドの麓の村から結構近い場所にあったようなのです!うーむ、悔しいです。こんな絵が見られたはずだったんですね。岩絵の数はなんと数千点も!書かれたのは古いもので紀元前1万Ⅰ千年から紀元前6千年!!気が遠くなるほど昔の絵です。その頃の日本は、縄文時代?もっと前かな?残念ですが、仕方ありません。やはり本当に行きたいところは、他人任せにせずに自分で調べて自分で明確に位置まで確認しないと、モンゴルでは難しいということがよくわかりました。日本のように「群馬県にある世界遺産は?」と聞かれれば、誰もが答えられる国とは違うってことなんです。まだまだ甘いです、私のモンゴル経験は。ということで、今日は遠出は諦め、ウルギーの街を歩くことにしました。そうなればやはり行きたいのはザハ(市場)ですね。田舎のザハ巡りは楽しいですから。ということで、ドライバーのJさんファミリーが店を持っているウルギー中心部にあるザハに行きました。こちらのザハは、大きな屋根付き建物の中にたくさんの店があるタイプではなく、ごちゃごちゃした通路の周囲に小さな店がたくさんあるタイプでした。通路の幅は、とても車が通れる大きさではありません。中で売っているものは、多くはウランバートルで見られるのと概ね同じです。ウランバートルでは、かなり日本製品が買えるようになりましたが、この1200km離れた西の端の県ではどうでしょうか?やはりあまり日本製品はありません。最初に見つけたのは、日用品。花王もライオンもない中、唯一あったのがユニ・チャームです。ユニ・チャームはウランバートルのタバンボクドという財閥が流通を担っています。地方のザハにまで配架しているとは立派です。他にはヤマサの醬油なども。これは?読める通りの商品ですね、パン粉です。キリル文字で説明が書かれていましたが、パンコは世界共通語になってのでしょうか?これ↓を見たら、Uさんが「あ、カルピスの真似だ!」と。これは韓国ロッテの製品です。私も韓国でいろいろ見ましたが、確かに韓国では日本製品のコピー商品が多いです。モンゴル人にも「日本品のコピー」であることが知られているとは凄いです。これは、え?日本のお米??はっきりと「日本の米」と書かれています。が、私がウランバートルで知っている価格帯とは随分違います。で、よく読むと、これはベトナム産米で商品名が「日本米」なんです。こんなのあり??ザハを少し離れたスーパーにも立ち寄りました。さすがにスーパーはほとんどウランバートルと同じような品揃えです。で、日本酒を発見!3種類の日本酒がありました。製造元はというと、、、日本酒裏なんと3本とも新潟県ではないですか!!しかもそのうちの2種類は、村上市です。凄いです!ウルギーの高級スーパーでの日本酒は新潟県産シェア100%!!値段を見ると、そんなに高くないのです。1800円くらい。え?日本でも多分1000円くらいですから、まあまあの値段です。Uさんは「買って帰ろうかな?」と言います。私はラベルをよく見ました。2016年製造です。6年前?ワインじゃあるまいし、ちょっと古いかな?そもそもこのお酒はどういうルートでここへやってきたのでしょうか?私の多少の経験と勝手な想像を入れて、ストーリーを考えました。この酒は2016年に新潟県の北端、村上市で生まれたのです。通常はそれは県内はもとより、東京や大阪にも出荷されるでしょう。小売価格を900円とすると、どうでしょう、卸価格は675円、蔵出し価格は585円くらいでしょうか。そもそもこうした適正価格で流通していたら、どうなっているでしょうか?村上の蔵から585円で出たお酒は酒卸店に行きますが、モンゴルへの輸出などの場合は輸出専門の卸経由で輸出されます。村上から、横浜または神戸の港、そこから中国天津港へ。そこで列車に乗り、北へ行き、ザミンウッド経由でウランバートルへ。ウランバートルの輸入元はそれに2-30%程度のマージンを乗せ、小売店へ。小売店はさらに25-30%のマージンを乗せ販売。しかも日本の流通コストと違って、段違いに高い輸送費が必要となります。酒税の差などを考慮しても、ウランバートルで2000円なら御の字でしょう。ですが、ここは西の端のバヤンウルギー。ここまでトラックで運ぶしかありません。とまあ、いろいろ考えると、そもそも村上を空瓶で出発したとしても、相当なコストがかかります。恐らくこういうことではないかと推測します。村上の酒蔵で、残念ながら売れ残ってしまった酒があった。2―3年もたつと、なかなか国内では捌けない。だったら一層のこと海外へ。輸出専門卸と交渉し、例えば「卸価格585円だけど、300円でどうだ?」「いや、200円なら」などの交渉があったに違いない。それでウランバートルに来たけど、それでも売れ残ってしまった。最後は、バヤンウルギーへ安く卸しちゃえ、と。ちょっと悲しいけど、そんな背景を感じてしまいました。村上、頑張れ!結局、Uさんは買うのを止めました。でも、村上とバヤンウルギーがつながったことは事実ですし、このルートが通常品のルートになればいいなと思いました。こんな妄想をしながら、楽しいバヤンウルギーの旅を終えたのでした。今回は単なる旅の記録ですが、実はこのバヤンウルギーは歴史的にかなり重要な場所なのです。そもそも「なぜモンゴルにカザフ人が90%以上もいる県があるのか?」など、興味は尽きません。それについては、またいつか本ブログでお話ししたいと思います。(完)
2022.07.19
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車は県庁所在地のウルギーの街を出ると、ほんの5分くらいで舗装道路なしの道が続きます。国土が日本の4倍もあるモンゴルは、私が住んでいた10年ちょっと前にはまだまだ舗装道路は少なかったですが、その後ウランバートルから県庁所在地21都市には舗装道路でつながるようになったと聞きました。ですが、それはあくまで県庁所在地までです。そこから各県内への道路は未だほとんどが未舗装道路となっています。とはいえ、大草原をランクルで走る限りはかなり快適に走れますし、モンゴル人ドライバーであれば時速80kmから100kmで走ります。日本人ドライバーは?普通の人では難しいでしょう。一番の違いは「目」です。大草原は一見、何もない穏やかな道に見えますが、そこかしこに「穴」「小川」や「角ばった石」などが散在しています。100km近いスピードで走るには、かなり先の障害物まで見えないといけません。日本人の1.5とか2.0などではとても先は見通せないです。あっという間にパンクするか、最悪転倒もあり得ます。そう思って乗っていると、スピードはかなり遅いです。理由は大草原らしきものが全くなく、ほとんどが「土の中や上」に石がゴロゴロしていることです。ヨーロッパの石畳のような人工物ではなく、自然の石が車の往来で土の中に埋め込まれている感じです。石が全部埋め込まれていればいいのですが、半分だけとか、角ばった部分だけ地上に出ているという感じで、さすがに高速走行は難しそうです。誰もいない、邪魔する物体は何もない道ですが、せいぜい40-50kmでの走行です。これで200kmくらい走るのです。200kmを時速40kmから50kmで走るとなると、単純計算で4-5時間かかります。目的地へ出発前に、食事しました。私はウランバートル出発前に食べていたので、全然お腹は空いてはいませんでしたが、「この先食べるところはないでしょう」と言われ、ホーショールを食べました。ナーダム・ホーショールというわけです。(ナーダムの時期にはみんなホーショールを食べます。ホーショールはハンバーグのようなミンチ状の肉を餃子のように包んで油で揚げた、国民食です。大きさは普通の餃子の4-6倍くらい?)車にも補給が必要です。ガソリンスタンドに給油中、地元の女の子らが私に駆け寄ってきました。私は大体どこへ行っても、お年寄りの女性と小さな女の子にはなぜか人気があるのです。雰囲気や風貌で私が地元のカザフ人でないことはすぐにわかるでしょう。カザフ語ではなく、モンゴル語で「サエンバエノー」と声をかけてきました。私のモンゴル語レベルは5-6歳の子と話すのにちょうど良いレベルなのです。「おいくつですか?」と聞くと恥ずかしそうに「ゾルガー」(6歳)と答えました。バヤンウルギー県は首都と時差は1時間。日本との差は2時間です。デジタル腕時計の時刻はウランバートル時間のままですし、携帯電話も首都時間です。ちなみに、携帯はウルギー市街を出るとほどなくつながらなくなりました。私は日本から持って行った、日常使っているiPhoneとモンゴル国内電話である旧式Nokiaを持参していました。このNokia、もうかれこれ14年近く使っているでしょうか?さすがにモンゴル国内でもこんな古い携帯電話を持っている人は見なくなりました。日本だと、携帯がつながる場所はインターネットもつながります。ウランバートルも同じです。ですが、田舎に来ると、携帯の電波が届かない地域、通話用の電波は届くがインターネットはつながらない地域、両方ともつながる地域に分かれます。県庁所在地以外では、前者の2地域がほとんどでした。スマホも、電波がつながるマークはあるのに、ネットはだめということです。ウルギーを出たのは5時をかなりすぎていたので、順調に言っても真夜中前かなと思いました。時差調整しても、こちらの夜は明るいです。これでも現地時間の夜9時くらいです。それにしてもというか、道は石でゴロゴロしています。ずっとゴロゴロしています。ここまで石が多い道はさすがのモンゴルでも初めてです。というか、いわゆる草原が全くないもの初めての体験です。車はこんな感じで走ります。モンゴルの中央部およびその東部の草原で、1時間走っても「ゲルが1つもない」「家畜がほとんどいない」「石がない道がない」というのは恐らくあり得ないのではないかと思います。草原の代わりにあるのは、山々とブッシュ、石の道です。4時間を過ぎたころからいよいよ今日の宿泊ゲルの本格的な位置調査です。当然ですが、グーグルなんてものは使えません、ネットがないのですから。しかも電話も使えない、電波ないですから。宿泊の予約はUさんのカザフ人の友人(この人には私も会ったことがある)の友人のTさん経由で予約しています。が、なかなか見つかりません。もちろん、もう深夜です。外へ出ると、あまりの寒さに驚きます。「夏にしては寒い」というレベルではないのです。絶対的に寒いのです。なんとかゲルがいくつかある地域に辿り着きました。が、UさんとドライバーのJさんの様子が変です。要するに「予約済みのはずのゲル」で聞くと「あなたたちの予約は入っていません」というのです。ウランバートルのTさんに確認しようにも電話が通じません。外は寒いです。東京で言えば秋ではなく冬です。仕方なく、近所にあるゲルを一つ一つ回りましたが、どこも満室です。日本で言えば、お盆か正月のトップシーズンですから、空いているとことはまずありません。もっと先まで行ってみようと思った矢先、その先の方から戻ってくるランクル軍団に会いました。彼らも「この先のゲルは全部埋まっている」と。は?この寒い中?私の服装からすれば「極寒の中」で、泊まるところがないの?どうなるんでしょうか?(続く)
2022.07.12
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2日目の夜は、前日寒くて眠れなかった反省から「靴下2枚重ね」「下半身はジーンズを履いた上にジャージのズボンを2枚重ね」「上半身は、下着、長袖シャツ、フード付き厚手トレーナー2枚重ね」で十分な寒さ対策をしたうえで、寝袋に潜り込んで寝ました。この対策を見ると、とても真夏の旅行とは思えませんが、これがモンゴルです。結果は、よく眠れました。この辺は標高2000m程度なので、さすがに前日ほど寒冷でなかったのも良かったのでしょう。朝、早めに起きて散歩しました。山の中の朝は気持ちが良いです。私が泊まったゲルの向かい側のゲルです。ゲルの前に馬がつながれており、ロシアンジープも止まっていました。ゲルの中から人がこちらに向かってきました。私が声をかけると、人懐こい顔で「サエンバエノー」と言いながら来ました。聞けばウランバートルから2つの家族で来たそうです。「え?あのロシアンジープで来たのか?」と聞くと「UBからはそれぞれの乗用車で来たが、その車はウルギー(県庁所在地)に置いて、ロシアンジープとドライバーをレンタルして、2家族合同で旅行している」と言いました。モンゴル人は都会に住んでいても、遊牧民の血が騒ぐのか、皆休みになると郊外や草原に出たがります。私が日本人だと知ると「シンゾー、残念でしたね」と言いました。安倍さんは、恐らくモンゴルで最も人気のある外国人政治家だと思いますが、どんな田舎に行っても、今回の事件のことは知っており、みな悲しんでいます。日本人の政治家で、こんなに外国人の「庶民」に人気があった人はまずいないでしょうね。さて出発です。今日は県庁所在地のウルギーまで戻ります。うまくいけば、世界遺産を検索して今日か明日に行くことができるかもしれません。途中、観光地っぽいところに寄りました。滝を見るんだそうです。タバンボグドの高地とは違い、ここでは圧倒的にロシアンジープが多いのです。やはり観光地なのでしょう。ロシアンジープのほとんどは個人所有ではなく、旅行ツアー用と思われます。滝のある所まで歩きます。が、思った以上に遠いのです。後でわかりましたが、万歩計で2万歩を超えるほどでした。しかもかなりの登り道で、私にはちょっときつかったです。その時、前を歩いているおばあちゃんを見て「おー、これは完全なグローバル化の象徴だ!」と思いました。スタバこのおばあちゃんが持っている水筒はなんとスタバの水筒です。しかもモンゴルにはスタバはないのです!つまり、このおばあちゃんかその子供か孫が、外国でこの水筒を買って、それを首都から1200km以上も離れたインターネットもつながらないこの地で、水筒として持って歩いているのです!グローバルで平和な世界でないと、こんなことは起こりえませんから、素晴らしいことだと思いました。数キロほど歩いて、ようやく近づいてきました。が、岩場でとても危険な状態です。日本であれば「立ち入り禁止」区域になっているでしょうね。四つん這いになりながら、岩の間を歩くのですが、狭く、険しい。しかも、この写真からほんの少し左側へ行っただけで、崖から落ちるような場所です。更に通れる場所はかなり細いのに、行きも帰りも同じところを通ります。ウランバートル市内の渋滞を思い出しました。モンゴル人は「譲り合う」ということをほとんどしませんから、そりゃあ大変な渋滞になります。もちろん、ここも同じでした。滝は日本の感覚で言えば大きなものではありませんが、モンゴルではそもそも滝は少ないので、みんな近寄ろうと人気です。それらの観光も終え、帰路に就こうとしましたが、その前にランチです。当然、食堂やドライブインなどはありません。ですが、いくつかの観光用ゲルで食事を提供するところがあります。外見だけでは普通のゲルと同じでわかりにくいですが、ドライバーのJさんにはもちろん見分けられます。私は羊の串焼き(このメニューでは一番上)を希望しましたが、その担当シェフが不在とのことで、結局みんなモンゴルうどんにしました。これだけ見ると、素うどんに見えますが、この中に羊の肉がたっぷり入っていました。そして出発。ここで私がいけないことを言ってしまいました。モンゴルでは、先のことを言う、悪いことを口にするのは良くないとされています。特に旅の時には。禁句はいろいろあります。「今日は何時ごろ着くのだろうか?」(先のことは口にしてはならない)。「雨が降らないといいけどね」(良くないことを口にしてはいけない)など、日本人の感覚では「え?なんでそこまで?」というのがあるのです。もちろん、私は十分承知していましたが、久しぶりのモンゴルで、その辺をすっかり油断していました。私が口にしたのは「いやー、今回のドライバーさんいいねー。だって、あんな石ころばかりの道を走っていて、未だパンクもないんだから!」と。言った途端にUさんに「あ、そんなこと言っちゃだめですよ」と言われ、私もその失言にすぐに気づきました。「あ、ヤバいね、ごめんなさい。」その2時間後です。パンクご覧の通りです。これは完全に私の責任です。ごめんなさい、ドライバーのTさん!パンク修理も終えて、なんとか出発しました。(続く)
2022.07.16
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モンゴルからのニュースによりますと、ウランバートル市は2030年に観光客を年間500万人受け入れる計画だそうです。そのためには、今後6年間で様々なプログラムが実施されるそうです。ですが、聞いただけで「それは無理だろうな」と思うようなものが多いのが残念です。データを見ると、現在の観光客数はおよそ年間50万人程度のようです。10数年後に今の10倍の観光客というのは、無謀ではなくチャレンジングな目標だとは思いますが、そのためにやるべきことが多すぎる気がします。私は観光云々ではなく、まずは普通の国になることが先決だと思います。今のモンゴル、特にウランバートルは外国の人々にとって魅力ある観光地ではなくなっているのは事実でしょう。世界経済フォーラムの発表によれば、モンゴルは外国人に不親切な10か国の一つに選ばれたそうです。これだけでも、大きな目標もいいけど、まずは普通の国レベルになってほしいと願います。またモンゴルを訪れる観光客が被害にあう犯罪(スリ、傷害、強盗、脅迫行為)の8割はウランバートルだそうです。なのでいくつかのガイドブックには「観光客はできるだけウランバートル市で長期宿泊せずに地方を訪れるようアドバイスしている。」と書かれているそうです。また具体的な観光客へのアドバイスは「ウランバートル市で警察に助けを求めない方が良い。」ともあります。これも笑えない事実でしょう。これらは観光客を増やすため云々とは関係なく、まずは当たり前の国、普通の国になることが大事だと示唆しています。それらの現状をどう解決するかには言及せず、「微笑みのモンゴル-歓待のUB」キャンペーンを実施する、とあります。これにはウランバートル市民、公共サービスを提供する職員が参加するのだそうです。いやー、冗談でもここで公共サービスを提供する職員、つまり公務員が登場するのには驚きます。モンゴル滞在中に様々な公務員に窓口などで接しましたが、普通の国レベルからは50年か100年は遅れているんじゃないかと思うほど、ホスピタリティとは無縁の人々です。威張り散らして、仕事をしない。一般人はおろか、外国人となると一層見下すというか、面倒くさがるという雰囲気が前面に出ます。公務員を使うというだけで、このプログラムが機能しないことがわかります。また面白いのは、不法滞在対策についてです。ウランバートル市観光局長によれば「旅行会社が観光客を不法滞在させた場合、二度とその国から観光客を入国させられない。」のだそうです。現在、モンゴルへの観光客は中国人が約5割、ロシア人が4分の1、1割が韓国人、日本人は数パーセントのようです。で、局長が言うように例えば中国人の一部が不法滞在したとしましょう。そうすると、二度とその国から観光客を入国させないとなり、中国人旅行客は大幅に減りますから、とても10倍になんかいかないでしょう。更に、「多くの観光客が来るのだからリスクがあるから、多くの観光客が来る場合軍や警察を増強する。」とまで言ってます。うーむ、こんな感覚の人が観光局長をやっている限りは残念ながら無理でしょうね。私が30年前に初めてタイに行ったとき、タイはとても貧しい国でしたが、人々はやさしくまさに「微笑みの国」でした。また治安もよく、夜ホテルから気軽に街に出るのも怖いことはありませんでしたし、タクシーも安くボルこともありませんでした。空港で怖い客引きもいませんでした。(UBの白タクとは大違いです)ホテルは日本の一流ホテルも顔負けなほどのサービスでかつコストパフォーマンスに優れていました。いくら安全でも「警察や軍に守られている」なんて感じたこともありませんでした。今では世界有数の観光国になったタイ。モンゴルも観光立国を目指すなら、もう少し違った視点で考えないといけないと思います。なんか、最初からボタンのかけ違いみたいな政策を進めようとしているような気がしてなりません。今のままだったら、私も「UBは到着時と帰国時だけで、あとは田舎に行った方がいいですよ」とアドバイスするでしょうね。
2014.04.29
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「昔の面白いブログシリーズ」の第23回目です。2009年2月27日付けの「お正月の「あいさつ訪問」その1」を載せます。9月の今から見ればお正月は季節外れではありますが、過去の本ブログの中でもページビューがトップ10に入るくらいの人気ページです。モンゴル人の「生活」を少しでも感じていただけたらと思います。以下、掲載します。今日2月26日はお正月の2日目です。昨日初日の出に連れて行ってくれたDさんが「明日、親戚の家を訪問するので、一緒に行ってみますか?」と声をかけてもらいました。もちろん「はい、是非!」と答えました。モンゴルのお正月は、かなり遠い親戚も含めて皆あいさつ回りに出かけます。一方で、そのあいさつ回りを受ける家もあるわけです。昨日のSSさんのお宅はまさに、あいさつ回りを受けていました。逆に、あいさつ回りに出かける方の立場もちょっと見たい気がしていましたので、早速今日出かけました。今朝は最初から、私はドジってしまいました。昨日「明日は、父の家に来てくださいね」と場所まで教えてもらっていたのに、Dさんの自宅の方へ行ってしまいました。電話すると「どこにいるのですか?見えませんが・・」というわけで、あわててDさんのお父さんの家に移動しました。Dさんのお父さん宅です。お住まいは、アパートです。昨日のSSさんのお宅のように、中央に羊がドーンと乗っていて、隣にパン(クッキー?)でできた高いお菓子の山があります。Dさんに聞いたら、これがモンゴルのお正月の基本形だそうです。これにボーズを加えれば、日本のおせちみたいなものなんでしょう。とても数日では食べきれない量です。Dさん宅では、ちなみにボーズは1700個作ったそうです。ここでのあいさつはそこそこにして、皆であいさつ回りに行くことになりました。お父さんやお姉さん夫婦など総勢私も入れて8人で移動です。最初は、お父さんのお姉さんのお宅に行くことになりました。お父さんのお姉さん宅も市内中心部に近いアパートでした。なんと97歳とのことです。とてもお元気そうでした。新年の挨拶状が大統領から直接届いていました。この方のご主人(94年に亡くなられています)は、かなり位の高い軍人でモンゴルでも最高の勲章をもらっていたそうです。周りにはそのご主人やこのお姉さんの若い頃の写真がいくつも飾られていました。なんだか歴史を見ている気がしました。97歳のこの方が若かった頃・・・多分70年前以上でしょう。若い頃の写真は、とても綺麗できりりとした感じの女性でした。これは壁一面に貼られた、旦那さんの様々な記録です。お孫さんが作ってくれたのだそうです。よく見ると、それこそ戦前の新聞や、ご主人が活躍された記事などがたくさん載ってました。「1945年の戦争でも活躍した」と聞き、第二次大戦終戦の時かな?だとすると、ソ連軍侵攻に合わせて来たモンゴル軍にいたのかな?などと思いを馳せました。更には、(よく覚えていないのですが、)Dさんのお祖母さんにあたる方は、ノモンハン事件(こちらではハルヒンゴル戦争と言います)の時の日本語の通訳をしていたのだそうです。Dさんの日本語の先生の血は、まさに血統書付なのです。とにかく、こちらでお年寄りの方のお話を伺っていると肌で「歴史」を感じます。このお宅でもテーブル中央には、ドーンと羊が乗ってます。羊は「しっぽ」「お尻」が大きいのが良いとされてます。この羊のお尻は立派です。写真の左半分で、大きく丸みがかっているのが「お尻(しっぽ?)」です。お正月の訪問では、まず最初に一番年上の方へあいさつをします。この家の場合は、この97歳のお祖母さんです。その時、子供や孫らはそっとお金を渡していました。日本は子供にお年玉ですが、こちらではお年寄りにお年玉なのです。私はお年玉の代わりに写真を差し上げました。インスタントカメラのチェキを持ってきたのです。デジカメもいいですが、なかなかその後写真を渡すこともできないので、チェキで撮って差し上げました。何枚か撮って差し上げたら、喜んでくれました。これはチェキの写真を見ている様子です。右側がDさんのお父さんで中央がその97歳のお姉さんです。Dさんのお譲ちゃんもとてもかわいいです。最初は恥ずかしがっていましたが、段々慣れてきたようです。9歳ですが、英語は結構上手です。部屋には、亡くなったご主人の写真や賞状などが飾られていましたが、その中に目立つ写真がありました。ダライラマです。ここモンゴルは歴史的にチベットとは深い関係にあり、宗教もチベット仏教を源とするモンゴル仏教です。ダライラマの下のある写真が、亡くなられたご主人です。ダライラマの写真は、ここモンゴルではよく見ます。多分、世界で一番中国人が嫌いな国民であろうモンゴル人がダライラマを尊敬しているのは、チベットが中国ではないことの一番の証左かもしれません。中国の主張通りであれば、ダライラマは中国人ということですから。全体に、とてもお年寄りが大切にされていると感じました。車の乗り降り、階段の上り下りなど、必ず子供や孫が手を携えて支えます。なんとなく、日本では「昔の光景」にように感じてしまいました。ここモンゴルは儒教の影響はないと思いますが、長老をいたわる気持ちは大変強いと思いました。お土産を頂いて、次のお宅へ向かいます。この97歳の方の妹さん(多分?)のお宅訪問です。
2019.09.16
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逸ノ城が引退するとの発表がありました。当然、上位を狙えるだけの素質があるだけに残念です。逸ノ城は、本名アルタンホヤグ・イチンノロブ(Алтанхуягийн Ичинноров)といい、アルハンガイ県出身の本物の遊牧民でした。「モンゴルは草原の国で、小さいころから遊牧で足腰を鍛えられている」などと勘違いしている日本人は多いです。白鵬をはじめ、朝青龍、鶴竜などの有名横綱は皆、ウランバートル育ちの都会っ子で、遊牧民ではありません。日馬富士もゴビアルタイ出身と紹介されますが、実際はウランバートル生まれの都会っ子です。そんな中で、初めて本物の遊牧民が登場してきたときはインパクトありましたね。2014年の新入幕の時は「黒船来襲」とまで騒がれ、新入幕力士が横綱(鶴竜)と2大関(稀勢の里、豪栄道)を倒したのは史上初で、13勝を挙げる快挙でした。新入幕の翌場所に関脇昇進は昭和以降では初となり、そのまま順当に昇進を続けると期待されました。しかしその後は、幕内上位を行ったり来たりで、なかなかいい成績は続きませんでした。また体重増によるけがが多かったとも報道されました。しかし2022年には幕内優勝をし、完全復活かと期待されました。ですがその頃から、親方との確執も伝えられるようになり、成績もまた不安定になりました。が、今年の3月場所で十両優勝をし、よしこれからだ!というときに突然の引退発表となったのです。わずか2か月前に十両優勝したばかりなのにと思うととても残念です。報道によれば、腰の痛みが限界に近く、夜は横になって寝ることもできないほどで、座ったまま寝たとも書かれていました。そうであれば、確かに体に限界が来ているのかもしれません。親方との確執が原因ではという推測もあるようですが、どっちにしても身体がいうことをきかなければ相撲は取れないでしょう。四股名は「イチンノロブ」の「イチ」、人並み外れた才能を持つ「逸材」の”逸”と相撲留学をしていた鳥取城北高校から”城”を取り、「逸ノ城」と名付けられたそうです。現在は日本国籍を取得しているので、日本人です。一般に外国人力士が日本に帰化するのは、相撲協会の幹部として残るため(親方になるため)なのですが、どうやら逸ノ城は相撲協会には残らないようです。この辺にも、親方との確執が影響しているのかもと思ってしまいます。今の幕内で遊牧民出身は、ドルノド県出身の霧馬山くらいでしょう。本物の遊牧民の子が日本で大きく活躍する姿を楽しみにしていただけに残念ですが、本人の決断ですから見守るしかありません。恐らく、引退の準備なんかは全く考えてなかったでしょうから、今後のことは本当にこれから決めるんだと思います。まだ30歳と若いんですから、第二の人生を思うように歩んでほしいと思います。お疲れさまでした。
2023.05.04
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