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先日の日記に、たくさんのコメント、メッセージ、メールをいただき、本当にありがとうございます。姉も、私のブログの一読者であり、ここに遊びに来てくれるお友達のことも、ハンドルネームで話題にさせてもらったりしていたので、皆さんにコメントをいただいて、姉も喜んでいると思います。姉は交友関係が広かったので、葬儀のときに、連絡がいってない人もまだまだいるようで、私のブログを見て、駆けつけてくださった方もいらっしゃいました。本当に、皆さんのメッセージ、ひとつひとつ、噛締めながら読ませていただいています。少しずつ、お返事させていただいています。感謝しています。死は、本当に、いつ誰に訪れるか、分からないものですね。私は33歳になりますが、今まで、自分と直接つながる人は、祖父母くらいしか亡くしたことがなく、それでも、まだ早かったな、もっと話したかったな、と思っていたのに、たった一人のきょうだいと、こんなに早くお別れが来るとは、想像したことさえありませんでした。でも、このくらいの年代になると、早すぎるつらいお別れを経験している方は、少なくないのですね。いただいたメッセージにも、そういったご自分の経験をお話して、励ましていただいた方も多くいらっしゃいました。そうそう、寂しさは癒えないけれど、前向きにがんばっていらっしゃる、そんな姿に、とても励まされました。悲しみは、重ねるほどにやわらげられるような気さえします。2週間が過ぎ、一緒に住んでいたわけではないので、自分のうちですごしている分には、普通に過ごせています。食事も睡眠も、きちんととれるようになりました。少し前までは、眠っていても、夜中や朝に目が覚めたときに、夢ではないんだ・・という絶望感で、胸がドキドキして、苦しくなっていましたが、時が過ぎるにつれ、少しずつ治まってきた気がします。でも、パソコンを触りながら、買う気にまでならなくとも、ネットの布やさんを徘徊していたりして、「あ、姉に教えなくちゃ」と思ってしまったり。実家にもちょくちょく顔を出しては、父や母とも話をしたり、仏壇の前でコーヒーを飲んだり、まだ何もかわっていない、姉の部屋でボーっとしたり、現実を受け入れつつも、まだ、姉のぬくもりをもとめている気がします。もう少し、時が経たないと、しょうがないところですね。ネットショップは、オーダーの受付はしばらくストップさせていただくことにしましたが、それ以前にお受けしていた分は責任持って、お仕立てすることにしていますが、先週から、コハクが嘔吐下痢に・・。ひどいときは点滴に行ったりしていて、落ち着いたかと思ったら、また吐いたり、なかなかすっきりしません。来週あたりから、取りかからせていただきますので、もう少しお待ちくださいね。縫い物をしたい気持ちはあるんです。布を触っていると、心が安らぎます。姉もきっと、私の作品を楽しみにしてくれてると思うので、ぼちぼち再開しようと思います。今日も取りとめのない文章ですが、ただいまの心境ということで。本当に、ご心配いただいている皆様には、感謝しています。私には、支えてくれる夫や、かわいい子供たちがいます。宝物です。そして、私は両親を少しでもはやく、安らかな気持ちになれるように、支えていく課題があります。でも、無理はしない。甘えられるところは甘えます。泣きたいときは泣きます。弱音だって吐きます。少しずつ、がんばっていきます。それが、大好きな姉への恩返しだと思っています。**昨日、夫の祖母が亡くなりました。ちょうど夫が夜休みをとっていた日だったので、夕方から家族みんなで鹿児島まで行ってきました。夫の祖母は91歳。とても安らかできれいなお顔でした。姉とはあったこともないけど、親戚に当たるわけだし、何かの縁だと思って、姉がもし、迷っていたら、助けてもらえるようにお願いしてきました。
2006/11/16
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まだ、心の整理がつかないので、書くかどうか、迷ったのですが、何か、そのことに触れていたくて、書くことにしました。読んでいただく方には、寂しい気持ちにさせてしまうと思いますが、よければ読んでいって下さい。1日の日に、私の実の姉が亡くなりました。3つ年上の36歳。持病を抱えていましたが、服薬を続けていれば、問題なく日常生活できるくらいでした。最近は調子もよいといっていて、先日の日記にも書いていたように、姉の友達のお花屋さんに委託販売を始めたので、31日にも、値札や納品書の話をしに、2人で出かけたのです。姉も趣味で洋裁をしていたので、その日は、作ったマフラーなど、一緒に持っていきました。小物は苦手だし、体調のこともあるので、メインは私に、ということで、少しずつでもやっていこうと。その日は、1週間前から、とびひになって、保育園にいけないけど元気なコハクも一緒で、バタバタとしていましたが、行き帰りの車の中や、我が家に立ち寄って、これからの作品作りや、いろいろな話をたくさんしました。娘たちが学校から帰ってきて、保育園のお迎えの時間になったので、「気をつけてね」と送り出しました。それが、最期の姿でした。1日の夕方、さあ、ご飯を食べようか、としていたとき、父から電話があり、知らされました。もちろん、父ももう、落ち着きを失っている状態で、私も呆然として、電話を切られた後、叫んでいました。それを聞いて、娘たちも大泣き。でも、どうしても信じられなくて、叔父に電話をしました。叔父のところにも電話があったと聞いて、とにかく実家に行こうと、夫を仕事先から呼び戻しました。行かなきゃ分からない。そんなはずがない。実家に着くと、警察の人たちが、来ていて、すぐにはあえませんでした。前日から、生理痛がひどいといっていました。父もそれを聞いていて、よくそれで一日部屋から出てこないこともあったので、またそうだろうと、寝かせておいたようです。夕方に、ご飯だと呼びに行くと、もう、冷たくなっていたと。独りで、何も言わずに、いってしまったんです。独りで亡くなっていて、父も昼間家を空けたりしていたので、推定時刻や、事件性がないかを確かめるために、警察が入ったのです。もちろん、事件性はありませんでした。でも、はっきりとした、原因もわかりませんでした。推定時刻は、午前1時ごろ。私、日がかわる前の午後10時ごろに、メールだってしていたんです。そして父も、いつもなら、寝込んでいても、何度か覗きに行くのに、その日に限って、夕方まで行かなかったと、悔やんでいました。父も母も、隣の部屋に寝ていて、何も気がつかなかったと、悔やんでいました。姉の顔は、眠っているようでした。小さいころから、耳鼻科系が悪く、鼻が詰まりがちだったからか、いつも少し口をあけて寝ていました。本当にその顔と同じなのです。苦しむことなく、眠ったままいってしまったのかな。そう思うだけで、少しは救われた思いでした。それからは、バタバタと、姉の友達に連絡をしたり、葬儀についていろいろあって、まだまだ受け入れられないのに、やることはたくさんあって、時間だけが過ぎていきました。姉の友人たちも、一様に、信じられない、と泣きぐずれました。2日にお通夜、3日に告別式、4日に出棺、と、一通りのことは済み、5日日曜は長女の音楽教室のコンクールでした。一緒に見に行って、その後ご飯を食べようね、と、みんなで約束していたのに。姉は独身だったので、私の子供たちをとてもかわいがってくれました。特に、娘たちは、もう一人の母というより、頼りになる親友のように慕っていて、私に話さないことも、姉には話していたくらい。なので、娘たちのショックもそれはそれは大きいもので、コンクールもどうするか、できないならいいよ、といったのですが、長女は、姉が見にきてくれると約束していたので、出る、といいました。私も、そのための衣装を作ることにしていたのだけど、仕事が忙しくてなかなか作れなくて、亡くなる前の日、姉が家に寄ってくれた時に、相談して、布合わせや、デザインを決めてくれたんです。だから、コンクールの前の日の夜に、作りました。できました。それを着て、長女、立派に演奏ができました。きっと、見に来てくれていたでしょうね。今日は、娘たちも学校へ行きました。私も仕事はたまっているけれど、少しボーっとして、これを書いています。でも、少しだけ休んだら、また、がんばって仕事します。ここ1年半くらい、姉も洋裁にはまって、一緒に布やさんの更新に騒いだり、情報交換したり、縫い物を通じて、とっても密に連絡を取り合っていたんです。そして、さらに私にがんばってもらおうと、委託先を探し回ってくれたり・・。私がこの仕事をがんばれば、姉も喜んでくれるでしょう。もっともっと、いろんな思い、出来事、書きたい事、いっぱいある気がするのですが、(書いていいものかどうかも悩むところですが)、今日はこの辺で。支離滅裂な文章を、読んでいただいた方、ありがとうございました。もう少し、気持ちが整理できたら、また書かせてもらおうと思います。
2006/11/06
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