間違い 0
全121件 (121件中 101-121件目)
昨日は午前中2時間ほど病院へ行き、レセプト点検と患者さんの家族への説明をして、お昼にお客さんに一昨日採ってきた山菜で料理を作ってご馳走するというので、家に帰りました。ワラビにコシアブラ・タラの芽の天麩羅、豆腐とワサビ漬け、ミヤマイラクサとソーセージの炒め物、ネマガリタケの焼き物。ウドの酢味噌、コゴミの胡麻和え。豆腐とオカラは藤橋の道の駅で買ってきました。アマゴ寿司とアマゴの甘露煮(これも坂内村で買ってきました)、家で採れた筍とエンドウ。女房の山菜料理も天神坂を始めいろいろなところで食べさせていますので、なかなかのものですよ。さて、午後からはもらった皇帝ダリアやジャーマンアイリスやら、挿し木したギンバイカなどを定植しようと思っていたら、警察から呼ばれました。三河湾スカイラインでオートバイ事故があり検案をお願いしますとのこと。首が取れた人は救急車も運んでくれません。行って見ると、250ccのオートバイでカーブで曲がりきれずにガード柵に激突したようですが、何処で切れたのか首が後の皮一枚でつながっている状態でした。両側の頚動静脈、前頚筋群、胸鎖乳突筋、気管、食道、頚椎がすべて切れていました。もちろん即死です。検案をして遺族に引き渡す前に、一応首を縫って繋いであげました。如何に名医でも死んだ人を生き返らせることはできません。私も3年前にオートバイ事故で下顎2ヶ所、右前腕2ヶ所の骨折をしましたが、首はつながっていました。亡くなった方はさくらの旦那さんと同じくらいでした。さくらの旦那さんもオートバイに乗っています。気をつけてね~。明日は連休最後の日ですね。山へ行くか、海へ行くか迷いますが、海にしました。
2008年05月05日
コメント(10)
昨日、とうとう前時津風部屋親方と兄弟子3人が傷害致死容疑で逮捕されました。今朝の朝日新聞朝刊です。それに伴って愛知県における検視検案体制の不備が指摘されています。私は蒲郡の警察医もしており、蒲郡市における異常死体の検案を一手に引き受けています。他の警察署にも警察医は一人ずついますが、検案業務はもともと警察医の本来の仕事ではありません。気分よく引き受けてくれる警察医ばかりではありません。犬山署の場合もあまり慣れていないドクターが検案をしたのではないかと思います。「二重条痕」があったと書かれています。これは表面が比較的平らな鈍器(ビール瓶、バットなど)で殴られたときに出来る皮下出血で自分で転んだりして出来るものではありません。少し慣れたドクターならば見落とすようなことはありません。昨日も午前中の一番忙しいときに検案で呼ばれました。話をきくと、41歳の男性が昨日頭痛と嘔気で市民病院にかかり、風邪薬をもらって帰ったようですが、朝見に行ったら死んでいたというものです。見落としの臭いがぷんぷんしますね。これは問題になりそうなケースですので、放っておく訳にはいきません。外来患者さん15人くらいに訳を話して1時間くらい待ってもらいました。独身の男性で近くに母親と弟が住んでおり、一人暮らしですが、食事は母親と一緒に食べています。昨日も夕食を一緒に食べて、まだ調子が悪そうだったが、一人で帰って寝たそうです。母親が9時ころ心配して電話をしましたが出なかったそうです。朝食事におきて来ないので、見に行ったら鍵のかかった家の中で布団から這い出すような格好で死んでいました。外傷はなく、硬直は全身に強く出て、死斑は体前面に強く発現し、圧迫により褪色します。結膜に溢血点は無く、瞳孔は左右同大でした。内因性急死であることは間違いないですね。昨日頭痛と嘔気を訴えていたことからまずクモ膜下出血を考えて、後頭下穿刺をして、髄液を採ってみます。透明でした。次に2ヶ所から血を採って、トロポニンTの定性検査をしてみました。トロポニンTは心筋の障害があると血中に出てくる酵素で、上の頚静脈から採った方が陽性に出ました。う~ん、心筋梗塞でしょうか?今までにそのような症状はなかったようですが、かなり太った方でしたから、動脈硬化が進行していた可能性はあります。家族の方に検案の結果を説明します。「外表検査と簡単な髄液と血液の検査では急性心筋梗塞が死因として最も疑われますが、もっと死因をはっきりさせるのには病理解剖が必要です。もしよければこれから病院に運んで病理解剖をしますが、・・・。」と言いましたが、「そこまではしてもらわない方がいいです。」とのことでしたので、「それでは病院に帰って、さきほどの死因で検案書を書きます。」と言って戻ってきました。死因に疑問がある場合は解剖をしてもらうべきです。力士の虐待死事件でも解剖をして初めて死因が外傷性ショック死と判りました。解剖にもいろいろな種類があります。犯罪の関与が疑われる場合には警察が裁判所の許可をとって、司法解剖をします。病院で亡くなって死因を調べるときには遺族の承諾をとって、病理解剖をします。異常死体で犯罪死ではないが、死因が判らないときに遺族の希望や監察医の勧めで行う行政解剖というのがあります。しかし行政解剖は東京都以外では殆ど行われていないのが現状です。私は剖検医資格も持っており、保健所の許可がなくても解剖をすることができます。
2008年02月09日
コメント(10)
昨日から今朝にかけて蒲郡は久し振りの雨でした。しばらく降ってなかったので、ありがたいと言えばありがたい雨ですが、夜海鼠獲りも行けなかったし、朝走ることも出来ませんでした。写真がありませんので、今日は写真なしの日記を書きましょう。昨日午後は付属の看護学校の試験の採点をしていました。病院の北側に市立のソフィア看護学校があります。しばらく講師はしてなかったのですが、今年消化器内科が人がいなくなったので、頼まれてまた消化器疾患を教えることになりました。1年生30人くらい、11月に4回講義(1回90分授業)をして、昨日試験をしました。教科書で200頁くらいの範囲ですが、○か×かの二者択一問題50問出しました。結果は、最高点は86点、60点未満の不合格者が5人、50点以下が3人もいました。二者択一問題ですから、出鱈目につけても50点は採れるはずなのですが、器用に反対をつける学生がいるのですね~。可愛い顔して何を聴いていたのかね~全く”ソフィア”って『知』を意味するのじゃなかったっけあ~、『詭弁』という意味もあったっけお蔭で再試験の問題を作らされました。再試験は半分は同じ問題を出すからね試しに、うちの可愛い弟子にやらせてみたら、90点でした。ちょっと難しいのかな~まあ、知識よりも人の心が解る看護士さんになって欲しいんですけどね今週、土曜日は東京でJTUの理事会に出て、夕方八王子でコメツガさんの忘年会にでます。楽しみですね~日曜日は奈良でスポーツドクターの研修を受けて、夕方蒲郡の走友会の忘年会
2007年12月13日
コメント(18)
最近消化器内科が人が減って、吐下血は他の病院に回しますという宣伝が市民、開業医に行き渡り、過剰な反応で市民病院がもうだめだという風評が立ったのか、関係のない乳癌までがんセンターへ紹介してくれという患者さんが増えてきた。愛知県では隣の岡崎にがんセンター愛知病院、名古屋にがんセンター中央病院がある。もちろん、Second Opinion を聴きに行くことは悪いことではない。しかし、聴きに行くと大抵向こうで手術する人が多い。乳癌は手術だけでなく、その後の治療(放射線療法、化学療法、ホルモン療法)もあるし、経過観察も必要ですから近いところの方が便利ですよというのですが、名前に釣られて名医のもとを去って行く人は多い。私は沢田研二の”勝手にしやがれ”を歌って送り出す。「・・・。やっぱり~お前は出ていくんだな~。悪いことばかりじゃないと~、鞄につめこむ気配がしてる~。行ったきりならしあわせになるがい~い~。戻る気になりゃ~いつでもおいでよ~。せめて少しはカッコつけ~させてくれ~。・・・。」ここでちょっとカッコをつけて、私の乳房温存手術を紹介しましょうこれくらいの創が残るのが普通です。このくらいで満足する人もいますが、・・・。最近では傍乳輪切開や乳房外縁切開で殆ど創が残らないように切っています。いずれも左乳癌の術後です。これが私の温存手術(北斗有情拳)。。。「あたたたた・・・。もうお前は治っている。。。」
2007年12月07日
コメント(21)
昨日は皆さんからバッシングに会ってしまいましたが、くれぐれも遊んでばかりいたのではありませんよ。名大の第二外科の行っている、プライベートな研究会に出て今井講師の同級生の菅沼先生の講演を聴いてきました。不妊治療にも取り組んでいる産婦人科の先生です。若い乳癌患者さんで治療後に子供が欲しいという人に卵巣組織を凍結保存して治療後に戻してやると子供を作ることができるという話は面白かった。また現在日本では60人に一人が試験管ベビーになっているという衝撃的なお話もききました。終わってからの情報交換会にも出てきました。私が出席者の中で一番の年寄りでした。COOLPIXでフラッシュオフにして撮ってきました。帰りにミッドランドスクエアを見上げるとトナカイの絵が浮かんでいました。消えてる部屋は仕事をしていないのでしょうか?名古屋駅もライトアップしていました。COOLPIXの手持ち撮影ですが、まあまあですね。昨日は小春日和で暖かかったので、蜜柑畑の隣の土手でヒメアカタテハが日向ぼっこ。ツマグロヒョウモンも来ましたよ。一昨日鉄平が載せていましたが、えなっこが8ヶ月でプールデビューしたそうです。泣かなかったようです。鉄平は3歳にプールデビューして、1ヶ月くらい泣きながら通っていたけれど、・・・。うふふ。。。孫とトライアスロンの夢が。。。
2007年12月02日
コメント(18)
昨日は忙しかった。朝、救急外来の前を通ったら、見たことのある患者さんが出てきました。その方は乳癌で手術して私の外来に何年来通っている方でしたが、そのご主人が腹痛で救急外来にかかっていたのです。これは外科へ回ってくるかなと思っていたら、案の定でした。私は午前中何もない日で、病棟で乳がんの末期の患者さんがいるので、診ていたら、外来の可愛い弟子から電話があって、「CTを撮って、急性腹症で外科へ回ってきた患者さんが手術になるなら、是非私に」とご指名がかかった。診に行くと、朝の患者さんで、尋常の痛がり方ではなく、CTを見ると小腸の一部に壁内気腫があり、肝臓の中にも門脈ガス血症を伴っていました。手術既往のない67歳、男性です。これは緊急オペしかありません。すぐに、オペ予約と麻酔科の先生を頼みました。最近はお腹の手術は下の人に任せているのですが、ご指名とあらば仕方ありません。(半分嬉しかったりして)麻酔の準備などで結局執刀は11時半からで、開腹するころには血圧70くらいに下がっていました。脱水と敗血症性のショックです。開けると臭いにおいがして、小腸の上部が約30cmに渡って腐っていました。上腸間膜動脈の一部に血栓がつまって血行障害を起こしたものでした。壊死した腸管を切除して端々吻合して、お腹の中を洗ってドレーンを入れて閉じました。13時には手術は終わりましたが、まだ血圧が低いので、ICUへ移ってPMX(エンドトキシン吸着療法)を行いました。13時半から乳腺外来がありますので、他の人に頼んで、14時から来年の研修医の追加募集で来た学生さんの面接試験があったので、それに出て、乳腺外来に降りて行くと、10人くらいの患者さんが待っていました。5分で昼飯を食べて、乳腺外来とこの前直腸癌の局所再発が見つかった方の家族への説明と手術の予約をして、17時半までかかってしまいました。それからICUへオペ後の患者さんを診に行って、外科病棟へ昏睡状態になっている患者さんを診に行って・・・。それから駅前に飲みに行ったら麻酔をかけてくれたドクターKがいて、一緒に飲みました。今日は午前半日休みをもらってまた飯田の山へ入る予定をしていたのですが、行けるでしょうかさて、西田川でところどころに生えているこの草は花はついていませんが、細い繊細な葉が房のようについていて、白っぽい緑色は周りの枯れかけた草と比べるととても綺麗に見えます。これはアリノトウグサ科の抽水植物で南米原産の帰化植物、オオフサモです。関東以西に拡がっているようですが、とても繁殖力が強くて、特定外来生物(外来生物法によって、栽培・販売・譲渡は原則禁止、許可があればよい)に指定されているそうです。熱帯魚屋ではパロットフェザーという名で売られているそうです。西田川でもあちこち広がってきました。サクラタデのすぐ隣にも群生していました。隣に生えているミゾソバとのツーショットです。綺麗だから許すかでもそのうちに西田川はクレソンとオオフサモに占領されてしまうかも
2007年11月09日
コメント(18)
4時過ぎに病院で呼ばれた。11年半前に早期胃癌で手術した方が、膵臓がんで亡くなった。2年ほど前から腫瘍マーカーが上がりだして、いろいろ検査したが、判らず結局愛知県がんセンターに紹介して調べてもらったら、膵体部がんで、手遅れだった。今、お迎えの車を待ちながら書いています。反省すべき症例。今日は走る時間がなくなってしまった。山芋の印し付けでも行こう。待っててくれたSさんと子供の国の端へ山芋の印し付けに行きました。山道を登って行ったら、カワムラフウセンタケ(食)が出てました。少しホコリ臭いけれど湯でこぼせば食べられる。山芋のツルを4本ほど見つけて印をつけた。印は単純、でもこの下ではない。そこから山側に1m離れたところにある。ここには何も印をつけない。ムカゴも少し採った。アケビもまだあったので、採ってきて、朝飯を食べに行った王将へ置いてきた。さて、この前作ったツルウメモドキのリースですが、実が弾けて綺麗に色づきました。1ヶ月前に作ったのが内側にあるが、やはり今度の方が色がよい。10月終わりごろまで待った方がよいということですね。今日は、夜豊橋で乳癌の研究会にひとつ出て、それから車で富士山まで走り、明日は朝からコメツガさんと最後の富士山キノコ狩りを楽しみます。
2007年11月02日
コメント(8)
昨日は仕事が終わって、名古屋のターミナルホテルアソシアで胃癌化学療法の講演会を聴きに行った。終わってからの情報交換会で同級生の名大第二内科の後藤教授に会ったので、人を送ってくれと直訴。今うちの病院の消化器内科は愛知医大の若い人が3人しかいない、指導医がいないので、今にも辞めそうな雰囲気、消化器内科が駄目になると外科も駄目になる。指導医クラスを一人送って欲しいと頼む。昨夜はその後、知多の方へ電車で帰る。玄関にはヤマユリが山盛りになっていた。明けて、今日も予定がびっしり。まず、女房と一緒に車で蒲郡の保健センターへ年に1回の人間ドックを受けに来ました。途中で一色の魚市場へ寄ってみてきました。8時15分に保健センターへ着いた。一番早かったので、ぐるっと一回りして1時間半で終わりました。これが、私の一番苦手な採血、人のを採るのは平気なんだけど、・・・。おしっこを採って、胸部X-Pを撮り、血圧測定、身長・体重、聴力検査、腹部超音波、心電図、眼科検査、胃透視をしました。終わってからモーニングを食べに行き、その後bokeabさんちへ、梅干を持って行き、歓談。次に春日浦へ女房を連れて行ったら、大勢潮干狩りに来ていましたので、少し見学。子供がマテガイを獲っていましたので、見ていましたが、そのうちに女房もやりたくなって、おばさんにもやらしてと子供におねだり。マテガイつかみ、初体験。帰りにこれだけ、マテガイをもらってきました。その後、女房に洋服の青山へ連れて行かれて、替えズボンを3本買わされました。午後、名古屋医療センターへデジタルマンモグラフィーの講演会を聴きに行ってきました。今、レントゲン診断は殆どデジタルの時代になり、電子カルテの普及に伴ってフィルムで見ることは少なくなりました。しかし、マンモグラフィーについては、まだフィルムマンモグラフィーの方が情報量が多いとされています。しかし、流れはデジタルに向かっています。あといくつかの技術的な問題が解決すれば、デジタルマンモグラフィーの時代が来ます。夕方、知多へ帰り、知多ランナーズの納涼バーベキュー大会に出ました。私がトライアスロンの世界に入る前には、一緒にあちこちのマラソン大会や駅伝に出た仲間たちです。30才代のころです。今やメンバーが高齢化して、平均年齢も60才に届きそうです。昔のように走りに行くことも少なくなり、これから会の運営をどうするかという話になりました。毎月担当を決めて、マラソンだけでなく、いろいろな企画をして、集まろうということになり、それなら私も山菜採りやらキノコ採りやら競艇のコンペを企画しましょうということになりました。
2007年07月28日
コメント(14)
台風が近づいています。空梅雨でも困るけど、あまりたくさん降っても被害が心配ですね。この台風の影響で我々トライアスリートも予定変更があります。鉄平のホームページから盗作。今週末に開催予定であったにっぽん音吉トライアスロン大会が台風4号の影響で開催中止となった。他にも、長崎大島大会が中止、徳島の日和佐大会、福島の小名浜大会が延期となり、各地で台風の影響が出ている。いくらトライアスリートでも、自然の脅威の力には勝てない。長い期間をかけて、この直前まで準備を進めてきた大会主催者、スタッフの皆さんは対応が本当に大変だと思う。この場を借りて感謝の意を表したい。そして、また来年美浜に帰ってきたい。 さて、出場予定の大会がなくなり、気が抜けたのか、どっと疲れが出た。今週末は家でローラーくらいしかできないし、久々にのんびり過ごせそうだ。8月5日の長良川、9月2日の佐渡に向けて、再度気合を入れなおそう。私も日曜日は美浜の音吉トライアスロンに鉄平の応援がてら顔を出そうと思っていましたが、行く必要がなくなりました。潮もよいので、昼ごろ春日浦でアサリでも獲ってきたいんですが、・・・。今のところ雨は降っていますが風はそんなに強くありません。午後4時から蒲郡プリンスでまた乳癌の講演会です。これも当番世話人になっているので、座長をしなければならない。大学の同級生の佐藤先生に講演を頼んだ。外来化学療法(抗がん剤治療)は最近どんどん増えている。今病院全体で月に70件ほどしているが、そのうち70%は外科の症例、その半分は私がしている。今外来化学療法室を作ってもらっている。10月くらいに稼動予定です。午前中は病院へ一昨日手術した胃全摘の胃癌の方と、昨日手術した乳癌の人を見に行って、お昼に患者さんの家族と会う予定があって、潮干狩りに行って、講演会に出て、それから飲み会かな~。朝は雨で走れなかったし、写真も撮れなかったよ~撮りだめしてある最近の画像から、ハマユウの花。ツリガネニンジンの花。カラスウリの花。ゴマダラカミキリも。気持ち悪いものを見たい人もいるといけないので、サザエの顔。天然ウナギは、豊橋の市場で1尾1100円でした。女房は知多でミニコンサートがあったようです。リクエストがありましたので、載せますね。お色直しもしたらしい。私の好みは、・・・
2007年07月14日
コメント(19)
昨日は月に1回の外科の当番で拘束だった。午前中入院患者の回診をして、後は24時間蒲郡に待機している。まず、朝7時に中央公園に行きました。久し振りに蒲郡走友会の朝練に出ました。今日は坂本コースです。ゆっくり皆と一緒に走り出しました。8時半に病院へ行かねばならないので、途中で皆と別れて白竜池の方を回って一人で帰りました。7kmくらいかな?オカトラノオが咲いていました。クズの葉にとまるヤマトシジミ。花のような虫こぶがありました。午前中の回診が終わって、遅い朝飯を食べて、さあ今日は汐がよいので、春日浦へまたマテガイでも獲りに行こうかと思っていたら、救急外来で呼ばれました。34歳、女性、昨夜2時ころから急に腹痛が始まったそうです。行ってみるとかなり痛がっています。右下腹部を中心に圧痛、腹膜刺激症状があります。白血球数は15,700と増えています。CTを撮ってみると腹水がかなり貯まっています。独身女性ですが、女性を見たらまず妊娠を疑えというのが鉄則ですので、すでに研修医が婦人科部長にコンサルトしていました。尿の妊娠反応も陰性で婦人科疾患は考えにくいというので、それでは急性腹症として外科で開けましょうということになりました。一番に考えるのは虫垂炎がすすんで腹膜炎になったというケースですが、まあ開けてみないと判りませんと言って、全身麻酔で開けることにしました。可愛い弟子と研修医のKさんを呼んで、手術を始めました。これは可愛い弟子の別の手術の写真です。まず、傍腹直筋切開で回復すると真っ赤な血液が噴出してきました。CTで写っていたのは腹水ではなく、出血だったのです。700ccほど貯まっていました。すぐに婦人科部長に来てもらいました。黄体破裂による卵巣出血だったのです。子宮外妊娠破裂かと思うほどの出血でしたが、妊娠反応は陰性だし、卵巣出血でもこれくらい出ることがあるそうです。婦人科部長の指導のもと、可愛い弟子(まだ4年目ですが)が執刀しました。一度右傍腹直筋切開は閉じて、正中で開けなおして、右卵巣の破裂した黄体を楔形に切除して縫合止血しました。排卵後に性交渉をすると、時に黄体が破裂することがあるそうです。婦人科部長は診察の時に昨日性交渉があったことをしっかり聞きだしていましたが、そこまで解っていたら、どうして婦人科のものではないと言ったんでしょうか?まあ、誤診ですが、いずれにしても保存的にはみることのできないほどの出血ですから、よしとしましょう。排卵後の性交渉はあまり激しくしないようにと、婦人科部長のお言葉でした。終わってからK研修医を連れて、春日浦で少しアサリを掘り、子供の国でマダケのタケノコを採りました。
2007年07月01日
コメント(14)
4月30日に鶴舞の名古屋市公会堂で名古屋大学病院・関連病院卒後臨床研修ネットワーク総会&Meet the Director がありました。これは、毎年この時期に名大の学生が主催してやっている会で、名古屋大学病院と名大関連病院の代表が一同に会して、学生に各病院での臨床研修プログラムと研修環境を提示して、学生の方も訊きたいことを直接病院側から説明を受けて、来年の研修病院を決めるための材料とする会です。約50近い関連病院の代表と300人近い来年卒業予定の学生が集まります。名大の卒業生は100名くらいですが、関連病院全体では臨床研修医の受け入れ枠が500名くらいありますので、他大学卒の学生も大勢聴きにきます。うちの病院も臨床研修医が来ないと人手が足りないので、病院の業務が滞ってしまいますので、宣伝募集に行かねばなりません。院長、副院長とともに臨床研修委員長をしている私が出かけました。今年来ている研修医2人も客引きに連れて行きました。最初に総会で名古屋大学病院長の松尾先生の挨拶、東海北陸厚生労働局からも来賓で来ています。もともと、新医師臨床研修制度が平成16年度から始まる前から、名大関連病院では非入局自主ローテートという学生が作ってきた研修方式の40年近い歴史があり、名大方式と呼ばれていました。前の方には、関連病院の代表者が、後の方は学生が並んで聴いています。総会の後、小さな部屋に分かれて、4つくらいの病院でそれぞれグループを作って、病院のプレゼンテーションをします。うちは、碧南市民病院、春日井市民病院、名古屋医療センター(旧国立名古屋病院)とグループを作って、各病院10分づつでパワーポイントを使って病院の宣伝をしました。学生は前半、後半とふたつの会場で計8つの病院のプレゼンテーションを聴くことができ、自分が研修病院候補として考えているところに行って聴きます。そこでは質疑応答はなく、その後に行われるブース形式の説明会で質疑応答が行われます。ブース形式では各病院に机がひとつと椅子が5脚づつ与えられます。そして学生の訪問を待ちます。学生が訊きにくると笑顔で迎えます。前の右側は春日井市民病院です。うちの左隣は刈谷豊田総合病院で、行列のできる病院でした。うちにはなかなか学生が来てくれません。うちのブースには30分くらい誰も近寄りません。そんなに恐い顔して座ってたわけではないのですが、・・・。でも右隣の東海産業中央病院にも誰も来ていません。会場の中で不人気ナンバーワンを争っていました。研修医の客引きもあって、何とか3人訊きに来てくれて、右隣の0人には勝ちました。昼の休憩時間に鶴舞公園を散歩。フジ(ノダフジ)が丁度よかったです。フジはツルが右巻きで花が根元から順番に咲きます。それに対してヤマフジはツルが左巻きで花が一斉に咲きます。これはフジですが、花穂が長いのでノダナガフジでしょうか来年の研修医はこの後、学生が病院訪問をして、ある程度絞って、面接を受け(それでも平均3.6くらいの病院を受験します)、学生側と病院側とがそれぞれ順位をつけてリストを出して、それをコンピューターでつき合わせて研修病院を決めるマッチングということが行われて最終的には10月ころに決まります。毎年5名の研修医を募集していますが、昨年は11名が面接を受けにきましたが、マッチしたのは2人だけでした。今年はどうかな~帰りに院長の奢りで、手伝ってくれた研修医をスペイン料理の店に連れて行きました。
2007年05月02日
コメント(10)
昨日は柔整の新年会だった。柔整とは柔道整復師いわゆる骨接ぎさん、接骨師で国家資格である。これも保険でかかることができるので、私は国民保険の審査に月4回名古屋の国保会館へ行って、レセプトの審査をしているが、医科の審査と柔整の審査をしている。審査員は全部で10名ほど、半分は柔道整復師、半分が整形外科と外科の医師がしている。本来、柔道整復師は急性期の外傷の治療を担当することになっている。しかし、実際には慢性疾患(変性疾患や骨粗しょう症などに伴う慢性疼痛)の治療がされていて、3ヶ月ごとに病名をつけかえて延々と治療が続けられている。三症、四症の病名で月に20日以上治療に通っていると高額(月¥30000以上)になってしまう。おかしいな~と思っても、医科と違って、原則、査定(支払いをカットすること)はできない。返戻(付箋をつけて戻し、理由を書いてくれば原則通す)しかできないことになっている。柔整はどんどん増えているが、病院の整形外科は増えていない。今の保険医療の仕組みがおかしいのです。柔整の審査はストレスになるだけで誰もやりたがらない。今日は、年に1回の柔整の新年会、日頃の労をねぎらって、国保連合会が接待してくれる。これも税金の無駄遣いか?近くの古い料亭で宴会です。ビールで乾杯のあと、最初は柚子に魚介類とトマトが詰めてあるものが出てきました。次は鮎の姿寿司とアワビにコゴミ。侘助が添えてありました。伊勢えびの刺身にオコゼの刺身、湯引きしたオコゼの皮と肝もついています。ワラビがつまについていました。鱧の吸い物に板ワラビが乗っていました。お酒も出てきました。続いて焼き物は鰈。ホタテとカニ、飲み物もビール、お酒、冷酒、焼酎とちゃんぽんになってきました。ついで、蕗の薹と白子の天麩羅。次にシロウオの刺身、いつもここはシロウオの踊り食いが出るのですが、今日は刺身をポン酢でいただきました。最後は先ほどの伊勢えびの頭が味噌汁に入って、出てきました。デザートもありますよ。まだ、新年会が四つ残っている。私の右隣りには、東海高校の陸上部の先輩で、現在加○病院の副院長で整形外科をしているA先輩がいました。4年先輩ですので、一緒に練習したことはないのですが、当時、東海地区の高校記録を作った名スプリンター(100m10秒8、走り幅跳び7m28cm)で、名大の医学部に入り、スーパーマンとはこういう人のことを言うんだろうな~と憧れたものでした。今でも格好いいですよ。昔の写真を1枚出しましょう。これは私が中学3年の時の写真、このころ、陸上部で走り高跳びをしていました。100mは12秒8くらい、幅跳びは5m68cmを飛びました。高飛びは1m65cmくらいでしたが練習で肩を痛めて、中・長距離に転向しました。100m10秒台、幅跳びで7mを超えるなんて雲の上の人でした。
2007年02月22日
コメント(14)
昨日は愛知臨床外科学会が名古屋であり、発表に行ってきました。日本臨床外科学会の地方会である。現在、いろいろな学会に入会している。全国学会9つ、地方会4つ、それから三河地区だけでやっているものも5つくらいある。全部出るわけではないが、医学の知識は日進月歩なので、ときどき学会に出て新しい知識を吸収してこないといけない。また専門医資格を3つ持っているので、この更新をするのにも研修実績と発表などの業績が必要になる。発表をすれば、出張費が病院から出るが、聴きにいくだけだと、年に2回しか出張で行かせてもらえない。だから年に4~5回は発表をする。昨日のは、地方会で知った顔の先生ばかりで、比較的気楽にしゃべれるので、準備も前の日に一夜漬けでする。昔はスライドを作らねばならなかったが、今はパソコンでパワーポイントでの発表だから、ブログを書くように簡単だ。学会発表も5分くらいの口演だから、スライドにして10枚くらいである。あまり、たくさんのことは喋れないので、要点をひとつに絞って話すようにしている。昨日の発表のポイントは乳癌の術後経過観察中に乳癌の腫瘍マーカー(血液検査で測る)で大腸癌が見つかることがあるということ。乳癌の腫瘍マーカーとして、CEAとCA15-3を測っているが、そのうちのCEAは大腸癌でもあがる。こういう多種類の癌であがるマーカーをクロスマーカーという。2例の乳癌術後にCEAが上がってきて、大腸癌が見つかった。どちらも、乳癌は第2期の乳癌で、再発しそうにない乳癌なので、おかしいと思い大腸を調べた。どちらの症例も大腸癌を手術で取ったらマーカーは下がった。症例1ではまた上がってきて再発が見つかりまた取り、また下がったが、また上がった。また再発が見つかりまた取ったら下がった。毎回取り残しがないように気をつけてはいるのだが、・・・。さて、今日の夜は豊橋市の医師会で乳癌検診の講演を頼まれている。これは1時間くらいの講演だから、準備も大変。でも一夜漬け。ようやく終わってブログを書いている。早朝特訓で採ってきたリナリア、雑草化しているところがある。
2007年02月13日
コメント(20)
昨日の朝日新聞、岐阜県立多治見病院で、倫理委員会が回復の見込みのない80歳の男性の延命中止を容認したが、院長は県と相談して、中止を認めず、3日後に人工呼吸器をはずさなかったが亡くなったという記事が出ていた。この舟橋院長は私の大学時代の内分泌研究室の指導医だった先生で、昨年多治見で内分泌外科学会の会長をした。男性は食べ物を喉に詰まらせて、心肺停止状態で病院に搬送されたが、救急蘇生で心拍だけは再開したが、呼吸は戻らず、人工呼吸器をつけられた。男性は生前「重病になり、将来再起の可能性がないとすれば延命処置をしないでほしい」という文書を家族に託しており、問題となった。病院の倫理委員会(今では大きな病院ではどこにでもある)を開催し、男性の治療に関わっていない医師2人から「回復の見込みがない」との診断を得て、人工呼吸器をはずすことを容認して院長に結論を報告したが、舟橋先生は県に相談したうえで、「国の指針などが明確でなく、現段階では医師だけが責任を問われかねない」として、倫理委の決定を認めず、治療続行を指示したものである。私と違って、石橋をたたいても渡らない舟橋先生らしい判断だなと思いながら読んだ。確かに今まで、主治医の勝手な判断で延命中止をして問題とされたケースはあるが、倫理委員会が判断したというのは初めてのケースではないかと思う。安楽死(尊厳死)が法律的に認められていない(決められていない)日本では、死の定義もまだあいまいで、移植医療のために脳死を人の死と認めても実際には心臓移植、死体肝移植がまだ諸外国のようには行われていない現状である。私はしょっちゅう検案に呼び出されるが、これは明らかな死体であって、生き返ることは絶対にないものばかりである。しかし、救急医療をしていると死にかけている人が運ばれてくることがある。昔はDOA(dead on arrival)と言っていたが、今はCPA(cardio-pulmonary arrest、心肺停止状態)と呼んでいる。私も昔当直をしていて、心肺停止状態で来た人を生き返らせたことが1度だけあるが、それは稀なケースである。大部分は心肺蘇生処置(心マッサージと人工呼吸)を行っても心拍も自発呼吸も再開しないか、心拍だけ再開するが呼吸が戻らないかどちらかである。脳の血流が停止して3~5分も経過すると脳の神経細胞が壊死をして元へは戻らない。高級な脳ほど早く駄目になる。循環・呼吸を司る中枢は延髄にあり、一番最後まで生きている。上の脳が駄目でも、両方の機能が残れば植物状態となる。これは人工呼吸器をはずしても、アメリカであったカレンさん事件のように何年も生きることがある。心臓・肝移植のドナーとなることができるのは、脳死という状態で、自発呼吸は全くなく、心拍のみ保たれている状態だが、この状態では人工呼吸をしていても長くは持たない。多治見病院のケースはこういうケースである。救急外来には割りとシンプルな人工呼吸器が置いてある。CPAで来院すると、本人の意思にかかわりなく、挿管することが多い。すると今回のようなケースになる。われわれが普段診ているのは癌の患者さんが多い。末期になるとだんだん悪くなり、もう治ることはない。最後は心臓が止まるより呼吸が止まる方が早い。そのとき挿管して人工呼吸器につなげば一時しのぎにはなる。しかし、治るわけではなく、いずれは駄目になる。前もって本人・家族に急変時の挿管をするかどうかを訊いておく。たいていは挿管まではして欲しくないという人が多い。これからは元気なうちから、急変時の対応についての意志表明を文書で残すことと、またそれが尊重される法律の整備が必要である。
2007年01月10日
コメント(13)
4日から仕事が始まった。4日は午前中入院患者さんを診て、昼に警察署へ行き、留置人の診察をして、午後は乳腺外来。5日は午前中外来、午後見学に来た杏林大学の学生さんの案内をして、夕方豊橋で東三河の刑事親交会に出た。病院の中庭では姫沙羅が最後の1葉になりかけている。でも、今年の新しい芽が膨らんできている。診察室の中では、永年使ってきた、診察机の上の大きなオーダリング端末が姿を消した。新しく、電子カルテのシステムに替わり、薄型のモニターとなり、紙のカルテもなくなり、机の上が広くなった。でも、今までの患者さんの情報を新しい電子カルテに入れなければならない。紙のカルテをぺらぺらめくって見ていたのを、クリック・クリックで画面を切り替える。どこに目的のボタンがあるのか、慣れるまで大変だ。5日の外来は予約をかなり減らしておいた。いつもだと午前中3時間半で30人くらいの患者さんを診察するのだが、20人に減らしても5時間かかった。終わってからも、古い紙カルテのデータを新しい電子カルテに移さねばならない。年が明けて、最初の1回目は紙カルテも出してくれるが、2度目からは出さないという。というわけで、昼間ブログを見ている暇がなかった。夕方、警察署長が迎えにきてくれて、一緒に豊橋まで車で行きました。毎年、年初に行われる、東三河刑事親交会、東三河(豊橋、豊川、蒲郡、田原、新城)の刑事さんが100人くらい集まる。警察医をしているので、蒲郡からは、私と歯科医師会会長と市長が来賓で呼ばれる。最初に刑事親交会会長の豊橋署刑事課長の挨拶。昨年起こった管内の重大事件(新城での放火殺人事件、蒲郡での元教師が妻の母親を刺し殺した事件、豊橋での児童虐待死事件)の犯人をそれぞれ検挙解決したとの報告があった。次に、定年退職者、永年勤続者の表彰があり、新任刑事の紹介があった。これは新しく東三河で刑事になった人たち、まだ入ったばかりは初々しいが、年数が経つと目つきも鋭くなって、刑事さんなのか恐いおじさんなのか区別がつかなくなる。警察業務は刑事課、交通課、地域課、留置管理などいろいろあるが、刑事さんたちは一番結束が固い感じで、このように毎年盛大に各地区で親交会が行われている。来賓の挨拶には、東三河暴力対策市民会議代表の豊橋市長が立った。宴会が始まり、私は飲み友達の蒲郡市長とよい機嫌で飲んでいた。宴もたけなわになると、いつもはここで豊橋出身の演歌歌手タカムラサオリの登場となるのだが、今年は予算の関係か自前のカラオケとなった。各署から若手刑事さんが代表で歌を歌う。こうなると黙っておれないのが私の悪い癖だ。女房からは人前で歌ってはいけませんと止められているのだが、ついつい申し込んで小椋桂の”めまい”を歌ってしまった。この写真は私ではありませんよ。
2007年01月06日
コメント(18)
今日は新医師臨床研修制度について書きましょう。私の勤める蒲郡市民病院は382床の地域中核病院、周りにはまだ田圃の残る田舎の病院です。今年の稲刈りも終わった。平成16年度から始まった新しい医師臨床研修制度は日本の医療の存続に大きな問題提起をした。それに伴って起こった医療制度改革の激動の波の中にいる。私はこの病院の臨床研修委員長をしている。簡単に新医師臨床研修制度について説明しておくと、医学部を卒業して、国家試験に通って、医師免許を取得しても、2年間の臨床研修を受けなければ、開業することができない。これは、プライマリーケアが出来る医師を作って欲しいという国民の要求からでてきた制度だと言うのだが、・・・。この制度が始まってから、何が起こったかというと、卒後すぐに大学の医局に入局する人はいなくなり、各病院と研修希望者が直接契約で、研修先が決まる仕組みができた。病院はいろいろなところで、研修プログラムを宣伝し、それを見た研修希望者が面接を受ける。たいてい3つ、4つの病院を受験する。そして、受験者は病院に希望順位をつけてリストを出し、病院も受験者に採用希望順位をつけて出す。それをコンピューター上で、つき合わせて研修先を決めるマッチングというシステムができた。うちのプログラムでの研修医は平成16年度1名、17年度5名、18年度4名、そして来年度はいまのところマッチングで決まったのは2名で追加募集をしている。大学の医局に人がいないので、今まで欠員が出来ると大学に頼んで補充してもらえたのが、補充してもらえなくなった。うちの病院も開業などで、欠員ができても補充がない。残った人の仕事が増える。疲れてまた開業する(サボタージュ開業という)。53人いた常勤医が今では47人に減ってしまった。これで、研修医がこなかったら、病院はやっていけない、縮小するか、潰れるしかない。どこの病院も人員確保に躍起となっているが、今まで医局が果たしていた、適正な人員配置が行われないので、集まるところには集まるが来ないところには来ない。今年の医療費改定は3.16%の減額改定であり、これも病院の経営を圧迫している。人件費も削られ、研修指導という新しい仕事も増える。31日、1日と和光市にある国立保険医療科学院で、全国の研修病院の臨床研修委員長を集めて研修が行われ、私も参加した。国立医療科学院の篠崎英夫学院長は前厚労省の医政局長で新医師臨床研修制度を立ち上げた張本人だ。現医政局長の松谷有希雄先生。現日本医師会長の唐澤祥人先生。お偉方の講演を聴いてきたが、この人たちは本当に地方の中小病院の現状が解っているんだろうか?31日はナタリーさんのところに泊まった。ムベが20個くらい色づいていた。
2006年11月02日
コメント(10)
私の専門は乳腺外科、しかし市民病院に勤めているとそればかりという訳には行かない。昨日も久し振りに大腸癌の手術をした。今日はポピュラーだけれど気づかれないで見過ごされている病気についてお話します。その病気の名はSMA症候群と言います。SMAとは superior mesenteric artery(上腸間膜動脈)、膵臓の裏で、大動脈から前方へ分枝し、主に小腸と大腸の半分を栄養する動脈です。SMA症候群とは、そのSMAと大動脈との間を通る十二指腸の水平脚が2つの血管に圧迫されて起こる病気です。この病気は人間が立位歩行を始めたために起こった病気、四足の動物では、SMAが大動脈から直角に出ているので、圧迫が起こらないのです。SMA症候群と痔は立位歩行をするようになった人間にしかない病気なのです。症状は上腹部の不定愁訴、食事を食べるといったん胃の中に貯まり、少しづつ十二指腸を通って小腸へ流されますが、そこでの流れが悪いということは、繰り返す腹痛と嘔気です。痩せると血管の周りの脂肪が取れて、クッションがなくなり、圧迫が強くなるため、痩せた人に多い病気です。診断してくれる医者が少ないので、ノイローゼとか拒食症として治療されている人も多い。誰もが持っている解剖学的欠陥、この病気はどこから病気でどこまでなら正常とするかが難しい。私はこれをアナログ疾患と呼んでいる。アナログ疾患をデジタル疾患にするには、診断基準を作らなければならない。以前この診断基準を作って日本外科学会で発表した。最初にSMA症候群でよく見られる症状を載せた20項目の問診表を作った。その問診表で10項目以上YESのある人は、上部消化管透視(バリウム検査)をする。透視をしながら見ていると、バリウムが十二指腸へ入ったところで、少し流れがおかしい。そうしたら、ブスコパンを1A注射して、低緊張性十二指腸造影にする。写真のような所見が得られる。十二指腸の水平脚でSMAの圧迫により流れが途切れている。最終的にCTで、十二指腸が横切る高さで、大動脈とSMAの隙間の幅を計り、これが8mm以下ならばSMA症候群と診断している。治療はまず食事指導と体重を増やすこと、発作時の体位の工夫、漆肘位(四つんばいになって、膝と肘をつく)で痛みが和らぐ。どうしてもよくならないときには、手術(十二指腸空腸バイパス術)を考える。今までに40人近く診断して、20人ほど手術している。多分日本(いや世界かな?)で一番たくさんの手術例を持っている。この病気に初めて出会ったのは、17年ほど前古い病院の時に、2階のソファーにうずくまっていた医療事務の女の子を副院長が見つけて私のところに連れて来たのがきっかけです。時々、症状が出ては休んでうずくまっていた。どこへ行っても診断がつかず、異常なしとされる。そのうちに同僚からは、ただの怠け者と白い眼で見られるようになる。手術をして長年悩んでいた症状が取れ、とても元気になり、性格も見違えるほど明るくなった。今年招待されて、結婚式に出た。外科医として至福の瞬間である。安い給料でも頑張ろうと思う。
2006年10月31日
コメント(27)
今日は秋晴れ、病院は休みだが、当番で回診に行かねばならない。朝の時間を利用して、病院の裏にある、五井山(454m)へ登る。といっても車で頂上まで行ける。頂上にはNTTのアンテナが立っている。頂上からの見晴らしは最高。左上に竹島、右上の方が西浦半島、右下に私の勤める市民病院がある。頂上にノブドウが生えていた。これは、綺麗な色をしているが、食べられない。ここにはまた、パラグライダーの滑走路(飛び降り台)がある。朝早くて、まだ誰も飛んでなかったが、天気のよい休み、きっと来るに違いない。朝の回診が終わって外へ出たら、いくつも飛んでいた。ハングライダーではなく、パラグライダーという。細長いパラシュートのようなものだ。私はしたことないが、気持ちよさそうに飛んでいる。風がよいと頂上から着地点まで30分以上飛んでいる。何本かあるひもを引っ張って方向をコントロールできるらしい。80m四方くらいの着地用広場へ上手に降りてくる。たまに失敗して骨折して運ばれてくる人もいる。午後は病院の院内コンサートがあった。平成9年10月に移転してから、毎年3回くらいづつしている。今日は西浦小学校の5・6年生によるマリンバアンサンブル。私は病院の広報委員長もしている。開会・閉会の挨拶をした。三つの仕事(外科部長、警察医、国保審査員)以外に、三つの団体の役員をしており、長のつく役を六つも受けている。ほとんどボランティアだ。県のアンサンブルコンクールで金賞をとっているらしい。小学生はまだ可愛い。指導をしている、音楽の亀谷先生もビブラフォンを演奏してくれた。両手に2本づつバチを持って、指で幅も変えながら演奏、さすがに上手。終わってからまた山へ、アケビを採りに行く。ムベも採れた。夕方の飲み会のツマミだ。蒲郡には道端にもど根性ムベが生えている。
2006年10月28日
コメント(14)
10月はピンクリボン月間、アメリカから始まったこのキャンペーンは女性が罹る最も多い乳がんを一般に啓蒙して早期発見し、治癒率をあげようという活動である。全国各地で行われ、時正宗さんが10月3日のブログに載せていたが、東京都庁ビルや東京タワーがピンク色にライトアップされた。今、日本人女性23人に一人が一生の間に乳がんにかかると言われている。アメリカでは8人に一人だ。日本でも年々増えている。私は乳腺専門医、こちらでも9月30日に豊橋で一般向けの乳がんセミナーを行った。手術を受けた患者さん、一般の人が420人も聞きにきた。私の病院でも年間50件ほど乳がん手術をしているが、その6割は温存手術である。私の行っている温存手術は傍乳輪切開ないし外縁切開で傷跡を殆ど残さずに行う。しかも1泊2日の入院でしている。最近はマンモグラフィー検診が普及してシコリを触れない段階で見つかる乳がんも増えてきた。一例をお見せしましょう。 左の乳腺にカテゴリー3(画像上の判定、1,2は良性、4,5は悪性、3は擬陽性)の石灰化があった。マーカー針を入れてマンモグラフィーを撮り、このマーカー針を目印にして、針の少し下に写っている石灰化の部分を局所麻酔で採ってくる。これは外来手術だ。 もちろん、これは傍乳輪切開で行う。採った組織を軟線撮影すると石灰化(白く点々と写っている)が入っているのが判る。顕微鏡で見ると(腔の中にピンク色に染まって見えるところが石灰化)、乳がんだが、非浸潤癌。この段階ならばまず、転移はない。残念ながらこの段階だと癌でもがん保険は下りない。しかし、ぎりぎりなので、一応追加切除を1泊2日の入院、全身麻酔で行い、センチネルリンパ節生検も行った。もちろんこれも傍乳輪切開である。2回の手術後3ヶ月、ほとんど傷跡は残っていない。これが私の乳がん手術。もちろん、すべての症例がこのように出来るわけではない。放置すれば、シコリはだんだん大きくなるし、皮膚にも変化が出てくる。そのうちにリンパ節に転移したり、遠隔転移が起きる。そうなるともう手術では治せない。 まずえくぼ症状(乳房を持ち上げたり、手を上げたりしたときにえくぼのようなクボミができる)が出てくる。この例では乳頭の右側に少しクボミができている。まだこれくらいなら温存も可能かも知れない。こうなると、皮膚にかなり浸潤している。皮膚の表面が豚の皮あるいは蜜柑の皮と喩えられる変化を起こしている。触れば、マジックペンで点で囲った範囲がシコリになっている。温存手術はとても無理だ。何でこんなになるまで放っておいたの?という写真だ。潰瘍を作り、ザクロのようになっている。これはもう手術の適応はない。抗がん剤治療をするしかない。乳がんは決して恐い病気ではない。症状のないうちに、検診で見つければ、簡単な手術で傷跡も残さずに治るのです。放っておくと恐いことになる浜松オンコロジーセンターの渡辺亨先生は進行乳がんをタンポポの花に喩える。綿毛(種)が風に乗って飛んでしまってから(遠隔転移をおこしてから)では掘り起こしても根絶やしには出来ない。 私は乳がんをコゴミ(クサソテツ)に喩える。コゴミは胞子を飛ばしても拡がるし(血行性転移)、地下茎によっても拡がる(リンパ行性転移)。根絶やしにするには、左の下に見えるリンパ行性転移に当たる株も掘り取る(郭清する)。しかし、胞子が風に乗って飛んでしまってから(遠隔転移を起こしてから)では根絶やしにはできない。今日の復習、乳がんは症状のないうちに検診で早く見つけてください。早い段階で見つかったら、蒲郡へ1泊2日で遊びに来てください。治しますから。
2006年10月08日
コメント(16)
これは大腸のレントゲン検査、注腸検査と言います。お尻から管を突っ込み、バリウムと空気を入れて写真を撮ります。バリウムは白く写り、空気は黒く写ります。直腸の少し上、S状結腸のあたりが少し細くなり、壁が凸凹しています。この形を何かに喩えます。もちろん、この形になるのは進行した大腸癌。最初はポリープという隆起で始まることが多い。縦横に拡がってくると中心部が崩れて潰瘍を作ってくる。すると表面が凸凹になる。さらに全周性に拡がるとこのような形態になるというわけです。ここまでになるには1~2年はかかっている。初期には、痛みも何もない。これくらいになると、通りが少し悪くなってくるので、便秘になるか、あるいは便秘と下痢を繰り返す。時に出血して下血や黒色便が見られることもある。大腸癌検診では便の潜血反応を調べる。まだポリープあるいは小さな潰瘍の段階では何も症状がないことが多いが便の潜血反応を調べると陽性に出ることが多い。その段階で見つければ、お腹を切らずに、大腸内視鏡で切除できる場合が多い。どこの癌でもそうだが、症状のない段階で検診を受けて見つけ、小さな手術で治しましょう。私も医者の不養生と言われないように毎年ドックを受けています。これは中川村の片桐農園のリンゴ園。実りの秋だ。紅玉がよく色んで美味しそうだ。ひとつもらって齧ってみた。う~ん、この形はそう、進行大腸癌の注腸で見た形、apple core(リンゴの芯) と言います。皆さん、いくら実りの秋とはいえ、体の中にリンゴの芯ができないように、毎年検診を受けましょうね
2006年10月04日
コメント(14)
今日は病院の中の自然を見てみましょう。 これは、私の病院の外来の待合にある中庭、ガラス越しに見ることができる。夏ツバキの樹が植えてあり、グランドカバーにはツルニチニチソウと斑入りヤブランが植えてある。憩いの空間である。 6月には花も咲く。 同じ中庭でも反対側を見ると、ジャングル状態になっている。ヒメシャラの樹がヤブガラシに巻きつかれて、グランドカバーのヤブランもツユクサや他の雑草で埋もれている。これはどうしたことか?この外来棟は2階建てで、中庭部分は吹き抜けになっている。その屋上にはハーブ園があったはず。 急いで屋上へ上がってみると、何とハーブ園はいつの間にか雑草畑になっている。 かろうじて、ハーブ園の痕跡があった。 外来の中庭をその屋上から覗き込むとこうなっている。手前の中庭がましな方で、奥の中庭がジャングル状態。中庭に生えていた雑草は屋上の雑草畑から種が飛んできたものであった。1階ロビーにはベンジャミンの樹が植えてあり、2階の廊下の外側には葉物が植えてあったが、今ではこれも半分以上が造花に替わっている。 ここにはツブカラカサタケ、コガネキヌカラカサタケなどの怪しげなキノコも生える。周りは光触媒の造花だ。10年前に新築移転した時には、屋上にはハーブ園が拡がり、中庭や、花壇の手入れも行き届いていたのだが、毎年の10億近い赤字続きで予算が削られこの有様だ。そこで、競艇の登場となる。全国に24の競艇場があるが、蒲郡にもそのひとつがある。公営ギャンブルは競馬、競艇、競輪、オートレースどれをとっても斜陽である。そんな中で、三連単の早期導入、ナイターレースの開始など経営努力を続け、東海地区では一番の売り上げを誇り、病院の赤字も補填していてくれる。ここは私も一肌脱がなくてはというわけで、競艇の研究を始め、エクセルで競艇必勝プログラムを完成させた。競艇の本も出した。実は、まだ儲かるところまではいってない。儲かるようになれば、医者はやめる。でも、月に100万くらいは舟券を買うが、ほとんど損をせずに遊んでいる。公営ギャンブルの還元率は75%、毎月25万円ほど税金を払っている勘定になる。
2006年09月11日
コメント(14)
全121件 (121件中 101-121件目)