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しばらくご無沙汰しておりました。こちらはすっかり冬模様となり、1ヶ月ほど前までは花壇を彩っていた花々も枯れてしまい、厳しい寒さを向かえることになりました。約半月振りのブログ更新ですが、前回の続きを書いていくことにします。と言っても、夏真っ盛りの8月の旅日記なので、全くの季節外れのブログになってしまいますが・・・
ベルリンの隣に位置するポツダムを訪れたときのことを綴っていきます。
8月23日、快晴。この日、2日滞在したベルリンを離れ、『グリーニカー(Glienicker)橋』を渡ってポツダムへと向かいました。かつて、グリーニカー橋は東西ドイツを分ける境界線となっていました。それを示す証は今も残されていて、この橋のベルリン側(西ドイツ)が濃緑色、ポツダム側(東ドイツ)が淡緑色に塗られています。遠くから眺めたら、一見同じ色に見えますが、この色の違いは橋の中央部に来た時によく分かります(写真を撮ったんですが、ピンボケしてしまい、汚い写真になったのでお見せできません。嗚呼情けない)。
グリーニカー(Glienicker)橋 その橋から眺めた広大な川の景色
今から20年前、あの当時の長年の夢であった東西統一が果たされたときのこと。ドイツ統一の瞬間、橋のゲートが解除されると同時に、東ドイツ市民(ポツダム市民)が橋を渡り始め、そして西ベルリン市民が橋を渡りはじめました。そして、橋の真ん中に両市民が出会ったとき、お互いを抱きしめあって、涙を流しながら統一を喜んだのです。
グリーニカー橋を渡り、静かな林の中を通って行くと、そこにツェツィーリエンホーフ宮殿があります。ここは、あのポツダム宣言で有名な宮殿です。つまり、第二次世界大戦の後、戦勝国首脳がここに集まり、敗戦国の処理について話し合った、ポツダム会談の舞台です。
ツェツィーリエンホーフ宮殿 (舌を噛みそうな名前) 建築様式も独特で一見の価値あり
かつては、ヴィルヘルム皇太子とその妻のために建てられた英国式の宮殿でした。木組みと石造りを組み合わせた宮殿は一風変わった外観を保っていて、屋根から突き出ているたくさんの煙突も、よく見るといろんな彫刻が施されていて、見物していて楽しいです。英国式庭園は、小さいながらもとても上品で、これが無料で見られるとは、何てお得なんだろう・・・(宮殿内部は有料)。
ここがあのポツダム宣言の舞台となった場所・・・外観がこんなに綺麗だとは!!
ポツダムでもう1ヶ所重要なところがあります。 以前のブログ
でも書いた「サンスーシー宮殿」です。その宮殿に向かっているとき、「あぁっ、いました!!」、フリードリヒ大王の衣装を身に着けてフルートを吹くおじさんが。このときは、前回と違う衣装を身に付けていました(笑)。
この宮殿の隅に『フリードリヒ大王の墓』があります。彼の墓ですが、あまりにも人目につかないところにあり、しかも質素で小さかったので、前回ここに来た時はそれに気付かずに、通り過ぎてしまったのです。墓の上にはじゃがいもが置いてありました。その中には、ハート型のじゃがいももありました(写真のピンク色のが、それです)。
フルートを吹くフリードリヒ大王 フリードリヒ大王の墓(墓石上にはじゃがいも)
なぜ彼の墓にじゃがいもがお供えされているのでしょうか?その理由は次の通りです。大王が寒冷でやせた土地でも生育することのできるじゃがいもの栽培を広めようとしました。しかし、その当時はじゃがいものことが民衆にあまり知られていなくて、じゃがいもを初めて見た民衆は、そのいびつな形をしたじゃがいもの外観をグロテスクに思ったためか、ほとんど誰も食べたいと思わなかったそうです。そこで、大王は自ら毎日ジャガイモを食べて、模範を示したそうです。 今日、ドイツ料理には欠かせなくなったじゃがいもですが、それにはこんな大王の努力があったのです。
サンスーシー宮殿 宮殿前の段々畑
この場所は、今も昔も段々畑になっていて、宮殿ができる前までは、イチジク、ぶどう、桑などが植えられていたそうです。この段々畑の美しさに魅了したフリードリヒ大王は、宮殿の建設をこの地に命じて、その後も宮殿前の段々畑で果物などを育てたそうです。
白鳥ご一行様
サンスーシー宮殿の周りにはたくさんの自然が残されていて、野生動物がたくさん生息しているようです。近くの小川には白鳥が一列に並んで泳いでいました。
ポツダムでお昼前まで過ごし、これからワイマールを目指しました。この旅の続きは、また次回にします。
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