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2005.03.16
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沢田さんからのご要望にこたえて、今日の日記を書きます(^-^)

誰が見ても西軍の勝利は歴然としていました。
しかし、何故西軍は負けてしまったのでしょうか?
実は西軍の総大将「石田光成」と言う男は人徳が無かったのです。
事実、関が原の戦いに参加した西軍のほとんどの武将が、豊臣秀吉に対する義理だけで戦いに参戦しておりました。
事実、戦う気があったのは「島左近」「大谷義継」と後数人くらいだったんじゃないかな?
事実、ほとんどの武将たちが待機し、動かなかったそうです。
その武将たちがそれぞれ兵隊を持っているわけですが、その中でも沢山の兵隊を従えていたのが「小早川秀秋」でした。しかし、この秀秋、年齢が10代で、非常に優柔不断だったのです。この秀秋の兵隊が西軍として戦っていれば、間違いなく西軍が勝っていました。しかし彼は裏切ったのでした。だから西軍は惨敗し東軍が勝利したわけです。

で、実際戦いが始まって、迷っていました。西軍に付くべきか、東軍に付くべきか・・・
そんな小早川の軍に対して、徳川、石田共に痺れを切らしていたわけです。
そりゃそうですよね。その軍の動きで自分たちが勝つか負けるかが決まるんですから(ーー;)
で、痺れを切らした徳川家康は、小早川の軍に鉄砲を撃ちつけたのです。
常識で考えると、小早川軍は西軍に付き、徳川方に攻め入るのですが、彼は徳川家康と言う男に恐れをなし、西軍を裏切って、真っ先に大谷義継のところへ攻め入って、東軍は勝利したと言うわけです。
本当に情けないやつだったそうです。
ちなみに、裏切られ、責められた大谷軍は怒り、必至で対抗しました。その時の戦いは凄まじかったといわれています。
事実、その兵たちの恨みや怒りが数年後、小早川秀秋を狂乱させ小早川秀秋は死んだそうです。
これが東軍が勝ったいきさつであります。
PS「島左近」と言う武将は猛将で、石田光成の部下でした。
「石田光成に過ぎたるもの」

後、前にも書いたけど、もし、徳川家康が開戦直後に暗殺され、影武者が戦争を仕切ったとしたら、小早川軍に鉄砲を打ち付けたのは、物凄く器量があった男だったと思います。
そう言う風に考えると、やっぱり歴史って面白いね(^-^)

沢田さん、今住んでるところの近くで、こんなすごい戦争があって、その戦争で日本が大きく変わったと思ったら、ちょっと凄いって思いませんか?





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最終更新日  2005.03.16 22:19:14
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