この時の五輪も開催する前は批判的な声や反対する声もかなり多かった。当時、日本はまだ貧しくて、海外に見栄を張るようなことに金を費やすなら困っている人間に回すべきだという意見もあった。また、政府は「清潔なオリンピック」を掲げたが、五輪直前まで集団赤痢が相次いで発生しており、無理に背伸びして国際イベントなどを開いても、国民に得はないというムードもあったのだ。
だが、そんな「逆風」が開催した途端にガラリと変わった。テレビ、新聞、ラジオが朝から晩まで日本人選手の活躍を流して「やっぱオリンピックっていいな!」と繰り返し連呼しているうちに、本当にそのようなムードになったのだ。
それがうかがえる調査がある。 1967 年に日本放送協会放送世論調査所から刊行された「東京オリンピック」によれば、閉幕直後の 64 年 11 月に行った世論調査で、東京五輪が成功したか否かを質問したところ、東京ではなんと 84.6 %が「立派に行われた」と回答し、「大体は立派にいった」を合わせると、驚異の 100 %に達したのである。
つまり、開催前はかなりシラけていた国民も、マスコミの「いろいろあったけど、やっぱり開催した方がよかったね」という世論誘導にまんまと乗っかってしまったというわけだ。
クドカンの大河ドラマ「 いだてん
」でも、開催半年前なのに国民に浸透せず、
何とかオリンピックを盛り上げようとしていましたね。
集団赤痢はともかく、当地は6月に地震があって大変でした。
夏の国体は中止です。
首都直下地震は大丈夫そうですが、コロナは想定外だったでしょう。
オリンピックによる経済発展に関しても、次のように指摘しています。
「アジア初だった 64
年東京大会 高度成長の礎築く」(日本経済新聞 2013
年 9
月 8
日)のような報道をマスコミがいまだにするので勘違いをしている人も多いが、日本の戦後の高度成長は基本的に「人口増」が大きな要因である。
今、中国の GDP
が成長をしていることからもわかるように、ある程度の経済規模になった国の GDP
は人口の大きさに比例する。
実際、主要先進国の GDP ランキングの並びは、人口 3 億 2000 万人のアメリカ、人口 1 億 2000 万人の日本、そして 8300 万人のドイツという具合に、きれいに人口と比例している。戦後、日本の人口は右肩上りで増え続けて 1967 年には 1 億人を突破し、同じタイミングで GDP もドイツを抜いて世界 2 位になった。この人口増の勢いの時に東京五輪はたまたま重なっただけだ。
五輪が公共事業やインフラ整備の背中を押したのは事実だが、日本経済成長のエンジンだったわけではない。
むしろ、多くの五輪開催国が「 五輪不況 」に陥ったように、日本でも五輪を境に成長にブレーキがかかる。五輪開催の翌年度、戦後初の赤字国債が発行され、ここを起点にして日本の債務残高は先進国の中で最も高い水準となっていくのだ。
「五輪で日本が元気になった」というのが幻想以外の何物でもないことは、当時の日本人の多くも感じていた。
先ほどの「東京オリンピック」によれば、閉幕から 2
カ月後に行った調査で、「五輪は景気を維持するのに大変役立ったと思いますか」という質問に対して、「そうだ」と回答したのが 31.7
%なのに対して、「そうではない」は 59.2
%だった。
「日本が元気になる」などと大それたものではないということは、庶民はよくわかっていたのだ。
オリンピックが終わると、過剰設備と需要減で日本経済は山一證券に対する日銀特融の 証券不況
と呼ばれる大不況に突入です。
無理な成長政策は、その後公害問題として現れます。
続きます。
女子マラソンはオリンピックの花 ~ … 2024.08.12 コメント(2)
最後の晩餐それともディオニュソスの饗宴 2024.08.05 コメント(2)
パリの雨傘 ~ オリンピック開会式 2024.07.27 コメント(2)