ディスク・ジョッキーとして、モントレイ半島では最高に人気のあるデイブ・ガーランド(クリント・イーストウッド)はKRMLラジオのスターだった。レコードの合い間に詩を読んだり、ちょっとした哲学を聞かせながら、電話によるリクエストを受けていく。彼にはチャーミングな恋人トビー(ドナ・ミルズ)がいたが、彼女はある日、突然、デイブの前から姿を消した。
不気味な事件はちょうどその頃から始まろうとしていたのだ。デイブの放送が始まると、決まった時間に若い女の声で“ミスティ”という曲をかけてと判で押したようにリクエストするのだ。
その夜、デイブが、事務所がわりに使っているバーに顔を出すと女のひとり客がいた。スマートな美人で、デイブのファイトをかきたてるに充分だった。
デイブがバーテンのマーフィー(ドン・シーゲル)とゲームを始めると予想通り、女は身を乗り出してきた。あとはお定まりのコースだ。
デイブは娘のアパートにもぐり込んだ。娘の名はイブリン・ドレイバー(ジェシカ・ウォルター)といい、毎晩“ミスティ”をリクエストするのは彼女だった。その晩以来、イブリンは勝手に彼の部屋に押しかけるようになった。
その日はちょうど、サン・フランシスコ放送会社の女社長マッジ(アイリーン・ハーヴェイ)から持ち込まれた新しい仕事について、相棒のアル・モンテ(ジェームズ・マッキーチン)と打ち合わせの最中だったのだ。アルは気をきかせて帰っていった。
数日後、デイブは、町に戻ってきたトビーと再会し、 2
人はお互いの愛を確認した。だがイブリンは激しくデイブに迫り、マーフィーやアルの防波堤では防ぎきれなくなったため、覚悟を決めたデイブは彼女に別れ話を持ちかけたが、彼女の異常さは頂点に達し、話し合いどころではなかった。
デイブがトビーと海岸で遊んだ日の夜、デイブのアパートにイブリンが飛び込んできた。そして浴室で自ら手首を切ってしまった。仕方なく一番彼女を泊めることにしたが、翌朝、すでにイブリンの姿はなかった。
デイブがトビーに今までのことをすべて打ち明けて帰宅すると、掃除夫のバーディが瀕死の重傷を負い、倒れていた。その傍らには放心状態のイブリンが立っていた。彼女は病院へ送られることになった。
それからしばらく平穏な日が続き、デイブとトビーはジャズ祭に行った。その帰り、トビーは今一緒に住んでいるマドリンがもうすぐ引っ越し、替わりにアナベルという娘が来ることになったと告げた。
ある夜、本番中のデイブにイブリンから電話がかかってきた。病気が治ったのでハワイに行くことに決まったから、その前に“ミスティ”をかけてくれというのだ。デイブは承知した。
次の日KRMLに出た彼は、昨夜イブリンが口ずさんだ詩を思い出した。それは、エドガー・アラン・ポーの“アナベル・リー”だった。彼は不安になった。そういえば、トビーの新しい同居人はアナベルといっていたではないか。デイブはとっさにトビーの電話番号を廻したが、受話器から流れる声は間違いなくイブリンの声だ。デイブは放送局を飛びだした。
トビーの家に駆け込んだデイブが最初に目撃したものは、トビーの保護を依頼していたマッカラム刑事(ジョン・ラーチ)の死体だった。胸にナイフがつきささり、無残という他はなかった。
別の部屋からトビーの恐怖に満ちた悲鳴が聞こえた。彼はまっくら闇の中へつっ込んでいった。そこにはロープで縛られたトビーがいるだけだった。
その瞬間、デイブの背後から、ナイフを手にしたイブリンが躍りかかった。彼は必死でかわした。女の力とは思えないすさまじいイブリンの攻撃だったが、乱闘の末彼女はベランダから海へ落ちた。
『
恐怖のメロディ
』(
Play Misty for Me
「『ミスティ』をかけて」)は、
1971
年
の
アメリカ合衆国
の
サイコスリラー映画
。
クリント・イーストウッド
の監督によるサスペンス映画である
。
主人公に異常なまでに執着する
ストーカー
の恐怖を描くスリラー。
本作が公開された 1970
年代当時は、まだストーカー行為という概念自体が浸透していなかったため、このタイプのスリラー映画としては非常に先進的な映画である。
1970 年 9 月に開かれた「 モントレー・ジャズ・フェスティバル 」の演奏の映像がそのまま使われている。 キャノンボール・アダレイ ・クインテットには ジョー・ザヴィヌル が参加している。
108分
(ウィキ)
今や大監督のクリント・イーストウッドの第一回監督作品ですが、公開当時はあまり注目されず興味を引きませんでした。
ストーカー役の
イブリン・ドレイバー(ジェシカ・ウォルター)がだんだん凶暴になって行く演技が不気味でした。
彼女はその後テレビ映画で活躍したようで、2021年に80歳で亡くなっています。
カーメルが舞台で、海岸線や森などの景色が美しかったです。
デイブとトビーが関係を深めていく場面で使われるのは、
ロバータ・フラック
が 1969
年に発表した「
愛は面影の中に
( The First Time Ever I Saw Your Face
)」。
運転中のカーラジオでこの曲を聴いたイーストウッドは直接フラックに電話して使用許可を求めた [
3 ]
。
フラックのバージョンは公開翌年の 1972
年に全米 1
位を獲得し、
第15
回グラミー賞
の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞した。
(ウィキ)