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若者を子どもから大人へと成長させるためには、どんな子育てが必要か。瀧雅良先生の生きざまから学ぶもの。昨夜のNHKのドキュメンタリー番組「プロフェショナル・仕事の流儀」に、静岡清水商業高校・サッカー部監督であり、「商業」の先生である大瀧雅良先生が登場した。大滝雅良先生は、日本代表のサッカー選手を13人も世に送り出した。小野伸二選手や川口能活選手も大瀧先生の教え子たちである。大瀧雅良は、どうしてこれほどの名選手を数々世に送り出す事が出来たのか。熱血教師として、赴任した当初は、教えることに夢中になるあまり、紅白戦すら出来ない状態に部員を激減させてしまったという。そんな時、風間八宏という、自分の能力よりはるか優れた才能のある生徒が入ってきた。この選手を生かしたチームづくりを全くしていないことに気付いた大瀧先生は、指導の仕方を根本的に改めざるを得ないことに気付く。そして試行錯誤の日々が始まった。そして、その指導の中で、到達した数々の教訓とは、「勝つことより大切なことがある。まず、教師として、子供たちを大人にしていくこと。そのためには、常に直面している問題点を子ども自身が、自分の問題として自分で直視して、それと立ち向かっていける子どもをサッカーを通して鍛えていくこと。衝突を恐れずに、真剣にぶつかっていく時にだけ、子どもは大きく成長する。自分で見つけた答えだけが、自分のものとなる。又、教師の仕事は教えることではなく、子どもに考えさせることである」と言っておられた。そして、カメラは、中学時代「天才」といわれ、抜群の才能を持った中心的選手「カズキ」が、壁にぶつかり潰れそうになっている場面を、大瀧雅良がどのような指導を貫いて、「カズキ」を成長させようとしているかを、現場の練習のなかで追っていた。カズキが「自分の心の中にある虚飾のプライドをどう受け止め、それを乗り越えて、自分の技能を発展させることができるか。選手として、真の実力を付けていく為に、何が今必要か」大瀧先生は、カズキの悩み苦しむ姿をじっと粘り強く見守っている。要所、要所で、カズキ、自らが、今の自分の姿を認識できるようなアドバイスはしているが、「お説教」や「技術上の指導」などはしていない。じゆっくり悩ませている。考えさせている。カズキは「学校を辞めようか」という所まで追い込まれている。それでも、じっと我慢して、大瀧先生は、彼が自分で答えを見付け出すことを待っている。この忍耐力には脱帽。すごい。天才的と騒がれた一人の高校生に、このようなやり方で問題点を指摘し、成長を促そうとしている。一歩、大人への階段を自らの足で、昇らせようとしている。中学の時代のスポーツ「天才」は、9割がたが、挫折したまま、惨めな青年期を過ごし、社会の底辺にたむろする大人になる選手が多い日本の社会で、このような指導者がいるとは感動的である。数多くの名選手を生み出す秘密は、このような指導にあったのだ。人間が大人へと成長していく過程で、人生の先輩としての濃密な質の高い指導が必要な高校生の時期に、このような指導者に出会った若者は幸せである。実際、日本の大部の高校生は、放任され、退廃的な消費オンリーの社会に投げ出されたままである。親さえも、人生の先輩として、わが息子や娘に要所要所で、適切なアドバイスはしていない。まさに、その意味では、大瀧雅良先生は、父親なのである。父親の妥協を許さぬ厳しさを、日々の練習の中で貫き、子どもを大人へと成長させようとしている。「口うるさく、人生を子供たちに語っている」「子供たちを、とことん追い詰めて、苦しみ悩ませて、答えをださせ、前を向かって立ちあがる勇気や、生きて行くためのるエネルギーを子供たちの心の中に引き出させている。」この流儀は、日本の母や父が学ばなければならぬ子育ての流儀ではないか。日本の教師たちが学ばねばならぬ生き方ではないか。まさに大瀧先生の「仕事の流儀」は今、日本の若者たちが求めているものではないか。
2006.06.02
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マカオ昔(1960年代)1960年代の日本は、戦後の混乱から、朝鮮特需によって、本格的な復興をとげ、高度経済成長を遂げようとした時代である。戦前の価値観とは全く異なる、大量消費文化に突入。農村の労働力が集団就職して都会へと大量に流れこみ、農村の崩壊が急加速した時代である。所得倍増のかけ声に、アメリカ流の豊かな消費生活に憧れ懸命に仕事した時代である。1960年代の中国は、共産主義建設の路線をめぐって文化革命の嵐が吹き荒れていた。マカオはポルトガルの統治下にあり、政治的にはその革命の嵐の外にあったといえ、経済的には、沈滞していたといえるのではないか。マカオを象徴する世界文化遺産1960年代の サンパウロ天守堂 1602年~1640年にかけて建造された聖母教会。「ローマ以東で最も傑出した教会」と言われた壮麗な教会。施工には、中国人のほかに長崎から幕府の弾圧を逃れて渡った日本人のキリスト教徒たちも多く加わった。東洋におけるキリスト教布教の拠点として、大きな役割を果たしてきた。日本のキリスト教史にも重要な教会である。現在は1835年火事で焼失して聖堂の正面ファサードのみである。 2010年の聖パウロ天守堂は天守堂へと続く階段やその脇の道は、植栽され、美しい公園となっている。 春節の飾りも、更に華やかさを添えている サンパウロ天守堂から見下ろした坂道1960年代の坂 人影もまばらで寂しい坂道。 バックの街並みも家屋は廃屋のよう、空も広く開けている 今のサンパウロ天主堂から眺めた坂道 人、人、人観光客で混雑し賑わっている麓の街も高層ビルが林立1960年代サンパウロ天守堂に続く道 観光客というよりも、マカオに住む人々の生活の日常の光景 同じアングルからの今 人の賑わいや道路脇の建物も豊かさや活気が溢れているエネルギシュな街 1960年代のモンテの砦(サンパウロ天守堂の右手の位置する防御施設。1617年から1626年にかけてイエスズ会との協力で築かれた。中世のヨーロッパの城砦の文化を持ち込んだものといえる) 火炎樹が立ち、子どもたちが坂で遊んでいます。 この斜面は、現在は公園として整備されガジュマルの大木に覆われサンパウロ天守堂からモンテの砦は今では眺望できなくなっています。 1960年代 モンテの砦からのサンパウロ天守堂の眺望はこんなに開け、対岸の朱海市も見渡せた 同じポイントから撮影したサンパウロ天守堂 高層ビルが林立し対岸を見渡せないだけでなく手前も公園の樹木によって天守堂の階段や坂は見えなくなっています この写真は1960年代ペニャ教会が立つ「西望洋山」という更に南に位置する丘からモンテの砦を撮影したもの 2010年 ペニャ教会の立つ丘より麓の高級住宅街を撮影したもの木陰から垣間見える左端の茶色の建物は現在のポルトガル領事公邸 同じアングルから撮影した 1960年代の景色 中央の建物が現ポルトガル領事公邸40年前は旧ベラ・ビスタ・ホテル マカオは16世紀から、西洋と東洋を結ぶ貿易の中継地として盛衰を繰り返してきた。西洋列強の外交官や商人たちの社交場リゾート地としての特色を持ち、カジノも其れと共に発展した。1960年代のカジノ 2010年不夜城のごとく夜も休むことない街カジノ 美しく整備修復された街並み 40年前のマカオの町並み 人影もまばら 西洋と東洋を結ぶ、ある時は、海のシルクロードとしてまたある時は、東洋へのキリスト教布教の拠点として西洋と中国を融合し共生した400年余りの歴史を生きて来た マカオは今、その歴史の文化遺産を観光資源として、中国本土から膨大な人々を招き寄せる観光の街として、驚くべき発展をとげ活況を呈している日本にもカジノをつくり、街を再生せよという政治家がいる。猿真似の付け刃で、カジノを導入して街や村が真に再生は出来ないのでは。マカオの歴史はその事を物語っている。即ちマカオの観光、カジノの街としての繁栄は長い歴史の継承としてあり、突然に今出現したものでないということである。この意味で、マカオの今の盛況はその歴史的必然なのである。1)マカオに咲く亜熱帯の花々 2)マカオ今昔物語(その1)(その2)に続き、次回は マカオの世界文化遺産(1)を紹介します。
2010.02.24
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秋のサンティアゴ巡礼街道(14)夏のなごり巡礼者たちの朝は早い(スペインは9月はまだ夏時間のため、朝の7時はほの暗い。天体の日の出は1時間マイナス)朝もやに霞む朝の巡礼街道秋分も過ぎ日の出時間も遅くなった巡礼街道。朝の7時は東の空が朝焼けに染まる時間、まだ薄暗い早朝の道を巡礼者たちは今日も急ぐそんな巡礼の道に咲く黄色い花夏の終わりを告げる花キバナイガヤグルマギク(黄花毬矢車菊)(Yellow starthistle) 学名:Centaurea solstitialis キク科ヤグルマキク属の越年草の草本。地中海沿岸地方の荒地に自生。長い針のある苞葉の明るい黄色の頭状花。キバナイガヤグルマギクは学名をCentaurea solstitialis という。solstitialisはラテン語で「夏至の」という意味6月の終わり、夏至のころに咲き始め乾いた暑い夏の日照りのなかで、咲き続ける夏の花乾いた痩せた荒地に強靭に生き続ける雑草キバナイガヤグルマギクCentaurea はラテン語で、ギリシャ語では、Kentaureion、即ち、セントウレアとはギリシャ神話に登場する半人半馬の怪物ケンタウロス族のことケンタウロス族は、ギリシャ東部のテッサリアに住み、そのペリオンの谷は古代ギリシャの最も有名な薬草の産地。ヤグルマギクは古来、強壮、利尿、発汗、眼炎などの薬に使われた。セントウレア(Centaurea)に属する植物はこのように古代からヨーロッパの人々の暮らしのなかで強靭に生き抜いて今日も生き続けている植物。キバナイガヤグルマギクは9月の巡礼街道に鋭いイガを四方に突き出して暑かった夏のなごりをその黄金色の花びらに留めて道行く巡礼者のこころを励まし慰めている。さらに明るい黄色に輝く花セネキオ(サンテアゴ草を初め、セネキオの仲間を2回取り上げましたが、この黄色の花をまだ名を特定できていません。乞う情報) 巡礼街道で出合ったセネキオはいつも枯れた荒地を明るくする単調な道に倦み疲れている心に体に華やいだアクセントとなるその背後には、可愛らしいマツムシソウがその淡い紫色の花をわずかに風にそよがせているそして、巡礼街道の枯れ草や枝には無数の小さなカタツムリが夏の終わりをつげて次の季節の準備をする。秋分の日の頃のサンテイアゴ巡礼街道は夏のなごりをそこここに留めて移ろう季節を静かに呼吸している 《花の名一口メモ》セントウレア(Centaurea)キク科ヤグルマギク属の総称。北アフリカ、北アジア、ヨーロッパ、北アメリカなどに500種分布する。秋の巡礼街道のセントウレアの種はセントウレア・ソルスティティアリス(イガヤグルマギクの花と実)学名:Centaurea solstitialis英名:Yellow starthistle 和名 : イガヤグルマギク地中海沿岸に自生する、セントウレアに属する植物である。学名は「夏至に咲くヤグルマギク」ぐらいの意味か。このC.solstitialisは、アメリカ合衆国に牧草の種にまざって入り込み、1800年代に帰化植物としてアメリカの植物系を破壊するほどに侵入した植物になっている。カリフォルニア西海岸などの地中海性気候と荒れた土壌が合い、原産地、地中海地方では、環境破壊につながらず良き体系を保っていた種が、アメリカに帰化するや一挙に繁茂して、環境破壊する有害植物となっている。セントウレア属の植物は、人類が利用した記録の残る最も古い花の一つである。イラク北部の6万年前の旧石器時代の洞窟遺跡からは、セントウレア属などの花粉が多量に検出された。これは、死者を埋葬する時、多量のセントウレアの花を手向けたと考えられている。エジプトの第18王朝のツタンカーメンの棺にもセントウレアの花が入れられていた。ヤグルマギクはヨーロッパでは、麦畑の雑草で、農民に嫌われていたが17世紀には品種の改良が進み、白、赤、青、紫などの花色があり、現代では園芸品種として、盛んに栽培されている。
2007.09.21
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2014年明けましておめでとうございます2013年には古稀を迎えた私。身体の老化は一段と厳しく老化防止のためにたゆみなく身体や頭を働かせる必要を痛感した昨年でした。(昨年は水彩画に挑戦。これは年末に描いた「駆ける馬」そして、昨年、3月には母が90年の生涯を閉じ、親しい従弟の連れ合いが63歳で逝き、親しい同級生が3人も亡くなり、小学校の大好きだった恩師が逝き、、、私の人生のそれぞれの場面で、それぞれの色合いで影響しあった人々の死は死というものが一段と現実味を帯びて私に突き刺さってきました。人の最期を看取るという体験も母の死で初めて当事者として向き合うこととなりました。まだ、母の最期の有り様や死から立ち直れていませんが、これから私がどう生きていくかで解答を出していこうと決意新たにしています。この1年のなかで、私が学んだこと数多く、残された私のこれからの人生に深い影響を与えることでしょう。すなわち最期まで、生き切るとはどういうことか。残された命を大切に燃焼しきって最期を迎えるとはどうあるべきか。このような課題を突き付けられた昨年2013年でした。(絵の先生が、フィンランドに旅行された時、購入されたお人形を写生した絵。「ムーミン谷」70代を70代でしか発揮できない賢明さでいきいきと生き切る。今までの人生でできなかったことに挑戦しつづける。社会とは、仕事を通して繋がり続ける。70代はまだまだ出来ることがある。私の場合は、若いこどもたちと勉強を通して私自身も成長を続けること。この社会の窓はとても波乱に満ち、エネルギー溢れている。70代だからこそ子どもたちと向き合える向き合い方がある。子どもが人らしく成長することの困難は以前に増して多くなっているこれは、高齢者が人らしく老いて、人生を全うしていくことにも通じる困難でもある。アベノミクスとやら、世の中は、から景気に浮かれ気味、から騒ぎしている間に不吉な黒雲が垂れ込め始めている昨年の秘密保護法を初めとして一連の右傾化は、過去の歴史から何も学ばない愚かしいこと。孫たちの生きる社会が人間が、真に人として豊かに開花できる社会でありたい。そんな未来を実現するためにも老体に鞭打って、厳しく現実の社会も見つめ続け意志表示したい。年の初めにあたり、70代を気力、体力ともにいきいきと過ごせるように休むことなく、頭と身体を活動させ続けるための自己との闘いを厳しくすることを決意したい。これも、フィンランドのクリスマスの人形たち。今年も細々とブログを続けることが出来ること願って。今年もどうぞよろしく。
2014.01.03
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春に谷川俊太郎この気もちはなんだろう(私の朝の散歩道、森林公園。今藤の花が爛漫と咲く。私が生まれた日にも盛りと咲いていた花。)目に見えないエネルギーの流れが大地からあしのうらに伝わってぼくの腹へ胸へそしてのどへ声にならないさけびとなってこみあげるこの気もちはなんだろう(むせかえる新緑のエネルギー、公園の新緑の鮮やかさ。)枝の先のふくらんだ新芽が心をつつくよろこびだ しかしかなしみでもあるいらだちだ しかもやすらぎがあるあこがれだ そしたいかりがかくれている(何万年前から生き延びてきたこの地域に自生するシデコブシの花、繊細な花びらが天候不順のため、ちちこまってしまっている、絶滅危惧種)心のダムにせきとめられよどみ渦まきせめぎあいいまあふれようとするこの気もちはなんだろうあの空のあの青に手をひたしたいまだ会ったことのないすべての人と会ってみたい話してみたいあしたとあさってが一度にくるといいぼくはもどかしい(マメナシ:この木も何万年物いのちをこの地でつないできた)地平線のかなたへと歩きつづけたい大声でだれかをさけびたいそのくせひとりで黙っていたいこの気持ちはなんだろう4月28日は私の74歳の誕生日であった。谷川俊太郎のこの詩は74年を生きてきた私の心にびんびんと響く。春は生きようとするものたちのエネルギーが満ちあふれる。いのちの華やぎいのちの混沌老いていこうとしている身にはまぶしすぎる。若いときには感じる事のできなかったこの気持ち。そしてもどかしさ、はてしなく広がる世界。青春をともにした友、幼いころ遊びほうけたいとこ父や母や叔父や叔母や地平線のかなたへと歩み去っていったひとたちみなそれぞれの思いを抱いて。大声で誰かを呼んでみたい。そのくせ一人で黙っていたい。この気持ちは何だろう。残されたいのち弱っていくからだ好奇心に満ち満ちたこころ深い強い探求心そのくせ草の上でじっとしていたいこの気持ちはなんだろう74年間生きて初めて深く共感した気持ちである。谷川俊太郎のこの詩「春に」は、理論社1983年刊「どきん」という詩集に掲載されているものである。谷川俊太郎が50歳前半の詩である。85歳の今なお旺盛な活動をしておられる。中学三年の国語教科書(光村出版)の冒頭を飾っている詩でもある。連分けがなく、初めから終わりまでを一連で構成されている詩であるが、私が自分の気持ちに沿って、自分勝手に連分け、行変えを行ったことをお断りしておく。(一連で一気に読むことがこの詩のリズムだし、心に突き刺さってくると思うが、あえて解釈してみたかったので。)中学の国語の先生には、この詩の授業を行うとき、中学生のこころにひきよせて、広く深く宇宙に生かされた自分を意識して鑑賞できるような授業にしてほしいとお願いしたい。多くの中学生が、テストのために、言葉の意味や表現技法を暗記している。その暗記を苦痛に感じている。これからの人生のどこかでこの詩が彼らの心に響くこと願うばかりである。
2017.04.29
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のびのびと園生活を楽しむちーちゃんじじとばばが朝、保育園に到着するや開口一番「おばーちゃん、見て、見て!」と鉄棒に走って行って、運動会にやった「コウモリ」を見せてくれました。 このような姿勢で、ぶら下がって、ブラブラ。「すごい、すごい」10月19日に、ちーちゃんの通っている保育園でじじ、ばばを招いて日頃の園での生活を披露する祖父母参観日がありました。お当番の子が、前に出てきて、「今日お休みの子はだぁーれ?」「ふたりがお休みです。」ちーちゃん、お当番で張り切っています。園庭で朝のリズム体操0歳~2歳児は「にんじんチャチャチャ」3歳~5歳児は「あつまれジャンケンマン」ちーちゃんは3歳児のお友だちとペアーになって楽しく体操しています。遊戯室に入り、年少、年中、年長の子たちが「百歳のうた」を大合唱。百まで生きたら いいだろな大きなケーキに ロウソク百本立てて食べるんだどんどん大きくなるからねそのうち必ず 追いつくよおばあちゃんも、おじいちゃんも元気に まってていてね。この「百歳のうた」はことちゃんの保育園時代からもう何回も聞いたが、孫たちが力いっぱい歌ってくれといつも感激する。最近は、じじ、ばばの世代が若返り、とても、じじ、ばばとは見えない、ハイカラなジジババたちだ。彼ら、彼女らが百歳になるまでにはかなりの年月が必要だ。この若いジジババが百歳になっている頃にはどんな社会になっているのだろう。きっと、今とは全く質的に異なる社会になっている。そんな社会でちーちゃんたちはどんな人生を生きているだろうか?考えるだけでわくわくする。ちーちゃんの4歳児「うさぎ組」は「スターマンのうた」「きのこ」の2曲を元気よく歌ってくれた。特に「きのこ」という歌は、とても伸びやかに美しくハーモニーして、4歳児とは思えない澄んだ秋空のような歌声で感動した。みんなちょっぴり緊張しながらも、のびのびと歌っている。日頃の園での生活が垣間見られてほほえましい。0歳児から5歳児まで、その成長の道筋が、それぞれの発表の姿の中に見られてとてもよかった。1年の年齢差がどのような成長の軌跡を見せるかを知ることが出来、日々の自分の孫だけでは気づかない成長の姿がそこにはある。孫の育児支援者のじじばばとしては励みとなる。ママやパパたちが日頃厳しい職場のなかで子育てしているので、子供たちにもかなりの緊張やストレスがかかっている。そんななかで、保育園での生活がどのようであるかは子供の成長に大きな影響力がある。父母、祖父母、保母さんたち、皆の力で育っている子供たち。ちーちゃんやことちゃんのママもそれは育ってきた道筋。伸びやかに、かしこく、たくましく、人として、生きていくことのできる女性に育つこと願っているよ。
2012.10.31
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