日々草

日々草

2006.11.14
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テーマ: 今が旬の話(408)
カテゴリ: 教育・子育て

 再々いじめについて。

幼児の自我の芽ばえを押さえ込む育児にこそ、思春期のいじめの原因があるのではないか。

 今日は、久々に孫娘コトネ(2歳6ヶ月)の登場。コトチャンは2歳過ぎた頃から、反抗期、真っ盛り、すべてを「いやだ、いやだ」と否定し、自分の思い通りにならないと、大声でわめいたり、泣いたりとすさまじい。

さらに、小憎らしいところさえ出てきた。
先日も、このバアバとコトネふたりが、「勉強ごっこ」をして、穏やかに楽しく遊んでいた。
ことちゃん、このバアバの諸々の文房具が気に入り、色々といじくりまわして、あれこれと試している。とにかく夢中で、時々バアバに指示を出して、バアバを自分の思い通りに動かして気持ちよく遊びに夢中なのである。
次々に歌さえ口ずさんで上機嫌である。
そこへ、爺さんが帰宅した。
ジイジ大喜び、こぼれんばかりの笑顔で、「おー、こっちゃん、来てたか。こんにちわ。」と言って、部屋に入って来た。そして、ことちゃんに話しかけようとしたら、こっちゃん、楽しく夢中で、おだやかに遊んでいた、バアバとふたりの世界への侵入者に激しく抵抗し、ジイジを振り払い、「おじいちゃん、あっちへ行って」と、きつい口調で言う。そして、小さな手で、あらん限りの力をこめて、爺さんを押しのけるのである。
(コトちゃんの名誉のために、付け加えておくと、保育園では、全員が「いやだ、いやだ」の大合唱。けんか、オモチャのとりあいと争いが絶えないが、最近のコトちゃんは、似たようなおもちゃを探してきて、とりあいでケンカしている子の仲裁的な役割も出来るようになっているとか。このコトちゃんの成長は、じっと我慢して、子供たちを見守って下さっている、保母さんたちのおかげですね。)

世間では、こんなとき嫁と姑が「孫」のことで、争いいがみ合いをする。
「嫁の育て方が悪いから、孫が意地悪い子に育っている」とか「年寄りが甘やかしているから、子どもがダメになっているから」とか、お互い自己を合理化する無責任な発言を繰り返し、なすりあい「孫」を「子」を大人の政争の具にしているのである。昼下がりの喫茶店などで、年寄りたちががおやべりで、もっとも活気づく話題は、嫁の悪口である。しかも「孫」を話のネタにした嫁の悪口が花盛りである。
恐らく嫁たちは、その頃、ブログで年寄りの悪口を言い合っているだろう。

最近では、幼児の行動が親の思い通りにならないからと言って、我が子を虐待し、殺すニュースも後を絶たない。

更に、驚くことは、3歳ぐらいからの幼児を入園させている幼稚園の姿である。

小学校の授業の真似事をさせ、保育中はしーんと静まり、椅子に座らせ、お絵かきや字を30人ぐらいの集団で一斉にやらせている。チリひとつなく、オモチャもちらかっておらず、休み時間(?)にも騒ぐ声もない。
運動会など、何ヶ月前から練習させ、鼓笛隊を整然と隊列組ませて、演奏させたりしている。それを自慢げに園の売り物にしている。一斉に行動させる為に、幼いこどもたちを、大人の力でねじ伏せて従わせている。親に見せるためにである。
こんな幼稚園を気に入る親も多いのである。

大人の虚栄心を満足させるための、まあ 「やらせ」 と言ってもよい。

要するに、はっきりとした強い 自我の芽ばえの時期 にさしかかった幼子たちのその成長しようとするエネルギーを、大人たちは、ことごとく押さえ込んで、幼い子どもを、大人の思い通りに動くお利口ちゃんにしたいのである。
大人の慰めモノ、オモチャなのである。

 この時期を、どのように幼子は乗りきり、成長していくことが、真に人間らしい人格を獲得していくことになるのかという視点から、幼いこどもを見守ることが、大人は必用ではないか。
今の社会全体が、この視点を欠いている。

3歳前後の幼児は、芽ばえた自我を発揮することで、他者を意識するようになり、他人とぶつかり争う中で、人としての生きる術を身につけながら大きくなっていくはずだ。ここでの体験から、さまざまな人とのかかわりを学習する。自分の思い通りにならない他者の存在を知りはじめる。

幼い子はケンカしたり、弱い子をいじめたりしながら、自らも痛い目に遭いつつ、成長することが必用だ。
その中で、自らの人としての人格の形成をやっていく。
百万回「お友だちと仲良くしないといけないよ」とお説教しても、言うだけでは、幼い子供たちの成長していくための血肉になってはいかない。

現代の子供たちには、この幼児期の体験が余りにも不足している。

幼い子たちは、日々暮らしている隣にいる子どもと思いきりケンカもさせてもらえない。
大人が出てきて止めるのである。
大人同士が顔色をうかがい合い、けん制し合って生活している。もし我が子が他の子をいじめたり、怪我でもさせようものなら、直ちにその親は、村八分となり、「あの子とは遊んではいけません」とい命令が、幼い子に下されるのである。
幼い子供たちは「監視」された大人の社会で、自らの伸びようとする芽を伸ばすことができないのである。

たしかに、幼児は、まだ知恵も力も大人に劣るので、大人は押さえ込むことができる。子どもをお利口ちゃんにして自己満足しておれる。自分より、弱いゆえに「監視」下に置くことができているのである。

 しかし、このように、幼児期に芽ばえる自我を押さえ込まれたまま、成長した子供たちは、小学校や中学校で、監視されてきた親から離れた時間や空間を持つようになると、一気に幼児にもどり、幼児期の発達の道すじを通過しようとする。
その一つの現れが、小学校1年生の幼児がえりである。1年生は、担任の教師に抱っこされたり、自分だけに注目を集めようとして、クラスとしての社会的な集団が成立しないという話をよく耳にする。
家では親の言うことをよく聞き、お利口で、いい子、幼稚園では、お利口でほめられていた子に多い現象である。親はそのような我が子の指摘を受けると「家ではそんなことはない。うちの子がそんなはずがない」と驚くそうである。「教師が悪いから」とさえ指摘する親もあるという。

 現在、日本でいじめ問題が「問題」として、抜き差しなら無い状態になっているいるのは、このような幼児期の自我の発達を充分に保障されないまま、身体だけ成長し、物欲だけを並以上に肥大させて育っている子供たちが、集団で生活する場面においてである。

 その年齢に見合った人格を育てる土台をつくることを怠った大人たちが、今、子供たちからそのしっぺい返しを受けている。成長し力増した子どもは、もう親の「監視」下にはいない。親は力で子をねじ伏せては置けなくなったのである。

 幼稚園のとき、お行儀よく椅子に座っていた子供たちが、中学性、高校性、大学生になると、授業中椅子に座っていることが出来ず、携帯でメールをし、寄り集まっておしゃべりを平気でしている。
3歳の幼い精神状態では、中学や高校や大学の「勉強内容」には、関心が持てないのである。その勉強するための言語には、ついていけないのである。
子供たちが「勉強」に興味がもてないのは、ある意味で当然といってよい。親がそう育てたのである。

このような子供たちに、自民・公明の「教育基本法改定案」の言う、「規範」を強要しても、強い者や大人の前では「いい子ぶる」が、陰では卑劣ないじめや殺人を平気行う子どもを育てるだけだと思う。人を騙しても平気な大人を次々に製造するだけだ。

何万回「いのちの尊さ」をお説教しても、この子供たちには「馬の耳に念仏」。
その意味を若者らしい感性で理解する事は不可能である。その受け皿となる知性、感受性が育てられていないのだから。

 今の中・高の学校は、10歳代の子どもを教育の対象にして授業をしている。
しかし、そこに実際存在するのは、三歳の幼児たちなのである。
ジジババや親たちによって、三歳で発達を停止させられた幼児の集団が、今の学校の姿なのである。中には、教師まで幼いままでいる者がいる。
その認識あれば、学校はどんな集団をつくる努力をすべきか、何を鍛えるべきか自ずと明らかになる。集団のなかで、人としての生きるための「人格の形成」を促すような実践を、今の学校は、なるべく子供たちにやらせないようしている。勉強さえおとなしくしておれば、問題ない子という姿勢である。

 このような子供たちの 「育ちそびれ 」の状態を、自民・公明の「教育基本法改正案」のめざす方向で、教育再生を行ったら日本はどうなるであろうか。
国家が家庭にまで国家の推奨する「規範」を守らなければ、「国を愛する国民」ではないなどと脅しをかけて、子どもを「育成」する教育。
すべての子どもが簡単にその色に染まりそうである。
そのような教育のありようで、子供たちに未来はあるだろうか。

 「人格の完成」を教育の目標におき、その達成のためには、専門家である「教師集団」が直接国民に責任を負うことを規定した現在の「教育基本法」の実現をめざす教育こそ、どんなに困難でもやり遂げる道ではないか。
 ひとりひとりの「個人」としての人格完成を目指す教育。人間として、社会の構成員として生きるには、どういう能力がひとりひとり必要か。
丁寧に個性を耕す教育。
これこそ21世紀の世界を切り拓く子供たちが身に付ける力だ。

 日本中が「国家の価値観」で「日の丸に敬礼する」、それに従わないものは、国を誇りに思わない「非国民」として、排除する。そういう事が容易になる法律、与党の「教育基本法改定案」が、今、衆院を通過しようとしている。このようなものは、極めて党派的なものであり、教育の名に値しないものである。

 そして、このような「国家主義」の最も急進的なオピニヨンリーダーの一人でもある、石原慎太郎東京都知事は、最近の文部科学省への「いじめ予告手紙」について、次のような発言をあちらこちらで繰り返している。
手紙について、「いたずら」「人騒がせの面白がり」としたうえで、「予告して自殺するバカはいない。やるならさっさとやれっていうの」とか、自分の長男の石原伸晃氏(自民党幹事長代理)がいじめられた際には、校長に「改めなければすぐ学校に出向いて、その先生をぶん殴る」と電話したなどと、その自分の体験談を披露している。さらに、「ファイティングスピリットがないと一生どこにいってもいじめられる」と発言している。
(権力も富もない庶民は、いくらいじめられていると学校に訴えても、いじめはなかったと却下されてばかりなのである。1本の電話でいじめが収まるとは、さすが権力者。強いもの、権力のあるものに都合のよいように国や学校は動いていることを、自らが告白したこれは発言である。このような人が日本の首都東京の長であるとは、選んだのは都民ではあるが)

このような「発言」を公共の電波を使い、堂々と発言している人たちが、何がなんでも、急いで成立させたい法律、それが、自民・公明両党の「教育基本法改定案」なのである。

この石原発言は、教育基本法改正後の教育のありようを、はっきりと国民の前に示している。






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最終更新日  2006.11.15 11:13:59
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