(子の自立は親の自立した生きざまから生まれる)
私は最近の大学生の親の態度に戸惑い驚いている。
大学に合格して親が喜び鼻高々、自分が合格したかのごとく錯覚して、異常な振る舞いをする親。大学生になった娘や息子の入学式に親が付き添う。親元を離れて暮らす場合は、学生には不相応なほどのマンションを与え、住まわせる。新学期が始まって1週間ぐらいは母親が付き添って、身の回りの世話をする。炊事洗濯などを娘の大学生のために母親が下宿先に寝泊りして行なう。更に、その後も「コインランドリーの洗濯場は不潔で気持ち悪い」といえば、新幹線に乗って親が洗濯物を取りに行く。そして、家に持ち帰り洗って、また新幹線で世話に行く。
こおような子どもへの世話は私には異常に見える。
このような親の干渉を素直に受け入れる若者の精神の幼さは、私には、異常に思える。
このような親と子は、特殊な例のように、私は思っていた。
しかしである。
今日の朝日新聞に、《学生の「過保護者」急増》という見出しで次のよな記事があった。
全国9私立大学の教職員が見聞きした「過保護者」の実例。
《履修登録》 親が窓口に来て履修登録を質問。そばの学生は黙って聞いている。
《父母からの電話》 「子どもは今日休むので、先生に伝えて下さい」 「板書の字がよく見えないそうだ。善処して」 「子どもが今日は「休講」だと言っている。本当だろうか?」
「試験が受けられなかったそうだ。どうすればいいですか。」「教室がいっぱいで座れないらしい。どうなっているの」等々。
《保護者向けの相談会》 「どうか卒業させてやって」 「特別に配慮を」と父母が懇願。
これらの言葉は、二十歳を過ぎた大学生自身が発しているのではなく(そうであったとしても異常、変)、その親たちが発しているのだから驚く。信じられない。
しかし、現実に起きている現象らしい。
入学式は、どこの大学でも父母で超満員。
法政大、東洋大は約1万4千人を収容する日本武道館を使い、「一学生につき保護者2名まで」と制限するのに満杯状態。明治大は今年度から武道館で午前、午後の2部制にした。
人数制限をしない大学では、祖父母や、乳幼児を連れた親類もついて来る。開場の2時間前から並び、ビデオ撮りに便利な場所取りに走る親も多いという。
これらの光景は、私には、にわかには信じられない。
まさに幼稚園の入園式と同じ光景である。
しかも、幾つものマンモス大学で起きているという事実。
私の周りに起きている事は特殊なこと、その家庭だけの問題かと思っていたが、この大学側の状態を知れば、私の直面する親子の現実は、ごくありふれた現代の親子模様ということになるのだろうか。
このような現象が起きているのは、どちらかと言えば、大学の難易度を上中下の三段階に分ければ、「上のレベルの私大」に多いように見える。
学校の成績のよい子供には、親は徹底的に寄り添って、大学合格は、まさに親自身の合格と同じ。その子どもに寄りかからなければ、親(母)自身も生きがいがない。
お互いに依存しあって、そこに溺れあっている。
それだけなら、まだそれは、その親子だけの当事者間の問題にすぎない。
いずれ、人生のどこかでこのような親子は、手ひどいしっぺい返しを受ける。そのような例は多々ある。悲惨な事例は多々ある。
しかし、同じ兄弟姉妹でも学校の成績の悪い子に対しては、放任主義。見放しているのである。寄り添って励まし、道を見つける手助けを最も必用としている子どもに対しては、実に淡白、冷淡なのである。
回り道が多い、手のかかる子に対しては、実にあきらめが早い。
結果として、どちらの子どもも人として、自立した人生を送れないまま、社会に放り出されることになる。
このような悲劇的な子育てが今、社会に蔓延している。
そして、大学は、学生数確保のため、このような親子をお客として丁重に扱わなければならないのである。
これが、2008年日本の若者達の姿の一つである。
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