さるのちえ

さるのちえ

2005年05月23日
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カテゴリ: 伝統文化芸能


「助六由縁江戸桜」(以下「助六」)の幕開きは口上で始まる。下手から、口上役の團十郎が、鉞銀杏(まさかりいちょう)の髷(まげ)に、市川家の家の紋(三升)をつけた柿裃(かきのかみしも)といういでたちで出てきて、助六劇の由来を述べる。「その助六を新・海老蔵がを相勤めまする。なにぶん古風な狂言でござりますので、ゆるゆるとご見物のほどを‥」と口上を述べた後、舞台正面の格子内に居並ぶ河東節(かとうぶし)連中に向かって「河東節ご連中様、どうぞお始めくださりましょう」と挨拶をして引っ込む。花道と舞台上手から「金棒曳き」が出る。吉原の「夜回り」である。

舞台は桜満開の江戸いちばんの廓(くるわ)吉原の三浦屋の前である。「闇の夜も吉原ばかりは月夜かな」と詠われるように、不夜城の遊里吉原に数人の傾城(けいせい)が並び、太夫(たいゆ)揚巻の登場を待つ。格子の御簾(みす)越しに灯りが入り、河東節の演奏が始まる。

「春霞(はるがすみ)たてるやいづこ三芳野(みよしの」の、山口三浦うらうらと、うら若草や初花(はつはな)に、和らぐ土手を誰がいうて、日本めでたき国の名の、豊芦原や吉原に、根ごして植えし江戸桜、匂う夕べの風につれ、鐘は上野か浅草か」

いよいよ、揚巻(菊之助)の道中である。若い者の肩に手をおき、ゆらりゆらりと八の字を踏む。伊達兵庫(だてひょうご)という鬢(びん)、18本の簪(かんざし)、3枚の櫛(くし)。衣裳は黒繻子(くろじゅす)へ松竹梅や注連飾り(しめかざり)など正月模様を金糸銀糸で彩り、前に垂れた帯は鯉の滝登りを現わす図柄。黒塗りの高下駄で八文字を踏む。

出迎えの傾城たちが「揚巻さんの道中は、どうやら船に揺らるるようじゃぞえ。さっき松屋で逢うた時から、よほどめれん(ひどく酔う)に見えたぞえ。どこでそんなに酔わんしたぞえ」と聞くと、「これはこれは、お歴々、お揃いなされてお待ち受けとは、ありがたい。どこでそのように酔ったと思し召す。恥ずかしながら、仲ノ町の門並みで、あそこからもここからも揚巻さん、揚巻さんとさあ、呼びかけられて、お盃(さかずき)の数々‥いかな上戸(じょうご)も私を見ては、御免御免(ごめんごめん)と逃げて行くじゃ、ホホ‥‥‥。慮外(りょがい)ながら三浦屋の揚巻は酔わぬじゃて」と揚巻は答える。ここは揚巻役の役者の見せどころである。亡くなった六世中村歌右衛門丈の揚巻はそれはそれは見事な揚巻であった。

口ではきっぱりと言うが足元が危うい。それを見た禿(かむろ)が「花魁、危のうござんす」と言う。揚巻は「これは大きな奴(やっこ)さんのご意見。近ごろありがたい。誓文酔わぬぞえ(神に誓って酔いません)」と答える。禿は「酒のさめる薬」を勧める。「なんじゃ、袖の梅じゃ。誰が袖(たがそで)ふれし袖の梅、とはよう詠んだ歌じゃのお」と、実際に流行っていた薬の名をあげる。今でいうならコマーシャルである。こうして、揚巻は本舞台に進む。

河東節「おちこち人の呼子鳥(よぶこどり)いなにはあらぬ逢瀬より、ここを浮世の仲ノ町‥」コーンと鐘の音が入り、傾城白玉(亀次郎)と意休(左團次)の出となる。白玉は禿・新造・遣り手・若い者を従え、髭(ひげ)の意休は子分の男伊達に刀・座布団・煙草盆・香道具などを持たせ、左手を懐に、右手に鳩杖を引きずるように突いて出てくる。意休は揚巻をめぐって助六のライバルであり、長い白髭を蓄えたお大尽(おだいじん)である。意休は本舞台に進む。

そこで揚巻とのやり取りがある。意休は助六のことを「盗人」とののしるに及んで、揚巻は悪態(あくたい)をつく。一つの見せ場である。「慮外(りょがい)ながら揚巻でござんす。男を立てる助六が深間(ふかま)、鬼の女房にゃ鬼神(きじん)とか。さあ、これからは揚巻の悪態の初音(はつね)」と、清掻き(すががき)の合方(あいかた)にのって名台詞が始まる。「もし、意休さん、お前と助六さん、こう並べて見るときは、こっちは立派な男振り、こっちは意地の悪そうな、たとえて言わば雪と墨(すみ)、硯(すずり)の海も鳴門(なると)の海も、海という字は一つでも、深いと浅いは客と間夫(まぶ)、暗がりで見ても、お前と助六さん、取り違えてよいのもかいなあ。ホホ、ホホ、、、、」と、実に小気味のいい啖呵をまくし立てる。揚巻はキセルと指をうまく使って、両者の良し悪しをたとえる。これが『揚巻の悪態の初音』である。



河東節の「思い出みせや清掻き(すががき)の、音〆(ねじめ)の撥(ばち)に招かれて、それと言わねど顔世鳥(かおよどり)‥」で、揚幕がシャリーンと開くと、蛇の目傘(じゃのめがさ)をつぼめて顔を隠した江戸随一のいい男、助六の出である。前かがみで花道を出て、七三に来る。

河東節が「思い染めたる五つ所(いつどころ)、紋日(もんぴ)待つ日のよすがさえ、子供が便り待合の、辻うら茶屋に濡(ぬ)れて濡る、雨の箕輪(みのわ)のさえかえる」で、助六は傘を開き、左手で持ち替えると、右袖を返し、正面を向いてきまる。白い顔、目を紅の「むきみ」に隈どり、紫の鉢巻に色気が漂う。

杏葉牡丹(ぎょようぼたん)の五つ紋、黒羽ニ重(くろ・はぶたい)の着付、その紅葉裏(もみじうら)が浅黄(あさぎ)の下着に映える。浅黄地に三升(みます)・寿海老・牡丹を金糸で織り出した博多帯(はかたおび)、背には尺八(しゃくはち)、腰には印籠(いんろう)、玉子色の足袋(たび)に桐柾(きりまさ)両ぐりの下駄という、色男の拵え(こしらえ)である。吉原の花の雨をよける心で蛇の目傘を使って、頬杖(ほほづえ)の形、着物の紋を見入って立つ形など、数々の美しい形を見せる。

舞台の並び傾城たちが「助六さん、その鉢巻は、ええ」と問い掛けると、「この鉢巻のご不審か」と。そこで「この鉢巻は、過ぎしころ‥」との河東節で、右手でいただき、軽く頭を下げるのは、贈り主の魚河岸(うおがし)への礼儀である。

実はあの鉢巻は「江島・生島」の物語に深く関わっている。團十郎に江島が贈った着物を包んであった紫の袱紗(ふくさ)を鉢巻にしたというのが実話らしい。生島は團十郎の身代わりで島流しになる。今は「贈り主の魚河岸」への礼とされるが、実際には江島のこと、生島への思いなど助六としては複雑なものがある。さらに蛇足ながら、病鉢巻はすべて左であって、右にするのは助六だけである。

「松の刷毛先‥」で、右足を大きく踏み出し、重心を右足にかけ、右手をいっぱいに伸ばして、開いた傘の縁(ふち)を持って見上げた形が、ご存知の「透き額」(すきびたい)の形である。そして「富士と筑波の‥」は、その形のまま、右左と、ジリジリと摺り足(すりあし)で寄り、「かざし草‥」できまる。

「浮世はえ、車‥」からは、ぐっと和事味(わごとみ)を出して、「形(なり)ふりゆかし、君ゆかし‥」と、色めきを見せる踊りとなり、助六が「君なら、君なら」と言う。「新造(しんぞ)命の揚巻の、これ助六の前渡り(まえわたり)、風情(ふぜい)なりける次第なり」で、花道から舞台下手に出て、右手の傘を広げ、左は軽く握って懐(ふところ)から覗かせてきまる。舞台の傾城たちが「ヤンヤ、ヤンヤ」と褒める。





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最終更新日  2005年05月25日 08時48分35秒 コメントを書く
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