さるのちえ

さるのちえ

2005年05月25日
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カテゴリ: 伝統文化芸能


「助六」の芝居は「曽我兄弟」をモチーフにしている。二人の兄弟は父・河津三郎(かわずのさぶろう)が不慮の死を遂げた後、源家の重宝・友切丸(ともきりまる)を奪われた。そこで友切丸を見出し、父の仇を討つことに努める。だから、弟・助六の噂を聞いた兄・新兵衛は意見をする。

新兵衛、すなわち、兄・祐成(すけなり)は「こなたはどう心得ている。このほどより、この廓に入りこみ、毎日毎日喧嘩ばかりをしやるげな。竹町で竹割にしたのは誰じゃ、助六。砂利場(じゃりば)で砂利へ蹴こんだは誰じゃ、助六。馬道で跳ね倒したは誰じゃ、助六。雷門で臍(へそ)をとったのは誰じゃ、ありゃ助六とまあ、烏の鳴かぬ日はあれど、そなたの喧嘩の噂を聞かぬ日とてはないわいなあ‥」と畳み掛けての意見をする。

しかし、この喧嘩は親孝行のためと言う助六は「紛失(ふんじつ)の友切丸を一日も早く詮議(せんぎ)し、敵祐経(かたき・すけつね)を討ちたいと、千々(ちじ)に心を砕くも今日まで行方はしれず。幸い廓は人の入りこむところ、無理に喧嘩をしかけ、抜かねばならぬようにして、あれかこれかと詮議しているのでございます。訳もお聞きなされずに、今のようなお言葉。ああ、いややの喧嘩、許させ給え、諸仏諸菩薩(しゅぶつしょぼさつ)、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、喧嘩をやめて坊主になると言い出す。

事情が分かり、誤解をしていた新兵衛は助六に許しを乞う。しかし、助六はそっぽを向いている。「これはどうじゃ。田圃(たんぼ)から拝む観音様、後ろ向きとは曲がない」との言葉に、やっと機嫌を直し、「ならば、喧嘩をしても大事ござりませぬか」「大事ないとも。喧嘩はお前によく似合うておる」と持ち上げ、やがてはともに喧嘩をしようと言い出す。

助六は新兵衛に「喧嘩の仕様」を教えることになる。「喧嘩はまず足が肝心(かんじん)。肘(ひじ)をはって、足をこう踏んばって、野郎め、まぜ突き当たった、鼻の穴へ屋形船を蹴こみ、大溝へ浚いこむぞ、こりゃまたなんのこった、と、こうせねば先の相手が怒りませぬ」と、何度も練習をする二人の遣り取りが、また絶妙である。

「そうこういううち、風吹烏(かざふきがらす)が来るわ、来るわ」と、二人が顔を合わせて、うなづきあう。唄入り、通り神楽(かぐら)の華やかな合方につれて、上手から廓通いの遊び人たちがやって来る。国侍(十蔵改め市蔵)が伴を連れてやって来る。助六は往来の真中に仁王立ちして「股をくぐれ」と言う。国侍は見上げると、いかにも強そうな助六に仕方なく、刀を草履(ぞうり)にとおして、股をくぐる。伴奴も同じようにくぐる。やっと済んだかと思うと、新兵衛が「股をくぐれ」と立ちはだかる。しぶしぶ、同じようにくぐる。花道へ来て、二人が悔しさを仕草で表して去る。

次に通人(つうじん=亀蔵)と呼ばれる遊び人が来る。構わず、助六は「股をくぐれ」と両足を広げる。「吉原の真中で、股をくぐれとは、乙(おつ)なものでげすな、と申して、くぐらぬのもまた野暮(やぼ)でげす」とか、なんとか言って、おどけた芝居をする。ここは「なんでもアリ」の場であり、いわば「息抜き」の場面である。通人は当世流行の歌を歌ったり、香水を振り掛けたり、シャレや冗談をさんざん見せつける、いわばちょっとした気休めなのである。

この狂言のなかで、通人は「自分の思いつくままになにをやっても許される。一説によると、もし工夫して助六を笑わせたら、ご褒美が出るという。この通人は、亡くなった権十郎のが逸品であった。通人が花道へ引っ込むとき、ふざけたことを言いながら、センスをパッと開き、「おお恥ずかし」と言って揚幕に入る。



そこへ編笠(あみがさ)を冠った侍客が揚巻に送り出されてくる。「やい、侍。この広い往来でなぜ足を踏んだ。鼻紙(はながみ)を出して拭(ふ)いていけ」と助六が因縁をつける。新兵衛も「拭かせろ、拭かせろ、今拭かざあ拭きえまい」とけしかける。しかし、揚巻は「これ、粗相(そそう)言うて、後で謝らしゃんすなえ」とたしなめるが、助六は「うぬが知ったことじゃあねえ。黙っていやがれ、売女(ばいた)め」と罵る。

助六はなおも追いかぶせるように「なぜ物を言わねえ、聾(おし)か唖(つんぼ)か」と言うと、新兵衛は続けて「のっぺらぼうか」と、二人が騒ぐ。助六は「第一、その蓮っ葉(はすっぱ)を取れ」と、編笠を取ろうとして、顔を覗きこみ驚き慌てる。
すごすごとさがる助六を見て、新兵衛は「どうした、どうした。祭りが支えた(つかえた)な。(喧嘩の勢いがそれたかという意)よし、おれが出よう」と、助六がとめるのを振り払ってしゃしゃり出る。

「ことも愚かや(おろかや)揚巻の助六が兄分、襟巻き(えりまき)のぬけ六とも、白酒の粕兵衛(かすべい)ともいう者だ。こりゃ、こっちの足が住吉の反り足(そりあし)、こちらの足が難波(なにわ)のあし‥。抜けば玉散る(たまちる)天秤棒(てんびんぼう)、坊様(ぼさま)山道、破れた衣(ころも)、ころも愚かや揚巻の前立ち。家に伝わる握り拳のさざえがら、うぬが目と目の間を‥」と、相手の顔を覗き込んで、助六同様うろたえて逃げていく。新兵衛は「ああ、死んだ」と下手(しもて)の床机の下へ首を突っ込む。

二人が慌てるのも道理、この侍客は、二人の母・満江(まんこう)なのである。母は助六の喧嘩をたしなめる。そして、赤い毛氈(もうせん)に包まっている新兵衛を引っ張り出してみると、なんとこれが兄・祐成(すけなり)である。満江は亡夫への言い訳に死ぬと言い出す。兄弟はあわてて押し留め、喧嘩は友切丸詮議のための苦肉の策と説明する。

母は助六の体を心配して、紙衣(かみこ)を取り出し、「手荒うすると破れるぞ。じっと堪忍して、紙衣のやぶれぬよう。これを破ると母の身に傷をつけるも同然じゃ」と。早速、助六は紙衣に着替える。小豆色(あずきいろ)に黒の切継ぎの紙衣姿が、この伊達男に艶やかな二枚目の趣(おもむき)を添える。

友切丸詮議のため、なお廓にとどまる助六を残し、「松にふじなみ‥」の、しんみりとした下座音楽のうち、心残る風情で満江親子は、後を揚巻に託して夜の廓を立ち家路につく。それを見送る揚巻は、そっと右手を胸に当てて、満江の無言の頼みに応える。その傍に紙衣姿の助六が座っている。ここのところは、私の好きなシーンである。母・満江の依頼を引き受ける太夫・揚巻の心意気を見せる仕草になぜか泣けてくる。

少し赴きは違うが、忠臣蔵の四段目「判官切腹の場」は、「通さん場」ともいわれ、判官の切腹が言い渡された以降は大星登場まで客席への出入りが禁じられる。大星は切腹に間に合わない。到着した時には「遅かりし、由良之助」である。「か・た・み」と言いつつ、九寸五分の短刀を手渡す。「仇」(か・た・き)の遺志と受け止めた由良之助は、物を言わず、ポンと胸をたたく。無言のうちに主従の心が通じる名場面である。これと匹敵するほどの揚巻の演技である。





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最終更新日  2005年05月25日 08時47分39秒 コメントを書く
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