さるのちえ

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2009年04月29日
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カテゴリ: 食文化
今日は昭和天皇のお誕生日、というより「天長節」である。小学生のころ、紅白のお饅頭をもらったことを思い出す。学校はお休みだが、講堂へ集められ、ご真影(天皇陛下のお写真らしいというのは、直に見ると罰が当たるといわれていた)を白手袋をした校長先生が恭しく持って出て来て、講堂の正面に飾る。「一同、最敬礼!」との掛け声で深々と頭を下げる。

それから、校長先生が「教育勅語」を読むと、また最敬礼をしながら聞く。「御名御璽」(ぎょめいぎょじ)と言うと、頭を上げるが、そのとき、決まって鼻をずるずるすする。昔は「洟垂れ」が多かったように思う。「今日のよき日は大君の生まれ給いし予期費なり‥」と、天長節の歌を唄う。

そんな昭和10年代の「味」って、何だったのか? 魚はあったが肉類はあまり食べた覚えがない。果物といえば、みかん、りんごはあったが、バナナやメロンなどは、滅多にお目にかからなかった。パイナップルは、缶詰が普通で真ん中に穴が開いて甘い汁につけてあるものしか見たことはなかった。戦後、昭和40年ごろ、初めてハワイに行ったとき、バナナ畑に連れて行かれ、「こんな風に成っていたのか?」と、驚いたことを覚えている。

戦時中は「すいとん」をよく食べた。小麦粉の団子をいれたお汁である。ときには、野菜などが入り、味噌汁仕立てだったが、戦争が激しくなると、すまし汁と小麦粉の団子だけだった。でも、けっこう美味しかった。昭和の味といってもいいだろう。サツマイモの蔓(つる)や、イナゴの佃煮風のものや、食用蛙なども食べた。

戦後の闇市では、闇鍋のような、中身が判然としないものが屋台で売られていた。殻のベルトを切ったような難い肉のようなものが入っていたことを覚えている。そのころ、「銀シャリ」と呼ばれていた白米を食べるのはエリートだけだった。いわゆる雑穀米が普通だった。しかも配給米だったから、量も少なかった。

進駐軍が入ってきたとき、チューインガムを貰って食べたとき、「こんなおいしいものを食っている国と戦っていたのだから、負けるのは当然だ」と思ったものである。まるで鳩に餌をやるように、ジープの後ろについていく子どもに、ガムやチョコレートなどを「与えてくれ」のを先を争って拾うのである。国辱的な光景だったが、飢えた日本の子どもには「なりふり」構わぬところがった。





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最終更新日  2009年04月29日 11時43分49秒
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