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本日、一軒目の仕事から帰って来て疲れた、疲れたアしか口から出なかったんですけどね、二軒目の仕事に向かう途中、遅れそうになって走ったんです。 そしたら、気分爽快ですわぁ。だ~~~~っ、もうこのところの気鬱は単なる運動不足だったのかよっ、って自分でツッコンじゃいました。 でも、思い返せばもっともよね。10月に風邪引いて犬の散歩行くのやめて、治ったと思って再開したのも束の間、11月の初めから暮れまでずっと風邪引きっぱなしで、そのうえ捻挫したから、ずっと運動不足。ここ3ヶ月にした運動らしい運動って・・・ラジオ体操3回くらいかな。 だから、今日も走ったらすぐ息あがっちゃったんですが、それでもなんか気分はいい。たったこれだけでも気分が変わるなら、ブロイラーの鶏はさぞかしいろんなもの溜め込んでいるんだろうな、その鶏の産んだ卵食べたり、鶏肉食べたりしてるから、世の中こんなにイガイガトゲトゲしてるもの無理ない、って妙なところで納得しちゃいました。問題はデスネー、捻挫完治してないから、足痛てーよ、ってこと。それでも腐った気分よりマシだから、ま、しょうがないか。
2006.01.31
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翠川あやめさんが「ご機嫌な毎日」ならさしずめ今の私は不機嫌な毎日?本を読み始めたら、それが当たりなのー。面白いのー。それでもう仕事に行きたくなくなってる・・・だーっ、もうどうにかしてよ、この性格。今はなんかドツボにはまってるのでアカンのや、こういうときは何か考えたらアカンのや。で、何の本かっていうと、16日に、本屋さんのバイトがどーのこーのって書いたときに注文した本。 でも、仕事に行ったらそれはそれで楽しいの。仕事のことだけ考えていられるから。(だからオマエ、考えるのやめろ!って、思うのよね、自分で) 21日に降った雪がまだ残ってるよ~今日は雨降ってるのにまだ残ってるよー
2006.01.31
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昨日は何日かにいっぺんの発狂の日であった。仕事帰りに大きな陸橋の上を車で走っていたら、アクセル踏み込んで対向車線に出たくなった。やべー、やべー。いや、別に死にたいとかーゆーわけじゃないんです。そんな根性ないっす。そこまで追い詰められていないっす。そこそこ不満のない生活してるつもりです。読みかけの本も3冊くらいあります。どれも面白いです。そーゆーことじゃないんです。そーゆーことじゃないんだけどさー、チキンレース挑みたいわけでもなんだけどさー、ただガシャンてグシャグシャになれたらいいな、ってそーゆーこと一瞬頭を過ぎっちゃうわけよ。陸橋の柵乗り越えて下に落ちたい、とか。でもねー、去年実際あったわけ。そーゆーこと。割とうちの近くで。歩道のガードレールも高い柵も突き破って乗用車おっこったの。それで運転手も同乗者も無事だったんだよねー。大した大怪我もせず。2社の線路の上に落ちたんで電車止まって大迷惑。あの人今頃、どうしているのかなあ。 以来、柵が頑丈になって細かいパンチングメタル張られて見晴らしが悪くなった。陸橋の上は見晴らしよくてお気に入りの場所だったのに、すっかり嫌な場所になってしまった。昨日は誰かの嫌な場所を作らなくてよかった。
2006.01.31
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一つ前にわけのわからんモラトリアム人間みたいな記事を書いたが、本当は自分で何が欲しいのか、さっき書いたよりもうちょっとわかってるつもり。 でも、それを手に入れるために努力するのが面倒くさい。いろんなこと今更犠牲を払いたくない。月が欲しいからといって、独力でアポロ組み立てようとは思わんでしょ。そんなもんです。がむしゃらに夢を追い求めるほどこっちとら若くはないのだ。体力・気力がないって意味でもあるし、分別がある、って意味でもある。 だからなんかなだめすかす方法を身につけるほうが得策だ、それだってきっとそこそこシアワセなんだと思う。 そんな私が様付けする殿方はベッカムでも、ぺ・ヨンジュンでもなく、アンドレ・アガシ様。 アガシ様は、あるときたまたま初めてテレビで試合のお姿を拝見したら後光が差して見えた。 あんなふうに柔和に人を包み込む雰囲気を醸し出し、淡々と戦いに勝つ男というのはカッコイイ。 敵は対戦相手ではなく、自分自身なのだということを教えてくれる試合運びが好きだ。 でも、現実に彼とお知り合いになれる機会があったら、多分私は遠慮しておくと思う。一回くらい間近で拝見してみたいとは思うけど、でも傍に寄ったらきっと息もできない。 身の引き締まる思い、というのだろうか。ああいう几帳面なお方はルーズな私は付き合いきれない。ムコウ様もお嫌だと思うのね、だらしない女は。 同様に松岡修造さんが好きだ。ああいう熱い男は世直ししてくれるんじゃないかと期待させる何かがある。自分に厳しく精進していく様は、毎日学ぶことが多くて感動に満ちているだろうな、と思う。 だけど、彼とも友達になりたくない。友達だったらうざったく思うと思う。勘弁してよ~って。「ウザッ」と思うだろうけれど、彼が嫌いなわけじゃない。松岡さんが好きだ。 放牧に出ている牧童だった夢を見た日、自分の子供の頃のことを突然思い出しました。 中学の2年か3年のとき進路について学級会で話し合う場が設けられました。 その時、クラスで一番できる恵子さんが、県で一番のみんなが行きたい進学校じゃなくて「私は3番めの女子高に行きたいです」と発言しました。 恵子さんは天才肌じゃなくて、努力家で、みんながこっそり塾に通い始めたりしてるころ、自宅で、こつこつ予習復習して学校の成績がいい、っていう優等生タイプ。文武両道でお勉強は全部できるし、体育もできるし、背は低いけどバレーボール部で頑張ってて、人望が厚くてとにかく絵に描いたような優等生。 中学3年間てクラス替えがなくてずっと同じ友達で、ずっと同じ担任の先生なんだけど、私たちの担任は若い女の体育の先生でした。 私たちのクラスが初めて受け持つ担任で、他のクラスはみんなベテランの男の先生で担任は私たちを一人でも多く、良い県立高校に入れたいって思っていたらしいのです。 うちの中学は進学校で、県で一番高校の大半はうちの中学から行ってました。 生徒にはわからないけれど、多分、担任の先生の間ではうちのクラスからそこには何人入れた、って競争心があったんだと思います。 そこで、担任は作戦を立てたのです。 成績のいい男子はなるべく一番の高校を受験させて、女子は3番手の女子高を受験させる。って。 要するに、女子にも一番の高校を受けさせるとそれだけクラス内での競争率があがっちゃう・・・ってよくわからない理屈なんだけどね、県立に一回落ちちゃうともう私立に行くしかないから、女子高で伸び伸び楽しい高校生活を送らせたほうがいいですよ~って説得されると、その方がいいかな、って親も思っちゃったりしてけっこう女子は、その女子高志望者が増えつつあったのでした。 それで、恵子さんも1年生のうちから大学受験を意識しているような一番の高校じゃなく、女の子ばかりの三番高校で、伸び伸び楽しい高校生活を送りたいです。というような発言をしたんだったと思います。 それを聞いて、私は憤慨しちゃいまして、「恵子さんなら東大にだって行けるのに、なんでみすみす自分の実力を十分発揮しようとしないの。」って。実に大人げないんすけど、ほんとに子供だったんだから勘弁してくれよ、って誰に謝ってんだ?私は?若気の至りってヤツですね。(照) その一番高校からは毎年東大に何十人も入っているんだけど、(私たちの頃は一学年400人ちょっとで80人くらいは進学していたと思う。)一方、三番女子高校からは、学校の規模はあまり変わらないのに、東大へは2年に一人くらいしか入ってない。入る時の学力はそんなに大きな差があるわけじゃないんだよ、だけど入ってしまうと校風が違うというか、なんかよくわからないけどそんな風に差がついちゃう。 別に東大目指すだけが勉強する目的ではないけれど、上を目指している分には人生の選択肢が広がる。それを後から広げることは難しい。世の中には頑張っても三番高校にも落ちちゃう人がいる。恵子さんなら一番高校に入れるの確実なのに、それを勝負しないのは、自分に対しても周りの人に対しても冒涜だ、って当時、「冒涜」なんて難しい言葉は使わなかったけどさ、なんていったのか覚えてないけど、とにかくベストを尽くさないのはいけない。っていうようなことを言ったわけ。 それで、結局恵子さんは一番高校に入って、東大に現役合格して朝日新聞に入社しました。その後、 30半ばまで独身で頑張って、この人、このままずっと独身主義なのかしらん、と思っていたら、メル友だった中学学時代の同級生と電撃結婚し、それもメールでプロポーズだったんだそうな。私は今では直接交流がなくて、つうか劣等生のコンプレクスで中学の同窓会には顔を出さないのだけどね、だいぶ前に中学時代の友達から彼女の近況を聞いたのでした。で、その結婚相手はS君という数学が好きな変わり者なんですが、それを教えてくれた友人は「あのS君が恵子さんと結婚するとはねー」と驚く私に「そう?私は案外似合ってると思う。同窓会でもそんな話が出たんだけどね、S君が結婚するとすれば、恵子さんかあなた(=私)だと思ってた。」という発言にぶっ飛びました、ワダグジ。 その私のぶっ飛び具合はちょっとS君と私の関係を知らないみなさんにはお伝えしにくいんでここではカットしちゃいますが、人生つうのはわからんもんよのぉ。あ、断っておきますが、付き合ってたとか恋愛感情とかお互いに一切なしです。ただ、席が隣同士ってことがよくあって、思い返すと3年間のうち半分以上がアイツの隣だったんじゃないかな、って印象なだけです。で、S君はこの際どーでもいいんですが、中学の卒業式の後に、恵子さんがお手紙をくれたんです。 「あの時あなたに言われたおかげで一番高校に合格できました。ありがとう。私は一番高校で東大を目指します。でも、あの学級会で私が言ったのは担任に洗脳されたわけじゃなくて本当の私の気持ちでもありました。それはわかってください。」 って。 あのあと、私は自分の言ったことを間違ってるとは思わなかったけど、でも、なんかちょっと余計なこと言っちゃったかも、しかもみんなの前だったし、悪いことしたかな、ってずっと後味悪かったんで、そんなふうにお手紙をくれた彼女の心遣いはとてもうれしく思ったんですがね、一番高校に入ったのも、東大に進学したのも全部彼女の努力の賜物でしょ?私は野次っただけ。でも、そんな些細なきっかけで人生って動いたりするものなのかしら?ってちょっと不思議な気分で思ってたんです。 ふとそんなことを思い出していたら、全然別の友達からメールが来て・・・って長くなるんで、本日これまで。続きはまたね。
2006.01.30
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今朝はギャンブルの夢を見た。ラスベガスじゃなくて、どっか山奥のカジノに行ってた。でも、私は出てこなくて、『フレンズ』のチャンドラーとレイチェルと小学校2年の時以来会っていないキタヅメ君という男の子が出てきた奇妙な夢だった。 そんな話はどーでもいいのだが、このところの生活を振り返ると、私は幸せなんだと思う。 倒産騒動も落ち着いてやっと仕事も軌道に乗り始めたし、ちゃんと収入が入ってくるようになれば好きな食べ物も買えるし、フェイスマッサージもしてもらったし、実家からは面倒なこと持ち込まれないし、捻挫は治ってないけど歩けないほどじゃない。風邪は治ったし、なんのトラブルもなく、平穏無事が一番!と願った今年の願いが早くも叶えられているじゃん。なのに、心の中はちっとも穏やかじゃない。心許ない。大波がどんぶらこっこと立っていて、水位を下げるために泣きたいのに悲しいことがなく、泣くきっかけがないのでびしょびしょのまま、みたいな心境だ。「あなたは平凡な人生では満足しないでしょ」と占いとか友達とか言われる。この間も言われて「そんなことないよー、普通が一番!」って言ったら、「普通の人はそんなこと言わないの」と笑われた。で、今になって、やっとそれを自覚してしまった。 相変わらず回転のごくごーく鈍い脳みそなんですが、刺激のない人生なんて生きてる気がしないんだ、私。 それが、根が怠け者なので、嫌な刺激を受けると動く。我慢しきれなくなったら不快なものを取り除こうとしてやっと行動に移る。そういう無精者なので、去年は嫌な刺激ばかり自分で招いてしまっていたんだなあと今になってそのカラクリがわかった気がする。 例えば、フェイシャルエステに行ったのも、このところ、ずっと顔が疲れている、という自覚があった。疲れきって、仕事でする笑顔もなんか頬の筋肉の動きがぎこちない、張り付いている、ってくらい無理やりなブキミ笑顔だったと思う。それでも、笑顔作って、子供と接してたら本当に笑えるようなこといっぱいあって救われてたんだけどさ、それで、顔の疲れをとりたい、マッサージ受けたいと思いつつも我慢して行かなかった。ずっと。 年始に往復延べ30時間飛行機乗りついて肌の調子も悪くなったので、いよいよ諦めてエステに行った。でもなんかもう一応売れちまって市場に出回るわけじゃなし、今更顔の手入れなんかしてもな~ってそれを後ろめたく思う自分がいて、こんなのムダかも?と思いながら受けるマッサージなど気持ちよくもなんともないじゃん。みすみすムダにしてるのは自分じゃん!ってわかってるんだけど、「気持ちよくなりたい」は私の動く動機にはならない。心でも体でも我慢の限界を超えて「疲れた、傷んだ、修理しなきゃ」となったらやっとこ動く。 だからね、我慢の限界を超えるような即動かざるを得ないようなことばかり身に降りかかっていたのよ~ってわけ。まず、それをやめよう。自分のためにいいことしよう。それはムダじゃない、って言い聞かせなくちゃ。 人生なんて所詮ムダの連続。 この妙な効率主義は母の呪いなのだ。母は趣味というものに無理解で私が趣味のホームページを作っていたら、せっかく凝って作ったそのページを「そんなの時間の無駄。そんな金にならないことしてないで、なんかお金になることしなさいよ」と言った。そんなことは小さい時から散々言われ慣れていたはず(うちでは読書は禁止だったんだよー、本読んだりテレビ見たりする時間あるなら勉強しろーって、それでこっそりゲームウォッチばかりしてて、こんな阿呆ができあがった)だが、当時独学で学んだHTMLを駆使して作った力作をそんなふうに切り捨てられてすっかりしょげ返ってしまって、そのぺージを通じて知り合った同好の志のおじさまにBBSで嘆いたら、「お金にならない、時間の無駄に情熱を注ぐ、趣味ってそういうものでしょう」と言われ、目からウロコでなんかちょっと救われた。かくいう母の趣味はといえば、当時はバーゲン荒らしで、買い物しまくり、その戦利品を友達に高く売りつけて稼ぐ、稼いだ金を元手にまた買い物に行く、という趣味と実益を兼ねたアッパレな、サモしいお楽しみだった。そー、私から見たらそーゆーのさもしいの。友達からお金稼ぐなんて有り得ない。だけど、母の場合それで買ってきてもらった友達は感謝してるし、稼いだ金でイタリアとかいって買い物してきてまた日本でさばいてるんだから大したもの、といえば大したものよね。って・・・そりゃ趣味とはいわねーだろーってことにしばらく気づかなかった・・・ただお金と時間を潰すだけの趣味しかもてない自分はダメ人間なのかと思ってたよ。あかん、あの人は基準にならんのじゃ。ということはわかっていたつもりだったが、やっぱり全然わかっていなかったらしい。有益性を求めずお楽しみだけのために動くことに罪悪感を伴ってしまう。 母のせいばかりではなく、私にとって明治の知識人というのはある種理想の生き方で、決して自分の知識欲だけで留学したのではない。彼らが勉強することは即国のためになる。働かずに勉強させてもらっていることに恩義を感じつつ、大義のために勉強する、というストイックな状況が、ある意味羨ましいのだ。 この呪いを解かねば・・・この時代錯誤な感覚を拭い去って、自分が楽しむだけのために何かをしてもいいのだ。と言い聞かせねば。 やっと幸せ感じなきゃバチ当たるような恵まれた状況に身を置かせてもらえるようになって、でも義務感で「幸せ感じなきゃ」とか「満足しなきゃ」とか思ってみても、心の底から幸せ感じられるわけじゃない。 なんか欲望を持たないと前に進めないんだ。これでみたされてちゃいけないんだ。そーやって世の中みんな進んでるんだから、ホレホレ、と自分のお尻叩いてみても、欲しいものなんてたいしてなく、せいぜいが、暖房器具とか加湿器とか、かな。とこれまた寒さという不快が嫌という動機の答しか浮かばない。なんか欲望に火をつけないと。って。変だよねー、これってなんか変だよねー。「吾足ることを知る」なんだけど「足らないことを知らず」なんですよ、多分。 なんか生き甲斐にできるような面白いこと楽しいことってなんだろう。こうしてブログ書くのも、人様のを読むのも楽しくないわけじゃない。でも、そーゆーことじゃないんだよなー。 今ひとつ、頭の中に浮かんでいるのはマラティー語を習いに行くこと。多分、これは辛くて楽しいと思う。遣り甲斐感じちゃうと思う。習い始めたら、しばらくはそれでやり過ごせると思う。そうわかっていながら、ぐずぐず行かないのは教えてくれる場所が遠い。電車乗り継いで片道2時間近くかかる。ちょいと仕事帰りに、とか行ける場所じゃない。学費も高い。(いや、リーズナブルなお値段なんですけど、私の生活水準が低いだけ)電車賃もかかる。てなわけでどーもね、踏ん切りがつかないままここ2週間くらい過ごしてて気分が悪い。 他に面白いこと見つけるほうが手っ取り早いかも、と思いつつも他で代用がきくようなことじゃ満たされないのかも。とも思う。それで誤魔化しきくくらいなら、こんな妙な悩みは抱えてないって。 なんかちょっとね、ここが正念場でここを抜けたら楽になるかな、って予感もうっすらあるんだけど、もしかしたら去年も一昨年も同じようなこと言ってたかも?ええーいっ、しゃんとしろっ!
2006.01.30
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今朝は四国の友達に会った夢を見た。だけど、その友達といっしょに行ったのは福島県だった。やっぱり、私、旅がしたいのかしらん?なんで福島だとわかるかというと会津のお城を見たから。でも、私が実際にいったことのある会津城よりもっと大きく立派だった。(会津城を愛する方々ごめんなさい)で、どーしたか忘れた。目が醒めちゃった。 今回首をポキッとは治されていないけれど、カイロ以来怖い夢でなくなったのは確かだ。 深層心理が旅に出たがっている、かどうかはわからないけれど、表層心理の私は脱皮したい。今無性に脱皮したい。 そこで、前に書いたような気もするが、韓国アカスリ手袋を買ってきた。ぴんくでかわいーの。でも一回使ってがっかり。手袋が石油臭くて、嫌なの。石鹸で洗っても匂いが取れないの。 ナイロンタワシはお肌に悪い、というのは知っていたけれど、どーしても脱皮願望に勝てなかった。 前に一度だけ日本で韓国式アカスリというのをやってもらったことがある。気持ちよかった。で、以来、若いお嬢さんたちには「韓国アカスリエステツアー」なんて安いツアーがいくらも出てるけど、オススメしないの。反対してるの。そんなの行っちゃいけません。て。いかんですよ、若いうちにあんな快楽を覚えてしまっては。身を滅ぼす元です。って。あんなものはもっと年取って他に楽しみがなくなってから行ってください。で、あの快感がご自宅でお手軽に味わえるなら、とお肌に悪いといわれるナイロンタワシを100円ショップで買い込んだおバカなワタシ。匂いさえ気にしなかったらすっきりしますよ。そりゃいいんですけどね、でも、なんかやっぱりこの石油臭さは只者ではない、やっぱ天然素材の方がいいっしょ、っと今度はヘチマを買い込んだ。 長さ12・3cmのへちまを立て切りにして、内側の種がついてた方で背中とかこするの。へちまって外側より内側の繊維の方が断然強いんです。それでかなり脱皮気分を味わえる。 余談ながら、ワタクシは固形石鹸党なんですが、亭主は液体ボディーソープ派なのね。で、すぐスポンジをだめにする。どーやってつかってるんだか知らないけれど、すぐボロボロにしちゃうんです。そのくせ、背中とかたまに洗ってやらないとぬるぬるしてる。随分昔に気づいて、「朝晩お風呂に入ってるのに、なんで背中が汚いの?ちゃんと洗ってるの?」と聞いたら、「洗ってないよ。だって、届かないもん。」だって。ありえねー、この亭主ゼッタイありえねー。 背中までチェックしないで買っちゃったアンタが悪いのよ、今更返品はできません、てなわけで、たまに背中をこすってやる。最初の頃は人を疑うことを知らないとても素直な人だったんで、「背中洗ってくれるの~?やさしいねー」かなんか言ってたんですけどね、こっちとらそんな甘い気分じゃありません。野良仕事終えて小川で牛を洗う気分です。すそまくりして、袖まくりしてゴシゴシ、って。 だから牛にすぐ消耗してしまうおニューのスポンジはもったいないと思って、半分に切ったへちまを渡しました。これでよく擦って。背中も。って。 するとすぐに苦情が出ました。「泡立たないからつまんない。ふわふわスポンジがいい~」って。おい、40すぎたおっさんがふわふわスポンジで泡立てて楽しむなよ、と思いますが、それならとスポンジそのものを渡すとすぐにボロボロにちぎってしまうので(ほとんど犬と同じね)ネットに入れて、「はい、これで泡立てて、そのあわをヘチマに乗せてお使いなさい」と説明して3日位経ちます。そんな面倒くさいことを本当にやってるのか知りませんが、その後、苦情が出てないので放ってあります。で?何の話だっけ?脱皮?余計なこと書いてたら脱皮の前に家出したくなったわ。
2006.01.29
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カイロで骨格を整えてもらったせいか、昨夜は、集団温泉旅行ではなく、怖い夢でもありませんでした。 牧場主のおじさんの言いつけで、たくさんの牛を連れて放牧に出なければいけませんでした。夢の中の僕は牧童でした。放牧、といっても、ただ放してくればいいわけでなく、僕もついていかなければならない遊牧の旅です。 そんなわけで、目が醒めたらどっと疲れていたのに、亭主が荷物を頼んでおいたアメリカ人の友達がこれから来るから急いで掃除しろ、とのこと。 掃除の合間に、洗濯が終わったので、干そうと思って洗濯機を開けてびっくり。亭主のウールのビジネスパンツが入ってました。p( ̄~ ̄メ)q思いっきりしちゃいました、水洗い。 そりゃ寝ぼけててちゃんと洗濯籠の中身を一点一点チェックしなかった私もいけないんだけどさー、これはルール違反だと思うのね。10年以上サラリーマンしてたくせに~~~非常識よね。亭主の非常識はいつものことなのですが、やられた~、と思って「ねえ、ウールのズボン洗濯籠に入れたの?洗っちゃったよ~~」と聞くと、「雪で濡れたし、歯医者さんに穿いていったから」とちっともことの重大性に気づいていません。「水洗いしたら、縮んじゃって皺になって穿けなくなっちゃうんだよ~」 乾く前にスチームアイロンで皺取りしてなんとかならないかとやってみましたが、これで乾いた時縮んでいても私は知らん。アイロン掛けも要領だけ見本を示して亭主に自分で掛けてもらいました。最近私は脳みそが壊れているせいか細かい注意力を要する作業は亭主の方が信頼できるのです。 そんな余計な手間をはさみつつ、お掃除していて、ふと亭主を見ると、テーブルの上を小さな土間箒(室内使用用)で掃いていました、(-_-#・・・この男は一体・・・
2006.01.28
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この間、運命の人っているのかなあ、とか運というものについての疑問みたいな話を書きましたが、これでなかなか私は運命論者らしい。 今朝は足が痛くて大本は捻挫した足首なのだけれど、そのせいで膝も腿の後ろ側も違和感がある。この違和感が出たのは、カイロプラクティックで「捻れたまま治しちゃいけません。」と痛い足首を掴まれてボキッボキッとやられて、その時はそれで腫れと熱が引いてすっきりした気がしたのだけど、また歪んでいるような気がする。 で、朝一で予約の電話したんだけど、なぜか繋がらなかった。そーゆー場合、これはまだ自力で頑張れって意味、とか行ってもいいことない。なんか嫌なことあるかも。とか、今日はカイロに行くべきではない、って考えちゃうんですよ。 今までそうやって、いろんなこと進めるべきか、止めておいた方がいいか、ある意味風任せ、というか自分の頭で判断しないで動いてきました。 一つには、いくら頑張ったってダメな時はダメなのよ。うまく行く時は、あてにしてなくてもすんなり進むもの、って、経験上思っているので、なるべくならその自然な流れに乗りたい。それを読み取りたい。と思って、そんな花占いみたいなあまり根拠の無い偶然に根拠を見出そうとしてしまう。 もう一つは、私の抱えてる病気の典型的な症状として、『別に人格を否定されたわけでもないのですが、状況を冷静に判断できずに、過剰な反応をしてしまいます。現実への対処能力が低いために、いろいろと失敗をしやすいのですが、その失敗がさらに見捨てられ感を強化します。まだ希望が残っているのに、どうせダメなんだと思い込んで人生のチャンスを自らつぶしてしまいます。』というのがあるので、物事がうまくいかなくても自分を否定されたわけではなかったんだ、だた今がその『時』じゃなかっただけなんだ。って思い込ませてるんです。心から信じていないと効果ないので、運気とか時流とかいつも気になるのはそのせいかも。 こんなこと書くと普段のブログのイメージと全然違うでしょうけど、自分というものが信頼できなくて、その判断に極端に自信が無いんです。 で、今日も電話が一度で繋がらなかったというだけでこのまま痛みを抱え込んで我慢してよう、と思ったんですが、でも、今日行けないと、明日も明後日も行く暇なし。来週もしばらくダメそう、ということはわかっています。ずっと捻れてる痛いままで過ごさなければなりません。今日は塞がっている時間が短いから、昼前か夕方予約取れたらやっぱり今日のうちになんとか行ってしまいたい。そう思って、迷いつつも、思い切ってもう一度してみました。希望の時間に取れなきゃまたその時考えればいいや、って。 つまんないところで思い切らないと行動に移せないんで我ながらいやになる。 そしたら、第一希望の時間が取れたんで、バナナ一本食べただけで、お茶も飲まずに急いで出かけました。 行ったら、やっぱり「派手に外れてますね。足のせいで腰まで来てるでしょ」と言われて「この辺痛いでしょ?」と触られたところは大して痛くなく、そこよりもっと上が痛いです。といったら、「ガラス細工のように繊細ですねえ。ここまで来ちゃってますか~?」と笑われ、どーゆーことなのかよくわかりませんが、私は「快適の幅」が狭いんだそうです。僅かな歪みにも体が敏感に反応して不調になる。ストライクゾーン狭すぎ~って言われます。思えば体に限らず、何事に対してもそんなところがあって、自分では心が狭いからいけないんだろう、と思っていましたが、心だけじゃなくて体の感度もそうらしい。先生は「感度良すぎってことです」って慰めてくれてるんだかなんだかわからないコメントだったんですが、とにかく処置してもらって、帰りにはぼけ~っと街を歩いてました。 次の目的地までちょっと半端に時間が空いて、最初はもう少し時間が空く予定だったので、その町の駅前にある献血センターに寄るつもりだったのですが、ちょっと時間が足りなくなり、考えてみたら今日はバナナ一本しか食べていなかったし、と思い出し、献血はまたの機会にと諦めて、電車を待つ間、駅のそばのショッピングビルに入ったんです。 体がすっきりしたので、このところ停滞してるダイエットのモチベーションを少しあげようかと思って。 なんかねー、インド帰りから変なんです。やたらと脂っこいものや味の濃いものが食べたい。甘いものでも塩辛いものでも。ミネラル不足かしらと思って、マルチミネラルやマルチビタミンを飲んでみたけれど、普段食べないジャンクフードが食べたい。ピーナツバターとかいかにもデブの素ってものがやたらに欲しくなる。普段はマヨネーズもマーガリンも食べないくらい食事に気を配っているのですが、体が食べたがっているってことは何か不足しているのだろうと、そういう時はなるべく食べたいものを食べることにしているのですが、テキメン!か、体が重い・・・。 そんなわけでかわいいお洋服でも見たら、やっぱ痩せようって思うかな、と思ってほんの15分程度ですが、ふらついてみたのです。 この寒いのに、もう春物が並んでるんですねえ。冬物バーゲンなどもしていて、ふらふら歩いていたのですが、思えば、別に欲しいものなんてないのよね。バッグもデザインより風袋が軽いのが一番で、今要らないし、靴はテーピングしてて履けないし、いや、テーピングしてなくてもたいていサイズなんすけど、別に着たい服も無い。爪にラメつけたいとも思わないし、アクセサリーも興味なし。おまけにおなかもすいてないし、のども渇いていない。全く欲望というものを感じなかったんですよ、その一時ね。なんかこれって死んでない?Life is desire.っていうけれど、そのdesireを取り立てて感じないと、幸せなんだか死んでるに等しいんだか、なんだかわからず、結局そのまま電車に乗ったのでした。
2006.01.27
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おまちどうさまでした。昨日の写真の続きです。あやめさん、ウノさん、さっそく食いついてくださってありがとうございます。(*^^*) これで照らし合わせてください。ごめん、もうちょっとわかりやすいの作りたかったんだけどね、暇がなくて、頂いたコピーのままです。真ん中の異人さんは誰やねん、てえとこれが浅学にしてわからず。誰か教えてくださいな。
2006.01.27
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忙中閑アリ、とはよくいったもので、今けっこう忙しいんです。で、忙しいときほどよくブログ書いてる気がするんだよな~、なぜか。ネタに困らないからかな? 久しぶりにウノさんが書き込みしてくれたと思ったら、なんと!私とシンクロニシティーしてる、とか。私も人や物事とシンクロニシティーしてるなと感じることがよくあるんですが、自分が感じられる側だとなんだかちょっと面映いものですな。 一昨日はなんかビンビンシンクロニシティーしてしまう日でした。朝起きたら、寒いのに、なんか鼻が重くて「花粉症の季節がもうじきくるぞ~~」って鼻に言われて、去年の夏以来会っていない、花粉症の中学時代からの友達はどーしてるかなあ、と思い出したら、近況を知らせるメールが来た。 もう一人、去年できたネット上の友達と、こちらはお互いのブログを読んでいるので近況はわかっているんだけど、しばらくメールではやりとりしていなくて、コメントもまばらだったんで、そろそろメールの一本も、と思っていたらこれまた向こうからきました。 それは、私が「最近何事もなくて、こういうのをきっと幸せというのだろう、でも、なんかちょっとその意識の仕方が幸せ噛みしめているというよりは無理や言い聞かせてるかも?って気がしなくもない、」という話を書いたのに対し、彼女は「ここ数日、どたばたがあって、「もう嫌!」と思うことが多々あったんだけど、でも、好きな人がいて、安全で、眠るところがあって、食べるものがあって、これで必要十分、満ち足りてると思って。 今日作る夕食のことを考えて、楽しみになるような、そんなことを幸せというのかしらね。 エステに行って、お買い物して、友達と夜遅くまでワインを飲み明かしても、そんな気分にはなれなかったから、さ。」って書いてくれたんです。彼女は未婚で只今婚約者と同棲中なので、「あっそう、ごちそうさま、」って感じもしなくもないんですが、エステに行ってもお買い物しても友達と飲んでも感じられない幸せをふと自分の手元に感じるってそういう気持ち取り戻すことって大事だよな~でも気持ちだから、「そうしよう」とか「そうしなきゃ」とか無理やり自分に言い聞かせることはできなくて、だからこそふとした瞬間や些細なきっかけで面白がったり楽しんだり心動かせる軽やかさだけは失いたくない、と思うわけで、まあ私も平凡な生活じゃなかなか心の底から幸せって思えなくても、こんなふうに自分の気持ちと共鳴してくれる人がいて、こうしてメールもらえるんだから幸せだよね~とかなり屈折した幸福感を抱いていたのでした。 なんかそーゆーの『青い鳥』みたいでいやだったんだよねー、ずっとずっと。『青い鳥』って原典を読んだ事ないけど、私には徒労話ってことしか印象がなくて、自分はそんなふうにわざわざ無駄な苦労して青い鳥を探しに行ったりはしないぞ、ってずっと出不精決め込んでいたんですが、なんかやっぱり無駄なことして疲れ果ててみないとわからない小さな幸せってものがあったりして、「やだなー、チープだなー」と思わなくもないけど、そんな今更な『発見』が面白かったりもして・・・要するに人生「いかに面白いか」みたいなところで勝負せんことには上がれる土俵もないこちとら『負け組』みたいな開き直りもあります。あれ、なんかウノさんが伝染った?意味不明なこと言ってる?(笑) さて、シンクロニシティー3発目。今幕末モノを読んでいたら、知り合いから面白い写真が送られてきた。それも、もちろん私がそんな本を読んでいるということなど先方は知るよしもなく、ただ、ご自分が面白いと思ったから送ってくれただけなのだ。この写真というのがすごい! お好きな方はお楽しみください。写っているのは 誰が誰なのか答え合わせは明日!
2006.01.26
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今朝はとうとう天敵の夢を見ました。 夢の中で私は数学を解かされているのです。ある意味、これは私の脳みそにとって『拷問』の象徴に違いない・・・数学嫌いなのー、大嫌いなのー、算数もダメなのー、数字自体にも弱いのー、高校生のころ英語のセブンとナインの区別がつかなかったのは英語ができなかったんじゃなくて、数字の7と9とどっちが大きいかあんまりよくわかっていなかったからなのー、そんな私に経理の仕事させようとするから亭主のこと嫌いになったのー、もう別れようって思ってるのー、それでお金に縁のない生活してるのー、etcetcっていくらでも心の叫びが噴出してくるくらいの数学嫌いなんです。 それがね、なんか関数の勉強で、ある数式をy=f(x)であることを証明するために解かなければならない。誰に強いられていたのかとか場所はどこなのか全然わからない。で、関数であることを証明するには、要するに式を解いて求めたyの値がxの値の変化に応じているという規則性を見出せれば・・・つまりグラフに描いたとき、なにかしら美しい線が描ければいい、ってことでしょ。ということまではわかっているのだが、今与えられている式はね、絶対値の記号がついていて、この活字の大きさで長さで言うと5cmくらいの式なんだけど、それを解くと答が虚数になってしまう。さっきから何度もやってるんだけど、答えは虚数。でも、絶対値記号ついてるんだし、虚数って有り得ないよね、多分。よくわかんないけど。で、虚数なんだからグラフの上に描き表せないよね、規則性が見出せない、関数であることを証明できない。え~~~わかんないよー、どーしよーって焦ってるところで目が醒めました。時計を見たら4時を少し回ったところ。ドキドキしてもう眠れない。やはり首の後ろ側がすごーく痛い。大嫌いな数学で頭悩まされたんで脳も疲れてる。肩から後頭部にかけて凝っている。これって首の不調が原因かなー。カイロ行って「ポキッ」と治してもらったら何か変わるかしら? 亭主に怖い夢見たーって訴えたら、「何の夢?」と聞かれ、「数学の夢」と答えたら、それのどこが怖い夢なの?と相手にされなかった。なんか『小梅太夫』な気分。
2006.01.26
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子供の頃は初めてできたこと、というものに満ちていて、大きくなればなったで小さい時できなかったことがきでるようになったりもするものですが、もう人間を何年もやっていると、なかなか初めてできた!ということもなく、むしろ、以前はできたのにいつの間にかできなくなっている、ということの方が多かったりするものですが、今朝、生まれて初めてできたことがあります。テニスボールを3個片手で持ち運ぶこと。
2006.01.26
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今朝も夢見が悪かった。なんでも最初は、集団で温泉に旅行に来ている…ってあれ?!前回も団体で温泉旅行だった・・・何これ?私みんなとお風呂に入りたいってこと、ってそんな単純なわけないか。第一なぜかお風呂では洗い場では友達と一緒でも浴場では一人だ、今回も。・・・それは順を追って話そう。とはいえ、かなりまたシュールに話がぶっ飛んでいて順番に書いても辻褄の合わないことだらけだ。 まず最初は修学旅行のような設定だったと思う。北九州の(現実には行ったことない)温泉街で、駅からおりて団体で説明を受ける。「この道の左手に見えている看板が蒸し風呂で入浴衣を着て入ってもらいます。入浴衣の下に水着を着用してもかまいません。洗面器・せっけんは用意されています。・・・」などと説明を受ける。一回600円とか言ってたかな。そこはただ蒸し風呂を利用するだけで、泊まりは道の右手側、突き当たりに見えている大きなホテルだそうだ。解散になり、目の前にお土産屋があり、客引きが声かけて呼び込みしていたが、とりあえず荷物を置こうと皆、ぞろぞろ宿に向かう。ところが私はそのホテルに入った記憶がない。そこで場面は飛んでいて、私は傍観者になっている。時は夜。竹林に古い庵が二つあって、そこへ一人の男が来る。訳ありで匿って欲しいらしい。庵の中からこれまた訳ありそうな老女が出てきて、男を案内する。なんかちょっと時代がかった雰囲気なのよね。 そのうち、男は一間に通されて、床を延べて眠りに就こうとする頃、訪ねて来る者があった。それが私らしい。で、男とは知り合いらしいんだけど、どういう関係なのかはわからない。ふと気づくと隣の間に若い男女が4人くらいいて、障子の隙間からこちらの様子を窺っている。ノゾキじゃなくて、見張りらしい。 でも、覗かれても困るようなことは全然なくて、言葉少なにこれからのことなど話す。男は一度は床に寝て、私は横に座っていたような気もするが時期に夜明け近くなり、それまではどこか気骨溢れる男、といった感じだった男がいつの間にか夫になっていたような気がする。そして、私は「これから家出するから両親のことをお願い」と頼んだ。両親の面倒を見て欲しいという意味とうまく取り繕っておいてくれ、という意味だ。このまま行方不明になる気はなかったが、しばらくは家に戻らないつもりだった。が、人知れず抜け出さなければならないため、夜明けを待って、蒸し風呂に入りに行く風を装ってそっとその庵から抜け出た。 入浴衣を上から羽織って自転車に乗って出かけた。それは浴衣ではなく、入院着のように、浴衣と洋服のアイノコのような紐でわきを縛る不恰好な服だった。風呂に行くのを装っているので、下に服を着込み、風呂上りの着替え一組、あとはケータイと財布だけ。亭主にはバッテリーの続く限り受信はしてるから万が一なにかあったらメールくれ、と言って来た。ホテルの敷地の芝生の上を自転車で通っているところを庭師に見られた。 門を抜けて、最初に説明を受けた蒸し風呂屋に行くと、早朝なのにもうけっこう混んでいた。高校2・3年のとき同じクラスで同じ塾に通っていた友達、・・・でも特別仲良かったわけでもなく、もう現実にはそれ以来会ってなくて今名前も忘れている人、に会って、風呂の入り方を教わった。 蒸し風呂ってどんなものよ、と覗いたら、部屋全体が蒸篭の中みたいな竹編みの壁になっていて、横になる簡易ベッドみたいなものが二つ部屋の真ん中にあった。要するにそこに人間が納まって水餃子やシュウマイのように蒸されるらしい。 脱衣所は木の棚に石鹸と洗面器が並べられていて、それがおいてある場所は使っていいところらしかった。みると私は入浴衣の下にワンピース型の水着を着ていてその上からパンツを穿いていた。なんだ?この格好? そこからその風呂に入ったのか入らなかったのか、次にはもう普通の服を着てJRの駅にいた。 さて、どこに行くか。当てはないが追っ手がかからないうちに早く電車に乗ってできるだけ遠くに行こうと焦っている。が、あまり所持金に余裕がない。運賃が思いのほか高くて、いっそ私のような当てのない人間は周遊切符のような切符を買ったほうがいいかも、と思って地図状になっている路線図を眺めている。 随分と細かく鉄道網が張り巡らされていて驚いた。鹿児島に友達がいる。最終的にはその人のところに行こうと思ったが、その前に、草千里とか行ってみたいな、と思った。地図で見ると電車が通っていない。近くまで乗ってそのあと辿りつけるのかしら?などと思案していた。 ここで大きく場面は変わり、私は今の自分の逃避行を撮影しているテレビ局の下っ端社員になっていた。 今までのがドキュメンタリーだったのかドラマだったのかはわからないが、私はその映像に入れる音が足りないとか上司に怒鳴られていた。 プロデューサーなのかなんなのか、細身で神経質そうな男で、やたらと回りに怒鳴り散らしている。現実に知っている誰にも似ていない。知らない男だ。30台後半から40代前半くらいかな。私は若い小娘で一番下っ端らしかった。だけど、「自分で作りたい番組がある。そのために頑張ります。」というのが口癖らしく、その男に怒鳴られ「てめーぇ、なんだって、いつまでもここにいるんだっ。さっさと辞めろ」と怒鳴られるたび、「自分が作りたい番組を作らせてもらえるまでは頑張ります。」と答えていた。 毎日毎日怒鳴られていた。「これじゃ尺が足らねーじゃねーか」「こんなところに穴開けてどーすんだよ。」仕事のミスを次々指摘されて、周りの人間は徐々に辞めていった。 一人二人と脱落するたびに、残ったものの仕事の負担が増えていく。音響なら音だけ、映像なら絵だけ考えていりゃいい、というわけに行かずいろんなことを掛け持ちで神経を配らなければいけなくなっていった。 辞めて転職した人たちは『脱落』ではなく『転身』もっと楽で報われる仕事に就いているらしい。目端が利いて融通の利く人間はいいな、と思いながら、私はその嫌な上司に来る日も来る日も怒鳴られ続けた。 どれくらいそこで働いていたのだろう。忙しくてろくに家にも帰れず、ほとんど会社での寝泊りが続いていた。そのうち怒鳴られることが苦ではなくなってきた。始めのうちは今度から怒鳴られないようにしよう、ミスしないようにしよう、と気を配っていたが、そのうち怒鳴られることが当たり前になり、気を配らなくなった。こっちが忘れても上司が気づいて怒鳴ってくれる。怒鳴られてからやればいいんだ、という意識に変わっていた。いつの間にか「自分が作りたい番組を・・・」と言わなくなっていた。ある日、その上司と二人きりになったところを見計らって言った。「仕事辞めさせてもらいます」と。上司は歩きながら怒鳴った。「なんだとっ、てめぇまでそんなこと言い出すのか。やっと仕事覚えてきたところじゃねーか。なんでやめるんだよっ。いまさら俺に怒鳴られるのがいやになったとか抜かすなよっ」私は立ち止まって、「そうです。あなたのせいです。」と言ったので、上司はますます顔を紅くして激昂した。「なんだと~~~てめぇ。おれのせいだとぉー、ふざけるな」怒鳴り散らされたが、もういつものことなのでさして怖くはなくなっていた。「いいえ、あなたのせいです。」さらに相手の神経を逆なでするようなことを言った。「おめー、『自分の作りたい番組』ってのはどーしたんだよ。それまでは辞めないんじゃなかったのかよっ」と相手は少しトーンダウンして尋ねてきた。そこはセットの茶の間のように狭い畳敷きの部屋で真ん中にこたつがあった。たいして大きくないそのコタツに二人で並んで入った。私は相手の顔をみずに背を丸めてこたつにあたり、テーブルの縁を眺めて淡々と語った。「こうして毎日あなたに怒鳴られて私は怒鳴られて動くような人間になってきました。自分の判断で現場を見なくなってきました。このままでは、あなたの指示を待つだけで、自分の頭では何も考えられない人間になります。だから辞めます。」言いたいこと言って、今度はなんと怒鳴られるのだろうと首をすくめて待っていたが、怒鳴られないので、左隣の上司の顔をちらっと見るとただ悲しそうな目をしてじっとこちらを見ていた。「おめぇ、よう・・・」上司は静かな調子で何か話そうとしたので、私はとっさにその口を自分の唇で塞いでしまった。向こうはびっくりして戸惑っていたみたいだが、私は今更引っ込みがつかずキスをしたままだった。別にそいつのことは男としてみた事もないし、毎日怒鳴られて怨みツラミのこもった嫌いなヤツだったのに・・・なにやってんだ、私?ってところで目が醒めた。また後頭部と首が痛い。私なんか溜まってんのかなー?
2006.01.25
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ビート男さんが、「恋しくて」とか「プリティ・イン・ピンク」と「ブレック・ファースト・クラブ」がお好き、とコメントくださったんで、以来、ああそんな甘く切ない青春モノとかラブストーリーなんか久しく見てないなあ、私の人生なんか涸れてない?って思ってたんですが、見てました!ラブストーリー。今年にはいって今のところ欠かさず見てます『功名が辻』。これってラブストーリーだよね?! どこからどこまで史実なんだろう、どこがドラマで脚色されている部分なんだろうー、って無知だから全然わからず、えー本当なの~~~?と思いながらも鵜呑みにせざるを得ずにみてると、えーっ、一豊と千代ってそんな若い頃から運命的な出会いをしていたのぉ?これってゼッタイゼッタイ運命の出会いだよね。結ばれるまで長く時間がかかったって距離があったって他の誰かなんて考えられないよね~となんか入れ込んじゃいます。ある意味わかりやすい人生といいますか、普通は理不尽な恋心というものが理に適ったといいますか、天命に則ったといいますがこれでいいんだって、その場にいる当人同士は自覚できないかもしれませんが(なにせ今は敵同士)でも傍から見たらわかりやすい。というかドラマだからそういうふうに書かれているんだろうけれど。 千代は一豊のお母さんに調教された仕込まれたならそりゃダンナさんにとっては理想的な奥さんに育つわなあ、とか、千代にしてもこの人が運命の人って思い込んでるんだろうから、「できた奥さんだから内助の功」とか言いますけど、そりゃ馬が要ると言われりゃ買ってあげるだろう、とか勝手に納得しまくってます。 ホントのところ、どーなのよ、運命の人なんてものが世の中には決まっているんですか?多分、そう思い込んで、日々の生活の中で他の人には置き換えられない相手ってものになっていく、後から振り返ったらこの人しか有り得ないってのが無難な『運命の人』論なのではないか、という気もうっすらしてますが、・・・わからん。 (いつかまたつづくかも)
2006.01.24
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年末から急に目覚めてしまいました。車の運転て楽しい~って。免許とって15・6年経ちますが、そう思ったのは初めてです。 サイパン帰りの一昨年の暮れから去年は車恐怖症でした。向こうで運転していたわけじゃないのですが、左ハンドル右側通行にすっかり見慣れてしまったため、違和感が強かったってことと、最後はロタのソンソン村ってところにいたんですが、―ソンソンソンじゃないよ、ソンソンむら、英語で書くとsong-song villageって名前からしてかわいい村なのですが、そこの四つ角で車が来るからって渡らずに待ってると、車が止まって、乗っている人は挨拶してくれる、もちろん知らない人ですよ。歩いてて後ろから追い抜かれるときも追い抜きながら手を振ってくれたり会釈をしたり、ってそーゆーところにいたので、日本の車はみんな乱暴運転に見えてすっごく怖かったんです。(ただし、村から外れて観光客の多いホテルから空港への道とかみんなけっこうビュンビュン飛ばす) 元々免許くらい持っていたほうが、って親に言われて学生時代嫌々取ったので、運転嫌いだったのですが、これでもうペーパードライバー確定だろーな、と諦めていました。事故を起こしたり巻き込まれたりするよりその方がいいや、って思っていたんです。 それがですね、免許書き換えで免許センターが便の悪いところにあるので仕方なく車で行ったのですが、久々の運転で緊張しながらも、楽しいかったんですよ。 ふだんいつも目の前にあることと違うことを考えている私は、目の前のことに集中しなければならないという状況が新鮮で、普段歩きか自転車が自分の間尺に合った移動スピードと心得ていたので、「速い!車って速い!」ってそんなことに感動したんです。 調子に乗って事故らないように、とは気を張っていましたが、ふだんと全然ちがう脳みそや神経の使い方が心地良いんですね。開眼。て感じ。で、なんで今まであんなに運転がいやだったのかなあ、って考えてみたら、私がステアリングを握るのはたいてい誰かを送っていくか迎えに行く。そういう他人の用事で私の意志に関係なく運転せざるを得ないって状況が多かったんです。そもそも車なんか必要ない電車通学の私が免許を取らされたのは、酔っ払って帰ってくる父のお迎え要員、というわけだけのことで、当然出資者も父。車嫌いな私は途中で嫌になりお金返すからやめさせてくれ~~~と泣きを入れたくらいなのですが、ゼッタイ将来必要になるからと言われ、そんなこと一回もないまま十数年の月日が経ったのでした。(今回だって、免許持ってなきゃ更新にいく必要ないわけで、やっぱり私には必要性は感じないのですが。)今でも親戚の法事とか一家で遠出したら、飲まない私が運転要員。やっぱ必要なのは私じゃなくて飲みたい父、って気がするのよね~。 なぜ教習所通いがそんなにいやだったのか、思い出してみると、毎日「車とはいかに怖いものか。」ということを叩き込まれるわけです。いろんな落とし穴があって、うっかりではすまされない大惨事を招く、一生をフイにする可能性もある凶器なのだ、というような講義が続くわけで、思えば、たいていの人は車に乗りたくてウズウズしてやってくるわけでしょうから、そのテンションを下げて安全運転を目指させるというのが教習所の役割なのでしょうが、あんなにモチベーションを下げさせられる教育というものを私は後にも先にも一度も受けさせられた事がありません。先生のいうことはよく聞くタイプだったんで、運転て怖いものだ。車って走る凶器になりうるってばかりインプットされてしまいました。教習所で運転の楽しさ面白さって教わったことあります?ないでしょ?ないですよね?その呪いがずっとかかったままの状態だったんです。 それがだんだん人のいうこと素直に聞かない歳になって、なんだ、運転て自分一人で車を転がしてりゃ楽しいじゃん。て初めて気づいたわけです。たとえ免許センターでも自分のために目的地を目指す、というのも貴重な体験だったわけで、思えば今までの車との付き合いは、人の運転だと酔うから仕方なく運転を買って出るとか、家族の送り迎えとか自分のためじゃなかったので、かわいそうな付き合い方ばかりでした。思えば人生もそうだったかも。 しかしなあ、何も選りによってこのガソリン高騰の折に急に運転の楽しさに目覚めなくていいと思うのね。 そう思いながらも、昨日もいつもは自転車、雨が降れば電車で行っていた仕事先に車で行っちゃいました。車だと風に吹きさらされないで快適~、らくちん~と喜びつつも、週末の雪が残っているし、夕方は路面凍結注意と神経使って往復し、帰り道、自宅近くまで来て、車の通りが少ない道に来て、カーブで雪にタイヤ取られてちょっとスリップしかかりヒヤッとしました。とっさにアクセル緩めただけでブレーキ踏まなかったんで、ステアリングでなんとか車の動きを制御しきれたんですけどね、あれでブレーキ踏んでたらタイヤにロックかかって却って危なかったかも・・・とか思いつつ、雪道走ったことないんで経験値ゼロ。今日の現場は駅近なのでやっぱ電車で行こうっと。
2006.01.24
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アタシの人生いくら激動~とか思っても、お正月はひなのちゃんとパラオで今や容疑者、のほりえもんに比べたらまだまだ、まだまだなのだー、となんかちょっと安心する。 昨日盛り塩したときに、いつも下駄箱のところにぶら下げてある上海土産の赤い鐘の形をしたラッキーチャームのせいで下駄箱の扉にうっすら小さい傷がついているのを発見して、「ラッキーじゃない・・・」と思ってはずしたんです。手にとってよく見ると、翡翠色のプレートに文字が書かれていました。「一生平安」・・・・・・やっぱ効いてないじゃん。 ところがほりえもんが逮捕されてみると、自分の人生も平安のうちじゃん?平安、ていうか平穏ていうか・・・と思えるようになったんだから、私もそーとーいい加減な人間よね~、気の持ちよう、っていうかさ。 ほりえもんほどのおいしい思いもしていないし、逆境にも立たされてないもんねー。 なんでこんなこと独白して強調してるのか、って言いますと、昨日、プロフィール欄にちょこっと手を入れましたが、海外の西洋占星術サイトで占いしてもらったんです。って誕生日時と場所を入力するだけの無料占いなんだけどね。このところの次から次へと押し寄せ巻き込まれる出来事に「いいことばかり~」なんて嘯いてみても正直うんざり疲れていたので、つい弱気になって平穏無事が一番、なんて思っていたんですが、The Inner You: Your Real MotivationYou are a gambler and an adventurer at heart, one who loves to take risks, to discover and explore new worlds, and to take the untried path rather than the safe, reliable one. You are an independent soul, freedom-loving, and often very restless. You need a lifestyle that provides opportunities for travel, movement, change, and meeting new people. A steady routine which offers much in the way of security but little in the way of space and freedom is odious to you.って言われたんです。当たってる。平坦でない道を自分自身が求めていたんだなあ、と今更ながら自覚させられました。 でもね、こんなこと誕生日で言われちゃうなら、世界の1/365.25の人がこういう人なわけでしょ?百歩譲って誕生年も入力するから、世界に何人いるのか知らないけど、同い年の同じ誕生日の人ならこういう傾向ってことぉ?(前に中国の陰陽五行に基づく占いの本でも同じようなこと書いてあったんだよねー)別に自分ひとり頭を悩ますこともないか。 日本の占いでも、思い当たること言われると気にするけど、海外の占いでも言われると世界中どこに逃げても自分はついて回るんだよなーって改めて思っちゃったりするわけです。占いって信じてるわけじゃないけどやっぱり気にはなる。 ほりえもんと同じ生年月日の人はどんな人生送っているんでしょうか?でも、本当にかわいそうなのは、男運のないひなのちゃんかな。
2006.01.24
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このところ、肌の調子がよくないので、この寒いのに毛穴パックしちゃいましたよ。朝風呂上りの忙しい時間に。黒色パックだったんで、急に私の鼻が黒くなったのを不思議そうに見ていた犬の目つきが印象的でした。でも、やっぱ、寒くて毛穴縮んでいるのかイマイチの収穫。「毛穴パック」は夏の季語にしましょーよ!うう、さび~ィ。
2006.01.23
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別にうちで商売やってるわけじゃないんですけど、思い返せば、一昨年くらいから、実にいろんなことが次々起こりまして、去年の秋口、会社倒産したあたりからですかね、「盛り塩」なるものをしてみたんですよ。溺れるものは藁をもすがる。鰯の頭も信心から、というわけで・・・ 元々母がどこで仕入れてきたんだかなんだか知りませんが、うちに来たときに勝手に玄関に塩を盛った皿を置いていく、ということはあったのです。それもいつの間にか、なので不気味といえば不気味。 私は信じるとか信じないとかよりも、盛った後の塩はどーすりゃいいのよ、ってのがわからなかったんで、それを引き継いではいなかったんです。 で、今回、かなり安く粗塩が手に入ったから(かなり不純な動機)このところずっとやってみてるんですけどね、そんな動機のせいか、効いた!効いた!と即「盛り塩」効果と呼べるようなことはないんですが、いいことはありますよ。 玄関に置いてるのですが、やはりそういうものを置く以上はその場をきれいにしないと、って拭き掃除で清めますし、そこだけきれい、ってのもなんだからねえ、と周りもきれいにしますから、玄関がきれいになります。心と時間に余裕があれば、ついでに他も、って家の中を丁寧に掃除するいい機会です。ふだん不精で慌しい生活をしている私にはホントにいい機会です。 そーじゃなくて、盛り塩そのもののおかげで、なんかいいことあった?ってきかれると、悪かったことは風邪引いたことと捻挫したこと、くらいなものですけど、風邪引いたのは休めというサインを自分が聞かなかった自業自得だし、捻挫したのは痛いけど、その後捻挫した時はどーすればいいか勉強したし、おかげでお出かけできなかったから財布に余裕ができたし、って、『塞翁が馬』みたいなお話で会社倒産して仕事減ったけど楽になったし。・・・まあそれもこれもいいことしか起こってないと思おうと思えば思えなくはないのです。この「思おう」と「思える」ようになったところが「盛り塩」効果? それはいいんですけどね、やっぱり盛った後の塩の行方というものが私はどーしても気になるのですよ。 盛り塩なさっている方、どうしてます?食べ物粗末にしてるみたいで嫌。とはいえ、まさか食用に回そうとはさすがの私も思わない。だけど、ごみと一緒、ってのもなんだか抵抗あるでしょ? 一週間に一度程度は替えないと効果がない、とかまことしやかに言われていますが、それってじゃあ7日目まで効果があって、8日目には効果がなくなるのかなあ、とか考えるとわからん。さらに即効性の高い「焼き塩」というのがあって、閉め切った家の中で塩を空焼きするんだそうです。即効邪気を祓うけれど、こちらは一日しか効果がない、とか。どーも世の中の盛り塩ブームって塩業界の消費量アップ作戦?塩分控えめブームのこの国ではやがて、人様の口に入る塩より、捨てられる塩の方が多くなる?とかゲスの勘ぐりしたくもなりますが、今朝はね、その終わった盛り塩に使い道があったんです。 それはね、門の外のまだとけずに残っている土曜の雪にかけること。通り道はとっくに確保できているのですが、日陰の隅のほうに固まって残ってる雪の上に撒いておきました。そうすりゃ早く溶けるでしょ。ってとってもテンポラリーな使い道なのでしたー。(応用が利かね~~~、ごめん!)
2006.01.23
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ビート男さんコメントありがとうございました。これは一つ前の『幻のプレーンチョコ』につけて頂いた>4年ぐらい前に、タイに旅行に行った時に、利用した航空会社は、インド航空で・・・えっ!。航空機に、乗り込む入り口に、なんとターパンを巻いた、パーサーが頭を下げているので、びっくり。>そして乗り込み込み二度目のビックリは、航空機の中が、カレーの匂いがするのに。>そして三度目のビックリは、禁煙でないので驚いた、乗り込んだら、皆さんすぱすぱと始まってこまりました。(私は、煙草が大嫌いです・酒も大嫌い)>そして747(ジャンボ)が、凄くぼろいんでビックリ(今て747ー400が新しい)>航空機の客室も、カレーの匂いが、するのだからインドは、臭うだろうね。-----というコメントに対するお返事、のつもりで書き始めたのですが、入りきらなくなっちゃった、&コメントに触発されて芋蔓式に思い出したことがあるので、ここに書かせていただきますね。 4年前でもそうでしたか!私たちは10年以上前からもうエアインディアには乗らない!って決めてるので今回も違う航空会社だったのですが、さもありなん、ビート男さんのコメント読んで「ある!ある!」と大きく肯いてしまいました。 もう15年位前だと思いますが、東京のインドレストランで働く顔見知りのインド人と乗り合わせて、近くの空席に移動してきておしゃべりを始めたのはいいのですが、禁煙席なのにタバコを吸い始めたのです。私も紫煙は苦手なので「ここ禁煙席ですよ」とやんわり注意したつもりだったのですが、「ダイジョーブ、ダイジョーブ。エアインディアだからうるさいこと言われない」と全く気に留める様子もなく、そーゆー問題じゃないんすけど・・・と参った記憶があります。 それと、これはインド国内線だったと思うのですが、ジャンボじゃないけど古い機体だったし(真偽のほどはわかりませんが、一説には、アエロフロートのお下がり、という話を当時聞きました)乗ったら、天井からポタポタ水が落ちてきていました。それが座っているとちょうど膝の上に落ちてきて濡れる。冷たい。そこで通りがかったスチュワーデスさんに知らせました。すると、「飛べば、止まる」と一言。はあ、それくらいは私も知ってるんですけど、これまたそーゆー問題じゃないんだよな~なんかその噛み合わなさで自分の度量を試されているような気すらしてくるんですよ、インドにいると。キミはどこまで譲歩できるか!?みたいなー。あるいははたまた、『NOと言えない日本人』としては、言うべき時はちゃんと言わないと、って言われてるような気もします。 今でこそビールは無料サービスになったようですが、私が利用していた頃は、他の航空会社が無料なのが普通なのに、珍しく有料でした。有料だろうと無料だろうと飲まないから関係なかったのですが、インド人のキャビンアテンダントだと英語で「Do you buy beer?」と尋ねて回られ、日本人のCAだと日本人には当然日本語で「ビールいかがですか~?」でした。わかりやすい英語でしょ。(笑)「アナタ、ビール買うか?」ああ、英語ってこんなふうでいいんだぁ、って当時学生だった私には目からウロコでした。だってさー、受験英語でWould you ~?とかなんとか教わったじゃん、丁寧表現てヤツ。お客さんに向かってもこれでいいんだあ、相手にどう響くかより、伝わるという第一目的を果たすことが大事なんだ、って。しかーし、やっぱり、「ビール買うか?」と「ビールいかがですか?」の間にはかなりの温度差を感じます。日本人のお客さんは「飛行機の中は只酒が当たり前」と思っていますから、いかがですか?と勧められ、はい、と頼んでしまってからお金を請求されて戸惑っている、という姿をよく見かけたものです。まさか、そうして小銭を稼ぐための経営戦略!?ってこともないでしょう。多分、有料にしないと歯止めが利かなくなるんだと思います。だから、エコノミーのインド人客にはビールが渡りづらくしてある。 たとえば、通路にゴミが落ちていたり、トイレはたいていつく頃には詰まっていましたし、備品は盗まれてました。 今回もインド航空でなくても、バンコクからインドに向けて飛んでいる最中に、トイレの中のハンドクリームがビンごとなくなっていました。おいおい。と呆れると同時に、おおインドに近づいてきたぞ~と兜の緒をしめたのでしたーそんなインドが好きな私、って一体・・・??
2006.01.22
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インドにいっている間、ホテルじゃなくて普通の家庭にいたので、食事は当然カレー。各種カレー。日替わりカレー。朝食こそカレーは出ませんが、昼も夜もおやつもみんなスパイシー。んでもって、私は元来辛いもの苦手。「子供が辛い物食べると馬鹿になるぞ」と父に言われて育ったため、お子様のアイドル、みんな大好きカレーでさえも、手が伸びませんでした。カレー好きな妹は馬鹿だったので実証済みって感じでこわかった・・・(半分マジ) 大人になってようやく世の激辛ブームと相俟って辛いもののが食べられるようになったので、キムチとかタコスとかその他エスニック料理といった大人になってから覚えたスパイシーな食べ物は食べられるのだけれど、小さい頃から食べていた納豆は今でも辛子抜き、おすしもワサビ抜き、といった有様。もう今更辛い物くらいじゃびくともしない馬鹿者ですが、食べ慣れないせいですかね。 この頃、20代の頃は食べられていたスパイシー系もだんだん受け付けず、あっさり味がよくなってきて、これも年取ったなあと思う材料の一つ。 ともあれ、今回たった3日とはいえカレー攻めかあ、と覚悟していったの(・・・のわりにはカップラーメンとかゼッタイ海外旅行に持っていかないの、心意気だけは『郷に入りては郷に従え』なの)ですが、これが案外口に合うものばかりで満足、満足。卵のカレーとかエビのカレーとかバリエーションが豊富で、味付けが全然違うので飽きません。 ただし、使われている塩分と油が多いのが気になります。しかも、ふつうに働いている人たちと違って、こっちは捻挫したお客様でほとんど活動量ゼロ、というわけで一回に頂く量はムコウからみると、「え、それしか食べないの?」ってくらいしか食べなかったんです。「おいしいです」といってもちょっとしか食べなかったら口に合わないのかなあ、って思われちゃいますよね、当然。 でも、こっちはサイパン行ってついた早々10日ほどで5キロ太り、2ヶ月で7キロ太った前科があるので、お義理で誤ちを繰り返したくはありません。(なにせ、行くまでは内臓脂肪率5だったのが、帰ってきたら8を記録したんでっせ~~、あー、びっくり。) 食事はそこの家の主婦が作ってくれていたのですが、お父さんがまめな人で、姪っ子が私たちに会いに遊びに来るというので、型抜きチョコを作って、私にもくれました。動物とか果物の形で、普通のミルクチョコの味でした。インドのスナック菓子はやっぱりスパイシーだし、甘いお菓子は激甘。日本の砂糖の数倍は甘い。それでお菓子類にもあまり手を出さずにいた私がチョコを食べたのを見て気に入ったと思ったのか、日本に帰る時「お土産に作ってあげる。」と言い出しました。「いいよ、わざわざ、それに普通のチョコなら日本でも買えるのだし」とご辞退申し上げたのですが、「いいからいいから、こんなのすぐできるから。」とエラく張り切って、あっという間にまた作ってくれて、味見に一個くれました。 日本じゃね、我が家は遭難しそうに寒いんです。それで遭難しかかった時にチョコ食べて生き延びてるんで、そのチョコもきっと命を繋ぐのに役立つだろうとありがたく頂いたわけです。で、帰って来て一つ食べてみたら、なんか違う。味見した時はプレーンのミルクチョコだったのに、スパイスの香りがする。・・・つまりですね、インドじゃ空気もスパイス臭いんです。その中にいたから鼻が麻痺して嗅ぎ取れませんでしたが、日本に帰ってみると、その空気の匂いがチョコに混ざってる。多分、チョコを溶かした鍋とか、型を拭いていた布巾とかあちこち匂いのつく要素はあったのだと思いますが、せっかく作ってもらって悪いけど、もう食指が伸びず、鈍感な亭主の腹へと残りのチョコは全部収まったのでした。
2006.01.21
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今朝は、怖い夢を見ました。 はじめ私は修学旅行か何かでみんなとホテルにいる。着くなり大浴場に入ったんだけど、夕飯の後しばらく経ってまた入ろう、と思い、ロビーのエスカレーターを降りていった。 で、ここでカウントがずれるんだけど、私はもう1度別の浴場のお風呂には入っているらしい。はじめ、エスカレータ降りて左手の先に進んだところに行こうとしていたが、降りてすぐの右手についてすぐに入った浴場が見えた。あ、こっちにしよう。とそこに向かう。つまりこれで3回目の入浴らしい。 ところが浴場の入り口がタイル張りで濡れていてなんか公営プールの入り口みたいで、ホテルの大浴場にしては今ひとつ清潔感も高級感もなくてちょっとやだな、最初に来た時もこんなだったかな?と思ってしまった。 中に入ると従業員さんがばたばたしていて、やけに寒くて、先にいた友人(実在するスッチーしている高校時代の友達)が何でも空調が調子悪いらしいと教えてくれた。彼女はバスタオルを巻いて洗い場のところにいた。 脱衣所と洗い場と仕切りがなくて、服を脱いで木の棚にのせ、棚に背を向けて、そのまま歩いていけば、延長線上に洗い場と浴槽があるってつくり。当然辺りは湯気で曇ってよくわからない。もう3度目のお風呂なので、風呂の縁でかけ湯をしてお風呂に入って驚いた。足がつかない。深いのだ。ものすごく深い。で、透明度がイイ。私はどれくらい深いのかと思って頭から潜った。かなり深そうなので本格的に潜水を始めた飛び込みプールのように5mくらいありそうだった。潜っても一気には底にたどり着けなかった。お湯の中で目を開けているのは辛いので、ゴーグルを持ってくればよかったと思った。旅の荷物に水中マスクと水泳用ゴーグルと両方入っているはずで、プラスティックのゴーグルはお風呂でも使えるのかしら?と疑問に思ったりもした。 このあたりでもう風呂、という設定はプールに変わっていたように思う。水の中は青く、気兼ねすることなく潜り続けた。すると奥に人影が見えた。息苦しくなって一度水面に顔を出し、その方を見ると、確かに人間だ。ダイビングギアを装着している。が、呼吸の泡が出ていない。動いている様子がない。ヤバイ、と思って、潜ってみると小学生の女の子が黒いウェットスーツを着て、タンクを背負ってマスクもつけて、レギュレータをくわえたまま横向きで全く動かず固まっている。背中のタンクから伸びているホースを引っ張って引き上げる。水面に顔を出して大声で助けを求め、異変を知らせた。周りの人が手を貸してくれて水から引き上げたが、重かった。レギュレータを口からはずし、呼吸していないのを確かめて横向きに寝かせ水を吐かせてみようとしたが、もう硬直している感じで、手遅れだろうな、と思った。 とにかく助けを呼ばなきゃ、とその場は人に任せて、隣の教室みたいな部屋の電話を取った。迷わず119した。「はい、119番です。消防ですか?救急ですか?」といわれ、あ、どっちも彼女を助けられない。警察を呼ぶべきだったかも・・・と思ったが、とりあえず救急車を呼んでもらおうと「こちら、○○区花園小学校です。プールに女の子が沈んでいるのを見つけました。」とやけに冷静な声で話し出した。 なんでそこが花園小学校なのか、どうして私にそれがわかったのか、ホテルはどこに行っちゃったのか?さっぱり辻褄が合わないけれど、おまけに現実にワタクシは花園小学校という学校には縁もゆかりもないのだが・・・???そもそも風呂だったはずのプールの中で、スキューバ装備した女の子が一人で沈んでたという設定からしてシュールだよね。とにかく、「女の子を助けられなかった。痛ましい」と思っているところで目が醒めた。 寝起きの気分は最悪。心臓がばくばくしていて、後頭部から首・肩にかけて重い。怖い、という気持ちが残っている。 昨夜は久々に友達と会って、楽しくイタ飯屋でおいしい食事とカクテル1杯頂き気持ちよく寝たはずだったのに。どーなんですか、この夢は?誰か夢診断してくださいー!
2006.01.21
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このところ、ビート男さんとアメリカドラマや俳優さん話で盛り上がっておりますが、実のところ、ワタクシ、以前は洋画というのが苦手でした。あー、テレビドラマは見てたかも。『スパイ大作戦』とか『刑事コロンボ』とか。それ以外は映画館など滅多にいくこともなく『○曜劇場』見ててもつまんなかったんです。 ところが亭主が洋画好きで休みの日とかテレビを占領される。もう15年くらい前の話ですが、当時テレビは一台しかなくて、安アパートで他に逃げ場もなく仕方なく付き合ってみていたのですが、さっぱり話がわからん。「ねえ、この人、イイ人?悪い人?」「えっ?さっきから出てる刑事さんでしょ」とか呆れられる。そんなことの繰り返しで、わからん、外人さんなんかみんな同じに見える、って思ってました。特に金髪白人男性はダメね、ほかに特徴の掴みようがなかった。 そのうち亭主が「wowow入ろうよー」と言い出し、「そんなのもったいないよ、贅沢だよ、いつも残業で家にいないじゃない」と異議を唱えたのですが、だからこそ、家にいる貴重な時間を映画で楽しみたいというので、まあ飲み歩くわけでなし、当時はこれといったシュミもない人だったんで、じゃあ入ろう、ということになったのですが、やっぱり見る時間があまりない。週末くらいしか見ないので、せっかく入ったのにもったいない、と思って、当時暇人だった私が見るようになりました。 その時、やっていたのが、プロフィールにも書いてある『スニーカーズ』という映画です。ロバー・トレッドフォード主演、シドニー・ポワチエ、ベン・キングスレー、リバー・フェニックスetcと言った豪華メンバーのスリリングな映画なのですが、当時はロバート・レッドフォードしか知りませんでした。むちゃくちゃ面白いのと、リピート放送のおかげで何度も見ました。 で、気がついたんです。なんで洋画が苦手だったか。それはですねえ、民放地上波で見ると吹き替えられているでしょ?先週正義の味方だった人の声が、今週悪役をやってる、なんてことがよくあって、人の顔と声が全然一致しない。これが混乱の元だったんです!今でこそ、エディー・マーフィーは山寺さん、シュワルツネッガーは玄田さん。と声優さんが固定されていることもあるので、まだ特徴がつかめますが、当時は局が変わると声優さんも替わる。そのせいでなんだか誰が誰なのかつかめずにいたのです。 それとその声優さんに代表作があるとどうしてもそのイメージに引きずられてしまう。例えば、『名探偵ポワロ』に金持ちマダムが出てきたのですが、その声を担当していたのが、前の『のび太君』だったので、「ざます」言葉で気取ってしゃべっていても、あーた所詮はのび太くんじゃないの、みたいなー。戸田恵子さんもアンパンマンとか特定のイメージ強いですねぇ。 一時期はなんでもかんでも山寺さん、戸田さんみたいな時期もあってそれはそれで混乱する。ある程度映画映画で声優さんも声を使い分けてくれてるのはわかるのですが、それが字幕版で見ると、全然芝居が違う! 全体に吹き替えられるとカツゼツがよくなり、本来の俳優さんの英語はもっとニャアニャアしているように聞こえます。英語って意外とねちっこいんだ、とか思ったりして。刑事コロンボなんかもう日本語でここぞと言う時ズバズバしゃべっていくイメージの方が強いですけど、(それも小池朝雄さんのイメージね)ピーター・フォークスはもう少し高い声でニャアニャアねちっこくしゃべるんですねえ。犯人をねっとり攻め落としていく感じです。 ともあれ、英語で声を聞いていると段々俳優さんの区別がつくようになり、映画の面白さがわかってきました。わかってくると、あれ?今なんて言ったのかな?って字幕じゃなくて英語の言い回しみたいなものが気になって、耳を欹てるようになりました。おかげで英語の力がつきました。ラッキー♪ だけど、こんなふうに耳から覚えた英語なので、読み書きより聴き話すってほうが得意なんですよ、それでたまに子供みたいに覚え間違いしていたりする。 今日は、ちょっとスティングの歌詞を見る機会があったんです。スティングといえば、『アリーマイラブ』の中で、スティングご本人として登場し、ロバート・ダウニーJr演じるアリーの恋人ラリーと誕生日のアリーのために歌を歌ってくれます。それが、『I'll be missing you』というタイトルで、・・・って今日知ったんですけどね、歌の中では最初の方で『I'll be watching you』って歌ってるので、それがタイトルだろうと思っていたら、ちがってました。しかも、『アリー』のなかじゃevery breath you makeand every move you makeevery bond you breakevery step you make I'll be watching youEvery single dayAnd every word you sayEvery game you playEvery night you stayI'll be watching you~って「いつでも君を見てるよー」って歌っていたので普通の情熱的なラブソングだと思って見ていたら違うんですねえ。タイトルの通り、恋人は死んじゃって「毎日君の事祈ってるよー」って歌だったんで、びっくり。おい、恋人の誕生日に歌う歌じゃないだろ~~~と思わずツッコンでしまいました。多分ドラマの中じゃmissingてのは歌われてなかったと記憶していますが… 洋楽には詳しくないのですが、って考えてみたら邦楽もそうでしたが、(苦笑)スティングで知ってる曲といえば、『Englishman in New York』これ、昔、フ○TVの某歌番組にスティングが出演して歌ったのですが、その番組は生で歌うのを売りにしてまして、口パクは一切なし、ってことだったんですが、その時スティングはマイクをぐっと下げて、これじゃ絶対音拾えてないよ、って位置にマイクを構えて歩きながら歌っていたんです。「これ、歌ってないよねー」と当時、中学生か高校生ながらも思ったのです。その日サザンオールスターズも出演していたのですが、桑田さんは風邪かなにかで喉を痛め、「ちゃんと歌えないから、口パクにさせてくれ、とディレクターに頼んだのに、ダメ!と断られ、一方スティングは思いっきり口パクだったじゃないか~~。しかもバレバレだし」と後に怒っていました。で、本題。『Englishman in New York』の中にif "manners maketh man," as someone said,he's the hero of the day.という歌詞があります。makethって何?ほとんどmakeでとって意味は通じるんですけどね、makethって単語は知らなかったんで、辞書を引いてみましたが、載っていないんです。うちでほとんど使っていないでかい英英辞典も調べてみましたが載っていません。それで、ネット検索掛けてみても、この単語についての言及は見つからず、Manners maketh man.という表現はいくつか見掛け、(礼節が人を作るという対訳あり)Nurture and good manners maketh man.という表現も見つけました。が出典はどこなのか、as someone said,のsomeoneには迫れませんでした。makethという単語の用法と合わせてどなたかご存じの方いらしたら教えてください。
2006.01.20
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近頃、何かにつけ歳取ったなあと思うことが多いのですが、一番そう感じるのが、若さに執着が出てきたこと。 これまで三十ン年間ほとんどスッピンに口紅くらいで通してきたのですが、このところ、お肌のくすみとか赤みとか気になって、もう化粧無しじゃみっともなく見えるようになってしまいました。してみりゃ、別に素顔に自信があったとかいうことではなく若さに奢っていたんだなあと気づかされます。で、ファンデくらいちゃんと塗るようにしてたんです。 化粧し慣れてないせいか、一日の終わりにはなんとなく顔が重い。きっと肌には良くないんだろうな、負担になっているんだろうなと思いながらも以前は化粧する方が恥かしかったんですが、今じゃ何もしてないほうが恥かしいようになりました。 その前から顔が疲れてるなーっていう自覚はあって、以前行っていたフェイシャルエステに行きたいなあ、と思っていたのですが、ずっとずっと行けなくて、片道14時間のフライト、30度の温度差に耐えてきて肌荒れが気になっていたので、先週やっと一度行ったのです。そしたら、露骨に「お肌、荒れてますねー」といわれてしまったため、今年はできるだけ機会を見つけていきたいなあと今週仕事が一件休みの連絡を先週のうちから連絡貰っていたんで、空いた時間に予約を入れてあったんです。 卵白でできた汚れ落しを刷毛で塗ってもらうと、自分がメレンゲ菓子になったみたいな甘い気分になります。だけど、なんかちょっとすっきりしない。「今更嫁に行くわけでもなし、きれいにしてどーしよーというのでしょう?」とツッコム自分がいる。どーせ私がなにしようと気づくような亭主じゃないし、私も亭主のためにキレイになろうなんて発想はこれっぽっちもない。「もう市場に出回る気もないくせにこんなところに来たのは無駄な投資じゃない?」なんて揶揄する。「こんなの意味ないじゃん。自然なまま年とっていけばいいじゃない」「でもさー、男の目だけ気にして生きてるってわけでもないでしょ。自分のために自分を磨いたっていいじゃない?」「そうかなあ、何のために?顔なんて目があって、鼻があって、口がありゃいいんじゃないのぉ?」「な、なんという乱暴な!身奇麗にしていた方が何かと得なことだってあるって」「得?ここ来てお金使ってる以上に?どんな得があるって言うのよ?あーた、損得勘定でここに来てるわけ?」 そんなこんなの自問自答をしていたら、なんと隣の席には92歳のお婆さまが・・・「○○さん、お肌柔らかくなりましたねー」とエステティシャンに褒められています。ご常連さんで「これで皺もなくなるといいんですけどね、前に70代の時一気にお痩せになったっておっしゃってましたよね。多分、その時皺ができちゃったんですねー。これから少しお太りになると皺もなくなると思うんですけどねー」なんて言われている。こちらは目をつぶっていて見えなかったけれど、9・92歳でお肌柔らかくしてどーしよーというのでしょう?そりゃ病院行って「はいリハビリしましょう。電気かけましょう」って言われてる生活よりはずっとずっといいと思いますけどね、私は92歳になってエステに通うような人間にはなりたくない。年相応に枯れていけばそれでいいと思っている。(もっともエステに通えるだけの経済力はあったほうがいいと思うんだけどね。) でも、そう思ったら、まだ枯れているのはちょっと早いかな、誰かのためにきれいになろうというのではなく、今自分に必要なのは荒んでる部分を修復することかな、そのために気持ちいいことしておいてもいいかな、って気に少しはなりました。まだ納得したわけじゃないけどね。 なんだかんだ言っても、気になっていたホウレイ線が心なしか薄くなったので、手をかければそれに応えられるだけの力があるうちに手をかけておいたほうがいいのかな、とも思いました。 それにしてもさー、なんで男の人のホウレイ線は人によってはカッコよくみえるのに、女の人の場合、誰でもないほうがよく見えるのかなあ。
2006.01.19
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南関東は風が強く冷たく、晴れ渡って乾燥注意報の出る典型的なカラッ風の冬晴れです。こんな日は茶ピースじゃなくて、先代の犬がよく、こんなことを言いました。「お外で、おうちの中でお昼寝したい。」この犬はとても賢くかなり的確に自分の意志を伝えることができたのですが、初めてこれを聞いたときはさすがに聞き返しました。「はあ?なんだって?もういっぺん言ってごらん。」「お外で、おうちの中でお昼寝したい。」 よく、アファメーションとか自己啓発とか幸せになる方法に書いてあるじゃないですか。『自分の好き嫌いをはっきりさせよう。』とか『自分の望みを知ろう。』とか。自分は病んでるし、弱ってるし、疲れてる、という自覚アリアリなので、その手のページをついつい眺めちゃうんですけどね、「好きなものに囲まれて生活しよう」とか「好きなことだけしよう」とか、もちろんそりゃこんな極端じゃなくて、ちゃんとお金払えばいろいろ教えてもらえるんでしょうけれど、こっちとらそんなものは教えてもらうんじゃなくて自分で発見するのが楽しい、と思ってますから、そのおいしいところにお金払ってわざわざつまらん買い物をすることもなかろうと、いわばひやかしなんで、その奥義は知りませんけどねー、現代社会が複雑だから人間の欲望も複雑、なんて、あんまり信用できないな、って思うんです。だって、犬でさえ、こんなこというんですから。アンビバレントな心というのは案外原始的なものなのかもしれない。「ないものねだり」というけれど、『夢』とか『理想』ってちょっと考えたら実現できなさそうな大望だからこそ追いかけ甲斐があるのかも・・・? ま、そんなことはともかく、無理難題を押し付けられて、私はどうしたか?簡単です。その望み叶えてあげましょう。てなわけで、私のしたことといえば、南南東向きの玄関のドアを開いて閉まらないように固定して玄関で読書した。です。つまりはですね、犬としましては、外のお日様に当たって、空気の流れを感じながら、なおかつ冷たい北風は避け、家の中の人の気配を感じながら安心してお昼寝したい。とまあこういうわけで、ドアを開けてやったら、敵もさるもの。どうすればいいのかよくわかっています。ちょうど朝日の当たる敷居のところに陣取って寝始めました。 おかしなもので、今の茶ピースもやっぱり、こんな日はピイピイ鳴くんです。でも、彼は前の犬ほど頭も良くないし、口も回らないので、自分の欲望を伝えることができません。ただ鳴くだけです。 亭主なんか「うるさーい」って怒鳴ってるだけなんですけどね、茶ピースはおとなしくていい子なんです。飼い主が言うと親バカにしか聞こえないでしょうが、子犬の時は暴れん坊でしたが、今はほとんど手のかからないわがまま言わないおとなしい犬です。それが鳴く、というのはよほど伝えたいこと、切羽詰ったことがあるわけで、「何?」と聞いてやってもおバカちゃんだからうまく伝えられない。そこで、玄関を開いて「はい、ここでお昼寝しなさい」と指示してやるということを聞きます。そして落ち着いてくるのです。 先代が的確に伝えてくれたから、茶ピースは口が回らなくてもその欲望を満たしてもらえるのです。「おい、先代に感謝しろよ」とお日様で光る寝顔に声を掛けるのでした。
2006.01.19
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またまた抽象的な話ですみませんが、別に何があったというわけでもないんですが、友達に「人って『選択を生きている』ものなのね」と言われて、触発されました。 人は一つの人生しか生きられない。何足かのワラジを履くことはできても歩ける道は限られている。 知らず知らずのうちに、あるいは一大決心をして、私たちは『選択を生き』ているんだ、と気づきます。 だけど、最近、私が思うのは、そうして自分で『選択』したつもりでも結局なるようにしかならないんじゃないか?ってことなんです。その『選択』をする時点で自分の思考の癖や習慣やいろんな条件があるから、結局自分と言う枠の中に納まってしまう。自分が切り取った世界にしか住めないけれど、その切り取る選択権はよほど意志的に変えようと思わないと既定されている。極端な話、どっちを選んでもどっちも自分の人生しか歩けない。 それを身に降りかかった不幸、と一生嘆いて終わるか、自分に与えられた祝福と取るか、人生が変わるとしたら、そこなのじゃないでしょうか?本当の『選択』とはそこのところをいうのではないか、と思う今日この頃です。
2006.01.18
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人生の選択を迫られた時どうします?どんなに一生懸命考えて決めても、腹括ったつもりでも、思いつきで行動しても、後悔する時は後悔する。だから、覚悟できてても、できなくても同じじゃないかなあ。 自分で選んでいるようで、実は流れるべき方向に流されているだけなんじゃないかな。そんな気もします。この先のことは神のみぞ知る。・・・ってこんなところに私を持ち出すんじゃありません、って怒られちゃうかもしれないけれど、責任転嫁じゃなくて、責任は自分にあるんだけど、決められた中で精一杯やるしかない、そんな感じかな。一生懸命と結果の間にはあまり直接的関係はない、っていうか。だからさぼっていいわけじゃないってことはわかってるつもりなんだれど。
2006.01.18
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すっかり忘れていましたが、この冬はインフルエンザの予防接種を受けるつもりだったんだぁ。 子供相手の仕事はじめたから子供から貰ったりうつしたら大変だと思って、風邪治ったら注射行くぞ!注射大嫌いだけど、それくらいは我慢して投資しておかないと、と思っていたのに、年末にやっと風邪治ったと思ったら、捻挫したり、急に旅行することになったりバタバタ忙しくてすっかり忘れてた。気がつけば、1月も半分過ぎ。どーしよーかな~。今から病院行くと風邪とかインフルエンザとかうつりそうだしぃ~、おいしいもの食べて体力つけて手を洗ってうがいしてりゃわざわざ痛い思いしに行くことないかア。なんてね、ついつい思っちゃいます。 どうせ忘れるなら春まで忘れてりゃよかった。もしくはインフルエンザにかかるってことを忘れてりゃかからなくて済むのかも。 10月の風邪がそうだった。あら、ちょっと寒い、と思って、考えたら、疲れが溜まってるし、忙しいし、人と会うし、風邪くらい引いてもおかしくないかも?って思い出したら風邪引いてしまった。馬鹿は風邪ひかない、ってこういうことかぁ、って実感したものでした。得意の忘却術でインフルエンザ回避してみましょうか。
2006.01.17
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このところ、ささやかな贅沢しております。年末に捻挫して、友達と食事の約束もコンサートの約束も何も果たせず、ろくに食料買出しにもでないまま年越したので財布に余裕が、って実に妙な理由なんですが、思えば世の中何が幸いするかわからない。 一方亭主は取引先の会社の忘年会に招待されて只酒飲めると出かけていき、帰りの電車で寝てしまいとんでもないところまで運ばれて電車がなくなりタクシーで帰るはめに。・・・と対照的4コママンガみたいな人生ですが、挙句「お金なくなっちゃったからちょーだい」だって。 アマッタレルナ、と思うのですが、なくなっちゃったら困るだろうからあげました。で、それじゃ面白くないから私もぜーたくしてる、ってわけ。 この間の合鴨サラダもそうなんですけどね、このところ、青カビチーズ・生ハム・トロと贅沢してきて、今日は久しぶりに鰤の照り焼き作ろうって思ったら、目を離した隙に焦げた。微妙に鰤の照り焦げになってしまった。でも、焦げて苦味が出る手前だったんで、おいしかったですヨ。
2006.01.17
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昨日は仕事帰りによく行く大型スーパーの中の本屋さんに月末発売の本を予約注文しに行きました。レジにかわいい男の子がいて、「注文お願いしたいんですけど」って言ったら困った顔して、注文票を取り出しながらすかさずナースコールみたいの押して応援頼んでました。なんで困ったのかはすぐにわかっちゃいました。 予め欲しい本の情報は調べて自分のケータイに送ってあって、こっちはISBNコ-ドまでわかっているんですけど、まあとりあえず書名から。ケータイの画面を見せながら「潜る人」と言ったら、「もぐる人」と平仮名で書いてました。 そこへ呼ばれたもう一人のバイト君。「注文お願いします」と引き継がれて、今度は彼が書きます。「出版社は文芸春秋社です」と言ったら、この人は全部漢字でスラスラ書けました。「著者名が佐藤嘉尚さん」と言ったら、「嘉」の字でひっかかってしまいました。ケータイの画面を見つめて、上の半分は書けましたが、下の部分は書き写しているような誤魔化しているような・・・まあこれなら「嘉」と読めるだろうという字が出来上がりました。 最近新刊本なんか買えるご身分じゃないんで、本屋の店員さんを観察する機会もあまりなかったのですが、こんななんですねえ。これじゃあネットで買おうか、という気になります。 本屋の店員といえば、学生時代にはなんとなく憧れの職業でした。それも大きな店じゃなく、間口一間半くらいの小さいお店。両脇天井まで本棚で真ん中に少し低めの本棚があって、レジが入り口付近にあって風呂屋の番台みたいな感じ。お客さんに「○○はありますか?」と聞かれたら即座に答えられるようなエキスパート。そーゆーのに憧れて、そうやって本に詳しくないと本屋でバイトなんかしちゃいけないんだろう、って思っていましたが「もぐる人」でもよかったんですねえ。こんなことなら腰が悪くなる前に、力持ちだったうちにバイトしてみりゃよかった・・・ 注文した本の発売は2週間後ですが、「今からだと間に合わなくて、遅れるかもしれません」と言われてしまいました。う~む、やっぱりネット販売に当たった方がよかった?でも、戴き物の図書カードが使いたかったんで、仕方ない。読めりゃなんでもいいや。って別に自分の興味で読みたいわけじゃなく、敬愛する人のお勧めなんで読まなきゃと思っただけなんですけどね。 そーいえば前回本屋さんを利用したのも人に勧められて『チョコレート工場の秘密』の続編『ガラスの大エレベーター』を買いに行ったのだった。これまた自分本来のシュミじゃない。 自分の読みたい本は図書館利用で、読みたいわけじゃない新刊本が並んでいく自分の本棚って考えてみたらとっても嫌だな。今度来る本が面白い本だといいな。
2006.01.16
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インド行って、久しぶりにマラティー語しゃべったんです。なんていうとしゃべれるみたいだけど、なーに、耳から覚えただけなんで、赤ちゃん以下のボキャブラリーです。元気?元気!おなかすいた?疲れた?喉渇いた。眠い。後でね。ここに座って。もう、いいよ。(要らない)なんでだめなの?おやすみなさい。お水飲もう。語感を伴ってしゃべれるセンテンスはこれくらいですかねえ。あとは単語がちらほらと。いつも行ってやっと耳に音が溜まり出した、って頃帰らなければならないのでちっとも覚えないのですが、今回滞在日数3日で新しく覚えたのが、「馬鹿者」と「りす」でした。 そんなんでもね、新しい言葉を覚えるのは楽しい。人がしゃべってるのをじっと聞いてわかる単語を手がかりに何話してるのか推測する。何度も繰り返される単語を覚えておいて後で人に聞く。 そうやって普段使ってない脳みその言語野を働かせていると、気持ちいい、ってことに気づきました。楽しい~、私、幸せだーって感じました。 好き嫌いの問題というより、そういう脳ミソみたいなんです。これがね、数字が並んでるのみてると憂鬱でイライラしてきます。ものすごく極端に偏ってるんだなー、私の脳みそってと思いつつ、セロトニン分泌の鍵を見つけてしまった気分です。
2006.01.16
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さすが、アカデミー賞。『ミリオンダラーベイビー』のことをちょっと書いたら今までお越しいただいたことのない方々やコメント・TBなどいただいてしまった。しかーし、これって更新されるとどこかに載るの?どこから嗅ぎつけていらっしゃるのか毎回不思議なのだー。イマイチその辺がよくわかっていないワタクシ。楽天広場の新着ブログで自分のこと見かけたことないもんねー。で、今日はまた全然違う話。 インドから帰って一週間経つんですけどねー、んでもって、ちゃんと今週は働いていたんですけどねー、でもね、でもね、時間ボケなの~~~。時差ぼけじゃなくて、時間ボケ。 インドと日本の時差は3時間半です。なんだその半てのは。半端だなあと思うけど仕方ない。 そーじゃなくてぇ、時の流れ方が、あちらとこちらでは違う気がする。単に人間の時間の使い方の問題かなあ? 着いたのは夜だったんですが、翌日の午前中はイライラしました。あまりに時間の使い方がちがいすぎて。だって、みんな5時から起きているのに朝食が終わったのが9時過ぎだったんです。べつに自分がごはんにありつけなくておなかすいてイライラしたわけじゃなくて、普段日本では「あと10分ある!」て空き時間にちがうこと片付けたりまさに寸暇を惜しんで動き回っているので、その時間の使い方の下手さ加減、とか要領の悪さとか、傍で見ているとイライラしてもどかしい。 グズっていうのともちがって、例えば子どもが7時30分に家を出ないと学校に間に合わないのに7時過ぎて「まだ眠いよ~」って布団の上でごねている。 それを起こしてシャワーさせて着替えて支度させて送り出すのを20分くらいでやってのけるんだからやろうと思えばもっと急げるんでしょうけれど、生活のリズムっていうのかなあ、それが全体に急いでいないです。日本の「いそがし虫」の毒が抜けるのに半日かかってしまいました。 今日本に戻って、また「いそがし虫」の生活してるけど、体の芯のほうにインド時間が残っててなんだかちぐはぐです。 だけど、久しぶりに行ったら、そんなインドでもみんな忙しくなっていました。 昔は本当に仕事よりお祭りの方が大事!ってやたらと休みが取れたし、夕方にはみんな仕事終わって帰って来ていたのに、最近じゃ夜遅くまで残業したり休みが取れなくなって、みんな仕事は真面目にするもの、というふうに洗脳されたみたいによく働いていました。小売の店員が積極的にセールスしていたのも印象的でした。なんかみんなアメリカナイズされてきたみたい・・・現金が無いと暮らせなくなっちゃうのかなあ。その代わり時間とかお楽しみとか切り売りしてるのかなあ。
2006.01.15
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翠川あやめさんのベスト10映画の一位に選ばれていた『ミリオンダラーベイビー』を先月観たところだったので、その時思った感想など書いてみる気になりました。私も泣かされました。いろんなこと思ったのですが、クライマックスのサワリだけ。もう古いからネタバレしてもいいよね?嫌な人は以下読まないでください。 いい映画でしたよー。でも、ずるいよ、これ。『ミリオンダラーベイビー』なんて、まるでサクセスストーリーみたいな名前つけておいて、全然違う話じゃないか。しかも、ボクシングのこと描きたかったわけでもないんだろう。 まあ同じイーストウッド監督の『スペースカウボーイ』よりはずっともっとイーストウッドが描きたかったことを描いているんだろうと思います。 あの頃より年取ってるはずなのに、イーストウッドの体ががっしりしていていかにもボクシング界の男、って感じがよくでてて、さすがプロって思いました。 30半ばで不随になってしまったマギーが、殺してくれ、ってフランキーに頼む。 マギーにとって動けずに床ずれで腐っていく自分の体など生きているに値しない。 一方彼女を見舞うフランキーにとっては動けなくても彼女が生きていてくれて言葉を交わせることはとても意味のあることだったはず。彼女にいなくなられたら、実の娘とも音信不通の彼にとって生き甲斐などもうないに等しい。彼女には一日でも長くいきていてもらいたかったはず。だけど、彼女にとって生きながらえることはもはや苦痛でしかなく、一日一日とじわじわ殺されていくに等しい。 人が生きていることってその人だけのことじゃない。マギーの家族はろくでなしで実のお母さんは彼女の心配などしていない。それでも、マギーはママがお見舞いに来るのを待っていた。娘が首から下を動かせず寝たきりだというのに、家族でディズニーランドに行った帰りに見舞いに寄って、娘の金を奪い取ろうとする。その金で暮らしているくせに、娘が死に物狂いで戦う姿を認めない。 でも、彼女にはフランキーがいた。フランキーにもマギーがいた。なのに、彼女は彼に殺してくれと頼む。 彼女のためを思ったら、楽にしてやったほうがいいのだろう。 命を永らえることは彼女にとって魂が死んでいくことなのだ。彼女の魂のためには死なせてやったほうがいい、と思っている。 でも、自分のためには・・・?フランキー自身は彼女に生きていてもらいたいはずだ。だけど、彼の手元にいるのはだんだんと心が死んで抜け殻になっていく彼女。 手を下せば一生後悔して生き続けなければならない。罪の責めを負い続けなければならない。 私がマギーだったら、やっぱり殺してくれ、って頼むと思う。生きていたくないだろう。 でも、フランキーだったら、たとえ抜け殻でも彼女に生きて欲しいと思ってしまう。言葉を交わせること、彼女の体に触れられること。彼女の目に自分が映ること。それを失いたくない。 生ってその人だけのものじゃない。その人が生きていてくれたらそれだけで支えられる別の生があるんだ。
2006.01.14
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ラジオのニュースを聞いたら書かずにおれない気になってしまったっ。1、イランの核開発疑惑。なんでなんでまたアメリカにつけこまれるようなマネをするんだろう? もしかして、もう油田が底をつくのが目に見えてて、新しいエネルギー源を開発せざるをえないとか? それともCIAが核開発するように裏でイランをそそのかしてつけこむスキを作ってる、とか? 2、出産費用全額国費で賄うかも?! んじゃ、タダになるから子供産もうっと、って思うとでも思ってんのかぁー!なめんなよっ。全額国庫負担はわからないけど、出産祝い金が30万から35万に引き上げられるのは近々実現しそう、という。 5万円増えたら子供増えると本気で考えている人がいたらお目にかかりたい。まじめに現状を何とかしようとしているとは思えない。ふざけてるのか、国民をなめてるのか。増税の理由を見つけたいのか・・・?? なんか腹立つなあ。
2006.01.13
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しばらくブログサボってましたが、3日から7日までインドに行ってました。のん気な年始のご旅行~ってわけじゃなくて用があって行ってたんですが、その後寒い日本に順応できなくてブログを書く気がなかなかおきません。 気温ばかりのはなしではなく、日本にいると自分に与えられたスペースの中で縮こまって空間を創りたくなる。そうしてやっとできた隙間で息をしていると、あ、そんなに場所要らないのね、って居場所を削られる。それでもっと身を縮めていないと空間が持てない。そうして私はここでは息苦しいのです。 それがインドに行くと手足伸ばしていられる。久しぶりに体の中に空気を取り込めたような気がするのです。 それがなぜなのかよくわかりませんが、現実にはとても空気の悪いところで、車が多くて人通りが激しくて、町の喧騒と埃にうんざりします。一目で外国人とわかるのですきあらばボラれたり痴漢にあったり東も西もわからないので、一人歩きもできません。暑くて汚くて水を飲むのも大変なところなのに、食べ物は何もかも脂っこいし、スパイシーなカレーも好きじゃないし、甘いものは甘すぎるし、住めっこないのに、日本のほうがずっと便利で清潔で勝手もわかってるというのに、そんなことはどうでもよくなるのです。あちらの方が居心地がいいのです。 なんでかなー
2006.01.13
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なにも無理に野菜を食べることもあるまい、とたかをくくって本日は合鴨サラダ。合鴨の方が多いのよ~~にしてみました。たまには、こんな贅沢。
2006.01.12
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あけましておめでとうございます。今年が皆様にとってよい年でありますように。 私個人としましては一昨年・去年と激動の人生を送ってしまったので、今年は心穏やかに過ごせる年にしたいと願っております。(ホント、切実に願っているのです。) そんな年越しは「みんな揃って」という父の希望で、実家で夕食でございました。「私、そばはヤダ。なんか作って~」という母のわがままな一言で、お昼におそばを繰り上げて済まし、夜はパエリアでも作ろうと思っていたら、ちょうど父が、「これが食べたい」と地中海風魚介類のスープの素を朝のうちにわざわざ届けにきて、「ここのレシピに書いてある必要なものは昼間のうちに買っておくから書き出せ」と・・・自分では読まないのね、って確かに字が小さい!&わかりにくい。で、これは「これを仕上げて持って来い」って意味かい?と思いつつなんとなく統一性のあるメニューが決まっていったのでした。が、久しぶりに作ったので味付けは悪くなかったのですが、サフラン入れるの忘れた~。 ライチのスパークリングワインというお子ちゃまのシャンメリーとあまり代わらないワインで乾杯だったので、ぐびぐび飲めちゃいました。でも、アルコール度6.7%だったかな?ビールより強いんです。 で、酔っ払って8時過ぎには帰って(やたらと夕飯の早いうちなのです)ビデオをつけたら、ソルトレイクが出てきて、夫に「ソルトレイクって塩湖じゃないよねー。別にしょっぱくないよねー?」と聞いてみました。「そーだよ。」「そーだよねー。でも、なんでソルトレイクっていうのかなー。塩が取れるのかなあー。」と絡んでいました。その時です。いつもボケ専門の夫が二〇〇五年一番の冴えを見せたのです。「塩原温泉だってしょっぱくないでしょ」「あったまいい~~~!すごーい、すごーい。座布団2枚!いや、大ヒット、いや、今年を締め括るホームランだね!快挙だね!」って褒め称えたら、「まあね、オレって天才だから」って喜んでました。ほんと、忘れた頃にやってくるようなテンサイです。 我が家は寒いので、このままでは凍死する、と思って、お風呂入って昨日から、今日への連続の中で、昨日と今日と何が変わるというわけでもないけれど、だからこそたまに区切りをつけたくなる。それは自分のペースでいつ区切ってもいいのだろうけれど、新しい年、ってみんなと共有することで、また気持ちを新しくできるんじゃないかな、なんて小難しいことを少々のアルコールの入った頭で考えていたら眠くなっちゃって早々に寝ちゃいました。 11時半ごろ夫が寝にきた物音で目が醒めて、入れ替わるように起きてストーブにしがみつきながらパソコンに向かいました。親しい人から大晦日メールが何通か来ていたので、返事を書くうちに年が明けました。汽笛は聞こえませんでしたが、打ち上げ花火の音が聞こえて、年が明けたのだと知りました。それからまた下手な考え休むに似たりな考え事をして寝つけず、それでも、初詣にいって手を合わせると頭の中が空っぽになり、雑音が消えました。手を合わせている間だけね。 そんなこんなの年明けで、今頃眠い・・・
2006.01.01
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