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- 立正安国論御勘由来 -

日蓮世間の体を見て粗一切経を勘うるに
御祈請験無く還つて凶悪を増長するの由道理文証之を得了んぬ
終に止むこと無く勘文一通を造り作して其の名を立正安国論と号す
文応元年庚申七月十六日辰時
屋戸野入道に付けて古最明寺入道殿に奏進申し了んぬ
此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり

其勘文の意は
日本国・天神七代・地神五代百王百代
人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて

其の中間五十余代・二百六十余年なり

其の間一切経並びに六宗之れ有りと雖も
天台真言の二宗未だ之れ有らず
桓武の御宇に山階寺の行表僧正の御弟子に
最澄と云う小僧有り後に伝教大師と号す

已前に渡る所の六宗並に禅宗之を極むと雖も未だ我が意に叶わず
聖武天皇の御宇に
大唐の鑒真和尚渡す所の天台の章疏・四十余年を経て
已後始めて最澄之を披見し粗仏法の玄旨を覚り了んぬ
最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す
桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し


同延暦十三年に長岡の京を遷して平安城を建つ
同延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て
南都七大寺の六宗の碩学・勤操・長耀等の十四人を召し合せ
勝負を決談す
六宗の明匠・一問答にも及ばず口を閉ずること鼻の如し

法相宗の三時
三論宗の二蔵・三時の所立を破し了んぬ

但自宗を破らるるのみに非ず皆謗法の者為ることを知る

同じき廿九日皇帝勅宣を下して之を詰る
十四人謝表を作つて皇帝に捧げ奉る、
其の後代代の皇帝叡山の御帰依は孝子の父母に仕うるに超え
黎民の王威を恐るるに勝れり

或御時は宣明を捧げ
或御時は非を以て理に処す等云云、

殊に清和天皇は叡山の恵亮和尚の法威に依つて位に即き
帝王の外祖父・九条右丞相は誓状を叡山に捧げ、
源の右将軍は清和の末葉なり鎌倉の御成敗是非を論ぜず
叡山に違背す天命恐れ有る者か。

(堀日亨編纂:新偏御書P.33~34)
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=33&ref=null
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=34&ref=null


真に民衆が幸福生活を営んでいける理想社会を実現するには
しかして、 公上において対決
仏法の正邪を明らかにする必要がある


古来、 仏法の流布 は常に
国王の前 における公上対決 が行われた。
―中略ー
如何なる宗教を持った人が
民衆を幸福にし社会を反映させるか?
いかなる宗教をもった人が
名聞名利の徒 であり 私利私欲 に明け暮れて
政治を堕落させ<社会を不幸と混乱に陥れているか?
国民大衆の判定 を待つのである。

池田大作著 立正安国論講義 P.1135 より


これは、かつて 言論妨害事件 が起こる前に
池田先生が講義をした「立正安国論の講義」での一説で
丁度、 伝行大師の公上対決 について述べられたものなのですが
この講義にも出てきた 公上対決の場 というのは
現代に当て嵌めれば 教、機、時、国 という側面や
上記の御聖訓なども鑑みても充分
国会での証人喚問 或いは、 参考人承知
しっかり、 該当する のではないのでしょうか?

さて、 国王 とは? 誰の事を指すのか?
また、 公上対決 とは? 何を指すのか?
もう一度、立正安国論講義 P.1135に書いてあった
―中略― にした部分 を読み返すと・・・


(― 中略部分 ―)

これは 君主制 になるが故に必然的にとられた方法であって
主権在民 における公上対決とは 選挙にほかならない

池田大作著 立正安国論講義 P.1135 より


なるほど・・・
民主主義の経緯など鑑みれば、それはミカドではなく
また将軍でもないので
日本国民 国王 であり
そして 議会制民主主義 公上対決の場 となるわけですね
また、選挙もその枠組みの一つでありましょう

しかし 国王=民衆 と言う事を理解し
また 十界互具 が理解できる あ・な・た ですから
当然、 民主主義の欠陥 も解っている筈ですよね~

ところで 民衆 と言うのは 誰を指すのでしょうか
基本的人権を鑑みれば当然、民衆と言うのは
を指すこと でもあり、 あなた を指すこと でもある訳

数年前、共産党が Poster や演説、政見放送等でよく
「国民一人一人が主人公」 などと Slogan を掲げていましたが
当にその通りで、 共産党の 志位和夫 も国民の一人でもあり
社民党 の福島瑞穂 も国民の一人であり、民衆の一人でもある訳
また ヤクザ も実は民衆の一人で
あの 麻原彰晃 宅間守 民衆の一人なわけ
(ただし 刑法に触れた事が発覚しなければ の話しですが)

そして実は
彼等も国王であり 公上対決の判定者 なわけ
従って彼等も権力を握る裁判官な訳です。



【参考資料】日本国憲法第11条

国民は、 すべての 基本的人権の享有を妨げられない。
この憲法が国民に保障する基本的人権は
侵すことのできない 永久の権利 として
現在及び将来の国民に与へられる。



このように 個人一人一人を 細かく分析して見ていくと
民衆と言う定義は Macro-Analytic な答えしか出てこない ため
曖昧な存在 になってしまい、先日まで書いていた
「ドラえもんだらけのParsonal buddha」 のように
収集がつかなくなる上、判定などもつかない訳

そこで池田先生は その 心の隙 をついて 、次のように述べ
信者に対し・・  選挙=公上対決 条件反射 を与えて 絶対化 させ
末端の信者は それに服従してしまった わけ



日蓮大聖人の 仏法を受持 王仏冥合 を掲げた
わが同志を勝利 に収める事 は、 民衆が
この 仏法の正しさを認めたこと の証左に他ならない


王仏冥合の達成 まで
即ち 全民衆が 偏見を脱して認める まで
選挙を公上対決の場 として
勝利につぐ勝利 をもって
前進していこうではないか!!


池田大作著 立正安国論講義 P.1135 より



なるほど、 戸田先生の本 を読まない限り
公明党に入れない事は 謗法だ
・・・と錯覚が起きてしまい、 誤解を招く表現ですよね
因みに参考資料として日本国憲法第20条を書いておきます。



【参考資料】日本国憲法第20条

・信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体
国から特権 を受け 又は 政治上の権力 を行使してはならない。

・何人も、宗教上の行為、祝典、儀式
 又は行事に参加することを強制されない。

・国及びその機関は
宗教教育 その他 いかなる宗教的活動 もしてはならない。



では、何処に誤解を招く表現が備わっているのか? 
信者の皆さんはわかりますか?

実は 第三者が天秤で計る
あなた達が忌み嫌う 日顕宗(日蓮正宗)
同じ Libella に陥ってしまう訳


正義には、融通性が効かない事ぐらい
牧口先生の 「創価教育体系」 に書かれていた
大善生活の理論 にも書かれていますよね 
また池田先生の指導によれば
人間は常に 性善と性悪とが両方備わっている 訳でしょ?
これを逆手に考えて式を組めば 良いわけ

(関連記事)
早期解散に揺さぶり …民主・小沢、公明党“恫喝”作戦
創価学会提訴中、 矢野氏の招致前向き
http://www.zakzak.co.jp/top/200810/t2008100301_all.html



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Last updated  2008年10月15日 00時37分09秒
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