capriccioso

April 21, 2006
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勉強をすることに、それほど意味などないと、ずっと思っていた。



勉強はただの義務。

勉強しなきゃ高校にも大学にも行けない。

それが社会の仕組みなのだから、従わなければならなくて、義務はやらなければならなくて。

だから、つまらない英語も、面倒くさい社会も、あーだこーだと文句をつけながらそれなりに勉強してきた。

それが、その程度にしか物事を考えられなかった、私の約15年間の生き方だ。


高校に入り、音大を目指しながらも、幅広く物事を学びたいと考え普通科を選んだのは自分。

この辺ではそれなりに進学校に進むことを決めたのも自分。

親に授業料を払ってもらって、学校に通うんだ、もう、勉強を義務だなどとは言ってられないな。



最初は中学までと同様、テストといえばとにかく覚えて頭に詰め込んで勝負するもの、という考えで、今思うと相当効率の悪い勉強をしていたと思う。

二学期頃からだろうか、少しずつ、私を取り巻く世界が変わっていった。


ただの紙切れだった教科書が、立体的に見えてくる感覚。

字が躍るように私に何かを訴えかけてくるような感覚。

世界史の教科書が、小説のように見えてくる感覚。


なぜこうなるのかを、できる範囲で突き止めていく。

「これはこういうもの」と決め付けてしまったら、一次元的な、灰色の、覚えなければならない「義務」がまたひとつ増えるだけだ。

それに気づいたとき、暗記物の典型だと思っていた世界史さえ、「理解するもの」のカテゴリに入るようになった。

「これはこういうもの」と決め付けることが、その物質や事実に対して、ものすごく失礼なことに思えてくるようになった。


そんなこんなで、新しいことを知ることが、何よりも楽しいことになった。

中学までは苦手だった英語もいつしか一番の得意科目になり、英語について、もっと深く知りたくなった。



私は日本語が好きで、時々ふとした瞬間、この言葉は何でこういうふうに表現するのだろう、などと考えて、自分なりの見解をだす。

合っているのか間違っているのかわからなくても、それだけでなんだか楽しくなることがある。

それを、英語についてもやってみたいと思った。

アマゾンで一冊の本をかった。

語源で一気に英単語を覚えることを目的とした本だ。



それと同時に、自分の物事に対する考えの浅はかさに気づかされた。

例えば「present」。

「pre」という言葉には「前に」という意味があるのだという。

そして「sent」は贈るという意味だ。

つまり、前に差し出して贈るもの、それが「present」なのだ。

少し考えれば予想がつきそうな単語さえ、「こういうもの」として特別意識せずにとらえていたし、

どんな意味を持つかなんて、考えることすらしないで、ただひたすらノートに繰り返し練習するという「義務」をもくもくとやっていた。

そのことに気づいたとき、なんでかよくわからないけど、涙がでそうになった。

「present」という言葉を見ると、もう、人と人とが、少しはにかむように微笑んで、プレゼントを渡している画が連想されてしまう。

そんな素敵な空間が「present」の背景にある。



それなのに。




こういうことは、人間においても言えると思う。

「そういう人」と決め付けてしまえば、そこでおしまいだ。

その人の見た目がどんなふうでも、その人が背負う背景までを決め付けることはしてはならない。

そんな思いを、ある友達との出会いが深めてくれた。

ある、ひょんなことから、高校に入ってから友達になった子の家庭事情を知ることとなった。

それも間接的に知ったことで、彼女は、私がそのことを知っていることも知らないはずだ。

おそらく、周りでそのことを知っているのは私だけだと思う。

その子は隣の市から来ているし、その家庭事情も、幼い頃から仲の良い、ごく身内だけが知っていることなのだと思う。

その子の両親は、その子が小学生の時に離婚したのだという。

その子は双子の姉で、妹はお母さんに引き取られ、その子はお父さんに引き取られた。

やがてお父さんは再婚した。でも、すぐに別居をはじめ、現在もそんな状態が続いているらしい。

おばあちゃんもなんだか気の難しい人らしく、とにかく家庭がうまくまわっていないらしい。


それを知ったとき、すごい衝撃だった。

だって、毎日毎日、学校であんなに明るくて、いつもニコニコしてて、

アメをあげるだけですごく喜んでくれて、金曜日になると「明日は休みだ~」ってすごく幸せそうに笑って。

そんなに辛いことがあったなんて、全くうかがわせもしなかった。

次の日から、その子の笑顔が痛々しくて、まともに見れなくなってしまった。

それからしばらくして、私は地球や人々についてずっと考えていたときがあった。

その子の家庭事情を知ったせいもあって、感傷的になって、そんなことばかり考えて一日を過ごしていた。

そんなある日、ポツリと、私はその子に「生まれ変わっても人間になりたい?」と聞いた。

その子は何も迷わず「うん」と言って、少し目を伏せるようなしぐさをして、私にこう言った。

「また人間に生まれ変われたら、普通の子に生まれてきたい。普通の家族で、家族みんな仲が良くて、あったかい家庭に生まれたい」

私は言葉に詰まって、気づくとその子の手を握っていた。

「うん、そうだね」

それだけ言うのがやっとだった。

それ以上何かをしゃべったら、涙が溢れてしまいそうだった。

聞いちゃいけないことを聞いてしまった気もした。

何も考えずにそんなことを聞いた自分が情けなくもなった。



だけど、そんな過去が今のあの子を作り上げていて、彼女が今立っているその場所は、過去の一つ一つの出来事が積み重なって出来上がった地点なのだ。


ここから、「意味」と「つながり」について考えるようになりました。

続きはまた今度~





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Last updated  April 22, 2006 12:47:24 AM
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