七転び八起き母ちゃんの子育て失敗学のススメ

七転び八起き母ちゃんの子育て失敗学のススメ

子供を信じてじっと待つこと



その場所を間違えると、たいがいややこしいことになってしまうのですが、それを3兄弟とも間違えまくってきた私は、今やすっかり度胸が据わってしまいました。

間違えたら、またいいと思う方法でやり直せばいいのですから。

多少時間がかかっても、失敗したことは、いずれ経験というものに変わり、親にとっても子供にとっても見えない力になっていきます。

それを前向きに土台にすればいいのだと、私は思います。

一生懸命やってたって、完璧になれる親なんていないと思います。

失敗するのもいたしかたありません。
見落とすこともありますし、厳しい状況になっているとわかってもどこで手を差しのべたらいいのかは毎度毎度判断に苦しみます。

でも、私は道に石がころがっていて、歩いている子供がこのまま行くとつまずくなぁと思っても、声をかけないで、やっぱりこけて、自分で泣きながらでも立ち上がってきた時に、「よく自分で立てたね」と抱きしめて褒めてあげられる親でいたいと思うのです。

そう思うようになるまでは、私はころがっている石をさりげなく道の端によけたり、子供がこける前に親切に声をかけて注意を促す母でした。

こけるとわかっているのに教えてあげないなんて、親としてそんな薄情なことできないわ、それに怪我したらかわいそうだし、なんて思っていたのです。

でも、そうしていたら、気づけば子供は、母が見落とした石に見事につまずいてこける事になり、自分で危険を回避することや、こけた後どうしたらいいかも経験が少ないためにわからず、いちいち親の判断を待つようになるのです。

だから私は、子供がこけても、自分でどうしたいかとか、どうしてほしいか言いに来るまで待つことにしました。愚痴を言ったり、相談してきても「~だと、お母さんは思うよ」とあくまで自分の意見として話をし、最終的にどうするかは子供に言わせます。

人に言われてするのと違い“自分で決めて言う”と、本当に自然に自分の言動に責任を持とうという前向きな気持ちが起こるのです。

だから、私は子供が親に助けてほしいとSOSを出すか、本当に子供が自分で手に負えない状況だと判断するまで、待ち続けることにしています。

やってみればわかると思いますが、本当は手や口を出す方が、親としては楽だと思います。
少なくとも私はそうでした。
待つ方はそれはそれは苦痛でした。
でも、よかれと思って先読みして道を説いてやるよりも、苦しみながらも黙って信じて待つほど、子供はしっかりと自立していったのです。

それでも、子供がSOSを出すか、手に負えない状況と判断したときは、待ってました!いよいよ親の出番です。

その時は、子供に親の力を見せ、誰が相手だろうが、子供にとって親は無条件で味方であることを示すチャンスだと思います。


さて、三吉の集中力がなくなってしまったのは、かなりのピンチを示していました。

まずは、今まで兄たちと同じようにしていた生活をやめ、私の目の届くところに移しました。具体的には、宿題や時間割などを全部そばでやらせたのです。

当たり前にできると思っていたことも、集中力がなくなるとできません。物音がしたり、兄の話し声がすると、フ~ッとそちらに気が行き、手が止まってしまいます。
「三吉!」と声をかけると、ハッとするのですが、今何をしていたのか一瞬わからなくなってしまうのです。

おかげで、しばらくは宿題と時間割をするだけに、つきっきりで見ていなければなりませんでした。

あれほどお世話好きだった子が、お世話される方になってしまったのです。

<つづく>

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