Laub🍃

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2012.02.02
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カテゴリ: ●新書




●必要なのは美しく飾り立てすぎた言葉でなく、優しく包みすぎた言葉でなく、岩石のような削り出したままの言葉でない。それはマニアならいいがそうでなければ説明が必要なちょっと面倒なものにすぎない。
 それら全ての善さを兼ね備えた、美しく、手間をかけ、素材を生かした一振りの刃物の美しさが必要。



●「悩めば悩むほど、精神は強くなる。ストレスは、成長するためには必要なことだが、かけすぎると筋肉同様、精神もまいってしまう。だから、ストレスの良し悪しを見分ける必要がある。気構えがしっかりしている人は、目の前にストレスが現れたとき、これに敏感に反応して見分けることができる」

 一生懸命なにかをつかもうとする人は、ストレスからでさえも教訓を得ようとする。どんな些細なことからもすくいあげ、教訓として受け止められる人は、それを糧として強く生きられるのだ。


●「人間は、せいぜい生きても100年だろ。……たいがいの動物だともっと短けえよな。だが、樹木はどうだ? 200年も300年も生きてる。なかには千年も生きてるやつまでいるじゃねえか。長げえんだよ、その、なんていううか」
「サイクルがですね」
「ああ、そいつが人間の何倍も長げえのさ」
「だから、反応もゆっくりしているわけですか」


 生きる喜びがある一方で、想像を絶するほどの哀しみや苦しみを味わってきたことだろう。


●アライグマくんは不思議な場所の存在を認めようとしないのだが、ぼのぼのはこう考える。
「世の中はすごく広いんだから、少しぐらいちがうところがあった方があたりまえじゃないのかなあ」


●「『正常』というと何か平凡なことのように取られるかもしれませんが、実はこれより深く高い境地はないのであります。

 ありがたいことには、健康な性質の品物は、自ずから単純な形を取ることであります」
 健康とは、心も体も無事であることであり、いちばん自然で正当な状態のことをいう。
 病気やケガをすれば、体は自ずと治癒への活動をはじめるし、どんな物質も力を加えると元に戻ろうとする性質がある。
 木の性質を知り尽くした宮大工の手業である木組みを見れば、説明しなくとも一目瞭然だろう。
 自然とは、つねに正常を求めているということである。
 宗悦は「正常の美」とは「健康の美」のことだという。
 持っている性質を生かすことこそ、究極の自然美に近づけるのだ。









●与えよう。集めても集めてもいつかはこの世を去るのだから、集めたら与えよう。
 集めて得たものは、きっとだれかの役にたつ。
 それが循環というものだろう。

人が死んだ後に残るものは集めたものではない。与えたものである。

●「絵を描くことは神さまへのレポート」







●「素直な心をもてば、強く正しく聡明な賢い人間になれる。素直になるということは神になることと同じ」だと。
 素直になることは、口にするほどそう簡単ではない。
 人間である時間が長ければ長いほど、知識も増えて知恵がつき、自意識や自尊心、欲得などが邪魔をして素直な心から遠ざかる。
 生き物はもちろん、建築物も、科学もふくめ、すべてがこの自然のなかに置かれている。地球という自然から離れているわけではない。
 だからこそ、どんなものでも自然であることが当たり前なのだ。
 生まれたままの素直な気持ちは、そのまま自然の姿でもあるということ。
 自然に背かなければ、他人の意見も素直に聞ける。

終更新日 2016.01.16 18:12:23





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最終更新日  2016.12.15 13:02:44
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