Laub🍃

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2012.09.26
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「頭おかしい」ということは婉曲な表現かつ、
没交渉に通じる表現だと思う。

没交渉的、その人が何故その行動をしたのかということを一切鑑みていない場合、

自分の正当性、「自分はおかしくない」ことを主張したい場合
多用される一言だと思う。

関わり合いになりたくない相手について詳しく語りたくない、考えたくもないからこそ
使われる表現なのかもしれないが、
自分の気に入らない人や行動をことごとくそう表現するだけでは
なかなか成長することも何か取り入れることもできなくなるのではないだろうか。








「その発想はなかった」と同義である。

つまり頭おかしいと表現するとき人は自分を凡夫とある意味認めていることになる。
集団に所属しながらも、その集団から抜け出すことができないと言っているということでもある。
どちらにもデメリットがあるのに、両方のいいところを取ろうとするのは欲張りというものだ。
勿論非凡が尊ばれることもあればある程度凡人であることが尊ばれることもある。
絵の才能などは大体前者、家の掃除の程度などについては後者のほうが尊ばれるだろう。(潔癖もしばしばうざがられる)そして家の掃除については「普通」だけど、絵の才能は「普通じゃない」といういいとこ取りの人だっているかもしれない。
けれど、そういった基準があいまいで、非凡でも凡人でも謗られうると言う時は「普通」「普通じゃない」を判断基準にしてはいけなくて、自分の好き嫌いを述べる程度にとどめた方がいいんじゃないかと思う。

「普通」を貴ぶことは社会を味方につけようとすることで
「普通じゃない」を貴ぶことは社会を敵にまわすことに近い(特に単純な技術じゃなく、感性などの場合)。

そしてそれを認識せず自分の生き方を何でもかんでも肯定するために普通と普通じゃないことどちらにおいても
「自分の所属する方」を褒めるってことは、自分の好悪を出すことによる自己責任を放棄しながらも
他人(の姿をした自分)からの承認といううまい汁だけをすすろうとしているってことになる。



彼女たちは潔癖さを、募金するかしないかを、自分のセンスを、恋人を作るか否かを、浮気するかしないかを、
異常と、異常と、平凡と、異常と、異常(平凡・小心者)と言った概念で語る。
自分の好き嫌いなどは表に出そうとしない。

あたまおかしいと言って、一方的に切り捨て見下げる行為のように。


そういう狡猾な生き方もありなんだろう。



最終更新日 2014.09.26 12:26:46





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最終更新日  2016.12.04 08:02:39
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