十月も半ばになると、だいぶ凌ぎやすくなってきました。朝夕は掛け布団も必要なほどですが、日中は少し汗ばむくらいの熱気です。
今日は隣の市まで講演会へ出かけました。人権セミナーの講演で70名ほどです。
免許を持たない私は、要約筆記者の車に同乗させてもらい会場へ行きました。時間的に昼過ぎからなので到着したら、まずスクリーンなどの設定後昼飯をとりました。
私は自分でサンドイッチを作って持っていきました。
昼食後、会場へ行ったら、まぁ懐かしい顔が・・・娘の同級生のお母さんです。
「うわぁビックリ!!」
「貴女を驚かせようと思って内緒にしてたよ。ハイ頑張ってね」と手作りの可愛い造花を頂きました。
彼女Kさんとは娘の小学校から中学校時代、保護者会などで仲良くなり、いつも話していました。およそ五年近く親しくしていました。
買い物先のスーパーで会えば悩みや子供の進路など尽きる事がありませんでした。
ところが子供が高校に入る頃(15年以上前)彼女一家は、郊外へ家を建て引っ越してしまいました。それ以来、滅多に会うことがなくなりました。
「寂しくなったぁ」と残念でしたが、引越し先が講演会場所の隣町でした。
「広報で貴女が話すことが判って申し込んで楽しみにしてたよ」とのこと。
当時、私は難聴会や要約筆記のことも知らないまま、どちらかと言うと、おとなしい方でしたから彼女も驚いたことでしょう。
講演時間は一時半から三時まで・・普通は、大体予定通りに話を終えるのですが、今日はどうした事か勘違いして三時半まで・・・と私の頭のスイッチが故障してました。
自身の体験から話を始めて、小学校、中学校、高校、社会人・・と辛かったことも交えて話し時計を見たら三時近く・・・ところが話は乗ってるし、頭の中では三時半まで・・・と思っているので、話し続けていたら要約筆記者がメモに「三時です」と書いて知らせてくれました。
またまた予告まで知らせてくれて・・・と変に勘違いし、話しを終えたのが三時十分。
(アラッ、二十分も時間が余った)と、それでも気付かない私。司会者の説明後、控えの席に戻ったら要約筆記者から「三時過ぎちゃったよ」と言われ、
やっと時間オーバーに気付いたのでした。こんな事初めてです。赤面の至りです。
内容は、育児で夜泣きが聞えず主人とともに三人の子を育てた事、主人亡き後、難聴会を知ったいきさつ、要約筆記で話がわかることの素晴らしさ、存在感、耳マークや人工内耳のことまで話し、最後に「若い難聴の方の会を立ち上げる予定です」で締めくくりました。
要約筆記の方お疲れ様です。難聴会の例会では聞えにくい方ばかりなので筆記も追いつくようにスクリーンに書き出されている状態を見ながら進めるのですが、今日は聴衆が一般の人なので自分のペースで普通の講演会のように話しました。筆記者は、休む間も無かったでしょうね。
終了後、ちょっと休みましょう・・・と咽喉が渇いていたので売店へ行きましたら、若いお母さんみたいな方から話し掛けられました。
「今、話を聞きました。有難うございました。私はFさんからmichiさんの話があることを聞いて聞きに来ました。娘が難聴なんです」
Fさんは、五歳の子供さんが生まれつき難聴で、私の店にも来られたことがあり、「ダンボの会」という難聴児の親の会を立ち上げられた人です。
「小学生ですか?聞えはどれくらい?何級?」と伺いましたら
「6年生です。二級です。普通の学校へ通っています」
「勉強が難しくなりますね。要約筆記のノートテイクで授業をうけられたらいいですね」と答えましたら
「本人がまだ自分の障害をなかなか受け入れられなくて・・・ノートテイクを自分だけ受けるのは嫌だろうし・・・難しい年頃になってますから」と涙ぐまれてました。
もう本当に胸が痛みました。
昔の私をソックリそのまま見ているようです。
私自身も小学校高学年、中学校・・・と補聴器を着けているのが嫌でたまらず、外してしまったこと、聞えないことを知られたくなかったこと、何で自分だけ聞えないの!!と苛立ちを隠せなかったこと・・・がありました。
今でも、そうして悩んでいる子がいるのです。
何とかしてやりたい・・少しでも悩みを軽くしてやりたい・・・
でもその為には、まず自分の障害をシッカリ受け止めないと前へ進めません。
「辛いですよね。一度娘さんにも会ってみたいですね。本人は充分頑張っているから、ガンバレというのは酷ですね。だから一般の方に理解を求める為に話しているんです。気楽に(聞えないから書いて下さい)と言えるような世の中になって欲しいですね」と私は話しました。
「今日話されていた若い難聴者の集まりでも行きたいけれど、うちの子はまだ子供だから参加は無理だし・・いつか、又お会いできたらいいですね」とその若いお母さんは言ってくれました。
その場から去りがたいような感じでしたが、親としても辛いだろうなァと子育てが終えた私でも思います。
どこかに行くと、又新たな人との出会いがあり、ほっておけないことが出てきます。
何とかしてやりたい、何とかしないと・・・この想いが尽きる日はないようです。
また、ひとつ、小学校高学年、中学校での難聴者のことが気になりだしました。
少しずつ、少しずつ考えて、できることを進めていきたいと思っています。
では また・・・