思想悩労。

Apr 8, 2005
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カテゴリ: 不真面目思想。
最近、「死ね」ってよく言われます。

あと、2回ほど言われたら 死ぬかも知れない。





日常的に

「死ね」だの「死ぬ」だの「殺す」だの

そういう言葉が溢れている昨今。

比較的に安易に使用されてはいるけれども、

非日常的な「死」という概念に対し

デフォルメされた「死」の概念が浸透しています。





要は、「死ね」と簡単に口にはしているが



その本質を無視した形で「死」という言葉を使用しているということ。

誰も、そうだと思いますが

「死ね」と言ったからといって

その相手が死ぬ事は望んでいない訳です。





「殺す」も同様に、

相手に対し殺意を抱いたという訳ではなくて、

いわゆる、「怒ってるんだぞ!」という

アピールにしか過ぎない訳です。

(実際に「殺すぞ!」と言ってホントに殺しちゃう中学生とかいますが。)





こういった、デフォルメされた言葉は

割と蔓延していて、



ところが、

僕自身もよくよく使用していた この「死」に関するデフォルメには

どうにも違和感を感じてきました。





「死」は「誕生」に次ぐ、人生における最大のイベントである、

そう、最近思っていまして。



(遺書に関してはまた書くときがあるかも知れません。)

「どう、死ぬか」は僕にとって、相当に重要なことなのです。






そう考えたときに、

「死ね」だの「死ぬ」だの「殺す」だの、

安易に自分が使うことに抵抗を感じた訳です。





しょっちゅう「死ぬ」って言ってた僕ですが、

今日を限りに使うのを止めようと思います。

次に「死ぬ」て使うときは、本当に死ぬときですし、

「殺す」って言ったときは本当に殺しますし、

「死ね」って言われたら本当に死にます。





あ。








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Last updated  Apr 8, 2005 01:22:06 PM
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