思想悩労。

Apr 26, 2005
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カテゴリ: 真面目思想。








僕が思うに、

誰かを祝うこと、誰かに祝われること、

そういう事実があるだけで十分に

幸せであると。







何時の時代からか、誕生日にプレゼントを用意することが

暗黙の了解のようになってきている節があって、

誕生日が近付いてきた友人同士、

更には恋人同士になると

『プレゼント何がいいだろう?

でも驚かせたいから聞くのもアレだしな…』

といった変な探りあいが始まります。




これが、更に更に親ともなって、

自分の子供の誕生日が近付くと、

『プレゼントを買わなくてはいけない』という

脅迫観念の元、子供から欲しい物をリサーチし

買い与えるという作業が、

どこの家庭でも行われているのです。





そこに大切なことを忘れていませんか?





子供に買い与えるのは義務じゃないんです。

あくまで、お祝い。

年に一度、生まれてきたことを、

そして、元気に生きている事を祝福する日なのです。

プレゼントはあくまで、祝福の気持ちを

形で表したもの。

『まぁまぁ、今日は誕生日だから』と甘やかすのは

ちょーーーっとばかり違う。





そういった意味では、子供から

親への誕生日や母の日・父の日のプレゼントなんか

いい感じだと思う訳で。





『肩たたき券』なんて、感謝の気持ちを

見事に体現した物だと思います。

実際使われるのはその場限りの場合が殆んどですけど。





それを踏まえて。




『母さん、誕生日おめでとう』

といった内容のメールを母親に送った訳です。

先日。

これだけ書くと、親想いの息子を連想させそうですが

いや、そう思って頂いて結構なんですが、

実の事を言うと、僕は母親の誕生日を正確に覚えていません。

家庭崩壊している訳では無いですが、

現代の希薄な家族関係を体現するかのように

余りコミュニケーションをしっかり取っているとは言い難く。

それ故、家族の誕生日も覚えようとしない訳です。





それが、なぜ、メールを送れる?





種明かしをすると、父親からメールが来た訳です。

父親ともほとんど会話した記憶はありませんが、

そんな父親から。

『明日は、母さんの誕生日だから』と一文だけのメールが。





誰かを祝うこと、誰かに祝われること、

そういう事実があるだけで十分に

幸せであると。

父はそれをよく知っている。

そう思いました。

父が僕にメールをした事を、母は知る由も無い。

しかし、母は息子からメールが来た、それだけで

十分に嬉しく思うことだろうと彼は思ったのです。





あの父が母に何かプレゼントを渡すとは思えず、

つまり、これが彼から彼女へのプレゼント。

そして、お祝いの気持ち。





形有るものだけがプレゼントではなく、

こういう心遣いが、むしろ

形ばかりのプレゼントより価値があると思う。

実際、後日に母から返信が届き、

数行の文面は最後にこう、括られていました。

『自分は幸せ者である』と。





人を幸せにすることは、形あるものじゃない。

それは誰にでも分かっていることだと思います。

それを実際にすることは簡単なようで難しい。

でも、誰にでも出来ること。

それを教えてもらった気がします。










僕が言うのも何ですが、いい話でした。

ただ一点。一点だけ。

父が母の誕生日を間違えていた事を、除けば。













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Last updated  Apr 27, 2005 12:55:11 AM
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