丑のゐどころ-Ushi no Idokoro

丑のゐどころ-Ushi no Idokoro

2005.01.06
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カテゴリ: ほーん
とても良い詩だと思う.

恥ずかしくて言えなくなるくらい.

…

「牛」             高村光太郎

牛はのろのろと歩く

牛は野でも山でも道でも川でも

自分の行きたいところへは

まつすぐに行く



がちり,がちりと

牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし

やつぱり牛はのろのろと歩く

牛は急ぐことをしない

牛は力一ぱいに地面を頼つて行く

自分を載せてゐる自然の力を信じきつて行く

ひと足,ひと足,牛は自分の道を味はつて行く

ふみ出す足は必然だ

うはの空の事ではない

是でも非でも

出さないではゐられない足を出す



出したが最後

牛は後へはかへらない

足が地面へめり込んでもかへらない

そしてやつぱり牛はのろのろと歩く

牛はがむしゃらではない



邪魔なものは二本の角にひつかける

牛は非道をしない

牛はただ爲たい事をする

自然に爲たくなる事をする

牛は判断をしない

けれども牛は正直だ

牛は爲たくなつて爲たことに後悔をしない

牛の爲た事は牛の自信を強くする

それでもやつぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

自然を信じきつて

自然に身を任して

がちり,がちりと自然につつ込み喰ひ込んで

遅れても,先になつても

自分の道を自分で行く

雲にものらない

雨をも呼ばない

水の上をも泳がない

堅い大地に蹄をつけて

牛は平凡な大地を行く

やくざな架空の地面にだまされない

ひとをうらやましいとも思はない

牛は自分の孤独をちやんと知つてゐる

牛は食べたものを又食べながら

ぢつと淋しさをふんごたへ

さらに深く,さらに大きい孤独の中にはいつて行く

牛はもうと啼いて

その時自然によびかける

自然はやつぱりもうとこたへる

牛はそれにあやされる

そしてやつぱり牛はのろのろ歩く

牛は馬鹿に大まかで,かなり不器用だ

思ひたつてもやるまでが大変だ

やりはじめてもきびきびとは行かない

けれども牛は馬鹿に敏感だ

三里さきのけだものの聲をききわける

最善最美を直覚する

未来を明らかに豫感する

見よ

牛の眼は叡智にかがやく

その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく

形のおもちゃを喜ばない

魂の影に魅せられない

うるほひのあるやさしい牛の眼

まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼

永遠を日常によび生かす牛の眼

牛の眼は聖者の眼だ

牛は自然をその通りにぢつと見る

見つめる

きょろきょろきょろつかない

眼に角も立てない

牛が自然を見ることは牛が自分を見る事だ

外を見ると一緒に内が見え

内を見ると一緒に外が見える

これは牛にとつての努力ぢゃない

牛にとつての當然だ

そしてやつぱり牛はのろのろ歩く

牛は随分強情だ

けれどもむやみと争はない

争はなければならない時しか争はない

ふだんはすべてをただ聞いてゐる

そして自分の仕事をしてゐる

生命をくだいて力を出す

牛の力は強い

しかし牛の力は潛力だ

ばねではない

ねぢだ

板に車を引き上げるねぢの力だ

牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は

きれ離れのいい手際だが

牛の力はねばりつこい

邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも

十本二十本の槍を総身に立てられて

よろけながらもつつかける

つつかける

牛の力はかうも悲壮だ

牛の力はかうも偉大だ

それでもやつぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

歩きながら草を食ふ

大地から生えてゐる草を食ふ

そして大きな體を肥す

利口でやさしい眼と

なつこい舌と

かたい爪と

厳粛な二本の角と

愛情に満ちた啼聲と

すばらしい筋肉と

正直な涎を持つた大きな牛

牛はのろのろと歩く

牛は大地をふみしめて歩く

牛は平凡な大地を歩く


高村光太郎 1994『高村光太郎全集』筑摩書房.





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Last updated  2005.01.07 18:28:06
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