▶どうなのか◀

2008年08月16日
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カテゴリ: その ほか

    とゆうか、ハッキリいって、なかみはあまりおぼえていない。しかし、おれは当時この作品はたしかシッカリみていたはずだ。しっかりみていたとゆう記憶がある。なのに、なぜおぼえていないのか。そこがよくわからない。「あの」デビッド リンチ のてがける作品だとゆうので当時も話題だった。で、おれもたのしくおもしろくみておったハズなのだ。なぜそれをおれはおぼえていないのだ。よくわからんな。もしかすると、作品の記憶がこころのうわべの部分にではなく、意識からとおくはなれたおくそこの部分にしまいこまれてしまったために、結果として「わすれた」とゆうことになっているのかもしれない。「なにしろあの デビッド リンチ の作品なのだから」とゆうかんむりをここにつけるとそれらしいハッタリにみえてなかなかよいアンバイなのでそうすると、なにしろあの デビッド リンチ の作品なのだから、観客のこころへのそんな投影のされかたによって「わすれる」結果になったとしてもべつにふしぎではあるまい。
    「ツイン ピークス」などとゆうと、これを訳せば「ふたご の てっぺん」とか「とも で ならびたつ ふたつ の てっぺん」とかとゆうようなことであろう。そうするとこっちの連想はたちまち「♪ふたつのムネのふくらみは♪」……などという件につうじてゆくのであるが、まアそれはこのさいいずれまたの機会にゆずるとして、この作品ではまちのなまえが ツイン ピークス なのであったな。それに ローラ パーマー。なつかしい語のひびきじゃ。あのおとこの捜査官のなまえ、あれはなんとゆうたかのう。
    それにしても、ああ、しかし、あのころがなつかしい。あのころが「よかった」とはいわない。いわせない。なつかしいのだ。なつかしい。ああ。あの時代のさまざま風物の記憶が断片となってトメドもトリトメもなく脳裏によみがえってはきえてゆく。樹まり子と桜樹ルイはその全盛期をすでにおえつつあり、やがてきたる長瀬愛や及川奈央の時代にはまだマのあるはざかい期。「ばぶる」とよばれるアブク景気が絶頂をむかえるとともに破綻したかどうかのきわどい時期ではなかったか。ああ。「ばぶる」。文明のゆきつく華美・絢爛の極致か はたまた退廃のハテか。ああ。「ばぶる」。その名でよばれる何年ものあいだ、はかなくも未曾有のアブク景気で日と夜のべつもなしに喧騒と狂乱のやみくもにうずまくその祝祭のただなかをわれわれはすごした。それを「はかないこと」とかんがえもせずに、ひとびとはそのうたかたの好景気の世をいきた。それぞれにいきた。おろかな者たちはおろかしくその時代を、さかしい者たちはさかしくその時代を、まごころの者たちはまごころでその時代を、それぞれにいきた。いきた。いきた。樹まり子もいきた。桜樹ルイもいきた。いきていたのだ。
    ああ。なつかしい。かぎりなくなつかしい。どこまでもなつかしい……
    なんのこっちゃ。(笑






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最終更新日  2008年08月17日 22時06分15秒
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