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20年くらい前から、作ることにもまして後の始末が大変で、なんとなく市販のお鏡餅を買うようになってしまった。祖母や母に手がかかり、私だけでは、難しくなって来たからだ。小餅は家でつくが、大物の鏡餅は難しい。しかも、何度も餅つき機でつくということはその回数、餅つき機を洗わなくてはならない。もちろん餅がこびりついたもろブタも・・・。。。実を言うとそれらを洗う作業が大変だったのだ。今の機種はもっと楽なようだが。昔のものは、本当に手がかかった。それでも、数年前まではお雑煮用の餡もちは自分で作っていたのだから、我ながら、その食への執念には脱帽する。・・・
で、話を鏡餅に戻す。ここ最近はずっと 越後製菓のおかざり餅・・・だったのだが・・・なんか空洞が多い。割高。ちゃちで余計な飾りが残念。なんか嘘っぽい・・・ので、今年は近所の和菓子店が作っている本物の餅を重ねた鏡餅にしてみた。さすが本物は小さいながら、ずっしりとした重みがいい。で、刃物を使わず、割るのは大変だが、脱酸素剤を入れてパックにしてくれているので昔のようにカビを落とす手間はない。このカビを落とす作業も結構大変。。。だからカビがつかないというのは健康上も時間的の上でもとてもありがたい。
割った鏡餅は焼いて、昨夜から用意しておいたおぜんざいでいただく。我が家のおぜんざいは小豆を煮る時に二度水を替える。しかもあえて豆はつぶさない。だからお汁は透明に近い。いつもは蜂蜜や三温糖派の私だが、あんことおぜんざいは雑味が出てしまうので白砂糖に限る。甘さは控えめ、仕上げにほんの少し塩を入れて味を引き締め甘さを際立たせる。父も母も祖母もみんな大好きな味。施設にいたときでも祖母や母にも持って行った。
左党であった父だが、甘いものもイケル口だった。特に家で手作りしたものは格別に好きだった。その血は私に色濃く受け継がれている。おやつと夕飯後に二度も食べるとなると少し躊躇してしまう。。。お酒にご飯にお餅の入ったぜんざいとなると、相当の炭水化物。。。カロリー摂取になるが。。。鏡開きなのでしかたない。仕方なければ、しょうがない。父への供養と思って心を鬼?にしていただくことにする。
そういえば、結婚する前、父が初めて母を家に連れてきた時に、祖母がおぜんざいをふるまったと聞いている。母はそのおぜんざいを「美味しい」「すごく美味しい」と言いながら食べ、「お代わりいかが?」という祖母に元気よく「はい。いただきます」といってお代わりも美味しそうにぺろりと平らげたらしい。祖母はその時、変な気を回さない、素直でいい子だなあと思ったという。そして、可愛いけれど、華奢だからいい子が産めるかしら?(今なら相当非難される差別的見解なのだが)とちょっと心配したが、「この食欲なら、大丈夫。良い跡取りを産んでくれるに違いない」と心の中で喜んだらしい。
それにしても、、、初めて訪問した彼氏の家で、出されたおぜんざいを躊躇なくーお代わりする母に驚きだ。母はとてもおおらかというか、ちょっと天然でもあった。そういうところが、へんてこな失敗をひきおこしたりもするが、こういう素直な態度ができるのだと思う。ちょっと羨ましい。計算して行動しない。伸びやかな心持。私にはちょっと難しい。。。相手にどう取られるかとか、すぐ考えてしまうから。でも、これからは、こういう自分にも他人にも嘘のない、素直な生き方をしたいと思う。無理せず、楽に心のままに、そして自分も周りの人々も大好きで、笑顔でいられたら、それが一番の幸せなんだと思う。
おぜんざいに添えるのは、お煎茶と蕪らのお漬物、塩こぶ。これで最後に口を引き締める。
お餅はたくさんある、独り占め食べ放題だ。おぜんざいは明日も食べ、お餅の残りは冷凍して後日食べる。細かくなったものはさらに砕いて干し、揚げ餅用にお取り置き。油で揚げたお餅に砂糖をまぶしたものは母の好物だ。私は天然塩でいただくのが好き。粒コショウをふるとビールに合うからね。粉チーズや青のりもいける。これも後日作る予定。
そして、昔なら、硬くなった干し柿を串から外し、水につけて戻したものを大根と一緒に酢の物にして食ていた・・・のだが、数年前から「食用ではありません」と添え書きが付くようになったので、できなくなった。なので昨年から購入を取りやめた。市内のいろいろな店で探したが、「食用ではありません」との表記のないものはなかった。・・・食べ物を食べずにあとでゴミにする前提で買うことはどうも納得が行かないので今回も買わなかった。
この酢のものは柿の部分が柔らかくなるだけでなく甘くておいしいと祖母の大好物だったので。。。とても残念。干し柿。。。この冬は自分で作ろうかなあ。
橙は、近々寒い日に鍋をしてそのポン酢に使う。いつもはスダチを使うことが多いが、橙は酸味がまろやかでそれはそれでおいしい。父の好きな水炊きにしよう。
美味しいうれしいのチャンスは、そこかしこ。
美味しいの記憶は続くよ、どこまでも?
。。。私が生きている限り、その記憶を反芻していくのだろう。自分の食への執念がちょっと可笑しい。いいの。いいの。幸せならば。
追記 お鏡モチが固くてどうしても包丁を使う時は、「申し訳ありません」と神様に謝りつつ「お金が入るということで・・・」と意味を転換します。
多分昔の人が包丁を使わずに手や木づちで割るというのは、縁起担ぎもありますが、とても硬いので手を切る危険があるので、それを回避するという考えからではないかと思うので・・・。
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