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明けましておめでとうございます。良き年になりますように。ネタができたら、ぽつぽつと投稿するつもりです。でわ~
2023.01.01
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染料と布地が残っていたのでいろいろ形を変えて染めてみました。 染料に浸けて1日放置。 こんな感じに染まりました。38センチ幅のさらしで八折りはちょっと厳しかったかな。思ったような柄に染まらず残念。次回はもう少し目の詰まった布地でやってみたいと思ってます。
2022.10.09
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9月21日水曜日にトワイライトスクールで手芸講座をやってきました。 雪花絞りです。 27人の子ども相手の講座で時間も1時間ちょい。 まあもう大急ぎのどたばたな講座で写真を撮る暇もなく終わりました。 子どもたちの作品はなかなか綺麗なものができました。 でも、水場もちゃんとしてて汚れても構わない所でやりたかった。 自分の作業場とかアトリエが欲しいと強ーーく思いましたね。 家に帰ってきた後、溶かした染料がまだ残っていて、やってみたい形があったのでやってみました。 うん、ジグザグ雇用に染め分けは成功。 でもねぇ・・・ どう見ても毒蛇柄・・・。 ほんと、自分の色のセンスの無さにに泣けてきます。
2022.09.23
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トワイライトスクールの手芸講座で「雪花絞り」をやるので準備とサンプルづくりをしました。雪花絞りというのは板締め絞りの一つの技法です。三角形に畳んだ布を板で挟んで染めます。まず、ひたすら木を三角に切って挟む板を作ります。やすりもかけて整えます。(;´Д`)布を三角に折っていきます。今回使うのは晒です。幅38㎝のものを70㎝の長さにしました。本来のてぬぐいは90~100㎝なんですが、子どもでは畳みづらい長さなのでやや短めです。板で挟んでゴムで留めて。染料を掛けて染めていきます。染料が余ったので手持ちの無地の布にスパイラルもやってみました。洗って干して出来上がり。上が雪花絞り、下がスパイラル。さて、子どもたちはどんな作品を作ってくるでしょう。
2022.09.08
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今日の夕方、飼っていたねこのうちの1匹が虹の橋を渡っていきました。元気だった頃の写真です。6月末頃からよだれが多くなってご飯を食べなくなって、4~5日毎に病院で点滴をしてもらい今日まで保ってきました。一昨日、昨日は何も食べなかったけど、それまでは大好きなお刺身だけは食べてました。覚悟はしていたのでショックは無いのですけど、今、いつも寝そべっていたところに居ないということがとても寂しいです。
2022.08.17
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ホームセンターに猫の草の種を買いに行ったんですよ。目的の種が見つかり、レジまで行く途中、見つけてしまいまして。ほぼ何も考えずに手にとりましてレジへ行きました。ご満足だそうです。
2022.08.12
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台風の影響か一日大雨でした。東海地方の今年の梅雨は13日間という異例の短さだったので、夏の水不足がとても心配です。まだ2~3日は降るようなのでダムにしっかりと水が溜まるといいなぁ。しかしこの大雨、一部地域では道路冠水にもなっていて、うまくいかないものです。とりあえず、今日と明日は庭の水やりはやらなくても良いようなので、ちょっとホッとしてるかな。でも、今近づいている台風は4号。この時期に4号って、ちょっと発生が遅いんじゃなかろうか。梅雨が短かった分、台風の雨は期待してるんですが、今年はどうなるか…。
2022.07.03
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遅刻した娘を会社まで送っていったついでに、名古屋では一番大きい布地のお店「大塚屋」に行ってきました。ワイドパンツとチュニックを作る布を買い、ついでにと言うか、こっちが本来の目的かもというところに寄り寄り。大塚屋の店舗出て目の前のお店「天野屋」。たこ焼き、お好み焼き、みたらし団子のお店です。たこ焼きはキャベツたっぷりの小振りなもの。たれは醤油かソースを選べます。私はいつも醤油です。みたらしは、これたぶん名古屋独自だと思います。甘辛くて、焼いた団子によく絡みつくタレをまとっています。大阪のとも東京のとも違う味わいで、やっぱりこれが一番好き!と思います。名古屋でもこういうのを売っているお店は少なくなりました。また、布地を買いに行く時は食べたいと思うのです。
2022.07.01
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次回トワイライトの手芸講座の為の布地を裁断。やや厚手のシーチングを50cmずつで20枚、薄手のシーチングを35cmで14枚裁断しました。これを正方形に整えて縁を縫ってハンカチにします。邪魔をしてくれてます。
2022.06.30
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梅干しと梅シロップを作ります。今年は何となく遅くなってしまった。まだ梅を売ってて良かったわ。ヘタ取りをしていたら次男が「あ、そういう季節なんだね~」と。毎年やっていることが、ふんわりと子どもに伝わっていることが嬉しかったですね。
2022.06.23
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カメ増殖中。ペットボトルのふたで久しぶりに何か作るかと思い立ち、カメ増殖しました。カメに見えるかしら。
2022.06.19
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春に撒いた種が本葉が出始めたので植え替えました。藍かぼちゃ綿綿とひよこ豆大きくなあれ。
2022.06.05
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きゅうりとナス今年の初収穫です。
2022.06.04
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きゅうりネットを張りました。既成のネットだとサイズが合わなくて、ええい!それなら作ってまえ!と言うことで、麻ひもで作りました。趣味のマクラメがここでようやく役立った!きゅうりが気に入ってくれたら良いなぁ。
2022.05.17
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キュウリトマトなすさて、今年はどれだけ採れるでしょう。楽しみです。
2022.05.07
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檸檬の花が咲き始めています。今年もレモンは豊作になりそうです。
2022.05.04
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綿、かぼちゃ、ひよこ豆今、蒔かなきゃ、という種たちをポットに蒔きました。定植する畑は耕し中。どれだけ芽吹いてくれるかしら。
2022.05.03
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苺、今年初収穫です。もうちょっと熟させたいけど、虫との戦いを繰り広げていますので、採ったものがちということで。おいしゅうございました。
2022.04.28
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もっこうばらが満開です。香りは無いですけど華やかですね。薔薇には関係ないですが中耳炎になってしまいました。子どもの時でもなったことがない中耳炎に還暦過ぎてなってしまいました。何もしてなくても耳がツキツキ痛いです。ヘルペスかもとも言われて、まて、私はそんなに免疫力が落ちたのか?と、ちょっと愕然としています。
2022.04.25
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匂い袋です。昨日、トワイライトスクールの手芸講座で子どもたちに教えました。本来の白檀などの刻みを入れる物はとてもじゃないけど材料費が高くてできないし、子ども受けしないので、コーンスターチに少しハーブ粉末を混ぜて、化粧品用の香料を加えることにしました。まあ、子どもたちは概ね満足だったようです。
2022.04.21
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藍が発芽してきました。よかった~昨日の大雨で心配してたけど、耐えてくれました。本葉が出てきたら植替えです。父から相続した土地の名義変更の申請が終わりました。まだ審査中ですが、最後の仕事が終わった気分です。
2022.04.15
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JR名古屋高島屋で、イスタンブールのナーディル・ギュルというお店が出張販売ということで行って参りました。バクラバというトルコのお菓子です。重ねた薄いパイ生地に砕いたナッツを挟んで焼き上げて、甘いシロップをたっぷり染み込ませてあります。それとパッケージ買いしてしまったチョコレート。ターキッシュブルーの色はスピルリナという藻から抽出したものらしいです。これにもたっぷりナッツが入ってます。バクラバを食べるためだけにトルコに旅行したい!!って思ってたので、めちゃくちゃうれしい!いずれ、情勢が良くなれば行きますけどね!生きていれば。ついでに高島屋に行くと必ずしも買ってくるメルヘンのサンドイッチです。コーヒーを淹れていただきます。今日はとっても幸せです。
2022.04.14
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どのくらい収穫できるか楽しみです。昨日の夜からめまいが多い。何もないといいけどな。
2022.04.13
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11時、眼科で視野検査。相変わらずの見えません。お昼も過ぎたし、眼科近くのショッピングモールの中のカレー屋さんでお昼です。ランチセットです。カレーは豆カレー中辛にしました。ナンが大きいのよ。食べきれるかしら。でわーーー。
2022.04.12
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こいのぼりの袋、増殖中。匂い袋になる予定です。
2022.04.11
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藍の種を蒔きました。ちゃんと発芽してほしいなぁ。目指すぞ藍染!
2022.04.10
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庭のお花を摘み摘み・・・押し花を作ります。思いっきりおひさしぶりでございます。よく、このブログ残ってたわ~。また、思い出したようにやってまいります。
2022.04.02
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それぞれの人、それぞれの幸せの形があるのでしょう。仕事があって、毎日ご飯画家食べられて。屋根の下で、お布団に入って寝られる。猫が居て、子ども達も居て、母はいまのところ元気。きっとこれが私の幸せなんでしょう。でも、毎日毎日泣きたくなるのは何でしょう。毎日、今日、今ここで生きるのお終いでいいよと思っている。
2019.05.19
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平成31年、明けてから半月。時間の流れがどんどん早くなっているような気がする今日この頃。喪中につき、新年のあいさつは控えさせていただきまして、今年もよろしくお願いします。11月3日に父の35日法要を行い、年末に納骨も終え、一区切りついて新年でした。父のことは、どちらかというと嫌いで、いなくなっても悲しいとは思わないだろうなと思っていたのですが、日が経つにつれ、喪失感がつのってくるわけです。夢の中で何回も介護のやり直しをしている。そして、きましたね、うつ病の増悪。いろいろな手続きなんかで走り回っていた疲れもあったんでしょうが、もう、落ち込みや憂鬱感がひどいひどい。でも、そんな中で、母が、どうしても自分の家を建てたいと言う。もともと、祖母から母が相続した土地があるので、そこにどうしても家を建てて、仏壇を置きたい。せっかく、父の世話から解放されたんだから、一人暮らししたい。説得なんか聞きゃしません。しかたない。そこから建設会社頼んで、相談して、一昨日、14日に地鎮祭までこぎつけました。6月末にはできあがるらしいです。私は11月にひいた風邪が治らず、肺炎一歩手前とうつでへろへろ。どこにも行きたくない、誰にも会いたくない、外の景色がずっと夕暮れに見える状態で、建設会社との打ち合わせと最低限の仕事と家事をやって、あとは布団に潜り込んで過ごしています。友だちからお誘いはあるけれど、今の、むなしい、つらい、寂しい、憂鬱という感覚はうまく伝えられず、ごにょごにょとお断りをいれています。誰にも会いたくないんだ、そっとひとりにしといてくれ、と怒鳴りたいんですが、そのエネルギーもなく、まあ、ごにょごにょ・・・がんばれ、がんばろう、という言葉を今言ってくれるなという気分です。もとに戻るにはちょっと時間がかかりそうな今の状態です。
2019.01.17
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あたたかいコメントをいただきました方々にお礼を申し上げます。何もやりたくない。本当はずっと布団の中でこもっていたい。そんな状態ですが、家族の世話をしなければならない、仕事もしなければならない。細い細い緊張の糸が、まだかろうじてつながっている状態です。
2018.10.09
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9月4日、台風21号のやってきた日、台風の心配をしながら転院した父。今日、9月30日、台風24号がやってくる日に旅立ちました。父には龍神様が付いているって言われたこともあり、台風とともにやってきた龍神様に連れられていったのかなと思います。今朝、台風が来ると動けなくなるからと、母を連れて父を見舞いました。酸素マスクを付け、苦しそうな様子でしたが、母の問いかけにも応え、一所懸命起きようとしていました。台風が通り過ぎたらまた来るからね。そう言うと、言葉にならない声で答えてくれました。そして、母と家に帰り、その直後、病院から電話がありました。呼吸が止まりそうです。大急ぎで母と娘と息子を連れて病院に向かいましたが間に合いませんでした。その後、葬儀社やお寺さんに連絡をして、親族にも連絡して、葬儀の打ち合わせをして、今、この4か月、ほかに何かできなかったのかとつい考えてしまいます。
2018.09.30
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9月4日に父が病院を転院しました。台風がくるぞーって日の朝で、もう大急ぎでの転院でした。今まで入院していた病院は急性期病院なので、ただ点滴をしているだけの父は長いこと置いてもらえない。なので、少し長く入院できる地域ケア病棟のある病院に移りました。でも、ここも60日までという制限があります。まあねぇ・・・。自分も病院に勤めていて、そういうことはわかったつもりになっていたんだけど、いざ自分の家族がそういう対象になった時、なかなか厳しい規制だと思います。老健も入れない。特養も一部の医療強化型にしか入れない。有料老人ホームも夜間看護師がいないからと断られるところも幾多。じゃ、どうしろと?家に連れて帰って、訪問診療・訪問看護・介護サービス、フルに使ってやれないことはない。父から目が離せなくなる私は家から出られなくなるけどね。そうした場合、私の経済的支援は誰かがやってくれるの?そう言うと、離婚しなきゃよかったじゃない、夫に稼いでもらって介護していればよかったじゃないと言う人が必ずいる。はあ、そうですね。どっちにしろ、私は犠牲になるんですねってとこです。 (=^・^=)実家の売却の手続きが全部終わりました。銀行で売買代金の受け渡しをしたんですが、今は現金って目の前に積まれないんですね。書類を書いて書いて、父の預金通帳の金額が増えただけ。実感ないわ・・・今住んでいる家を買った時は、一瞬だけど目の前に札束が積まれたんですよ。すぐに消えましたけど。それだけのお金を返していくんだなと、厳しい現実を見たような気がしました。まあ、それで、実家を売却したお金で母の家を建てるわけですが、溜息しかでないんですよ。はい、がんばります・・・
2018.09.06
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暑い長い8月もようやく今日で終わりです。でも明日から9月になるからと言って涼しくなるわけではなさそうです。やれやれ・・・しかし、トワイライトで週5日元気いっぱいの子供たちの相手をするという激務はいったん終わり。9月からは週2になります。その分収入も減ります・・・。父は今入院している病院から9月になったら転院予定です。昨日、病棟が変わったばかりなのに、やっぱり転院ですか~、まだしばらく置いておいてもらえないんですか~という心の声は表に出しません。大きな病院は、父のように、点滴を変えるだけの患者さんをいつまでも置いとけないんですね。岐阜の病院でエアコンの故障で高齢者が熱中所で相次ぎ無くなるというニュースが流れていました。その病院は多分、行先のない高齢者を専門に入院させているところでしょう。父もそうですが、ずごい医療行為をするわけでないが、管理の難しい点滴が入っていたり、吸痰の回数が多かったり、家で看るにも難しく、老人施設にも行けない高齢者は急性期の病院を出されたら行くところがないわけです。父は、最初転院を打診した病院は、父の足の閉塞性大動脈硬化を問題にして、ベッドが空かないということにして、やんわりと断られました。なんとか第2希望の病院には受け入れてもらえたようです。老健にしても特養にしても、介護度や医療的支援が高い人が入る施設のはずなのに、入っているのは、自分で食べて、歩けて、トイレに行けて、普通の生活の延長にいるような人たちばかり。(私が見学に行った範囲の中で感じただけですが)寝たきりの人、医療行為が多い人は受け入れてもらえない。受け入れてもらえても、数十人から100人近い待機者がいる。そんな状態でどうすればいいんでしょうね。家族の生活がどんどん崩壊していくだけですよ。母も、ついに粉薬をのむのに服薬ゼリーを使うようになりました。少しずつ、少しずつ、老いていくんですね。
2018.09.01
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16日に病棟の看護師から、担当医から病状の説明と今後のことをお話ししたいとのことです、という電話がありました。 入院して1週間経つし、今回は熱も早く下がったし、酸素値もいいし、退院の話だろうな、また老健かぁ~、などと結構気楽に面談に行きました。 17日のことです。 病状については予想どおりだったのですが、予想と違っていたのが、今回の肺炎の原因が胃ろうからの流動食が逆流し気管に入って誤嚥性肺炎を起こしたことです。 もともと、父は逆流性食道炎があったので心配はしていたのですが、現実になりました。 胃の噴門部のしまりがかなり弱くなっているってことですね。 それで、担当医からは胃ろうもそろそろ限界かもしれませんと言われました。 はい、そうですねって感じです。 そうすると、次にどうするかというと、方向性は大きく2つ。 栄養を止めて、看取るという方向。大雑把に言えば飢え死にさせるということですね。 しかし、担当医は、父は重度の認知といえど、まだ話すことができる。手や足も動く。起こしてやれば車いすにも座らせることもできる。なので倫理的にそれはできないと言います。 もう一つの選択肢に胃ろうをやめ、中心静脈点滴に切り替えること。 右鎖骨付近にIVHポートを造設し、高カロリー点滴を入れる。 これにも感染の可能性もありますが、誤嚥性肺炎の可能性はかなり低くなる。 自分の唾液でも誤嚥をする父ですから、絶対ないとはいいきれませんが。 ちょっと悩みましたが、悩んだってしょうがないので、胃ろうから中心静脈点滴への移行をしてもらうことを決めました。 ちょっとほっとしたことは、中心静脈点滴をしていると、これは医療行為にあたるので、老健には入れないこと。今回の肺炎での入院で、老健に対しての不信感が決定的になっていたので、老健に入れなくてもいいということが正直嬉しかった。 IVHポート造設は一応手術になります。日程はまたおいおい連絡がくるでしょう。 それで状態が落ち着き、点滴も順調になれば、今の急性期病院から療養型の病院への転院になります。その後も、3ヶ月ごとに転院を繰り返していくことなります。それはそれで大変なんだけど、老健に居た時のように、39度の熱を出して、たんで呼吸ができなくなっていても放っておかれることはないだろうと思うと、大変だけどいいやぁという気持ちになります。 まだ、ここから忙しさの山がくるけど、がんばります。(=^・^=) そうそう、今日は2号息子の21歳の誕生日。 ささやかに食べたいと言ったチョコレートケーキでお祝いしました。 母には大きなまるごと桃のケーキを出したら、ぺろっと食べてしまいました。 明日おなか痛いと言わなきゃいいけど。 母曰く、「ここに来て、初めてこんなにおいしいものを食べた。元の家にいた時にはこういうものをしょっちゅう食べてたのに、ここでは全然出してくれない。もっと食べさせろ。」 だそうです。 一度贅沢が身に着いた人というのは、多分死ぬまで、たとえわずかなお金しかなくても、贅沢をしていくんですね。 本人はそれが贅沢だと思っていないから、何を言っても話がかみ合わない。 しかたないか。いやぁ、愚痴しかでんわ~
2018.08.19
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山の日も過ぎ、そろそろお盆ですが、私地方はまだまだ酷暑が続いております。今日は午後から久しぶりの大雨で、気温が6度一気に下がりまして、ちょっとほっとしておりますが、スーパーに買い物に行った時、スーパーの駐車場の水たまりが熱めのぬるま湯だったのにはびっくりしてます。今までカンカンに熱せられたアスファルトは、そう簡単に冷えてくれないんですね。それでも、今、22時半を過ぎて、湿気も暑さもやや収まってきたのはうれしいです。8月になって、小学校のトワイライトスクール(授業後教室)は朝9時から夜6時まで開いていて、私たちお手伝いボランティアはほぼ毎日お仕事です。1日3時間とはいえ、毎日元気いっぱいの小学生を相手にするのはきついです。在宅入力の仕事はお盆休み前の前倒しで、かなりの量が到着。そして1日おきの老健へ見舞い。結構きつい8月の始まりでした。そこへもって、先週の月曜日、6日の午前1時ごろ、闘病中だった叔父が亡くなったと連絡が入りました。父とどっちが先か、と言っていたのですが、思った以上に叔父のほうが早かった。そして、8日に通夜、9日に葬儀ということで、8日の午前中の仕事を終わらせ、母を連れて車で叔父の葬儀会場へ行きました。お通夜が終わって、母はそのまま泊まるというので私だけが帰ろうとしたところ、老健に父を見舞いに行っていた妹から、父が発熱したと連絡が入りました。そこからそのまま父の老健に走りました。さすがに喪服じゃまずいので、葬儀会場で着替えさせてもらいました。父は解熱剤のおかげか、若干熱は下がり、意識はしっかりしていて、とりあえず一晩様子を見るということで帰ってきました。この日だけで往復150キロ以上走ったよ・・・9日、夕方からトワイライトの仕事が入っていたので、叔父の葬儀には行かず、在宅の仕事を片付けようとしていた朝、老健から、父がまた高熱が出ているので病院受診をと電話があり、うっひゃーと思いながら電話で病院の予約を取り、老健に走りました。そこからが長い1日。診察・検査・診察そして入院。それでも今回は老健で10日過ごせました。妹もかけつけ、いったん妹に交代し、私は仕事へ。そして仕事が終わってまた病院に走り、入院手続き。看護師さんに、いつでも連絡が取れるようにしておいてくださいと言われて帰ってきて、夜も寝られず。さすがに私もきつくなってきた。入院して今日で4日目。今回も肺炎。初日最大12リットルの酸素を使っていたのが、1リットルまで減りました。熱も下がってきて、何とか今回も乗り越えられそうです。でも、やたらと水をほしがるのは今までと違う。ベッドの横にぶら下がっている点滴の袋をさして、あそこに水がある、あれを飲ませろと管を引っ張る。あれは、口から飲む水じゃなくて、注射の薬なんだよと、何度説明しても飲ませろと言うのは困ってます。もともとが嚥下困難で誤飲性肺炎なので、水をそのまま飲ませることはできない。看護師さんが、氷水を浸した綿棒をもってきてくれて、少しずつ口に水を含ませると、少し落ち着くけど、これからどうなるか。で、結局、病院でも仕事をするために、モバイルパソコンを買ってしまいました。収入より出費のほうが大きいわ。
2018.08.12
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今日も私地方は暑かった。公式には39.6度だそうな。外に出たり、車に乗ったりすると紫外線にちりちりと焼かれている気がします。7月11日に入院した父、もうだめかと思ったけど、7月31日になんとか老健に戻ることができました。2日経って、今回はまだ発熱はないようで、頼むからせめて2週間はこのまま老健に居てくれと願っております。老健に居られるのも3ヶ月。このまま発熱もせず、体調維持でいられれば、10月末か11月初めには別の施設に移らなければなりません。私は特養に入れると思ったけど、老健の相談員さんに、「普通の特養は難しいですね」と言われてしまいました。たんが多いので、24時間看護師常駐の施設でないとダメなんだそうです。医療型の特養は調べても私地方には1か所しかありません。あとは有料老人ホーム。それも医療型の有料老人ホームになるので、狭き門なうえ、費用がああああああ・・・在宅で介護するのもありだけど、そうするとせっかく再開した仕事もまた辞めなければならなくなり、経済的にも体力的にも共倒れになりかねない。異論はあると思いますが、もうね、長生きというのは金持ちの趣味の範囲になってくるような気がしますよ。お金がなければ病院にも介護施設にも世話になれない。貧乏な人間は、医者にもデイサービスにもヘルパーの世話にもならず、知られずに孤独死なんでしょうね。ははは、自分の10年後はそんなふうと断言できますよ。今日はツクツクボウシがしっかり鳴いているのを確認しました。秋の虫も歌い始めました。いつもならもう1週間ほど先だと思うのだけど、この暑さで早く出てきちゃったんですかねぇ。今日、明日は激暑・酷暑と言われ、この暑さは8月中続くとも言われますが、なんか季節が前倒しになっている気がするので、思ったより早く秋が来るような気もします。
2018.08.02
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暑い・・・熱い・・・我が家地方の夏はとにかく暑いというのが当たり前なのだけど、年々更に暑くなっている気がする。年齢も重ね、暑さに対する耐性が無くなっているというのもあると思うが・・・昨日、今日でいろいろあって、落ち込みのどつぼにはまってしまいました。ただでさえ暑くて、エアコンなしの部屋での仕事は全く進まないのに、落ち込んでいたら尚進まない。仕事をしている部屋にエアコンを付けないのは、まず経済的な問題。お安くなったとはいえ、一括では払えない。1年のうちほんの2ヶ月なんだから、扇風機と保冷剤でしのぎましょう。1時間に1回、母の居る部屋に涼みにいけばいいんだから。→→→こんなことをやってたら熱射病一直線かも。あと1年9か月後に、この家を出ていくことを考えたら、付けてももったいないというのもある。この夏が異常に暑いのは誰のせいでもない。誰かにどうにかしてよといってもどうしようもない。日が過ぎるのを暑さを耐えて待つしかない。それはみんな同じ。でもエアコンを買えないのも、2号におこづかいをやれないのも、父の療養費をぎりぎりまで削らないといけないのも、この家を出ることも、全部私のせい。仕事も派遣やパートしかないのに生活できるさと甘く見ていた自分のせい。頭の中はいつもお金の計算ばかりでいつも追い立てられている気がする。じゃあ離婚しないで我慢していればよかったか。我慢していたら・・・・・多分私は今いない。両親の世話が始まってから、ほとんど人と会うことがなくなった。話をするのはケアマネージャーさん、病院のスタッフの人一応相談には乗ってくれるけど、解決はしない。結局自分で考えるしかない。妹はお金より、家族との時間が大事だというけど、お金がなければ家族との時間さえ持てないんだというのを理解してくれない。ひとりでどこまで頑張れるんだろう・・・
2018.07.21
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父は小康状態で入院も1週間になりました。入院計画書は治療期間2週間と書かれていましたが、あと1週間で退院、または転院ができるのかしらという状態です。前の入院の時のリハビリは、ベッドから体を起こして、座って、立つ、車いすに移るというものでした。今回は、医師からベッド上でのリハビリという指示がでているようで、ベッドの背を起こして状態を上げる、手や足の曲げ伸ばしをするだけのようです。これは、やっぱり状態が良くないということなのか・・・今日もまだまだ暑い夕方に見舞いに行ってきました。見舞って、おむつやティッシュを補充して、要領のつかめない話に付き合って、それで帰ってくる。それだけで、帰り道は疲労困憊している。自分の命を削って、父を生かしているという気にもなります、今日のような気温が40度に届きそうな酷暑の日は。夜になって、母方の叔母から、母の弟、叔父ですね、2日前に再入院し、今日は意識がないらしいという電話をもらいました。母の2歳下なので、82歳。ものすごいヘビースモーカーで、肺気腫から肺炎を起こし、ゴールデンウィークから5月末ぐらいまで入院し、その間に、認知症もびっくりするぐらい進んだそうです。覚悟しているとはいえ、弟も夫もどうなるかわからない、母はかなりショックを受けてるようです。今週末から来週、ばたばたすることになるのかな。愛知県の端と端を往復することになるのかしら・・・まあ、でも、いずれは来ることですものね。父もヘビースモーカーで、閉そく性大動脈血管炎、アルコール依存症になるほど酒を飲み続けて、肝臓胆嚢、腸が機能不全寸前。今はお酒のコマーシャルは一切見たくない。コンビニになんでこんなに酒とたばこが売っているんだ! 酒・たばこ止められない人とはかかわりたくない!とそんな感じです。
2018.07.18
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暑いです。熱いといったほうがいいかもです。私が内職をしている部屋はエアコンなし。保冷剤を凍らせたものを首に巻いて仕事をしています。暑さで頭がぼーっとなって仕事進まんです。父は小康状態というのでしょうか。微熱が続いています。酸素チューブもはずれたと思ったらまたつけていたり。見舞いに行ってもやることもなく、父は父の世界の中にいて、父の時間軸の中の話しかしない。この病院は医者が一度も来んのだなぁ。看護婦が一度も来ないから呼んできてくれ。いえいえ、父よ、医者は毎日様子を見に来るし、看護師さんは少なくとも1時間に1回は来て、父の体の向きを変えたり、おむつの交換をしてくれていますよ。熱を測ったり、点滴の速度を調整にも来てくれていますよ。父の世界の中では5分より前のことはなかったことなんだね。娘の私でも、目の前からいなくなってしまえば、父には来ていないことになる。なんかね、悲しいなんてことは通り過ぎましたね。これからどうなるんだろう、と未知のことばかりでとまどってます。7月も半分過ぎましたが、梅雨明けが早かったせいか、ものすごく時間がゆっくり流れていくような気がします。スーパーの鏡に映った自分を見て、なんつう疲れ果てたおばさん!と愕然となった今日でした。痩せないけど、頬はこけてしまって、人前に出たくない・・・
2018.07.16
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土曜日に退院、老健入所したと思ったら、今日、三度目の入院です。どれだけ病院が好きなのよ…。昨日から発熱があり、解熱剤を使っても高くなるばかりで、老健から呼ばれ、病院の救急外来を受信しました。次の入院までは1週間と読んでいたんだけど、1週間もたなかったよ・・・。最初、誤嚥性肺炎の再発と考えられていましたが、血液検査、尿検査で、まず尿路感染症、それから多臓器への感染・・・敗血症。治療は続いています。良くなるかもしれない。ダメかもしれない。今夜は携帯を握りしめて寝ることになります。良いことをここには書きたいです。
2018.07.11
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いつのまにか7月になっていました。こちら地方も大雨でしたが災害に至らず、ほっとしています。豪雨の地方の方々、大丈夫でしょうか。ちなみに、京都にいる1号息子がすんでいるところの隣の学区まで避難指示がでましたが、1号の住んでいる学区は何もなく、アパートの隣の用水路が大変だったという連絡や、会社から早い時間の帰宅支持が出たという報告はありましたが無事だったようです。レオパレスごと桂川にどんぷらこっこを想像してたんですけどね。被害にあわれた方にはわらいごとではないですね。すみません。家の北側の公園では、いきなり蝉の大合唱が始まりました。さて、6月2日に老健に入った父、やれやれと思ったところ、6月5日早朝、老健から「39度を超えた熱が出たので、すぐに病院に救急搬送します。」という電話。家事もほっぽって、母を連れて病院に向かいました。病院の救急待合室で待つこと1時間、呼ばれて中に入りました。「肺炎の疑いです。このまま入院です。」ストレッチャーの上の父は酸素マスクをつけ、上の血圧も80前後でした。これはもうだめかな・・・と思いましたね、正直なところ。1号息子にじいちゃんがどうなるかわからないから一度帰ってきてほしいメールを送りました。ストレッチャーごと呼吸器科の病棟に入り、ベッドに移され、なんやかんやとやっている間に、父は呼吸も血圧もだんだん落ち着いてきました。解熱剤も効いてきたようで熱も下がってきました。父は三途の川どころか、賽の河原にも足を踏み入れなかったようです。さすがに戦争を生き抜いた世代だけあって、そう簡単には生を手放さない。すごいと思いましたね。誤嚥性肺炎なんて高齢者にはよくあることで、看護師さんたちも誰も特別なことだと思っていない。そこから1ヶ月入院。肺炎は治ったけれど、QOLはがくんと下がりました。ベッドから自分の力で起き上がれない。当然座ることも立つこともできません。手や足は寝たままなら動かせます。そして、嚥下困難になりました。口から食べ物を入れても、飲み込めず、気管に入ったり、のどに詰まったり。経鼻栄養か胃ろうかの選択を迫られ、胃ろうを選びました。父は体は動かせないけど、話はできる、目は見える、耳は聞こえる。生きていくなら、それなりのことはしなければならない。そして7月7日、また老健に戻りました。老健入所は原則3ヶ月。最初の老健入所の時は、家に帰ってくることを前提としていましたが、ほぼ、寝たきりの今の父を家に連れてきて世話をすることは、かなり厳しい・・・。この夏はいろいろと大変なようです。
2018.07.08
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5月15日、デイサービスから帰ってきた父は、「足の力がはいらん」「歩けない」と、いつも足が痛いというのと言うのと違って、杖にすがってやっと歩いている状態だった。この日、私はスペイン語の教室。学校から帰ってきた2号に頼んで教室へ行った。教室から帰ってきたら、2号が「じいちゃん、ろれつがまわっていないよ」と言う。えっ、ついにきたか!と思いつつ、両親の部屋に様子を見に行く。父が、自分のソファに埋まるようにして座り込んでいた。そこで、私は悩んだ。ものすごく悩んだ。救急車を呼ぶべきか?それとも様子をみるべきか?脈はしっかりしている。呼吸もいつもとかわりない。手足、麻痺しているようすはない。結果、2号と一緒に抱きかかえベッドに寝かせた。翌日、前日よりはいくぶんマシになっていたが、おしっこの出る感覚がないみたいで、ぜんぶおむつの中にしていて、本人はぜんぜんわからない。クリニック受診したら、医者にも看護師にも、そういう時は救急車呼んでもいいんだよ、と言われた。金曜日にもう一度受診すると、ちょっと入院しましょうか、ということで、病院に入院。私は脳梗塞だと思ったのよ。でも、いろいろ検査しても、これっという異常が見つからない。だけど、入院期間中も、しゃきっと座っている時もあれば、すぐに体が傾いて座っていられない時もある。体調の波が大波小波どんぶらこ。そして入院して2週間、認知症以外の治療が必要な病気が見つからない、これ以上は医療より介護が必要なので、老健に入所してリハビリをしましょうということになって、6月2日に退院、老健入所になりました。期間は最大3ヶ月。家に戻って生活ができるかどうか、まだわからない。何よりの一番も問題は、父は年金の額がそれなりにあって、介護保険の自己負担は2割なのだ。そして、母が父を大部屋に入れるのはいやだ、個室がいいとぐずるので個室にしたのだけど、1ヶ月にかかる費用は20万円を超える。父のもらう年金額を超える。で、その超えた分を負担するのは、介護離職して無職の私。内職をちょこちょこやっているといえど、生活に余裕なんて全くないのだ。どうするんだ?
2018.06.03
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先々週ぐらいから、足に力がはいらん、と言っていた父。先週火曜日は杖にすがってやっと歩けるぐらいでした。椅子からの立ち上がりも時間がかかる。お茶を急須から茶碗に入れるのも、変なところに注いでしまう。少しずつろれつがまわらなくなり、両親の部屋の自分の椅子に座ったきり立てなくなりました。どうしよう、救急車を呼ぼうか。悩んだあげく、とりあえず寝かそうと抱き起こしてベットに入れました。次の日の朝もまだ虚ろな様子でクリニック受診して、医師に、そういう時は救急車を呼んでいいんだよ、と言われました。木曜日、金曜日、食事は食べられるけど、動きは鈍い。表情もなく、ときおりよだれが流れる。金曜日にもう一度受診して、入院しようかということになりました。入院して4日。今日面会に行くと、先週の状況はなんだったんだというぐらい、しゃっきりしています。でも、入院に至った経緯は全然全く覚えてない。認知なんで覚えてろってのが無理なんだとわかっているんだけど、なんか複雑な気分です。午前中に体を拭いてもらって着替えもしたんでしょう。着替えた肌着が袋に入っておいてありました。着替えたんだね、と言うと、着替えなんかしていない!と言う。はいはい、もう忘れてるね・・・。たぶん、一過性脳虚血発作だったのだと思います。だから今は普通にしゃべるし、自分でベッドから起きられるし、ひとりで座れる。でも、一過性脳虚血発作を起こすと、30~40%の人が脳梗塞を発症すると言われるので、どこも悪くないからって退院してもまたいつ起こすか心配です。家でも介護が、ちょっと辛くなりそうです。ますます、どこにも出かけられなくなりそう。
2018.05.21
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庭の土を掘り起こして耕して、夏野菜の苗を植えました。あ、写真忘れた。きゅうり、トマト、なす、ししとう、しそ、パセリ、かぼちゃ、すいか、さつまいもみんな元気に育つといいな。東側の窓の下にはゴーヤを植えました。日よけになってくれるほど育つといいな。で、そのあとはおきまりの腰痛・・・4月は終わった。5月になった。あと1年11ヶ月自分は何も出来ない小さな人間だと思い知らされた。
2018.05.03
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実家から持ってきた写真を整理しています。分けて整理してスキャナでスキャンしてデジタル保存します。若い頃の両親の写真とか、自分の幼児だった頃の写真。いろいろ思いながらも黙々と続けています。ついでに自分の20代の頃の写真も整理の続きをやっています。アルバムは玉手箱です。日付表示のない写真は写っている人や場所から、いつ頃どこでというのを思い出しています。絶対一緒に写真は撮ってないと思っていた人と写っている写真を見つけて、手が止まって見入ってしまうということもあり。戻らない時間、なので、振り返ってもしかたない。もしも、なんてのもない。流してしまって、前しか向かない。ものすごく、心が疲れる日でした。明日も続く。
2018.05.01
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実家の売却、やっと今日売買契約にこぎつけました。さて、家の中の片付けもスピードアップしなければなりませんが、GW中はぜーーーったい、動きません。東名高速、新東名高速、国道1号線、国道23号線、わかっていてもガマンができないぐらい渋滞になります。この時期はスーパーに買い物にいくのもイヤ。近所の小さにスーパーでさえ、子連れ家族が、子ども放牧渋滞で買い物している。行くなら朝一番にちゃちゃっと行ってくるしかない。今週は自分のための時間がスペイン語教室の1時間と寝ている時間だけでした。後は全部、親のために動いた時間。疲れた、芯から疲れたと言っても、まだ倒れるまではいっていない。まだ頑張れるだろ、動けるだろ、なら動け、と見えない力にお尻を叩かれているようで、焦っていますす。ひとつひとつ片付けていって、全部終わったら、ばったり倒れて、二度と目を覚ますものかと思っています。
2018.04.28
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今日も実家の片付けと、ついでにトランクルームの契約に行ってきました。金属製品や小型家電は処理場へ運び、家に運べる物は運んで、少しずつ片付いてきているのかな?肉体的にくたくた。父のことで精神的にも疲れているそこに、追い打ちをかけられ、精神的に大打撃です。大したことはない、私のコミュニケーション力がなくて、私の気持ちが伝わらないだけです。他人には、どんなに親しい人でも、何も期待してはいけないと思っているんですがついつい期待の風船はほんの少し膨らんで、すぐにぱぁんと割られてしまいます。もうね、友だちなんていらない・・・歳取った後の、茶飲み友だちもいらない・・・人にかかわると、自分の心のキズがどんどん深くなるようなきがします。だから、私はひとりでいいんですね。自分の岸辺で対岸をぼんやり眺めて時間がすぎるんでしょうね。(´;ェ;`)ウゥ・・・
2018.04.26
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今日は父の点滴のため、クリニックに連れて行ったんだけど、行く前から足が痛いと言っていて、クリニックに着いたら、足が痛い、歩けん、車いすは無いかと言い出した。近くに車いすは置いてなかったし、ゆっくりでいいから歩いてとなだめながら診察室までたどり着いた。うーん、血管が詰まっていて痛いとは言われているけど、それだけなんだろうか。骨の状態までは診てもらっていないし、骨折とかひびとか、そういうことはないんだろうか。ただ単に点滴がイヤだから?体が弱ってきて動くのもつらいのだろうか。ちょっと座っているとすぐにうとうとし始める。少しでも、楽になってほしいと思って治療をしているけど、そのための通院もつらいのかな。何もしなければしないで、妹に責められるし・・・どうしたらいいのかしらね。両親の体調がよければ、夕方からの仕事を探そうと思ってた。仕事がしたいんだけどな・・・もう無理かな。(=^・^=)実家の荷物はトランクルームを借りることに決めた。提携している運送会社があるので、大物はそこにまかせて、私の車に乗る物は運ぶことにした。普通の引っ越しなら引っ越し業者に頼めば問題なくできるけど、こういうのは難しい。(=^・^=)今日も車の中でスターダストレビューを流して、泣きながら運転していたのでした。 ↑ (これ危険なのでやめましょう)私の体調はちょっと戻ったけど、油断するとがくがくっと来そうな、綱渡り状態が続きそうです。自分が救急車に乗らないように気をつけなければ。、
2018.04.25
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今日は実家の片付けにいってきました。行く時はまだ雨は降っていなかったけど、着いた時にはぽつぽつ。今日は母の妹たちも来ていて、不要品の中から欲しいって物を持っていってもらいました。それはありがたかったんですが、私、昨日の夜から体調不良で、昨日の夜、下腹部左側がちりちり痛いな、と思って寝たんですが、今日は痛みは治まったけど、気分がずっと悪い。なんとか、倒れることなく行って帰ってこれました。おばさまがたと話をしていて、なんでも叔母の知り合いの65歳の人が、えらい金持ちの人と再婚して、家は建ててもらうわ、いい生活ができるようになったそうな。おばさま曰く「熟年玉の輿ってこともあるのよ、がんばりなさいよ!」いや、もう、今の私にそんな元気ないです・・・
2018.04.24
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今日は午前中、父の点滴通院、午後、父のMRIの検査のため病院へ。帰宅が午後3時、お昼は病院の食堂で済ませました。帰ってきてから買い物に行って、午後6時から母の歯科受診。はーーー、忙しいんだけど、待ち時間がたくさんあって、なんかもったいない。待っているというのも疲れます。待ち時間で引っ越し業者や倉庫業者にあたってました。引っ越し+荷物保管をまとめてやってくれるところってなかなか無いんですね。6社あたって5社断られ、1社は一応見積もりをしてくれることになったけど、見積もりに来てもらう日程があわない。トランクルームもあたっているけど、トランクルームは自分で荷物を運び入れなければいけない。ダンボール詰めたものなら私の車で運べるけど、ソファーセットと座卓と洗濯機は無理。レンタカーでも借りるかと考えているけど、私、大きな車を運転したことがないんですね。日にちはどんどん過ぎていくし、荷物は片付かないし、どうする、私。
2018.04.23
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