はっしゃ ららばい

はっしゃ ららばい

2003年12月31日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
【サブタイトル】バビロニアから現代まで

【発行】柏書房 1994年

《人の姿をした天使 Angels Disguished as Humans 》p.214

私が楽天広場に初めて作ったサイトは3日坊主で消してしまいました。
そのときの日記に、2人の守護天使Guardian Angelのお話を書きました。
ネットの世界で私を助けてくださる見知らぬ方への感謝の意を述べたかったのです。

スピリチュアルな世界を垣間見た経験のない方には、ただの隠喩的表現と捉えていただければよいのです。
ただの偶然の一致を勝手に脳内変換して喜んでいるだけだと。。。


でも、自分の力ではどうにもならない壁にぶつかったり、厳しい局面に追い詰められたりしたときに、かならず解決に至る啓示を与えてくれる存在を、いろいろな場面で感じるのです。
本当に「他力本願」ですね。

単なる偶然の一致なのでしょうが、それは2人組として訪問されることが多いのです。
推理ドラマのライトをぐいと当てる「厳しい刑事」とカツ丼を差し入れてくれる人情派の「優しい刑事」と違ったタイプの人の姿を借りているように思えることもあります。

この本の著者ロナー氏は、天使の定義を「霊の世界に住む高次な存在」としています。神と人間の中間に位置する存在だとも。
そして、【ハイアー・セルフ】(「神秘学では、人間一人一人の心の奥底には、ふだん認識している自己よりもずっと大きな、高次の自己が存在していると考えている。ユング心理学でいうセルフの概念に近いが、ハイアー・セルフから情報を引き出すことによってよりよい人生を送ることができると考えられている。」本書p.162脚注より引用)を一つの説として紹介しています。

なるほど、私が人の姿を借りた天使に助けられると感じるのは、私の意識下のレベルの問題なのかもしれません。
そこに、人知を超えた存在のメッセンジャー機能を認める方が、うきうきするような楽しみを享受できるのです。
そして、ポジティブに自分自身の問題解決に当たろうとする意欲を引き出してくれるように思えるのです。

「天使の事典」の中には、従来私達が【悪魔】と認識していた者たちの名前もたくさんでてきます。
異教の追いやられた神であったり、堕天使であったりとさまざまです。


自分自身で自分の中の「悪魔的な部分を見つめる」のなら構いません。

私の心を傷つける存在も、私に何らかのメッセージを与えてくれるのではないかしらと、すっと冷静になって考えられるようになるには時間を要するのですが、できるだけ振り返ろうと考えます。
もちろん一刻も早く忘れ去りたいことや凶悪犯罪の場合は、そんなことは言っていられないのですが。。。


この一年を振り返ると、降る雪のように、舞う花びらのように、たくさんの方々から思いやりと優しい言葉や厳しく諭す言葉をいただきました。
本当にありがとうございました。



今日は黒く厚い雲の隙間から差し込む、眩いばかりの光のカーテンを見ることができました。
来年は、もっと明るい方へ、明るい方へと向かって行きたいなぁと願うのです。

もしよろしければ、来年も見守ってくださるようによろしくお願いいたします。

皆様、よいお年をお迎えくださいませ。





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最終更新日  2004年01月01日 00時19分59秒
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