どくだみ音楽

どくだみ音楽

追憶ドン佐野さん




 ドン佐野、戦後日本の洋楽界で(1950年前後)知らぬ者のいないビッグネームである。佐野双平、テキスタイルデザイン界のビッグネームである。偶々生徒の父だったため、招かれて会った。1982年。ドンさんは、脳出血で倒れてラジオ番組から降り、自宅療養中のようであった。私は、お名前も知らない門外漢。しかし、その歓談の心地よさ(客がじょうず、と申すべきか、ご家族ぐるみ来客のもてなしが最高)に、つい、軽く我を忘れる。ドンさんは、大勢の若者を育てた。うち一人が、翻訳業や批評家をする東理夫さん(晶文社の「ブルーグラス」の後書きでドンさんへの謝意の文章)。リハビリを兼ねて元気回復されるよう、「バンドやりませんか」と提案してしまったとき、口をあんぐり開けて「わしに、そんなこと言うのはあんたが初めてや」。「センセイ、あなたは何もわかってない人や。気に入った、やりましょう。あと一人メンバーをいれましょう。娘と同じ学年の(高校一年生)バンジョー弾きの前野君を。ただし、ギタリストとして。センセイは、ベースとリードボーカル」。このかたの人間観察と、人間の限度を超えさせる設計は、追随不可能です。接する者が、劇中へ引きずり込まれてしまう。
 あと、高校生たちや近所の楽器店主・瀬戸さんも招き、酒宴となり、誰かが階段から落ちてガラス戸を割ったような記憶。深夜、住宅街で騒いでいるのですが、「ご近所は大丈夫」と家族で仰有る。きっと、普段から特別な近所への配慮をされているのでしょう。
バンド名は、PTS。ドンさんと教育論議・学校談義をしていて、PとTだけでなく、これからはStudentsも対等に活動する世の中をつくろう!と盛り上がっての命名。さらに、集まりを拡げてPTS協会を設立、自主ライブ(花脊スキー場に足場を組んで:マスコミも取材に)。木村敦君も加わり四人のバンドに。クラブ合宿は、比叡平という別天地にある私の親戚の空き家で。私は就職まもない二十代、深い考えも伴わない夢心地な日々でした。中心生徒諸君は卒業、私は転勤、ドンさんは、デザイナー業が多忙に・音楽界に一部分復帰される、集まりは下火に・・・。
 個人的には時々呼び出して貰っており、楽器店「アーシーミュージック」へ遊びに寄られて同席したことも。「やあ!セト!」とにこやかに入店される笑顔が忘れられない。店主の瀬戸さんは、生まれながらのいっぽんどっこ、独立不羈の人である。絶対に他人の下には居られない人である。これほどの人を、爽やかに呼び捨てにできるのは、ドンさんをおいて無かった。瀬戸さんを、ある種の《後継者》にしていたふしも感じられる。(「セトくん!」と呼べるのもホンキートンクの店主ボウ矢谷さんだけだ。)泥酔のドンさんからは、「センセイは、ほんとにくだらんお人や」「セト、あんたは、ほんとにくだらん男や」と言われていたことを誇るものです。とにかく、御一緒によく呑みました。お酒は良くなかったのかもしれませんが、お好きでした。なくなられたとき、ご家族のお気持ちに配慮せず、敢えて瀬戸さんと二人でお酒を御霊前に捧げました。
 このかた以上に影響力を持つ人を知りません。まさに「ドン」でした。他者への愛・家族愛・そして若者への愛と期待を
ものすごくたくさん持ったかたでした。            
ご家族からいただいた「DON SANO」というCDがある。非売品である。非売品・・・ドンさんの音楽人生そのものである。「プロには、よう成らんかった。」と言われた。そこにも深い意味。プロ以上の偉大なアマチュア音楽人。大きな好事家・趣味人。私的な教育者。ご家族に愛される家庭人。
 1992年に61歳でなくなられた。
 古代史、書かれていない民衆の古代史に造詣あり。松ヶ崎の「とんび岩」の周辺の発掘、私と五歳の息子がおつきあいしていた。山中の道の土の削られかたを見ても、何かを感じ取る、すごい想像力。故郷、高知の川の岸の角度から、古代の人工の運河だと疑っておられた。これから研究すると語る。
 PTSバンドの前野君は陶芸家に。彼の最初のグループ展でのドンさんの後ろ姿が私の持つ最後の写真。若者の活躍が何よりも好きな人でした。
 花脊の奥、小布施に住むお友達、上手さんを訪ねられるときに御一緒したのが最後のドライブ。友情の人でした。
 お友達が、ものすごく多いかたでした。
 歯科医の中村さん宅を訪ね、「三人でバンドをやろう、わしが好きな音楽だけをやりたい」(いつも、好きなようにされていたと思うが、この指向にも意味が)と言われていた。なくなる直前である。
 いつも夢と展望、やりたいことをいっぱい持ったかたでした。ロマンの人。
 しかし、ここに書いたのは、ドンさんの、0.1%にもならない部分です。巨大な人でした。若者の憧れる人。いまも多くの人々に影響を持つ巨大な人でした。


こんにちは。「当時5歳の息子」です。
ドンさんのお話、興味深く拝見しました。
少し前に、ドンさんと思われるかたの写真を見つけたことがありました。楽器を手にされてたと思います。
そんな人だったのかあ・・・と、新しい発見です。音楽の人だと思ってたんですが、意外な面がいっぱいで。 (7月12日23時59分)

加減のりじょさん へ
そうそう、2年前に君が、ドンさんや前野君・木村君と写った花脊での写真を持ってきてくれたんだった。ドンさんは、私の息子を、山へ行った日(発掘のとき)にも、とても可愛がって下さった。山道を息子のペースに巧みに合わせて登って。「とんび岩」では何も出てこなかったけど、楽しい(想像力が飛び交う)発掘作業でした。 (7月13日0時27分)


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