ナ チ ュ ー ル

ナ チ ュ ー ル

化学 正四面体からの始まり (3)(4)



∠ この章の登場項目と登場人物
**正四面体分子 メタン分子
**錚々たる化学者
**酒石酸の異性体・・・パスツールの偉業
**ファント・ホッフ・・正四面体説 空間の化学



★パスツール異性体結論
ルイ・パスツールの酒石酸研究までに、解っていたことを纏めると以下のようになる。
・葡萄酒製造の副産物である酒石酸は右旋性を示す。
・酒石酸の副産物として、旋光性を示さないが同じ分子式を持つ化合物が見いだされ、ラセミ酸と命名された。(のちにパラ酒石酸)
  ・酒石酸のアンモニウムナトリウム塩とパラ酒石酸のアンモニウムナトリウム塩は、結晶形、密度、屈折率などが同じであるが、酒石酸NH4Naは、右旋性、パラ酒石酸NH4Naは、旋光性を示さない。


図2-2
彼は、ワインに含まれる酒石酸の塩の2種の異なる結晶をピンセットでより分けた。これがなんと、ルーペでの作業で選り分けたというから驚きである。そして、それぞれの結晶の溶液が、偏光とよばれる一方向にだけ振動している光を互いに逆方向に回転させることを見出した。2種の結晶は、右手と左手の関係と同じように鏡像である。この実験結果から、パスツールは、酒石酸分子には異性体があることを理解した。これがパスツールによる鏡像異性体(エナンチオマー)の発見であった。1849年のことである。パスツールがこの酒石酸を発見した方法は、D,L?酒石酸ナトリウムアンモニウム塩の水溶液を27℃以下で再結晶させ、D塩とL塩の2種類の結晶ができる。この結晶をルーペを用いて分け,強酸で処理して,酒石酸のそれぞれの対掌体を得るという方法であった。

そして、パスツールの得た結論は
・パラ酒石酸アンモニウムナトリウムを顕微鏡でみると結晶の形が左向きと右向きの 2種類があった。酒石酸アンモニウムナトリウムは、片方の向きの結晶しかなかった。
・パラ酒石酸アンモニウムナトリウムの結晶の異なるものを顕微鏡でよりわけた。
・より分けた二種類の結晶は、化学的な性質は同じ。偏光を当てたときの偏光の回転については、溶解した溶液は、右向きの結晶は、右旋性、左向きの結晶は左旋性を示した。

という結論だった。すなわち、パラ酒石酸アンモニウムナトリウムは、D-パラ酒石酸アンモニウムナトリウムとL-パラ酒石酸アンモニウムナトリウムの等量混合物であったと言う結論を得たのである。

パスツールが、酒石酸アンモニウムナトリウム以外の結晶から研究に着手していたら、光学異性の発見は無かったと言われる所以は、多くの運命的な現象が、幸いしていることにある。それは、
・酒石酸塩のうち、アンモニウムナトリウム塩だけが、右向き左向きの結晶を生ずる。
・パラ酒石酸アンモニウムナトリウムは、28℃以下では、右向きの結晶パラ酒石酸アンモニウムナトリウム・4水和物と、左向きの結晶パラ酒石酸アンモニウムナトリウム・4水和物が生成するが、28℃以上では、一種の結晶パラ酒石酸アンモニウムナトリウム・1水和物しか生成しない。

酒石酸の分子は右左螺旋状に配列しているのか。


\\各酒石酸の性質
M.P.            溶解度
D 170    +12°      139
L 170    -12°      139
DL 206    不活性     20
Meso 140    不活性     125


十年後1857年、パスツールは、この分野でまた大発見をした。ある種の植物カビを光学不活性のパラ酒石酸塩の溶液中で培養すると、その溶液は次第に旋光性を帯びるようになる。研究の結果、これはこの植物カビ(ペニシリウム・グラウクム)が、自分の栄養の目的にあうd-酒石酸のみを選択的に分解していくためだということがわかった。パスツールは、光学活性の研究から発酵の研究へと領域を広めていくことに成っていくのである。

1860年、パスツールの「天然有機物の分子不斉に関する研究」と題しての講演では、分子不斉と生命の関係を論じ、「分子不斉という大きな特徴は死んだ性質のものの化学と、生きている性質のものの化学との間に、今日引くことのできるもっとも明瞭な唯一の境界線を樹立するもの」と光学異性体と生理活性の関係を予言している。****野平博之 化学と教育 光学異性体の歴史とその基礎化学

★ ファント・ホッフ四面体立体構造説
まずこの四面体説に入る前に、この時代に物理化学の草創期を築いた三人の天才化学者オランダのファント・ホッフ(1852-1911)、ラトビィアのヴェルヘルム・オストワルド(1853- 1932)、スウェーデンのスヴァンデ・

※ f-12ファント・ホッフ(1852- 1911)の簡単な紹介から、
1874年  ファント・ホッフ四面体説を発表
ファント・ホッフJacobus Henricus van 't Hoff (オランダ 1852 ~1911年) オランダの化学者である。22歳でドイツのボン大学に留学し、ベンゼンの構造式で有名なケクレの指導を受け、1年後に帰国して、1874年炭素化合物の結合角やその構造が立体的で正四面体状であるという四面体説を発表する。
1877年には、若干25歳でオランダのアムステルダム大学に迎えらた。1884年から、浸透圧,蒸気圧などの研究に着手し、溶液の浸透圧に関して、気体の法則 PV=nRT と同じ関係が成り立つことを発見して、気体と溶液の類似性を明らかにした。1887年ファント・ホッフ、オストワルド、アウレニウス は、物理化学雑誌を創刊する。
 以来,この3人は一種の同盟のようなかたちで物理化学の研究を進めていく。たとえば,オストワルトが平衡状態での濃度の関係を調べることによって化学親和力の大小を決定し得るのではないかというアイデアを提示する。ファント・ホッフは早速,当時まだ生まれて間もない熱力学の知識を化学に活用して理論的に掘り下げ,平衡定数が温度によって影響を受けることを明かにする。そして現在,ファント・ホッフの式とよばれている重要な関係を導く。そうすると今度は,この温度の影響に着目してアウレニウスが反応速度と温度との関係を追究し,前に述べたアウレニウス式を導く。このように,三人は一体となって19世紀末より20世紀はじめにかけての化学反応のしくみの解明に大きな貢献をしたのである。

※ f-13ヴェルヘルム・オストワルド (1853- 1932)
1885年、電離などに関係のあるオストワルトの希釈律を発見。
一価の弱酸濃度をc (mol/L)、電離度をα、電離常数をKa とすると
Ka=cα2 α=√(Ka/c) [H+] = cα = √cKa
ライプチィヒ大学時代は、硝酸の製法であるオストワルト法を考案し、肥料や爆薬の大量生産を可能にした。(1902年に特許出願)これにより、ドイツは肥料や爆発物の大量生産が可能となった。彼の考案したオストワルド粘度計は、高分子希釈溶液の固有粘度を測定するために、現代でも使用されている。1899年 池田菊苗と大幸勇吉が、同時にオストワルドのもとに留学している。池田菊苗は、オストワルトの無機化学書(1900)を『近世無機化学』(1904)として訳出し、大幸勇吉は、日本最初の物理化学と題した書物、『物理化学講義』、3巻を1907年に出している。「化学の学校」


※ f-14スヴァンデ・アウレニウスSvante August Arrhenius 
(スウェーデン 1859- 1927)
1884年 アレウニウスは,電解質は溶液中ではイオンに解離しているという〈電離説〉学位論文をウプサラ大学に提出した。しかしながら、この電離説は、大学の教授達に全く受け入れられなかった。というよりも教授達に理解されなかった。イオンに関する理論を発展させていく中で、酸と塩基の定義を提唱した。水溶液において水素イオン(H+)を発生するのが酸で、水酸化物イオン(OH-)を発生させるのが塩基だとした。1889年アウレニウスは、ファント・ホッフが導き出した反応速度と温度の関係を、反応速度常数に関する方程式(アウレニウスの式)として「弱酸によるしょ糖の転化に関する研究」を報告した。地球温暖化に二酸化炭素の影響
「宇宙の始まり」スワンテ・アーレニウス 著 寺田寅彦訳


● 第2章の3  正四面体(tetrahedron)

∠ この章の登場項目と登場人物
**正四面体分子 メタン分子
**錚々たる化学者
**酒石酸の異性体・・・パスツールの偉業
**ファント・ホッフ・・正四面体説 空間の化学
**コルベ攻撃

★ コルベ攻撃  対ファント・ホッフ 十倍返し

メタンCH4の四面体立体構造の最初の革新的理論は、ファント・ホッフとル・ベルによってほとんど同時に、別々に打ち立てられた。1874年にファント・ホッフは『現在の化学において用いられている構造式を空間的に拡大する試みについて』の論文で四面体説を発表した。すなわち炭素原子を正四面体の中心に置いたとき4本の結合は正四面体の4個の頂点の方向に向く立体構造になるというものである。立体的であると結論づけた根拠は、炭素化合物の異性体の数であった。異性体とは化学的な組成は同じであっても、その構造が異なる分子のことをいう。もし炭素原子の構造が平面的であるとすると、異性体の数は3つであり、立体的ならばその数は2つとなる。ファント・ホッフは、当時、実験的に分かっていた炭素原子の異性体は2つということに注目して、炭素原子正四面体説を理論化したのである。
ル・ベルとファント・ホッフの謎解きは、全く同じ結論に到達した。しかし、ル・ベルは、モデルを現すための図解を使用せず、結論に至る過程が抽象的であった。この結果四面体説の名声は、ファント・ホッフが得ることと成ったのである。
この頃の保守的な化学の世界では、この若き天才化学者ファント・ホッフの革新的な説は、すぐには受け入れられなかった。もっとも光学活性の現象が持つ化学的意味など、当時のほとんどの化学者が、気がつかなかったのである。1877年に彼の著書「空間の化学」(La Chimie dans l’Espace )のドイツ語訳が出版されると、この著書に、批判的だったライプチッヒ大学のコルベ教授は、痛烈に批判している。若き青年化学者ファント・ホッフは、大御所コルベ教授から大バッシングを受けるという派手な船出となったのである。この資料が、「痛快化学史」と「入門化学史」に記載されている。

    ユトレヒト大学の獣医学部のファント・ホッフなる若僧は、正確な化学研究というものを知らないようだ。天馬を駆って化学のパルナックスに昇れば、当人のいう「空間の化学」をもとに、宇宙空間内に原子がどう配置されているかをたちまち見抜けるなどと阿呆なことを考えているのでは無いか。
      ****「痛快化学史」 アーサー グリーンバーグ著 

    この心配が誇張だとお考えの方がいらっしゃるなら、幻影のようで軽薄な近頃の「ファント・ホッフの宣伝文句を、読んでごらんになるがよい。精密な化学研究を行うことは[彼の]趣味に合わないようだ。彼がふさわしいと考えたのは、ペガサスにうちまたがり、大胆にも化学のパルナッソス山の頂上目がけて飛行しながら、原子が宇宙空間にどのように配置されて見えるかを「空間における化学」の中で」宣言することだった。地道な化学の世界はこのような幻想につきあっている暇はないのである。
      ****「入門化学史」T.H. ルヴィア著  化学史学会監訳 朝倉書店

このコルベ教授の攻撃は、ファント・ホッフの「空間における化学」の第2版(1887)に再録されたために、後生まで語り継がれることとなったのは、皮肉なことである。

いつの時代も、このような人物は、いるものだが、なんとも凄まじく激しい悪口雑言。

コルベ博士の名誉のために、業績を纏める
  f-15ヘルマン・コルベ  コルベ・シュミット反応 
アドルフ・ヴィルヘルム・ヘルマン・コルベ Adolph Wilhelm Hermann Kolbe (1818年 ? 1884年)ドイツの化学者。
基(ラジカル)に関する新たな考え方を導入し、構造化学の確立に貢献。コルベ合成 1849年有機酸塩の水溶液を電解すると、炭化水素が生成する。酢酸ナトリウムを電解するとエタンが生成する。
コルベ合成
 2CH3COONa + 2H2O → C2H5 + 2CO2 +2NaOH +H2
              陽極     陰極
コルベ・シュミット反応

フェノールの塩に高温・高圧(例: 100 atm, 125 ℃)で二酸化炭素を作用させてオルト位をカルボキシル化させ、酸による中和後にサリチル酸を得る有機化学反応。POB(パラオキシ安息香酸)の合成。
  ・上野製薬HP

ファント・ホッフは、フマル酸とマレイン酸の解明も行っている。この二つの物質は、同じ示性式で現されHOOCCH=CHCOOHとなる。しかしながら融点は、フマル酸は(300-302℃)で、マレイン酸(133℃)と異なっている。ファント・ホッフは、マレイン酸を加熱すると水の脱水反応により無水マレイン酸となるが、フマル酸は加熱すると分解してしまう。これは、マレイン酸の二つカルボキシル基はシスの位置にあり、距離的に近く、反応しやすい場所に位置しているのに対し、フマル酸の二つのカルボキシル基はトランスの位置にあり離れている。フマル酸とマレイン酸が、幾何異性体の関係にあり、この立体配置を見事に説明し解明した。
この無水マレイン酸は、我がレジスト開発時代に、プリント基板用UVレジスト用インクの原料として、無水マレイン酸+ヒドロキシエチルアクリレートのハーフエステル反応物として利用した物質でもある。


図2-3

化学者たちは、平面化学から、このファント・ホッフの立体化学の思考によりやっと今日の立体化学の礎を築き始めたとも言える。

 この正四面体立体構造であるという仮説を、後に初めて実験的解析で成功させたのは、日本人化学者 仁田勇博士である。1936年にペンタエリスリトール C(CH2OH)4のX線構造解析で証明された。ペンタエリスリトールは、炭素原子に四つのCH2OH基が結合した分子であり、四つの炭素原子は正四面体の頂点を占めている。ファント・ホッフとル・ベルの炭素正四面体構造説が、初めて実験的に証明された。


そして、大澤映二博士が、美しきフラーレン C60(切頭二十面体)、立体構造分子を予言したのは、1970年とファント・ホッフの論文より約100年後である。さらに、1985年のフラーレン発見、そして1990年のフラーレン合成報告により、炭素化学の歴史的転換とも言える発見により今日のナノカーボンの時代に突入している。 

私の当初の主要な目標は反応速度であったが、反応速度と反応平衡は密接に関連していた。一方で二つの反対方向の反応が等しいことによって平衡は保たれるが、他方で平衡の強固な基礎は熱力学にあった。というわけで、私が目標反応速度の研究を達成するために、いかに熱力学によって導かれたかが解るだろう。このようなしばしば起こるのである。
・・・化学動力学研究 ファントホッフ



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