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メールをくれた地元の友人、応援してくれたオンラインのお友達、ほんとうにありがとう。神様は出来ない宿題は与えない、と、言葉のギフトもいただきました。たくさんのひとの暖かい心づかいで、化け猫になる前に。。。。立ち直れそうです。たくさんの励ましも、浄化の言の葉もありがとうございました。向かいの家のOZおばーちゃんが、この国に入れるようになった~?って。よかった、よかった、また遊びにおいでよ~って。28日にプロバイダの契約が切れる。何時かは不明。そんなかんじですオーストラリア(笑)しばらくネット落ちするかもしれないので、ありがとうを伝えたくて。最終日はどんでん返しで大荷物が発生、オンラインできないかも。電化製品すべて買うといっていたパキスタン人がドタキャン。そんなもんです、オーストラリア(-_-)引っ越すときはカーペットクリーニングはプロに任せること。土日はやってくれないから、金曜日の早朝になったよ。だけどレントの保証金は(ほぼ)全額帰ってきます、オーストラリア。家具つき、間貸し(シェアー)は普通です。スーツケース一つであなたも街の住人になれます、オーストラリア。楽しいことだけ拾って暮らせば、幸せがよってくるって。そうやって、ページを埋めてきたんだけど、つまずいてこけた。こけた後の立ち上がるタイミングがむじゅかしい。でもまた楽しいことを探してやっていければ。生活をして、長くとどまると楽しいことは暮らしのエッセンスでつらいことやつまらないこともたくさん同居する。それが生活するってことだと思う。初めてビザをいただいた会社も真夜中から14時間労働で月給1600ドル、で、やめるときは、かなりもつれたなぁ。やめさせないといわれ、恩知らずといわれ、ゴールドコーストに住めなくしてやる、とも。海外で事業をするというのは大変なことだということ。そのときも、自分の考えと存在を変えてがんばった。もう少しがんばれるかな。ここが素敵な土地だからね。でも日本が、故郷が嫌いなわけじゃなくて、いつでも帰れるってことも再確認できたし、私たちより大変な毎日の日本の友人とも連絡が取れて、こちらで支えてくれる友人もたくさんいる。すべての人にありがとう。毎日何かにつけてそうつぶやいていく。私はラッキーだ!と信じる。幸せになるおまじない、また明日ね~(^o^)/
2007.02.27
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朝夕は涼しくなって、夜は寒いくらい。それでも昼間は30度近くのかんかん照り、快適な季候。今日は風が入って昼間でも家の中が涼しかった。家の解約まであと4日、インターネットは今月末まで。しばらくはまたご無沙汰になるかと。。。。きっちり1年の暮らしもあと数日で明け渡し。カーペットのクリーニングも最終日の朝に決まった。わずかになった荷物はとりあえず車庫に入れて、プロにお任せ。窓にかかっているバーティカルブラインドも汚れのひどいところはクリーニング要。。。洗ってみたら結構きれいになった。きれいさっぱり、だね。なんだかここまで必至でやってきてちょっとほっとした。ふるさとの皆さん、応援をいただいたみなさn、ありがとうございました。今回は12年目の結婚生活にも亀裂の危機でした。さすがに心がささくれてくると、些細なことで我がでてしまう。価値観の違いや、決断の時のずれは修復がしがたかった。実際、別居をさっさと決めたのは私で、すったもんだで、お流れになったのだけど。この先、どうしてもやりたいことがだんなの希望とかけ離れることもありえないわけではないと、心の深い闇が見えた気がした。相方を自分のやり方で変えてしまうのか、自分を殺してだんなの希望にそえば、それで済むのか、その先はまたわからないけど。話しても話しても平行線の3ヶ月、海外にいて、辛いこともあって、改めて自分の方向が見えてくるそんな気づき我あったことは確かだった。そして自分の思い通りにならないときに、何かに昇華させようとあの手この手で癒されようとする。食事が液体燃料に変わるのもその一つかと。・・・・・・・・単にのんべえの素質があるだけとも言う?一段落したら、一度故郷に帰る。どうしても浄化できない部分とかけがえの無いものがあるから。行き来できるようになれば最高だけどね。それを目標に何か始めればいいかな。
2007.02.26
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今日は掃除と残った荷物の更なる選別をする。ブラインドの洗濯や天井ファンも拭き掃除をして明け渡し。シェアメイトには急なことで申し訳なかったけど、彼も仕事をやめて日本に帰るのだそう。しばし休暇をエンジョイして。一所に仕事をした仲間、シェアで生活した友人、これで三々五々。オースに来てから別れのシーンが多いけれどそれぞれの道でがんばって、また何年か後に笑って再会できればと思う。シェアというのは日本ではもうあまり見ない同居人のことだけど、ある意味、自分の見えない部分を指摘してもらったり、考え方や生活のヒントをもらったり、心のささえになってもらった。友人に恵まれたことに感謝している。ひとの言葉に毒されてしまうと中毒で苦しむことになり、それを回避するには自分で「忘れる」か「浄化」するしかなくなる。だからこの現代で、狭い会社や社会の壁に悩むひとの多くが、こうやってブログで人を癒したり、癒されたりするのだと思う。私がおかしいの?という疑問に誰か答えてくれれば・・・が、今回この毒の副作用で、私はかなり大量の英文を読んだし、いろんな人と会った。必要に迫られてとる行動には集中力と予想外の力がみなぎる。ぬるま湯につかっている生活よりはかなりおりこうさんになれた。英文の法律を読んで、守られるべき立場の確認をし書類を作成する等。成長させてもらったことには毒を食らったことにもありがたくお礼を言っておきたい。マインドコントロールの毒を自浄するに当たってはリベンジに燃える自分を正当化しようともがいているときに「うらみ」で見つけたサイトの>うらみの感情は、>だれかにひどい仕打ちをされて不快になった思いを>辛抱し続けた結果でてくる感情です (山野保「うらみの心理」創元社)でずいぶんと楽になったし、仕事を変わろうとすることが非国民のように扱われたこともなぜか2週間以内に退去しろと言い渡されて惑わされたこともIf the sponsor ceases the employee's employment, the employee must do one of the following: *find another employer who is willing to sponsor them and apply for another visa *apply for another type of substantive visa *leave Australia within 28 days. この文章が矯正してくれた。後は良い友人のなやさしいフレーズがねじれてしまっていた私の心を解いてくれたし。人生楽ありゃ苦もあるさ~♪の中で、楽しいこと嬉しいことを数えていけばそれが倍倍に広がっていくと信じて、楽しい人生をおくりたいと切に切に願っている。LAでがんばっている友人のサイトから借りてきたマザーテレサの言葉。こんな風に出来ればいいなぁ、と(^o^;)・あなたの正直さと誠実さがあなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。 ・目的を達成しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなくし続けなさい。 ・あなたが作り上げたものが壊されるでしょう。 気にすることなく作り続けなさい。 ・助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく助け続けなさい。 By マザー・テレサ
2007.02.25
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家の中がガラ~んとなって、ここの暮らしの終焉を迎えます。この気持ちもこのまま置いてゆきたい。2007年の元旦は中国人留学生たちと新年会をした。もう私の中では帰国ムード満々だったし。元旦は会社も休み、2日に電話をすれば?という私に待っていろと言われたし、言うとおりにしないといやな目にあうから、とだんな。3日、4日と、待っていても進展が無いのでビッグボスに直電を入れるもつながらず、1月5日の朝、シェアメイトが昨日オフィスのスーパーバイザーから電話があって、電話したようだけど、オフィスのセクレタリーまで電話をするように伝えてくれ、といわれた、という奇妙な伝言ゲームが展開した。彼はディナータイムで忙しく夕べは伝えられなかったらしく。オフィスに連絡し、その後でむいた。私はてっきり解雇の通達でもあるのだろうとご挨拶に同行した。が、オフィスでヘッドオフィサー3人とミーティングしたそうで、内容はもうここにはだんなの働く場所は無い。このまま会社でやっていけるか、誠意を表せばビッグボスに伝える。ビッグボスを怒らせたのが間違っている。休めといってる時に休まないで、休んでないというのは能力が無いからで、それでは現場のマネージャーとしての資質に欠ける。任せたトレーニングは大失敗だった。その責任がある。問題行動の具体例にはナルトをスライスして多量に保存した方法がまずい。豚肉を生できたのに冷凍保存して使ったのが気に食わない。ミソラーメンの新レシピどおりに作らなかった、など小さなことが積もり積もってこうなったのだから会社に落ち度は無い。ということで、やめるか続けるか決めろとのことだったらしい。時間が欲しいというと、1月9日まで(残りの有給休暇の消化)に連絡するように、それまでも仕事場は無いのだけど。これが退職勧告以外の何者でも無いと思うのは私の偏見なのか?だんなは1月13日に永住権申請必須科目の英語試験があって、それまでは温存したかったので、1月9日、オフィスのセクレタリーに電話で、1月末で退社したいと頼んだが「ダメです。今日で終わりです。イミグレに電話します。2週間以内に退去してください」さらに「ケアンズに行くつもりでしょう?正直に言ったらどうですか? ビザは今日切ります。 うちのネットワークは業者も含めてすごいんですから」と。。。。。業者からなにか情報が入っているということか。これは私が他のレストランのスポンサーの状況を知りたくて打診したケアンズのレストランのことだと思われるが、先方からの電話でこちらの内情を根掘り葉掘り聞かれた上、社員が言うことを聞かないで困っている、と業者から聞いた、というのが引っかかって打診直後に丁寧に断っていたので、誤報に間違いはないのだけど。実際先方にも影響が及んでいないか、連絡をしてみたところ「業者には口止めしておいたのですが」とのコメント。オースでは日本的企業倫理なんてものは考えなくても良いらしい。もうたくさんだった。で、1月9日付けでOKして、永住権申請用に在職証明を依頼して電話を切った。30分後、セクレタリーから電話で「今、書類を書いているけど、今日でいいんですね?」と確認される。うちはカレンダーを数えて28日以内の退去か、家のレントも車のローンもある(やめる気などなかったので新車買ってしまってたし)日本に帰るまでに解約手続きが出来るかなどをネットで調べていたところ。ただでさえ頭が痛いのに、はいはい、と返事をした。電話を切って、私もだんなも具合が悪くて2時間ほど横になった。気温は30度を越えた真夏日、汗だくになっても寒気がした。4時間後、さらにセクレタリーから電話が入った。だんなの携帯は業務連絡をミスしないように、会社からの電話の呼び出しをMission impossibleにしていたので(笑)これがなると、ぞっとした。「ビッグボスが心配してくれて、2週間やるからその間にビザを切り替えればいいでしょう?どうです?やさしいでしょう?はっきり言えばこちらだって対処したんですよ。訴えたりしても法律どおりですから、無駄ですから」と。ケアンズにははじめからいかないといっておるのに。私は帰るからいらない!と思ったけど、とりあえず時間は変えないしありがたく申し出を受け入れた。2週間後1月22日、在職証明もそのときに送ります、とのことで。国外退去も1月22日から28日あれば、充分いけると思ったし。それからは家具をガレージセールして、レントの解約の連絡や、車の売買などについて調べる以外は何もしたく無い日々が続いた。この私が食事さえ面倒になっていた。1月22日在職証明を送ってもらい、紙面を確認すると、退職の日付が1月8日になっていた。だんなはセクレタリーに電話したけど、「もうイミグレにFAXしちゃったんでぇ、あとはレターが来るのでそれに従ってください」とのこと。退職日が1月8日なら、すでに2週間が経過していて、国外退去まで14日をきっている。日付を確認しないと!やられた。信用した私たちが馬鹿だったんだ。私は帰国の日程を迷っていただんなを学生で残し、すでに帰国を決意していて、チケットは2月6日、28日計算だと2月5日になる。たった一日の不法滞在?ありえないし!!3日後イミグレーションに出向いてすべてを説明して、ビザのコンディションを調べてもらったが、何のアクションも無いので、心配しないで新しいスポンサーを探しなさいと諭されて帰宅した。ちょっとほっとしたりして。何らかの手立てを考えて、だんなは地元のレストランも数箇所当たっていたけど、私的にはいきなり来た外国人をすぐ雇ってくれるとは到底思えず、このうだうだしている時間が無駄に思えて仕方なかった。存在さえ危うい国に居て、いい仕事も暮らしもできっこないし、一度すっきり撤退する方がいいとしか思えなくなっていた。だんなと二人で居ても、近い将来のことで直情的にもめた。ほとんど半狂乱で。1月30日イミグレーションオフィサーからだんなに直接電話が入り、退職日から28日以内に国外退去になるプロセスの確認があった。書類の手続き上のタイムラグがあったらしい。オフィサーはレターを送るので確認するように、といった。めまいがした。だから早く帰国しようと。レターの受け取りは郵便事情が悪くて2月1日になった。レターには今後の予定をレターにして12日以内にイミグレーションに送るように書いてあった。さらにイミグレーションオフィスへ行き、事情を聞いたら、ビザの変更事項は5日以内の届出になっていて、私たちのケースでは出国までに時間がなさ過ぎる。資格のある人を依頼があってビザを発給しているのだが、実績から人材が無意味な理由で流出するのは不本意なので、どうしたいかを確認している、と言う感じだった。さらになぜやめるのか?休みやお給料の問題ならばヒアリングも出来る、と。地獄で仏、というのはこういうケースに使えるのかも、と思った。新しいビザの申請をしたい、という旨をレターにして送った。つたない英語しか使えなかったけれど、シドニーやGCのOZフレンドに聞いて、さらに新しいスポンサーが助けてくれた。こうして、首がつながった。2月は私の誕生月で、人生45年のまとめで荒れに荒れた。無気力な状態が続いて、一日中寝転がっていて体力もおちた。いまだにいこかもどろか、の葛藤に悩む毎日ではある。命まではとられないにしろ、必至で国を捨てるある国が頭に浮かんだ。その場の人はそれぞれ、自分が正しいと思って行動する。でもはたからみると、理解不能な世界になっている、あの・・・一段落ついたところで・・・すっかり疲れてしまった。
2007.02.24
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朝は5時半くらいからかんかん照り、それでも最近は朝夕涼しい。明るくなると目が覚めつつ、喉の奥に何か詰まったような感じがして、それも飲み込めず、眠りに戻れず・・・がここ3ヶ月続いている。この家ともあと1週間でお別れ。家具もほとんど手放せた。多分しばらくはネットも出来ないと思うので、新しい生活のためにたまった毒を吐き出しておこうと、やっと奮い立った。人生一度くらいはへこたれるときもあってよし。何から書こうか・・・オースの三箇所目の居住地ブリスベン。生まれてはじめての土地に来たのは2005年の12月。だんなは新規日本食屋でオープニングをまかせてもらっていた。飲食店は楽な商売ではない、朝から晩まで忙しくてラッキー?9時~22時なんて勤務時間も2006年2月私も住居をこちらに移し、地元の仕事も始めた。人材の薄い海外、張り切って休みが取れなくても仕事に精を出していたが、それも限界があろうかと?4月には人手不足で旅行業を辞退し、お手伝いをすることにした。3ヶ月一日も休みが取れない状況が続いて、だんなはショップのコミュニティでかなり顔が売れてた(笑)5~8月、日本人シェフが新規店舗要因で増員され、7月にはやっとシフトで休みが取れるようになった。しかし10月下旬、新店舗に総動員がかかり、残ったのはだんなシェフとバイト数人。私もそのバイトの一人、あとはワーキングホリデーと学生。おりしも試験休みで人がいなくなった時期、また休みなしの生活再来。だんなは4週間、私も2週間休みなしで12時間外に出っぱなしの生活。♪にっじゅ~よじかん、たたか~えますかっ?の世界(古っ!)多少体力には自信があったけど、一日座る時間がほとんどなく、仕事してるか寝てるかでは20年来のベスト体重52kgが49kgになり、だんなの顔が青白くなってきたときには、どうにかしないと~?と。でも人間って適応するもので1週間死ぬほどきついと思っても、2週目に入ると、少し楽になったりもする。すごいことだ。お店は繁盛していたし、なんだかんだと休めなかった。と、このブログに書いた次の日、ヘッドオフィスからセクレタリーが来店、だんなさん、休んで無いんですか?何でです?(人がいないから)これはオフィスの責任じゃありません。ミーティングします、と言い残しセクレタリーが帰っていったあくる日、11月13日ビッグボスからの直電で、二日後からだんなは強制的休みを取ることになり、ついでに店長を降ろされた。休みがねえっていうからよ、と言う理由で。それでも私的にはありがたいと思ったわけです。休みもとれずに身体を壊すくらいなら、そろそろ拉致って帰ろうかと思ってたし。11月15日から年末までの強制休暇。勅令の後、だんなが何度も連絡を試みたが、つながらず。次が決まったらこっちから連絡する、それまで自宅待機、と。でも有給だったし。会社に感謝。それでもだんなは11ヶ月やってきて、1周年を目の前にお店を離れるのが無念でならないようだった。ついでに私の仕事もオートマチックになくなった。だんなは軽い「鬱」が始まった。いろいろと自分たちに言い聞かせたり、気分転換したりしたけど気持ちは飛んでしまって、集中力のない毎日が続いた。お店の中国人ウエイトレスたちは、なぜ仕事をしないの?とメールで。どう説明して良いのかわからないので、時々お店に顔を見に行った。12月のある日、お店の裏の中華食材やさんに行った帰り、お店を覗くとめっちゃ忙しそうだったので、だんなは居ても立ってもいられず、得意のチャーハンを7人分、お手伝いでキッチンに入った。お店は下ろされたからって、身分は有給中だし、いいかな?と?そんなときはたいていタイミングが悪く、ビッグボスが来店したらしい。なんとなく先方もこちらも顔をあわせにくく、お店から出られなくなった。結局挨拶も交わさずに、先方が消えていたのだけど。その2週間くらい後に、お店の遠い関係者の噂話でだんな(多分私もふくめて)を店に立ち入らせるな、とビッグボスから店長代理に勅令がおりていた、ということを聞いた。なにかが捻じ曲げられていて、自分もゆがんでいった。このころ私はネットオタクと化していて、朝から十時間以上PCの前にいた。故郷の友人とメールを交わしたり、癒しのブログを徘徊したり。ここまで仕事をしなかった時期は人生上なかったし。結局自分で決定できない時間にイライラいらしていので実は帰国後のレントや仕事の検索をしていた。ここまでくれば元には戻れないし、上はその気は無いと思はれ。ビザの切れ目が縁の切れ目、法的には全く正しい。いわゆるパワハラにはまったのだ。俗に言う大人のいじめで、無視したり仕事を与えない、というのもその範疇でこれが最近では労働法基準法違反になるのだそう。日本でもそうだけどオースではもっと厳しく法化してあったりもする。そんな事実を見つけるとうれしくなった。現実と逃避の境目、変な心境であったりする。は?と気がつくとこのオーストラリアの真っ青な空の下で、私はネットオタクの引きこもりになってしまっていた。こうして2006年の年末は人生最大最高の暇とストレスを抱えて幕を閉じた。
2007.02.23
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背景を水の風景にしてみた。本の少し前の気分の悪い歴史を水に流したかったから。もともと水仕事(プール)のゆったり気分に戻りたかったから。ただ現実はそうさせては暮れないけど。西暦2007年が明けてから、怨念が渦巻いたこの2ヶ月。やたらとインターネットやサイトを回遊して、耳に涼しい日本語を探しまくった。胸がこげついてしまって、胸焼けで眠れなかったからさ。>うらみの感情は、だれかにひどい仕打ちをされて不快になった思いを、>辛抱し続けた結果でてくる感情です(山野保「うらみの心理」創元社)。この不健康な感情は人と「共有」することによって、治まっていくか、あるいは「忘れる」ことで、あまりに大きな感情を封印しようとする。「忘れる」事が困難になった時に、一番の治療は「安らぎのある場所で時間が過ぎるのを待つ」である。その傷ついた脳の機能を休める時間と場所が、必要になる。ストレスの少ない、出来るだけ安定した心理的に「守られた」場所で。生まれて45年も生きていれば楽しいことばかりじゃないし、困難な人生はあなたを十分に浄化させてくれる、なんて思ってもたまには紅蓮の炎に魂が焦がされることもあったりするわけ。水の中に戻りたい、と。12歳くらいの時の水色の世界に。それは出来ないから苦しいのだけど。海外に出てふと思ったのは、帰りたくない、と思うと帰国を余儀なくされ、帰りたい、と願うと足止めを食う人が多い。そんなもんかも。やっと1年を過ごしたこのうちもあと1週間でお別れ。昨日から大掃除を始めたのだけど、一緒に心の中も大掃除しよう。このままだと、夜中に三角の耳が生えて肉をかきむしる爪をはやし、新月の空をうらみ晴らしに飛んでいきそうだからね。ふるさとのまっとうな友人のみなさん、ネットで応援してくれる心豊かなみなさん、いつもありがとう。
2007.02.20
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お正月からブログ更新も途絶えたままでした。おひさ~(^o^)/とかいって、少々鬱気味で臥せっておりました。いろいろあって。無力、無気力、無体力。。。。。人生最悪だったかも。ふと、明日は誕生日なのだと気づいて、じつは予定では今頃日本で寒い中鍋でもつついているはずがまだオーストラリアです。やっと、日記でも書こうかなって気になったので。すこしずつ見つめ直して、やり直していこうと思って。every day will be new day and good day, don't worry too much.とは仲良くしている中国留学生の励ましの言葉です。国を捨てる気で出て来ている彼女ら、頭も良くて、がんばり屋さん。ぐじぐじしてないで、やりたい事をやり直さなくては、と。はい、45歳最後の日にやっと思い起こしました。明日は、また、良い日が迎えられるように。ばいばい、私の2006年度、あ、そういえばHome pagrも新しくしとかなくっちゃね。。。。。。
2007.02.11
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