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2010年09月23日
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カテゴリ: 日本政治
 最近、仏教の思想の本を読んでいます。

 これが意外とおもしろいです。

 西洋の思想とは異なった断面から人間や社会に対して切り込んでいく仏教の思想は、この日本にとって、再度、発見されるべきものではないかと思いました。

 特に経済的合理性ばかり追いかける本が増加し続け、本質的な人生とはという価値観を見つけるのに、いわゆるリバタリアニズムの観点から発見するのはもはや困難という気がします。

 リバタリアニズムは、主にキリスト教道徳からの自由が主であり、キリスト教的倫理に厳格な社会にしかその解放として意味がないように思います。

 日本の場合、キリスト教倫理がそもそも根本的に存在しないので、その自由が、私的で、自由自体に意味がないことについての自由を尊重することになっています。

 要するに、自由人自体に尊敬の目が向けられることはないわけで、自由になればなるほど、堕落した個人として扱われることになります。

 その点、仏教の自由は、煩悩からの自由であり、その自由人は、個人として周囲からも尊敬ある自己規律の人として扱われることでしょう。

 このように見ても、自由のあり方が、リバタリアニズムは「ケモノの自由」、仏教の自由は、人格完成の自由といえるのではないかと思います。



 福祉国家なんて、聞こえは良いけど、その福祉が本当に世の中のためになっているかどうかは、高齢者不明事件、生活保護不正受給事件、年金未納問題など噴出する問題のほとんどは、この福祉国家という国家像に対する無批判なリバタリアニズムにあると思います。

 議論はあると思いますが、これから、福祉国家というものを見直していかなければ、すでに東洋的な思想が死滅しかけたこの日本で福祉国家を押し進めることは、最終的に階層的な闘争関係に突入し、分裂した社会を作り出すように思います。

 その福祉国家のあり方が外国につけ込まれることがあることも無視してはいけないと思います。





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Last updated  2010年09月23日 05時47分16秒
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