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どんだけ意識失っていたかわからないが、「服切りますねー」という声で気がついた。きる?何を?そっか!ドラマとかでよく見る、搬送されてきた患者の服を脱がさずハサミで切ってしまうアレだ!今着ているのは・・・確かお気に入りのB'zのTシャツ!!ヤバイ!「だ、駄目です!キラないでー。自分で脱ぎますから」「え、脱げるの?大丈夫?」少し驚いた感じの声がした。恐らくこのとき、私の目は開いていて物を見ていたと思うんだけど、景色は全然見えていなかった。。そのまま、また意識が遠のいた・・・*****しばらくして、また声が聞こえてきた。「あれ?まだ服着たままじゃない?」「あ、なんか自分で脱ぐとかってさっき言ってましたけど・・」ん?あー、そうか。。気を失ってんだ・・・「○○さーん、服切りますよー!いいですか!」看護婦さんが肩を叩いてきた。「あー、脱ぎます、脱げます!!お気に入りだから捨てないで下さい」私は、思わず起き上がり、服を脱いだ。。そしてまた倒れこむと・・・意識が遠のいた。。。*****「○○さんて、どうなってて倒れたんでしょう?」「なんかTV見ててって言ってたよ」また声が聞こえてくる。「は、阪神戦を見てたんです。阪神が逆転したから!」思わず反応してしまった。。そして、、、また意識が遠のいた。。。。*****次に気がつくと、目の前に弟がいた。「おぉ・・・気がついたか。」弟が話す。ここにきて、ようやく人の顔を認識できた。「兄貴、クモ膜下出血やで。」「っていうか、なんでここにお前おんねん」「電話かかってきたんやんけ。親父とおかんも来とるわ」「ふーん、親父とおかんはどこやねん」「今、先生に手術の方針とか説明受け取る」弟の言葉に、自分がクモ膜下であることがわかり、少し『ふっ、俺はちょっと気付いてたぜ』と誇らしくなり、自慢したくなった。「クモ膜下か。やっぱりな・・・(フッ)」「何がフッや、」そして意識が遠のきかけた時に医者らしき白衣の姿が見えた「○○さん、そろそろ手術しますよ。何か言っておくことはありますか?」おーなんか怖いな。。なんだっけ??急に言われてもわかんねー・・・あ!明日、花見だ!自分は花見の買出し班だ。その為、自分の家の近所まで一緒に買出し行く後輩が迎えに来る。連絡しなきゃ!!「け、携帯を・・・」携帯を渡される。後輩の番号を呼び出し、コールした。。。・・・・・・・・出ない。弟にその旨をつげ、また課長の番号も教えた。「○○さん、他にない?」他に・・・あ!今日美容院の予約入れてた!!「び、美容院の予約が・・・・髪切りますよね?美容師さんと相談しないと・・・」「そんなんどうでもいいでしょ!!!」看護婦さんの叱責が飛ぶ「○○さん、もう大丈夫かな?」あとは・・・「明日は参加できんから、来週に花見を延期しといてって伝えて」話したところで、口になにやらつけられて・・・・意識がスーっと、急に前が真っ暗になった・・・・2004年4月3日のお昼頃(だったそうだ)
2005.04.06
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2004年4月3日AM3:00前頃(推定)救急車に乗り込んだ私は、椅子に座ろうとした。慌てて救急隊員がストレッチャーに横になれと指示してきた。「大丈夫か?」「頭が痛くて・・・吐き気がして・・・肩こりがひどくて・・・多分、脳が・・」「うん、恐らくクモ膜下出血の可能性が高いからね!今から救急病院に運ぶから。 もう少し辛抱するんだよ!実家のご両親の連絡先だけ教えてくれる?」救急車が動き出した。動き出してすぐだった。突然の揺れに、一気に吐き気が盛り上がり、思いっきり吐いてしまった。それまで吐き気を抑えるべく、水やらお茶やらを飲んで紛らわしていたので、水分が一気に・・・吐いてまた、吐いて3回吐いたら、吐き気は軽くなった。。。が、その代わり意識が「ふわぁ~」となってきた。それまでしっかりと吐き気や頭痛といった色んな感覚がするどくあり、逆にそれが「生きている!まだ自分は生きてる」という実感があったわけだが、どういうわけか頭痛はあるんだが、感覚が「ふわぁ~」となってきた。揺れる・・本当に救急車は揺れて・・・寝心地が悪い。。「すみません!まだっすかぁ?」「もうちょっと!あと1分くらいだ」・・・・・「すんません、まだですかぁ、あかん、もうあかん」「大丈夫だから!もうここ曲がったら病院見えてくるから!あと2,3分や!」「さっきより増えてるやないですかぁぁ」「よし大丈夫だ」・・・その間もただ「辛い、痛い」を繰り返しているうちに救急車が止まった。「着いたから!」と救急隊員の方が声かけてくれると同時に、救急車の後ろの扉が開けられた。女の人の声が聞こえる・・・看護婦さんかな・・・病院だ・・ストレッチャーが動かされ、外気の感覚の違いで救急車から外に出されたのに気づいた。救急隊員の人が看護婦さんに「バイタル、~~」と何やら話している。病院のストレッチャーに移すような感じがしたので、「あー、僕移ります」と起き上がろうとしたら、「起きなくていいから!!!」と怒鳴られて、再度寝た。「1,2,3!」という掛け声とともに“ふわっ”と浮き上がり、移動したのを感じた。そして運ばれる。。私は財布と携帯と鍵を渡した。救急隊員の方が「病院ついたから。ここは山梨で一番の脳外科だから。もう大丈夫だからな!」と声をかけてくれた。。そして、私は意識を失った・・・2004年4月3日AM3:20頃(推定)
2005.04.05
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2004年4月3日AM2:30頃・・・私は119番をかけ、倒れそうになりながら頭を押えて、電話のコール音を聞いていた。トゥルルルルルル・・・トゥルルルルルル・・・ガチャ何か言われたと思うが、覚えていない。。「どうされましたか?大丈夫ですか?」そう聞かれ、ようやく「すみません、敷島に住んでいる●●です。。。」と言葉が出た。「頭が痛くて・・・すんげー痛くて・・・ バットで頭殴られているくらい痛くて・・・ おかしいです。。頭がどうにかなっています・・ 血管切れてるっぽいです。。。吐き気もあります。。 助けて下さい・・・」なんとか、今の自分の状態を告げた。すると電話の向こう側から落ち着いた声で「わかりました。敷島のどの辺りですか?住所言えますか? ・・ハイ、ハイ、わかりました。 お一人ですか? じゃあ、今から救急車向かいますから、サイレン聞こえたら表に出てきて下さい。 それまで我慢できますか?頑張って下さいね」そう言われ、少し安堵感が出た。そして布団に倒れこむ・・・・・・・・・来ない、、・・・・・・まだ、来ない。。。本当に来るのか??道に迷ってないか???夜中なのに、なんでこんなにかかるんだ??ここで死に掛かっている人間がいるのに・・・!!どうしようもない不安感から、救急車の来るのがヤケに遅く感じた。頭痛は頭をギュ-!!って押えていると少し我慢できた。。ひどい肩こりだ・・・吐き気は横になっていると幾分マシだった。きっとクモ膜下に違いない。。マンガで読んだ通りの症状だ。『気を失ったら死ぬ・・・!』そんな恐怖感が全身を覆っていた。救急車が遅い。。そうこうしていたら、遠くの方からサイレンが聞こえてきた。『助かる!何とか耐えれた』そして救急車が入ってくるのが見えた。。私は大急ぎで財布と携帯と家の鍵を持ち、恐らく私が入院中に家族が滞在するであろう、部屋の中で見られるとまずいものを押入れにしまいこみ・・・アブラ汗をかいていたTシャツを脱いで、お気に入りのTシャツに替えた。(↑今思うと、異常に冷静だ)財布の中の免許証を確認した。これで意識を失っても自分が誰かわかるだろう。携帯を持っているので、最後の力でも振り絞れば誰かに連絡できるだろう・・鍵をかけておけば泥棒は大丈夫で、、、その鍵を握っていれば、家に入れるだろうとかを、素晴らしく早く考えての行動だった。そして、家を出て駐車場に止まっている救急車に歩いて向かった・・・救急隊員の方が慌てて駆け寄ってくる。「●●さんですか?!本人ですか?大丈夫ですか?」私は大丈夫といい、救急車に自分の足で乗り込んだ。傍から見たら頭痛で頭を押えながら歩いている普通の人に見えたかもしれない。それくらい意識もハッキリしており、足取りもしっかりしていたのだった。その時、2004年4月3日AM3:00前頃(推定)
2005.04.04
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また思い出しながら続編を書きます
2005.04.04
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どれくらい眠ったろうか・・・いや、正確には眠ったのか、意識を失っていたのか、定かではなかった。ただ、布団に横になったいた私は、あの猛烈な頭痛で意識を取り戻した。おかしい明らかにおかしい。。全身から「これは尋常ではない。生命に関わる危険がある」というシグナルがかけめぐっていた。全身の感覚がヤバイと言っている。。起き上がった。かなり目眩がする・・・・フラフラだ・・・気持ち悪い・・・吐き気がする・・・異常なまでに脂汗がにじんでいる、、、そしてずっと続く、バットで頭を殴られ続けているかのような強烈な頭痛。。首の付け根あたりの筋肉が強張っているのがわかる。今まで経験したことのない、異常な肩こりだ。おかしい完全におかしい。それでも救急車を呼ぶのをためらった。。「・・救急車っていくらかかるんだろう?」そんなことを考えてしまったりした。とりあえず汗を拭こうと洗面所の方へタオルを取りに行く。よろめく。頭を押えても、頭痛が全く変わらない。・・・むしろ、ひどくなっているか。。頭痛に髪を掴んで耐えながら、これまでの経緯と症状を必死に考えた。急な強烈な頭痛。めまい、吐き気異常な肩こり、首の付け根が硬直。。・・・!どこかで見たことがある。どこかで読んだことがある。どこだ?思い出せ???その時、前の週の週間少年マガジンが目に入った。「あ!!!」思い出した。マガジンの「ゴッドハンド輝」という医者のマンガ。その中で今の自分と全く同じ症状の患者がいた。丁度、前の週読んだばっかの話だったのだ!・・・そのマンガの症状の病名は「クモ膜下出血」だった。私はその時、初めて119番通報をした。それが2004年4月3日AM2:30頃のことであった・・・
2005.04.03
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いろいろあって、サボってました。現在4月18日・・・再開します。
2005.04.03
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少しして・・・プロ野球ニュースでは阪神ー巨人戦のダイジェストが始まった。先ほどの興奮がよみがえる。。。沸々と・・・沸々と・・・そして結果がつげられた時、「よーーーーーーっっっし!!」と大興奮で立ち上がった瞬間だった。 グガーン!!突如として頭を殴られたような激痛が頭に起きた。 ガン!ガン!ガン!ガン!今まで体験したことのないような、激しい激痛が頭に走り続ける・・・何度も何度も、バットで殴られ続けている感じだ。。突然のことに、訳がわからない。自分の身にいったい何が起きたのかわからない。ただならぬ事態であることは、なんとなく体の全感覚機能が教えてくれているが、それを受け入れることができない・・・それほど突然で、初めての体験だった。『もしかして、頭の血管でも切れたか?』そういう考えが一瞬よぎった。救急車を呼ぼうかという考えもよぎった。しかし、普段頭痛はバファリンで対処していた私が手に取ったのは電話の受話器ではなく、電話の脇にあった薬箱の中のバファリンだった。。。救急車を呼んだことがなかった。何を言えばいいかわからなかった。何より、「自分にそんな大変な事態が起きるはずがない」と思いたかったのかもしれない。そしてフラつきながらバファリンを飲んだ私は、とても普通でいられないくらいの激痛の頭を必死に押えながら、布団に入り・・・無理やり眠りに入った。寝たら治る・・・そんな危険な状態で。。。それが2004年4月2日PM11時30頃に起きた、人生岐路の入り口だった。
2005.04.02
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2004年4月2日。その日は2004年のセ・リーグ開幕だった。昨年のセ・リーグ覇者の阪神と巨人の開幕カード・・・・阪神ファンの自分が燃えないはずはない。。いつもは平日全部残業4h以上の自分も、この日ばかりは定時即行で会社を後にした。翌々日は会社の仲間うちで花見。その買出し幹事でもあり、その話を終わらして翌日の美容院の予約を入れ、喫煙室でタバコを吸っている、いつもの休憩仲間に手を振ってダッシュで家路についた。途中、コンビニでつまみを買い、家へ。。一週間前に引っ越したばかりの新居は、未だ片付いていなかったが、TVとオーディオのセッティングは完璧になっていて、臨場感そこそこにナイターを見れた。。私は阪神の優勝ビールかけTシャツを着て、ユニフォームを着、赤星選手のタオルマフラーを頭に巻いて、ペットボトルをメガホン代わりで応援体勢完了。片手には黒糖焼酎の「里の曙」の水割りをもって、ヒッティングマーチ歌いまくりの大応援を始めた。。最近、毎日焼酎を飲むようになっていた。仕事がかなりきつく、一緒に大分に出張三昧の他部署の先輩と共に、非常に不規則な生活、残業超過の生活を送っていたので、ストレスがかなり溜まっていた。お金は入るけど、休みは寝ているだけ・・・28歳ももうすぐ終わり、今年29歳という20代ラストイヤーなのに・・・という焦燥感が拍車をかけていたのか、毎日晩酌していた。そのせいか・・・元々月に一度の偏頭痛が、頻発するようになっていた。。TVのナイターは伝統の一戦に相応しく、一進一退。かなり燃える試合展開だ。最終回、阪神はここでついに逆転!その裏、きっちり押え、見事初戦白星スタートを切った!万歳三唱!六甲おろし大合唱!!そして祝杯で水割りを。。。人生最高の瞬間!って気持ちで一杯だった。
2005.04.02
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4月1日。今年のセ・リーグ開幕です。思えば昨年の開幕戦で阪神ー巨人戦をTVで見ており、逆転勝ちでテンション最高潮で脳の血管プッツン⇒クモ膜下出血でした。。早いものでもう1年。。今年もプロ野球開幕ですね。正確には4月2日が発症1周年なので、2日に発症の時の話を、3日に手術当日の話を書きます。。でもそれを書けるのは無事1年を乗り越えたあとになりますね。はい、はい。
2005.04.01
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