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2009.08.07
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カテゴリ: 戦国武将
美濃の国に生まれた明智光秀。
生まれは、享禄元年(1528年)と大永6年(1526年)、また永正12年(1515年)という説もあり、定かではありません。

はじめは斎藤道三に仕え、1556年、道三とその子・義竜の争いが勃発した際、道三側につき、明智城を義竜に攻撃されて一族の多くが討死しました。

鉄砲の射撃技術を越前の朝倉義景かわれ、彼に仕えたのち、織田信長に仕えています。

その頃、足利義昭は幕府の復興を願っていましたが、朝倉義景には天下の野心も器量もなかったため、義昭は、桶狭間の戦以来、勢力を増している織田信長を頼ることにしました。

1567年、義昭に見込まれた光秀は朝倉家を去り、両者の仲介者として信長の家臣となりました。
そして常に義昭と信長の間を取り持ち、
公家らとの交渉にも手腕を発揮したました。
1575年6月、信長の命により、丹波の経略に着手しました。


近畿を統率する地位に立っていました。

ところが同年の6月2日、本能寺に泊っている信長の警護の手薄なのに乗じ、突然これを襲い自刃させ、その長男信忠も二条城で倒しています。
豊臣秀吉があまりにも早く毛利氏と和して東上したために計画が狂い、山崎で秀吉らの連合軍と戦い、13日夜に敗死しました。

このとき光秀は、「敵は本能寺にあり」と発言し、主君討伐の意を告げたといわれています。
主君討伐の理由にはさまざまな説がありますが、
信長が光秀の立場を考慮しない言動が度々あったため、溜まりに溜まった恨みが動機となったという説が有力です。







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Last updated  2009.08.07 18:38:08
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