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2009.08.26
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カテゴリ: 戦国武将
「美濃の蝮(マムシ)」の異名を持ち、下克上の典型的な戦国大名である斎藤道三
元々は僧侶でしたが、油商人を経て、戦国大名にまで成り上がったと言われています

油職人から、縁により、美濃守護、土岐氏 小守護代の長井長弘家臣となることに成功しました

その武芸と才学で次第に頭角をあらわした彼は、
土岐守護の次男である土岐頼芸の信頼を得、
頼芸が彼の兄、政頼との家督相続に敗れると、
密かに策を講じ、1527年8月、政頼を急襲して越前へ追放し、
頼芸の守護補任に大きく貢献しました

さらには主君である長井長弘の除去を計画し、殺害に至りました



道三は頼芸の居城である大桑城を攻め、頼芸と彼の息子・頼次を尾張国へ追放し、事実上、美濃国主となったとされています

しかし、織田信秀より後援を得た頼芸は、朝倉孝景より援助を受けていた頼純と連携を結び、織田氏と朝倉氏の後援を受け、美濃へ侵攻しました

道三が織田軍を壊滅寸前にまで追い込んだこと・頼純が病死したことにより、道三と織田信秀は和睦しています

美濃の戦国領主として1554年まで君臨した後、彼は家督を子の斎藤義龍へ譲りましたが、
義龍の弟らにより愛情を注いだため、
道三と義龍の不和は顕在化し、1555年、義龍は弟らを殺害し、
道三に対して挙兵しました。

そして1556年の長良川の戦いで、自らの軍の7倍もの勢力を誇る義龍軍に破れ、最期を迎えました



戦国の世において、下克上を成し遂げるには、余程の才覚が必要とされたことでしょう
そして彼もまた下克上によって生涯を閉じたという事実は皮肉であり、
それもまた彼の運命だったと言えるのかもしれませんね。








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Last updated  2009.08.28 10:59:22 コメントを書く
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