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何かと便利になったと感じる今ですが、自分が若かった時の前世紀のほうが日本として味があり、人のふれあいの中で思いやり、おもてなし、絆などの日本らしさが心地よく、海外に出た時には日本こそいい国だ、日本にいた時はよかったなどと感じました。携帯電話、インターネットができ、徐々に人と人との関わりが薄くなり、電話をすることすら減り、メールやSNSによって実際に会う回数が減りました。これは便利でもあり、かつての通信費がほとんど掛からなくなりました。一方、電話やコンピューターは1人1台となり、個人インフラ資金が多くなりました。そして、このコロナ禍がいいタイミングでますます人の接点を減らしています。経済的な自粛や人流抑制は物価高を引き起こし、長引くコロナ禍は人の生き方、さらには人の考えや関わり方にも影響し、今までと異なる日常を作ろうとしています。人との距離を保つことを学習し、人同士の信頼を必要としなくなるのです。たとえお客であっても忖度やもてなしは必要なくマニュアルに従うシステム、嘗ての日本人的なサービスはなく、サービスはもちろん全て有料です。考えてみれば、これこそが人いなくして成り立つ社会の礎です。AIでは表現できない、人だからできる崇高な知恵や芸術性を解くべき時だと思います。人生100年と言いながらも一定の年齢に達すると着いていけなくなる時がきます。時代の変化が激しく、天変地異や紛争、テロ、経済の変動が頻繁に起きます。その度に目先の問題を何とかするために法律が改正されたり社会が分断されます。それまでのモラルや常識が覆され、古き知恵より新しさを正義とされます。岸田首相は周りの声や欧米諸国を意識し過ぎていて、国の理想や美学がありません。むしろ安倍元首相が「美しい日本」と言っていたのはビジョンだったかもしれません。国としてNo.1を目指す必要がない今、大切にするものと進歩を分けるべきです。世界には独自路線を貫く国が多く、先進国だから生きやすいというわけではありません。地球温暖化→二酸化炭素排出削減→エコ→コスト削減→人件費削減→国民の負担誰が考えたか、図式としてはよく考えられています。岸田首相の言う「新しい資本主義」の賃上げと言うのは病院などの公的機関優先、あとは大手企業に要請する程度ですが、企業の代わりに働くのは国民ではないかと。スーパーマーケットなどでセルフレジが増えていますが、将来はすべてそうなります。酒類販売可能年齢かなどの個人情報は人の目に頼っていますからまだ不完全です。しかし、ネットショッピングでは決済のために個人情報は売主に伝わります。生活における従来の人同士の信用信頼は個人情報の提供で置き換わります。売り手側はレジ対応の人件費を削減でき顧客情報も得られるようになるでしょう。また、買い手側は個人情報を店側に提供してポイントなどの特典を得ています。ところが、客側が一方的に不利になっているのが銀行の硬貨に対する手数料徴収です。ゆうちょ銀行では、ATMで口座に入金する場合でも硬貨だと手数料がかかります。窓口で人を介して入金する場合は硬貨50枚まで無料と言うから驚きです。硬貨を入金するためにATMではなく窓口に並ぶのは時代に逆行しています。今までとの落差があり過ぎてお年寄りは戸惑うのではないか心配です。郵便局や銀行にお金を預けても利息は殆ど付かず有料サービスしかないのです。従来の預貯金はお金を増やすためのものでしたがそうではなくなりました。利息よりもちょっとした手数料のほうが高く、結果的にマイナスになりやすいです。その結果、国も推奨する少額投資や積立NISAなどがはやり始めましたが、銀行では相談だけでも基本的に予約が必要、電話も担当者にはほぼ繋がりません。銀行のサービスはコロナ禍で一気に悪くなったように感じます。複利による長期の投資を勧めますが、一般的に言われているほど安定していません。一般的な投資では将来の生活設計がうまくいくとは限らないと思っています。銀行自体は信頼できる機関と思えず、個人的に親身に考えてくれる担当者が必要です。家の固定電話はもはや非常時のための回線でしかなく、かかってきても大きなリスクを感じるセールスばかりです。多いのはリフォーム、光回線の切替、マンション投資、中古買取、「お住みの町で特殊詐欺の電話が多くなっています」という警察からの電話。悲惨。
2022.01.31
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1ヶ月ぶりの通院でした。とても空いていたのが印象的でした。血圧とコレステロールの薬を2ヶ月続けた結果、随分改善されました。昨年暮れの検査の結果、血圧が高いことに特別な理由はありませんでした。ただ γ-GTPは下げる気力が湧かず変わっていませんでした。つまり呑むのはやめられなかったと言うことです…。今回も診察時に測られた血圧が日頃よりも低く、気分にもだいぶ左右されるようです。それでも、もう1ヶ月続けることになりました。しかも、さらに頻脈を下げる薬が1つ増えました。その名もアーチスト錠2.5mg。心筋梗塞や拡張型心筋症、慢性心不全、頻脈性心房細動の改善。効能に書いてあることが怖しいです。薬を毎日飲んで、血圧を測るのはまだ慣れませんが、1回上室性頻拍(不整脈)を起こすことを考えると全然いいし、血圧やコレステロールが安定すると気分がかなりよくなります。LDLコレステロールは小さな薬ひとつで劇的に改善されました。あとはどうやってアルコールを減らすかです…。どうやら近々肝臓の検査が入りそうな感じです。不整脈にはもうなりたくないないですが、このまま発作がなくなることを祈りつつ…。もう歳なのか、やはり病院の居心地はいいなぁと。
2022.01.25
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尾身会長と小池知事の発言の違いが取り沙汰されています。それぞれが難しい立場で世論=メディアの圧力を感じています。検査を減らしたほうがいいという尾身会長は本音であり現実的です。社会を回すが不要不急の外出は自粛しろという小池知事。両者の発言の争点はオミクロン株による症状や重症化は関係ありません。あくまでルールやシステム問題で、そのことで生活に支障が出るのであれば、破綻しないようにルールやシステムを変えるのは当たり前のことです。「それはできないからこうしましょう」を受け入れないのはなぜでしょうか。英国は感染減少に転じたと言っても1日10万人は日本の4倍相当です。それでも27日からマスク義務化などの規制を撤廃します。フランスは1月20日の感染者数が46万人ですが、やはり規制緩和の方向です。一時は世界を見倣うべきなどと報道されましたが、今の日本は逆です。ところで小池知事の「社会は回すが不要不急の外出は自粛」という発言ですが、社会、不要不急とは何を指しているのか、それは彼女中心のものの考え方です。飲食店やイベントを始め「店は開けて、客は自粛」と言っていないでしょうか。仕事上はOKだが、個人的なことは自粛でしょうか。結局受けとり方は自由です。しかし、真面目に受け取れば以前と変わらず一定の人だけが不利益を受けます。不要不急の外出を皆が自粛した場合、お客相手の業種はマイナスになります。例え感染者数が減ったとしても、自殺者が増えるのではないかと心配します。もっともなことを言っているようで、偏ったことが言われているのです。TBS系「情報セブンDays」で北野武さんが番組冒頭で次のように話しました。「大したことないって言えばいいんだよね。単なる風邪だと言えばどうってことないじゃない。だって自殺者なんて2万人出てんだよ、年間。それ考えたら重症者や死んだ数なんてどうってことないんだよ。ジジイがくたばってるだけなんだから。オイラみたいな。若い人なんか全然軽傷で酒飲んでて人数が増えるに決まってるじゃない。そういうこと言う人がいないんだって!俺が言ってやるから。どうせ(番組を)俺やめるんだから。ガンガン言ってやるよ。冬に風が流行った時と同じ状態で考えたほうがいいって。あと、重症化する人は自分で自覚があるんだから、持病がある人とかその人達だけ一生懸命サポートしてやればいいんであって、しようがないよ。うちの(弟子の)清水さんは家族でオミクロン皆かかちゃって、元気な声で電話があって「行けませんよー!」濃厚接触者に皆なっちゃって「濃厚接触者デース!」なんか抽選に当たったみたいな感じだったよ。」これを言ったのは番組から下りることが決まったからだと思われます。他局ではこのような趣旨のことはまったく感じられなくなっていました。結局、仕事上言えないこと、できないこと、忖度していることがあり、そのような呪縛から解放された時に本当のことができるのです。
2022.01.24
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何をしてもいずれ終わりは来ます。生きるうえでもっとも重要なのは引き際なのだろうと思っています。しかし、多くの人は一つのことを長く続けることを考えています。目標は何か?ただ続けることだけが目標になっていないでしょうか。引き際の難しい代表格にオリンピックのアスリート挙げられます。早ければ20代、どんなに頑張っても人生の前半にピークがきてしまいます。しかもメダリストは引退した後の人生について難しい選択を求められます。そして、次の人生がうまくいけば再び脚光を浴びることになります。引き際は絶好調に近い時期に目標達成表明と同時に行うのがベストだと思っています。それ以外のことが考えられず、継続不可能になるまで続けるのがNGではありません。ただ良い結果が出ないのに続けるとピークだった時の印象が薄れてしまいます。むしろピーク時に引退して惜しまれつつ次のことを考えることが重要だと考えます。ピーク時に引退表明した人、突然の事故などに巻き込まれて亡くなった人は、その後も惜しまれて機会があれば回想されることが多くないでしょうか。人は環境を変えることによって成長しますから、敢えて引くことは大有りです。経済面を考えると引くことには勇気が入りますが、今の時代には合っています。岸田総理の政治的判断が就任100日で朝令暮改と言われるのは、良く受け取れば他人の言うことをよく聴き調整しているとも言えますが、自分の意見をすぐ変える、あるいは自分の意見がないとも言えます。政権を少しでも長く持たせたい支持率のためではないかと見えます。コロナ禍は政府が対策を打っても局面は大きく変わりませんでした。感染拡大を防ぐサポートを政府ができても責任があるとは思えません。それを認識していた菅総理は何をやっても批判を受けることを覚悟で、トップダウンで経済とワクチン重視を貫いたのは彼の信念だったと思われます。誰が総理であっても完全に収束させるのは無理だったにも関わらず、責任を取るかたちで身を引きましたが、それも覚悟のうえだったと思われます。やり残したことがあるから続ける、やり遂げたならば身を引くのが理想です。より期待していたところで身を引いた時には周りの人に惜しまれます。中高年が若者に「昔は◯◯だった」とか今の自慢を言っても逆に引かれてしまいます。実は想像もつかないような業績があり尊ばれるべき人はたくさんいますが、自慢を言うことが昔よりも酷く好感度を落とすことに気がついていないようです。どんなに立派な経歴と見識があったとしても、時代に沿っていません。テレビの年配コメンテーターが、無理な例えとして自分の昔話や自慢話をし、不必要な上手くないダジャレを入れたりするのは自己顕示欲を感じさせます。司会のアナウンサーから想定された答を忖度し国民代表のように批判します。一個人の感想をいかにも専門的な発言のように装うのも特徴です。時事ネタについてはネット上でいくらでも調べることができるわけですから、的確な情報は詳しい若者が長けています。その事象をどう解説するかが注目されます。そこで自分が生き延びるために忖度せず、自分の意見を言うことに価値が認められます。例えば、年配のコメンテーターに反対意見を言える古市憲寿氏は好感します。コロナ禍では感染流行を操作するのは天変地異と同じくらい難しいとわかりました。一部の学者や医師は当初より予測していたと思われますが、それを人災のように批判し、いつまで経っても一部の人に自粛や我慢を求める対策を促すことには閉口します。欧州などがオミクロン株の重症化の減少を理由に制限解除しているのはいい契機です。もはやコロナ禍をどのように収束させるのか、その引き際に注目されます。視聴率が高く不安を煽る話題に事欠かないコロナ報道は減らすべきだと思います。多くの人は制限こそ受けてもできることはずっと変わらないことがその理由です。前を向きたくても向けない人が増えることは日本を後退させます。
2022.01.22
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日本で新型コロナウイルスの感染が欧米に比べて広がらないのは、日本人の気質や習慣、文化が関係していると想像できます。日本人は良くも悪くも新型コロナウイルスに感染しない生き方ができます。それは凄いことでもあり、おかしいと指摘されることでもあるでしょう。海外にもいろいろな人がいて価値観は異なりますが、例えば誰とも会話をしないで仕切られて壁に向かって食事をする、会食をする際も会話をする時にはマスクをする、合理的なのは手摺、吊り革、買物かご、ドアノブなどを持つと必ず消毒をする。これらを意識的に徹底できるのは日本人の細かさです。しかし、会話のない食事、自由な食事、親しい人とのスキンシップができないのは、何のために生きているのか?ということを考えるうえで良い機会だと思います。新型コロナウイルスに感染しないために生きるという生き方はないのです。日本ではコロナ禍にそろそろ結論のようなものを求めている潮目です。これまで、感染対策を各自が行い、自粛もし、ワクチンも打ちました。しかし、予測や批判は大した効果もなく一定の人に大きな損害を与えました。感染予防が万全な人はずっと感染せず我慢を強いられているだけです。このブログで2020年初頭から見事に書いてきたとおりの世の中になりました。事実のみが知識として知りたいところに、予想や推測、批判を吹聴し、一部の人の有利な展開となり、多くの人は我慢を強いられることになりました。2022年はさらに露呈し始め、人々はコロナ禍に飽きてきました。しかし、コロナ禍で稼いでいる人も多いようで簡単に収束はしません。「オミクロン株には油断できない」「新型コロナの重症化率や死亡率は、風邪やインフルエンザよりもまだまだ高い」と言っている専門家がいます。以前から言われている病名や死因のカウントの仕方にカラクリがあるようです。自分が子供だったり若かった頃に、風邪やインフルエンザで学級閉鎖が起きました。冬になると1クラスに10人くらいの欠席者が出て、1-2週間休みになるやつです。自分のクラス以外であっちのクラスもこっちのクラスもとなると、子供なので休みになることが羨ましかった記憶があります。これが今で言うクラスター感染です。罹ると病院に行き自宅隔離です。目の当たりにあの人もこの人も感染した感じでしたが、今はそれほどではありません。風邪やインフルエンザで子供が亡くなったと言うのは聞きませんでしたが、そもそもどんなお葬式でも風邪やインフルエンザで亡くなったとは聞きません。つまり、「風邪(インフルエンザ)を拗らせて肺炎」などや、基礎疾患が悪化したり、臓器に細菌やウイルスが感染する場合は「敗血症」などが死亡要因で、超過死亡概念という考え方ではインフルエンザ起因の死者は年間1万人と言われています。厚生労働省によると死因がはっきりインフルエンザなのは年間多くて1,818人です。2020年の日本の死者数は137万人で、1日に3,750人が亡くなった計算だそうです。死因は1位が悪性新生物〈腫瘍〉37万人以上、心疾患、老衰、脳血管疾患と続き、8位に自殺で約2万人、もちろん新型コロナウイルスという名称は見当たりません。また別に原因が新型コロナウイルスとされている死者数は2年間の累積1万8千人です。数から言えば、どう考えても基礎疾患やがん検診は怠ってはいけないでしょう。ワクチンを打ったことによってか、オミクロン株の特性かはわかりませんが、重症化はかなり低いわけですからコロナのための自粛は必要ないと思います。むしろワクチンを打っても陽性にはなるわけで、ブレイクスルー感染は防げません。感染者数を減らすためにワクチン、ワクチンという人が今だに減りませんが、ワクチンを打っても感染者数が減るわけではなく、重症化しないことを認識すべきです。日本は感染の流行が海外に比べて低い特徴がありタイミングがずれていますが、ワクチンと薬があれば、このウイルスのみに経済的規制まで加える必要はありません。何のために生きているのか?人間だから創り出せた文化を堪能するためです。コロナ禍はその文化を壊していく人間の欲やエゴを露呈させている気がします。それを感じた人は、人間が築いてきた文化の尊さを改めて考える機会にもなりました。自分のためだけではなく人と共に生きていくことを考える人こそが素敵なのです。
2022.01.19
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自分が若かった頃はどうだったかと考えることが増えました。昔なかった年中行事はハロウィンです。今の成人式とは何の意味があるのでしょうか。節目の30歳、40歳になってもこれと言って何も変わりません。成人になると、賃貸借契約、携帯電話契約、雇用契約、クレジットカードの作成、示談契約、薬剤師や司法書士の資格契約、10年有効のパスポート契約、性別変更、国籍の選択、民事裁判の原告・被告になれる、出会い系サイト経営ができる、民生委員、人権擁護委員になれる、不法行為・契約の責任追うなどができます。成人は世界的に18歳らしいので日本でもそれに合わせて4月から変わります。ただ、成人時には学生であることも多く、多くの人にとっては責任が増えるだけで、成人を迎えたからと言って劇的に変わる人は限られています。つまり、実質は皆で祝うほどのものでもないと思われます。自分が成人を迎えた時は何の実感もなく嬉しくもありませんでした。当時は、何歳になってもまだまだ子供、人として一人前になる道のりは長いと言われ、事実30歳になった頃にもまだまだ知らないことが多いと自戒したことを思い出します。しかし近年、少子化が言われるようになり世の中の意識は変わり始めました。子供や若者が必要以上に大事にされ始め、世の中の中心が子供や若者に変わりました。大学は全入学時代を迎え、入試のハードルがずいぶん下がりました。学びも必修よりも選択制になり、何につけ選択して生きていく子供や若者に対して、親や大人は万障を廃して希望を叶えることが美徳とされるようになりました。子供や若者が望むことを叶えてあげたいという親の気持ちはわかりますが、世の中においては同じことを求めても叶わないことも教えなくてはなりません。そこには面接、試験、オーディション、コンクールなどの勝ち抜く方法が蔓延し、負けた時の悔しさから負けず嫌いの自己中心的な考えが頭の中を占めるのです。もちろん勝ち抜かなければ食っていけませんから逞しく生きていくことは必要です。その結果、いつまでも子供のままでいたい衝動に駆られたり、責任は取りたくなく、感謝は表現しても謝ることはできず、大人としての信頼が深まらない傾向があります。また、競って1位であればよくても、それ以外の大勢はやるせない傷心に浸っています。大人は強者を決めることよりも、弱者を救ったり可能性を広げてあげるほうが、何倍も必要なことであって、夢を持たせるのであれば叶う術を教えることです。子供のまま大きな夢を追い続け、なかなか叶わないから大人になれない、そんな若者をよく見ますし、逆に大人はそんな若者にうまく取り入るのです。今の成人式は20年目の誕生記念を着飾るお祭りで、むしろ非現実感が強いです。大人が子供に目線を合わせて教育することはよくやることですが、公然と子供のような価値観で言動し同化している大人も増えていると感じます。忘れてはならないのは、人生の経験から得る機微は大人の象徴だということです。
2022.01.15
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血圧とコレステロールを下げる薬を飲んでいる身としては、呑んだり脂っぽいものを食べるのはよくないのですが、美味しいものを食べることが日々の楽しみでもあって、今では本当にごくたまにしかやらなくなった家呑みも譲れません…。2021年末の家呑みビストロ「い◯げや」です。自分でつくったものはひとつもない1人用に盛ったオードブルから始めました。イタリア産コッパ、セロリのマリネ、そして柿のミルフィーユ。柿のミルフィーユはマイルドな干し柿にバターが挟まったものです。続いて、カルパッチョはほぼいつもどおり。魚は鯛でなかなかいい柵が手に入りました。さて、この日の新作メニューはアヒージョです。家のアヒージョは普通は言っていないものが入っているので出汁が効いています。結果、この真ん中の黄色い物体は鱈?と間違えるほど味も食感も変わりました。これは鰤!ならぬブリーです。チーズです。最近カマンベールのアヒージョをよく目にするのでブリーでもいけるはずとつくりました。この日のワインはメドック、オー・メドック、ボルドーでした。オー・メドックはこの日にいただいたシャトー・ボーモン2016です。豚肉、白菜、もやし、葱の炒め物。全く普通のおかず。唯一の和風。最後はじゃがいも、ソーセージ、葱のブルーチーズ。これは洋風でクリームで煮ますから、上の炒め物とは全く味が違います。いつもながら、結局黄色ばかりで濃厚な味付けのものが揃いました。たぶん身体にはよくないのだろうなあと思いましたが、次の日からは節制します!
2022.01.07
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感染率が高くて重症化率の低いオミクロン株。木村もりよ氏の言うとおり既成の感染症レヴェルです。感染率が高いのであれば、それこそ人流を規制すべきです。重症化率が低いのに今だに感染者数だけで全てを押し測るのも疑問です。コロナ禍前に戻ったかのように年末年始を過ごしたわけですから、感染症の予防に慣れている日本人でもそりゃあ感染します。それでも次の変異種はどうかわからないから感染症レヴェルを落とせない、などとずっと不安を煽る人が出てくるのでしょう。何でもいいのですが、木村もりよ氏のいうとおり社会活動を止める必要はありません。そもそも今まで批判的に言われてきた(ワクチンなど)ことが成り立ったにも関わらず、結局そんなに変わらないわけで感染者の増減するタイミングがずれているだけです。それでも日本は海外に合わせてロックダウンするほどではありません。このような感想を皆が持っているために、もはや緊急事態宣言どころか蔓延防止措置すら出し辛い状況になるのは当然です。自由を優先した結果がどうあれ、ロックダウンしてもしなくても変わらなかったのです。日本は世界から見れば蔓延したというほどでもなくうまくいっているのです。
2022.01.06
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自由と言いつつも暗黙の型がすぐに生じ、皆が平均的になる世の中。画一的にオーディションや試験で決まる競争社会。仕切る側は本当に確かでしょうか?モラルさえも一方的で抑圧的に広まり、まともな議論はされません。戦後から続く欧米コンプレックスが根強く経済的にしか自らを誇れない民族。期待されている人が期待どおりの結果を出すと称賛の嵐、期待されていない人が図らずも同様の好成績を出すと一時の称賛はあっても、時間が経った頃には周辺の人に嫉妬が生まれ、奴にできたことが自分にできないはずはないとさまざまな感情が生まれます。期待されている人は何をやってもごく普通のことが美談となり、期待されていない人は何をしても取り沙汰されません。期待されている人には早くからマネージャーやディレクターに類する人がいて、生まれた時からその運命を持って生まれてきたと言っていいと思います。マネージャーやディレクターに類する人とは近い場合は親であったりもします。勉強することは努力で何とかなりますが、それを活かせるかどうかが問題です。人の出会いは奇跡に近い運命です。人生はいい出会いを捉えられるかで決まります。自分の人生を変える極めて稀な出会いを絶好のタイミングで果たせるかどうかです。よって、出会いに感謝、一期一会を大切にすることは何より重要だと考えます。リモートよりリアルに会って得られる信頼が何より大きいことは明白です。そして、リアルに見聞きしたことこそがもっとも身につく経験になることを、コロナ禍でやっと気づいたという人もいるようです。また、人は誉められるとやる気が出るとよく言われますが、誤っていることは正され、それを受け入れることも学習しなければなりません。しかし、人は責任を負うことを嫌い、謝ることが徐々に減ってきたと思われます。実質は責任がある立場であるのに、責任が生じるコミュニケーションを避けるのです。家のマンションに入居した当時から付いている洗面台の蛍光管が切れ、近くの大手の家電量販店に蛍光管を持っていき同じものがあるかと店員に聞きました。居合わせた若い店員2人がその蛍光管は見たことがなく型番も経年劣化で消えているため、取り寄せたり問い合わせることができないと言います。そこで「パルック」という文字はうっすら読めたのでホームページで調べると言ったら、今売られている蛍光管や管球がたくさん出てくるだけで絶対見つからないと言います。そこでその場は引き下がりましたが、結論としては諦めたほうがいいとのことでした。彼らの経験に基づいた話なのでしょうが、店側は何とか解決策を出す立場では?と。最近の企業のホームページにはお問合せの電話やメールができるようになっています。パルックはパナソニックで、お正月でも繋がる優れたオペレーションでした。洗面台の器具に蛍光管の型番まで書いてあることを教えてくれて一件落着です。対応された電話オペレーターの方のプロ意識の高さにも驚かされました。これらの出来事は今の若者を象徴していると思います。経験に基づく話を得意げにしたものの解決にはならず、インターネットは器用に操るもののアナログな電話問い合わせやメール問い合わせなど、局面を本気で打開するほどのコミュニケーションは回避してしまいます。画一的な方法は知っていますが、それ以外のコミュニケーションは避ける人が多いです。できれば人との関わりを持たずに業務を行いたい、判断を委ねられるのが苦手で、隅から隅まで決められたマニュアルに沿って自己責任は回避したいのでしょう。しかし、これらは今後AIにとって変わられる程度のことです。今の時代は極力直接人と会わなくても生きていけるかもしれません。しかし、百聞は一見に如かず、会ってみてわかることはたくさんあります。自分が年齢を重ねるにつれて、若い人とのある種の溝はよく感じるようになりました。IT化に伴ったコミュニケーションの変化は佳いと感じたことがありません。
2022.01.04
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