PR
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着
サイド自由欄

閉ざされた寺、三人の子ども、スキンヘッドで大きな目の男、見慣れない整体、タバコとボクシング、天井のはしご。
現実の自分に寄り添いながら、心の深部と日常には存在しない裏側を探る。「普通じゃない」夢の羅列、その深堀り、読者と一緒に旅していきます。
最後は、夢分析の手法もちらりと紹介。
夢のスタート地点には“探す”行為が横たわっている。
探し人がいる夢は、ほとんどの場合、自分の中の「行方不明の部分」と向き合うための装置だと捉えてみてほしいです。
表層的な「誰か」や「モノ」ではなく、心の奥の「欠落」や「無意識下の課題」といった曖昧な何かを追い求めている状況が反映されます。「何を探しているのかわからない」まま進むこと自体が、人間心理の根源的な不安を刺激する。
三人の子どもは、理屈だけでは切り分けられない自分の一部。純粋さ、守るべき存在、幼いころの記憶、あるいは未熟なまま「置き去り」にされた成長。それぞれが自分の固有の「弱さ」「夢」「希望」を表していて、その失われた部分を「探す」作業が、夢の冒頭でワークショップのように繰り返されていく感触です。
スキンヘッドの大人、しかも目が大きく顔が怖いというのは、抑圧された感情が「見える化」したシンボルです。これは作者の内面の攻撃性、社会的な圧力、不安、または強いリーダーシップの欲望の現れ。正体がはっきりしないまま強烈な印象だけを残すその存在。「怖い人」が夢の中で重要な役割を担うのは、心理的な抑圧や恐怖を外化し、直面させようとしているためだと思うと面白いですよ。
夢の舞台は田舎、その中心には閉ざされた古いお寺がある。お寺はしばしば「浄化」「再生」「精神の拠り所」「先祖・伝統」といった集団無意識を象徴する空間です。そこでの探索は、内なる記憶やスピリチュアルな部分まで踏み込んだ自己分析に近い行為と言えるでしょう。
綺麗な整体師がマッサージをしている、しかも女性が「痛い」と感じる――ここには癒しと痛み、快と不快が複雑に重なります。「自分が他人をどう扱い、またどう扱われてきたか」を問い直すシーンとも受け取れる。
タバコをもらうというのは、強面の人物と一時的に心を通わせ、自分に「休息」と「選択肢」を与えてもらっているサインです。迷い込んだ田舎道の端でタバコを吸いながら、今ある焦燥感や閉塞感に、静かに自分のペースで向き合っている。
ボクシングの指導やシャドーボクシングの夢は、抑えきれないエネルギーやチャレンジ精神が渦巻いている証拠。厳しい状況下でも自らを乗り越えたい――夢には、そんな真摯な誓いも刻まれている。
高揚感と危機感が同居するシンボリックな場面。夢に現れる若者の肉体がある種の「理想像」、あるいは努力や目標への執着心、自己鍛錬に対する憧れとして投影されています。
父親が能力者として登場するのは、頼りになる指導者、導き手、絶対的な後ろ盾が欲しいという心理。その二律背反が、夢の展開のなかに滲んでくるのです。
見知らぬ人の多いハイエース、大きな車だからこそ「人生のステージを広げていく」テーマとして浮かび上がる。社会性や自律性、礼節への意識も葛藤としてにじむ。
田舎道の端っこでしゃがみ、タバコを吸う。一息ついて静かな時間。その下の井戸、ブロック塀――これこそが、自分の中の最深層。「見つかっていないもの」が詰まった記憶の貯蔵庫に、一歩踏み込もうとしている。
夢とは、現実でどうしても消化できないもの、言葉にしきれない思いを、意図せずして心が映し出してくれる“裏画面”。
「苦しい時こそ、夢がヒントをくれるかも」と思った日は、流されるままただ“現れた”映像を、こうして解きほぐしてみてください。
表面的な日常をくぐり抜け、自分だけの「物語」を持ち帰ろう。考えること、感じること、それ自体に大きな価値が宿っていると、夢は密かに教えてくれています。
欲望と知恵のバランスを考える 2025.11.22
時間の尊さを見失わない生き方 2025.11.07
人間の本性と世の虚実を照らす:吉田兼好… 2025.11.04