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かなりどうでもいい事実をひとつここで明らかにすると、僕はこれらの文章を全て10分以内で書くようにしていて、その上推敲もろくすっぽしていない。公開する以上、他人が読むと考えるべきでだとすると、読みやすいものを書くという心構えが最低限必要であるということは否めないものとなる。僕はそれを分かっていて、それを踏まえた上で、僕はこういったスタンスを敢えて行っているそうなると、『資格』、そう、『公開する資格』が存在すると仮定するのであるならば、今の自分にその資格があるかどうかは疑問である。その疑問に対する自己弁解をするのであるならば、『瞬間に賭ける魅力』である。長々と時間をかけて作り上げていく作品には、当然ながら丁寧な作業をバックボーンとした確かな完成度、そして綿密に計算された美しさがある。しかしながら、瞬間の美。ほんの短い時間にのみ、表現されるもの。そこには時間をかけては作り出せないものがある。たとえば花火。一瞬に見事に咲き誇り、漆黒の空へと消えゆくその大輪の花は、万人を惹きつけて止まないものである。すなわち。僕はその美しさを表現するに当たり、この様なスタイルをとっているのである。でも、全然おもしろくない。
2005.05.31
子供の頃の夢は何だっけかと、残業をしながら頭に浮かんできて。多分だけど僕は子供の頃はこんな自分を想像できなかった。そう思ってみて、少しだけ虚しくなるセンチメンタルタイム。誰だって、子供の頃は夢でいっぱいだったもの。パン屋さんや、おもちゃ屋さん。ケーキ屋さんに、お巡りさん。果ては正義の味方まで。何にでもなれると思って疑わなかったあの頃。空だって自由に飛べると思ってた。(大人になって、お薬でトんじゃう人もいますが)パソコンの前でため息をつくなんて思ってなかった。未来は明るく、輝いてると思ってた。窮屈じゃあない。確かに今の仕事は窮屈じゃあない。少なくともネクタイに締め付けられる仕事ではないし、面白くない仕事でもない。けれども今の姿は輝いているのだろうか。けれども口からこぼれ出るこのため息は何?昔の僕は今の僕を見て何と言う?ありきたりなことだけれども、自分で自分に問いかける。彼は。あの頃の僕は。何を夢見ていたのだろう。保育園のアルバムを開く。無邪気で眩し過ぎる笑顔。心なしか真っ直ぐに見れない。「しょうらいのゆめ」そう書かれたページには真っ青な空とカラフルな飛行機。ビシッと制服らしきものに身を包む姿。僕は。僕はパイロットになりたかった。空を、飛びたかった。今は、社屋の窓から見えるだけの空を。悪いことしたなぁ。ふと、そう頭をよぎった。保育園児だった頃の僕に対する罪悪感。小学生の僕は。そう言えば小学生の僕はどんな夢を描いていたのだろう。少しずつ知りゆく現実という名の厚い壁。それでも、ずっと、夢を、未来を、眩し過ぎるほど鮮やかに描いていたのだろう。少なくとも今の僕よりは。小学生の頃の文集を開く。僕のページ。ヘタクソな似顔絵。キレイに書こうとしても、はみ出してる文字。溢れんばかりの子供らしさの溢れたページに、僕の夢が、書かれていた。将来の夢 「スーツを着ないでいいサラリーマン」夢、叶ってた。
2005.05.30
サンボなんちゃらというお兄さん達が非常に人気があると最近よく聞くので、人気のあるものを常に先取りすればモテると思い込んでいる俗物精神の塊の僕は颯爽とタワーレコードに駆け込むのですが、失礼ですがどう見ても人気のある顔に見えません。近所の大学生のお兄さん(金は基本的に無い)を髣髴させる風貌でしたが、これは。と思ったのです。外見ではなく、中身を、中身を見て人気が出る、そういう時代が到来したと思ったのです。サンボのお兄さん達はすごく語りかけてくるらしいのでとても人懐っこく、そして人気が出たんでしょうか。だとすると、僕が語りかけようとも、明らかに怪訝な目で見られてしまいますので同じようにしても人気は出ません。とはいっても、サンボのお兄さん達は歌を歌ってらしてる皆さんなので人気はやはり歌にあるのでしょう。中身などあれこれ考えた所で見えやしないですし、ファンの人たちだってみんながみんなお兄さん達に語りかけられた訳では無さそうですし。何の変哲も無いお兄さん達が人気が出るのですからやっぱり歌は偉大なのです。歌が無かったらお兄さん達も市役所とかで働いているの違いないのです。だから歌うことにしました。自転車に乗ってるときに歌を歌うことにしました。前より怪訝な目で見られるようになりました。
2005.05.29
先生「高井くん」高井「はい」先生「これは一体なんですか?」高井「はい、魚肉ソーセージです」先生「高井くん、先生言ったわよね?」高井「はい」先生「先生、何て言った?テストの時はふでばこに何を入れるって言った?」高井「はい、鉛筆だけです」先生「そう、先生言ったわよね?鉛筆だけって言ったわよね?」高井「はい、言いました。先生は言いました」先生「高井くん」高井「はい」先生「じゃあ、これはなぁに?」高井「はい、それは鉛筆です。HBの鉛筆です」先生「そうね、トンボのHBの鉛筆よね」高井「はい」先生「じゃあ、こっちは?」高井「はい、それは魚肉ソーセージです」先生「高井くん、みんなのふでばこの中は鉛筆だけです」高井「はい、鉛筆だけです」先生「じゃあ、この魚肉ソーセージはダメじゃないの」高井「はい」先生「魚肉ソーセージは鉛筆じゃ無いわよね?」高井「はい、鉛筆じゃ無いです」先生「高井くん」高井「はい」先生「じゃあ、魚肉ソーセージは、取り上げね」高井「でも」先生「何ですか、高井くん。言いたいことがありますか?」高井「はい」先生「何ですか?」高井「はい、その魚肉ソーセージはDHAが含まれてるんです」高井「DHAが2倍含まれてるんです」
2005.05.28
先生「高井くん」高井「はい」先生「これは一体なんですか?」高井「はい、魚肉ソーセージです」先生「高井くん、先生言ったわよね?」高井「はい」先生「先生、何て言った?おやつはいくらまでって言ってた?」高井「はい、300円までです」先生「そう、先生言ったわよね?300円までって言ったわよね?」高井「はい、言いました。先生は言いました」先生「高井くん」高井「はい」先生「じゃあ、これはなぁに?」高井「はい、それはおやつです。僕のおやつです」先生「そうね、高井くんのおやつよね」高井「はい」先生「じゃあ、こっちは?」高井「はい、それは魚肉ソーセージです」先生「高井くん、こっちのおやつは300円分あります」高井「はい、300円分あります」先生「じゃあ、こっちの魚肉ソーセージはダメじゃないの」高井「はい」先生「魚肉ソーセージ入れたら300円超えちゃうわよね?」高井「はい、300円超えます」先生「高井くん」高井「はい」先生「じゃあ、魚肉ソーセージは、取り上げね」高井「でも」先生「何ですか、高井くん。言いたいことがありますか?」高井「はい」先生「何ですか?」高井「はい、その魚肉ソーセージはお弁当です」高井「お弁当なんです」
2005.05.27
自分が猫だと悟った次の日、会社の食堂で鯖の塩焼きではなく、豚のしょうが焼きを手にした自分を見て、ははぁ、これは。と思ったのです。どうやら僕は猫では無かった。猫なら迷わず鯖の塩焼き。むしろ鯖を生で食う。豚のしょうが焼きを手に取った僕は猫ではない。というか猫になる資格など無かったのだ。僕は再び絶望の底に落とされるのです。猫、ねこ、ネコ、NEKO・・・繰り返しつぶやけど、僕は猫ではない。でも、別に猫になりたい訳ではないので別にいいです。猫耳は好きです。でも。ヲタじゃないです。(メイド服のよさがいまいち分かりません)本当の自分をまた見失ったようです。でも。ヲタじゃないです。少なくともヲタじゃないです。繰り返し否定すると怪しいですが違います。そうだ。閃きは唐突に訪れるものである。このブログのコンセプトを、『自分探し』にしてみよう。日々を綴ると同時に(既に綴っていませんが)本当の自分を。探すんだ 。と思ったけど、めんどくさいんでやめます。自分が何であってもしょうが焼きがとても不味くてテンションが下がってそれどころじゃない。畜生、しょうが焼きの野郎め。俺のテンションをこんなにしやがって。食べかけのしょうが焼きをブチブチに細切れにするだけしてポイとした。カッとなってやった。今は反省している。(腹が減ってるんです)
2005.05.26
すごくマジメに話をしていたんです。すごくね、マジメだったんです。少なくとも僕はマジメな話をしているつもりだったのに、「お前とはマジメな話は出来んわ。」「お前のギャグってホントつまんねーのな。」と言われました。あれ?おかしい。これはおかしなことですよ。僕はマジメな話をしているのに、あろうことかギャグだと言われる訳です。(しかも面白くないと言われる屈辱付きで)そしてそれは由々しき問題なのです。すなわちコミュニケーション不全。僕のマジメさが、つまり、僕の伝えたい内容がうまく相手に伝わらない。もっと言うと、僕の言葉が不適切なんです。そしてうまくコミュニケーションが出来ないと相手と自分の関係に亀裂が入ります。言葉が不適切なだけに不適切な関係に。じゃあ、何か。ひょっとすると僕は日本人では無いのではないでしょうか。自分ではこの20年間と少しの間、日本人だと思い込んでいましたがここまでコミュニケーション不全ともなると異文化コミュニケーションですよ。文化の違いに起因するとしか考えられない。不適切な関係ということは元・米大統領と同じ。つまり僕はアメリカ人なんだ。そう言えばこの出張った腹は、肥満大国のアメリカの住人のそれを髣髴させる。と言っても、だ。よくよく考えてみれば僕は英語を喋れない訳でこのままアメリカ人ですと言い張っても結局アメリカ人ともコミュニケーション不全。いやしかし困った。じゃあ僕は何人よ。もしかすると人では無いのかも知れないですね。そうだ。人にこだわる必要は無くて、大体そんな凝り固まった頭では、これからの時代生きてはいけない。柔軟に、柔軟に。さぁ、僕は何だ?一体なんだ!?何でもいいぞ。僕は何にだって成れる!いや、違う。何かに成るんじゃなくてそもそも最初っから「何か」だった訳でその「何か」を見つけなくちゃいけないんだ。自分探し、って奴だな。けれど、今のこの状況はとても不安なのです。自分が「何か」が分からない。分からないものに恐怖するのは生き物全てに共通すること。僕は自分が「何か」が分からない恐怖に震えながら孤独に夜道を自転車に乗っていたのです。暗い暗い夜道に猫がいました。一匹。恐怖と孤独でいっぱいの僕は自転車を止め、猫に近付きました。温もりが、温もりが欲しかったんです。手を差し伸べ、おいでおいでとしました。猫はぴょんと近付き、体を摺り寄せてきました。正に猫まっしぐら。通じた。僕の、思いが伝わった。コミュニケーション、成立。そうか。そうだったんだ。僕の全身に衝撃が走り、そしてその直後に僕は全てを悟ったんだ。僕は猫だったんだ。僕は、猫だったんだ。にゃー。
2005.05.25
隠れて何かをするという行為は、すべからくスリルという興奮が付きまとい妙な高揚感と興奮を得ることができる。その行為がモラル的にどうこうということもあるけれども秘匿にすべきものであればあるほど、行為に対する興奮度は高まることなんて幼稚園児だって分かる。とは言っても幼稚園児のするそれなんてこっそりつまみ食いする位の物だしそれでも、つまみ食いした料理の美味しさは食卓に並べられたそれに比べて遥かに上だということは万人に共通する記憶だと確信して止まない。たかが、タクアンだぜ?なんであんなものをウマイと思ってたんだ、俺は。暖かくなると、野外SEXに興じる者も増える。当然、押さえ切れない性欲がやがて獣性に近い衝動となり場所を選ばす、という場合もあるだろうけど、『外の方が興奮するから』とかいう理由のほうが強いんだろう、このエロ助が!!万引きだって、お金が無いからするんじゃなくて、スリルを楽しみたいだけである。こと、ココ日本に於いてはほぼ確実に。だからって、バラエティ番組に出てまで言わんで良かろうもん。どんだけスリルを味わいたいんですか。Mですか。ああ、バカですか。隠れてこそこそ、という響きには弱小で姑息なイメージしか沸いてこないものであるが、その裏に潜む確かな愉悦と快感は、誰しも知っている。恐らく、快感は全ての人に共有できるものであるし、しかし決して共有はしたくないものであると誰しもが思う。ねぇ、あんたもやってんだろ?仕事中にネットサーフィン。俺もだよ。今、仕事中なんだ。
2005.05.24
仕事の愚痴をこぼすのは簡単だ。どれだけでもこぼせるし、(ビールがあれば尚、結構。)『やってらんねぇよ!』なんて日々の口癖になっている。そうやって僕は、毎日を送ってきたし、これからも送っていくだろうなんて考えると寒気がして、でも、金銭だとか、社会的地位だとか。そんなしがらみにクネクネと巻き付いて離れられない自分を、拒否することもできない。周りの人間もそんな人ばかりでこれはもう、生きる意味とか本当の自分とか来世とか神様みたいなものにでも縋ってしまいたくなる人が居てもおかしくは無いんだな、と、僕はやっと理解するに至る。結局、宗教だってビジネス。この世の需要を満たす為のものでしかなくてこの場合の需要は救われない空虚の心を満たす何か、である。誰だって、そりゃあ、安定したいさ。僕かてそうやん。仕事の愚痴、誰かに聞いて欲しいやろ?愚痴ってばっかで、この先どうなるか不安やろ?朝から晩までPCのキーボードぶっ叩くのは、もう飽きた。どこか遠くに行かなきゃ、自分もエセ教祖の醜い腹をより太らせる人間の一人になってしまいそうだ。なんまいだー。ほら、既に僕の精神は冒され始めてる。好きな事を、好きな事をしなきゃ。僕はこんな不健康にPCの前にだけ座りカタカタと無機質な音を立てているだけで満たされる人間じゃない。何か好きな事を始めなきゃ。こんな所から早く抜け出さなきゃ!!さっそく家に帰ってPCを立ち上げました。
2005.05.23
女の子が『僕』という一人称を使うのは、果たして本当に"萌え要素"になり得るのか。結局のところ、その子が可愛いかどうかに起因するのでは無いか、と一人電車に乗りながら、思案に耽るのです。目の前にいる女の子が僕と目が合った瞬間に一瞬にして視線を逸らしました。そんなことを考えている事が伝わったのかな、と思ってもいつものことなので気にしない。って気になるわ。ちょい待てや。俺はどうせいつもロクでもないことばかり考えてるよ大きなお世話だ。はて、そう言えば何の気なしに僕はこのブログでの一人称に『僕』を使っているのだけれども、普段、一人称に『僕』を使わない。これは虚偽の自分をこのブログの中で作り出しているに違いない。知らず知らずのうちに。これはいけない。素の自分を出すことに意義があるのでは無いですか?ええ?コラ。するてぇと、何だ。普段、私事のときは『俺』という一人称を使うということはブログでも『俺』であるべきなのでしょうか。『俺』て。少々、いや、かなり乱暴な印象を与えかねません。すると、公の場で使う『私』ですか。仕事のときは常に『私』。これはまた、堅いな。堅いでしょう。もっとさ、ここはオフの場なんだから気軽に。っとすると、『僕』がもっとも相応しいのだけれどもそれではつまらない。もっとこう、何か、はっとするようなインパクトが欲しいのでしてよ。じゃあ、『わし』とか。いやいや、おじいさんですか。えっと、『おいどん』とか。薩摩藩出身じゃないんですから。あ、『ミー』とか。おフランス帰りじゃないザンス!うーん、『拙者』とか。ギター持ったお侍さんはもうすぐ見れなくなりますから。残念!それなら、『我輩』とか。猫ではない。なんなら、『ぁたし』とか。ぇ→、ぁたU≠〃ャ儿U〃ゃなぃUぃ★・・・『自分』とか。軍人ではないのであります!既に存在し得る一人称では、どうにもしっくり来ないのであります。そうすると、もう、ここは新たな一人称を考えるしか無いでしょう。しかも、既に日本語として、いや、周知のものとして使用されている単語ではいけない。けれど、今日から一人称を『へて』にします!と宣言した所で、今後、不都合が出ることは分かり切ってるし。さて、どうしたものか。こうなったらもう、あれだ。固有名詞を一人称として使用か。女の子がよくやってるアレですよ。ユミちゃん(仮称)なら『今日、ユミ買い物してきたよ!』みたいな。じゃあそれで行きますか。7O2が思うに、一人称はやはり、コミュニケーションに当たって自分の印象を決定づける大きなファクターの一つだと思うのです。やはり、7O2が7O2であるためには、その話し方や、外見にも多くはありますが、その中でも一人称と言うのはどうしてもその人柄を、そして、今その人がいる社会的位置づけを表すものであり、例えば7O2が公の場にて発言をする際と、プライベートな場にて発言をする際では、当然のことながら異なった一人称が使われるのです。こういったことに対し、7O2はより、一人称に気を遣い、そして正しい一人称を広げていくべきだと思う訳です。きもい。
2005.05.22
Tシャツについた無数の虫を追い払いながら、「この虫くらい女の子がわっさーって集まってきたらいいのに」とひとりごちたところで世間から無視されるだけですし、というか、虫だけに無視て。確実に僕を蝕む"オッサン"という病に脅かされながらも日々を歩むしか出来ない僕に何ができるのでしょう?そう。こういった言動ひとつひとつからも病の進行は見て取れる。はっきりと。しかしそれを止める手立ては無いのだ。僕は。蝕まれていく体を心を見ながら恐れ、畏れる。恐怖。正に恐怖。必死で"若さ"に縋ろうとも鎖で繋がれた身体は、引き摺られるように"老い"へと向かう。どうしようもない現実に絶望。そう絶望するのです。もう戻れない日々を、ただただ懐かしく思うだけの大人には成りたくなかった。あの頃は楽しかったと、まるで今を否定するかのような"オトナ"の言動に、我慢ならなかった。けれど、今の僕は?学生時代を思い出しては感傷に耽り、風の匂いに、幼き頃の記憶を重ねる。まだ、"今"を諦めるには早過ぎる。オトナになるのは、諦めてしまうのはまだ先でいい。今は、今を。僕は見つめていたいんだ。"今"がつまんないなんて、そんな忌々しいこと言いたくないんだ!!あかんわ。もう、俺。オッサンやわ。
2005.05.21
さっき、とんでもなくいい思い付きをして、それはインターネットを通じてWEB上に自分の生活の記録、っていうか、何?俺の生き様っつーの?そんな一瞬のキラメキみたいな儚くも美しい一人の男の私生活の側面を切り取り永く永く保存しておくと共に、全世界の人たちがそれを目の当たりにするっちゅう素敵過ぎる企画なのだけれども、一瞬のうちにそれってブログじゃん、もう既にあるじゃん、て気付いてしぶしぶ楽天広場にブログを開設した訳なんですよ。なあんだ。もう国内だけで300万人以上もやってんだ、ブログ。しょぼーんですよ。いつだってそうだ。僕は時代の先駆者になれない。つまり負け犬。THE 負け犬。だけど、だけどよ?今からでも遅くないんちゃうん?僕の人生ってな、当たり前やけど人と違う訳やん?ひょっとしたら、人から見たらめっさ輝いてるんちゃうん?20数年前、この世に一つの生を受け、決して、そう決して楽ではない、平坦な道では無かった。時にもがき、苦しみ、悩み、その度に差し込む一筋の光に希望を持ち、差し伸べた手で"未来"という名の光を手に入れた。いつしか汚れてしまった手、顔、心。それが大人になる事、なんて、したり顔でなんか言いたくない。不器用でも、真っ直ぐで生きて行きたいんだ。ウソは吐きたくない。ココは全て正直なありのままの自分を見てもらう場。恥ずかしくたって、それが僕。ココから始まる僕の物語。紡ぎ出される幾多の言葉は、果たして僕自身を写す実像としてこの場に姿を現すことが出来るのか。大いなる不安と期待、そして、小さな冒険心を胸に、ブログを、僕はスタートさせる。というのは全て嘘で、2回目のブログ開設です。気楽に気長にダラダラと、がコンセプト。見限るなら、今のうちだと思います。(僕はとっくに自分を見限りました。)
2005.05.20
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