2006.05.23
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フランス映画の何がいいのか僕はよく分からない。

暗い主人公がぼそぼそと喋るフランス語は聞き取りにくくて抑揚の無いストーリーは退屈そのもので、何よりモノカラーの画面が映画の重苦しさを更に増した。映画が始まって10分後には5回目だか6回目だかもう分からないあくびをして手元のレポート用紙にさっき映った髪の長くて暗い陰気な青年が乗っていた自転車の絵を描こうとしてすぐにやめた。僕に絵心なんてこれっぽちも無かったのだし自転車の形がおしゃれだなって思った以外にその自転車に対して何の思い入れも無かった。映画が終わってカーテンが開くと教室の半分以上の学生が伸びをしてその中のひとりに僕も含まれていた。後半、と言うか3/4以上は記憶が無くてそれは伸びをした連中がみんなそうだろうと思った。少しヒステリックの気がある中年のフランス人女性講師が「退屈な映画でしたか、みなさん」と皮肉を言って僕はレポート用紙にどんな感想を書こうか悩んだ。自転車がオシャレだった、と書いてすぐに消した。となりのユカを見るとレポート用紙の半分くらいをすでに埋めていて僕は苦笑した。


「空気、っていうのかな。意味とかストーリーなんかより、空気が好き」

フランス映画の何がいいんだって僕はユカに聞いて、講義の後に食堂に向かう道でユカが答えた。僕は自転車を押しながらまたひとつあくびをした。空気、ねぇ。空気か。






僕が同じ学科の連中の大半が取っていたスペイン語じゃなくて第2外国語の単位をフランス語で取ろうとしたのに大した理由なんか無かった。フランス語の講義は毎回の出席代わりの小テストだけで期末試験が無い、それと昔に父親が学生時代にフランス語を専攻していたという話が頭の片隅にあっただけ。もちろん父親は今じゃbonjourだってうまく発音できやしない。語学はどうせ毎回出席しなきゃいけないのだから、期末試験が無い分だけ楽だと思った怠け心だった。蓋を開けてみれば小テストは毎回の授業内容を聞いてノートに取らなければとても及第点が取れないような内容で、僕は毎回のカンニングで(一度はあのヒステリックなフランス人女性講師に見つかり単位を無くしかけた)何とか及第点を取れていた、といった具合で怠けも何も無かった。それにイマドキの若者が最も苦手とするところの「コミュニケーション式の授業」があり、大声でお互いの興味のあるものとその理由をフランス語で言い合うなんて授業が始まった時には、その講義に友達もおらずたったひとりで受けていた僕は逃げ出したい気分でいっぱいだった。

「ユカ、彼のパートナーになってあげてください」

みんなが次々とペアを作る中で、どうやってこの居心地の悪い空間で存在感を消すか考えてできるだけ身をかがめていた僕の姿は、アッサリとフランス人女性講師に見つかり、細いジーンズを履いて少し派手な色の花柄シャツを着た背の高くて長い茶色の髪の女の子を僕の前に連れてきた。彼女のことは知っていた。たぶん、デザイン課の学生で(デザイン課の知ってる女の子と一緒にいるところを何度か見たことがあったから)、講義が終わると講師のところに毎回何か話をしに言ってた、言わば講師お気に入りの生徒だった。

「ん。じゃ、やろっか」

手元の自分の趣味が書かれたプリントを僕に渡し、彼女は、たぶんすごく流暢な発音でフランス語を喋った。そのあと僕を見たときに彼女が茶色いカラーコンタクトをしていることに気付いた。




その後、フランス語の講義で僕はユカと喋ったり喋らなかったりした。喋った、と言ってもカンニングがばれて一番前の席が指定席になった僕のとなりに彼女が座っていることが多くて、何かペアになってやる授業のときには必ずユカとペアを組まされたからだった。

変な話、僕はその授業の内容のおかげで、なんでユカがフランス語の講義を取っていてなんでフランス語がうまいのかを知った。彼女は、小学生の頃に父親が見ていたフランス映画の虜になって、いつかフランスへ行ってフランス人になりたいと真剣に思ってる、そんな女の子だった。デザイン課に進んだのも、フランス留学を視野に入れてのことだと。僕はフランス語を取った理由がまさか小テストとは言えず、「父親が、フランス語を勉強していたから」と答えた。彼女はそれがとても嬉しかったらしく「お父さんも、フランス語が好きなんだ」と言った。僕はわざわざ否定することをしなかった。「も」って言葉は気になったのでそこだけ訂正したかった。僕はフランス語が好きで講義を取ってるわけじゃない。



昼食前の講義だったので、フランス語の講義が終わると学生は一斉に食堂のある方向に向かった。僕はユカがひとりで食堂に向かっている姿を毎回見かけた。その日もユカは食堂に向かい、僕は校舎の前に停めていた自転車を押しながらユカの少し前を歩いた。

「別に、俺はフランス語が好きな訳じゃないんだけどな」


「なんで?」


ユカは足を止めずに僕の方を向く。日差しが強い日だったのでユカのカラーコンタクトがもっと明るい茶色に見えた。僕は「なんで?」の意味が分からずに少し言葉に迷って、それを「なんで好きじゃないのにフランス語の講義を取ってるの?」と言う意味だと解釈して答えた。「大学の勉強なんて、全部好きでやってる訳じゃないっしょ」


「まぁ、ね」


肩から提げたキャンバスのショルダーをくるんと反対側に回して彼女が言って、僕はそのまま自転車にまたがって先に食堂に向かった。そのとき、ユカがどんな顔をしていたのか、僕は知らない。




月に一度、講義でフランス映画を見せられた。「フランス映画は、文化としてとても優秀なのです」満足そうに講師が言って見せられる映画は全部同じものに見えた。感想文のレポートはある意味、毎回の小テストよりもきつかった。感想なんて何ひとつ無かった。僕がユカにフランス映画の何が良いのか聞いた次の月にも、白黒の画面の中で暗いピアノの曲が流れた。



「退屈」と僕はレポート用紙の端に書き、僕は机に伏せた。書いてある字までは読めなかっただろうけど、講義が終わって食堂に向かう途中でユカが「また退屈そう、だったね」と話しかけてきた。



「逆に、退屈じゃないヤツの気が知れない」と言いかけてやめた。自分が好きなものにケチをつけられるのは気分のいいものじゃない。


「じゃ、今度。退屈じゃないフランス映画見せてあげるよ」


きっと来ないであろう「今度」の約束をユカが口にして、僕はそうか、とだけ言った。「今度」って言葉がどれだけ薄っぺらなものか、僕は知っているつもりでいた。その時に交換したメールアドレスが少しだけその言葉の意味を重くしたとしても。




夏休みあと少しの7月にユカから「今度の水曜の夕方から暇?」とメールが入って、そのときに「今度」の約束をすぐに思い出した。彼女にとっての「今度」は少なくとも僕の「今度」よりもちゃんとした形で残っていた、と言うよりもちゃんとした約束のつもりだったんだろう。バイトのシフトは水曜と木曜が空きで「暇だけど」とメールを返し、次の日に約束の映画を見せてあげるというメールが返ってきた。待ち合わせ場所は繁華街から少しだけ離れた場所で、僕はそこに映画館がある事を知らなかった。


結論から言うと、僕はユカと一緒に映画を見ることができなかった。待ち合わせ場所にメールで来た時間より少し遅れて到着しそうなときにメールが入った。講義の関係で間に合いそうも無いという内容だったと思う。僕はそのまま行ったことがなかったけどすごく有名で美味しいという評判のラーメン屋に30分くらい並んでラーメンを食べた。その味は今では思い出せないくらい何でも無かったものだった。


お詫びに、とラーメン屋から出ようとした時に彼女からメールが来て、今から飲みに行かないかと言ってきた。僕はそれを丁寧に断って、その後にもう一度「それじゃ私の気が済まないから」というメールが届き、僕はしばらく繁華街の端にあるコンビニでどうでもいい雑誌を立ち読みをしながら彼女を待った。ごめんね、を繰り返すユカに僕は別にいいよと言いながら正直フランス映画を見なくて済んだという気持ちも少しあった。



うんざりするほど何も無くて長い夏休みが終わって。それから僕はユカの姿を見ることが無かった。進級する時に何かの拍子にユカのことが耳に入ることになった。苗字もそういえばはっきりと憶えていなくて携帯に「ユカ」とだけ入っている彼女が、僕より2つも上の学年で夏休みの途中から念願のフランスに留学に行ってしまったことを、その時に初めて知った。確かその話を聞いたのは僕の知り合いのデザイン課の女の子からで、彼女とユカは同じサークルに入っていて、その時はサークル同士の新入生勧誘合戦の最中だったと思う。僕は自分のサークルの宣伝のチラシの束を持ちながらその話を聞いて彼女の白い肌とかカラーコンタクトの入った大きな目とか、ヒールを履くと僕と同じかそれより身長が高くなることとか、あの日見れなかった映画のこととか、飲みに行った時に何も彼女が言わなかったことを思い出した。けれど、彼女が何も言わずにフランスに行ったことを何故だろう、とかましてや責めたりする気持ちは生まれなかった。きっと僕にとっても彼女の存在はそれだけだったのだろうと、後から思ってみたりもした。


けれど、何かの拍子にフランス映画と聞くと決まって思い出すのは彼女のことで、でも僕はそれからフランス映画を見たことは無かったし、これからも無いのだろうと思った。


いま、僕に残っているのはそれだけの記憶と、その後に買ったあのとき映画に出ていた自転車によく似た自転車だけ、で。






そして。この何も抑揚の無くてオチも無い話は、すごくフランス映画みたいだなと思った。





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Last updated  2006.05.24 00:18:37


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