戴き小説~DFKCさん


――色のない世界ほど、冷たいものはない。






Цве т












まるで、冬がすべての記憶を掻き消すようにあの日のままの景色を無色に変えていく。敢えてそれが何もなかった、と証言するように。ただ静かに白さは降った。その中に一箇所。間違えてインクを零したかのように、人は立っていた。
「降り過ぎた……」
横に立つ、もうひとりにインクの男は話し掛けた。少し間を置いて「そうだな」という返事が返ってくる。
それ以外は、一切音がない。いや、在るのだろうが、ここはないと書いておきたい。
「――――」
ひとりは歩き出した。毛皮のコートには例の白さたちが積もり、べっとりと萎えていた。水で重たくなっている。
「なぁ、教えてやろうか」
ひとりは背を向けて呟く。その口先から、もくもくと煙が上がった。それほど、空気は冷え切っているらしい。
「なにを」
雪の中に埋もれかけて、黒さは答えた。視線は、恐らく振り落ちてくる白さの行方を追っている。
ブーツの先は俄かにひんやりとしていた。足が、ふくらはぎの上ほど埋もれている。
「雪さ」
「雪――? 」
ひとりの呟きで、黒い男。――ゼロはようやくピクリほどこちらに視線を傾けた。それに苦く笑って「あぁ」と毛皮の男は答えた。
「雪のなにを教えてくれる、ライダー」
捻り潰すような鈍い音を発てながら、ゼロは肩を竦めてまるで変な顔をして見せる。ライダー、と呼ばれた男は、相手の視界の中で、ゆっくりとしゃがみ込んで深雪を両手に掬い上げたところだった。
「雪の正体さ」
「正体――? 」
「んあぁ」
ゴツゴツとした手の中で、白は塊になっていく。無骨に丸まったそれは、赤く焼けた掌でそのうちごろりと座った。
「こいつらはもともと、そこらじゅうに漂ってる埃でしかないのさ」
「埃」
「そう、埃」
語尾あたりを強くして、ライダーは丸めた雪球を終いに男に放った。
「――――」
白に白が混じり、一瞬なにがなんだかわからなくなる。放られたほう、ゼロは真っ黒な両手を差し出してそれを捜した。不意に、丸がくっきりと現われたかと思うと、彼はギリギリでそれをキャッチするのだった。
すこし、崩れる。
「これが埃なのか」
「あぁ」
ゼロがまじまじと重たく固められたそれを眺めていると、遠くでパンパンと雪を払う音がした。ライダーが、かじかんだ手をねぎらっている音だ。
空から、無音のまま白は限りなく落ちてきていた。




あの大戦を終えて、3度目の冬がやってきた。たくさんの森が焼け、たくさんの人が消えた後、傷の残る冬。周りは静かだった。
出かけようと誘ったのは、珍しくゼロ本人だった。そして更に珍しかったのは、あまり親しくもない、ライダーを連れたこと。本人も深く詮索する様子はなかったが、それでも気には受けた。
なにしろ、さきほどから彼、ゼロはこの場所を微塵も動かない。




「なぁ、どうしてだ」
ポケットに手をしまって、ライダーは訊く。空に、煙が伸びる。白球を抱えた男は、その問いにまたすこし間を空けて顔を上げた。
「――今日は、なんの用で、俺になんの用が在って。ここに今居る? 」
退屈が嫌いなわけではない。いや、正直退屈はしていない。ただ、心にしこりのあるこの状況にどうも不具合を感じる。お互い、煙を吐き合ってしばらく牽制してみる。次に口を開いたのは、ゼロだった。
「いや――」
雪球が宙に舞う。
「特に意味はないんだ」
「! 」
穏やかな答えとは裏腹に、ライダーの寒点は突如極限を迎える。
ぐちゃりと潰れたそれが、顔にへばり付いていた。
「――――」
取り敢えず苦笑いでそちらを睨む。ゼロは相変わらず涼しい顔で笑っていた。
「あぁ、そうかァ」
「! 」
次に背中を冷たくしたのは、ゼロだった。墨色の髪に、乳白色をもっと薄くしたそれがへばりつく。

それからしばらく紛れもない、雪球の投げ合いをした。
何度目かを投げ終えると、お互い息切れをして身体を地に預ける。

まだまだ、雪は空から落ちるらしかった。


「――もうひとつ、良い話してやるよ」
「… ………」
すっかり冷たくなった手を差し出して、ライダーは眠るように転がるゼロを引き起こす。その表情を文章に現すには、いささか難しいものがあった、
―― 笑うような、泣くような。
左右対称に刻み込まれた顔のパーツが見事に歪んで、ただすこし頬が赤くなっている。それくらいだ。
「昔、美しい顔を持つ者を好む奴らを集めて、こんな実験をしたそうだ――」
白い地が、くっきりと跡を残してそこに残る。軽く雪を払いながら、ゼロは濡れた髪を気にしていた。
もともと色が白く、それに反転した色を着ているものだから、さながらその姿は妖しく映る。無機質な色をした瞳が、サヤサヤと光り輝いていた。
「実際に、美しい顔をした者を立たせ、その横を奴らに歩かせたんだ」
「――――」
返事さえしないが、しっかりと聞いているらしい。吐く息の音が、まるで生気を感じさせずに響いた。
「どうなったと思う」
「… ………」
ちらっと、お互い目を見合わせる。――どうやら、答えはわかっているようだった。

「――奴らは避けて通ったそうだ。美しい顔たちを」

ライダーが、長い溜息を吐く。
相変わらず、景色は無色なままだった。




そのうち、遠くの木の枝から、雪が落ちる音がする。ふたりが、ふらりとそちらに視線を寄せると、辺りはすこしずつその色を黒ずくめているようだった。雪は、一日降ったらしい。
新しい足音が響く。映えた声も一緒だった。
「ここに居た……、ふたりとも! 」
その音に、次々と他の木の枝からもどさどさと白い塊は落ちていった。
「ユフィ」
ゼロは呟く横で、ライダーは噴き出していた。
彼女が駆け寄ってくる。冷えた空気に髪を緩く漂わせ、そこだけはモノクロの世界から切り抜かれたように生き生きとしていた。
迎えに来たのだ。




「黒、という色をな……」
「ん? 」
駆け寄られる間際、久々に耳にした、強気な声。――本来の声、というべきなのだろうか。
窺うように、ライダーは目を細める。しかし、そこに居るのは、相変わらずのゼロの姿だけだった。
「黒は、すべてを無に返す、無情の色だと俺は思ってきていた――」
「… ………」
視線は、彼女に向いたまま、男は続けた。さきほどまでわからなかった表情が、俄かに微笑みへと転がっているようで。
「今まで、俺の周りにはいつも壁が在って、誰もが入って来てはくれなかったからな」
「――そうか」
くぐもった声で、ライダーは返事をした。

雪が、黒さに包まれた彼を解放しようと必死に降り注ぐ。

彼女に抱きつかれた彼からは相変わらず受け取れることはなにもない。――ライダーはそれでもただニンマリと笑って、後ろから自らの橙色の首巻をゼロに巻き付けるのだった。

「俺も最後に教えてやるよ。――黒ってなぁな、あんたにゃ1番似合わねぇ色だ」

口からは、まだまだ白い声が舞い上がり続けていた。





きっとまた、春は遣って来るだろう。
しかしそれはいつものような、色のない冷え切った春ではない。


遮るものは、もうなにもないのだから。


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