遥統番外編12


ようこそ剣術部へ!









午後2時半。貴族学校にその日の授業の終了を告げるベルが鳴った。それと同時に貴族の生徒たちが机の上の物を鞄に入れ始める。ここ武術専攻クラスにおいて、政術の授業がいかに意味を成さないかなど、そんなものは教師たちも重々心得ている。授業終了の5分前に教師自身が出て行ってしまうくらいなのだから。
「ゼ~ロ」
 声変わりをまだ終えていない可愛らしい男声が耳に届く。
「部活いこう?」
 話しかけてくる天使のような少年はベイト・ネイロス。話しかけられている側、ゼロ・アリオーシュの無二の親友だ。ゼロの鋭利な刃物のように美しいとも形容し得る容貌と異なり、彼の容貌はまさに可愛らしいのだ。栗色のふんわりとしたショートヘアーに、優しい光を持つ眼差し。そしてなにより、極まれにゼロにだけ見せる子犬のような挙動。変な意味でなく、ゼロはベイトのことは好きだった。おそらく向こうもそんな感情を持っているだろう、とゼロも彼に対して思っている。
 ちなみに、武術専攻クラスというだけあってこのクラスには剣術部が多い。その人数を列挙すると、ゼロ、ベイト、シューマ、ライダー、ブルー、クロー、アスター、シレン、ミュー、フェミル、ゼリオの11名。他のクラスメイトがリヴァス、ジーン、フィールディア、ミリエラ、クラリス、シェリル、シアラの7名であるから、クラスに置ける剣術部の占める割合がよくわかる。それ以前に武術関係のクラブが剣術部しかないというのも大きな理由なのだが。なお剣術部に入っていないリヴァス、フィールディアが無部で、ジーン、クラリスが馬術部、ミリエラ、シェリルが器楽部、シアラが調理部である。
「あぁ」
 二人が他の部員よりも早く行く理由は明白、ゼロが部長でベイトが副部長だからだ。
 手早く鞄に荷物を詰め込む彼を見て、ベイトは思わずその様子に笑ってしまう。第7学年になってから、ゼロの剣術部への参加率は著しく向上した。その理由も明白。彼にとって目に入れても痛くない妹、セシリア・アリオーシュが第3学年へ進級するとともに剣術部へ入部したからだ。見ていて呆れるような扱いはしてないが、ゼロをそれなりに知る者ならば彼の表情などに違和感を覚えずにはいられないだろう。部長としての理性と兄としての感情が制御できていないのだ。
「あ、待てよ!」
 教室を出た二人を追って、華奢ともいえる二人とは対照的な、大きな体格の少年が二人を追った。シューマ・デルトマウス、二人の大親友だ。
 シューマを待ち、3人で剣術部の活動場所へと向かった。



「先輩こんにちは~♪」
「ゼロ先輩だ~!」
 部室へ向かう途中、2つの可愛らしい声にゼロは呼び止められた。それと同時にベイトとシューマも足を止める。
 走りよってくる前者の声は、東の上流貴族である一つ年下のルティーナ・フォードだ。その才能はかなり際立っており、次期部長は彼女でほぼ決まりだ。
 ゼロに飛びつく後者の声は西の下流貴族で、二つ年下のリン・イーヴァイン。その才能はおそらくゼロに勝るとも劣らない、天才なのだ。シューマはなんとかルティーナと互角程度だが、ベイトではルティーナにも敵わない。もちろん、この部においてリンに勝てるのはゼロくらいだろう。
「早いな」
 飛びついてきたリンを上手く受け止め、頬を緩ませているルティーナに向かって話しかける。
「授業サボったりしてないだろうね?」
 この台詞に一瞬ひやっとしたのはゼロとシューマだ。ベイトと違って、二人はサボりの常習犯だ。
「まさかぁ」
「そんなことしませんよぉ」
「「ねぇ~」」
 息ぴったりに、打ち合わせしていたかのようなタイミングで二人が顔を見合わせる。
 それを見て上級生3人は肩をすくめた。敵わないのだ、若い二人には。
 二人を加えた5人は話を交えながら部室へと歩いていった。


 教室一つ分ほどの大きさに相当する剣術部の部室に荷物を置き、男女それぞれの更衣室に着替えに行く。格好に決まりなどなく、各自動きやすい服装なのだが。主に東西南北それぞれの軍で使われている軽装備がメインなのだが。
 ゼロたちも例外ではない。ベイトは全体的に青を貴重とした軽装だ。七部袖とハーフパンツのようなものだ。シューマは北のアイアンナイツで着られている黒を貴重とした軍服だ。そしてゼロはベイトと異なり、青を貴重としているのだが、材質が明らかに異なったものだった。彼曰く母親が虎狼騎士の現役時代に着ていたものらしい。父親のは大きすぎる、というのが少々情けない話だ。
 部活開始まであと20分ほど。とりあえず着替え終えた3人は部室の方へ戻った。


「ほらお前ら、さっさと着替えろよー」
 部室に入ると様々な学年の部員たちが話しこんでいる。それに向かってシューマが一声かけると、皆同じように更衣室へと向かった。

 剣術部は総勢50人程度の学校内でもかなり大規模な部である。その歴史は開校以来と非常に長く、多くの英雄を輩出してきた由緒あるところだ。
 その中でも特に現部長を務めるゼロ・アリオーシュは特筆すべき生徒であった。その才能と技の前に顧問の元南の王国騎士副団長を務めていた経歴を持つ教師を手合いで破り、顧問から指導まで一任されているほどなのだから。
「はい、今日は各々相手と組んで実技演習。3、4年は俺とベイトによる指導」
 ゼロの凛とした指示がいきわたる。全員参加している、というわけではないがだいたい全員は来ているのだから、今日は多い方だ。
 上級生組がゆるゆるとそれぞれのパートナーを組み模擬戦を始める。ルティーナとリン、シューマとライダーなどは開始早々から白熱している。ちらっと見る限り、その二組はレベルがかなり上だ。
 それを横目に下級生たちの方へと歩む。まだ実践をやらせるには危険すぎる少年少女たちは、羨望の眼差しでゼロを見つめていた。
 昨年の新入部員が7名、今年が現在までで4名。いつでも入れるため、長い目でみて10名前後になるのが例年だ。
 ゼロとベイトが子どもたちの前へ行くと、颯爽と一人の少女が前に出てきた。それに対し努めて冷静にしようとするゼロの表情が面白く見えた。ベイトは思わず笑ってしまう。
「昨日やったことは、覚えてる?」
 ベイトが視線を下げて尋ねる。それぞれが勢いよく返事をした。
「ベイト、後任せた」
 引っ付いてくるセシリアを離し、ゼロが突然どこかへ行ってしまった。
「え? ちょ、ちょっと!」


「でぇぇぇい!」
「らぁぁ!!」
 一組、異常に燃え上がっている組があった。模擬剣を押し合いながら、シューマとライダーは攻め合っていた。
 鼻先が触れ合うほど近接した状態で二人はにやりとしていた。
「どうした? お前この程度だったか?」
 シューマが挑発する。さも俺のほうが強いぞ、と言いたげだ。
「な・め・ん・な・よ!」
 ライダーが力いっぱい振り切った剣がシューマの体勢を崩す。ライダーよりも10センチ以上大きいシューマを吹き飛ばした――黙っていれば美少年の――ライダーの方が、若干実力は上回っているようだ。
「ちぃ!」
 その隙を見逃すライダーではない。なんとか体勢を直そうとしたシューマに一気に接近し首筋に剣を突きつける。
「……参った。お前の勝ちだ」
 剣を手放し両手を上げ、首を振るシューマ。それを見てライダーが少しだけ嬉しそうににやりとした。

「ライダー先輩、次、お相手願えますか?」
 シューマとの戦いの後、顔を洗っていたライダーの隣に気付くとにこにこ顔のリンが立っていた。
「あ~?」
 少し無愛想に顔を拭きながら返事を返す。いや、返事ではなかったのだが。
「お前、ルティーナはどうしたんだよ?」
「ルティーナちゃんはちょっとお休み中です」
「は?」
「ちょっといいところに当たっちゃったみたいで、部室で」
「あぁそういうことか」
 ライダーはタオルを置くと、頷いた。
「いいだろう、やってやるよ」
―――こりゃ、本気だしてかかんねぇとまずいな。
 苦笑交じりに、ライダーはリンの後ろについて向かった。

「あれ? ルティーナ先輩どうしたんですか?」
「リンちゃんとまともにやって勝てるわけないじゃない~……」
 すっかりのびている先輩を見て、後輩の少女はあぁと合点がいった。
「テュルティも、あの娘には気をつけるのよ……」
 アハハ、と笑って少女、テュルティはルティーナに答えた。
―――気をつけるもなにも、本気出されたら逆立ちしたって勝てるわけないじゃーん。

「せんぱ~い、こう?」
 ベイトの前には言ってしまえばチビっ子たちが並んで木の剣を振るっていた。その様子を微笑を浮かべてみているのだが、内心はてんてこ舞いであった。
「あ、うん。そんな感じで大丈夫だよ」
 副部長の座についているものの、剣術の腕は7年生の中では下位に当たるのが実情だ。そもそも彼は剣術についてはあまり教わっていない、ゼロを出来る限り真似ているだけだ。だから、あまり知識はない。
「せんぱい、アニキは~?」
 誰かに服の裾を引っ張られる感じがして下を向いてみると、ゼロに似た美少女がいた。ゼロの妹セシリアだ。
「ちょっとおでかけ、みたいな感じなのかな」
 頭を撫でてやりながらベイトは答えた。たしかにゼロが溺愛するのも分かる。少し年齢より幼く感じるが、確かに可愛いのだ。
「ちゃんと練習してれば、そのうち戻ってくるよ」


突如ベイトを残して消えたゼロが向かった先に、一人の少女がいた。
「ユフィ?」
 声をかけられた人物が一瞬びくっと驚く。間違っていなかったと確認して、ゼロは微笑を浮かべて近付いた。
「あ、せ、先輩……」
「どうかした?」
 おどおどしている自分の彼女を見つめて、ゼロは尋ねた。
「あの、その、ちょっと、剣術部の活動してるとこ見てみたいなぁ、なんて思って」
「ほぉ」
 二人の空間に、不意に第三者の声が生じる。不意をつかれたユフィは思わずゼロにくっついた。反射的にゼロが抱きしめてくれる。
「え?!」
「な?!」
 ユフィとゼロ、二人同時に驚きの声を上げたのも、ゼロが彼女を抱きしめた時と同時だ。無警戒すぎた。今は部活中、活動場所からさほど離れていないここならば誰かに見つかってもおかしくない。
「見せてあげればいい」
「シ、シレン! お前、いつから……?」
 二人の空間に入ることをやってのけた少年はシレン・フーラー。北の中流貴族の三男で、剣術部でもかなりの手練れに分類される。気配を消すことに長けた、北の諜報部の長を代々務めているフーラー家の血筋に違わぬ能力を持つ天才だ。
「いつからと言われれば、最初からと答えるほかない」
 掴みどころのない男で、正直ゼロ自身同じクラスに身を置いて6年目で、同じ部に身を置いて5年目だというのに、未だに本性を理解できていない。
「お前、訓練は?」
 ゼロが焦ったような、緊張した声で尋ねる。
「アスターが気絶した故、相手を探していた」
 用は暇になった、ということだ。
「だがお前相手では分が悪すぎる」
 だからといってゼロと戦うつもりはない、ということ。
「そうだ。部室へ行けば、面白いモノが見られるだろう」
 その言葉を残し、シレンの姿が視界から消える。
「それと一つ。仲が良いのは構わないが、程ほどにな」
 その言葉ではたと気付いた。二人まだ抱き合っていたことに。慌てて離れる。
「今の人、イヤな人ですね」
 少しむすっとした表情の彼女に、ゼロは苦笑するしかなかった。


 シレンの言葉に従い部室を覗いたゼロとユフィは、思わず視界を疑った。
 部室で横になっている生徒の数が、ハンパないのだ。
 パッと見ただけでも5人は越えている。
7年生だけでも、ベイト、シューマ、ライダー、アスター、ブルー、クロー、フェミルが横になっている。さらにルティーナもいるようだ。
「あれ? ルティーナちゃん、大丈夫?」
 ユフィが駆け寄り声をかける。あまり心配そうな声ではなかった。
―――武術のルティーナ、魔術のユフィ、か。
 貴族学校現第6学年を象徴する言葉だ。
「あ。ユフィちゃん……」
まだ視点が定まっていない。ふらふらだ。
「しかし、こんなに倒れるなんて珍しい」
 その横にゼロが立つ。
―――あ……。
 ゼロとユフィが並んだところだけ、何故かくっきりと見ることが出来た。
―――そうだよ。ゼロ先輩はユフィちゃんと付き合ってるんだもん、当たり前だよ……。
 その心の曇りを、二人は察することができなかった。
「わたしとライダー先輩、シューマ先輩はリンちゃんに負けた組なんですよ」
 ようやく半身を起こしルティーナがゼロに告げる。その言葉だけで、ゼロは「あぁ」と頷いた。それで納得できるのだろうか、とつい疑ってしまう。
「気をつけろよ」
 ルティーナの頭を撫でてやりゼロはベイトの方へ向かった。ユフィもその後を追う。
―――羨ましいなぁ……あの背中についていく権利……。

「で、どうしてお前がここにいるのかな?」
「あはは、情けないんだけどさ」
 呆れた声のゼロに向かってベイトが空元気な笑いをした。
「4年生の二人がケンカはじめちゃってさ、止めようとしたら片方の剣が当たってね、気絶したのを誰かが運んでくれたみたいなんだ」
 呆れてかける言葉が見つからなかった。優しいにも程がある。
「誰が運んでくれたんだろ……」
 ゼロの脳裏に、目立つほどではないが整った輪郭に涼しげな表情を浮かべたシレンが浮かぶ。
―――シレン以外には考えられないな。
「気をつけろよ」
 軽くベイトの頭を叩いてゼロは次の人物を見にいった。

 聞いていて分かったのは、アスターはシレンに、ブルーとクローは同士討ち、フェミルはミューに気絶させられたらしい。

「無様だな」
「せ、先輩?!」
 ある人物の側に立ち、ゼロはいきなりそう言ってのけた。まさかと思いユフィが聞き返す。
「うっせ~……」
 いつもならば飛び掛ってきそうな彼に、覇気がない。頭がクラクラするようだ。
「ま、病人は大人しく寝てろ」
 バシっと頭を小突き、ゼロはユフィを連れ立って部室を後にした。
―――ゼロ先輩にも、ちょっと子どもっぽいとこあるんだな♪
 ライダーとのやり取りを見て、ユフィはそんなことを思ったという。


「きゃあ!」
 部室を出るや届いた悲鳴は、どうやらミューのものらしかった。おそらく剣術部の7年生3人娘では一番の強さを誇るはずなのだが。
 その彼女を破るほどの実力者を、部室で寝ていた者を除外して考えると、一人しかいない。
「彼女には手加減というものを覚えさせるべきだ」
 また突如声が届く。ゼロとユフィははっと後ろを振り返った。やはり、そこにはシレンが立っていた。短くしているのだが、彼の黒い髪が風で揺れている。知的というよりも、不敵といった感じだ。これでなかなかに人気があるというのだから、正直ゼロにはよく分からない。
 すっとユフィがゼロの後ろに隠れた。
「随分と嫌われたものだ」
 その動きに気付いた彼は、表情も変えずにそう呟く。ゼロは苦笑した。
「ユフィ。見に来たもの、見せてあげるよ」
 振り返り、自分の背後に隠れたユフィの髪を撫でる。優しく微笑んでから、ゼロが歩き出した。
 地面に倒れ伏しているミューをシレンに預け、リンの方へ。
「どうだ? 久しぶりに俺と勝負するか?」
 ゼロが近寄ってくるのをずっと見つめていたリンが、ぱっと表情を輝かせる。今にも飛びついてきそうな感じだ。
「ほ、本当ですか?! やった~♪」
ゼロは頷き、ミューが使っていた剣を拾った。彼女も自分も似たような得物を使う分、問題なく使えそうだ。
 ゼロが構えるのを見て、リンも構える。両者ともに速さと技術を武器にするタイプだ。下手すれば、一瞬で終わる可能性がある。
 緊張した面持ちでユフィは二人の戦いを見ることにした。ふと気付けば、大分ギャラリーが集まっている。どこで聞きつけたのか、剣術部以外の者もいるようだ。
「いきます」
 リンの声が普段とは大きく変貌し、鋭いものとなる。空気が冷えた、そんな感じがした。
 戦いの始まった瞬間は、おそらく当の二人にしか分からなかっただろう。突如、リンの姿が観客の視界から消えたのだ。
―――え?! どこに?!
 とっさに少女の行方を探したが、見つけることは出来ず、予想外の音が彼女らの耳に入った。
 カァァン! という何かが衝突した音と、その後すぐのゴン、という鈍い音、そして甲高い少女のくぐもった声だ。
「いった~い……」
 涙目になりながらリンが頭を抱えゼロの正面でうずくまっていた。
 その少女に容赦なくゼロは剣で軽く突きをいれる。
「馬鹿正直に正面から突っ込んでくるから、あっさり負けるんだぞ?」
 今の二人の動きを端的に表せば、こうだ。
1. 正面からリンがゼロに突っ込む。
2. 突っ込んできたリンの剣をゼロが叩き落す。
3. そのままゼロの剣がリンの頭を叩く。
 つまり、ゼロはその場から一歩も動いていないのだ。彼女の速さに惑わされること無く、冷静に、的確に対処したのだ。
「先輩……」
 恨めしそうにリンが上目遣いでゼロを見た。何か言いたげだ。
「今、“虎狼の呼法”使いましたね……」
 一瞬ゼロの表情が固まる。ユフィはそれをはっきりと見た。
―――“ころうのこほう”……?
 聞いたことのない単語だった。
「よく分かったな」
「だって、いくらなんでも私の剣を叩きにいった剣の追撃を受ける程私遅くないですよ」
 彼女の言葉を聞いて、ゼロは苦笑した。さりげなくだが、自分の強さを明示している。
「教えてくれなきゃ、ずるいです」
 その二人のやりとりを周囲は唖然として見つめていた。別にゼロがずるをしたわけではないが、リンは自分のできない技を使ったことに対して不満のようだ。さっきからずっと恨めしそうに睨んでいる。
「分かった、分かったから。仕方ない、特別に教えてやるから、ちょっと来い」
「やったー♪」
 ゼロの言葉を聞いてあっという間にリンの表情が輝く。嬉しそうに飛び跳ねもした。
「シレン、俺が戻ってくるまで、3、4年に基礎を教えてやっててくれ。ベイトがあの様子じゃあ、たぶんほとんどやってないだろうから」
 リンをつれて部室の裏の方へ行くゼロは、いったん振り返ってシレンにそう頼んだ。
「……承知」
 快くでも、渋々でもない。彼は黙って了解した。


 5分くらい遠のいただろうか、ゼロは足を止めた。彼の後ろを歩いていたリンがゼロの背中にぶつかりそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「先輩、あの人ついて来てますけど……」
 リンがちらっと後ろを振り返って視線を送る。
「分かってるよ。ユフィ、これは、西のエルフに伝わる伝統の技だからさ、悪いけど、見ないでくれるかな?」
 バレないように尾行していたつもりだった彼女は、身体を萎縮させた。
「は、はい!」
 言われた通りに二人の邪魔にならないところまで下がる。呼法というくらいだから、遠巻きに見ているだけでは理解できないだろう。
 それ以前に、ついてきた理由はただゼロを女の子と二人っきりにしたくなかった、それだけだ。
「いいか、リン。心を静めるんだ。心を静めて、気を集中させるんだ」
 ゼロの言われたようにリンがすっと目を閉じた。空気が、彼女に集まっていくように感じられる。
「何か、普段感じないものが集まってきた感じはするか?」
「はい」
 静かな声音で彼女が答える。
―――マジかよ……。
 ゼロが父から“虎狼の呼法”を教わったのは、11歳の時だ。この段階に至るまで、三日ほど修練したのだが。この少女が一回でやってのけたことに、正直感嘆する。
「次はその気配を体内に取り込む。普通に呼吸するのとあまり変わらないけどな」
 少女の口元が動くのが見えた。まさに、言われた通りに実行しているのだ。それほど彼女の彼への信頼は厚いということだ。
「何か、身体の中に入ってきたの、感じるか?」
 こくっとリンが頷いた。少し表情が複雑になっている。きっと、取り込んだ気に慣れない所為だろう。
「じゃあここからが本題だ。っても、説明は簡単だけどな」
 ゼロが――ミューの――剣を構えてリンと相対してみせた。
「正面の俺に向かって、その気を当てるイメージをしながら攻撃してこい。遠慮はいらないぞ」
 少しだけリンが戸惑った。扱いきれるか分からない力で、ゼロを傷つけるかもしれないというのが怖いのだろう。
―――仕方ない、強制的にやらせるか……。
 ゼロの周囲の気配が凍りつく。その直後、突然リンが動いた。剣に乗せた気が、ゼロに襲い来る。
「はっ!」
 リンの剣に対しゼロが一刀を下す。何かが弾けたような、大きな音がした。
「はぁはぁ、はぁはぁ……」
 ゼロと1メートルくらいの間を空けて、リンが大量を汗を掻いて、しきりに呼吸をしていた。
―――危なかったな……。
 ミューの剣を一瞥すると、予想通りヒビが入っていた。後で謝らねばなるまい。
 リンの攻撃は予想以上に強かった。初めてやったというのに、気がコントロールされず、まとまっていなかったというのにあの破壊力だ。正直に彼女の才能が恐ろしい。
 その反動で今このような様子だが、ゼロからすれば合格すぎるくらいだ。
―――俺は、気を剣に乗せるのには1週間はかかったんだけどな……。
「先輩、今、何したん、ですか?」
 呼吸と発言を同時に行ったためか、単語が切れ切れだ。
「あぁ。どうも動きにくそうだったからな、殺気を当てたんだよ」
 エルフも言ってしまえば動物の一種だ。殺気を当てれば本能が何らかの反応を示す。逃げたり警戒したりなどだ。
「ま、初めてでここまでやってくれるとは思わなかったよ。あとはひたすら練習すれば、攻撃だけじゃなく防御から何から、戦闘に関するほとんどの技に応用できるから、ガンバってみな」
 そう言ってゼロはリンの頭を撫でたあと、ユフィの方へ歩いて行った。
―――これで、もっと強くなれる!
 確かな手ごたえを感じ、リンは力強く拳を握り締めた。

「なんだか、意外です……」
 傍まで歩いてきたゼロに向かっての彼女の第一声はそれだった。
「剣術やってるゼロ先輩、普段と別人みたい」
 ゼロは何と言えばいいのか分からず視線を彷徨わせた。彼自身、ユフィには少し気を遣う部分があるのは自覚している。男としての、見栄とでもいうのだろうか。
「嫌いになった?」
 辿り着いた言葉が、それだった。
「そ、そんなことはないですよ!」
 ユフィが力いっぱい首を振って否定する。それを見てゼロは微笑を浮かべた。
「これで部活終わるから、今日はナターシャ家まで送るね」
 ゼロの突然の言葉に、ユフィが嬉しそうな表情を見せる。
「今日は来てくれて嬉しかったけど、出来れば事前に言ってくれたほうが助かるかな」
「あ、はい」
「じゃあ部活終わらせてくるから、校門のところで待っててね」
 そう言ってゼロがまた歩き出す。その背中へ、ユフィはずっと視線を当てていた。
―――また来よっと♪


「じゃあ、今日はここまでにしようか」
ゼロが戻ってくると、下級生とシレン以外はもうすでに部室へ向かっていたようだった。
「分かった」
 シレンが3、4年生たちに終わるよう指示を出す。どうやら素振りさせていたようだ。
「あとは着替えて、解散」
 ゼロの指示に、セシリア含む子どもたちが元気に返事をした。

「ゼロ」
 3、4年生が更衣室へ向かったあと、シレンがゼロに声をかけてきた。
「ん?」
「俺と一戦交えないか?」
「は?」
 彼の提案は唐突過ぎた。だが、目が本気だ。
「お前、さっきと言ってること変わったんじゃないか?」
「今は人がいない、絶好のチャンスだ」
「……いいだろう」
 ゼロとシレンがお互いに構えあう。両者とも隙の片鱗も見せない、強者だ。
 先に動いたのは、シレンだった。
 てんでバラバラの方向に動き、ゼロをかく乱する。そして、一気に間合いを詰めゼロの頭上からシレンの剣が振り下ろされた。避けきれず、ゼロが剣を構え防ごうとする。
 だが。
「あ!」
 バキッという音とともにゼロの剣が折れた。その動揺を見逃さず、シレンが軽くゼロの頭を叩く。
「フ……」
 余裕の仕草だ。どうやら、彼をからかいたかっただけのようだ。実際、シレンがゼロの剣にヒビがはいっているのに気付いたから戦いを申し込んだのだと知ることはなかったが。
「続きはそのうちだな」
 シレンが部室の方へ歩き去っていく。ゼロは、言いようも無い感情に支配され、苦笑するしかなかった。


「リフェクト、じゃあセシリアのこと頼んだぞ」
 着替えを済ませ、部室で部員たちに挨拶をしてからゼロは妹のセシリアを連れて弟のリフェクトが勉強している学校内の図書館へと足を運んだ。かなりの規模があるのだが、がらんとして人は数人しかいなかった。
「はい、分かりました。兄上も、あまり遅くならないうちにお帰りくださいね?」
 リフェクトは二人の部活が終わるまで毎日ここで勉強して待ってくれているのだ。
「お帰りくださいね!」
 リフェクトの真似をしてセシリアがゼロにそう告げる。
「分かってるよ」
 頭を撫でてやり、二人を見送る。それからゼロはユフィが待っているであろう校門へと向かった。


「ユフィ」
 校門のそばにあるベンチで彼女が座っていた。駆け足で傍まで行き、声をかける。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
「いいえ」
 申し訳なさそうなゼロに、ユフィが笑顔を向ける。
「じゃあ、行きましょうか♪」
 彼女がゼロの手を握ると、ちゃんとゼロからも握り返してくれた。
 そこで突然ユフィがあたりを見回す。
「どうかした?」
 不思議そうにゼロが尋ねる。
「あ、あの影みたいな人がまたいるんじゃないかな、って思っただけです」
 その答えを聞いて、ゼロは笑った。よほど警戒しているようだ。
「大丈夫だよ。いくらなんでも、そこまで無粋じゃないから」
 断言できる自信はなかったが、ゼロはそう言ってユフィを安心させた。その言葉を聞きユフィも納得したのか足取り軽く歩き出した。

「フ……」
 その二人を、遠くから見ていた男がいたのに二人が気付くことはなかったという。


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