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昨日、ベルエールさんから、ドイツのヒーラー、サンパティーさんがエナジャイズしたという、クリスタルが届きました。彼女がエナジャイズ(特有の波動を降ろしてくることらしい)した波動の名前は、“Four pinks”(4つの愛の顔)。4つの側面を持つ女神の波動らしいのですが、人目晴れで、「よし!人様へのエネルギーワークの際に使う!」と、直感で思って衝動買いしてしまいました。(石に関してはいつもそうですが・・。)自分がこのエネルギーを受け取ることを宣言して瞑想していると、今までのどの石よりも多くを語ってくれました。(例の、「シカト石」とは正反対)自分がなそうとしていることのすべてを助けて、後押ししてくれるようです。頭の先から足の先まで、一本のラインになって、エネルギーが流れていくのを感じました。そして、両腕を暖かく包み、全身に柔らかなエネルギーが流れていきました。ハートが・・・ちくちくっと刺さっているモノを指し示し、まだ、浄化されるべきモノの有ることをこの石は指し示すのです。「パチン!」と、眉間のところで、何かがはじける音がしました。「痛っ!」・・・何がはじけたのか、静電気のような痛みが・・。何かがこれから起こる予感です。ドキドキ・・。何でしょう?例の「シカト石」は、天使との対話、ハートの浄化と癒しを私に約束してくれました。石達と何かを始めたい予感・・・。私は、何を始めるのでしょう・・。ワクワクとドキドキでいっぱいの今日でした。
2007.01.29
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最近、エンジェルの心理療法士、ドリーン・ヴァーチュ博士の本なんかが人気で、ご存じの方も多いと思うのですが、人間関係の、好ましくない繋がりとして、「エーテル・コード」というのが出てきます。お互いのパワーを吸い取り合うような、元は「愛」の本質をもっていたものが、マイナスに働きあっているような繋がりです。これをくっつけられている人は、エネルギーを吸い取られて身動きがとれなくなってしまいます。以前、私がロイ・ゴーヤ氏のセッションを受けたときに、「あなたには、沢山エーテル・コードが付いたままになっていますよ。それでは、自分のパワーが削られます。まず、それを切らないと。」と言われたことがあります。自分では、切っているつもりでも、見る人が見たら、ばっちりついていたんですね。エーテル・コードを切る方法としては、「この関係を断ち切ります。」と宣言するか、ドリーン博士が仰るように、大天使ミカエルに、出てきてもらって、すべてのエーテル・コードをきってもらうよう、お願いする。と言うのが一般的なのですが、どうもうまくいっていなかったみたいです。ここのところ、いろいろ人様のことで、内容を変え、対象を変え、考えていたことが続きました。それで、何をしているときも、心配と、何とかして差し上げられないモノかとあれこれ手段を考えていることで頭がいっぱい。・・でもそれが楽しいかというと・・結構疲れている自分がいました。これって、もろ、エーテル・コードじゃあありませんか!しかも、相手が求めていると言うより、しっかり自分からお節介の触手が伸びているぞ。勿論、相手からのSOSをキャッチしているからこそなのですが、自分のお節介心が自ら招いている。・・・共依存じゃあありませんか!!何と・・・エーテル・コードは、実は自分から招いているモノなのですね。困っている人を放っておけないのは人の愛の本質の一側面ですが、時には、黙って見守ることが大事なのに・・。お節介をしてたんですね。見守ると言うのと、見捨てるというのは、似ていて違うんですよね。見守ることと、見捨てること。そこには、すべての人の成長を神(ここでは大いなる宇宙の営みの意)を信頼して、そちらにすべてを委ねているか、という根本的な姿勢の違いがあるのです。任せきったら、後は心配しない。いつまでもぐじゃぐじゃ考えていない。この基本が私には出来ていなかったのですね。くよくよ、ぐじゃぐじゃ、悶々・・・この先に見えるのは、予期不安しかありません。切り替え上手は、エーテル・コード切り上手。基本姿勢は、相手のことを祈り、後は、神、天を信頼して任せきる。な~んだ、結局私も自分から触手を出してたエゴの人だったのか~あ・・。ということで、またまた神様に対する信頼をおためし&教えられた一週間でした~。私にいろいろ間接的に教えてくださった、皆様、ありがとうございました。エーテル・コードって相手の依存によりくっつけ「られる」感があるけど、本当は、自分が、「くっつけてる」ものなのですねえ。間違っちゃあいけません。以後、気をつけます。
2007.01.28
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私ね、海、怖いんです。ちいちゃい時から、何だか飲み込まれそうで・・。水泳・・・苦手でした。でも、泳ぐと結構、早いんだそうで。それでも、好んでまで、泳ごうとは思いません。 1年前、・・・ゆめさんとこで、「宇宙のワーク」を教わってから、度々、過去世をさかのぼることをしていました。その中で・・・今まで、何度も、海に飲み込まれそうになる夢を見ていました。ユング的に解釈するとちょっとエッチですが、それとは違って、必ずそこに、海の中に入りたくない恐怖を感じていることが、ずっと気になっていたのでした。瞑想で、ずっとずっと過去世をたどっていくと・・やはり海面が出てきました。今度こそ、勇気を持って! とばかりに海中に飛びこんでみました。そこは・・・海中に光り輝く神殿があったのです。そしてその中には、人魚達・・そして、人型をした(二本足の)神官達も沢山いました。みんな、何かを大切に守っています。それは、宇宙の光とエネルギーの柱、ヴォルテックスの柱です。幾何学模様の描かれた直径10メートルはある、木の切り株のような形をした台の上に、天界から降りてきている柱が(透明だけどパワーのある、エネルギーのかたまりのような柱)乗っかっているのです。それを大切に大切に、人魚族は守っていました。 私もその内の一人。ピンクの、直径20CMはある球を持って、何かをしているのです。たぶん、巫女の一人でしょう。 そして・・・時は流れ・・次に瞑想をしていくと・・。先ほどの人魚は、両目を空いて・・絶命し、海の底に沈んでいくのです。辺りは死の世界。神殿は崩れ、人魚達の死骸に、白い海泥が降り積もっています。ショッキングな映像に高鳴る心臓の音。人魚だった私の怒りと悲しみが生の感情として伝わってきます。 地上の誰かが、自分たちの利益のために利用しようとヴォルテックスをいじったのでした。そして、起こったエネルギーの暴走。一瞬にして人魚族は滅び、地上の被害も甚大なものでした。あれだけ止めたのに、われわれはずっと天界からの光を守ってきただけなのに・・。理不尽な仕打ちに対する怒りと悲しみ・・・。それが人魚の最期の気持ち。古代から人間はさまざまな力を手に入れてきました。でも、いずれも、最後はその力に振り回されて、大切なモノを失ってきているように感じます。もう、同じ過ちは犯して欲しくないです。この地に再び、エネルギーの柱は降りるのでしょうか?でも、たとえ光のグリッドを下ろすとしても、ひとつ間違うとこのようになりそうで怖いです。それでも、とても必要なことのように思います。人魚心は複雑です。ちょっと、こゆ~い、オバハンの打ち明け話です。幻想と受け流していただいた方が気が楽です。 ちなみに、ウチのシカト石は、この時の瞑想で出てきたピンクのかたまりが気になって買ったものです。
2007.01.27
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今日は、退院した娘が発熱~で、仕方なく、申し訳なく、やるせなく、自宅で風邪のお守りです。 この頃、子育てで、ちょっとお悩みの方と接することが多くて、いろいろお話し伺っちゃってます。どなたも本当に、ご自分のお子さんの、まあ、一般的に言うところの「困ったこと」に対して、何とかしたいと精一杯がんばっておられます。私だったらそこまでできんなあと思うくらい、あれこれと周りの社会への参加の機会を設けたり、お医者にかかったり・・。etc・・。いわゆるネグレクトとは、真反対の存在です。でも、・・子供は、SOSを身体で訴える。「学校では、どうでしょうか?」私が答えられるのは、うまくいっていること、いってないこと・・。日常の生活での姿。そして、私の手助け出来る範囲のこと。でもね・・本当は、子供が求めているのは、そんな外の世界のことっちゃうのよね。いじめられるから、遊べないから学校に行きたくないんじゃあないんですよ。 愛されていたい場所で、愛して欲しいから。だから、その場に少しでもいたいだけなの。だって、学校では、何も問題ないんだもん。でも、それをダイレクトに伝えたら、親さんが、一生懸命な自分を非難された風に誤解されて、行き詰まった気持ちにさらに追い打ちをかけられ潰されてしまうから、言わないだけ。だから、お話しを伺って、寄り添いながらも、(頼りないと思っていらっしゃるかどうかは置いといて。)心の中の担任には言えない部分を学校カウンセラーさんにお委ねしています。みんなね、いい子なの。ただ、何にもしなくても認めて欲しいだけなのに、あれこれ求められて行きずまってるの。成績でだけしか認められてないの。下の子に愛情取られていて、自分がほめられる場面て、良い成績取ったときだけなの。きっと親御さんは、そんなことないと思っていると思うの。だって、どの子も親にとっては可愛い子ですやン。でも、どこかで、子供にかける言葉や、接し方が、「おねえちゃん」「おにいちゃん」を求めていて、子供にとっては、寂しいンやろうなあ。自分の愛して欲しい愛し方と違うんやろなあ・・。常に、「もっと、もっと。」を求められている。そんな子達が、今、むちゃくちゃ多い感じがするんですわ・・。何か、大切なこと、見えてないのね。精一杯、努力してるのに。気づかず求め過ぎちゃってるのね。我が家の息子が死にかけたとき、「生きててくれたらいい。」って思いました。でも、元気になると、いろいろ求めてるなあ・・、私も。 最近思うんです。よく、「今時の親は!」って、怒っている人いますやん。勿論、給食費払えるのに払わんとか、逆ギレ親とかは、論外やけど、(今のところは)でも、大抵の親さんって、一生懸命なんですよね。ちょっとやり方分からなくて困ってるだけ。私もそう。母くらいの年代の方からしたら、「それでも親か!」って怒られるくらい至らないし、物事を知りません。で、思うの。 批判する気持ちは分かるけど、教えて欲しいって。親も、子供に育てられて親になるのです。もしも、甘えを許してもらえるなら、われわれ子育て世代の足りないところ、「親育て」と思って、先輩方には教えることで助けていただけたら。って。「もう、この日本は駄目だ。崩壊する!」って切り捨てないで育てて欲しいんです。未熟な世代を。今の親は、私も含め、未熟な人は未熟です。立派な方も、先輩達からしたら未熟でしょう。だからこそ、評論家にならないで、諸先輩方には、子育て、親育ての大先輩になってもらいたいのです。昔は、コミュニテイーの中で、自然にそれがなされていたけれども、今は、見知らぬ人たちの中で親は生活しています。自然には、覚えられないのです。時代が違います。どうぞ、親御さんたちにも求めすぎずに、出来る範囲で、寄り添ってあげてください。もちろん、真摯に受け止める心のキャパシティーも昔の人より不足してる若い人多いと思います。甘やかされて育ったから。してもらうことが当然と勘違いしてるから。(^^;)大変なのは、分かります。今あるいろいろな子供(や、社会)を取り囲む課題の原因でもあり、解決策でもあるのは、「人に対する理解と寄り添い」ではないでしょうか。親は子に、社会は、人に。決して批判、避難、嘆きからは解決は生まれてこない。身近な人から「出来る範囲で」出来たら。何だか、ダラダラ長くて、結局何が言いたいかよくわからない文章に、またもやなってしまいましたが、乱暴にまとめてしまうと、人や、周囲の物事に何かを求めるのでなく、「心からの寄り添い」を身近な人にして欲しいなあ・・。それが、様々な問題を解決していく一つの方法じゃあないかなあ。と思うんです。愛の形の一つが、それじゃあないかって。根気のいる話ですけど。ね。ああ・・またもやつまらぬ文章を書いてしまった・・。(斬)
2007.01.26
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予定よりかなり遅れて、やっと、今日の夕方、娘が退院できました。お父ちゃんと交代で、看病とお泊まり&お仕事のローテーションの日々でした。ご心配いただきました皆様、本当に有り難うございました。 それがね~、こういうときに限って、クラスの子供がけがや病気したりして、いろいろ重なったりしていたのですよ・・。トホホ・・。肉体的にもかなり辛かったんですが、特にクラスで心配だったあるお子さんが、心の不調を身体的な不調として訴えてこられる事が続いたりで、思わず、「こんな時に限って、いろいろあるの。本当に神さんって、意地悪やわ。」と、つぶやいてしまったのを同僚に聞かれ、「今の言い方、すごく可愛かったよ。」と笑われてしまいました。 ほんまに、今の自分にとって、何が大切なのか。という、選択に迫られたような一週間でした。その一つが、人のこと?自分の家族のこと?どっちが大事?であったのですが、自分の出した結論は、「家族はまず大事。でも、人も大事。どっちも一つ。」と言う実感でした。身体の不調(実は心の不調)を訴えてきている子の親御さんにも電話で、しっかりお話を伺いました。「自分の子のことが、心配なんやから、はやくかえってあげたらいいのに。」と気遣って言葉掛けをしてくださる同僚もいましたが、よく考えてみると、職業だからでなくて、一個の人間として悩んでいる親子を放っておくことが出来なかったのです。「この親も、子も、行き詰まってる。」とりあえず、娘は日にち薬で良くなるし、夫もいてくれる。職業としてみたら、「我が子より、仕事か。」になるのですが、一人の人間として、ほおって置いたらいけないこととして、頑張ってきました。でも、娘のことも、頑張ったつもりです。じっくり考えて、出した結果は、「結局、私も人も一つ。同じくらい大事。」と思える心が自分の中にあった。と言う確信が持てた。と言うことでした。自分で、カッコええ事言うとるなあ、という感じもあるけど、正直な気持ちです。 一つ宝モンを見つけた気持ちです。最近の子育てで悩んでいる親御さんたちについての考察は、また別の機会書きますね。とりあえず、今日は、父ちゃんと一杯飲んで寝よ~っと。みなさん、ありがとう。お休みなさい。
2007.01.23
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私が、日常において、目に見えない存在達と交流しようと練習しても、彼らは簡単には働きかけては来ないのです。いわゆるチャネリング、自動手記、ひらめきの類は、私自身のためには決して成功しないのです。 そう、彼らは厳しい。私が、子供達のことや、大切な自分以外の人たちのことについて、どうすべきか、何を今は伝えるべきか、どの部分に寄り添えたらいいのか、真剣に考えて答えを求めたときにのみ、鮮やかな解答が帰ってくるのです。それも、人に大切な学びを奪うところまでのメッセージは必ずと言っていいほど下ろしてこない。後は、ご自分で考えてみなさい、あなた(彼、彼女)次第です。決めるのはあなた(彼、彼女)です、と言うがごとく。 ですから、彼らは、考えると言うチャンス、そして、自分で歩むのだ、そしてつかむのだ、というチャンスを完璧なタイミングで与えていることになるのです。そう、古代ギリシャの賢人がごとく。ソクラテスのように。 ある時は、キーワードのかたちで。またある時は、相手の感情に寄り添うように、相手の生の感情を体感させて私が取るべき方法を考えさせる方法で。実際に、働きかけることにしか彼らは力を貸さないのです。でも、働きかけるときは、確実に動いてくれます。もう、私の個人的な感情などどうでも良いのです。彼らは私が動くことを求めているのです。以前から・・・そう、以前から、私に対してこの方達は愛を持って厳しかった。余計なことは何一つ、働きかけをしない。私の持つ、ローズクオーツもそう。余計なお遊びには無反応で、心から疑問を持ったときや傷ついたり、悩みの縁に立ったときにだけ、チャクラを回して反応する・・私はこの石を「シカト石」と名付けました。必要以外は、むっつりです。↑賢者のような「シカト石」 石一つにしても、私の周りにいる目に見えない存在達は、どなたもこなたも皆厳しい。単なるあこがれや、甘えの対称にされるのが大嫌いな誇り高き人々。「依存対象」じゃあなくて、へっぽこなりでも「パートナー」としてしか働いてくれない人たち。もう、時代は、スピリチャルな存在に対してあこがれや依存対象として、ぶら下がることを望んではいないように思います。へっぽこでも良いから動こう。それはレイキでなくても良いし、あってもいい。とにかく自分の職業を通じて、あらゆる人間関係を通じてできることから働きかけてみようと思っています。昨日、ゆめさんと、「自分なりの大切さ」についてお話しをさせていただいていました。エネルギーも、やり方も、そして生き方も、「自分なり」がとても大切なのですよね。新しい時代に・・・もう、動いているのですね。 明日から娘が手術のため、しばらくお休みするかも知れません。レス、出来なかったらゴメンなさいね。もう、来週は、良いと思うのですが・・。では、では~~~。
2007.01.15
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昨日は、久しぶりに京都にヴォイストレーニングに行きました。不覚にも、ちょっぴり遅刻してしまったのですが、しっかりレッスンをしていただいてきました。(先生~、ありがとう・・。TT)冬の京都は、ちょこっと観光客も少なくて、行動しやすかったかな。私は、京都市民ではないのですが、こういった落ち着きのあるときの京都が、暮らしやすそうでホッとします。 11月末に喉を痛めてから、呼吸法一つ、咳き込んでしまってできず、ここのところ、ずっとヴォイスの方は、したくても休業状態でした。話し声は12月から大丈夫だったものの、歌声は、ようやく今週の頭から出だした有様。ちょっと発声しても、高音部は、出にくく、空気の固まりが喉に詰まっている感じ。声も薄っぺらで迫力がない・・・また、0からやり直しやな~と思いながら、半分、自分の声に関して、ある意味、「諦め」をしてからのぞんだレッスンでした。 久しぶりに、呼吸法という、ある種の運動をしていたら、首の後ろから背中にかけての筋肉が痛くて痛くて・・。「どうですか?」と言う先生のお言葉に、「首から背中の辺りの、声の反響版になるところが痛いです~。」と答えると、「背中に重いものしょってる感じね。だんだんそうやって身体が形をかえていくのよ~♪」と、先生。ゲゲッ!またもや改造人間。宇宙人のエーテル体の改造に引き続き、ヴォイスで肉体改造。いよいよキャシャーンになるらしい。「あと、ここの胸郭が、こうやって広がって、背中がこうなって・・みぞおちがこうなって・・。」と、ドクター誕嘉子が、私の身体のパートを押さえながらあれこれ完成図を想像中・・。こうなったら行き着くところまで改造しまくります。先生の呼吸法と発声練習のあとは、比較的声が出たのですが、やはり、高音部は、「よっこらしょっ!」といった感じで持ち上げないと声が出ず、16分の1拍ほどタイミングがずれてしまうのですが、それも、駄目になったのではなく、次に行くために発声法が身体の中で変化してきているから起きていることとか。0にはならないそうです。次に行くためには何事も一度下がることが必要だそうで、それがないと次、より高いところには行けない。のだそうです。11月末以降のことも、先生には、やはり大切な浄化期間と写っていたようで、「そういうときは、『次に行くわね~、もっとよくなるから喜ばしいわ~。』っていつも良い方に考えているのよ。実際、これを自分でやってきて、そうだって思っているしね~。」と、お答えが返ってきました。 私は、この方を単にヴォイスだけのお師匠さんとは、思っていません。何だか、お言葉のあらゆるところがスピリチャルではありませんか?ほんまに良いお師匠さんです。変わっていく自分も楽しみなのですが、私は、先生に教えていただくことが一番の楽しみなのです。出会わせていただいて、本当に感謝です~。ぼちぼち、歌声を取り戻していきたいです。 昨日、ニーナ・カロライにお邪魔して、ゆめさんとスピであることについてのお話しもさせていただいたのですが、それについては、また、後日・・・。
2007.01.14
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あなたにはいらっしゃいますか?苦手な人。 というか、私の場合、できたら顔もあんまり見たくないなあ・・式の嫌いな人。私の場合、大抵苦手かな?で終わっていても嫌うと言うことはあんまり無いのですが・・・いらっしゃったのね、一人。「いらっしゃった」と言う過去形なのは、普段は殆ど意識して無くて、別に・・・と思っていたのだけれど、改めて、今回身の回りであった出来事で、こんなにも私はこの人を嫌うという気持ちがあったんだ・・。と気づいたから。 詳細は書かないけど、自治会の行事で連絡が回ってこなかったことがあってね、大抵そこの家に近所が迷惑を被っていることがあって、「もしや・・またか。」って気持ちがあったの。実のところは、私が回覧の中身をよ~く隅々まで見ていなかったことが原因だとすぐ分かったのだけど、それでね・・。自分のミスなのに、寸分でも「またか。」と疑った自分に大反省しています。ほ~んと、いろいろありました。その方とは。てか、ご近所が今も目をつむって生活しているようなところもあります。でもね・・私の心の問題。今回落ち込んだのは。 人間、恐怖を感じる相手には強い怒りを持つのね。その時はその時でチャラにできてなかったのね、私。「また~されるのではないか」と言う恐れの虜になっていた自分がいるのね。相手に対して完全に「こういう人」という枠組みを作っていたの。情けなか・・。まだまだ「自他の心に本当の光を当てる実践」が、全然なされていないことに愕然となりました。今年は、みくじで「反省しながら進むことが必要」とありました。神様はお見通しですな。ありがとう。今日は、久しぶりにレイキのテキストの復習をして、自分を振り返ってみたいと思います。今年は実践あるのみ。まだまだ未熟者です。
2007.01.07
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今日は、お昼頃から、家族4人で椿大社さんに初詣に行きました。お昼頃だったので、なかなか駐車場にたどり着くまでが大変でしたが、何とか、お参りできました。 ↑ちょっと逆光でくら~い。 ここでおみくじを引いたら大吉!!やった!!のぞみはしばらく待てば叶うようです。次に猿田彦さんの奥様のウズメさんの拝殿へ。さすがに芸事の神様だけあって雅やか~↑ウズメさんとこ。私はこのお社の横にある山水の湧いているところがすき。見てたら、可愛い山鳩が飛んできて、何やらついばんでおりました。 た~くさんの参拝客さん。でもね、ゴミを沢山溝に捨ててあったのが心痛みました。何しに来てんのよ、君たち。 その足で、何時もお世話になっている能褒野神社さんに行ってきました。神様にご挨拶。宮司さんにもご挨拶。そうするうちに社務所にたくさんのお客さん。皆、宮司さんを頼って、ご相談?・・っぽい。年始早々、宮司さんも大変ね。でも・・な・・。ま、いいか。ということで、おいとましました。 帰りによったジャ○コでお買い物中、中学生っぽい奴らが自販機でこそこそとたばこをかっていくのを見てしまった。レジ待ちしてるとき。やなものみたな。何で、近くにいた店員は声かけへんの?近くにおったら、「そんなもんで大人になれへんよ。」って、一言言うたったのに。くやしい。やっぱりたばこは対面販売やな。後でお祈りしとこ。あ、忘れとった!のりぽんのお詣り講座。先日、テレビで、細○数子さんが、「女は、柏手を打って参拝したらいけない。」とおっしゃっていたので、能褒野の宮司さんに改めて尋ねてみたら、 「神さんは、男だ女だとかは言わへんのや。そんなん考えんでええ!!しょうもない!!」と言うことでしたので、皆さん、女性も思いっきり柏手打ってください。あれは、「神さん、きましたよ。」という合図だそうな。誰も首締めへんから大丈夫ですよ。
2007.01.04
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みなさま~。 新年、おめでとうございます~。 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。 みなさま、お正月いかがおすごしでしょうか?私は、年末年始、ひたすら寝ております。実家と、今済んでいるところの土地神さんに詣でた以外は、食っちゃね、食っちゃね。ありがたいことです。 大きな神社さんは、もう少し世間が落ち着いてから詣でるつもりです。え~と、1年の計は元旦にありといいますが、昨日は実家でごろごろして計画などという大それたことは面倒くさかったので、今日にしました。 それで、え~っと、今年は・・・今年?今年ねえ・・。どうしようかなあ。 う~ん。確か、年末は自分にできることを地に足付けてする覚悟だったと思いますので、それにしておきます。よければ、ちょっと年相応に進歩できたら・・、と思っています。 実家の土地神さんで引いたみくじは、末吉。「今、しばらく待て。 反省しながら機会を待て。」なので、肥やしをいっぱいため込んでゆっくりじっくり行きますね。大局をみられる器になれたら最高ですな。(傍観者と呼ばないで) それでは、みなさま、まったりとよいお正月をお過ごし下さいませ。神社に行くと、眉間がクイ~ンってなるの。まだ、このライトボディーに慣れてないみたいです。
2007.01.02
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