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先日上司に「(トッカン工事の仕事で)疲労困憊で11時間寝ちゃいました」と言ったら「いいなあ、作務衣さんゆっくり寝てられて」と言われた。これは誠に正論。正規雇用の方々は完全にオーバーワーク。傍で見ててもありゃないなと思う。ワタシャ悠々午後から勤務だし。だけど、だからってさー。でもその発言以後、なんだか妙に優しくねぎらいのコトバなんぞをかけ、「仕事早い!」とかってもちあげてくれる。笑って部屋出てきたけど、カチンときてたのバレた?(苦笑)たとえ本心じゃなくても、ほめられりゃ誰だって嬉しいじゃないですか。一年生パートなりにすげーがんばったんだもん。一人で作業がんばったんだもん。がむしゃらに入力したんだもん。少しくらいうぬぼれたって、うぬぼれさせてくれたっていいじゃんねー。でね、その時胸に湧き上がった気持ちは「お剛をなめるなよ!!!!!」…ではなく「山国出身者をなめるなよ!!!!!」でした。こんな時に、なにゆえ根拠のない愛国心(愛県心か)が?可笑しくて、あとで一人で笑っちゃいましたよ。ちょっと嬉しくて、ちょっとうぬぼれると、ストンとオトシアナに落ちるワタシ。気をつけよう。知り合いの方のお父さまが先日96歳の大往生を。先立たれたお母さまとあわせて、28年介護をされてきたとのこと。28年間!働きながら、お江戸から王国まで通いながら。なんかもう、なんというか…頭が下がる思いです。
2011.01.31
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なんだかんだいうて3時過ぎまでサッカーを。11時過ぎにだら~と起床、煮物を持って(←数えるほどしか差し入れしてない…)ぢねんパパの顔を見に行き、あとは某ショッピングセンターで遅めの昼食、ワンコを眺めて少しだけブラックお剛の心を洗濯し、買い物なぞを。牡蠣のバター炒めポン酢がけ、うまかったです。作り方をネットで発見、簡単うまし。熱燗でしみじみしました。先週もだらっとした土日でしたが、しょっぼい仕事持ち帰ってきてましたし。今日は徹底的にだらんだらんでした。
2011.01.30
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仮眠後ただいまサッカー観戦。ワタシもテレビ見ながら撃沈だったので、今ネットとお友達。
2011.01.29
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昨日疲労困憊で帰宅。ブラタモリをみる気力もなく、国営放送ラジオの浪曲を聴きながら9時半就寝。本日8時15分に2人して同時起床。少しだけあせる。この時間に起きて間に合う職場でよかったよぢねん君。寝すぎで背中痛い。年末に、色気を出して?500年ぶりにスカートなぞを買ってみましたが、カイセン騒動やらなんやらではく機会を失ったまんま。職場にはいていけるようなものでもなく、だいいち職場はスカートなんかで行けませんしね、寒いしほこりっぽいし動きにくいし。ふだんの生活を続けていくぶんにはしゃれっ気は不要になったなーとしみじみ。まあねえ、山国にいた時もそんなでしたが、たまには「ちょっとだけいいカッコ」もしたいよな。やれやれ。
2011.01.28
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年がかわって、すげーいきおいで白髪が噴き出してきました。ふしゅーって音が聞こえてきそうです。とうとう遺伝にあらがえない時がやってまいりました。以前はじんじろげのくねくね毛が白髪、というパターンでしたが、最近は直毛率が高くなりまして、このまま定着だな。そして前髪に関口宏系の一群が。はー。さてさて、動きだすかのう(遅いって)。
2011.01.27
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降って湧いたお仕事、なんとか、なんとかメドをたてて帰ってきました。明日で手をはなしたいっす。もう、仕事に限らずなんですな、出来ないことはしない、ていうより出来ない。環境と味方と時間、ここらへんとの兼ね合いです。今回、早めに(というか仕事を言われた時点で)上司にギブアップ宣言をしたことが功を奏し、ワタシ一人の仕事にならなかったことが命を救いました。ホントはもっとゆっくりじっくり取り組みたかったのですが、実質10日間の期限付き、さらに無理難題といっても過言ではないシロモノ。ちゃぶ台ばーん。月曜日の緊急研修会でも助け舟が何艘も出されて、思ったほどのパニックにならずにすみました。あと、昨年の職業訓練のエクセル!いろいろ忘れてしまい、使える機能の9割以上使えませんでモタモタしましたが、それでもさわっといてよかった。あれがなかったらワタシこっぱみじんでした。ぢねんパパやお剛父母にしても、今さらワタシもそちらも性格変えられないし…そらそうだよ、自分の親でさえ変えられないものをだ、85歳のパパの性格をこの小娘(←?)が突然変えられるわけもなく、おかげさまで今のところはまあまあの関係だと思えますので、このままかなあ。心配だらけなんだけどー。あー数字の「5」がうまく書けない。「乙」の鏡文字みたいになるのー。イミフですんません。にゅー。
2011.01.26
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わたわた。午前中は家にいるんだから夕飯の準備して出りゃいいのに、そんな気持ちにならんでね。ちょっと残業気味なので、帰ってきてもたもたと準備。8割がたぢねん君頼みです。かたぢけない。ぢねんパパは、なんとなくイマイチな体調。あれこれ世話を焼かれるのが嫌なおカタなので…今さら生き方変えられないし、つかず離れずってのは難しいなあ。声がけくらい。
2011.01.25
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本日はワタシら一人職場の緊急研修会。その場で今年、ベテランもベテラン、大ベテランさんで、頼りになるリーダーさんのお2人が辞めてしまうことも判明。みんなどんよりしてしまう。理由は「介護」。お2人ともぢねん君とそう変わらないお年頃。介護で仕事を辞めるのって、なんとかならないかなあ。(主には)親と子の関係のなかで行われていて、社会のしくみも不首尾もさることながら、気持ちの部分にも介護は大きく関わってくることなので、致し方ないのは分かるんだけど、なんかやりきれない。ひりひりする。未来の自分を見てる気もする。そういや最近子どもとか赤ちゃんとか、さわってねえなあ(赤ちゃんこわくてさわれないけど)。ふいー。
2011.01.24
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夕飯はぢねん君にまかせてしまい、しょぼしょぼと仕事を。出がらしも出がらしの番茶の茶柱が立ってました。いいことあるかのう…
2011.01.23
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だらんだらん。ちょいと仕事持ち帰ってますが、さわってませーん(爆)。ぬへー。
2011.01.22
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このたびのママのことで、作務衣家の住民票や保険証、諸書類なぞ、紙類を見たり出したりすることが多くございまして。ぢねんパパとママは、いわば「数夫」に「数子」というような‘似たもの名前’で(仮名)、フリガナはパパは「カズオ」でママは「カヅコ」。「お父さんは「す」にテンテンで、お母さんは「つ」にてんてんなんだ」と断言、書類を書く時は気をつけていたのですが、住民票見てびっくり、パパ「カヅオ」になってるよ…。「フリガナ、統一しといたほうがいいです、今後なにかあった時にややこしくなりますのでね」と窓口担当者。直せるそうです。「あれ、「つ」にテンテンになってんの?そんなの気にしたことなかったな、あれえ…」パ、パパ…。ちなみに、パパの「お」も、「夫」だったり「男」だったり「雄」だったり、名付けのパパのお父さんがですよ、なんか小学校くらいまで定まらなくて、いろいろ変わってるんだって。他の書類もひっくりかえしたら「カズヲ」だったりして、ひざから崩れ落ちました(こちらはもう時効で問題なしでしたが)。送り仮名、フリガナ、漢字、昔はホントにおおらかだったんですよね。これはパパが作務衣家がというのではなくて、日本国が。自分の思ってるのと違ってる場合があります。旧字体も加わりますしね。下手すると名前の漢字自体が違ってるかもしれません。最近とみに電算化で正確性が重要視され、ふりがなひとつではじかれる時代になってます。お身内に、特にご年配の方がいらっしゃる方、「じ」と「ぢ」(フジオさんとか)、「ず」と「づ」、「お」と「を」が主かな、「え」と「ゑ」、「い」と「ゐ」と「ヰ」もあるか、他にも「せう」と「しょう」とか「てふ」と「ちょう」と「ちゃう」とか、そこらへん、あとは本籍地とかね、ちょっと気にしていた方がよいと思われます。それともしかしたらですが、例えば「桑原」が「くわばら」か「くわはら」か、「錦織」が「にしきおり」か「にしごり」か「にしごおり」か…などなど、登録者側がおおらかな場合もありますので(苦笑)、機会がなきゃみない書類でしょうが、チェックしておくといいかなと思いました。お剛家も大丈夫だろうか…一度見とくかな。
2011.01.21
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淡々とした一日。たんたん。
2011.01.20
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今回のママのことで「笑うに笑えない話」と「笑うしかない話」があったので、今日は「笑うに笑えない話」を。 お墓がない。←そんな映画もありましたなどういうことかと申しますと。1.ママが亡くなる。2.葬儀屋さんに、今後のこともあるから、まずは菩提寺に連絡をするようにといわれる。3.作務衣家のお墓は山国某所の某寺に。パパ曰く「兄さんと一緒に買った」。わが作務衣家はいわゆる分家スジ。4.ぢねん君生まれて初めて某寺に電話し、生まれて初めて住職と話す。かくかくしかじか「葬儀はこちらで行いますので、いずれ納骨の時にお世話になります」と伝えたところ「そちら(ぢねんパパ)とはそういう契約をしていません。ですので、本家の方に納骨の件確認してみてください」。5.ぢねん君、超久しぶりに本家スジに電話。パパの兄さん(つまり伯父さん)はすでに亡く、その子ども、ぢねん君の従兄弟に代替わり。再度かくかくしかじか「納骨のことなんですが」と切り出すも、従兄弟さんはとっくに山国脱出で他県に住み、お母さんをひきとって山国にはすでに本家なし。従兄弟さんの子どもは女の子ばかりなので、「今後お墓の苦労はさせたくないので、某寺のお墓は自分の代でケリをつけようと思っている。(父からは)ぢねんパパの(お墓の)話は聞いていない。母も分からないと言っている」とのこと。なんとなく、お墓を兄弟で買った、ってのも「へえ珍しいなあ」と思っていたことは思っていたのワタシ。通常、本家のお墓には本家のヒトたちが入るのであって(もちろんいろんなパターンはあるでしょうが)、兄弟で入って、その兄弟の奥さんたちが入って、その子どもたちが入って、孫たちが入って…てなるの?分家スジは分家スジで買うよなあ…と。ぢねん君は「そんなもんか」と思うていたっちゅうが、なんてのんきなのー。文書も何も残ってないのであくまで推測ですが、伯父さんは、オトコショでお金を出しあって、本家のお墓を建てたつもりだったんだと思う。それをパパは一緒のお墓を買ったと思い込んでたと。ワタシは従兄弟さんが言ってることのほうが道理だと思うもん(苦笑)。ママが亡くなって、こういうことになって初めて、パパはママと自分が入る(つもりだった)お墓が無かったことが分かった。「じゃなにか、墓はパーか」と言って力なく笑っておったが、だっておっしゃんの名前も知らないし、伯父さんにまかせっぱなしだったんだなあ。ただ、いろいろあったママはぢねん君にこっそり「作務衣家の墓には入りたくない」って伝えたことがあるのだそうだ。従兄弟さんからは「もしそちらで墓を守ってくれるならおまかせする」という話も出たそうですが、いずれ山国に帰るといっても、山国には広うござんして、某寺へ行くにはかなりの時間が…しかも本家ないし(爆)。ワタシらの代でお寺とのおつきあいも厳しいものがあります。だから逆に、この出来事は、ママにもワタシたちにもよかった気はするんです。パパはがっくりかもしれないけど(苦笑)。しかし、ママが亡くなった当日にこの話を聞かされた時は、青ざめましたよね。ということで、今、どうするのがよいか調べてピックアップしている最中。少し見通しも出てきました。ワタシら2人は散骨と献体で覚悟がきまりかけていたのですが、それも含めてあわてず考えようと思っています。教訓:とにかく分かるヒトがいるうちに、いろんなことをはっきりさせておくことじゃ。分家スジは特に注意じゃ。
2011.01.19
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不連続記録。覚書。2日。いざという時のために、パパは半年前に葬儀屋さんの会員になっていた。それを知ったのがかなり最近。契約内容がイマイチ分からなかったので、電話で再確認したのがこないだ。そのうえでいろいろ舞い上がっていたのだから、知らなかったらえらいこっちゃだったはず。すごいタイミングだと思う。葬儀屋さんがかけつけてくれるのに1時間かかるというので、その間に関係各所に連絡。ここでまあ、問題発生。これはまた別の機会に。「覚悟はしていたけど…いやだな」とパパ。目が赤い。葬儀屋さんの車到着。家でのお通夜や告別式はしない、3人で送る、ということなので、ママを乗せて、葬祭場まで。途中で家に寄る。約2年、2年弱か、家に戻ってこれなかったもの。中に入れなくても。せめて家の前を通ってゆこうと。葬儀屋さんでは、ママはいったん安置所に。ヒト一人用のいわば冷蔵庫に。ここで一晩過ごしてもらうことになるのだか、寒そう。ワタシらは葬儀屋さんと打ち合わせ。無宗教の3人だけの密葬なので、あっさりといろんなことが決まってゆく。3日の8時から「仮通夜」で納棺、4日の9時半最後のお別れ、11時に火葬。このうえなく最短コンパクト。本当に最後まで手がかからないママ。いったん家に戻って、葬儀屋さんは簡易祭壇を仏壇の前にしつらえてくれた。お昼を食べて、パパの明日の持ち物チェックをし、解散。パパはやっぱり家がいいって。ワタシらは巣に戻る。明日は葬祭場で一泊するので荷づくりを。実家も巣も葬祭場から近いのだけど、最後までママひとりじゃあんまりだし、こちら側の気持ちもあるので、せめて一晩は…ということに。巣で夕飯食べながら、ぢねん君泣く。3日。しかし年末からものすごくいい天気。山国でじーさまばーさま送った4回もやっぱり冬ですげー寒かった。しぐれたりすることもあって、がちがち震えていたが、関東は本当に晴れるんだなあと洗濯などを干したりして午前中を過ごす。17時前にパパを迎えにいって、葬祭場へ。ハプニング勃発。これも別の機会。控え室に通されてびっくり、お風呂も流しもあって、床暖。ちょっとした旅館。思えばお剛父方ばーさまの時もそうだった。あの時はマッサージチェアまであって、揉まれてたよなあ。18時より納棺の儀。「おくりびと」の影響かなあ、初めて湯灌をみた。畳の上にきっと特養とかで使ってる湯船なんだろうね、それが置かれてあって、女性2人が肌を見せないようにタオルでかくしながら手際よくママの体を洗い、シャンプーをし。こういうサービス(?)があるのね。ワタシらは椅子に座ってその様子を見ている。お化粧もしてもらう。着替えの時は控え室にひきとって、また呼ばれて。さっぱりした顔のママは、ただ寝てるだけのよう。無宗教なんだけど、一応死装束を着せてもらって。納棺し、着物を上からかけてもらう。白一色の世界が若緑になって、ママの血色もよく見える。他に扇、ぬいぐるみ、パパからの手紙、ちびっこいブーケが入れられて、蓋をされる。もちろん顔のところは開くようになっている。デジカメで撮る。花で作られた祭壇が、控え室のむかいにある小さいホールに作られていて、ママをそこに運んで安置。一緒の部屋で寝ることは出来ないけど、24時間いつでも会いにこられる。パパはママをのぞきこんでは、しきりに「今にも動き出しそうだな」と言っている。夕飯を食べ、ママの好きだった「浅間節」を聞かせにいったり、ぢねんパパの昔話を聞いたりしながら、なんとなく24時。寝る。…パパのいびきがすごくて、ママにグチりにゆく。ぢねん君はあの轟音のなか、すやすや。むしょうに腹が立つ(苦笑)。4日。この日もピーカン。出された朝食を少し食べ、9時半最後のお別れ。黙祷後、祭壇の花を棺桶に入れて、花ぎっしり。デジカメ撮ったり撮られたり。場違いのような気もするけれど、思い出のひとつだものね。葬祭場となりの焼き場では、もうママの顔が見られない。ぢねん君慟哭、パパは目が真っ赤。ワタシもママに「お疲れさま」と声をかけかけて、声にならない。霊柩車に棺が運びこまれて、ちょっとだけ遠回りして焼き場に。ガラガラと炉に入って行って、それだけ。1時間早く始まって、ママ小さいからかな、1時間ちょっとで早くに終わる。お骨を拾って、やっとママを家に連れて帰ることが出来た。
2011.01.18
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金曜日有休だったので、3連休後の職場でしたが、またもやドでかいお年玉が待っていました。ここまでくるとイヤガラセ(?)。おい、日本の国よー。とてもとてもありがたいが、この形のお年玉は…現場大混乱じゃきにー!!!!!ワシらパートだというておるがじゃー!!!!!休みのあとはキケン。今年、仕事大変だ。泣ける。
2011.01.17
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消灯後も外が明るいから、こりゃ降ってる積もってるって思ってはいましたが。日本列島雪だらけ。でも山国に降ったのは、自分のせいのような気がする~(笑)。久しぶりのどか雪だって。20センチくらいかなあ。センター試験2日目、地元の会場で30分遅らせたところも出てましたよ。あいらぶながでん。駅には雪かき要員のおっちゃん。お疲れさまです。この電車に乗って帰ってきました。 さて、いったんお江戸に出て王国に向かう電車。お江戸脱出したころから土手や屋根、道の日陰にうっすら雪が残っているのを発見。あらま、王国も降ったんだ!。 …かわいいもんだ。でもこれは却ってこわい、道路凍ってるぞー。明日運転気をつけなくちゃ。
2011.01.16
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どっかんどっかんの雪。でした。そして、また、お好きなカタにはたまらない?画像。です。 この車輌は2月で引退だって。このコに乗って帰ってきました。車窓より外に目をやると、雪の中あちらこちらに「撮り鉄」が。このコ目当てだったのか、雪に鉄がよかったのか。いずれにせよ、お疲れさまです。こんなになあ、撮り鉄が市民権を得る日がやってこようとはー。隔離されてたこてっちゃん。めっちゃくちゃおとなしくて静かで、ご飯も食べなかったんだって。家じゃヤ◎ザなのに。久しぶりにこてっちゃんにさわれて嬉しかった。です。
2011.01.15
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大人四人がツラつき合わせてお剛家にいたところでね…こてっちゃん頼みもせいぜい1時間だし…てなワケで一泊で温泉温泉。ウチから車を使わず、なおかつ1時間もかからず行けるのは、湯田中渋温泉。温泉街の雰囲気もワタシ好みですし、温泉もよろしいのでー。こてっちゃんはかかりつけの病院兼ペットホテルに「隔離」。お好きなかたにはたまらない「モンハンゆけむり号」。これに乗って行きました。 道中の車窓から。雪少なめ(次の日から雪で、現在「えらいこっちゃ」状態と思われます)。 温泉の画像はありまへん。当たり前ですね。温泉街が好きだとか言っていながら、宿に入ったら帰るまで一歩たりとも外に出ませんでした四人衆。しかも10時半には完全消灯。これじゃ湯治やがな。女性陣は計3回、旅館の温泉に入りました。あったまるう。空いてたし、のんびりー。男性陣は背中のながしっこしたって。な、なんかすげー。そうそう、女性陣は「おしゃれ浴衣」のサービスがあって。あたしゃ紫の地にブルーの薔薇?牡丹?をあしらったもので、緑色の三尺をチョイス。ワタシらしっちゃあワタシらしい。翌日それがマツダセイコのデザインと判明し、勝ち負けでいうと負け。お剛母には「こんなときしか着れないじゃん、ねっねっ」とさんざんにたきつけて、白地にピンクや赤の牡丹、ピンクの三尺を選ばせて、ちょっとした座敷わらし。爆笑。いろんなおいしい食べ物が出て。かしずかれて。ありがたいことです。この日は雪、降ってなかったのよー。
2011.01.14
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明日有休発令。休み明けの物品納入が昨日どかんと。とりあえずその処理で7時過ぎまで残業。なんとか終わらせて帰ってきました。これで月曜日を無事に迎えられそうです。明日から山国に。正月帰りませんでしたのでね。お剛父母と4人で近場の温泉行ってきます。のに、本日、流血開始です…ははは、もう、毎度のことでどうでもよくなりました。ヒトサマに迷惑かけぬようあらゆる手段を講じたうえで、ちこっとお湯につかってきます。寒いだろうなー。なんか、くたびれそう…実の親のほうが疲れるっす。聞き分け悪いし(苦笑)。ということで、しばしさらばじゃ~。
2011.01.13
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あーめんどくさめんどくさ、めーんーどーくーさー!!!!!!!!!!
2011.01.12
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2週間ぶりに職場に行ったら、どでかいお年玉が投下されました。つまり…この1年(正しくは来年度1年間かな)、だいぶわたわたします。嬉しいことは嬉しいのですが、手放しで喜べるものでもなく…えーんワタシはパートのおばちゃんなのにぃ。今日も今日とてドタバタでした。
2011.01.11
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お休み最終日。長いようであっという間の2週間でした。以下、ぢねんママ『その時』までの記録。自分のための覚書の色合いが強いです。内容も内容なので、気の向かない方は飛ばしてくださいませ。…28日。ワレら2名疥癬注意報が解除。とはいってもまだ痒みもあるし(ムシの死骸でもアレルギー症状出るんだって)、すぐにはママの病院には行かないで2・3日待ってみようかと。29日。午後映画を観に行って、夜帰ってきたら留守電が光ってる。「いやな予感するよ」とワタシ。聞いてみるとパパから。ぢねん君がパパに電話「ぜんそくみたいで、酸素マスクをつけて、目の届くナースステーションの前の病室に移った」とのこと。「ぜんそく?」…のちに肺炎と分かるのだが、パパの間違いかぢねん君の聞き違いか…いずれにせよ肺炎だろうと判断、いやな感じが倍増。30日。午前中に病院へ。「あー、あー」という声が廊下まで聞こえる。声を出さないと息が出来ないみたいで苦しそう。右の肺が肺炎で急変の可能性もあると看護師と医師双方から聞く。時折「いやだ」「いたい」「ぢねん」「いたたた」というコトバは聞き取れる。こちらからの問いかけに答えるという感じではない。あとは不明瞭な、コトバにならないコトバ。お剛父方のばーさまが亡くなる前は、イヤイヤをして、さかんに手でなにかを振り払うしぐさをした。ママの「いやだ」がその姿とだぶる。31日はパパを拉致監禁してのお年とり。鍋の材料などを買い込む。31日。パパを迎えに行ってママの診断書を見せてもらう。淡々とした文章はそれなりにシビア。3人で病院に。ママの声が小さくなっていて、相変わらず苦しそう。パパは「昨日より落ち着いて、顔色もいいな」と言うが、どうみてもその逆。「目やに出てるなあ」と言ってさかんにママのまぶたをひんむいてて、ぢねん君に「やめなよ」と止められる。それは目やにじゃなくて、『その時』にむかっている症状なのよ、パパ、と思うが言わないでおく。むくみ、目、呼吸の仕方、おしっこの量等々、全てそれを物語っている。お剛母方のばーさまの時もそんなだったもの。パパは南方に兵隊さんで行き、復員後は救急車の運転手(…運転手?)をしていた。力道山や社会党の浅沼委員長(!)、常磐線三河島駅脱線事故にもかけつけたというので、たくさんの『その時』の現場にいたはずなのに、なんで分からないかな?という気がしたが、考えてみると、それは非日常の出来事で、任務で、こうして一歩一歩進んでゆく日常の、身内の変化は知らなかったんだな、と。そしてなにより、いろいろ認めたくなかったのかな、と。「薬が効けばいいんだがな」「がんばれよ」とママに声がけをしている。その後パパを拉致。スーパー銭湯経由でわが巣へ。音楽番組を見て年越し。飲んじゃって大丈夫…?と思いつつ3人とも飲んでしまう。1日。パパなかなか寝付けなかったって。かわいそうに。昼前に病院へ。新しい点滴の機械が入っていて、もっと静かになっているママに、新年のあいさつ。「みんないるから安心してね」。記録好きのぢねん君が新年の集合写真を撮ろうとしているところに医師登場、大変怪訝な顔で見られてしまう。その後パパとぢねん君が先生に拉致監禁。パパ曰く「引導を渡された」。ここにきてようやく、パパが『その時』が近いって認識した気がする。この数時間後から1~2日だということ。食べたくないけど腹ごしらえと今後の相談をかねてファミレスへ、その後実家に。嫌だけど考えとかなくちゃいけないということで箪笥を物色。ママの薄緑色の着物、扇子、ぬいぐるみ、大切に取ってあったパパからの手紙、ママの写真を‘準備’、各連絡先の確認。パパはその後自分の車で病院へ、ワタシらはショッピングモールでぢねん君の冠婚葬祭用の靴とシャツを買い(この時までなかった!)、巣に戻って必要書類などを持ち、再度病院へ。ママの小さい声がもっと小さくなってきて、ワタシはその呼吸を聞きながら眠くなってしまう。面会時間ぎりぎりの7時までママに付き添い、元気出さなきゃと焼肉を食べる。パパを巣に誘うが「自分ちがいい」とのこと。そうだよね。なにかあった時の病院からの連絡はパパのところになってるから、巣にまわしてもらうように念をおしてそれぞれ家に。落ち着かないけど、熟睡。2日。ぢねん君起きたな居間にいるなと思いながら、まだぐだぐだと布団から抜け出せずにいると、電話が鳴る。「電話!」と思わず叫んで跳ね起きる。しばらくしてぢねん君の「分かりました、向かいます」の声。パパからの電話、病院から連絡が入ったとのこと。とうとう。車で病院に向かう。ワタシら2人の到着を待って、8時20分に臨終宣言。心拍数は0になっている。7時半には心臓と呼吸が止まったって。それからの連絡だったから、3人とも『その時』には間に合わなくて、ぢねん君も悔いがあるみたい。でも、こればっかりは。どうしたって一人で逝くものだもの。ママ本当にお疲れさま。15年も病気と一緒だったんだもんね。その後病院を出る準備。浴衣を着せてもらって、うっすら化粧もしてもらっていた。ママはなんだか安心したような、ほっとしたような顔をしていた。いつも表情に乏しくて、つらそうな顔ばかりだったから、その顔を見たら、不謹慎かもしれないけど「よかったなあ」と思いました。
2011.01.10
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昼間から暴走族(珍走団?ダサイ族?)っぽいゴッドファーザーが。しばらくすると「おー」だか「わー」だか聞こえてきたので、おそるおそる外をうかがってみたら、スーツや白の羽織袴の青年たち。なんてことない、近場で成人式があったのでした。山国にももちろんヤンキーはいるのですが、この時期は寒いし雪も降るしで、お休みのことが多いです。温暖化とともに、成人式参上のダサイ族が増えているのかもしれません。まあ、こっちはヤンキーが多いなと、それはここに住んで正直な感想です。最近王国近辺は物騒で、ついこの間も王国内で中3生がホームセンターで刺される事件が。のんきにしてる場合じゃないと思うけど…子どもがかわいそうじゃ。
2011.01.09
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ぢねんママへお線香をあげに、ぢねん従姉妹2名とそのお連れ合い2名の計4名が実家に。もともと王国にお住まいで、伯母さん(パパの姉さん)が転居されたあとも、諸般の事情でまだ家は残っていたりして、義理を通してお江戸から来てくださった。ワタシがぢの字の親戚に会ったのはこれが初めて。です。パパの兄弟姉妹、存命の方全員80歳以上。ゆえに、その子どもたちが動くしかない。従姉妹ご夫婦はぢの字より年上で、お孫さんもおいでだったり。介護の問題、お墓の問題、相続の問題、みんな似たり寄ったりの悩みを抱えていました。ホントにねえ…昔は良く言えばおおらか、悪く言やいい加減で物事が進んで済んだんですよ。兄弟同士の口頭だけの約束とか、事後承諾とかでOKだった。それがこのご時勢。家族も社会も形態が変わり、「さて」と物事を進めようとしたらばうまくゆかず、何も聞かされてない子どもたちがどびっくり、てなわけです。今、ワタシらもいろいろどびっくりしている最中で、「…パパ…もう…ないよね…?」と祈るような気持ちです。ぢねん君も今回初聞きのことが山ほどあって、目を白黒させている。でも、もしかしたらパパが一番こたえてるかなあ。お客さんの「あとに残る子や孫が苦労しないようにって考えないとね…ややこしいことは私たちまでにしないとね…」という言葉をだまって聞いていました。仕事と遊びに一生懸命で、家の内のことはママにまかせきりで、作務衣家については伯父さんまかせきりで、でもそれが普通のことでもあった世代。そして、伯父さんも亡き今、いざという時ひとりではなにも出来ない(「出来ない」というより「わからない」)高齢者となってしまった…世の中がこんなややこしくなってるなんて、思いもしなかったみたい…ことに呆然としている感じです。兵隊時代も含めてよく、「お父さんは要領がよかったんだよ」と言って笑っていましたが、今回はそれが通用しなかったケースじゃないかしら。ワタシらは幸いにそういうパパの姿を見ることが出来た。これからそうならないように努力することが出来る…そう自分に言い聞かせてます。
2011.01.08
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今年の正月はあったかだったから、なおのこと堪えます。ぢねんパパ、おうちの片付けしてたら、ママがとっといた寛永通宝?やら五十銭やら十銭玉やらが出てきたといって見せてくれた。そういや旧札のピン札なんかも見たなこないだ。母方のばーちゃんも古銭大切に取ってあって、もらった気が…(見せてくれただけだったか?)。あー二千円札、とっといたほうがいいかしらね~。なんかまとまりません日記。
2011.01.07
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ぢねんパパとぢねん君がスーパー銭湯に行っている間、ワタシは散髪と整体に。昨年からのばしのばしにしてきたメンテナンスがここでようやく。体、ゴリンゴリンでした。
2011.01.06
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市役所へ諸般の手続きをしにぢの字と。なんとか一日で終わりまして、ほっ。ぢねんパパは…ママもですが、兄弟姉妹がいてなおかつ下っぱのほうだったため、喪主の経験ゼロ。85歳にして初喪主、これは気の毒。これは無理。ママが亡くなったのも堪えているし、書類記入や手続き、式次第、「こんがらがって、よく分からない」とこぼしていました。今までも冠婚葬祭の出席は数あれど、『ONE OF 関係者』の立ち位置だったから、見事に何も分からない。意外といえば意外だけど当然といえば当然だよなあ。この高齢化社会のご時勢では、パパのようなことがあるのだなとしみじみ思いましたよ。…で、パパが初ということはぢねん君も初なわけで、一事が万事舞い上がり気味で、とにかく落ち着け、と。眠れてはいるけど、身内をなくした気持ちのほうもあって、ヘロヘロ。お剛家はお剛父がぢーさまばーさまを送ったし、3人家族だから身近で様子はみていて、なんとなく雰囲気は。唯一の経験者…とはいっても役所への手続きは初体験。なのに「手続きはこっちでやるからパパ心配しないで」とはったりかましてました(爆)。オトコショ2名よりは客観性のある立場ゆえ、気持ちに少し余裕があったのでありましょう。3つ用事が済むと2つくらい事件?が勃発します。落ち着くのはもう少し先かな?仕事が10日まで休みで助かりました。
2011.01.05
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もう午前中で終了。さいごのさいごまで、ママは手がかからないこと限りなし。おうちに連れて帰ってきました。天気もよくてね。これからパパのことが心配ですが、つかずはなれずの見守り形式がパパには良いようです。
2011.01.04
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ぢねんママは、王国の作務衣家3人だけで送る、密葬も密葬の家族葬。この日は一応の名目は「仮通夜」。この最小単位での式に(式自体はつつがなく済んだけど)、次から次へと襲いかかる爆笑ハプニングの数々。なんでこうなるかなー。ママごめんね。もうちょっとしたら書きますよ。
2011.01.03
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今朝。落ち着いたらママの話を書きます。
2011.01.02
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昨日はぢねんパパとの初お年とり。去年は大晦日イブだかイブイブだったかで拉致監禁したからねー。「パパは毎年、大晦日は何見てるの?紅白?」…ワタシはあちこちチャカポコ派で、ここ十数年は紅白をしっかり見ることもなく。歌番組好きのぢねんパパのことだから紅白だろうと。今年は覚悟してみるかあ、とハラをくくっての問いだったのですが「ううん、年忘れ…なんとか」ああーそっちでしたかー。山国ではテレ東局がないもんだから、この番組はなじみが薄くて想定外でした。あれね、「年忘れにっぽんの歌」。確かに新聞に書いてあるよ、うん。昨日ほど、お剛母とこてっちゃんを傘で追い詰めた暴力叔母の英才教育をありがたく思ったことはありませんでした。お盆の時期の某国営放送「懐かしのメロディ」がデフォルトだった幼少時代の刷り込みが生きて、にっぽんの歌を見ながらの、パパとの会話がはずむはずむー。そうじゃなくともおぢ(い)には柔軟に対応できる力を神様からいただいているので(?)、まあよかったです。そんなことはさておき、今年もどうぞよろしくお願い致します。ちょっとバタバタしてまして、新年早々ぬるま湯さぼり気味になるかもですが、しばらく寝かしたらまた出てきますので、よろしくですー。
2011.01.01
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