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祖母のうちに家族で遊びに行ってきました。年明けてから初めてなので遅ればせながらお年始のご挨拶。祖母の家に行くのも結構久し振りなので、息子の成長っぷりに祖母は喜んでくれました。お昼をご馳走になるタイミングでDAIGOマミーがやってきて、一緒にお昼食べました。DAIGOはちょうど北海道から帰ってくる日だったそうですが、到着が夕方頃の予定なので残念ながら行き違いで逢えませんでした。んでも、我々が新潟で録画してきた地方番組のビデオをDAIGOマミー(私にとっては叔母さん)や祖母に見せたり、先日のワンマンの時のライブビデオ(門外不出。カメラは固定されてる感じ)を見せて貰ったりしたのでした。DAIGOのライブビデオ、最初はちょっとノリが悪かったお客さんも最後の頃にはノリノリになっているのが良くわかりましたよ。新曲も演奏したのですね。次のワンマンはデビュー1周年の7月21日だということでした。平日だからお客さん大変ですね。ビデオは祖母やDAIGOマミーとお喋りしたり、子供の面倒をみながら見ていたので、じっくり見れなかったのが残念でした。で、ライブでDAIGOが配っていたマミークッションの余り(?)をDAIGOマミーから貰ってきました。あれ、DAIGOがライブでも喋っているように本当にDAIGOマミーの手作りなんですよー。バレンタインのイベントにもマミークッションバレンタインバージョンが登場しそうな話でしたよ。
2004年01月24日
土曜からインフルエンザで寝込んでます。噂の特効薬タミフルのおかげで具合はだいぶ良いのですが、まだ人に移す期間だというので自宅の寝室に隔離されてます。旦那さんも必要な時にしかきません。かわいい息子の顔もほとんどみてませんがうつしちゃうよりはいいだろう。明日まで会社はお休みする予定です。あさってからの仕事がこわいね。
2004年01月20日
私は4歳か5歳くらいからピアノを習っていて、高3の5月までレッスンを続けていました。私が習っていた先生は個人で教室を開いている先生で、山梨県内では音大進学率ナンバーワンという噂の先生でした。高3の5月までというのは、その先生のところでは音大に進学する人以外は高3の5月の発表会で卒業ということになっていたからで、結局卒業までちゃんと続けていたということになります。その先生はとても厳しく、レッスンの時爪が伸びていたという理由で帰らされた生徒がいるという噂を聞いたこともあったくらいでした。中学時代はほとんど練習しないでレッスンに行ったりしていて、毎回とても怒られたものですが、それでもやめようという気にはならなかったです。まあ、その頃やめなかったのはここでやめたら負けだって気がして、負けず嫌いの血が騒いだからなんですが。高校に入ると、練習時間を作るのは大変ではあったけれど、中学時代よりずっとちゃんと練習するようになりました。ピアノを弾くという楽しさが本当にわかってきたのがこの頃で、勉強の息抜きとしてピアノを弾いていた感じでしたね。毎年5月の連休に発表会があって、小学校の頃とかは数ヶ月前に曲を貰って個人練習をして、1ヶ月くらい前に数学年毎の合同練習を数回行い、当日を迎えると言う感じでした。中学になると数ヶ月前では練習が間に合わないのでもっと前に貰うようになり、高校時代にはもう5月の発表会が終わったら次の年の発表会の曲を貰って1年かけて練習するような状況でした。1学年はだいたい4~6人くらいの生徒がいて、私の学年は小学校の頃は6人くらいいたけど、高校の頃は4人になっていました。そのうち私と唯一の男の子は音大受験しない組で、二人は音大受験組でした。音大受験組(ちゃんと合格しましたよ)の子達は小学校時代から明らかにうまかったのを覚えています。普段のレッスンでは同じ学年の子達とはレッスン日も違うので交流することはないのですが、ピアノのレッスンの他にソルフェージュもあり、その時は数学年合同だったし、ピアノの発表会の合同レッスンでも一緒になるので同学年の子とは仲が良かったです。先生がクリスチャンだったということもあって、クリスマス会は県内のホテルの会場を借りて行っていました。各学年が何か出し物をしたり、プレゼント交換をしたり、賛美歌を歌ったりしてました。結局、長い間続けていた割には趣味で楽しむレベルにしかあがらなかった腕前ですが、ピアノを習っていて本当に良かったなぁと思っています。楽譜が読めるのって、当たり前すぎてすごいとは思わないんですが、旦那さんから見たりするとすごい技術に感じるようです。ところで、良く言われる絶対音感ですが、私は完璧な絶対音感がないくせに絶対音感的な音のずれが気持ち悪いと感じるところがあり、自分ではだいたい音感だと言ってます。相対的な音感はかなり自信があるのですが、自分の中の基準音が時々ずれるんですよ。なんか中途半端な感じです。
2004年01月14日
掲示板で話が出たので、私のaccessのファン歴について書いておきましょう。記憶のみに頼っているので時系列はだいぶあやしい。元々、私はTM NETWORKの大ファンでして、大学時代は最大で1ツアー10公演見た事があるくらい好きでした。今も好きだけど、ほとんど聴いてないなぁ。新しい活動追い切れてないし。で、その関係で小室先生がイメージキャラクターをやっていたシンセサイザーEOSのイベントに行ったりして、その課程で浅倉さんを知った訳です。記憶もあまり定かじゃないんですが、YAMAHA渋谷店で行われたEOS DAYというイベントで1mくらいの距離でEOSを弾く浅倉さんを見たなぁ。多分お正月あたりのイベントだったんだと思うんですが、お正月の歌をシンセアレンジしたやつを弾いてくれたりしました。その頃の浅倉さんはまだ髪の毛は真っ黒でふっくらしてて、EOS博士とか言われてましたねぇ。で、その後浅倉さんはTMのサポートメンバーとして参加するようになり、ソロアルバムが出たのでそれを買ったり、浅倉さんのファンクラブ Smileが発足したので入会してみたりした訳です。発足してすぐに入会したので会員番号は2桁でした。更新しなかったのは惜しかったかもしれない。そういう流れなので、accessが結成されたら当然のようにCDを購入し、HIROの声が気に入って(というかD-Trickの時点でHIROの声はシンセ中心の大ちゃんの曲にあうなぁと思って気に入ってました)自然にaccessのファンになりました。それ以降CDが出れば買う、LD(ってあたりが時代を感じる)が出れば買う、ツアーがあれば可能ならライブに行くと言う感じでファンやってました。で、accessが解散しちゃった後は、二人を追い切ることができなくてなんとなく自然にフェイドアウトって感じです。活動再開してからも全然追えてません。なんせ、本当に大好きだったTM NETWORK(のちにTMN)すら再結成後の動きを追い切れてない(っていうか追う気力がなくなっちゃった感じ。両方とも)状態です。そんな訳でデビュー当時からずっとファンではあったんですが、ファン歴としてはaccess解散と同時にそのまま終わっちゃってる感じです。
2004年01月09日
遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。…ってもう松の内も過ぎてますって(^_^;)。今頃新年の挨拶をしているあたりで、今年も素早い更新はのぞめそうにない雰囲気バリバリですが、今年もよろしくお願いいたします。皆様、よい年末年始をお過ごしでしたでしょうか?私は29日~4日まで、新潟の旦那さんの実家で過ごしてきました。で、多分29日の夜だったと思うんですがボーッとローカル局の番組を見ていたら、いきなり画面にDAIGOが登場してびっくり。その日の深夜に放映する番組のゲストだということで慌ててビデオに撮ったのでした。どうもラジオと連動した番組だったようで、ラジオのスタジオっぽいところでの短めのインタビューが流れ、続きはラジオ番組でということになってました。(ラジオまではチェックしませんでした)スタジオへの通り道でカメラに向かってカッコつけてたり、インタビュー開始と同時に「やっと逢えたね」と言いながらサングラス外したり、いつもの調子の言動満載で、非常にDAIGOっぽかったです。曲に関してはスペースカウボーイのPVがちょっとだけ流れただけだったよ。それにしてもびっくりしたなぁ。偶然番宣目にしなかったら、全く気付かないうちに放映が終わっていたに違いないよ。旦那さんが言うには、「この前東京駅で偶然あったときのサングラスと同じだと思うから、もしかしたらその時のやつかもね」と言ってました。確かに偶然あった時にDAIGOが向かうのは新潟ということだったので、もしかするとそうかもね。
2004年01月08日
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