オデカケぷぅ♪ の新築アゲイン!

2010.08.12
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カテゴリ: 徒然と・・・

 凄く長くて個人的なことなのでヒマ人以外はスルーしてね

先月、母にくっついて富山にいった話。

相方を運転手として 3人で 探し物は・・・・菩提寺。

母の母方の先祖は僧侶だったらしく、富山にいたのだけど

明治のころ、いろいろ苦しくなり

(15~6歳のころ、数多い弟妹と母を残し、父が他界)

20軒ほどの檀家さん等もろもろの事を近所のお寺にお願いして

50代高祖父と20代曽祖父が2代いっしょに

大正時代に北海道の根室へわたってきた・・・と聞いていました

その後、転々としつつ 函館で大火にあい そのとき2つあった

過去帳の1つを焼失してしまった。

しかもその翌年、高祖父は亡くなり 

それで過去のご先祖様のことがまったくわからなってしまった・・・

供養するにも名前も戒名も 自分達が代々、どこにいたのかも。

それを信心深い曽祖父はひどく気にやんでいたようで

探そうとしたんだろうか? どういうわけか

昭和5年

それがずっと残っていて、当時の思いを今に伝えている

それを持って、富山にいってきたのです

その謄本によると、高祖父の母親の生まれが弘化3年

ちょっとした幕末浪漫に想いを馳せるネタになったりもしてるんだけど

でも既に苗字をもっていた

(ものすごい変わってる苗字で  今でも富山の一部に数件あるだけ、とか)

そこそこ大きな家から嫁にきたのだろうな、ということが伺える。

出身の住所も残っているし、誰の長女だったかも載っていたんだけど

でも、肝心の高祖父の父親といえば

(嫁の記録はきちんとしてるのに)どこで生まれたかは載っておらず

最後の居住地しか載っていませんでした。

当事の交通事情などからして、あまり遠くから嫁がくるとも思えないので

高祖父の母の出身地の近くだったんだろうとは思う

さて 謄本で知ることができる最後の住所・・・富山にいた最後の地

市役所の戸籍課 課税課 法務局などでイロイロ協力してくれて

大正の古地図を出してきてくれたり。

古くて 巨大で 折りたたんで保管されているものの

あちこち敗れてるんですが そのいくつかを見て 現代地図をあわせてみて

そうして 最後の地、の 現在地をやっと知ることが出来たんですよ

現在地にいくと そこには 

昭和初期を思わせる古い家がズラーっとたっていて

町並みも古く、なんとも味のある港町。 浜が目の前。

昭和16年にこの町で大火災があり、町が全部燃えてしまい

道路の整備をして 昔とは少し区割りが変わってしまってた

近所の郵便局の人に

「一番なんでもよく知ってそうなお年寄り」

を教えてもらい(笑)、そのお宅へ話を聞きに伺った

初対面でいきなりやってきた3人組に

それはそれは親切に知りうる限りのことを教えてくれた

古い酒屋のおばあさん

僧侶というキーワードから、ここ最後の地で

古くからあるお寺を教えてくださり そこを何箇所か回ってみた

大きな寺、小さな寺・・・お寺ではどの住職さんも(1人のぞいて)

みな親切で 中にあげてくださり、お茶をいれてくれて、

北海道から来た労をねぎらってくれた。

親身になって話を聞いてくれ、そして一緒に考えてくれて

それぞれの檀家さんの中で同じ苗字のひとに

連絡をとって 確認してくれた。 時に その場まで呼んでくれて

見ず知らずの同姓のおじいさんと昔話をしたり。

だけどもう私にとっては5代前以前の話で

当事のことを知ってる人がそうそういるわけでない

電話応対してくれた同姓の方の中には

「昭和になって嫁に来たのでその前のことがわかんない」

という家もあった。 

実際に来てくれた同姓のおじいさんは80代で

強烈な方言で半分くらい聞き取れなかったけど

「自分の祖父のころの事情など、もうわかんない」と言っていた

でもね、叔父さんの顔にちょっと似ているんだ

もしかしたら このおじいさんとも どこかで繋がってるのかな

と思うと なんだか 温かい気持ちになったり。

1つの結論にたどりついた

高祖父は ここではなく

母親が住んでいた地区の近所で生まれたのだろうと。

高祖父の父は その近隣で 坊さんをしていたのかもしれない

でも高祖父が15~6の時に 弟妹らと母を残して他界してしまった

当事の15~6はもう大人とはいえ お寺さんとしてはまだ若すぎる

7~8年して、母もなくなり 妹達が嫁ぎ(多分)弟の1人は養子にいき

残りの数人をつれて 当事流行っていた港町へいった?

そこで小さな道場みたいなものを開いていたんだろう、と。

なぜなら最後の地の近辺には200年も昔から寺はなく

でも道場のような、寺号をもっていない 小さな寺なら点在していたと。

(郷土史に詳しそうな住職の奥さんが言ってた)

そもそも「寺号」を持つと言う事は

歴史だけでなく、構えも、資金も、檀家の数も 必要だったと。

だから簡単には捨てられないんだと 地元のお寺さん談。

で、時代によっては誰もがそういうお寺さんで

戒名をもらえるわけでもないので

農家をしながら僧侶の仕事をしてる小さなお寺さんなどが

地域の葬儀関係を世話してたということも考えられると。

つまり お寺があったわけじゃないっぽい・・・

結局、それ以上調べるには

「高祖父の父」の居住地の変遷を調べるしかなくなる

おそらくは 高祖父の母 の実家の近くだろうと思うけど

そこは内陸で今もなお畑が続いてるような地区

遠い・・・ 途方もない・・・ さすがに断念せざるを得ない・・・

ご先祖様たちは きっとどこかで眠っているんだろうけど わからない。

私にとっては5代より前のことだけど

高祖父の戸籍謄本をとっていた曽祖父にとってはたった2代前のこと

しかも20代になるまで富山で暮らしていたのだもの

ご先祖様のことを 最期まで気にかけていたというのもわかる話。

私はこの曽祖父を「じっちゃん」と呼んでいた

じっちゃんは 生まれつき耳が遠かったっけ・・・

今回は「最後の地」へ赴き、ここで暮らしていたのかーと

田舎から港町へ出てきた高祖父、まもなく隣町からお嫁さんがきて

ここで生活してたんだなーって。そんで曽祖父が生まれて

幸せなひと時があったんだろうなぁーって。

そんな事をイロイロ考えられてさ ちょっと嬉しかった

なにより 土地の皆さんが本当によくしてくれた

(近所じゃしばらく話題騒然だろうと思うけど)

しまいには「泊まっていけ」とか言い出して お断りするのも大変で(笑)

気さくで 親切で そういう人情に触れることができて

なんか凄く 心が潤ったというか 良い経験をさせてもらったなぁと。

でもさすが 僧侶だった と言われてるだけあって

今のこってる方の過去帳ですら

享保年間(享保1716~36)~から始まっている、現在2010年。 

坊さま曰く、門徒は元々位牌ではなく、過去帳に魂をいれていく。というから

300年分(数えたら5~60人)の魂は ここに還ってくるんだなぁーと

思うとシミジミしちゃうよね

焼失した方はさらに古い一冊だったというから 

そりゃ見てみたかったよ、その過去帳。

そんなことを色々と考えさせられてると

自分がいることが奇跡に思えてならない

こないだ 残ってる方の過去帳を見ながら

ここに載ってる人たちが その時代時代を必死で生き抜いてくれたから

きっと戦争もあって、飢饉もあって、今よりもっと生死に関わるような

喜びも、悲しみも、たくさんあって・・・ でもそれがあったから

今の自分がいるんだよなーって わかっていたつもりだけど

今回そうやって旅が出来て、身にしみました 本当に。

今年のお盆は また今までと少し違う気持ちで 迎えています






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最終更新日  2010.08.12 16:06:55 コメント(2) | コメントを書く


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