四阿

2017.04.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類

先月末、父が身罷った。
今年の正月(厳密には去年の大みそか)に帰省した際、施設に訪問したときが
わしが生前の父に会った最後となった。
いつも春先にわしの田舎へ行く伯父が先月頭に面会に行ってくれたそうだが
インフルエンザの蔓延で断られたらしい。
わしらはほんとうにラッキーだったのだな。
3月24日に入院した時にはもう母に最後通告があったようで
相当弱っていたのだろう。
危篤の一報を受けたのは正午直前だったので許しをもらい
母と通話する中で、とるものとりあえずぶっ飛ばせば
間に合うかもと淡い希望を抱きながら兄弟と連絡を取っている間に
足早に逝ってしまった。
もう急ぐことはなくなったわけだが、一大事には変わりないので
久々に忙しかった年度末の当日にも拘わらず、午後から休みにしていただいて
大雨の中急いで帰宅。
各方面と電話調整しながら帰省の荷造りをし、相方を待って
出発できたのは17時、着いたのは0時。
最初は実家に連れ帰る算段で、入院先に詰めていた母が家を片付けるために
一時帰宅している間にそそくさと旅立ってしまったのだが、葬儀の段取りを
つける中で通夜会場も貸してくれるところがあり、世話がないということで
実家からは40キロほど離れた斎場に安置されていた。
母は結局実家に戻り損だったわけだが結果的に負担が減ったのでよかった。
お世話になった斎場は、駐車場に車を入れてみると真っ暗で当然人の気配なく
間違えたのではと訝しんだが、駐車場を奥へ進むと
民家のような建物に明かりがついており、近づいてみると
まさにうちの名前が掲げられていた(「〇〇家」っていうやつ)ので
安心してのぞくと、果たして母がいた。
九州から叔父も駆けつけてくれていた。
元気な時も、決して恰幅が良いとか太っているとかいう形容詞が
つくことはなかった父だが、年の割には背丈もあり貧弱ではなかったのに
痩せられるだけ痩せて小さくなっていて、その姿がさらに悲しみを増幅させた。
対面して半時ほどしたら長弟一家が、さらに妹夫婦が相次いで到着した。
安置した民家様の建物は、通夜会場として作られたもので
斎場の敷地内に、規模の大小を変えて4棟ほど建てられているうちの1棟。
わしらが使わせてもらった棟はおそらく最小のものであろうが
和室が2部屋あり、簡易キッチン、トイレ、それに浴室まで備えてあり
布団もあって、夜伽に適した建物であった。
長弟一家と妹夫婦が残って伽をしてくれるというので、わしと相方は
母と叔父を連れて実家へ帰って休ませてもらった。
翌朝再び訪れて、10時から納棺をしてもらい、葬儀までの間に
軽く昼食や打ち合わせを済ませている間に、次弟夫婦と叔母一家が到着。
特に次弟は1000㌔の道のり、よく間に合ったと感心しきり。
そうこうしている間に式も始まり、母の強い希望で
家族葬としたはずなのに玄関先に集落の人が大勢弔問に来てくださって
感謝するやら戸惑うやら。
なにぶん小さい集落であるし、手弁当で集落内を駆け回っていた父であるから
人が集まったであろうと思うと、また目が潤む。
おおむね母の希望通りに事は進み、無事に式が済んだので
取って返して30㌔あまり、実家に近い火葬場へ。
2時間足らずで拾骨できると聞いて技術の進化に驚く。
そういえば、昔目立っていた高い煙突もいつの間にかなくなっていた。
待っている間血縁者ばかりの中で外様気分の相方のケアもしつつ
思い出話に花を咲かせる。
無事に骨をおさめたところで、叔母一家は帰阪。今度こそ集落へ戻って納骨。
集落内に墓地は何か所かあるが、我が家の墓はその1つの中で
一番高い位置にある。
そこへ今度こそ、集落内の動ける人が全部来たんじゃないのくらいの人が来ていて
わいわいがやがやと姦しい。
ところが姦しいのは、人の多さのせいだけではなかった。
納骨という最後の儀式がわかりきっているので先に開けておいてくれたのだが
なんと我が家の墓の石碑の下、納骨室に
ミツバチが巣をこしらえていたのである。しかもまあまあでかい(笑)
いったいどこから入ったの…(´・ω・`)

写真の右端の部分であろうか、もぎ取った巣の一部を渡されたので
恐る恐るなめてみたら、甘い!はちみつだ!(よく考えれば当たり前)
結局大きくて丈夫なビニール袋で巣の全体を覆い、平型スコップで
巣の根元を一気にざっくりするという方法で事なきを得た。
取った巣は養蜂をしているという人物(あとから聞いた)が持ち帰ったようだ。
母ははちみつを惜しがり「一言の断りもなく…」と憤っていたが
のちのち聞くとこの人物、近年母と因縁浅からぬ人物であったようで
今ではわしも、母の怒りが移ってしまい心の中では
「火事場泥棒」と罵声を浴びせるに至っている。
因果応報、って言葉を強く信じる今日この頃。
とにもかくにも、納骨も無事済んだのでこれにて逝去直後のセレモニーが
無事すべて終了。
ちなみによそと違うからなのか、家族のみとの母の意向だからなのかは不明だが
納骨は、本当にただ骨を納めるだけのものだった。
今調べたらわざわざ僧侶を呼んでうんぬんかんぬん…のくだりをネットで見て
これでよかったと一人納得している。
やっと家に戻り、着替えて一息。長いこと一緒にいてくれた叔父が帰宅。
この叔父は、今回もいの一番に駆けつけてくれていたが
父が去年、今回と同じ誤嚥性肺炎で110㌔も離れた大きな病院に半年入院したとき
足しげく母のもとに訪れ、母を入院先に連れて行ってくれていて
兄弟全員、ほんとうに頭の上がらない人物である。
人が良く腰も低く、なんの悪いところも見つけられない。
先の養蜂の人物と、身近にこうも極端な人がいるかと…(まだ言うw)
本当はその叔父にも一緒してもらいたかったが無理を言うわけにもいかぬので
残った兄弟姉妹と母、合わせて11人でせっかくだからと、温泉施設に併設の
食事処で一緒に晩ごはん。
めったに顔を合わせることがないのでこれも父の引き合わせと思い
楽しんで食事して、せっかくだから温泉に入り、妹夫婦と次弟夫婦は
併設された宿泊施設へ、わしらと母と長弟一家は実家へリターン。
翌日の日曜日、相方は月曜からの仕事のため予定通り帰阪したが
甥が体調を崩したため長弟一家が予定を切り上げて戻り
妹も万全でないということで戻り、次弟も嫁の体調をおもんぱかって
月曜には1000㌔を引き返していった。
思ったより早くわし一人、母のそばに残ることになってしまったが
わしは最初からこの週いっぱいいるつもりだったので
遺品整理だとか支払いだとか温泉とか温泉とか温泉とか(笑)
時間の許す限り母といた。
帰りは久々に、母に最寄駅(何度も言うが車で43㌔:笑)まで送ってもらい
何年振りかの電車で帰った。
やっぱり車がいい。荷物運べるしなによりドアtoドアだ。
疲れが出たのか道中寝てばかりだった。

正直、実感がない。
実家にいたときはなおさらだった。父は晩年、入院したり施設にいたりで
家にいることがまれだったし、脳梗塞を患う前はそれこそ仕事で忙しく
患ってからは自室にこもることも多く、帰省しても食事の時に顔を合わすだけ
ということも少なくなかった。
父一人を連れだして大好きなホームセンターに2人で行ってみたりもしたが
今となっては、満足なコミュニケーションをとれていなかったと後悔しかない。
もっとこうすれば、ああすればと今になってアイデアが思いついても
まったくもって後の祭り。
本当に取り返しのつかない事態になってから、後悔というのは
湧き上がってくるものなのだと痛感している。
この先、母を見送るときもこの思いを味わうのだろうが
すこしでも減るように心がけたいものだ。
親孝行したいときには親はなし。
いつまでもあると思うな親と金。
昔の人はいいこと言った。
しんみりしてしまったが覚書。今日はここまで。
GWに仕事道具を中心に、本格遺品整理をしに再び帰省するので
このことはまた後日。






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Last updated  2017.04.22 16:44:02
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ちょ@ Re:ぬぅぅぅぅ!!(06/23) で? 結局買わないまま?^^ フラ…
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