桐まみれの日々 by さきさん

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2006年08月08日
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カテゴリ: ひとりごと
野球解説者の張本さんが、広島原爆の被爆者であることを、テレビで語られた。
 61年経って、重い口を開かれたのは、世界がそれを忘却の彼方へ追いやってしまうことを懸念しての敢えてのカミングアウトだ。

 今でこそ、被爆者であること、被爆二世である事を口にする事が、世間からの差別を受けることとイコールではなくなったが、ここに至るまでには、本当に悲しく辛い物語が、数え切れないほど繰り返された。第三者として語れば、「数え切れないほどの」と一括りに出来るが、それぞれの当事者にとっては、一生の問題であり、結婚、就職、妊娠など、社会に生きる上でどうしても避けて通れない要所要所で、被爆者と言う事実が暗い影を落とし続けてきたのだ。

 広島県内に生まれ育ったお蔭で、私は小さな頃から原爆について様々な情報を受け取ることが出来たし、小学校時代には何度と無く「はだしのゲン」の漫画を読んでは涙に暮れていた。
 その中には原爆の恐ろしさと、もう一つ、見過ごすことの出来ない大きな題材が描かれていると思っていた。それは、人間の残酷さだ。

 人は自分に余裕が有る時には他人にも優しくできる。けれど、余裕がなくなり、追い詰められると、人への思いやりなど、きれいごととなってしまう。言ってみれば、人の本性は、とことん追い詰められた時にこそ表れるのだ。
 原爆投下直後、ゲンの周りの多くの人は、被爆者を化け物扱いにし、冷たくあしらい、その人に一日も早い死が訪れることをあからさまに望んだ。ゲンはそんな人たちと対立しながら、被爆者をいたわり、自らの放射能に病んでいく身を粉にして命を全うしていく。

 出来ようはずもないが、子供心にそんなゲンのように自分も生きたいと思ったものだった。






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最終更新日  2006年08月08日 16時11分37秒 コメント(2) | コメントを書く
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