桐まみれの日々 by さきさん

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さきさん1850

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2006年11月05日
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 昨日、今日の二日間、市のホールで学校へ行こうとか言うスローガンの下、教育の日行事が行われた。息子が通う中学校も、小中一貫のモデルとして、小学校4、5年生と中学生全員による合唱を披露するため、今日は朝から授業を受け、5時間目を終えて現地へバスで移動。ステージに立つ運びとなっていた。
 父さんと二人、久々のデート気分で軽トラに乗ってお出掛け。義母の誘ったが、骨折で不自由な足が彼女を家に引き止めて仕舞う。無茶苦茶と言うわけにもいかず、義母とユズを残して出発。

 会場は1500席を有するホールだが、こうした市全体の行事となると、一日中の開催が常で、朝から晩までずっとと言う人は極めて少なく、恐らく皆無で、我が子の出番を狙って来場し、終わったら帰るというパターン。人が入れ替わりつつ一日が進む。そして、席の埋まり具合は到底満席と言うには程遠い。関係者以外への声掛けを、もっともっとやれば違うのかも知れないが、休日は、皆さんお忙しいので仕方ない。

 会場に入った時、毎年、10名が中国の平胡市だったか、姉妹都市縁組をしている町へ派遣されるのだが、今月22日から其処に赴く小学生たちが、壇上で歌や決意表明を披露していた。
 彼女たちの次に、上下中学校が全員で合唱した。制服姿の生徒たちが、決してレベルが高いとは言いがたいが、精一杯声を出して歌う姿を観ていると、先日、福岡で命を絶った中二生のことが思い浮かんだ。彼も、あんなことがなければ、こうして学友たちと同じステージに立ち、声を限りに歌うこともあったかも知れない。それを思うと、愛おしい気持ちがこみ上げ、涙が溢れ、溢れ、ハンカチを持っていかなかった私は、ホールの高い天井を見上げ涙が毀れるのをこらえることで精一杯だった。

 ステージは替わり夏休みに実施されたキャリアスタートウイークについての座談会。受入400社を募ったところ、当初はその数が足らず、一社一社教育委員会の担当者が足を運び数を確保した苦労話も盛り込まれ、教育委員会も頑張っているんだぞ!とのアピールかな、と邪推。

 その後、ステージに明郷小学校と第三中学校の生徒が上がり合唱の披露となった。曲はカントリーロードと若い翼にの二曲。文化祭で披露したレパートリーだ。

 小学校の子供たちの声は思春期のお兄ちゃん、お姉ちゃんの恥じらいを含んだ声の上に乗っかり、大きく響いてくる。けれど、音域により、高く、声の出にくいところになると、中学男子の変声期を経た逞しく響くテノール気味の男声が、さらに高いところは、アルトからソプラノの美しい女声が響いてくる。

 「補い合う」それがとても大事なことなのだと気付く。この世にスーパーマンなんて居ない。誰だって、得意、不得意があるし、身体能力の差だってある。大きければ良いというものでもなければ、小さければ良いというものでもなく、中間が一番よいのかと言うと、決してそうばかりでもない。

 自分の足りないところを情けなく思うのではなく、人の足りない所を補えることに誇りを持とう。世の中、持ちつ、持たれつ。二度目だけれど、スーパーマンなんて決して居ない。誰にだって出来ないことがあるし、人には出来ないけれど、私には出来ることも必ずある。
 皆、自信を持って前を向いて歩いて行こうよ!壇上の子供たちに教えられた気がした。

 夜、手塚治虫氏に関する番組を放送していた。先生のテーマは命。漫画家になった頃は「漫画」が弾圧され辛い日々を送られたようだ。そんな日々を乗り越え、鉄腕アトムの誕生。一成を風靡したのも束の間、劇画に取って代わられ再び辛い日々を送る。その中で、ヒットを狙い、自らのテーマを逸脱した作品も手掛けたが、当初からの手塚ファンを失うという悲しい結末を導くだけだった。

 やはり永遠のテーマは命。命とは何か?生きるとはどういうことか?どの手塚作品の中にも生き生きと、そして、営々と謳われているそのテーマこそ、今私たちが見つめるべき最も重要なものではないだろうか。





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最終更新日  2006年11月06日 09時30分58秒
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