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昨日の記事に書いたとおり、うちに娘は、ほぼ9割5分の子供が受かる内部進学に落ち、記念受験で受けた大学附属小学校の補欠を待つのみになっていました。他の機会に書こうかと思いますが、年長の夏に通っていた幼児教室の室長の考え方、やり方がどうしても許せずに退塾しました。受験間近の9月から家庭教育のみで、母親の私が一生懸命教えて、補欠受験までたどり着きました。しかし幼児教室に通っていなかったため、補欠の件に関して、相談する方が全くいなかったのです。いろいろネットの情報などを読み漁ると、学校関係者との面会が一番効果があるようでしたが、我が家に関係者がいるわけもありません。仕方がないので、小学校の校長先生宛に補欠合格にしていただいたこと、補欠の順位はわからないが、学校に入学したら頑張らせるので是非入学を許可してほしい旨のお手紙を書きました。それを夫婦で持参し、小学校の校長先生に渡しに行こうと決意しました。高級和紙の便せんを購入し、年度も下書きし、丁寧なきれいな字で手紙をしたため、主人も会社を休みを取って、その手紙を持ってアポなしで学校に赴いたのです。その日は、雨でした。大雨の中、傘をさして、お受験スーツに身を包み夫婦で学校に行ったところ、校門のところの守衛さんに呼び止められました。校長先生にお会いしたいと事情を説明したのですが、予想通り、絶対に校内へ入れてもらえませんでした。「校長先生や副校長先生に会えないのであれば、この手紙だけでも受け取って欲しい」と、半ば強引に押し付けるような形で守衛さんに手紙を渡してきました。しかし、結果から考えると、これが一番の要因ではないかもしれませんが、効果はあったように思います。何もしないで待つよりは、行動を起こしてみるのも良いかもしれません。
2022.11.22
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私立小学校受験全落ちしたご家族も苦しまれているのがこの時期ではないでしょうか。我が家もその家族のうちの一つでした。光塩女子学院小学校の附属の幼稚園に行っていたのにもかかわらず、内部試験に落ち、その後外部受験で再度光塩女子学院小学校ともう一校記念受験で受けた大学付属の小学校、どちらも落ちましたが記念受験の小学校が補欠をいただきました。しかし、補欠なだけで小学校に通える保証は全くなく、国立小学校への受験対策はしていなかったことから、公立小学校へ進学する準備を泣く泣くしておりました。幼稚園では、娘に対するいじめもひどく、保護者達は「あそこのうちは小学校に行けなかったのだから口を聞いちゃ駄目よ」とはっきりとした大きな声で言われ、私も娘も針の筵でした。気の毒に思った同級生の母親が、今からでも受けられるところがあるわよと、通学に2時間以上かかるような他県の小学校の願書を持ってきてくれたりしました。毎日、何のために幼稚園に通っているのかわからない日々でしたが、ここで登園拒否してしまったら娘も私も逃げたことになるようで、意地でも誰からも声も掛けられなくても意地で登園し続けました。公立小学校への進学準備の健康診断にも参加しました。娘も漠然と公立に通うことになるのかということをようやく理解し始めてきたところでした。しかし、頭の片隅で補欠の連絡を待ち続けてきました。ネットの情報などで、3月に補欠の繰り上げの連絡があったという記事も見かけたので、うっすらと希望を持っていました。国立小学校の入試も終わり、手続きも終わり、12月の下旬にいきなり自宅に補欠繰り上げの連絡をいただいたのです。12月下旬でほぼあきらめていたのですが、うれしくて飛び上がりました。光塩女子学院小学校より世間的にも名の知れた大学付属の小学校です。補欠を頂いたら、少ない可能性でも待ち続けることは大切なのかもしれません。
2022.11.21
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前回の日記の続きです。娘は、3月下旬生まれで末っ子なので、発達が同じ学年の子に比べて明らかに遅かったです。模試など、新しい場所だと緊張するのである程度大人しく出来るのですが、内部面接のときは、周囲には幼稚園でのお友達だらけ、一緒にいるのはママとパパということもあって、興奮しておしゃべりが止まらなくなってしまっていました。「ねーねー、なんでここに座ってるの?ねーねー、早く帰りたいー。」とか実際に面接が始まったときは、父親に質問されているのに「ねーねー、ママもちゃんと答えなさいよー、なんで黙ってるの?」とか。。。行動関節では、前回の日記の通りでした。面接での校長と理事長の冷たい態度からも結果は明らかでした。土曜日に試験があり、翌日の日曜日に学校まで結果を取りにいかなければなりませんでした。不合格を確信していたのと、同級生のご家族に会うのが辛くて主人に合格発表通知交付の5分前に結果を取りに行ってもらいました。結果は予想通りの不合格。相変わらず、何が起こっているのかわからない娘はニコニコ、ドタバタと家で過ごしていましたが、今後についてどうしようかと、真剣に夫婦で話し合いました。来週からの幼稚園の通園も苦痛でした。ここで通園しなくなるのも情けないので、倒れそうになりながら幼稚園に娘を連れて行きました。案の定、同じクラスで同じく3月生まれで幼稚園での課題の出来が悪い子のお母さんが、早々に帰ろうとしていたところに走って追いかけて来ました。「ねーえー、どうだった?うちは受かったけどぉー」なんで彼女が受かって、うちの娘がダメだったのかと、今更ながらに悔しくて、恥ずかしくて、辛くて泣きそうでした。相変わらず娘は状況が分かっていませんでした。彼女に娘の不合格の旨を伝えて、倒れそうだったけれど、頑張って泣かずに家までたどり着いて間もなく、幼稚園の担任の先生から自宅へお電話がありました。「もう一度外部受験で一般の人と一緒に受けてみたら、今度は大丈夫ですよ。」と散々励ましてくれて元気を出させてくれました。でも後々に担任の先生の裏切りを知るのです。
2022.10.26
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ずっと自分の子供のことに忙しくしていたため、更新することが出来ませんでした。本当はいろいろ幼児教室のことについて書きたかったのですが、試験が間近なため、まず光塩女子学院幼稚園から小学校への内部試験の実情についてお話ししたいと思います。光塩女子学院幼稚園から附属の小学校への進学には内部試験が必要です。内部試験を受験しさえすれば全員が合格できるのではないのです。毎年一定数のごくごく少数の子供が不合格になってしまうのです。今まで幼稚園にご奉仕してきたのにもかかわらずです。幼稚園に通うのには、いろいろな制約、規則、保護者同士のみっともない争い、足の引っ張り合いがあり、それに耐え続けなければなりません。うちの娘も模試等では確かに不出来でしたが、ほかの子供をいじめたり、バカにしたりするような子ではなく、ただ単純に頭が幼いというか、頭の回転が遅いだけの奥手な引っ込み思案の子でした。うちの娘は、そのごくごく少数の不合格者に入ってしまいました。光塩女子学院幼稚園の内部試験は、子供の行動観察と親子3人での面接でした。行動観察では何グループかに分かれて、学校側から出された課題をお友達とこなしつつ、それを採点されます。うちには、その当時公立小学校に通う兄が二人いました。学校で「うんちくん」という言葉が流行っていて、次男が家で💩、うんちと騒いで妹を笑わせていました。行動観察の試験当日。いつもの模試と違って、同じ幼稚園の子供たちばかりなので楽しくてはしゃいでしまって、うんち、うんちとキャッキャッと笑う娘の声が控室でしました。案の定、次の親子面接では、志望動機などの必ず聞かれるような質問は校長からされずに、「女性の社会進出についてどう思われますか?」などと受験に全く関係のない話をして終わってしまいました。不合格の予感がしていましたが、まだ幼いこともあり、幼稚園からの内部進学だし、大丈夫かもと思っていましたが、やはり不合格でした。不合格者は4、5人だけで、あっという間に幼稚園での保護者の噂の的になりました。ここから、私たち家族の大逆転劇が始まったのです。
2022.10.17
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今日は、通っていた個人の教室の先生の教育方法について書きたいと思います。幼児教室の塾長は、大手幼児教室でノウハウを学び、個人でマンションの一室を借りて幼児教室を運営していました。見るからに厳しく、怖くて、子供が絶対になつかないタイプの先生でしたが、どこかこの先生に付いて行きさえすれば、有名校に合格できるのではないかと幻想を抱かせる先生でした。大声で怒鳴るのではなく、ニコニコしながら、思いっきり厳しいことを言うので、余計に心に響きました。娘はいつも出来が悪かったので、とにかく嫌味をニコニコしながら言われました。ほめてもらえたことは、ほとんどなく、子供たちは先生をとても恐れていました。しかし、保護者は何とかして先生に気に入られようと必死でした。毎授業が終わるときに、その日の出来栄えによってシールを先生から頂けるのですが、うちの子はいつも最低枚数でした。娘は別にシールにこだわりもなく、逆に何の効果があるのだろうという感じでしたが、「はい、○○ちゃん(うちの娘)は、今日もシールが少ししか貰えませんでしたね。次回頑張りましょう」と全員の前で言われ、親の私は毎回落ち込みました。帰ってから、すぐに子供をひっつかんで、机に座らせてたっぷり2時間は復習していました。うちの娘と同じように出来が悪く、ほぼ毎回の授業で叱られていた子がいました。慶應幼稚舎志望の女の子です。手先が器用で巧緻性の授業ではずば抜けていましたが、ペーパーが苦手でしたし、集中力がありませんでした。授業のたびに先生から嫌味を言われ、授業中に外に出ていきなさいとか言われて、泣いていました。ただ、先生に歯向かうわけでもなく、うつむいて、泣きながら授業をボイコットするという感じです。「どうしてこういうことになってしまっているんでしょう」「ご家庭でどういう風に教育されているのですか?」などと塾長が親も子供も追い込んでしまっていて、聞いているのも苦痛なほどでした。受験本番が近づいている7月の夏期講習で散々な目にあって、なんと受験の3か月前の8月から急に来なくなってしまいました。他の保護者の方に聞くと退塾したようです。そこまで親子を追い込む指導方針にいつも叱られている私も疑問を持つようになってきました。子供たち全員が、良い子でいようと委縮している感じが見て取れたのです。でも、これが合格への道のりなのかと、耐えました。
2022.09.12
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志望校について今日は書きたいと思います。以前の日記にも書きましたが、長男は暗記力と理解力が小さい時から並外れていたので、公立小学校ではないところへの進学を考えておりました。ワーキングマザーであったのですが、時間を作っていろいろな小学校の学校説明会や大手幼児教室が主催のイベントには沢山顔を出しました。娘の時にも長男の時には行っていない女子校をはじめとした学校説明会にも参加したくてたまりませんでした。しかし、私はその当時癌の術後で抗がん剤治療中でした。抗がん剤の副作用で体調が悪い上に、全身の毛が抜けてしまっていたので、いくら、かつらをかぶっていても外に出かけるのが苦痛でした。近所の幼児教室に通うのがやっとでしたが、徒歩20分以内で通えるところなのに、私の父に車で迎えに来てもらっていました。そんな状態なので、学校説明会には結局1校も参加できなかったのです。その上、娘の成績がとんでもなくひどい状態であることがわかり、小学校受験は、通っている幼稚園の系属校である光塩女子学院小学校一本に決めました。光塩女子学院幼稚園から小学校に入学するのには、外部受験と同じように試験と面接があります。内部からの受験でも、毎年一定数の園児が不合格となっているということが幼稚園からも案内されていました。娘は、公開模試でほぼビリなので、本腰を入れて受験対策をしないと、係属の小学校にも入学できないかもしれないという危機感が生まれました。受験が近づくにつれ、幼稚園からの内部進学争いも熾烈で、幼稚園の中は保護者同士の争いが絶え間なく、噂の広げあいが多く、幼稚園自体もものすごく雰囲気の悪い感じでした。先生にも好かれないといけないし、保護者からも好感を持たれないといけないし、子供自身も幼稚園のクラスメイトに好かれないといけない、幼児教室の先生は厳しすぎて相談も出来ない、体調はなかなか戻らない、毎日が本当に苦痛でした。しかし、光塩女子学院小学校1校に志望校を早くから決められたことは、対策も立てやすく、有利なはずだと思い込むようにしました。結果だけいうと光塩女子学院小学校には娘は通っていません。
2022.09.08
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統一模試でビリから2番目の順位をたたき出す!受験生、その家族にとって大切な大切な夏休みの期間。その夏休みの過ごし方をブログに記したいと思いつつ、我が子にとっても大切な夏休みで、ブログの更新が出来ませんでした。改めて、毎日、日に何度もブログを更新している方のことを尊敬してしまいました。自分の生活がありつつ、ブログの更新は中々大変ですね。受験生のご家族は、有意義な夏休みを過ごすことが出来たのでしょうか。小学校受験生にとって、11月の受験まであと少し。大切な期間ですよね。今日は、夏休み前に初めて受けた統一模試の結果について書かせていただきます。様々な教室ごとで行っている模試は、何度もチャレンジしたことがありますが、かなりの数の小学校受験生が受験をする統一模試を初めて受けました。通っている幼児教室の先生に力試しで受けるように言われて受けたものでした。都内の有名大学が模試の会場で、本番さながらのテストが行われ、付き添いの保護者もお受験ルックに身を固め、緊張感をもって参加しました。娘は精神年齢が幼いこともあって、電車に乗って人が大勢の所に行って、さらに勉強までさせられたと、不機嫌な様子で戻ってきました。厳しい幼児教室に通っている成果も出ているのではないかと、結果を楽しみにしていたのですが、戻ってきた結果に驚愕しました。受験者総数のちょうどビリから2番の成績でした。ビリとは1点差くらいで、ほぼビリです。長男が近所では神童と言われたこともあるような子だったので、そのショックは計り知れなったです。どうして、幼児教室に通っているのにも関わらず、私も一生懸命なのにも関わらずこのような成績なんだろうか。本当にショックでした。子供に低い順位がつくことがこんなに辛いことだとは想像もしていませんでした。今後短期間でどのようにして合格を勝ち取っていかなければいけないのか。相当悩みました。幼児教室の先生に相談するのも嫌でした。幼児教室の仲間にも相談できません。幸い結果を見せろとは言われなかったので、成績は良くなかったことのみを伝えるにとどめました。娘を何とかしなければと、夏休みの過ごし方を真剣に考えました。
2022.09.06
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今日もお受験幼稚園の様子を書きたいと思います。娘が途中入園した光塩女子学院幼稚園はカトリックのお受験幼稚園でした。子供を送迎している保護者は紺色のお受験ルックに身を包み、普段着で送迎している保護者は皆無でした。おばあちゃんが時々お迎えに来るご家庭があったのですが、そのおばあちゃままでが、お受験ルックに類する服装をしていて、入園当初、保育園から転園した私はとても驚きました。毎週水曜日の午前保育の日は、お迎えの時間が11時ごろだったので、送ってすぐにお迎えでした。約2時間しかないため、ママたちは、幼稚園近所の喫茶店でおしゃべりをして待つのが通例でした。私は途中入園ということもあって、中々その輪に入って行きづらく、数か月とても肩身の狭い思いをしました。ちょうどその待ち時間を使って、シスターからのキリスト教についての講座があったので、それを受講したりしました。受講者は10人にも満たなくて、驚きました。ほぼ全員が幼稚園近所の喫茶店、レストランでお茶を楽しんでいるのでした。そしてそこで行われているのは、受験の情報、子供たちやお母さんの噂話等々が行われていました。何人かのボスママを中心にグループが出来上がっていて、ボスママを中心に徒党を組んでいました。噂には聞いていましたが、これまたとても恐ろしい世界でした。入園して数か月経って、やっと何人かのママにランチやおしゃべりのためにお声をかけて頂きましたが、そこでの会話は仕事だけの私にとっては、とても恐ろしいものでした。園児同士でけんかをしてしまったりすると、その親子はボスママの指令からなのか、親子共々で無視されたりししていました。うちは、娘が保育園出身、早生まれで出来が悪い、ということで敬遠されていました。「○○ちゃん(うちの子)とは遊んでは、だめですよ」なんて声が何度も聞こえてきて、本当に不愉快で、転園を悔やむほどでした。それ以外にもお迎えは、お迎えに行った順番に親が整列させられ、全員揃ったところで、引き渡しが始まります。引き渡しの際に、今日一日の子供の様子が担任の先生から保護者全員の前で語られるのです。出来の悪いうちの子の迎えも、何を指摘されるのかと、いつも苦痛でした。しかし、この担任からの指摘が、小学校受験の「行動観察」に効き目があるのだろうなと思い堪えていました。
2022.07.25
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今日は、お受験幼稚園の様子を書きたいと思います。娘が途中入園した光塩女子学院幼稚園は、その名の通り女の子が9割を占める幼稚園でした。男の子で入園している子は、お姉ちゃんがいるとか、家が近所で通いやすいからということで通っているように思いました。娘の同級生の男の子は4人だけでしたが、結局4人ともお受験に成功されていました。結果は国立2名に早稲田実業、立教小学校に合格していました。女子は系列の光塩女子学院小学校に約8割の子が入学していました。残りの2割は、光塩以上の小学校を目指す子たちです。例年、光塩以上の小学校である青山学院、早稲田、聖心、慶應幼稚舎、白百合、立教女学院など有名小学校に2割の子たちは入学を決めていました。どうしてこのように素晴らしい合格実績を誇れるのかということを考えた場合、やはり幼稚園での教育が小学校受験を想定したものばかりでした。毎日先生方によって、いろいろなカリキュラムが考えられており、幼児教室の通わなくても幼児教室のような授業を幼稚園で受けることが出来ていました。もちろん母親の教育も同時に行われていました。光塩では、子供の持ち物は、母親の手作りでかつ刺繡が施されていなければなりません。通園サブバッグ、お弁当袋等々、入園したらすぐに作り方の紙と光塩指定のギンガムチャックの生地を渡されました。私も大学卒業後は仕事のみでお裁縫などする機会もなかったため、すぐに刺繍の本を買って勉強し、娘のために一生懸命手作りの入園グッズを作成しました。後に知ったのですが、入園グッズを作成して下さる光塩出身のお裁縫が得意なママさんがいたようで、その方に外注されている方が多いそうです。母親も子供のために心を込めて、手作り用品を作る。子供は、幼稚園で友達とただ遊ぶのではなく、工作をしたり、詩や俳句を作ったり、スポーツも小学校受験で出題されるようなスポーツをする。こういうことで、自然と小学校受験で合格するすべを学んでいっているように思いました。
2022.07.21
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幼児教室の室長とサブの先生について書かせていただきます。このお教室は、長男での経験を踏まえ、実際に出向くことが難しい私がネットで調べて決めたお教室でした。室長は50歳代くらい、室長を補助している先生は40歳代の二人の先生で運営していました。教材は、オリジナルのものでしたが、多分以前お二人が勤めていたジャックの教材を改訂して作られたように思います。とてもよく出来ている教材でした。室長は子供が3人全員男の子で、小学校はそれぞれ学習院、成蹊、学芸大学付属世田谷に通わせていたそうで、学習院と成蹊のお子さんは中学から開成、国立のお子さんは中学から武蔵に進み、二人が東大、一人が慶應医学部に進ませることが出来たご自身も教育熱心な先生でした。先生のお子さんの経歴にも強く惹かれて、この先生についていけば同じような道が開けるかもしれないと期待をもたせるようなオーラのある先生でした。サブの先生は、室長と違って、温かく子供を絶対に叱らず、室長から叱られた保護者や子供をフォローして下さる優しくて子供好きな先生でした。サブの先生には、どの子供たちも懐いていました。どんな失敗をしても決して怒ることなく、いつもニコニコと優しい笑顔が印象的な素敵な女性でした。ご自身は結婚はされていましたが、お子さんはいらっしゃいませんでした。室長に尽くしている感じもしました。在籍中に室長のご主人が亡くなってしまいました。癌を患っていらして、闘病かなわず亡くなられてしまったのですが、私は、自分が闘病中だということもあり、お通夜に参列させていただきました。その時に受付をそのサブの先生がされていて、室長のご家族のために献身的に働いていらっしゃった姿を拝見しました。そのお通夜には、慶應大学病院の大きな花輪があり、慶應医学部の関係者が何人かいらしていました。室長先生はとても気丈で、涙も流さず喪主をされていたのが、とても印象的でした。教室からの参列は私だけだったようで、先生がとても喜んでいたのは強く覚えています。
2022.07.16
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個人の先生の幼児教室の同じクラスの生徒さんについて書きたいと思います。私は、この教室をインターエデュの書き込みで評判が良かったために決めましたが、他の生徒さんたちは違いました。ご紹介が多かったようです。どのようなご家庭が在籍しいたかを説明させて頂きます。一人目のご家庭・・・男の子、聡明でかわいらしい。早稲田実業小学校志望、お父様弁護士で早稲田大学のOB会の会長(当時)、お母様専業主婦二人目のご家庭・・・女の子、神経質で内気ですぐに泣く。慶應幼稚舎志望。お父様はじめ一族慶應義塾大学医学部出身のお医者様、お母様は医学部に入れなかったため、どこかわからないが歯学部出身だが、歯科医の国家資格は取れず三人目のご家庭・・・女の子、無口でおとなしい、存在感が薄い、手先が器用。聖心小学校志望。お父様会社社長、お母様はご主人の会社を手伝っている。光塩女子学院小学校から高校まで、大学は不明。四人目のご家庭・・・女の子、聡明で活発で明るく元気一杯。いつもクラス一位の成績。筑波大学附属小学校志望。お父様会社社長、お母様専業主婦。五人目のご家庭・・・男の子、明るく元気。暁星小学校志望のため幼稚園に途中入園。お父様開業医。お母様お父様の病院を手伝っている。六人目の家庭・・・うちの娘。内弁慶で兄弟がいるためかがさつ、物覚えが悪い。手先も不器用。万年クラスでビリ。父親大手メーカーのサラリーマン、母親は政府系金融機関を癌治療のために休職中。うちが入室当初はこのメンバーから始まりました。毎月のテストで点数がつけられ、うちは万年ビリでした。特に「前から何番目、後ろから何番目」という簡単な順序がわからず、教室で先生に「ご家庭でどういう教育をされているのでしょうか。」「なぜ毎回理解できないのでしょうか。」と散々言われて、娘だけでなく私の心も折れそうでした。毎回教室が終わると、家に帰って怒鳴ってしまう私でした。どうやったら理解できるのか、娘が大好きだったアンパンマンのキャラクターの指人形を一列に並べて、バイキンマンはどこにいるか言わせたりしたも一向に理解できなくて、ほとほと困っていました。
2022.07.12
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個人の先生の幼児教室の戦略その2即決で入室を決めた幼児教室は、幼児教室大手のジャックで20年以上講師を勤めた先生が独立して作ったお教室でした。先生自身は、大学在学時に家庭教師の会社を起業したこともあったそうで、かなりのやり手で言葉に説得力があり、力強いオーラがあり、この先生についていけば合格間違えなしという雰囲気で、入室当初は毎授業ごとにワクワクして参加していました。参観型の授業なので、自ずと我が子の実力が手に取るようにわかります。その上、月に一度クラス内で復習テストがあり、そのテストを行っている間は教室外で保護者は待機していないといけないのです。住宅街にあるマンションの1室を教室として使っていたため、待機する場所は限られていました。それも先生の戦略でしたが、教室から徒歩1, 2分の喫茶店で保護者全員でお茶をしながらテスト終了を待っていなければならなかったのです。1時間半のその時間が、私には毎回拷問のようで、苦痛でした。入室が一番最後だし、早生まれの娘はすべてにおいて大きく遅れを取っていましたし、夫も普通のサラリーマンで、社会的に成功しているわけではないし。大きな劣等感を持ちながらおしゃべりをしていましたが、この時間こそが先生の戦略でした。普段の学習、家での過ごし方、幼稚園でのこと、小学校の情報等いろいろ学べました。また我が子をクラスで上位にするために、みんなが競い合うようになっていました。全員が切磋琢磨する、これこそが先生の戦略だったのです。
2022.07.06
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保育園での教育について書きたいと思います。娘は、幼児教室の先生の戦略によって、無事に近所では有名なお受験幼稚園に途中入園することが出来ました。途中入園ということと、娘が3月下旬生まれで保育園育ちということもあり、すぐに幼稚園になじむことが出来ませんでした。もちろん母親の私も同じです。保育園では、お昼寝の時間、昼食の時間以外は、ずっと好きなことをして遊んでいるだけでした。長男も次男も娘と同じ保育園でしたが、長男、次男が在園の時は小学校に入っても困らないようにと、絵をかいたり、文字を教えてくれたり、劇や歌を練習したりと先生方も熱心でした。次男の年長の頃から、1歳児以上しか受け入れしていなかった園が、0歳児それも1か月の赤ちゃんを受け入れることになりました。そしてちょうどその頃、お散歩で園児を置き去りにしてしまう事件もあったりして、急に保育園の教育方針が変わりました。「幼稚園は教育するところ」、「保育園は仕事中子供を預かってもらうところ」、という線引きが出来たと保護者会ではっきりと言われました。保育園での子供の様子を毎日事細かに担任の先生が連絡帳に記してくれていましたが、それも次男が年長の時に廃止になりました。うちの場合、私が病気になる前は、10時出社で大丈夫なパパが送りを、迎えは17時に祖父がおこなっていました。私が18時頃に家に帰ると私の父が家に子供たちを連れてきてくれていたのです。3人の子育てと仕事の両立で忙しく、保育園の送迎は家族任せだったので、連絡帳は本当に大切な先生方との交換日記のようでした。それがなくなってしまったので保育園での様子は、ほとんど知るすべがなくなってしまったのです。正にただ、預かってもらっているだけでした。
2022.07.05
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個人のお教室での様子、先生に教えて頂いたことを書きたいと思います。長男の時に大手の幼児教室に通っていたにも関わらず、このお教室で新たに親学ぶことが多かったです。教室に入室する際の所作、教室に参加するときの親子の服装、心構え等々子供だけでなく、親にもかなり厳しく教えて頂きました。先生が怖くて泣きだす子もいましたし、親も泣きそうになるほどキツいお言葉を頂きました。教室長とその補佐の先生のお二人でだけの小さい教室でしたが、二人とも言葉遣い、所作がとてもエレガントで見習うべき姿でした。その当時娘の通っている曜日は生徒が5人だったのですが、皆さんご紹介での入室で私のようにネットで見て入室を考えたご家庭はいませんでした。入室して1か月くらい経ったある日、あるご家庭ととうちが授業後に残るように言われました。小学校受験のために幼稚園の受験を勧められたのです。もう一人のお子さんは、暁星幼稚園の受験を、うちは光塩幼稚園の受験をすぐにするように勧められました。先生の経験から、お受験幼稚園出身者の方が小学校受験の合格可能性が高くなるとのことでした。お受験幼稚園は、年少からの入園が基本ですが、年中からでも、年長からでも間に合うのでまずは、お受験幼稚園へ入園するようにご指導がありました。娘は保育園児でしたが、幸い私の病状も落ち着き始め、病欠で会社を休職していましたしたが、幼稚園送迎は家族の助けも借りて何とか出来るかもしれないと、先生のアドバイスに従って先ずは幼稚園の受験を行いました。教室入室1か月程度での幼稚園受験でしたが、先生の願書の書き方、試験への臨み方等のご指導もあり、二人とも幼稚園に合格することが出来ました。今思い返してみると、幼稚園受験は、小学校受験に比べると数倍楽でした。何もできない娘ですら合格したのですから。でもこれはスタートラインに立ったにすぎませんでした。
2022.07.04
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娘が通い始めた個人のお教室について書きたいと思います「20年にも及ぶ経験を持つ幼児教室」というキャッチフレーズ、家から近い、カリスマ感がある教室長、に心を動かされ入室を夫に相談することなく決めてしまいました。始めてお教室の授業に連れて行ってびっくり。子供の授業を後ろで参観する参観型の教室でした。抗がん剤の治療中である私には、1時間子供用の小さい椅子に座っていることは拷問でした。初めての授業の日、手術跡が痛くて、パーカーにウエストがゴムのパンツで行ってしまいました。クラスが5人だったのですが、私以外全員のお母様は紺色のスーツで参観していました。その上、授業が始まってまたびっくり。「さあ今日は初めてのお友達がいらしたから、皆さんお名前とお父様のご職業を言ってください」と先生が言いました。「○○です。ぼくのお父様は弁護士です。」「○○です。ぼくのお父様はお医者様です。」「○○です。お父様は会社の社長です。」「○○です。お父様はお医者様です」そしてうちの娘。「えーと○○ちゃんです。パパのお仕事、えーとわかんない」という感じでした。私と娘は普段着、娘は自己紹介も出来ず、最初から大恥をかきました。玄関で靴を脱ぐのですが、私と娘だけ普段靴。皆さん黒の革靴。「今後は、服装にも配慮されて下さい。お父様のご職業も会社員と言えるようにして下さい」と全員の前でご注意を受けました。他の保護者の目が冷たく初日から前途多難でした。
2022.07.03
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今日は、お教室選びについて書きたいと思います。実は、お受験は経験済でした。娘の上に二人の兄がいるのですが、長男が小学校受験をしました。長男は、結婚して9年目にやっと授かった子だということもなり、お腹の中にいる時からクラシックを聞かせ、本を読み聞かせ、大切に大切に育てて来ました。そういった効果もあってか、2歳になる前にひらがな、カタカナの読み書きや、3歳で世界地図を暗記し、世界の国旗と首都が言えるほどの子供でした。暗記力がものすごくて、図鑑や本は、すぐに暗記してしまいました。周りの人々から神童?とまで言われ、保育園でも先生方から有名でした。私はもちろんフルタイムで働いていましたので、親が参観しなくても良い幼児教室を探し親の負担の少ない大手の幼児教室通っていました。模試の結果も常に一桁で、お教室の先生にも太鼓判を押されていたくらいでした。が、結果は残念。都内の私立2校しか受けなかったのですが、2校とも不合格でした。そういうこともあり、娘の時の幼児教室選びは慎重に考えて選びました。しかし、抗がん剤治療で通院もしていたので、なるべく親の負担のないところ。でも合格実績があるところを選びました。実際にいろんな教室を見学してみるのは、長男の時にさんざんしましたし、体力的にも難しいので、今回はネットで検索しました。インターエデュというサイトをよく見て参考にしました。すると車で10分くらい、徒歩で30分くらいの近所に幼児教室が2軒あり見学を申し込みました。1つ目のお教室は、個人の先生で小さい教室、アットホームな雰囲気、ただただ優しいおばあちゃんのような先生が教室長でした。2つ目お教室もやはり個人の先生。幼児教室大手のジャックで長年講師をしていた先生が独立して教室を開いていました。ものすごく厳しそうで、見た目はアルプスの少女ハイジのロッテンマイヤー先生のようでした。ただ合格実績もすごく良かったし、今回は絶対に失敗したくないので、すぐにここに決めました。
2022.07.02
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私立小学校本番まであと4か月となりました。娘のお受験成功への道のりをこの4か月を使って、振り返りたいと思います。小学校受験は、保護者の力が試されます。あと4か月が価値あるものにし、少しでも不安を抱えている方の手助けになればとブログを始めました。今日はまず、お受験を決めた理由について書きたいと思います。私は、ワーキングマザーで娘は1歳の年度末から近くの私立保育園に通っていました。保育園は幼稚園と違って、子供を預かるだけのところだということが、お受験を通してわかりました。今後このことについても触れたいです。保育園に入園させるのは、本当に大変ですが私も主人もフルタイムで勤続年数も長かったため、娘は近くの私立の保育園に入園することが出来ました。しかし、私が仕事中心の生活をずっと送ってきたことから、体調を崩し、検査したところ癌がみつかりました。手術、抗がん剤治療、長い入院生活、そんな中、早朝から夜18時まで子供を預かってくれていた保育園には感謝しかありませんでした。私の癌は、手術の結果、5年生存率が低い癌であることがわかりました。今後仕事に復帰できるかどころか、子供が小学校の入学式、それ以降の学生生活を母親と支えることが出来なくなるかもしれない、そんな強い不安に駆られました。子供が安心した学生生活を送るために、大学まで一貫した小学校への入学を思いついたのです。それが私のお受験への道のり第一歩です。
2022.07.01
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